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神山元会長の講演内容の誤り  公式見解の動画 

 

公式見解の動画 「神山威氏の講演内容の誤り 」です。


神山威氏の講演内容の誤り - YouTube

 

神山元会長の講演会の発言に対する誤りについて公式見解の動画が造られました。、わかりやすく、丁寧なポイントをついたものです。

おさらいにどうぞ。

3回の講演に参加された方で以下のように神山氏が語ったと報告しています。

アブラハムの象徴献祭失敗を、アブラハム・イサク・ヤコブの三代で縦からなる横的な蕩減復帰したのと同じように、文先生が果たせずに基元節の前に亡くなられる結果となったのを縦からなる横的な蕩減復帰で勝利しなければならない事などを語られ、文先生のお子さん、お孫さんを通して勝利して、文先生の恨を解かなければならない事などを語られました。」

 

この物語の失敗部分を取り除いてみれば、四位基台が明らかにされる以前において、ある意味、神はアダムからの三代が神に対する絶対的信仰によって侍り生活をするような、創造目的を実現する理想家庭の出現を待ちこがれておいでであったことを象徴していると見ることもできます。

やはりここにきたかという感じです。

ここで注意しなければならないのは

アブラハムはハトを裂かず失敗し、妻サラの信仰によって支えられ、イサク献祭によってかろうじて面目を立てた。

しかし、これをそのままお父様に当てはめることができるのだろうか?

もしそれができるとすれば、お父様もアブラハムのように決定的な失敗をしてしまったという前提が必要になってくる。

神山氏が「真の家庭がどこにある?」と言われる所以です。おそらく本人の気づかないうちに、うっかりお父様を否定する内容の発言をされてしまったのでしょう。

そこでお父様が失敗した根拠として、基元節を迎えることができなかったことを嘆かれるのです。

ところがお父様は地上におられる時に既にお母さまと共に神の直接主管圏に入ったと語られています。誰でも知っているように、完成期は相対者と共に行く道です。

お父様もお一人で完成期を歩んだのではなく、お母さまと歩まれ、お二人で共に勝利して、神の直接主管圏に至ったのです。

その事はまさに文字通り「神の立場に立つ」ということです。

そこで地上のお母さまを不信することは、そのまま神を不信することとなります

したがって、神山氏はお父様のために講演をされてきたようですが、結果としては、お父様やお母様そして天の父母様までも悲しみを与えることになったのです。

アダムは人類史上初めて神の愛を注がれた人物でした。

神様の絶対の真の愛を受けながら不信して堕落してしまいました。

 

そこで我々信徒は復帰の道において、神様は勿論われわれを全き愛で愛されてはおられるのですが、あたかも我々をすっかり見捨てたような情況に立たせられることがあります。それでもサタンの試練の背後におられる神様の御愛が如何に大きいものであるか、その隠された心情を発見する責任が我々にはあります。

 

われわれが全てを失うとも、「神様だけは全く正しかった。」といって今際の際に絶叫してでも感謝しなければ治まらない、価値ある天の父母様のご心情があります。

 

永らくわたしは遠藤周作が書いた「沈黙」に対して見過ごすことができないという思いを抱いてきました。

いつかこのブログで「神の沈黙」にたいする弁護ができればと思っております。

 

その路程には色々な次元があり、また色々な責任者とならねば知ることのない世界もあることでしょう。

 

得意の時に栄光在天があり、失意の時に永遠感謝がある。

 

顕進様は神山氏が重病で入院されていた際、支えておられたと伝え聞きます。

本当に素晴らしい御子女様です。

日本人であれば誰でも「恩は売らず、恩は忘れず」の心を知ります。

また神山氏が御子女様をお支えしたい気持ちには色々の理由があることでしょう。

 

残念ながら今回の件は勇み足であったと言えよう。

お父様と神山氏がダンバリー刑務所にいる時、40日断食をして支援した井口兄弟が「お世話になった」神山氏に会場であった際の心情を察すると実に忍びないものがある。

 

分不相応なわたしが今まで随分厳しいことを申し上げてきた。

しかしわたしとしては、神と真の父母を愛してこられた先輩に対して、敬意を表して、これでも「峰打ち」でお相手したつもりです。

武士の情けです。

至らないことは謹んでお受けしたい。

 

さて、今後は様々なグループによる発言や活動が物議を醸し出さないことを祈るが、念のため・・・

 

神の創造において、天使長ルーシェルは神の愛を最も受ける側近であり忠臣であった。

神の御言葉や神の御旨を最もよく知っていたのであり、神の摂理が為されていく有様を、もっとも初期から知っていた存在であった。

誰よりも御言葉を知る機会があり、誰よりも御旨を知る機会があり、その実現の推移を神と共に見守っていたのである。

その時は善の天使であった。

 

この神が寵愛した天使が神を裏切りサタンに堕落することにより

神のアダムとエバに託された創造本然の価値を表す、真の父母と真の家庭がサタンによってよって侵害されてしまった。

 

そこで起きた犯罪は大きく4つあった。

すなわち、

第1に、神の戒めを守らず、神の心情を不信した「不信罪」

第2に、天使長ルーシェルとエバ、つづいてエバとアダムに起きた「淫乱罪」

第3に、その子、兄カインが弟アベルを殺した「殺人罪

第4に、それらによって神の造られた全ての万物がサタンに奪われてしまった「強盗罪」

 

したがって側近であればあるほど、信仰の軌道がずれた際には、誰でも同様な試練に陥る可能性があるのである

その試練の形は様々であろう。

 

側近が時に神の財産を名義変更などの姑息な手段で横取りする可能性が、残念ながらないとは言えないのである。

 

今後

サタンが「本当に神様がそう言ったのですか?」というように

側近が「本当にお父様がそう言ったのですか?」

そして

「わたしは誰よりもお父様と共に、草創期より歩んできました。それで誰よりもお父様から御言葉をたくさん聞いてきました。これからの摂理はこうこうです。」

という者が現れた時にはどうすればいいのであろうか?

大丈夫!

 

真のお母様を見ればよいのである

御心のままに委ねればよいのである。