韓鶴子の無原罪独生女神学サタン教を斬る!!! テネシー新清平誕生を祝して 8
八、大母様が再臨を待望したメシアとは独生女だったか?
(一)大母様が恋い焦がれたメシアは独生子であるお父様
「そのままソウルに上がってきて、先生にお会いしあいさつをしました。あいさつをささげると、北韓にいるときに二度夢のお告げでお会いした正にそのかただったのです。あまりにもおそれ多い思いがして、身の置きどころがありませんでした。」
(1989年発行「愛の世界」より 「夢に描いた主にお会いして」洪順愛の証)
(二)イエス様のような独生子の誕生でなくて複雑だった大母様や信徒たち
「私は一九五五年の後半から一九六二年まで鷺梁津で呉(故呉永春)執事、大母様と共に借家で一つの垣根の中で暮らしました。この期間に大母様と呉執事から北で信仰生活なさった事情についてたくさん聞きました。大母様と呉執事のお二人は、北で再臨主を迎えようという熱烈な信仰集団で血縁以上の姉妹としてお過ごしになりました。北の共産主義の虐政が日増しに極悪になって、この信仰集団にも例外なく迫害が加えられました。このような渦中にあっても、ひたすら再臨主を迎えようという信仰は火のように燃え上がりました。このとき、大母様が懐妊なされました。
懐妊なさった大母様と食口たちに天の驚くべき啓示がおりました。唯一の望みが再臨主に出会うことだったのですが、天の啓示が、「順愛よ、おまえのおなかの中の赤子は再臨主であられる。貴く心に留めよ」というものでした。それだけではありません。複数の信徒たちにも「順愛のおなかの中の赤子は再臨主であられる。貴く心に留めて精誠を尽くしなさい」という啓示がありました。このような途方もない驚くべき啓示を受けて感謝と喜びと希望で再臨主とすぐにでも会ったような楽しいお祝いの雰囲気でした。待たれる再臨主の誕生日を指折り数えて待ちました。出産予定日になって大母様が再臨主を分娩されて、周囲が皆、希望していたことが現実として迫りました。
そのときのことを、真のお母様のご聖誕日を迎えて回想してみましょう。正に赤子は、この世に来られたことを天地に宣布する声と共に誕生しました。ところが当時、大母様とすべての信徒たちは喜びとともに一方では怪訝に思いました。再臨主と言われたのに男の子ではなく女の子が誕生したのです。このとき、神様は、どれほどもどかしかったことでしょうか。神様は、独り子を送り、貴く思って、信じて仕えて従うようにみ旨をくださったのに、男の子ではなく女の子だったのです。天の隠密な摂理のみ旨が分かりませんでした。
私にとってはこの昔の話が一つの謎として残っていました。再臨主となられる男の子ではなく、女の子を分娩なされましたが、大母様は、とても大事に愛して養育することにどっぷりと侵られました。ある日、乳を飲ませていると、天から声が聞こえてきて「順愛よ、その赤子が愛らしいか? その赤子はおまえの赤子ではない。おまえはその赤子の乳母だ。天の赤子だ。しっかりと育てなさい」。このような驚くべき声だったといいます。なかなか解けないことでした。」
(2003年発行「真の愛の勝利者」姜義弘の証より)
(三)お父様は再臨主だと確信できても娘が真の母になる確信が持てなかった大母様
「私は韓氏に会ってから、二十九歳(数え年)でお母様を生みました。平安南道の安州でお母様が誕生されましたが、私はその韓氏と一緒に住まずに実家にいたのです。南下してから七年後に、統一教会に入ってお父様にお目にかかってみると、再臨主がどのような顔と姿であられるかは、以北で二回も天から教えていただいたので、すぐに分かりました。それで私は、お母様にも証しをしたのです。
娘が真のお母様となるであろうということは、すべての役事を通じて教えてくださったのですが、確信は持てませんでした。真のお父様を登場させるまで、どれほど多くの天の苦労と、多くの摂理と役事があったのかを、娘が真のお母様となることによって多く知ることができました。」
(「侍義と精誠の生涯」洪順愛大母様の証 1975年8月10日米国・ベルベディア)
韓鶴子オモニの父親が受けた啓示
「お母様の父は李龍道牧師の弟子で啓示を受け「洪唯一という人の娘を嫁にもらえ。その子供が男なら天宙の王になる。女の子なら天宙の女王になる」というのです。そして私と二月の終わりに出会って三月の終わりにお母様をはらんだのです。」
(洪順愛大母様の証 1973年12月21日松濤本部)
史吉子女史の証も上記とは違っている。
「私は、一九六〇年に三家庭の祝福を受け、真のお母様に直接、しっかりと侍るべき立場になりました。そのためには、真のお母様の成長過程や、歴史的な背景を少し知らなければならないと思い、それらのことについて、大母様にも何度かお話を伺ったことがあります。
大母様は初め、息子が生まれると思っていたということでした。神様は、「韓氏と結婚すれば息子、天の王子を送ってあげよう。」と、おっしゃったのですが、息子ではなく、娘だったのです。それで、“なぜ神様は、約束を守られなかったのだろう?”という疑問を、常に持ち続けておられたのだそうです。」
(「真のお母様にお仕えして」史吉子の証(三家庭))
大母様は独生女ではなく、独生子を待望しご自分が生むことを願われていたのである。
韓鶴子オモニの証でも息子が生まれるという啓示があったと証しされている。
「韓氏の父は、新イエス教の篤実な信仰者でした。李龍道牧師、李浩彬牧師、彼らに従って大母様と一緒に信仰生活をされました。二人が結婚して赤ん坊をもてば、天が大きく用いられる息子が生まれるという啓示を受けたのですが、娘が生まれたのです。その李浩彬牧師は、真のお父様と崔先吉さんの主礼も行い、母方の叔父の主礼も行いました。」
(「真の御父母様の生涯路程10」お母様(韓鶴子夫人)の証)
何故韓鶴子オモニは堕落したのか?
サタンに魂を売った金孝南堕落訓母が独生女の方がお父様より偉大だと大母様を扮って韓鶴子オモニを騙したのではないか。
第二のお母様を求めるのはお父様にとって大変なことだったのに・・・
「キリスト教文化圏を中心として、聖霊の母を中心としてアメリカとフランスです。イギリスは母になるのです。これが公式的です。分かりますか? その基盤を失って、再臨の主は追い出されて完全に独りぼっちになったのです。その時に、もし歓迎していた場合には、聖進様のお母さんと先生は離婚していません。子供と共に、一族と共に、一国と共に、世界統一権限で勝利の基盤をなすべきだったのに、キリスト教が反対したためにすべてのエバ基盤がなくなったのです。家族も何もなくなったのです。それで、辛い涙の反対の道をたどって、第二のお母様を求めるのは大変なことでした。そして四十年の峠を越えて、三年前に安楽地になったので、解放して、お母様の権限を平等に先生の横に立てて、悪の世界から回れ右をして神様のほうに向かうのです。」
(訪韓男性修練会)
(四)大母様は独生女の韓鶴子ではなく、独生子のお父様を慕い焦がれたと証しされた
「多くの食口たちは、お父様とお母様がどのようにしてお会いしたか気になるでしょうね? (「はい」)お母様も、偶然にお父様とお会いになったのではありません。天がお母様を送られるまでは、母の実家三代が精誠の限りを尽くした土台の上に来られたのです。それに、一人娘でなければなりません。そして、三代の新しい集団を経て出てこなければなりません。金聖道集団、許孝彬集団、統一教会まで三代です。そのような精誠と条件と摂理がなくては、再臨主に会って配偶者となることはできません。
私が真のお母様にお仕えして三八度線を越えてくるとき、見知らぬ霊通人が私に関する話をしたのを聞きました。以北では、共産党が占領していたので白い服を着る人は一人もいないのに、見慣れぬ白い服の二十歳あまりの青年が私に、「おばさんは、天から娘一人を生むためにこの世に来たのですが、今、夫婦生活をしていますか? 独身で過ごしていますか?」と質問するのです。それは何の話かというと、「今、修道生活をしているのか、家庭生活をしているのか?」と聞いてきたのです。それで私は、「イエス様を信じている」と言うと、「それは良かった」と言うのです。「なぜ良いのですか?」と聞いてみました。すると、「おばさんは、世の中で夫婦生活をしても素敵にうまくできたのですが、この地上で夫婦生活をし、幸福を享受しながら暮らせば、天に対して逆賊になる」と言うのです。そして、「修道の道は、寂しい道であり、孤独な道であり、苦難の道であるが、三、四年以内に修道の道でとても大きな成功をする」と言うのです。
私は韓氏に会ってから、二十九歳(数え年)でお母様を生みました。平安南道の安州でお母様が誕生されましたが、私はその韓氏と一緒に住まずに実家にいたのです。南下してから七年後に、統一教会に入ってお父様にお目にかかってみると、再臨主がどのような顔と姿であられるかは、以北で二回も天から教えていただいたので、すぐに分かりました。それで私は、お母様にも証しをしたのです。
娘が真のお母様となるであろうということは、すべての役事を通じて教えてくださったのですが、確信は持てませんでした。真のお父様を登場させるまで、どれほど多くの天の苦労と、多くの摂理と役事があったのかを、娘が真のお母様となることによって多く知ることができました。」
(「侍義と精誠の生涯」洪順愛大母様の証 1975年8月10日米国・ベルベディア)
「来られる再臨主は、許孝彬氏には霊的に現れて見えるのですが、精誠を尽くしている私たち食口には見えないのです。「どうして見えないのですか?」と聞いてみると、「そのときは一人の人間を通して教え、摂理しなければならないからだ」と言うのです。それを聞いて私は、どれほど許孝彬氏をうらやましく思ったかしれません。天のお父様に、「再び来られる再臨主を、夢の中ででも一度見せてください」と祈りました。するとその夜、神様は私の祈りを聞いてくださったのです。
夢の中で、韓国式の新しく建てた南向きの小さな藁屋が一軒現れました。私が、「あら、新しく立った小さな藁屋があるわ」と言いながら入ろうとすると、戸の外で門番が入らせないようにするのです。その人は、私を生んだ実家の母でした。それで母親に、「ここには、どなたがいらっしゃるのですか?」と尋ねると、「この部屋は、絶対にだれも入れない部屋だ」と言うのです。そのように言われたにもかかわらず、命を懸けて戸を開けて静かに入りました。
入ると南側に机をおいて、頭を縛った壮健なかたが座って勉強をしておられました。それで私は、おとなしく頭を下げて座っていると、そのかたが振り向かれ、「私が六千年間おまえ一人を捜すため、このように勉強しているのだ」と言われたのです。その恩賜にあまりにも感激して、泣き続けました。
それで私は、心から自信を持ったのです。「私は再臨主の顔をはっきりと見たので、これから再臨主が現れれば、そのかたを見誤ることなく侍ることができる」
それから三週間後に、また夢を見ました。そのかたが私に現れて、次のように言われたのです。「おまえが一番愛し大切にする敷き布団と、うすい灰色の洋服一着、新しいリュックサック、新しいハンカチを用意しておくれ」
それで、夢の中で私は急いで家に走ってきて戻ると、だれが用意しておいたのか、きれいな敷き布団と、うすい灰色の洋服、新しいリュックサック、新しいハンカチが全部用意されていたのを見ました。
それで全部準備していると、「全部準備したか?」と聞かれるのです。「はい、すべて準備しました。これをお持ちになってどこへいらっしゃいますか?」とお尋ねすると、「北の方にもっと勉強をするために行く」と言われました。
ですから、勉強されるというのは、全世界に知らせるための原理を研究されることを意味するのではないかと思います。」
(「侍義と精誠の生涯」洪順愛大母様の証 1975年8月10日米国・ベルベディア)
「そのように精誠を尽くしていくと、あるとき許孝彬氏が本当にうらやましく思えました。昼夜再臨主に侍っているのですから、どれほどよいでしょうか。それで私も夢の中でもいいから再臨主に一度お会いできたら死んでも恨みはないという思いがしました。すると、夢でお告げを受けたのです。
きれいなわらぶきの小さな家が夢に現れました。私は上下白い服を着て、台所で食事の準備をしていました。仕事をすべて終え、水でぬれた手を前掛けでふきながら台所から出てくると、母が「この部屋はだれも入れない部屋です」と言いました。その言葉に返事もせず、戸をていねいにそっと開け、入って座りました。新妻のようにおとなしく座っていると、壮健なかたが東側で机を一つ置いて鉢巻をして勉強しておられたのです。さっと振り向きながら、「私はあなた一人を探そうとして、このように勉強しているのだ」と言われました。その言葉がどれほど感謝でおそれ多かったでしょうか。涙が自然に流れ、何とも表現することができませんでした。そしてそのかたの手をつかんで静かに泣いているところで、目が覚めました。
目を覚まして、「これは本当に不思議だ。あのかたはもしかしたら再臨主かもしれない」と思いました。今ならどんなことをしても捜そうとしたでしょうが、その当時は許孝彬氏が「このかたが再臨主である」と言われる以外には、自分から捜そうとは思いませんでした。
(中略)
その後、一か月くらいたったとき、夢でまた主にお会いました。私はそのとき夢のお告げをとてもはっきりと見ることができたのです。一か月前に見たかたが私に近づきながら、「やあ、順愛や、私は北に行ってもっと勉強しなければならないので、あなたが一番大切にしている掛け布団と敷き布団と洋服一着をリュックサックに入れてくれないか」と言われました。そこで「はい」と答えて家に帰ると、すでにだれが準備したのか、掛け布団と敷き布団がきちんと準備されていたのです。洋服も淡い色でしたが、生地がよいもので作られていました。私は本当に感謝し、すごいことだなと思いながら、精誠を込めてリュックサックに入れてさしあげました。すると、そのかたはそれを担いで「私は三年後にまた帰ってくるから、あなたは三年間心を変えず待っていなさい」と言われ、北の方に向かって口笛を吹きながら一人寂しく行かれるのでした。その後ろ姿を眺めながら、私はとめどもなく涙を流しました。お一人で勉強しに行かれるその姿が、これほど寂しく見えたことはありませんでした。また何のとりえもない私を見て「三年間心変わりしないでいなさい」と言われました(私はもちろん心変わりはしませんでしたが)。おそれ多いことを言って行かれると思って泣いているところで夢から覚めたのです。」
(「夢に描いた主にお会いして」洪順愛大母様の証(1997年ファミリー掲載・1973年に証した内容と思われる))
韓鶴子オモニが愛する大母様は、独生女の韓鶴子オモニではなく、
独生子のお父様を恋い焦がれて待ち望んでいたのである。
偉大な真の母であった韓鶴子オモニよ、何故お父様を裏切り堕落しなのだ!!!
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