原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

イエス様の家庭でのヨセフとマリアの不信仰に学ぶ教訓 3

 

神様の眼から見て、ヨセフとマリアは御心に適った信仰の持ち主であった。神の眼に適ったというからには、我々とは天地の差がある御方であった。

そこで期待された内容も、想像を絶するものであったのである。

神の復帰摂理はアダム家庭に願われていた創造理想を復帰することであった。

アダム家庭においては

1,愛の秩序

神→アダム→エバ→天使長

アダムとエバを人間としてひとくくりにすれば

神(親)→人間(実子)→天使(僕)

という挌位で、神から真の愛が行き渡り、愛による理想世界が誕生するはずであった。

2,天使の淫行による堕落によってもたらされた堕落性

本来ならば神の神性が創造本性として人間に相続されるはずであったが、天使長ルーシェルの堕落によって偶発的に生じた4つの堕落性が、人間にも相続され、地には人々がこれを携えて繁殖し広がり罪悪世界が展開されてしまったのである。

4つの堕落性とは、

①神の立場に立てない(神の立場で愛せない。)

②自己の位置を離れる

③主管性転倒(主体挌位と対象挌位の逆転主管)

④罪の繁殖

3,アダム家庭において起きた問題のいくつか

 

堕落時の情況を逆の経路で復帰(元返す)

 

アダムとエバが兄と妹として、未完成期間の婚約期に、エバが本来予定されていた結婚相手であるアダムとではなく、天使長ルーシェルによって誘惑を受けて不倫なる淫行関係を結ぶ。天使長を主管できず逆に主管されてしまったエバは、アダムの前には対象挌位であるはずであったが、天使長ルーシェルと同様に、アダムを誘惑し、神に許されていない未完成の未成年期に淫行関係を結んでしまった。こうして生じた罪が子々孫々に受け継がれるようになり、現在に至る罪悪世界が形成されるようになったのである。

 

①絶対「性」の破棄→神の立場、神を中心とした絶対「性」の復帰

 

神が与えた戒めである絶対「性」の確立に関する御言葉「取って食べるな」(御言葉)を守らず死を覚悟して堕落。

従って、絶対「性」を死線を超えて、神の元に復帰。

 

主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。主なる神はその人に命じて言われた、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。しかし善悪を知る木から取って食べてはならない。それを取って食べるときっと死ぬであろう」。(創世記2章15世宇~17節)

 

さて主なる神が造られた野の生き物のうちで、へびが最も狡猾であった。へびは女に言った、「園にあるどの木からも取って食べるなと、本当に神が言われたのですか」。女はへびに言った、「わたしたちはそのの木を食べることは許されていますが、ただ園の中央にある木の実については、これを取って食べるな、これに触れるな死んではいけないからと、神は言われました」。へびは女に言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。女がその木を見ると、それは食べるには良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。するとふたりの目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた。(創世記3章1節~7節)

 

②本来的自己の挌位の復帰と死守→③天使に対する主管性の復帰

創造時: エバ(主体)・天使長(対象) 

    天使長はエバによって主管される

堕落時: サタンと化した天使長(主体)・堕落エバ(対象)

復帰時: 復帰されたエバ(主体)・サタンの実体(対象)

EX.サタンの実体であるパロやアビメレクがアブラハムの妻サラを誘惑したが、これを信仰で死守したので神が守ることができた。そこで天使長にたいする主管性を復帰し、本来の主客の秩序が取り戻せた。

興進様によればサラはパロやアビメレクに犯されないため、中世の貞操帯のようなものを身につけていたという。夫が妻に浮気されないために鍵で施錠した防具が中世では使われることがあったという。しかも、これをこじ開けたときのために、サラは中にウジをいっぱい入れておいたという。これを見てはさすがのアビメレクも意気消沈したのである。

ここまで徹底したサラは偉大な女性である。

神が祝福した夫アブラハムの妻という位置は、神の妻の位置である。

神に対する絶対的貞操を守ったのである。

 

偉大な女性、サラやリベカやタマルの勝利の延長線上に現れた希有の信仰の持ち主がイエス様の母マリアであった。

 

マリアが罪なき神のひとり子であるイエス様を生むためには、想像を絶する歩みに勝利しなければならなかったのである。神のために自分という思いを完璧に捨て去って行く死線を超えていく道であった。

 

これを勝利して、

 

④罪の繁殖→善の繁殖 に転換

 

善の実体の繁殖、すなわち神の子、イエス・キリストの誕生を人類は迎えることができたのである。

 

アダム家庭

未完成期間(婚約期間):アダムー兄、エバー妹 ←祝福

神の戒めを守り時が満ちる:アダムー夫、エバー妻 ←結婚

天使長:子供を持つことが許されていない僕の立場

ところが天使長ルーシェルが堕落し姦夫となりエバを誘惑強姦して淫行関係を結ぶ。

アブラハム家庭

アダムの立場→アブラハムー兄、

エバの立場→サラー妹 (父は同じだが母が違う、腹違いの兄と妹)

パロやアビメレクは堕落した天使長ルーシェル(サタン)の立場

したがってサラとの間で子供を持つことができない。

原理講論によれば

このようなアブラハムの路程は、後日イエスが来て歩まなければならない典型路程となるのである。

 

イエス様の家庭

 

婚約期間:天使長の立場→ヨセフ、エバの立場→マリア

 

ヨセフは天使長の立場で蕩減復帰(罪の負債精算)

すなわち、婚約期間に神側の夫により妻を奪われて子を持つことが許されない。しかしながらその子供を大切にして、親でありながら僕として、善の天使として仕え育てる。

 

ダビデの時の摂理

 

天使長の立場→優秀かつ忠実な家来(僕)ウリヤ

エバの立場→ウリアの妻バテシバ

 

神側のダビデがウリヤの妻バテシバを奪い返すことで蕩減復帰(罪の負債精算)する。したがってウリヤはバテシバとの間に子を持つことが許されない。

 

奪還の方法:ウリヤを殺害=悪 

その結果は死産 (神の御心ではない)

第二子にソロモンが誕生する。

 

ヨセフとマリアが信仰を全うすべきは

神の働きである

聖霊によって身ごもった」という御言葉の死守であった。

アダムやエバのように戒めとして与えられていた御言葉を破棄してはならないのである。

 

聖霊によって身ごもる」というのは、神を中心とした絶対信仰・絶対従順・絶対服従で絶対「性」・絶対血統・絶対貞操を、摂理的勝利者の女性たちであるタマルやサラやリベカらによって協助され役事されて、同様にこれを相続した女性が、神によって祝福された子を授けられたということである。

 

さて、この間の物語には神の意思を代弁する預言者ナタンが登場するので、非常に複雑でわかりにくい。

普通にこの辺りの話を読めば、単なるダビデの姦淫として責められることになるかと思う。

サムエル期下11章~12章を見ると

2 さて、ある日の夕暮、ダビデは床から起き出で、王の家の屋上を歩いていたが、屋上から、ひとりの女がからだを洗っているのを見た。その女は非常に美しかった。

3 ダビデは人をつかわしてその女のことを探らせたが、ある人は言った、「これはエリアムの娘で、ヘテびとウリヤの妻バテシバではありませんか」。

4 そこでダビデは使者を使わして、その女を連れてきた。女は彼の所にきて、彼はその女と寝た。こうして女はその家に帰った。

5 女は妊娠したので、人をつかわしてダビデに告げて言った。「わたしは子をはらみました」。

 

そこでウリヤに気づかれぬようにするためか、ヨアブに彼の部下ウリヤを呼びつけさせ、8 「あなたの家に行って、足を洗いなさい」と休息をとるよう言われた。9 しかしウリヤは王の家の入り口で主君の家来たちと共に寝て、自分の家に帰らなかった。そこでダビデがこれを聞きつけ理由を聞くと、ウリヤは答えて言った。11 わたしの主人ヨアブと主君の家来たちが野のおもてに陣を取っているのに、わたしはどうして家に帰って食い飲みし、妻と寝ることができましょう。そこで14 朝になってダビデはヨアブにあてた手紙を書き、ウリヤの手に託してそれを送った。15 彼はその手紙に、「あなたがたはウリヤを激しい闘いの最前線に出し、彼の後ろから退いて、彼を討死させよ」と書いた。こうしてウリヤは死ぬことになったのである。26 ウリヤの妻は夫のウリヤが死んだことを聞いて、夫のために悲しんだ。27 その喪が過ぎた時、ダビデは人をつかわして彼女を自分の家に召し入れた。彼女は妻となって男の子を産んだ。しかしダビデがしたこの事は主を怒らせた。

12章には主が預言者ナタンをダビデのもとにつかわして罪を問われたことが書かれている。

9 どうしてあなたは主の言葉を軽んじ、その前に悪事をおこなったのですか。あなたはつるぎをもってヘテびとウリヤを殺し、その妻をとって自分の妻とした。これに対してダビデは悔い改め、13 ダビデはナタンに言った、わたしは主に罪をおかしました」。ナタンはダビデに言った、「主もまたあなたの罪を除かれました。あなたは死ぬことはないでしょう。14 しかしあなたはこの行いによって大いに主を侮ったので、あなたに生まれる子供はかならず死ぬでしょう」。

預言通り子供は打たれ病気になったので、16 ダビデはその子のために神に嘆願した。すなわちダビデは断食して、へやにはいり終夜地に伏した。それでも 18 七日目にその子は死んだ。・・・24 ダビデは妻バテシバを慰め、彼女の所にはいって、彼女と共に寝たので、彼女は男の子を産んだ。ダビデはその名をソロモンと名づけた。主はこれを愛された。25 そして預言者ナタンをつかわし、命じてその名をエデデアと呼ばせられた。

 よく見てみるとナタンはダビデに言った、「主もまたあなたの罪を除かれました。あなたは死ぬことはないでしょう。というように、神は罪を取り除いたとされている。

また、第一子は死んだが、第二子ソロモンに預言者ナタンが、「主は愛される」「神の愛する者」という意味のエデデアという名前を主の御心として伝えている。

つまり、一方では罰しているように見えて、一方では祝福しているように見えるのである。

実際ソロモン王が生まれてきたのであるから不思議である。

ただ悔い改めて生まれ出てくるような人物ではない。

これも、僕である天使長ルーシェルが、アダムの妻となるべきエバを誘惑し強姦して奪っていったので、その罪を蕩減復帰(罪の負債精算)していくために、同様な情況で、逆の経路を辿らせ、本来の状態にもどそうとされた摂理としてみないと理解ができないことなのである。

ダビデがどうすれば最良の道であったかは私にはわからない。

しかし、人間の意思や意図とは別次元で神はサタンにも誰にも知られることなく、人類復帰の御業をなされておられるということであろう。

さて、また少し長くなったので、次回に続きを書きたいと思う。