原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

天一国は、「法の秩序による正義」の時代から、「実体のみ言の秩序による正義」の時代になります。

お父様は実体み言宣布をされました。

われわれもまた実体み言宣布をしなければなりません。

影のない生活で正午定着を果たします。

 

ある時お父様は選挙は南北統一で終わりだと語られました。

いったいこれは何故だというのでしょうか?

お父様はみんな祝福家庭だからだと言われました。

だからこれで選挙は最後だと。

何の話かわかりますか?

 

天一国は、

「法の秩序による正義」の時代から、

「実体のみ言の秩序による正義」の時代になります。

 

判事も検事も弁護士も必要なくなります。

お父様はそう言われました。

我々がお父様のごとく実体のみ言葉になるからでしょう。

 

 

お父様は全面的にわれわれ祝福家庭が勝利することを信頼してくださっています。

「君たちに騙されていく先生だね」と冗談を言いながら。

 

お父様の意向と我々の進展にギャップが大きくあることが問題です。

ギャップを埋める期限を決めずに曖昧にしてきました。

 

倉山満という人が、「保守の心得」という本の中で、

昭和天皇のエピソードを紹介されています。

 

保守の心得 (扶桑社新書)

保守の心得 (扶桑社新書)

 

 

 

 日本の象徴である天皇は、自らが思うところを発言する権利もあります。イギリスのウォルター・バジョットという憲政史家は『英国の統治構造』のなかで、いかなる立憲君主にも警告権、激励権、被諮問権(=相談を受ける権利)があると述べました。

 

張作霖爆殺事件の折、、昭和天皇田中義一首相を叱責したことも、警告権行使の一例です。言い訳ばかりする田中義一に対し、

昭和天皇「辞表の一つでもだしたらどうか」と叱責し、田中は恐懼します。

閣内には「出さなくてもいい」という意見もあり、法律論としては正しいのですが、当の田中義一が責任を自覚して辞表を提出しました。

 もっとも有名な例は、対米開戦の直前でしょう。

参謀総長杉山元「戦争になりそうです」と報告した際、昭和天皇「どれくらいで片付けるつもりなのか」とお尋ねになりました。

まさに被諮問権の行使です。

杉山元「三ヶ月です」と答えると、昭和天皇

「四年前の支那事変のときは、一ヶ月と言って四年たっても片付けられていない」と問い詰め、杉山元は苦し紛れに

「いや、何ぶん支那は広うございまして」と口にした瞬間、

「太平洋は支那より広いぞ」とお怒りになったという。

これは天皇の警告権の行使です。結局、軍令部総長永野修身

「いろいろと事情がありまして・・・・」と間に入り、対米開戦が決定します。

  御前会議で昭和天皇は、かっての明治天皇が詠まれた

「よもの海みなはらからと思う世になど波風のたちさわぐらむ」という御製を詠じます。

昭和天皇が御製を読み上げると、その場にいた全員が泣き出したと言います。陛下のご意思は、対米開戦を望んでいないことがわかったからです。結果はご存じのとおりです。

(注:原文に改行などをいくらか施し読みやすくしています)

 

昭和天皇には、「期限意識」がありました。

ところが、家臣にはそれがありませんでした。

いい加減に考えていました。

日本軍は「戦い自体が目標」になっていました。

何のためにどの程度の目標を掲げて闘っているのかわからなくなっていました。

果てしなく闘いはつづき、主管できない領土を広げていきました。

 

闘い続ける人に

「ところで、伝道の方はどうですか?」

 

論争は相手の論理が崩壊していることを証明して終わります。

小山田が独生女信仰者である告白を引き出すこととは違います。

それは論争の勝利とは関係がありません。

 

新左翼はいくらマルキシズムを批判しても悔い改めませんでした。

彼らにとってマルクス主義の論理が問題だったのではなく、

疎外論に対する情的な共感が原動力でした。

マルクス主義が科学だと言いましたが、とても情的な運動でした。

そこで、勝共理論が切れない事がありました。

 

同様に、家庭連合も教義に対する論理性よりも、

お母様に対する情的共感を原動力として活動しています。

ですから、三男派から始まりサンクチュアリも参戦したみ言葉の論争は

切れなかったのです。

人間的な余りに人間的な信仰集団に堕落して、新左翼そっくりになっていたのです。

み言葉や論理はどうでも良くなりました。

 

さて、 立憲君主昭和天皇は、なんとか憲法の規定の中で

戦争の回避を願われましたが、逆賊たちに騙されることを知りながら、

堪え難きを堪えて行かれました。

 

人類始祖は心と体で闘争し、

アダムとエバで闘争しました。

そこから生まれた子孫は闘争世界を広げていきました。

 

これを収拾する道は、

真の人と真の夫婦と真の子女からなる家庭しかないことを

お父様は語られました。

外的世界の闘争を収拾するためには、

内的世界の夫婦の闘争にピリオドを打たなければできません。

その祭物に選ばれたのがサンクチュアリの夫婦です。

 

お父様がわれわれに

「どれくらいで片を付けるつもりか」

と聞かれたときに、

あなたはなんと答える準備ができていますか?

昭和天皇の家臣のようにいい加減な答えを言うのでしょうか?

それが我々の問題だというのです。

 

 

 


にほんブログ村

 応援して下さる方は上のロゴをクリックして下さい。