原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

韓鶴子の無原罪独生女神学サタン教を斬る!!! テネシー新清平誕生を祝して 12

十二、組織変革に失敗した家庭連合と天の父母様聖会

 

お父様の組織論は「牧会者の道」にいくつも出てくる。
いくらかここに紹介すれば次のようになる。

だが古いものが多いようだ。年代は書いていないけれども・・・

 
3 草創期の組織
 私たちの当面目標は原理武装、人格訓練、心情訓練です。今から私たちの生活と行動は地区の三位基台を中心にしなければなりません。地区の三位基台が中心であり、その他の別の事業機関は全部このための補助機関です。
 審判にはみ言審判、人格審判、心情審判の三つがあります。今、私たちはみ言で原理武装段階を越え、人格訓練段階に入る時です。
 人格者となるためには組織的訓練が必要です。それを通過しなければなりません。すなわち、全体的理念や制度を通じることができるかが問題です。そういう関門を通過しなければなりません。
 三位基台単位の属会(注:区域を分けて集まる祈祷会)は、各自の住む家を順繰りするのがよいです。横的な関係は属会を通して固めるようにしなさい。新しく来た人々は組長、班長たちが導き地区に配置、編入させるようにしなさい。
 少ししたら教会優勝旗も作ろうと思います。天が喜ばれることは、一線で戦い実績を上げることです。今後は班単位で属会をするようにしなさい。もう少し発展すれば三位基台を中心にして、これが十二人に拡大すればまた分けなければなりません。連絡は自分を中心にして、上に三段階、下に三段階、七数形態をとらなければなりません。
 今後はある事件に対して判決をするにも、その環境的な限界圏の中で解決するようになります。例を挙げると、三位基台圏なら班、組、地区までの圏内で解決し、本部でも地区、組、班まで管轄するようになるのです。
 できるだけ三位基台は死んでも共に死に、生きるにも共に生きるようにし、上部の世話にならないようにしないといけません。上部に害を加えれば、天の悲しみであり、サタンに害を加えれば天の栄光になります。
 本部の人々は第一線で働く食口たちと心情的に一致しなければなりません。今後は先生の言葉を聞くように地区長や組長、班長の話も絶対的に聞かなければなりません。
 今後は本部で巡回伝道師を派遣し、面倒を見るようにするでしょう。
 すべての民族や国家においても一線将兵と後方の国民たちが、心情を合わせて力を注げば必ず繁栄します。組までは命令を待機する把守者(注:見張る人)がいないといけません。(九―八)
「牧会者の道」 二 教会組織
1,草創期においては、三位基台を繁殖して行くことが重視された
2,人格の審判に備えて人格者となるためには組織的訓練が必要です。それを通過しなければなりません。(アベルカイン)
3,モーセのときのように、すべての問題や課題をトップが解決するのではなく、
階層的段階で処理する。今後はある事件に対して判決をするにも、その環境的な限界圏の中で解決するようになります。
4,三層組織を貫く巡回師など命令を待機する把守者(注:見張る人)がいないといけません。
 
4 三段階組織
 先生が今までした仕事はそうですが、教会長がいるにもかかわらず教区長や道責任者に指示します。これを教会長は知らなければなりません。
 先生は三段階体制です。分かりますか? 三段階体制、これが天の国の組織型です。この組織が何の組織ですか? (行動組織)。行動組織です。管理組織ではありません。管理組織だったらそのまま後ろに従ってきつつやればいいですが、行動組織は戦闘的でなければなりません。
 これが何かといえば、公的なみ旨を立てることです。生存圏を保護するための組織体制なのです。すべてのことがそうではないですか? 木の葉一枚も、そこに何かの虫が侵食すれば、即刻その枝と葉自体が保護するようになっています。そういう組織です。分かりますか、何のことか。
 それは木が育つのと同じことです。芽を中心にして枝と葉、三段階過程を中心にした組織システム、これが行動組織です。(一七三―一九六)
 今、基地の決定をどこでするのですか? 面を中心にして里・班・統ですが、蘇生・長成・完成三段階です。これを皆さんは知らなければなりません。統一教会組織体は三段階体制です。これを前後にして拡大させていくのが、創造原理を中心にした組織編成観だというのです。(一七四―九六)

 神様を中心にして私がおり、その次に私の中に全世界統一教会の教会員たちがいます。これが一つのシステムです。ですから私が思いどおりに教会長をこうだ、ああだ、人事処置できないのです。上から全部指示を受けてしないといけません。世間とは違います。分かりますか?
 地上で私を中心にして見ると、ここに教会長がいて、その次に私たちの教会組織でいえば局長級がいます。会社でいえば会社の社長と部長です。この三段階が一つのシステムです。ですから統一教会の組織が異なるのは、ここに教会長がいても私はここから教会長に命令せず、局長に命令できます。また、局長たちはいつも報告しなければなりません。その局で誤ったことと、み旨にそぐわないことは、即刻報告しなければなりません。報告しなければ問題が起こります。
 なぜそうなのでしょうか? 一つの幹が育てばそこから枝が出ます。この幹は天に合わせていかなければなりません。これが三段階です。また、根を中心に見ると、根はいらない根を抜くのですが、根の端を中心にしてさらに伸びていきます。根を中心にして大きくなるのです。それが蘇生です。このように三段階ですが、それが一つのシステムです。このように違います。
 ですから統一教会の組織は、さっきも話しましたが、管理組織ではなく発展組織、行動組織です。ですから否定できません。教会長が、「先生に報告するな!」こういうことはあり得ません。(一七三―二一六)
「牧会者の道」 二 教会組織
 
1、文先生の組織は管理組織ではなく行動組織、それも戦闘的行動組織
行動組織は戦闘的でなければなりません。
2,統一教会組織体は三段階体制です。これを前後にして拡大させていくのが、創造原理を中心にした組織編成観だというのです。
3,問題や課題は即刻上位者に報告しなければならない。
み旨にそぐわないことは、即刻報告しなければなりません。報告しなければ問題が起こります。
 



1 教会本部と私たち
 低い峰の立場にいる人が高い峰の事情を知るには、高い峰を絶対的に信じなければなりません。ここで批判しては現在の場所から抜け出せないのです。発展できないのです。それ以上越えていこうとするなら、無限なる闘争をしなければなりません。もう一度言うなら、環境が整えられていて、道がすべて整えられていて、その整えられた道を行けばいいのにもかかわらずその道を行かず、自分一人で承知して行くといえば、無限な闘争をしなければならず、それでもそれはほとんど不可能です。(二七―一〇三)
 本部というもの、中央というものについて見るときに、型で見れば本当の中心は点に近いのです。中心は一つしかないのです。(一九六九・二・二)


 皆さんが本部なら本部で何かを指示したというときには、守らなければなりません。これは霊界と関係しているのです。皆さんはよく知らないでしょうが、必ず霊界と関係しているのです。本部で指示することを、霊界に行っている皆さんの先祖たちは知っています。後孫たちが、すべての先祖たちの恨みを解いてあげなければならない主体的な立場に立ったというと、皆さんには二つの世界の使命を請け負っていく責任があるというのです。(四三―五二)


 本部が指示したことに従うと、不便なこともあり得ます。ここは順応する心よりも反発心をもつこともあり得ます。反発心が生じ、それに従っていくと消耗戦が起こります。順応する心が強くなる時は発展が起こるのですが、闘争の要件が起こる時は消耗戦が起こるのです。(四九―九二)


 統一教会員の中には、先生の言葉なら目を閉じて履行するが、教会長の言葉だと「私は知らない」という鬼神のような人がいます。教会長を誰が立てましたか? 先生が立てたので、従うのが原則ではありませんか? それが原則です。(四九―二一六)


 千人以上を率いる人は、霊界の感情を受けて立てられた人です。(一八―二二二)


 ここに金教会長も来ましたが、今一番大きな責任を負っているのです。(六六―二一四)


 教会長を中心にして、互いに団結し、互いに連結しなければなりません。団結するには譲歩して一つになって、ぜひ残された民族的なこの路程において……。韓国は皆さんが責任を負って、どうか出発された先生のことを考えて、何があっても安心し、韓国においての良い知らせをたくさん聞かせてくれるようお願いします。分かりますか? 良い知らせが大きければ大きいほど、そこに比例する苦痛と試練と涙がなくてはならないという、そのことだけは忘れないでください。分かりますか? (はい)。(一五五―一三六)


 皆さんがいくら難しくとも、その系統を通じて組織を生かせなければなりません。個人の意見を生かす考えをしてはいけません。組織的な活動をする組織社会は、そうならなければならないのです。「(教会生活は、)私が長くいるので、私の思いどおりにしなければなりません」、こういうことは駄目なのです。(八九―二九八)


 私たちの体制は信仰運動を核心的にできることを強化させるのと同時に、ここに相対的な外的基盤も連結させなければならないのです。(一九六九・五・一二)


 地獄から物質をすべて収めてきて、天を通して物質の愛が輪廻できる軌道をつくらなければならないのです。物質を世界から収めて、サタン世界から収めたものが、天国を通じてサタン世界に帰れるように、帰れる回路をつくっておかなければならないのです。皆さんがお金をもうけて本部へ送れば、本部は天の象徴ですが、その次にそこでは、このお金で何をするのですか? サタン世界のためにもっと使うというのです。もっと大きな世界のために使うのです。そうすればそれが大きくなっていくのです。一番初めに皆さんがお金をもうけて皆さんの教会のために使ったとすると、その次に教会で本部を助け、本部は国を助け、国は世界を助け、世界は天を助け、こうして上っていくのです。全部上っていくのです。(一一一―一七九)

 

1,低い立場の者には高い立場の者が見ているものが見えない。

2,本部の指示は守るべし、霊界と関係していることを知るべし。

  二つの世界の使命を背負っているのが我々の立場である。

3,本部の指示が不便でも順応すれば発展し、反発心をもって闘争心を持てば、無益な

  消耗戦が始まる。

4,先生が立てた責任者に従うのが原則である。

5,いくら難しくとも個人の意見を生かすのではなく、その系統を通じて生かさなければならない。

6,より上位の組織のために献金は捧げられるべきである。

 

 

2 教区長(地区長)の道
 全国に散らばっている地区長たちがここに集まりました。地区長は道に責任を負った、道の長です。彼らは祭司長として、父の内的悲しみを身代わりして、父と共に心配し、父を慰労してあげられる息子の使命と、忠臣の使命をすべき者ですので、各自そういう責任が残っていることを切実に感じられるようにしてください。(三〇―二七二)
 私たちの協会長を中心にして、新しく任命された教区長たちは何の心配もしないで一つになり、これから新しい世界を建設しなければなりません。新しい世界的思潮の前に符合できる準備が深刻だということを知って、団結し、これをどうするかということが当面課題であることを知り、皆さんがよく動いてくれるようお願いしないではいられません。
 根である本部と一つになりなさい。本部と一つになれないなら、地区長だと自称してはいけません。使命と責任がここで決定されます。(二四―九五)


 きのう、先生が地区長たちに何を布告しましたか? 統一教会の地域長や地区長の中で、このみ旨の道が困難で行けないという人がいれば、家に帰るなり、自由に行動することを命じました。行けないと不平を言い、行けないと嘆息して、他の人まで行けないようにブレーキをかける人は、むしろいないほうがよいと見るのが、み旨の道を行くことです。(四四―七二)


 皆さんが地区長という名前で壇上に上るとき、足がふらふらしませんか? そういうことを感じなかったですか? 自分がこの食口たちの生命に責任を負うのだと、考えてごらんなさい。先生は重大な話をしようと壇上に上るとき、そのように考えて上りました。足が床についたかつかなかったか分からないほど深刻だったのです。ですから天が共にいてくださるのです。自分自身をもって壇上に上るのではありません。(四三―三五〇)
 地区長たちが、春の気分のごとき心情的な心をどうやってもつか、ということが問題です。地が春を迎えられる準備ができたので春を迎えられるように、地区長たちはそういう土台に心情と伝統を立てなければならないのです。(一八―三三九)


 皆さんは道の責任者ですが、今まで道のために精誠をささげてみましたか? 必ず精誠をささげなければなりません。伝道は精誠に比例するもので、知識や実力に比例するものではありません。皆さんは六〇年代にこういう体験をしてみなかったですか? 大学を出て、かなり知っているという人より、精誠をささげつつ伝道をした人のほうがもっと優れていませんでしたか? 神様がどれくらい同情してくださるかが問題なのです。
 今、地区長たちが一片丹心でなすべきこととは何ですか? 御飯を食べることですか? 違います。この罪悪世界から一人の生命をどうやって天の息子、娘として復活させ、天国へ移してあげるかという、責任的使命感をもたなければならないのです。日久月深(注:月日の長いことの意味で、ひたすら望むという意味)、そういう使命感をもって出ていってみてください。できないことがありますか。(四二―一六四)
 食口たちが、「我々の地区長は神様、あるいは先生のために狂った」と言える伝統を立てなければなりません。
 先生が外的な仕事に関心をもつなら、皆さんは内的な先生に対して関心をもたなければなりません。(二四―一八二)


 今、地区長たちは何もなくてやっと暮らしていることとか、先生がみすぼらしく暮らしていることを見て落胆するなというのです。神様が共にいらっしゃるというのです。私が流す涙は民族の涙を身代わりしたものであり、私の孤独は民族を身代わりしたものです。私が孤独を感じたので「父よ、私の代わりにこの民族を許してくださいませ」と民族に身代わりして涙を流し、祈祷することができるのです。これが祭司長の責任です。私がそういう場所にいるという時は、その民の未来に起こる悲運を感じ、それを私が代わって背負い、民族のための贖罪の祭りをささげなければなりません。そうすることによって、民族が悲運の場所を避けられるのです。皆さんは民族を代表してそういう位置に立たなければならないのです。これが公職にある人の責任です。(三三―一八一)
 私が一番気になることはこれです。教区長と全体が一つにならなければなりません。不吉なことがあってはいけないのです。家の中がすべて平安であるには、全部和合しなければならないのです。昔の格言にある言葉のように、「家和万事成」なのです。(一二七―五〇)
 各道のすべての食口たちは教区長を中心にして団結し、この目的を成すために総進軍しなければなりません。いくら難しい命令をしても、順応することができなければなりません。命令の前に不平を言ってはなりません。完全に一つにならなければなりません。教区長を中心にして、教区長の心と一つになって、心と体が闘う悪魔の世界が残っているので、これを清算し、心と体が一つになれる基盤を完全に、確固として立てなければなりません。そうして、先生が命令したその命令によって自分の道をきり開くことにおいて、すべての力と努力を注ぎ、不平を言わない忠孝の心を傾けなければならないということを決意しなければなりません。(一四四―二七九)

 

1,地区長(地域長)は祭司長の立場である。

2,本部と一体化できないなら役職を名乗ることができない。

3,地域長や地区長の中にもう行けないと思う人がいれば、その人はいない方が良い。

4,責任者は神様やお父様のために狂ったという基準が求められている。お父様が外的な仕事に関心をもつなら、食口はお父様の内面に関心をもつべし。

5,民族の代表である私であり、民族に代わって涙を流す祈祷をせよ。

6,心と体が闘う悪魔の世界を精算するために、中心者を求めて団結せよ。

 

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草創期から組織は色々と改良され変更はされて来てはいるが、基本的には中央集権的なヒエラルキーであった。ピラミッド組織ともいわれる。

神が創造された宇宙自体を見ても随所にヒエラルキーが見られることは事実である。

我々も創造原理では大きく鉱物・植物・動物の三層が相互に関係して階層性を持っていることが書かれていることを知っている。

そこで、ヒエラルキー自体は問題がないのだが、

長孫の話の中で語ったように、神の造られたヒエラルキーは本質的には円環組織なのである。最上位の存在は最下位の存在のために生きる組織だということである。

エス様が十字架の道をゆく前に弟子たちの足を洗って差し上げた洗足の儀式は、

そのことを象徴していると言えるだろう。

洗足の儀式とはバプテスマであったと思うのだが・・・

天父と人間が親子の関係であるから、人間どうしの関係で築かれた組織も本来心情的な組織であることが期待される。

だが、ある具体的な目的を達成するためには、権限が上に集中したトップダウンの形態のほうが、その目的を達成しやすいことだろう。

各階層レベルの成員の意識が違うので、意識が高い人が引っ張っていく必要があるからである。

 

宗教においては、宗教改革以前においてはローマ教皇がピラミッドの頂点に立って信徒を管理していたが免罪符などの問題から抵抗が起こり、また印刷機の発明によって聖書が普及していき、聖職者ではなくても神の御言葉を学ぶことができるようになっていった。

 

羊飼い ー 羊

主人 ー 家畜

 

聖職者 ー 信徒

主人 ー 奴隷

 

神やキリストと人が中間管理者を経ずとも聖書を通じてまた祈りを通して接することができるようになっていった。

「万人祭司」などという言葉も生まれてきたが、カトリックに抵抗して誕生したプロテスタントも結局これを成就できなかったのであった。

何故か?

宗教はキリスト教も含めて天使長の宗教だったからである。

天使長には機能的組織は作れても家庭的な心情組織はできない。

統一教会もそうであった。

残念ながらはじめは、独身的天使長の個人救済的宗教団体を造らなければならなかった。

それはおそらく祝福家庭がある程度の数的基盤を整えて実際的な段階に移行できるようになるまで家庭的心情組織は作ることができなかったということか?

心情とは四大心情圏を指すならば。

だが、それは数だけ満たされればよかったのだろうか?

 

なぜ、『家庭協会』が必要かというと、今までの統一教会の祝福は天使長家庭だからです。堕落する可能性がいくらでもあるのです。

 なぜ、『家庭協会』か。天使長家庭からアダム家庭に帰らなければ、永遠に地上には天国は顕現しません。・・・天使長の血統をアダムの血統に切り替える復活の理論を知らなければなりません。 (FAXNEWS 106号  1994・9・13アラスカ・日本家庭協会特別修練会)

 

1976年にはホームチャーチの御言葉が語られるようになった。

原研の学舎でもその後試行錯誤して分散的に数人がアパートにすむような試みもしたがうまく自己主管できなかった。

悟りに疎いわれわれはお父様の意図も実際の方策も実践も足りないことばかりいであった。

それからずっと経ってお父様は統一教会の組織変革を宣言されたのであった。

 

今まではピラミッド式の組織でしたが、今からは違います。反対に引っくり返すのです。ですから、本部がありません。地方にも県がありません。郡がありません。先生を中心として本部は全家庭なのです。

 堕落する以前もそうです。父母だけしかいないのです。祝福家庭は、全部ご父母様を中心として、神様を中心として特命を受けて、その命令の一元化実体圏を整えて、天の前に奉献しなければならない責任を、地上に生きる血族たちは全うしなければなりません。これが天国に行くことのできる準備なのです。 

(ファミリー1991年3月 P68)

 

以上の御言葉は、サンクチュアリ教会の二代王亨進様が中央集権ではなく分権化しなければならないという御言葉に実によく符合するものである。

何故強調されるかと言えば、家庭連合はこれに失敗してきたからなのである。

家庭にはお父様の天国思想の重要なエッセンスが凝縮されている。

四大心情圏や三大王権やわれわれの皇族圏である。

これらが神願われる形で実現されるのが家庭という四位基台であった。

 

四大心情圏とは、子女の心情圏、兄弟(姉妹)の心情圏、夫婦の心情圏、父母の心情圏を意味します。人間は、この地に誰かの子女として生まれ、兄弟姉妹の関係を結びながら成長し、結婚して夫婦となり、子女を生むことによって父母となる、このような過程を経ていくようになっています。したがって、四大心情圏と三大王権の完成は、家庭の枠組みの中で成し遂げられるように創造されています。」

(『文鮮明先生御言選集』478巻282頁)

 

「そのための完成したアダム家庭の公式的な教育指針は何かというと、四大心情圏と三大王権、皇族圏を探し立てなければならないということです。 (ファミリー93年7月 P32 成約時代と私 1993年2月14日 ベルベディア)

 

「これは長子権復帰、父母権復帰です。神様の介入する王権、神様を引き入れないと王権は戻って来ません。その王権を中心として皇族圏を持つのです。王権は一つの家庭を中心として、周辺の千万の家庭がみんな相対圏になって皇族圏です。これが一つなって天国に入ります。公式です。これは我々の宿命的責任です。 (祝福79号 P35  救援摂理史の主流責任 1993年 6月4日 アラスカ)

 

そこで、組織的にはピラミッド型の組織からフラットなお父様に直結する家庭を単位とする連合に方向転換しなければならなかったのである。

 

教会本部 ⇒ 階層的組織 ⇒ 末端の信徒

三大王権 ⇒ 祝福家庭

 

「長子権復帰、父母権復帰を完成したので、キリスト教統一だけでなく、世界統一時代へと越えていくのです。それで今日から名称が統一教会の名を替えて、世界平和統一家庭連合を1997年4月10日付で使用しなければなりません

 

 

宗教の看板を下ろさなければ、家庭、国家、世界の救援圏内に入れないのです。(ファミリー97年7月 P12 統一教会創立43周年記念日)

 

「宗教の看板を下ろさなければ、家庭、国家、世界の救援圏内に入れないのです。皆さんは、個人救援を受けますか?(「国家救援を受けます」)ですから、世界基督教統一神霊協会』がなくなったのを寂しく思わずに、『世界平和統一家庭連合』が生まれたことを称賛するようにしなければなりません。家庭教会は家庭を一度に教えてあげて、家庭救援ができる時になったのです。」(ファミリー97年7月 P12 統一教会創立43周年記念日)

 

「今まで、宗教というものは個人救援をしたのであって、家庭救援の内容がありませんでした。個人救援は天使長圏を意味するのです。 (ファミリー97年10月 P22 七・八節のみ言)

 

「これから家庭の救援時代に入っていかなければならないのです。世界基督教統一神霊協会は、天使長宗教圏です。結婚できませんでした。イエス様も結婚できませんでした。天使長の使命しかできないというのです。息子の使命が果たせないのです。分かりましたか?」(ファミリー97年10月 P22 七・八節のみ言)

 

エス教団も統一教会も天子長宗教圏であったが、家庭連合は真の父母教会である。

「私たちの教会は、『再臨主教会』ではなく、『真の父母教会』です。イエス教会でもありません。今からは、誰かが詰め寄って、『真の父母教会が何だ?』と言えば、『真の父母であるからには家庭救援を目標とする教会であるが、あなたたちは個人救援を目標とする天使長の子女である』と言いなさい。天使長の息子・娘の立場は滅びるのです。

 これから家庭の救援時代に入っていかなければならないのです。世界基督教統一神霊協会は、天使長宗教圏です。結婚できませんでした。イエス様も結婚できませんでした。天使長の使命しかできないというのです。息子の使命が果たせないのです。分かりましたか?

 今まで、宗教というものは個人救援をしたのであって、家庭救援の内容がありませんでした。個人救援は天使長圏を意味するのです。天使長には相対理念がなく、所有権がありません。それゆえ、今日のこの地上のすべての家庭や制度や国家の所有権は、世界的所有権時代に移行していくのです。」

(ファミリー97年10月 P22 七・八節のみ言)

 

ところが、原理のわからない韓鶴子オモニが「家庭連合」を破壊して、

天使長宗教圏の「天の父母様聖会」を作り上げて逆戻りした。

思想のない空っぽの韓鶴子は、いつものようにお父様の業績のかけらも残さないようにするため名称を変更して、くだらない新興宗教の一派に成り下がったのである。

 

真の母が離れ、真の父母がお父様だけの立場に一時的になったため、

亨進様も家庭的な組織から再び個人的救いのである教会から出発しなければならなかった。キリスト教会と一体化する道から始めざるを得なかったのである。

将来は「世界平和統一聖殿家庭連合」のように名称が変わる時が来るのかもしれない。

しかし、名称はともかく家庭教会を中心とする取り組みをサンクチュアリではなされてきた。

 

天使長型   アダム型

宗教組織 ⇒ 家庭教会

 

「堕落故に生まれたのが宗教。堕落した人間を教育する学校、訓練する訓練所が宗教だというのです。学校や訓練所は卒業しなければなりません。しかし、どの宗教も、入教を勧めるけれど卒業を勧めません。

(2007年4月16日 FAX-NEWS アジア太平洋平和サミットが開幕 4月15日 ソウル) 

 

 

https://trueparents.jp/?page_id=61 より画像を引用

 

真の父母様と真の家庭に続いてわれわれ祝福家庭も四大心情圏と三大王権を自らの家庭で成就し皇族圏の責任を果たさなければならない。

そこで家庭単位のフラットな組織にならざるを得ない。

 

しかし、御旨をすすめるためには数的な目標を各自が自由と責任で勝手に決めて、総和として達成した実績で良い、それが自由と責任だと考えるのは短絡的な考えである。

お父様は数字に対して強烈に厳しいお方であった。

5万50万が達成できなかった結果日本や我々がどのような道を歩んできたかを振り返れば誰でも分かることである。

王様が日本が三分の一だとか四分の一だと言えば、祝福家庭の数で割った均等の目標を達成することが基本ではあるが、われわれの意識としては先ず全体目標に集中しなければならない。二代王が掲げた目標が全体目標であるから、これを全ての祝福家庭が心情一致し、その後に各自の均等割された責任を全うすることに邁進することが寛容である。

 

ある意味、これができなかったのでフラットな組織に変えられず、

旧態依然としたピラミッド組織のままで今日まで来たのが天の父母様聖会であった。

 

個人的には、7年の患難時代は韓鶴子の反逆で世界的基盤を失ってしまった三大王権がサタン世界と戦うにはピラミッド組織で対抗していく方が理にかなっていると考えていた。

しかし、それ以降も組織変革を速やかにしていかないようでは、天の父母様聖会と同じようにピラミッド組織にどっぷり浸かってしまって抜き差しならない状態に陥るかもしれない。変革期のチャンスを逃がすだろう。

天の父母様聖会はわれわれに貴重な教訓となった。

 

お父様は「主人意識」を持つように言われ、それは「三大主体思想として結実してわれわれに示された。

 

三大主体とは「父母」「教師」「主人」の三種であり、

主人とは人間が集まるもろもろの組織の主人を包括している。

 

主人とは大きく三つの分野に分けて考えることもできる。

宗教分野での主人が家庭教会の牧会者であり、

政治分野での主人が国家の主権者であり、

経済分野での主人は雇われた者ではなく経営者である。

 

このような内容を全うした家庭教会が皇族圏となる。

その諸条件を満たすように努めるべきであり、

条件を満たした家庭は模範的家庭となる。

 

さて、実際の祝福家庭の営みには他の祝福家庭との交流や関係性が必要なものも存在する。例えば祝福などや鉄杖祭などもそうである。

われわれは国家の主権を持つ王と王妃として政治分野に働きかけなければならない。

街宣活動やデモ行進などや国民を啓蒙するチラシの配布などを実行するのに、一人で何から何まですることは現実的ではない。

また経済的に独立するには世の中にも支援の仕組みはあるが、信徒間で情報交換していくこともいいことである。

そのように考えると、杓子定規に三大王権と家庭だけあればいいというものでもない。

三段階組織の原則に合わせて、家庭が集って政治問題について協議する機関があってもいいのである。

また子女教育や伝道などで相互に協力し合う仕組みがあってもいいのである。

 

ではどこが違うかと言えば、様々な必要な組織が祝福家庭間に造られたとしても、

その各種機関を統括するようないわゆる「本部」は必要ない。本部は作らないでそれぞれ独立させ、分散化し、分権化して権力が集中することを防がなければならない。

 

一つの「協会」が複数の「機能的組織」を統括せず、

それぞれの機能の組織ごとに、各家庭が協議することができる機関を築くことが、

お父様や二代王の思想を具現化することに近いと思われる。

 

例えば仮に以下のような階層組織があったとすれば、それは良くないことになる。

 

三大王権

 |

本 部(機能組織:教育局+伝道局+祝福局+・・・・)

 |

ブロック

 |

教 域

 |

教 区

 |

地域教会

 |

家庭教会

 

 

お父様が願われるのは、

 

三大王権

 |

家庭教会(本部)

 

 

機能的共有機関が必要な際には、

 

三大王権

 |

家庭教会(本部)

 

機能的共有組織(教育局+伝道局+祝福局)

 

この機能的共有組織には勿論責任者があって構わない。

だが、この責任者とは本部である家庭教会とその構成員の支援職であることが重要なのである。

 

結論として、

天の父母様聖会は、お父様の思想である「家庭の連合組織」を形成するどころか破壊して、従来の統一教会時代に逆戻りして韓鶴子独生女を中心とする階層組織であるピラミッドを再構築して堕落していったのである。

だからカトリックに似てきたのである。

これが彼らの第一の大きな失敗であった。

 

 

 

次に注目すべき失敗は多くの兄弟が指摘しているとおり、

母子協助時代が終えて父子協助時代に移ったにもかかわらず、

お父様が聖和すると、女性が権力を握る組織に堕落したことである。

 

ここでは「父子協助時代」の御言葉を引用するので、

お父様の御心を読み取ってほしい。

何の解説を付け加える必要があるだろうか?

お父様のご説明で充分ではないか?

 

 

<父子協助時代>

 

「息子、娘達は、父親についていけばよいのです。堕落は、エバについていって滅んだので、今からは“母子協助時代”ではなく、“父子協助時代”です。そのことを知らなければなりません。皆、分かりますね?(「はい」)」 (ファミリー99/12 48p 第四次アダム圏時代の到来 1999年 10月24日 ベルベディア)



「ここで知らなければならないことは、母子協助時代が、父子協助時代へ移っていかなければならないということです。今までは、男性たちが、女性たちをすべて蹂躙してきました。今からは、男性を中心として、エデンから追い出された真の男性が来て、女性のすべてのものを保護することができる時代へ移っていくのです。

 再臨主が来る前までは、女性たちが、失われた世界から復帰されるまで、血統を正すことをしてきました。しかし、来られる再臨主を中心としては、そのかたは父として来られるので、全世界の女性が父を迎えることができる、世界的な終末時代になるのです。

 それで、全世界の女性は、母子協助をして、サタンの反対を受けてきたのですが、今は、サタンを主管することができるアダムが来たので、そのアダムの前に、完全に振り向かなければなりません。 (ファミリー01/10 40p~44p 「父子協助時代宣言」 2000年 11月11日 ハワイ)

 



「今まで日本は、内的な面で母と娘の協助がなされていました。それと同時に、先生においては“父子協助時代”に入ってきました。母親がいなくても、すでに息子が家庭を持ち、国を持つことができ、父が家庭を成して国を持つことができるのです。ですから、母親がいなくても、母親は父親の力で探し立てることができ、息子の力で捜し立てることができます。そのような立場に立ったということが、今現在の立場です。分かりますか?」 (ファミリー00/5 P28 第41回「真の父母の日」記念礼拝の御言 2000年 4月5日 中央修練院)



今の時は、母子協助時代から、父子協助時代に転換したということを、はっきりと知らなければなりません。お父様が、蕩減をすべて成したのです。

 キリスト教が、果たすことができなかった女性たちの責任までも、お父様がすべて蕩減し、母子協助時代を踏み越えて、父子協助時代の伝統をすべて立てたのです。原理のみ言とともにです。そうすれば、結論がきれいに出ます。

 父子協助時代に立っている嫁たちが、子供の種を持って育てるのは、天国の歴史時代において、神様を解放することができる一時の祝福を受けたことであるということを知り、感謝して越えていかなければなりません。」 (ファミリー01/10 P49 「父子協助時代宣言」 2000年 11月11日 ハワイ)

 

 

長子は、母子協助圏は、天使長であり、天使長世界です。霊界も地界も、解放圏の地上天国、天上世界が果たされない圏までは、天使長の血統が残っています。その時代は、母子協助です。

 子供を天使長より以上に、未来の旦那さんを天使長より以上に、未来のお父さんを天使長より以上に愛するのです。ですから、母子協助です。分かりましたか?(「はい。」)分かりましたか?(「はい。」)

 お父様が来られた場合には、『お母さんは、苦労したのですから、お母さんは家にとどまって、もう休んでもよろしい、よろしい。』と言って、お父さんも、そのようなことを願うのです。母の苦労を皆、知った場合には、それは、かわいそうでしょう。

 女性たちが、いかに人知れず苦労をしたか? 東西南北、三百六十度、何回もこのように回り、このように回って、立体的に回り、回りながら、さまよった女の道を知る旦那さんとしては、過去の苦労の道を、もっと貴く思って、『休みなさい。』と言うのです。

 『休め。』と言っているのですが、子供にまで『休め。』と言ったら大変です。お母さんは休むのだけれど、子供に対しては、お母さんより以上の立場になることを願ってきた、お母さんの立場があるのです。

 その子供は、自分を神様の息子として立てようとしたことも、それから母自身も、お母様として立つべく、そのような基準を願ってきたということも知っているのです。

 ですから、母親が、そのようなことをなそうとしなくても、すでにお父さんがいるので、子供は、世界全体を主管しえて余りあるような立場に立つのです。それで、“母は休めばいい”という、そのような時代圏に超えていくのです。それが、父子……何ですか?(『協助です。』)はっきりしましたか。(『はい。』)

 母子協助時代と父子協助時代。どちらを願いますか? 父子協助を願う皆さんは、神様の堕落しなかった本当の娘になり、約婚の娘の立場で結婚の予約をして結婚し、そうして、妻と、母の立場の基準を完成した立場ということになります。

 女性の欲望は、神様の体になり、神様の相対者になり、神様とともに子供を生むというのが、女性の最高の理想です。男も、同様です。神様の主管される、その国の王子、王様となることが、男性の最高の理想です。そのような実体圏に含まれたいというのが、人間の最高の欲望になっているのです。」 (ファミリー2001年11月 P22~24 「日本食口特別集会」での御言 2001年9月2日 済州国際研修院)

 

 

「ですから、世界を救う者は、女であって、男でありません。堕落した世界を蕩減復帰させる責任は、神様がいらっしゃったとしても、神様は教えてくださるだけであって、その先頭に立って、代わりになしてあげるという道は、永遠にないのです。分かりますか?

ですから、そのかわいそうな立場に行って、急変の道を逆さまにたどっていこうというのが、今までの歴史における女性たちの使命でした。

 それでは、そのような中で女性は、何を願ってきたのでしょうか? 真の愛です。いつも、真の愛を持つ、親孝行する子供を願ってきたのです。その立場は、ただの女でもなく、ただの娘でもありません。“子供を待つ親”の立場です。神様が愛される、そのような子供がいなければ、女性には、神様の娘に立ち返る道は、永遠にないのです。分かりましたか?

 娘の立場に立ったとするならば、次は、自分を奥さんのように愛してくれる男性がいなければなりません。そうして、その男性を絶対的に愛し、子供を大きく育てて、その子供が、蕩減復帰を完成させたお母さんと一つになるようにしなければなりません。そのような時代が、母子協助時代です。分かりましたか? これを、はっきりしないといけません。

 つまり、自分の生んだ真の男性を、真の旦那さんとして神につなげてあげるような道を得るために、母子協助というものがあったのです。はっきりしましたか?(「はい。」)分かりましたか?(「はい。」)

 しかし、そのために、女性が歩むべき道、自分が母として歩むべき苦労の道を見た場合には、独りぼっちです。女やもめと同じです。その母は、子供とお父さんの心情を抱え、お父さん以上の立場で、子供に対して、すべてを防備して守っているのです。

 神様は、今まで、そのような環境をつくってこられました。そうして神様が、世界的な旦那さんとしての立場であるメシヤを送られたのが、イスラエル民族だったのです。神様から見た場合に、そのイスラエル民族の子供は、ずっと、女たちによって、最も愛国者になるように育てられました。」 (ファミリー01/11 P11~12 「日本食口特別集会」での御言 2001年9月2日 済州国際研修院)

 

 

「第一次、第二次大戦を終え、第三次時代に越えてきながら、すべてを埋め、初めて整備されたカイン、アベル圏と聖霊を中心として、霊的な基準を連結させ、実体的基準を中心として、再臨主と一つとなり、母子協助時代から父子協助時代に転換するのです。

 そのようにしようとすれば、母がいなければなりません。ですから、蕩減時代の母ではなく、直接的時代の父が母を通じて生んだ息子が、相続を受けることができる時代が来るのです。

 生命の種は男性にあるのであって、女性にはありません。女性が、愛する夫の子供に乳を飲ませて育て、その子を愛する限り、夫を無視することはできないということを知らなければなりません。これは、お母様であろうと、だれであろうと同じです。これが総括論です。

 母子協助時代と父子協助時代では異なるのです。父子協助時代において、生命の種を抱き、育てようとする女性たちは、夫に対して絶対服従しなければなりません。今まで、女性たちが本然の夫を捜してくるのに、数千年、数万年、犠牲になってきた、その受難の歴史を超え、本然の夫を迎えることができる位置に立てば、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の道理を果たさなければなりません。

 それは、だれがしなければならないのでしょうか? アダムとエバを中心として、神様が、まずされましたが、その次に、蕩減時代では、女性が、まず、しなければなりません。そのようにしなければならないのではありませんか? すべてのものを破壊した女性が、夫に対して、絶対信仰、絶対愛、絶対服従しなければならないのです。

 そのようにすれば、女性は、その夫を通じて恨の峠を越え、無限な祝福をすべて受けることができる立場に立つのです。

 絶対愛のために、神様が女性を抱いてきましたが、そこに相対的立場に立とうとすれば、絶対服従しなければなりません。その言葉は、お母様に対する言葉です。

 今日、終わりに来て、このようにすべて教えてあげるのです。それは確かですか? 母子協助時代、その次は、父子協助時代。これが最後なのです。

 母子協助時代を蹴飛ばして、父子協助時代に越えていくので、お母様は、ここに協助をしなくても、絶対信仰、絶対愛、絶対服従していくことによって、蕩減するために苦労したすべての時代の祝福を、天から受けることができるのです。

 祝福を受けてからは、夢にでも、ほかの女性、ほかの男性を思うことはできません。街頭に立っている女性たちを、だれがそれを育ててあげなければなりませんか? そこから、すべて橋を架けてこなければなりません。

 ですから、今まで復帰時代において、母は知りません。娼婦の父母の悲しみを、神様がお独りで、真のご父母様が独りで抱いてきたのです。サタン世界で蹂躙されたものを取り除いてしまうことができず、それを愛さなければならない神様なので、どれほど唖然とすることでしょうか? それを知らなければなりません。

 今の時は、母子協助時代から、父子協助時代に転換したということを、はっきりと知らなければなりません。お父様が、蕩減をすべて成したのです。

 キリスト教が、果たすことができなかった女性たちの責任までも、お父様がすべて蕩減し、母子協助時代を踏み越えて、父子協助時代の伝統をすべて立てたのです。原理のみ言とともにです。そうすれば、結論がきれいに出ます。

 父子協助時代に立っている嫁たちが、子供の種を持って育てるのは、天国の歴史時代において、神様を解放することができる一時の祝福を受けたことであるということを知り、感謝して越えていかなければなりません。」 (ファミリー2001年10月 P46~49 「父子協助時代宣言」 2000年11月11日 ハワイ)

 

 

「皆さんが、このみ言を通して知らなければならない、ただ一つの結論は何かというと、女性たちの責任が大きいということです。神様の摂理は、女性を捜す前に、アダムを捜し立てることでした。 

 アダムを捜し立てる目的は、アダムを中心として神様と一つの木となり、愛の種を繁殖させなさい、ということです。愛の種を繁殖させるために、女性が必要であるのです。 

 その種を、アダム家庭で失ってしまいました。アダム家庭が堕落した後に、カインがアベルを殺したのです。アベルは何かというと、アダムの種を、この地上で育てあげるための存在です。 

 アダム以後、カイン、アベルを中心として、世界のすべての家庭には、種がありません。ですから、神様を通じて、アダム家庭が失ってしまった種を、再び、この地上で再創造し、種を残して、大きくするための歴史が救援摂理歴史なのです。 

 すべての宗教を中心として、さまざまな宗教がありますが、民族を超え、世界的文化圏を中心として収拾するための一つの種が、とどまることができる環境条件を開拓してきたのが、宗教圏なのです。 

 すべての宗教が、家庭では孝子、国では忠臣、世界では聖人、天宙では“聖子”の道理を教えてきました。それは、この種が個人、家庭基準から天宙史まで越えていくことができるように大きくなり、堕落せずに、本来の種が、世界の堕落圏を凌駕することができる位置を取り戻していかなければならない道であるということです。 

 その種は、独りでは大きくなることはできません。男性の種自体が、独りで大きくなることはできません。それゆえに、女性たち、母親が必要なのです。それで、母子協助時代が必要になったのです。 

 母たちは、今まで夫達の前で、ありとあらゆる愛の谷間を越えることができず、息子達を抱え、上がったり下がったりして、数多くの苦労をしながら、歴史時代に、アベルの位置を、どのように峠を越えさせてあげるかという闘いをしてきました。しかし、このことを女性たちは知らないのです。 

 母と息子、娘は知らなかったのですが、歴史時代において、腹中時代から八段階にわたり、母が息子、娘を抱いて、迫害を受けながら彼らを育ててきました。歴史時代において、女性たちが犠牲になってきたのです。 

 ですから、今まで、母が子女たちのために苦労をしてきました。歴史時代において、世界的にサタンと闘いながら苦痛を経てきたのです。摂理史において、息子を育て、母とカインが別れていたのを一つにする、その路程を埋めてきたのです。その蕩減のくぼみを平準化することを、母が代わりになしてきたのです。 

 救援摂理においては、女性が息子、娘を抱き、男性たち、天使世界に、ありとあらゆる蹂躙を受けながらも犠牲になってきたのです。冷遇され、蹴飛ばされ、へし折られながらも、数千、数万の女性たちが犠牲になり、この道を歩んできたということを知らなければなりません。 

 それで、選民というものは、エサウヤコブを中心として、ペレヅとゼラを中心として、その次にマリヤ家庭を中心としてつながれていくのですが、ザカリヤ家庭とヨセフ家庭のすべての荷をマリヤが背負うという環境も、やはり、母子協助が絶対的に必要であったということです。 

 リベカを通じて、エサウヤコブが外的な蕩減をすることができ、ペレヅとゼラを中心として、内的蕩減を完遂したという条件ができたので、イエス様の時代にマリヤとザカリヤを中心としては、母たちと息子、娘達が一つにならなければならない内容がありました。ところが、母たちがそれを知らなかったので、失敗したのです。 

 ですから、マリヤは、イエス様を中心として、自分の生命、あるいは、いかなる犠牲を受けたとしても、絶対的でなければなりません。マリヤには、男性がいてはなりません。息子を抱き、サタン世界の数多くの男性たちと数多くの旧約時代の法律が、マリヤを引っかけて押しのけようとも、それにかまうことなく、それを越えなければならないという責任がありました。しかし、それを果たすことができなかったのです。 

 それで、エス様が、この地上に来られてから亡くなられた後、聖霊が、この地上に来て、父母の代わりに霊的基準を中心として‥‥‥。 

 実体的イエス様を中心として、キリスト教をつくり上げたのと同じように、聖霊が来て、母を中心として、失ってしまったイスラエル圏を中心とした霊的基準のイエス様を中心として、実体基準の歴史を連結させるために、天と地の摂理を分立しなければならないということを知らなかったのです。 

 それで、イスラエルエス様が犠牲になった後に、聖霊が来て、母の代わりに息子を育ててくることを今までして、国家的基準を超えていくのです。国家的基準を超えて世界的役事をするのが、再臨役事なのです。このような再臨の役事は、西洋で起きるのではありません。再臨主は、東洋に来るのです。歴史が変わるのです。 

 東洋文化西洋文化の異なる点は、東洋が精神的であり、内的であるとすれば、西洋は物質的であり、外的であるということです。東洋が男性格ならば、西洋は女性格の立場です。相対的です。ですから、西洋世界の宗教圏をすべて受け継いで、キリスト教文化圏が出てきましたが、東洋的思想は、先祖を尊重視するのです。 

 先祖を尊重視し、神様を尊重視するのです。終わりの日になれば、どのようになるのかというと、すべて失ってしまい、女性が冷遇されたのと同じように、キリスト教自体が冷遇されるのです。キリスト教は、新婦の宗教です。母の宗教なのです。 

 ここで知らなければならないことは、母子協助時代が、父子協助時代へ移っていかなければならないということです。今までは、男性たちが、女性たちをすべて蹂躙してきました。今からは、男性を中心として、エデンから追い出された真の男性が来て、女性のすべてのものを保護することができる時代へ移っていくのです。 

 再臨主が来る前までは、女性たちが、失われた世界から復帰されるまで、血統を正すことをしてきました。しかし、来られる再臨主を中心としては、そのかたは父として来られるので、全世界の女性が父を迎えることができる、世界的な終末時代になるのです。 

 それで、全世界の女性は、母子協助をして、サタンの反対を受けてきたのですが、今は、サタンを主管することができるアダムが来たので、そのアダムの前に、完全に振り向かなければなりません。 

 なぜ、振り向かなければならないのでしょうか? それで、“総生蓄献納”という言葉が出てくるのです。エバによって失ってしまったものを、今まで、エバが取り戻してくるときにおける相対的世界‥‥‥。エデンの家庭で失ってしまったエバカインとアベルを復帰してくれる父がいません。サタンが中間で支配してきました。反対してきたのです。 

 それを完全に断ち切ってしまうのです。完全に切ってしまうのです。それで、終わりの日になれば、サタン世界で、女性たちがすべての経済圏を持つのです。アメリカが、そうでしょう? 

 第二次大戦以後に女性たちを取り戻し、女王のような立場にアメリカが立ち、来られる夫を追い出したのです。今は、本然の夫の前に、すべてのものをふろしきに包み、天使長圏を足で蹴ってしまわなければならないのです。 

 蹴ってしまい、すべてを持って帰っていくことによって、すべての女性は、来られる主の前に相対的立場に立つようになるのです。 

 それで、女性の代表したお母様を立てたのです。お母様とお母様の家庭を中心としたお母様を立てたのです。お母様とお母様の家庭を中心として、女性の代表に立つことによって、神様の愛の種が世界の峠を越え、新しいエデンの家庭を成したのは、世界の頂上の位置に上がっていったということです。 

 そのようにして、反対していたサタン世界のサタンを完全に断ち切り、こちら側に帰ってくることによって、神様がエデンの園の家庭を中心として、直後、愛の種を植えることのできたのと同じように、真のご父母様が来られ、エデンの家庭として、世界的な迫害を受けて勝利した、その立場で愛の種を横的に連結しました。そのように、アダム家庭で成したのと同じものを、世界の頂上の立場で成し遂げることができるようになったのが、真のご父母様の聖婚式です。それが、子羊の婚宴です。 

 それで、先生を中心とした子女達が生まれたので、父と息子の父子摂理時代になるのです。母子摂理時代ではなく、父子摂理時代です。 

 真のご父母様が現れる前までは、母たちが息子を育ててきながら迫害を受けたのですが、今は、神様を中心とし、直接的真のご父母様を中心として、息子、娘が生まれたので、母がいなくても良いのです。母の時代は過ぎ去り、父子摂理時代に移っていくのです。 

 ですから、神様を中心として真の父が現れ、真の父娘たちは、サタンが手をつけることができないということを知らなければなりません。ですから、直接的で完全な愛の種を家庭的に受け、父と息子が直系で連結されるのです。 

 ここでは、母は必要ありません。蕩減というものがなくなったのです。母子協助時代が完全になくなり、神様と真の父と真の息子の血統が連結される、解放圏の頂上の位置に立ったのです。(ファミリー01年10月 P40~44 「父子協助時代宣言」 2000年11月11日ハワイ)

 

 

家庭連合では1990年のこの御言葉をよく引用します。

だが、1990年は母子協助時代の前であった。

 

「これからは先生がいなくても、お母様一人でみ旨に何の支障もないというのです。今までは、女性が天地を代表する摂理の代表者として立つことはできなかったのですが、父母の愛と一体的理想を中心として、初めてお母様を中心とする女性全体の解放圏が地上に宣布されたのです。……真の父母の聖婚から30年たって女性解放を宣布したというのです。ですから、先生が一人でいても真の父母様の代身であり、お母様が一人でいても真の父母様の代身です。『レバレンド・ムーンが古希を過ぎて70を越えたので後継者が現れないのか?』そんな言葉はやめなさい……ですから、先生が第一教主、その次に、お母様は第二教主だということです」マルスム選集、201-126、1990年3月27日)

 

家庭連合の可知雅之講師が示した御言の解釈の前提条件は、お父様が発展していくのでより後代の御言を基準に理解しなければならないというものであった。

相反する内容の御言があった際には、あとの方の御言によって解釈せよということである。

だったら90年代の御言葉ではなく、

より発展される真のお父様の御言を学ぶ必要性があると主張していたとおりにせよ。

3.より発展される真のお父様の御言を学ぶ必要性

①「先生を信じて慕う心は、いつも同じ基準にあるのですが、先生はどんどん発展していくのです。ですから自分自身がもっと慕おうとしなければならず、昔慕っていたそのような慕う基準を中心としては、もう慕う心が出て来ないのです。それゆえに、出会いの場を失ってしまってはいけません。心が遠くなれば遠くなるほど、もっと近くにいこうと、より御言を学ぶようにという事です」(2006.1.1)

このように、真のお父様が発展していかれるため、その都度、より新しい御言を学ぶ必要性を訴えておられました。 (可知講師)

サンクチュアリ教会を支持する人々の言説の誤り(文書資料) | 真の父母様宣布文サイト

 

そうであるなら、2000年に話された各種の「父子協助時代」の御言葉を基準に御心を知るべきである。

 

また天の父母様聖会では、父子協助時代の御言葉はお母様に対して言われたものではないと以下のように主張している。

 

「父子協助時代」の宣布とは、真のお父様が、「母の国日本」の“救済措置”のために宣布されたものであって、真のお母様のことを語っておられる御言ではありません。
 真のお父様は、「父子協助時代」になったので真のお母様は必要ないと語られたことはありません。

人間始祖である「真の父母」に後継者は存在しない | 真の父母様宣布文サイト

 

上記の御言葉を読めば、誰がどう読んでもそのようには理解できないだろう。

例えばこんな文章もある。

 

「それで、女性の代表したお母様を立てたのです。お母様とお母様の家庭を中心としたお母様を立てたのです。お母様とお母様の家庭を中心として、女性の代表に立つことによって、神様の愛の種が世界の峠を越え、新しいエデンの家庭を成したのは、世界の頂上の位置に上がっていったということです。 」

 

 「母子協助時代を蹴飛ばして、父子協助時代に越えていくので、お母様は、ここに協助をしなくても、絶対信仰、絶対愛、絶対服従していくことによって、蕩減するために苦労したすべての時代の祝福を、天から受けることができるのです。」

(ファミリー2001年10月 P46~49 「父子協助時代宣言」 2000年11月11日 ハワイ)

 

 

最後に、

天の父母様聖会は今後韓鶴子オモニが退位した後に誰が後継者になるか問題が怒るだろう。

その時善進様が二代女王にならないと誰が言えようか?

実際上オモニの下で世界的に指導してきたのは善進様であった。

誉進様はこれを支持することだろう。

そして、エバ国家であり女王の国であるイギリス王室のように、いつかは後継者のリストが5000人にのぼるようになることだろう。

宇山卓栄氏の記事を以下に引用する。

 

 

なぜ「女系・女王」をイギリスは容認してきたか
「男系・男子」に限る日本との歴史的な違い

宇山 卓栄 : 著作家

日本とイギリスでは何が異なるのか?

先月、令和の時代が幕開けました。新天皇の御即位とともに、皇位継承に関する報道なども増え、この問題に注目が集まっています。
現在、わが国では、皇室典範の規定により、男系男子にしか皇位継承を認めていません。男系で、かつ男子の皇位継承者を永続的に多人数、確保することは容易ではないため、男系男子以外にも皇位継承権を広げるかどうかという問題提起や議論がなされています。
なお女系天皇は、母のみが皇統に属する天皇を指します。天皇個人の性別についての「女性天皇」とは異なる概念です。つまり男系男子とは、父が皇統に属し、かつ天皇個人の性別が男性であるということです。
先般もある通信社の世論調査によると、「女系・女性天皇に賛成7割」という結果が出ました。
この問題を考えるうえで、イギリス王室の例がよく引き合いに出されます。「イギリスにはエリザベス女王がおられるのに、なぜ、日本では女性天皇が認められないのか」「チャールズ皇太子が即位すれば女系王になる、なぜ、日本では女系天皇が認められないのか」などの声があります。
イギリス王室と日本皇室とでは、歴史背景、文化・伝統、制度・政治などすべてが異なり、単純比較することはできません。それでも、イギリス王室が歴史的に女王や女系王を認めたという事実や経緯を知ることは、日本皇室との違いを認識するうえで役立ちます。
12世紀、イギリスで初めて女王が出ました。イングランド王ヘンリー1世は男子の継承者がなく、娘のマティルダを王位継承者としたのです。しかし、マティルダは従兄との王位継承戦争に巻き込まれたため、父王の死後、ほんのわずかな期間、在位したにすぎず、追い出されてしまいます。
マティルダはフランス貴族のアンジュー伯と結婚しており、男子がいました。このマティルダの子が力をつけ、イギリスに攻め込み、イギリスの王位継承権を獲得、1154年、イギリス国王ヘンリー2世となります。ヘンリー2世は女系王として、プランタジネット朝を創始します。
こうして、イギリスでは、女王(マティルダ)と女系王(ヘンリー2世)の前例がつくられました。この前例から派生したイギリスの王族子孫らは、女王や女系王を否定することができなくなります。それでも、王位継承の男子優先という原則が守られたため、その後、しばらく女王は出ませんでした。
女系で広がった王位継承権の拡大
14世紀、フランス王シャルル4世が継承者を残さず没すると、イギリス王エドワード3世は自らの母がフランス王家の出身であることを理由にフランス王位を要求します。フランスはこれを認めず対立、百年戦争がはじまります。
エドワード3世はフランスにおいては女系になります。イギリスでは、女系にも王位継承権が認められていたので、エドワード3世はフランス王位継承権を自らの権利であると主張したのです。
イギリスのように、女系王容認という立場であれば、母が外国からやってきた場合、その子には母の出身国の王位継承権があるということになります。母、祖母、祖々母とさかのぼって、母系の出身国のすべてに、王位継承権があるという理屈になります。
そして、ここが非常に大事なところなのですが、逆に、他国に嫁いだイギリス王族女性の子にも、王位継承権があるということです。例えば、スペイン王に嫁いだイギリス王族出身の女性から生まれた子孫はすべて、女系子孫として、イギリス王位継承権があるということになります。つまり、その場合、スペイン王族がイギリス王位継承権を主張することができるわけです。このように、女系継承により、際限なく、王位継承者が広がるのです。
実際、現在のイギリスの王位継承者は約5000人もいます。その中には他国の王も含まれます。
主な継承者とその順位の例として、ノルウェー国王ハーラル5世は第68位、プロイセン王家家長ゲオルク・フリードリヒ・フェルディナントは第170位、スウェーデン国王カール16世グスタフは第192位、デンマーク女王マルグレーテ2世は第221位、ギリシャ王妃アンナ=マリアは第235位、ギリシャ国王コンスタンティノス2世は第422位、オランダ前女王ベアトリクスは第812位、オランダ国王ウィレム=アレクサンダーは第813位となっています。
男系家系の派生範囲は限定的であるけれども、そこに女系が加わるとその範囲は膨大になります。このような継承者の範囲拡大を防ぐため、日本皇室では、皇族女性が嫁いだ際には、皇籍を離脱させます。女系継承を認めないという皇室の原理は天皇家の外に対しては際限のない継承者拡大を防ぐためであり、天皇家の内に対しては王朝の断絶を防ぐためであるのです(女系王即位による王朝断絶については、具体的にはヴィクトリア女王の子が即位したときに起りましたが、後段で改めて紹介します)。
16世紀前半に絶対君主として、ヘンリー8世テューダー朝)が君臨しました。ヘンリー8世の死後、嫡男のエドワード6世が王位を継ぎますが、病弱であったため、15歳で逝去します。ヘンリー8世の子は、エドワード6世以外は女子であったため、メアリー1世エリザベス1世の姉妹が王位を継ぎます。
メアリー1世エリザベス1世の2人の女王には子がなかったため、女系王はこの時代、誕生しませんでした。2人の女王は国内外の政治的事情が複雑に絡み、結婚できませんでした。エリザベス1世は「私は国と結婚した」という有名な言葉を残しています。ただし、レスター伯をはじめ愛人とされる男は多くいました。それでも、子に恵まれず、テューダー朝は断絶します。
次のステュアート朝でも、17世紀末から18世紀初頭、メアリー2世とアンの姉妹が王位を継ぎますが、後継者に恵まれず、断絶します。やはり、ここでも女系王は誕生しませんでした。
女系継承容認という価値観が国民にも共有されてきた
そして、19世紀に登場する女王がヴィクトリア(ハノーヴァー朝)です。ヴィクトリア女王大英帝国の最盛期を担い、1837~1901年の64年間にわたり、君臨しました。ヴィクトリア女王1840年ザクセン=コーブルク=ゴータ家のアルバート公と結婚します。ザクセン=コーブルク=ゴータ家はドイツのザクセン家という有名な貴族の家系から派生した分家です。
コーブルク(ドイツ、バイエルン州北部の都市)とゴータ(テューリンゲン州の郡)を領有していたため、このような家名で呼ばれます。この家系が1831年以降、新たに独立したベルギー王位を世襲し、今日のベルギー王室に至っています。
ヴィクトリア女王が逝去すると、アルバート公との間に生まれた長男のエドワード7世が即位します。エドワード7世は女系王です。女系王であるため、父の家名に変更され、イギリスはザクセンコーブルク=ゴータ朝(英語読みでサクス=コバータ=ゴータ朝)となります。つまり、ハノーヴァー朝の断絶です。
しかし、イギリスでは、女系継承容認の立場から、ヴィクトリア女王の直系血筋が断絶したわけでないため、ハノーヴァー朝の継続を主張する人もいます。また、ハノーヴァー=サクス=コバータ=ゴータ朝という折衷名が使われることもあります。
現在のイギリスはウィンザー朝です。エリザベス女王の後を、チャールズ皇太子が継ぐと、エリザベス女王の夫で、チャールズ皇太子の父であるエジンバラ公の家名を加えたマウントバッテン=ウィンザー朝と家名を変える予定です。
マウントバッテン朝ではなく、マウントバッテン=ウィンザー朝という折衷名にするのはやはり、ヴィクトリア女王の時代と同じく、エリザベス女王の直系血筋が絶えるわけではないという考え方で、ウィンザー朝の継続というニュアンスを出すために、この王朝名を引き続き使おうとしていると考えられます。
このように、女系継承容認というのがイギリス王室の歴史的文化・原理として長い間培われ、国民にもその価値観が共有されてきたのです。
イギリス王室はその歴史背景において、日本皇室とまったく異なります。その差異がどのようなものであるかを再認識することによって、皇室の歴史文脈の独自性が色濃く浮かび上がります。皇位継承問題を考えるにあたり、こうした観点は有用な視座を与えてくれるものであると思います。

https://toyokeizai.net/articles/-/285588

 

太陽は父、月は母、星は子女、
キリストと聖霊によって生まれた子女は聖徒だった。
 
「星」という漢字は、上に「月」はなく「日」がある。
「日」すなわち「父」によって生まれたのが「星」である。
父の種、父の精子によって子は誕生する。
それが我々成約聖徒である。
独生子、万歳!
 
   1965年1月28日 南平台本部教会
 
 

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