原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

再臨主文鮮明先生が証された美しい夫婦の話  「平和の主人 血統の主人」より

家庭を持ち、長男が生まれてくる前のことであった。

人生で最も素晴らしい喜びの瞬間が我が子の誕生の時であろう。

当時、私は生まれてくる子供のために原稿用紙で10枚、およそ4000字の文章を書いた。

青臭い文章だが、我が子を迎えるための素直な気持ちを表現してみた。

その中で私は、もし子供が障害を持って生まれたらどうするかを神に誓った。

人生の最高の喜びの時、あんな子供こんな子供がほしいと思ったところで、最後に人間は皆五体満足でさえいてくれればと願う。

だが、喜びの絶頂になるはずが、地獄の底に突き落とされるように、我が子が不自由をもって生まれたらどうするというのでしょうか?

お父様は常に先回りし、前倒しで考え且つ歩まれた。

私もそうしよう。

 

私は天の父に誓った。

もし、私の子供が不自由をもって生まれてきたとしても、

どんな素晴らしい子女を授けられた夫婦よりも感謝して、

授けられた子供とともに生きていきます。

サタンがそれを見てがっかりする姿を見ながら、

私たち夫婦は歩んでいきますから、

どうかそのような時にも、ご心配なさらないでください。

 

やがて子供は不自由なく生まれてきた。

私たち夫婦には二人の子供の他に、三人流産でこの世に生を受けず召された子どもたちもいます。

相対者は口癖のように、弱い子供は天が召されていくというようなことを言います。

本当にそうだろうか?と私は思ったものです。

八ヶ月ほど前には、その文章はあったのですが、引っ越しで何処かに失われてしまったようです。

 

祝福家庭とは一体何でしょう?

もし、お父様が次のように証しされた夫婦より、

私たちが低い基準で結ばれているなら、

私はお父様から頂いた「祝福家庭」の証明書を

彼らに差し上げたいと思います。

神様が共に住みたいと願う夫婦こそ、

真の祝福家庭であるからです。

 

 女性という存在は、障害者の男性を夫に迎えたとしても、一緒に暮らせないとすれば、天国に行くことができません。消えてしまわなければならないのです。相対がいないまま死ねば消えてなくなります。

 どんなに手足が不自由で、男性にも女性にも障害があったとしても、結婚して一緒に暮らすならば、生活において天の国がすべて待遇してくれます。楽しく暮らすのです。先生が住んでいた村に、ユ・クムソクという障害のある夫婦がいました。女性は足も使えず、腰も伸ばせませんが、顔の目、耳、鼻は正常です。男性は目が見えず、話もできず、手足も不自由で座ることもできませんでした。そのような二人が結婚したのです。

 女性の世話で暮らしていたその夫婦が、私の家に来る途中で亡くなりました。私は墓の場所を決めて埋めてあげようと思いました。(彼らは)11月に雪が降り始める前に私の故郷に訪ねてきて、昼食を準備して松の木陰の、夕焼けのとても温かい所で二人で食事を取りながら、二人で寄り添って座り、喜びながら眠りについて、そのまま逝ったのです。

 そのような歴史的なすべてのことを、先祖たちが誤ったすべてを穴埋めし、ここまでやって来て皆さんにこの恵みを与えるのです。この教材を与えるのです。

 「平和の主人 血統の主人」P112〜114

 

 共産主義者社会主義者は、形状的なことばかりに目を向けて、

神がわれわれに与えてくださった性相的な人間としての尊厳について、

考えてくれるでしょうか?

白い人も、黒い人も、黄色い人も、赤い人も、人は皆幸福を求めています。

体が自由な人も、体が不自由な人も、老若男女皆そうです。

神は人に等しく三大祝福を与えました。

人は皆この公式に沿ってこそ幸せを得ることができます。

 

1,心の成長を遂げて個性を完成しなさい。

2,夫婦として結ばれ父母として成長し祖父母として完成して王と王妃になりなさい。

3,心の不自由な者も体の不自由な者も、誰であっても天一国に父と共に住みなさい。

 

心の成長を求め、夫婦寄り添い相助け、父がいます天一国に住まなければ、

一体わたしたちは何のために生まれてきたというのでしょうか?

 

今日、あなたはこの3つの誓約のもとに生活していますか?

それが問題だというのです。

 

御父の限りない愛の前にひれ伏して。

 


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