リポート:薮英季支局長(テヘラン支局)
イランのロウハニ大統領は21日、日本時間の昨夜、IS最後の拠点がシリアで陥落したことを受けて、「勝利宣言」を行いました。
イラン ロウハニ大統領
「周辺国の戦いによって、悪魔(IS)は排除・縮小された。
最高指導者と部隊に感謝したい。」
戦いで大きな役割を果たした革命防衛隊は、国を挙げてたたえられています。
薮英季支局長(テヘラン支局)
「葬儀が行われる会場の前です。
哀悼の意を表そうと集まった人で埋め尽くされています。」
国営テレビがシリアで亡くなった兵士たちの葬儀を生中継で伝え、最高指導者ハメネイ師が遺族の元を訪れる様子も、繰り返し報道されました。
最高指導者 ハメネイ師
「遺族の皆さんの善行に、神が応えますように。
私たちは殉教者に感謝しています。」
2013年に戦闘が始まって以降、ISと戦って犠牲となった革命防衛隊の幹部や兵士は1,000人以上。
テロとの戦いにイランが大きく貢献したことを、国民に向けてアピールしています。
ISとの戦闘で果たしたイランの役割について、革命防衛隊の元幹部に話を聞くことができました。
革命防衛隊 元幹部 ホセイン・モガダム氏
「イランは、この戦いの勝者であるイラクとシリアのパートナーであり続けました。
ISとの戦闘で、イランの立場はより強固なものとなったのです。」
一方、イラン人の影で、多くの外国人が命を落としていたことも分かってきました。
今年(2017年)9月、革命防衛隊の関係者だけが参加を許された追悼式典。
式典の最前列にいたのは、パキスタン人です。
パキスタン人の民兵
「我々は同じ部隊で共に戦いました。」
革命防衛隊の指揮の下、戦闘の最前線に送られていたのです。
会場で上映された、戦場での様子です。
パキスタン人とみられる男性に指示するイラン人の上官。
イランでは使われていない、アラビア語を共通語として使っていたとみられます。
外国人のシーア派民兵をISの戦闘に送り込んでいたイラン。
政府は、この事実をセンシティブな事柄だとして詳細を明らかにしてきませんでした。
革命防衛隊の元幹部に、外国人民兵について尋ねると…。
革命防衛隊 元幹部 ホセイン・モガダム氏
「シリア・イラクでの(ISの)犯罪行為に、すべてのイスラム教徒がさいなまれています。
だからパキスタンやアフガニスタンなどからボランティアとして戦いに行くのです。」
イラン側は、民兵になりたいと志願した外国人を支援しただけだと主張。
ところが、元民兵たちからは違った事情が聞こえてきました。
リポート:宮内篤志支局長(イスラマバード支局長)
ISとの戦闘に送り込まれた民兵がいると聞いて、アフガニスタンに向かいました。
中部バーミヤン州の、シーア派が多く住む村です。
シリアで民兵として戦ったハミードさんです。
貧しい村で働き口のなかったハミードさんは、仕事を求め、イランに密入国。
民兵になった友人の話を聞いて、ISとの戦闘に参加することを決めました。
民兵になれば、日本円で月におよそ10万円が支給され、イランで働くためのビザももらえるというのです。
ハミードさん
「(シリアでの)戦闘に3度参加したら、イラン滞在が10年間認められます。
足や腕を失えば、イランにいる限り手当がもらえるのです。」
ところが、現実は想像以上に厳しいものでした。
1か月の訓練のあと民兵用の戦闘服を支給され、2年前、ハミードさんが送り込まれたのは、シリアの激戦地アレッポ。
ハミードさん
「現地の地理に詳しくない私たちは、ISに包囲されました。
ISは地理に通じ、最新の兵器を持ち、化学兵器も使い、とても怖かったです。」
ハミードさんは足に銃撃を受け、戦線から離脱。
イランで治療を受けたものの、戦闘への恐怖心はぬぐえず、アフガニスタンに逃げるように帰国しました。
戦闘で命を落とした民兵もいます。
マフムード・アブドラ・ハイさん。
去年(2016年)2月、アレッポでの戦闘で死亡しました。
父親のスルタンさんによると、マフムードさんは仕事を求め、イランに密入国。
たびたび強制送還の脅しを受け、民兵になるしかなかったと
います。
スルタンさん
「アフガニスタンの貧困と失業のせいで、多くの人が仕事を求めイランへ行きます。
息子は『戦闘から無事に戻れば(イランに滞在する)書類を手に入れられる。それが目的だ』と話していました。」
遺体はイランで埋葬。
スルタンさんは、生前のマフムードさんから「戦死した場合、日本円でおよそ130万円の弔慰金が支払われる」と聞いていましたが、その10分の1の額しか受け取っていません。
スルタンさん
「遺族はアフガニスタンで家がもらえるという話だったのに、(イラン政府は)守っていない。」
アフガニスタンの農村部が抱える貧困が、この地域の人たちをシリアに向かわせた構図が浮かび上がっています。