憲法九条を変えれば戦争の抑止力が高まる ケント・ギルバート
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、 国権の発動たる戦争と、
武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。
ヨーロッパの国々の憲法に、このような日本の憲法と同じ条文があったなら、さぞかしヒットラーは喜んで、あっというまに第三帝国をヨーロッパ中に拡大しただろう。
交戦権の放棄とは、国家の存立を守る意思がないことを宣言するものであり、
つまりは国家である要件を満たしていないことでもある。
人体の主権は免疫機能によって保全され、国家の主権は軍隊によって維持される。
何もむやみに他国の領土を侵略せよというのではない。
逆に、他国から侵略行為があった際には、交戦して国家主権と国民と国土を守れということにすぎない。
竹島が侵略されたなら、国土である竹島を外的から防衛するために、
国土保全という限定的な交戦をしなければ、
「ありがとよ、平和憲法をせいぜい拝んでいろよ」
と言って略奪されてしまう。
極めて単純なことである。
基本的な国家の体裁すら備えていないからである。
尖閣列島もそうである。
中国が日本の平和憲法という幻想に付け込んで数千の武装漁船を上陸させて
あっという間にかっさらっていくことだろう。
国際法の外に日本国憲法は浮世離れの理想を振りまいて、左翼革命家共に翻弄されている。
左翼学生運動をしていた奴らはマスコミや政治家にたくさん浸透して、
国家転覆を画策している。
それによって在日の犯罪者の割合が高いことが明るみにされた。
犯罪者や過激派は国外に飛行機で行くことができないように、国際的な取り決めや連携が広がっている。
韓国から行った数百人の者がアメリカに入ることを拒否されたりするようになった。
今まで隠されていた悪が白日のもとにあぶり出される。
日本は百済との関係が深い。
聖武天皇時代の大仏建立には百済からの渡来人である行基が活躍した。
彼は空海と同じく灌漑のための池の補強や水路の構築など、庶民の為に尽力を尽くし、
国家安寧の仏教支配者層のための仏教ではなく、民衆のための仏教を広めた。
故郷を捨て父母を残して日本を愛した。
ありがとう。
山鳥の ほろほろと鳴く 声聞けば
父かとぞ思ふ 母かとぞ思ふ
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