原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

いったい、同性愛が始まる根源はどこにあったのだろうか? 夢想家の独り言

旧約聖書にもロトの所で同性愛が出てくる。

レビ記18章には同性愛が禁じられている。

禁じられているからには、そのような行為を行っているものがいたということだろう。

 

 :22)あなたは女と寝るように男と寝てはならない。これは憎むべきことである。

レビ記18章

 

 

随分古くから非原理的な存在が現れている。

新約聖書でも、同性愛は否定されている。

エス様を愛するものは信仰上みな反LGBTということになる。

 

 :9)それとも、正しくない者が神の国をつぐことはないのを、知らないのか。まちがってはいけない。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、

:10)貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者は、いずれも神の国をつぐことはないのである。

:11)あなたがたの中には、以前はそんな人もいた。しかし、あなたがたは、主イエス・キリストの名によって、またわたしたちの神の霊によって、洗われ、きよめられ、義とされたのである。

第一コリント6章

 

霊的堕落とは、天使長とエバが淫行関係を結んだことですが、

肉的堕落は霊的堕落に寄ってサタンの悪性品を受け継いだエバとアダムの淫行関係だとされてきました。

 

同性愛について意識してきまして思うことは

原理講論にかかれていることと実際は少し事情が違うのではないかということです。

 

晩年のお父様の御言葉から、アダムとエバの結婚が人間の結婚である前に、

神様の結婚であり、神様がアダムに臨在されてエバと結ばれる結婚であることがわかりました。

 

ここで注意してほしいいのは、神がアダムに臨在してエバと性的に結ばれるということです。

このことを念頭に考えますと、そのことを知ったルーシェルが、神様を押しのけて自分がそのような立場に立つためにどのように考えたかでございます。

 

人間の例で考えてみましょう。

ここに二人の男の松男梅男と一人の女の成実がいます。

はじめに松男と成実は婚約していましたが、

婚約中に処女の成実は梅男と性的関係を結びました。

その後、松男と成実は結婚して結ばれ子供が生まれます。

この子は梅男の子供ではなく松男の子です。

梅男との性的関係の影響を成実は受けているかもしれませんが、

梅男の精子によって生まれてきたわけではありません。

 

原理講論の霊肉の堕落の説明は上記の内容に似たようなものだと思いますが、

梅男の子だとする立場です。

これは人間世界では不自然なことだと思います。

 

ずっと同性愛がどこから始まったのだろうかと意識している中で

数日前に霊的堕落と肉的堕落のことが思い出され、このように浮かんできました。

 

ふつうは天使長ルーシェルとエバが不倫なる淫行関係を結んだ後に、

堕落したエバとアダムの二人が淫行関係を結んだと理解されてきたと思います。

しかし、上述した疑問点を考慮しつつ整合性を求めるなら一つしかないのではないかと思われました。

 

つまり神様がアダムに入ってエバと結婚する予定であったことを模倣して、

なんとかエバを自分の妻にして子孫を残す方法はないかとルーシェルが考えたとすれば、

アダムではなくサタンはエバに入ってアダムと結婚して子孫を残す道しかなかったのではないでしょうか?

サタンはエバの霊人体に入ってアダムと関係を持って、自分の霊的精子とアダムの肉的精子でサタンの精子を作り出して、エバの胎中の卵子と受精して自分の血筋の子を持ったということでしょうか。

 

サタンはエバに入ったままアダムを犯して、自分の霊的精子とアダムの肉身の精子を使ってエバを通して子を産んだのではないかと思うのです。

そのように考えると、ルーシェルの種がエバの胎に宿らせることができるかと思います。

そのような経緯で、男性格のルーシェルが男性格のアダムを愛する結果となり、

その影響がアダムとエバの子孫にも出てくるのではないかと思われます。

 

ルーシェルは初めに女であるエバを愛した。

次に子を持つためにエバに入り男であるアダムを愛する道しか残されていなかった。

もしかしたら、これが同性愛が地上に現れてきた根源なのかもしれない、

ふと夢想家は独り言を言い眠りにつくのでした。

 

 

 


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