原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

過去の隠れキリシタンに基準あわせるのではなく、既に復帰されて祝福され教育を受けた彼らと現在の摂理を歩むべき

クリスマスが近づいてきました。

過去の隠れキリシタンにタイムマシンで遡って、彼らの業績や足取りに関心をもつ食口は多いことでしょう。

それが地域の関心を持つ方との授受作用のきっかけとなり、永遠の命に至る道へと導きことは価値あることではあります。

しかしながら、我々自体も過去の摂理に呑み込まれて生きていくとしたら、

一体、現在に生きて働かれるキリストと何の関わりがあることでしょうか?

 

多くの許され解怨され祝福され御言の教育を受けたキリシタンたちは、

カトリックの教義もプロテスタントの教義も成約の御言も学んで、

生きている時には果たせなかった信仰の道を歩むために

地上に再臨して協助することのできる人を求めているでしょう。

 

そう思います時に、例えば日本では島原の乱がありました。

これが聖戦か否かという論争もあります。

カトリック総本山の公認を受けていたかどうか?

受ける努力はしたが間に合わなかったのか、

そうだとしても意識は聖戦であったのか?

彼らが用いた旗はその一つの証拠なのか?

 

さて、今日の「鉄の杖の王国」の摂理と、この島原の乱はどこにつながりがるのか?

もし、それを地上の食口が知ったなら、

彼らはもっと現在の摂理に大きく関わり参加することができるのではないでしょうか?

 

隠れキリシタンが、「沈黙」のようにころんだ、

だからといって、例えば、

わたしも何を隠そう統一家から一度ころんだことがあるとて、

親近感をもち、ころび仲間をつくって

慰めあっても何にもなりません。

 

神がキリストが汝の罪は赦されたりとて

祝福されたこの身であるならば、

人が言おうが何だろうが、

わたしは主にあってまっさらになった者であると

堂々と歩めばいいのでしょう。

 

キリシタンころび霊界に留まってはなりません。

 

天下統一者が皇帝ならば、各藩の城主は王でしょうか?

その王は、擬似的な鉄の杖の王国を、帯刀する侍によって支えられて、

一国の主として政を営んでいました。

侍はある時は平和警察となり、ある時は平和軍となって藩のために仕えました。

我が国では、クリスチャン大名が多く誕生しましたが、

屯田兵的ではないので、自給自足でないことを除くと、

自分の身は自分が守るし、自分の国も自分が守るという

平和警察と平和軍の精神的伝統の萌芽がありました。

 

第二次世界大戦の時には、民間で働いていた人が軍人に抜擢されました。

私の母方の祖父もそうで、中尉で出発して、

東南アジアに行った駆逐艦かなんかで大砲を「打て」という任務だったそうです。

今では徴兵制は否定的側面でしか取り上げられませんが、

当時は制度なんかより、お国を守る意識の方に関心が注がれ、

今の時代の感覚とは違っていたと思います。

私の父は招集を受けたのですが、なかなか戦地に行けず苦しい思いをしたと

何度か私に言いました。

自分より若いものが自分より先に旅立っていくのはとても辛かったといいます。

多分視力が問題だったのでしょう。

後回しにされている内に終戦を迎えました。

 

第二次大戦後、日本人は去勢されて、家畜のような飼いならされた生き方を強いられていくようになりました。

 

さて、全国には多くのキリシタンファンの食口がおられますが、

ぜひ、過去のキリシタンと過去の時代に生きるのではなく、

お父様に祝福されたキリシタンとともに現代の摂理を

どう歩むかということにもっと意識を止揚してくださり

彼らが祝福によって高められている基準に相対できずに

むしろ彼らに過去の贖われる以前の姿を依然として押し付けて

花道を汚すことのないようにお願いしたいと思います。

 

 

 


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