イエス様の家庭でのヨセフとマリアの不信仰に学ぶ教訓 4
神様はアダム家庭において創造理想を成就されようとしたが、人間堕落によって踏みにじられてしまった。
神は絶えず全人類の中から、創造本然のアダムとエバと天使長に当たる人物を立てることを願われ、探されてこられた。
先ず堕落したエバを復帰して
その復帰したエバから罪なき神の子イエス様を誕生させ
アダムの立場に立つイエス様(兄)の相対である女性(妹)を求める。
アダムの相対者(伴侶)が妹エバであり、アブラハムの相対者が妹サラであった。
アブラハムとサラが母親違い、腹違いの兄妹であったことを考えると、イエス様の花嫁として予定されていた方は、複数いるとしても、最も自然であるのは、洗礼ヨハネの妹である。
残縁ながら、聖書には洗礼ヨハネの妹の記述はない。
表面的にはヨセフの家庭が摂理の中心に見えるが
本質的にはザカリヤの家庭に神の霊はあったのである。
ザカリヤの家庭には神による復帰摂理の秘儀が凝縮し、集約されている。
アダム→ザカリヤ(神が祝福した血統)
エバ→マリア
天使長→ヨセフ
堕落がエバから始まったので
復帰はエバの復帰から始まる
だが神側の人物が暫定的に必要となる。それがダビデの血統のザカリアである。
①アダムとエバが未完成期間(婚約期間)
②アダムが兄 エバが妹のとき
③神の僕の天使長が、アダムの妻となる予定の妹エバを、兄であり将来夫になる予定のアダムから奪う
④神が祝福し立てた人が、天使長の実体であるヨセフから、婚約期間に許嫁であるマリアを奪い返し、神側にエバを復帰した条件を立てる。
⑤ヨセフは天使長が勝利できなかった内容を超えて行き、少なくとも神が許されるまでは子供を持つことができない。善の天使長として生まれてきたイエス様に仕え侍り生活しなければならない。
⑥神の復帰摂理上の勝利した女性、サラ、リベカ、タマルによる聖霊の役事によって、外的世界に生まれる以前の、女性の胎中、女性器また子宮において堕落した天使長ルーシェルによって陵辱された一切を聖別して、サタン中心の悪主権から神主権の善主権に、善悪交叉し、サタンの宮から神の宮にその身が善悪交体し、それは血統転換を意味し、そのまま心情転換がなされることも意味する。
⑥ラケルとレアが神を中心に一体化へ導かれたように、マリアとその姉エリサベツも一体化しなければならない。
⑦その一体化の基台の上に腹違いの子イエス様と洗礼ヨハネが一体化に導かれ、兄弟の中にイエス様の第一弟子が誕生する。すなわち洗礼ヨハネである。
⑧洗礼ヨハネの誕生の際は、父で祭司長のザカリヤが聖所にはいって香をたいていると、大天使ガブリエルが現れ、恐れることはない。祈りは聞きいれられエリサベツに男の子が産まれるので、名をヨハネとつけるように命じた。
⑨ところがザカリヤは自分も妻のエリサベツも年を取っていて、すでに老人であるのにどうしてそんなことが起きるだろうかと不信した。何処かで聞いたことが・・・アブラハムとサラがイサクを授かる時と酷似している。信じなかったサラは言葉を話せなくなった。
⑩不信したためザカリヤは話すことができなくなり、子供が生まれて、命じられたとおり親族にはない名前のヨハネと名づけて初めて話せるようになり、主を讃えた。
⑪ザカリヤが聖所に入った時、彼が香をたいている間、民衆は皆外で祈っていたが、彼がなかなか出てこないので不思議に思っていたが、出てくると物が言えなくなっていたので、聖所で幻を見たのだと悟った。
アダム家庭ではアダムとエバが不倫なる淫行関係で堕落し、その後産まれてきた子供にカインとアベルがいたが、神が二人に命じた供え物を献祭した際に、神はカインの供え物は受け取らず、アベルの供え物のみを受け取った。これに腹を立てたカインは弟のアベルを殺してしまった。
アベル・カインを三つに分けて考えるとわかりやすいように思われる。
①人と天使(僕)のアベル・カイン→神側の人とヨセフ
ヤコブとエサウ、ペレツとゼラの使命未完遂(胎中での一体化)を完成させる。
③妹と姉のアベル・カイン→マリアとエリサベツ
EX.ラケルとレア
これが神を中心として一体化することを願われていた。
アブラハムの家庭
イエス様の時
外的には、
内的には、
ペレツとゼラは胎中で争ったがイエス様がマリアの胎に宿ったことを、エリサベツの胎中で洗礼ヨハネは喜び(祝福し)、母エリサベツは聖霊によって満たされた。胎中でアベル・カインの一体化。
イエス様が誕生してからも、
神を中心として
イエス様と洗礼ヨハネの一体化
イエス様とヨセフの一体化
マリアとエリサベツの一体化
イエス様が洗礼ヨハネの妹を花嫁として迎え入れ
洗礼ヨハネの妹と母マリアの一体化
やがてイエス様のご家庭に子女が生まれ、真の家庭のモデルとなり、
ザカリヤが聖所で幻を見て、洗礼ヨハネが一体どんな人間になるのだろうかと、ユダヤの山里の隅々にまでも知れ渡っていた。
そこで、
神の地上天国建設のご計画をアベル・カインでざっくり表現すれば
アベル カイン
個人:イエス様 洗礼ヨハネ → 一体化
家庭:イエス様の家庭 洗礼ヨハネの家庭 → 一体化
氏族:イエス様の上記の氏族 その他の氏族 → 一体化
民族:イエス教団 ユダヤ教 → 一体化
国家:イエス様中心のイスラエル国家 周辺国家 →一体化
世界:地上天国の実現
神様を父として、アダムとエバという子が生まれた。彼らは兄弟姉妹の心情を体得した後、夫婦となるべく、神によって祝福されていた。(三大祝福)
同一の父による異母兄弟として、アブラハムとサラは育ち、夫婦となった。そして諸国民の父と母になった。
アダム家庭の家庭教会においてアダムが祭司や教会長となり、長子に継承される予定であった。
ところが神が長子を愛することを知っていたサタンが長子に未練を持ったので、善悪分立上、長子カインが悪の表示体とされ、次子アベルは善の表示体とされ神がこれをとった。
このアダム家庭の堕落によって失われたすべてを、元返していくために、神が選ばれた家庭が、ザカリヤの家庭であった。
ザカリヤは祭司であった。聖所に入ることを許されていた。祭司長の立場であった。
神の愛するダビデの血統がここにあった。そこではアブラハムとサラの時を彷彿させる出来事が起こっている。神によるエバの奪還である。
神が救世主、イエス・キリストを誕生させるために、選び抜かれた女性がマリアであった。
ギデオン協会の聖書を参考に見ていきたい。
マタイ1章18節~24節
18 イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、まだ一緒にならない前に、聖霊によって身重になった。
19 夫ヨセフは正しい人であったので、彼女のことが公になることを好まず、ひそかに離縁しようと決心した。
20 彼がこのことを思いめぐらしていたとき、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリアを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。
21 彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである」。
24 ヨセフは眠りからさめた後に、主の使いが命じたとおりに、マリアを妻に迎えた。
25 しかし、子が生まれるまでは、彼女を知ることはなかった。そして、その子をイエスと名づけた。
ヨセフの信仰
①ひそかに離縁しようとしたが、主の使いが夢に現れて、マリアは聖霊によって身ごもったので、心配しないで結婚せよと言われ、その命に応じた。
②主の使いが命じたようにイエスと名づけた。
③主の使いが夢に現れて、へロデ王がユダヤの王になる者が生まれたという話聞いて恐れ、幼子を皆殺しにするので、良いと言うまではエジプトに逃れよとの命に応じた。
マリアの信仰
①エリサベツの時から6ヶ月後、聖霊によって身ごもることを天使ガブリエルに告げられ、これを信じ受け入れた。
ルカによる福音書1章
28 御使がマリヤのところにきて言った。「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」。
29 この言葉にマリヤはひどく胸騒ぎがして、このあいさつはなんの事であろうかと、思いめぐらしていた。
30 すると御使が言った、「恐れるな、マリヤよ、あなたは神から恵をいただいているのです。
31 見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。
32 彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられるでしょう。そして、主なる神は彼に父ダビデの王座をお与えになり、
33 彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続くでしょう」。
34 そこでマリヤは御使に言った。「どうして、そんな事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありませんのに」。
35 御使い答えて言った、「聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、生まれ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう。
36 あなたの親戚のエリサベツも老年ながら子を宿しています。不妊の女といわれていたのに、はや六か月になっています。
37 神には、なんでもできないことはありません」。
38 そこでマリヤが言った、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」。そして御使は彼女から離れて行った。
39 そのころ、マリヤは立って、大急ぎで山里へむかいユダの町に行き、
40 ザカリヤの家に入ってエリサベツにあいさつした。
御使に告げられ何故か「大急ぎで」ザカリヤの家に行ったのである。
この挨拶と共にエリサベツが聖霊体験をする。
56 マリヤはエリサベツのところに三か月ほど滞在してから、家に帰った。
ヨセフやマリアの信仰に対する疑問
①皇帝アウグストから人口調査せよとの勅令がでて、ヨセフがダビデの家系であったため、ダビデの血統の町であるベツレヘムまで戸籍登録に行くのだが、2千年前とはいえ、お産直前の妻マリアまでもが一緒に旅に行かねばならなかったのか?
流産の危険が大きかったように思うが、それにしても準備不足であるように見えるが、人によっては自然な流産を密かに期待していたのではないかと考える者があっても不思議ではないように思われる。
②夢でみ使いによってマリアが聖霊によって身ごもったことを告げられていたにも拘わらず、大勢の人が宿を借りていたとはいえ、馬屋の飼い葉桶にキリストが生まれることがあるのであろうか?準備やユダヤ共同体の助けがなかったのであろうか?
③マタイによる福音書には有名な東方の三賢者(三博士)がユダヤの王が誕生したことを知り、星に導かれてイエス様がいる家に入り、ひれ伏して拝み、黄金・乳香・没薬の贈り物を捧げた。
これらの三人は、アダムを育てた、おそらく人間の知情意の機能のレベルをそれぞれ代表としていると思われる三大天使の実体版であったと思われる。このときヨセフやマリアに信仰があったとしたら、彼らはイエス様を育てる際の重要な働きをしたように思われるのであるが、拝んで贈り物をするだけで去ってしまっている。スカイツリーの見物人とさして変わりがないのである。
④ルカによる福音書には野宿している羊飼いたちにみ使いが現れて救い主の誕生を告げられ、ベツレヘムに探し求めて、飼い葉桶の中のイエス様を捜し当てる。また人々にこのことを伝えている。人々は不思議がったが、マリアの様子が腑に落ちない。
ルカ2章19節
しかし、マリヤはこれらの事をことごとく心に留めて、思いめぐらした。
今さら何を思いめぐらす必要があったのであろうか?
それとは正反対に羊飼いたちは
20節
羊飼いたちは、見聞きしたことが何もかも自分たちに語られたとおりだったので、神をあがめ、またさんびしながら帰って行った。
⑤神は正しい信仰深い人であるシメオンに救い主に会うまでは死ぬことはないと聖霊の示しを与えていた。イエス様の両親が律法の定めを守るべくイエス様をエルサレムの宮に来て、子供を主に捧げる儀式をされていた。シメオンは御霊に導かれてイエス様にあったのである。
ところがヨセフとマリアの反応がおかしい。
ルカによる福音書2章28節~32節
28 シメオンは幼な子を腕に抱き、神をほめたたえて言った。
29 「主よ、今こそ、あなたはみ言葉のとりにこの僕を安らかに去らせてくださいます。
30 わたしの目が今あなたの救いを見たのですから。
31 この救いはあなたが万民のまえにお備えになったものです。
32 異邦人を照らす啓示の光、
み民イスラエルの栄光であります」。
ところが、この言葉に対して、33節には
父と母とは幼な子についてこのように語られることを、不思議に思った。
その他にも、84歳になっているアンナという女預言者で、宮に仕えて夜も昼も断食や祈祷を捧げている者にも証をさせている。
まるでヨセフとマリアが受胎告知の時の信仰を維持することができずにいるので、神が今度は霊的ではなく、実体的に生きている人の中から信仰者を選んで証しさせて、両親の信仰が保たれるように働かれているようにさえ見えるのである。
信仰を失ったとすれば、人間的な、この世的な考えから物事を見るようになるのであろう。
もし、聖霊によって身重になったと言うことを疑ったとすれば、どうなるであろうか?
ヨセフは何時・誰と・何処でマリアは関係を持ったのだろうかと考えることだろう。
イエス様が育っていく中で、その顔は誰に似ているのだろうかと見ることだろう。
そこで彼に違いないとヨセフが考えたら、イエス様は「人の子」でしかなくなり、そのような待遇、あるいは酷い仕打ちや境遇に身を置かざるを得なくなるであろう。
その後、12歳になるまでのイエス様の生活は聖書には書かれていない。空白である。
息もつけないような家庭内での虐待に身を置いて、奴隷のような生活をされてこられたのであろうと思うと、胸が痛い。
⑥イエス様が12歳になられた時、毎年の慣例で両親と過越の祭りのためにエルサレムに言った。この時のイエス様の言葉が通じなかった。
ルカによる福音書2章43節~51節
43 ところが、祭りが終わって帰るとき、少年イエスはエルサレムに居残っておられたが、両親はそれに気付かなかった。
つまり、イエス様はいてもいなくてもどうでもよい存在であったのである。なにしろ・・・
44 そして道連れの中にいることと思いこんで、一日路を行ってしまい、それから、親族や知人の中を捜しはじめたが、
45 見つからないので、探しまわりながらエルサレムに引返した。
普通の家族ではあり得ないことである。1日気づかないとは・・・
46 そして三日の後に、イエスが宮の中で教師たちの真ん中にすわって、彼らの話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。
47 聞く人々はみな、イエスの賢さやその答えに驚嘆していた。
48 両親はこれを見て驚き、そして母が彼に言った、「どうしてこんな事をしてくれたのです。ごらんなさい、おとう様もわたしも心配して、あなたを捜していたのです」。
49 するとイエスは言われた、「どうしてお捜しになったのですか。わたしが自分の父の家にいるはずのことを、ご存じなかったのですか」。
文鮮明 恵父によると、この時啓示がイエス様には既にあって、はじめてイエス様はご自分が神の子として、また救い主として生まれてきたことを知ったところだったという。
何故、あなたがたは神様から教えられているにも拘わらず、わたしを正しく扱わないできたのかという義憤の気持ちがイエス様にはあったことであろう。
50 しかし、両親はその語られた言葉を悟ることができなかった。
51 それからイエスは両親と一緒にナザレに下って行き、彼らにお仕えになった。母はこれらの事をみな心に留めていた。
⑦ 東方の三賢者(三博士)が地に伏して敬礼し拝んだイエス様に両親は使えることなく、逆にイエス様が使えたというのであるから、問題である。
ヨセフはマリアを深く愛するがゆえに、イエス様の父親とおぼしき者を憎み、嫉妬してイエス様を愛することができなかった。
そこでそのような夫のヨセフに気をつかって、マリアも表だってイエス様をしっかり愛することができなかったのである。
神の啓示よりも人間的な判断で生きる夫に自分も同調し気遣って、すっかり信仰を失ってしまったのである。
神のみ旨を知っていながら神の意志にそむく母マリアを見てイエス様はいたたまれない思いで見ておられた。
⑧ガリラヤのカナに婚礼があった際に葡萄酒がきれて母がなくなったので何とかしてほしいとイエス様に願われるが、イエス様の言葉が理解できない。
イエスは母に言われた、「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか。私の時は、まだきていません」。
母ではなく婦人、つまり他人だというのである。
また、人類の真の父母となるべきイエス様であるので、母親こそイエス様の伴侶に相応しい真の母になる女性を捜すべきであり、人の婚礼に心を注ぐ余裕はないのである。
⑨イエス様が伝道活動をされていると家族の者たちがそれを聞きつけてやって来たことが聖書には書かれている。酷い扱いを受けている。
マルコによる福音書3章
20 群衆がまた集まってきたので、一同は食事をする暇もないほどであった。
21 身内の者たちはこの事を聞いて、イエスを取り押さえに出てきた。気が狂ったと思ったからである。
神の子どころか狂人扱いされたのである。
そんな彼ら家族を念頭に語られた御言葉が
31 さて、イエスの母と兄弟たちとがきて、外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。
32 ときに、群衆はイエスを囲んですわっていたが、「ごらんなさい。あなたの母上と兄弟、姉妹たちが、外であなたを尋ねておられます」と言った。
33 すると、イエスは彼らに答えて言われた、「わたしの母、わたしの兄弟とは、だれのことか」。
34 そして、自分をとりかこんで、すわっている人々を見まわして、言われた、「ごらんなさい、ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。
35 神のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」。
マリアはヨセフと一体化するのではなく、神の御心を中心としてイエス様と一体化すべきであり、侍られるのではなくイエス様に仕え侍るべきであった。
やむをえない際には、ヨセフと分かれるとしても、イエス様をお支えして、真の母となるべき女性を誰よりも捜す使命があった。
さて、次に結論であるが
この教訓だけを書くはずが筆に導かれ回り道を余儀なくされた。
思いつくままに書いたので重複や説明不足があるかと思うが、さらに正確に知りたい方は6,000双以上の信徒や教会長に学んでいただきたい。時系列に説明がなされることであろう
次回にて完結したい。
*聖書ではマリヤとなっているのに私はマリアと書いている。