原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

聖霊体験と重生 6 お母様と一体化しただけでは、重生しない。先にお父様と一体化し、子女様にも一体化すべきです

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祝福家庭と理想天国 第3章祝福の意義と価値 第2節新生と祝福の起源

  3、真の父母と真の子女を通した重生の役事

 二千年前、イエス様は後のアダムとして来られました。エス様は、人類を救わなければならないメシヤとして、真の父の使命をもってこられました。しかし、イエス様が十字架に釘打たれて亡くなられたので、肉身をもった真の父母が顕現できませんでした。その結果、霊的救いは成されましたが、肉的救いは実現されなかったのです。結局、今日まで霊肉を共に救ってくださる真の父母がいませんでした。

 ですから、私たちは真の父母の資格を備えてこられる再臨主によって、霊肉共にもう一度生まれなければなりません。私たちは条件的、あるいは象徴的に、母の胎内から新しい生命として新たに生まれなければならず、そのための道を私たちは歩いているのです。今日まで聖霊は、母の役割をしてきました。私たちは母なる聖霊を通して、そして父、すなわちイエス様の霊を通じて新しく生まれなければなりません。

 もちろん私たちは、母の胎内から生まれたのですが、より深くさかのぼって考えてみれば、生命の起源は父から出発するのです。母の胎内までさかのぼることで血統は交差して復帰されましたが、まだ父を迎えることができませんでした。そういうわけで、今日までクリスチャンたちは、母なる霊である聖霊の力によって生命の起源である父、すなわちキリストの中に戻ることを願い、その再臨を待ってきたのです。堕落する前に、既に息子と娘の生命は、すべて父アダムの体の中に一つの種として存在していました。息子や娘となる種は、父の体の中にあるのです。

 このように、根本的に考えてみれば、私たちは霊肉が共に生まれなければなりません。それゆえ、私たちは霊肉が再出発するために、種の立場にまで立ち戻らなければなりません。

 その摂理を成就するために、イエス様は真の父母として来なければならないのです。ですから、私たちは再臨主を通して、一つの新しい復帰された生命として生まれなければならないのです。皆さんは、先生が今まで語った内容を総合してみるとき、再臨する主、新しいメシヤが必要か必要でないか、はっきり分かるようになるでしょう。(59)

 

「今日まで聖霊は、母の役割をしてきました。私たちは母なる聖霊を通して、そして父、すなわちイエス様の霊を通じて新しく生まれなければなりません。」

 

母なる聖霊を通すのですが、さらに父であるイエス様の霊を通じて新しく生まれなければならないというのです。

聖霊というのは基本的にはイエス様に対する真の母の霊ということで、聖霊と言いますが、厳密には神の霊とかイエス様の霊というように父性的霊性を指すものがあります。

 

「 根本的に考えてみれば、私たちは霊肉が共に生まれなければなりません。それゆえ、私たちは霊肉が再出発するために、種の立場にまで立ち戻らなければなりません。

 

お母様だけを慕っただけでは、お父様には届きません。

家庭連合もサンクチュアリも共に認める、お母様がお父様と一体化していた時期にでさえも、お母様までではならず、お父様の体の精子まで遡らなければ重生できないというのです。

 

 再臨主は、霊的にイエス様の体の中にある、種の立場に立つキリスト教たちを、全部相続しなければなりません。キリスト教徒たちは、まだ完全に重生していません。彼らは、イエス様の体の中にある種と同じ立場にあると見ることができます。しかし、彼らがそのような立場に立っているのも、どこまでも霊的な面のみなので、実体の父として来られる再臨主を迎えることのできる基台を立てなければなりません。

 聖霊が母の使命をなしてこられましたが、実体の父が来なければなりません。真の母が現れる前に、真の父と一体化しなければなりません。ですから、皆さんは、まだ結婚していない完成したアダムの体の中にある種の立場に戻らなければなりません。本来の立場に立ち戻らなければならないのです。

 このように私たちすべてが、堕落していない真の父から新しく生まれなければなりません。堕落していないアダムの体から出発した種が、母の胎内で懐胎しなければならないのです。そこにある種は本物であり、私たちはその位置に戻らなければなりません。真にそのことが、統一教会によって成されています。(60)

 今日、統一教会においても同様です。みんな、先生に絶対的にほれなければなりません。男性も女性も、先生に会いたくて涙を流さなければなりません。自分の妻よりも、自分の夫よりも、自分の横にいる子供よりも、先生にもっと会いたいと思い、より愛することのできる心がなければなりません。そのような心が出てこなくては、神様と連結され得ないのです。私たちが一九五〇年代にみ旨の道を出発しながら、このような役事をしてきたのです。

 その時には、統一教会の食口たちは、母がいない時であるにもかかわらず、先生だけを中心として、先生が悲しめば自分も悲しみ、先生が喜べば自分も喜びながら、先生と共に同感することのできる心情的一体の場に入っていたのです。それでは、その原因はどこにあるのでしょうか。それは、父の腹中に入っている子供の種と同じ立場に入っていくためです。

 それゆえ、父が悲しめば子供も悲しまなければならず、父が喜べば子供も喜ばなければならないのです。そのような立場で心情的一致点を備えなければ、父の腹中に帰る道がないというのです。それゆえに、心情的体恤が問題だというのです。

 しかし、父の腹中にある子供の種になっただけでは不十分なので、ここに母の腹中を必要とするのです。すなわち、母の腹中を通してもう一度生まれなければならないのです。

 それで、先生が一九六〇年(一九六〇年四月十一日)に聖婚式をすることによって、真の母が立てられました。これによって皆さんは、父の腹中にいる時に感じた愛の恩恵を感じて、お母様を愛し侍り得ることによって再度お母様と因縁を結んだので、初めてそのお母様の愛の因縁と連結させて出生できるのです。このようにして出生する皆さんは、変わらなければなりません。(61)

 統一教会員たちは、自分の母、父を置いておき、なぜ昼夜、先生に付き従っているのですか。皆さんが、先生の骨の中における子供の種と同じ心情的因縁をもたなければ、条件的にもう一度生まれ得る道がないからです。お母様と先生を、全く同様に愛して生まれたという条件を立てなければなりません。真の父母に侍らなくては、もう一度生まれたという条件を立てることができないのです。皆さんは、そのような過程を経ましたか。このような話は初めて聞くでしょう。このような内容があるとは夢にも思わなかったでしょう。先生はこのような内容を知ってこのみ旨のために生きてきた人です。(62)

 皆さんが真の父母の息子・娘になるためには、蕩減法を通して、父母の骨髄を通って出てきたという原理的条件を立てなければなりません。そうしてこそ、息子・娘の位置に立つことができるのです。

 

お父様はクリスチャンのことを何と言っているでしょうか?

「霊的にイエス様の体の中にある、種の立場に立つキリスト教たち」

そうです。イエス様の体にある種だといいます。

これに倣って我々を喩えるならば、

再臨主である文鮮明お父様の体にある種でなければならないということです。

 

ですから、聖霊はイエス様を思慕する見本となり、全ての信徒が同様にイエス様を思慕してイエス様の精子に立ち戻っていくよう役事をなされるのです。

これが聖霊の役事です。

 

キリスト教で言う聖霊とは通常は、イエス様に対する真の母の霊性を指すことが多いのですが、実際には、聖霊には二つの意味があるというのです。

 

神の父性の霊性としての聖霊 ⇒ 真の父の体の精子に宿る聖霊

神の母性の霊性としての聖霊 ⇒ 真の母の胎の卵子に宿る精霊

 

ところでこれは順序が問題だというのです。

 

「真の母が現れる前に、真の父と一体化しなければなりません。」

 

当然といえば、当然です。

ところが、家庭連合では「お父様とお母様は一体です」といって

この重生の核心が徳野会長によってぼかされ、信徒は騙され続けてきました。

 

一体であれ、そうでなくても、先に真の父を求めなければ、聖霊の役事に与ることはできないのです。これが原理です。

 

「私たちすべてが、堕落していない真の父から新しく生まれなければなりません。堕落していないアダムの体から出発した種が、母の胎内で懐胎しなければならないのです。そこにある種は本物であり、私たちはその位置に戻らなければなりません。」

 

血統転換は堕落していない独生子である、真の父から新しく生まれなければならないのです。お父様抜きに、お母様の胎中で血統転換されるのではありません。

無精卵からは何も命は誕生しないのです。

 

アダムの体から出発した種が何故本物なのか?

それは神の精子だからです。

 

「みんな、先生に絶対的にほれなければなりません。男性も女性も、先生に会いたくて涙を流さなければなりません。自分の妻よりも、自分の夫よりも、自分の横にいる子供よりも、先生にもっと会いたいと思い、より愛することのできる心がなければなりません。そのような心が出てこなくては、神様と連結され得ないのです。」

 

「父の腹中に入っている子供の種と同じ立場に入っていくためです。」

 

「父が悲しめば子供も悲しまなければならず、父が喜べば子供も喜ばなければならないのです。そのような立場で心情的一致点を備えなければ、父の腹中に帰る道がないというのです。それゆえに、心情的体恤が問題だというのです。」

 

誰よりもお父様を愛し慕う心が出て初めて、神様と連結し、お父様の腹中に入っている子供の種と同じ立場になります。すると父と喜怒哀楽を共にする心情一致点を備えることができ、心情体恤に至ることができるというのです。

 

「父の腹中にある子供の種になっただけでは不十分なので、ここに母の腹中を必要とするのです。すなわち、母の腹中を通してもう一度生まれなければならないのです。」

 

「父の腹中にいる時に感じた愛の恩恵を感じて、お母様を愛し侍り得ることによって再度お母様と因縁を結んだので、初めてそのお母様の愛の因縁と連結させて出生できるのです。このようにして出生する皆さんは、変わらなければなりません。」

 

「父の腹中にいる時に感じた愛の恩恵を感じて、お母様を愛し侍り得ることによって再度お母様と因縁を結んだので、初めてそのお母様の愛の因縁と連結させて出生できるのです。このようにして出生する皆さんは、変わらなければなりません。」

 

お母様ではないのです、先ずお父様の骨髄に行って、次にお母様の胎中を通して、お二人の愛を受けて生まれるのが私たち堕落人間です。

そこには公式があります。

 

「皆さんが真の父母の息子・娘になるためには、蕩減法を通して、父母の骨髄を通って出てきたという原理的条件を立てなければなりません。そうしてこそ、息子・娘の位置に立つことができるのです。」

 

 このような条件を立てる期間が、一九六〇年度を中心として、一九六一年、一九六二年度の三年間にわたった四十日伝道期間でした。この期間に麦飯を食べました。そうしたでしょう。なぜ麦飯を食べなければならなかったのかといえば、その三年の間が蕩減期間だったからです。この期間は、先生の直系の子女を中心として、四位基台を復帰し乗り越えていく期間でした。そして皆さんには、父母を中心としたカイン・アベルの関係を立てて、カイン・アベルを一致化させていく期間でした。どこから一致化させなければならないのかといえば、お母様の腹中から一致化させる立場に立たなければならないのです。

 その前段階として、一九六〇年以前には、皆さんが先生を中心として一つになる時でした。その時は老若男女を問わず、先生を本当に好きになりました。男性たちも、先生に会いたくて涙を流しました。世の中では、男性が女性に会いたくて涙を流すことはあるでしょうが、男性が男性に会いたくて涙を流すことはありません。男性同士慕わしくて涙を流す人はいないというのです。そんな話を聞きましたか。絶対にそのようなことはないというのです。それも、愛を中心として会いたくて涙を流す人はいません。

 しかし、統一教会の中では、そういったことが起こりました。男性たちも、先生に会いたい時は、自分の父母、兄弟、妻、子供をすべて捨ててでも駆けつけたいほど、そのように切ない気持ちをもっていました。

 それは、なぜそうなのでしょうか。アダムとエバが生まれる前には、誰の体の中で育っていましたか。エバの体の中で育っていましたか。アダムの体の中で育っていましたか。アダムの骨髄の中に、息子・娘の種があったというのです。愛を体験することはできなかったけれど、そこで子女の種が育っていたというのです。それが愛の因縁を中心として一致して、母を通して生命として誕生するのです。これが父母から子供が生まれる原則です。

 

「アダムとエバが生まれる前には、誰の体の中で育っていましたか。エバの体の中で育っていましたか。アダムの体の中で育っていましたか。アダムの骨髄の中に、息子・娘の種があったというのです。」

 

聖書にはエバがアダムの肋骨からつくられたとありますが、その意味は骨髄からつくられたというのです。

神の精子からアダムが創られ、アダムの精子からエバが創られたので、

ひとつの血族、一つの氏族なのです。

これが堕落によって変わってしまいました。

そこで全ての堕落人間は文氏というひとつの血族、ひとつの氏族に

元返っていかなければなりません。

ですから、韓氏なぞは存在してはならないのです。

お母様でさえ、本当は文氏になられているのです。

そうでなければ、血統転換されていないことになります。

文氏と韓氏では血統が違います。

神の血統とサタンの血統。

 この原則と同じ立場で統一教会員は、老若男女を問わず、みんな先生を好きになったのです。女性たち、先生が好きでしたか、好きではなかったですか。あまりにも好きで、うわさがたくさん立ったでしょう。お婆さんであれ、乙女であれ、男性でいえば、おじいさんであれ、若い男性であれ、みんな先生だけが好きで、付き従ったのです。それは何でしょうか。心情的一致が成し遂げられたというのです。(63)

 アダムとエバの初恋を中心として、新しく父母の腹を通して誕生できる愛の因縁を経なくては、生命の因縁は始まらず、原則的な復帰をしなくては、完全蕩減にならないのです。それで皆さんは、み旨を中心として先生を愛し、先生の感情を中心として皆さんのすべての感情を先生と一致させようとする心情的方向が、意識的、無意識的に動いてきたというのです。

 それによって、皆さんが真の父母の骨髄の中で心情的に接ぎ木することをもって、真の母の腹中を通じ本然のアダムとエバの立場で生まれたという条件を立てるのです。そうしなくては、復帰にならないのです。分かりますか。

 ですから皆さんは、お母様を中心として復帰されていかなければなりません。先生の息子・娘がお母様の腹中にある時に、その胎児を中心として皆さんはカイン・アベルを復帰するのです。これを皆さんは、はっきりと知らなければなりません。(64)

 もちろん、既に肉身をもって生まれて成長してしまった私たちは、文字どおり完成したアダムの体の中にある種の立場に戻ることはできません。ですから私たちは、真の父母とその父母から生まれた真の子女と一体化することで、もう一度生まれるための条件を立てていくのです。

 カインがアベルに完全に屈服することで、その二人が共に復帰されるという原理があるので、この原理によって、カインの立場にある人はアベルの立場にある真の父母、真の子女と一体化しなければなりません。そうすることで、私たちは復帰された子女としての恵沢を受けることができるのです。真の父母を通じ真の子女として生まれるようになるとき、真の父母の聖体と同じ条件物を分けていただく立場を取らなければなりません。このようにして、私たちは真の子女の立場に参与する道を通過することになります。(65)

 皆さんは誰を通して真の子女と一体化し、新しく生まれた子女としての条件を立てることになりますか。

 父だけでは十分でありません。真の子女を通じなければ駄目なのです。どんなに父が重要だといっても、父だけではなく父母とその子女を通じなければならないのです。真の父母は、真の息子と真の娘をもつことになります。

 それでは女性たちは、誰と一つにならなければならないでしょうか。女性たちは皆、真の父母とそのお嬢様たちと一つにならなければなりません。男性たちは、真の父母とそのご子息たちと一つにならなければなりません。女性が先に堕落したので、女性の復帰がまず成された後、男性の復帰が成されるようになります。それでは、その最初に復帰された女性の立場に立つのは誰でしょうか。それは、真の父母から生まれるようになる最初の娘なのです。真の父母は最初に娘を生んで、その次、二番目は息子を生まなければなりません。このような内容は、至極原理的なのです。これについては、ごく簡単に説明しましたが、このような説明の背後には、とても長くて複雑な内容があるのを知らなければなりません。

 このような罪なき真の子女の誕生によって、歴史上初めて天的四位基台が復帰されたのです。サタン世界は、この基台に対して何も讒訴することができません。

 

「ですから皆さんは、お母様を中心として復帰されていかなければなりません。先生の息子・娘がお母様の腹中にある時に、その胎児を中心として皆さんはカイン・アベルを復帰するのです。これを皆さんは、はっきりと知らなければなりません。」

お父様の骨肉に心情的に至って、お母様の胎中で転換していくのですが、

ここまではある意味霊的な手続きというふうに見るなら

実体的には、真のご子女様がお母様の胎中におられるときに、

真の子女様と一体している心情で、ご一緒に生まれ育っていく中で

血統転換は成され、心情転換が勝利するということです。

 

そのような体験を実際的に持つ恵みに与ったのが6,000双までだったと思います。

そのため、祝福の価値は同じですが、

6,000双までがカインの氏族であると言われました。

したがって、真のご家庭のカインの氏族にサタンが侵入すれば

いつでも真の子女様にサタンから試練が与えられる危険性がありました。

 

我々は罪人の頭でした。

 

「父だけでは十分でありません。真の子女を通じなければ駄目なのです。どんなに父が重要だといっても、父だけではなく父母とその子女を通じなければならないのです」

 

そこで洗礼ヨハネとイエス様の話を思い起こされることでしょう。

原罪のない神の子と、そうでない洗礼ヨハネ

胎中からアベル・カイン一体となり

その母親たちもアベル・カイン一体となる姿が描かれています。

大変示唆を感じる記述です。

 

「女性たちは皆、真の父母とそのお嬢様たちと一つにならなければなりません。男性たちは、真の父母とそのご子息たちと一つにならなければなりません。」

 

我々によって子女様が第三の救い主なのです。

だが、これを追放し殺してきたのが家庭連合でした。

 

何時からエリサベツは変わり、洗礼ヨハネも変わっていったのでしょうか?

 

:39)そのころ、マリヤは立って、大急ぎで山里へむかいユダの町に行き、 
:40)ザカリヤの家にはいってエリサベツにあいさつした。 
:41)エリサベツがマリヤのあいさつを聞いたとき、その子が胎内でおどった。エリサベツは聖霊に満たされ、 
:42)声高く叫んで言った、「あなたは女の中で祝福されたかた、あなたの胎の実も祝福されています。 
:43)主の母上がわたしのところにきてくださるとは、なんという光栄でしょう。 
:44)ごらんなさい。あなたのあいさつの声がわたしの耳にはいったとき、子供が胎内で喜びおどりました。

 

 

話をお父様のみ言葉に戻しましょう。
 
 

 選民国家が復帰されなかったため、天的四位基台という、この一点から出発し、家庭、氏族、民族、さらに国家的基準へと拡大されなければなりません。その中心核となるのは、四位基台として復帰された天的家庭なのであり、その家庭を通して立てられる国家こそ、最も強い無敵の国家として、それこそ新しいイスラエルになるのです。その国家は、そのほかのすべてのサタン主権に勝利して、外的世界の中心となるでしょう。(66)

 皆さんは、お母様の腹中に入ることができないので、どのようにすべきかといえば、先生の子供たちと一つにならなければなりません。皆さんは三年の間、腹中の胎児の立場に立たなければなりません。それゆえに、先生が皆さんに三年間の標語を、第一に「生涯の中で最大の実績を残す年をつくりなさい」、第二に「神様の代身者となりなさい」、第三に「見せてあげて誇りなさい」と決めてあげたのです。ここで、見せてあげて誇りなさいというのは、四位基台復帰をいうのです。

 このようにして今日皆さんは、この三段階を中心として腹中にある胎児と共に、一緒に食べ一緒に生きるのと同じ条件を立てるのです。お母様も三年の間は、皆さんが麦飯を食べる時、同じように麦飯を食べ、皆さんが外に出て活動する時、同じ条件の活動をしました。譽進や孝進は、お母様が麦飯を食べて産みました。つまり、お母様も皆さんと全く同じ心情で生活したというのです。

 今や、皆さんは腹中から生まれたカイン的存在として、お母様を愛すると同時に、子供たちを愛する立場に立たなければなりません。そうして彼らと一致化することを通して、双胎と同じ立場に同参したという心情的条件を立て、彼らを中心として侍る立場に立たなければなりません。そうしてこそ腹中で二つの種が反発するのを防止できるのです。言い換えれば、反発した堕落の起源を防止できるのであり、ここから復帰がなされるのです。何の話か分かりますか。「はい」。皆さんの知らないうちに、このような役事をすべてなしてきたのです。

 皆さんは、譽進や孝進が生まれる時、汁をかけたご飯を食べました。お母様が汁をかけたご飯を食べたので、子供も一緒に食べるのです。ですから皆さんが、相対的に汁をかけたご飯を食べたのです。このような心情的一体の内容を蕩減できる、絶対的条件になったということを知らなければなりません。

 

 「皆さんは、お母様の腹中に入ることができないので、どのようにすべきかといえば、先生の子供たちと一つにならなければなりません。皆さんは三年の間、腹中の胎児の立場に立たなければなりません。」

 

当時の摂理ではありますが、現在でも基本的には変わらない原則であると思います。

われわれはお母様と一体化の前に、お父様と一体化しなければならないのです。

次にお母様で、第三に子女様になります。

そこで、お母様だけではだめなのです。

亨進様と一体化することが重生には、必要不可欠なのです。

 

「今や、皆さんは腹中から生まれたカイン的存在として、お母様を愛すると同時に、子供たちを愛する立場に立たなければなりません。そうして彼らと一致化することを通して、双胎と同じ立場に同参したという心情的条件を立て、彼らを中心として侍る立場に立たなければなりません。そうしてこそ腹中で二つの種が反発するのを防止できるのです言い換えれば、反発した堕落の起源を防止できるのであり、ここから復帰がなされるのです。何の話か分かりますか。」

 

反発や葛藤がないことが復帰の条件になるのです。

血統転換は心情転換と言われる所以です。

 

 このように、復帰歴史は飛躍的に成されるのではなく、順次的に、水も漏らさないほど厳重な手続きを経て、今日の歴史時代にある皆さんと関係を結ぶために、すべての内的起源を立ててきたのです。このような内容はすべて、ただ何もしないでできたのではありません。このように苦労した歴史路程が、現実圏内にあるこの道を取り戻してくるまでには、六千年がかかったのです。同様に、歴史的に数多くの先知先烈たちが犠牲となる代価を払いながら、天地のその何物とも代えることのできない価値を備えた蕩減路程を経てきたというのです。

 このような難しい因縁を経て父母が四位基台を備えたので、皆さんも四位基台を備え、勝利の土台を築くことができなければなりません。これが祝福なのです。(67)

 先生は一生の間、命を懸けて闘ってきました。世の中での苦しいことは避けられますが、この道では避けることもできません。腕力や暴力をもってしても、成就することではありません。原理原則に従って行わなければ、四方から一度に飛んでくる矢を避けることができません。

 このような闘いは、神様が天地を創造なさることよりも、もっと難しいことではないかと思われます。そのようなことをするとき、蕩減の条件を立て内的基盤を磨いてきたとは、皆さんは夢にも思わなかったでしょう。そのような基盤を土台として転換点をつくったということは、天宙的な勝利だと言えます。(68)

 このように真の父母が出現するのが大変であり、真の息子・娘が生まれることが大変であろうとは、誰も知らなかったというのです。先生がこの位置に来るまで、どれほど歯を食い縛って我慢してきたか知らないでしょう。皆さんは、その心情を学ばなければならないのです。その愛の心情を受け継ぐことができなければ、先生の行く所、神様が住まれる所に行くことができないというのです。

 私が今死ぬとしたら、私のように神様を愛し、私のように人類を愛する人が、この地上に誰かいるだろうかという心配が先立ちます。そのような意味で、私は長く生きなければならないと思うのです。先生は、皆さんの中でそのような人が早く現れたなら、どれほどいいだろうかという目で、皆さんを見ているということを知らなければなりません。神様がこのレバレンド・ムーンに祝福をしてくださるとするならば、神様が私にそのような人を下さるのが一番大きな贈り物であり、祝福であると思うのです。今まで不信され受難を受けられた神様に対して、先生以上に愛し、先生以上に人類を解放してあげるために努力しようとする人が、この時間に出てくるとすれば、きょうは栄光の日となるでしょう。(69)

 血統的転換は誰がするのでしょうか。それは、誰でもできることではありません。先生がこのことをするために、涙ぐましい十字架の道を歩んだということを知らなければなりません。このような基準があるので、皆さんは何の功労もなく、祝福という新しい伝統を継ぐようになりました。

 転換の勝利圏を立てるには、数千年に及ぶ神様の苦労と、実体を中心とした先生の苦難の生涯がありました。これを土台として立った所が、まさに皆さんの立っている位置です。祝福というのは、接ぎ木することであり、接ぎ木することによって血統が変わることです。(70)

 皆さんは、復帰というものがどれほど難しい過程を経なければならないのかを知らなければなりません。先生は真理を発見するだけでなく、その真理の全部を成就しなければなりません。今、先生はそれを皆さんに無償で教えているのです。皆さんは、まるで何もしないで卒業証書をもらう学生と同じです。ですから、皆さんの立場が、どれほど貴重な価値をもつのかを知らなければなりません。(71)

 

「先生は真理を発見するだけでなく、その真理の全部を成就しなければなりません。
 
 今、先生はそれを皆さんに無償で教えているのです。」
 
 
 
 


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