原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

心のサンクチュアリは 宗教革命の精神 真の自由というけれど

ある人曰く、

 

「確か李相軒先生だっと思うけれど、

霊界ではその人が自分より愛があるかどうかはすぐに分かるので、例えば自分より愛のある方に会えば『どうぞ私の家に住んでください』と譲るようになるという。」

 

さらに続けて曰く、

 

「外的なことよりも、霊界はやっぱり愛が本質なんだなあと、

生きている間にそれを高めて成長していかなければならないのだなあと。

まあ、そんなことはみんな分かっていますよと言われちゃうかもしれないけれども、

お父様が我々に一日24時間の内どれだけ神様のことを思っているのか?

とおっしゃるけれど、常に神様とともにいるという実感的生活をしていかなければ行けないのだと思う。」

 

上記のようなお話を聞いて、わたしはこう思いました。

愛がある人がはっきり霊界では分かるようですが、

ここでは御自分が住んでいた家を自分より愛のある方、

すなわち愛の上位の人に提供されたという愛の下位の人というのは、

提供することによってどうなるでしょうか?

わたしは、愛の上位者と同位者となり、同参者になると思います。

 

心情が一致すればすべてを相続できると思います。

与えて空っぽになったのですが、満たされ、

愛の同位者、同参者になったのだと思います。

 

愛の下位者は、自分の財産に縛られませんでした。

執着しませんでした。

こだわりませんでした。

そこで「真の自由」を得たのです。

 

何かに執着したり、何かにこだわったりするのは、

偶像崇拝なのです。

神とは関係のないものに惹かれているのです。

 

先日、コメントをしてくださった方がいました。

それぞれの家庭には事情があると。

一言で言えば、「それは神の立場か?」ということでございます。

 

神をとるか? 人をとるか?

それは一神教を選ぶか? 多神教を選ぶか?

ということです。

ですから、何か問題にぶつかったら、

「それは神の御心ですか?」

と尋ねてみることです。

尋ねないですむにこしたことはありませんが・・・

尋ねれば自ずとはっきりします。

 

堕落性本性の克服には、一番目の神の立場に立つことさえできれば、

残りは自動的に全て良しとなります。

一心です。

原理は単純なことを教えています。

ところがせっかく単純なのに多くの信徒は使ってきませんでした。

残念なことに・・・

 

しばらくぶりに心のサンクチュアリのサイトを訪れたのですが、

驚きました。

 

本部公認・冠婚葬祭の祭事を賜った教会です。

 

まるでブライダル産業か、葬儀屋さんの宣伝文句みたいな肩書があります。

普通のキリスト教会では見かけないかと思います。

 

これも偶像崇拝です。

こういう「権」にとらわれているうちは、自由になれません。

今回は以下のような題でした。

 

宗教改革の精神、真の自由の為に

 

最初のPA宣教本部への打診は2015年1月19日、「沈黙を破って」の翌日です。
最初のメールの内容はサンクチュアリ教会に献金するにはどうすればいいかでした。
私はおそらく日本からPA本部教会への献金第一号でしょう。

 

このようなことを他の人が言うのであれば問題はありません。
この方は「献金第一号」という偶像を造って拝んでいるようです。
 
普通のクリスチャンは、このようなことを言わないでしょう。
井口がギネスという偶像を拝んでいるのと同じです。
神でないものを重要視するのが偶像崇拝です。
 
私が若い頃に出会った天理教の末端信者は大工だったので、神殿建設のため、
ひのきしんという奉仕をされました。
教会から是非名前を神殿に刻ませてくださいとの提案がありましたが、
自分のためではなく神様のために奉仕したのでご遠慮したいと言われたといいます。
いい話だと思いました。
神社に行けば誰がいくら献金したかたくさん書かれています。
清平でもそんな企画があったでしょう。
神社みたいなやつです。
 
そしてこの日から私の日本における宣教活動は始まりました。
1月19日からですから、確実に日本で一番最初に伝道活動を始めた人、日本宣教師第一号ということにもなります。

 

一番が好きなんですね。また、一番であることをアピールすることが好きなんですね。
だが、その偶像崇拝がどれだけ「真の自由」を獲得する妨げになっていることやら。
 
お父様や亨進様と共に歩んでいるだけでは「真の自由」は獲得できません。
みんな家庭連合時代は、そのようにしていたではありませんか。
個人の5%の問題なのです。
 
そのようなサンクチュアリ伝道活動の中、2015年2月25日、Sanctuary教会日本支部設立の打診をPA本部にしています。(今まで打診は2015年4月10日が最初と勘違いしていました。)
これが現在の自主独立系のサンクチュアリ教会が存在するようになった源流になっています。
 
ここでも、最初に日本支部を設立したとこだわります。
 
「これが現在の自主独立系のサンクチュアリ教会が存在するようになった源流になっています。」
 
これは間違いです。
安永教会は別ですし、サイバーは彼が混乱を引き起こし、とんずらしたのでした。 
したがって、その後のサイバーの流れは彼とは全く関係がないと言えましょう。
自分から「源流」であることを放棄した人間です。
 
何でも都合よく自分の実績にするのはいかがなものでしょうか?
 
その大きなサンクチュアリの黎明期についてその会長の家庭連合退会文に「サンクチャリー教会の方はどなたか代りに立っていただきたいと、人捜しをしておりました。」*という一文があるように、これはサンクチャリー教会の方はどなたかに立ってきただき自分はやめるということですから、PA宣教本部としても困り宣教本部からの命を受け、その代わりになれる人を探す宣教活動も行うことになりました。その命を受けた 2015年4月11日 の宣教本部からの文のなかに「かなり期待していました。しかし、現体制への未練を切ることができなっかたみたいですね。」 という言葉も見えます。
 
「サンクチャリー教会の方はどなたか代りに立っていただきたいと、人捜しをしておりました。」
この文章の何処に問題があるのでしょうか?
きちっとふさわしい人を見つけて引き継ぎますということかと思います。
 

PA宣教本部としても困り宣教本部からの命を受け、その代わりになれる人を探す宣教活動も行うことになりました。」

 

とは、亨進様の命ですか?エルダー氏のことですか?

これだけのことを言う以上は、誰の命令だったか明らかにするべきです。

それ以上は当事者を追求するつもりはありませんが、異常なことだと思うからです。

 

組織が違う人に、そのようなことを本部が頼むということは不可能ではないでしょうか?

その命を何故組織外のあなたが受ける資格があるとお考えでしょうか?

エレミヤの使命があるというなら、もう少し思慮を行き渡らせるべきでしょう。

 

「31日にサンクチャリー教会の日本総会長兼協会長として亨進様から任命される」

というように、既に日本総会長に亨進様から任命されている人を、本人が後任を探すと言っているのに、部外者が一体誰の命を受けて総会長とは別に後任を探すことが出来るというのでしょうか?

 

それができるなら、心のサンクチュアリも部外者が本部の命を受けてトップの代わりを探せるということになります。

人々から普通ではないと言われる所以です。

 

しかしながら、彼は以下の根拠を示しました。

 

その命を受けた 2015年4月11日 の宣教本部からの文のなかにかなり期待していました。しかし、現体制への未練を切ることができなっかたみたいですね。」 という言葉も見えます。

 

このように重要な内容については、左翼マスコミがよくするような、主張に都合がいいところだけを切り取って扇動する行為と思われる事になりますから、前後の文章をも開示すべきでしょう。

日本のトップの名誉に関わる問題です。

 

この文章は、単にあなたが推測したことがあたかも事実として報告された結果、返答を本部がよこしたものかもしれません。

当の会長本人が辞任せず、二代王も罷免しないのに、政治的に動くというのは信仰者としていかがなものでしょうか?

全文掲載を要請します。

 

これがあなたの言う「宗教革命の精神 真の自由」ということでしょうか?

あなたはプロテスタントより、カトリック

特に隠れキリシタンに深い関心を持たれていたと思います。

プロテスタント信仰を持つクリスチャンの話をされたことがありましたでしょうか?

プロテスタントより、カトリックに親近感があったのではなかったのですか?

 

 

このような初期の混迷期に、家庭連合(旧統一教会)のブログ村で、家庭連合食口に対して二代王亨進様の御言を発信することで伝道を続け、最初期から2015年10月までは御言翻訳発信はほぼ当教会のブログで行っていたこともあり、家庭連合ブログ村でアクセス一位になるなど日本で多くの人を聖殿に導くことが出来たようです。

 

一番がよほど好きなのですね。

わかりました。

 

何も無い者が先駆けて宣教したということ もあり主催している教会には集った聖徒は少なく、今では本当に僅かになりましたが、全体として聖殿の宣教・伝道に貢献できれば良いわけです。

 

何故、天運が離れていくのか考えて見る必要があるでしょう。

 

しかし直接の関係を求めて立ち上がった 自主独立系聖殿に対して分派という言葉があるように、これは日本においては非常に
難しい内容であるようです。同じ二代王を慕って集まった聖殿聖徒ですから、所属や組織が違っても、兄弟姉妹として交流できると思っていたのですがとても残念なことです。 

 

分派かどうかを少し検証してみましょう。

続いて次のような文章があります。

 

 

これに追記して、日本人の宗教観に対するお父様のみ言です。

サタン的エバ国家である日本が、韓国を中心として東洋を占領。大東亜共栄圏は、神の理想を先取って、その理想を実現しようと思って出たものだね。天照大神の女の神。八百萬之神、多神教国家が日本である。 祝福家庭と理想天国Ⅱ P886 全体蕩

これは血ですから、どうしても、聖殿であっても日本人はこの宗教観の影響を受ける傾向があるようです。
注。もともと神道天之御中主神 唯一神とし、 天照大神 は男性でしたが持統天皇藤原不比等が今の神道に捻じ曲げ堕落させてしまいました。詳しくはクリック

 

彼はお父様が「天照大神の女の神」と言っているのは、持統天皇藤原不比等以降で、
それ以前は「天照大神 は男性」だとお父様も思っていると考えているらしい。
本当にそうか?
 
お父様が注意を喚起しているのは、むしろ彼のような人ではないか?
 

2015年8月30日、清平に行って閉じ込められていた聖者聖軍、天使天軍を開放し三代王権に相続することが出来ました。また原罪以外の罪の贖罪の道を開くことが出来ました。  210代先祖解怨と「天使の日」(証)

 

これは亨進様が公認なのでしょうか?

 

2017年9月23日、天宙歴史上この日この時しか無いヨハネの黙示録12章の意味を先駆けて悟り、真のお父様とイエス様の完成真の父母三位一体の聖霊の役事の道を備え、この天宙的天運と連結できました。同時に 日本の6箇所の聖地を三代王権に復帰しました。   9月23日「天宙霊界圏におおわれました。」成された天の悲願、小羊の婚姻

 

日本の総会長も知らない所で、聖地の決定って出来るのでしょうか?

亨進様の許可を取っているのでしょうか?

では、彼が決めた6つの聖地とは何処なのでしょうか?

 

http://h2fanclub.blogspot.com/2017/09/923_28.html より以下に引用

===

 

 

 

それは日本の各聖地とキリストの天運の中心点、ニューファンドランド154とをつなぎヨハネの黙示録12章の星々に向かって天を貫くキリストの霊的支柱をたてるキリストの天運相続の儀式と、その聖地に小羊の血(小羊二代王が作られた聖酒)を塗る過ぎ越しの儀式です。

これは新約聖書・キリストの真髄ともいえるヨハネの黙示録12章の星の内容と19章の小羊の婚姻の内容、完成聖婚のキリストの天運を相続し、艱難辛苦後の日本のキリストのリバイバルのための儀式、祭事でした。

そして審判の艱難辛苦、つまり韓氏オモニの呪い、死亡の霊を過ぎ越して、これから日本にもたらされる災いをできるだけ小さくするためでした。

そのため各聖地でこのような特別の聖塩と王冠と天一憲法を掲げた祭事となったことは言うまでもありません。

 

2017年9月23日この日、

人類歴史上はじめて神様が願われた完成聖婚がなされるこの日、

何千年に一回と言われるこの星の並びでなければできないこの日、

つまり、人類歴史上たったこの一日しか無い天宙歴史的ワンチャンス、

どれほど緊張したかわかりません。

 

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また後日教えいただいたのですが奇しくも9月23日はレイラインの日でした。別のある神社をまっすぐ結んだ先は、釜山、大邱、ソウル、平壌がまっすぐ結ばれていました。

なぜこれらの神社が重要だという思いが数か月前から伝わったきたのか、なるほどと思いました。

 

2017年9月24日のお知らせにて亨進様は

何らかの理由で霊界が降りてきて、天宙霊界圏におおわれました。

と語られました。

キリストと真のお父様、真のお母様を思い捧げたこのヨハネの黙示録の儀式がその何らかの理由の一つになったのなら幸いです。

 

=== 

 

これを見ると、彼は宗教改革の精神と言うよりは、神道の精神を求めているように見えます。
「過ぎ越し」も不自然な使われ方です。
 
 
天照大神の女の神。八百萬之神、多神教国家が日本である。
というみ言を引用しながら、聖地決定の際の実際行動は八百万の神重視に見えますが、わたしの偏見でしょうか?
どこにプロテスタントの背景が感じられるというのでしょうか?
 
草創期の一定の功績を認めないものではありませんが、
驕慢はすべての実績をサタンに奪われて行きます。
 
聖地に関わるような重要な案件は、自分の思い込みですることができません。
何らかの霊感を受けるとしても、亨進様の主管の中ですべきでしょうし、そのような重要なことは亨進様が日本の中心として任命した方にさせるでしょう。
 
中心の主管を受けずに霊的役事をすれば、サタンに主管されるようになります。
金孝南がオモニにした神との結婚の役事も、お父様の許可を受けていません。
彼の自由の主張は、二代王の主管を受けずになんでもやれる自由であったことがわかります。
 
日本のアベル・カイン観が間違っていたと指摘していますが、
同様の過ちをしています。
これは分派活動と言われても弁解できないでしょう。
しかも、人々を手伝わせることで罪の繁殖をしているようです。
 
総括すると、
どうも江利川会長と日本サンクチュアリローマ法王カトリックに喩えて、
それにプロテストする独立系教会が心のサンクチュアリだということが、一番言いたかったことなのかと思います。
 
初期の頃は、一体何をどう優先させるべきか?
また、何時そのようにすべきか?
非常に判断が難しい時期でした。
会長がどういう動きをどんな意図でしていたかを詳細に知らないと
非難できないと思いますが・・・
 
 
 


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