原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

元亨利貞は天道之常であり、仁義禮智は、人性之綱である

前回のみ言葉に出てきた儒教の言葉ですがこれは「小学」に出てくるもので、昔は子どもたちが学んだ修養の書の内容です。

「元」(げん)は、始まりで芽をだすことと、そうなる力

「亨」(こう)は、成長することと、そうなる力

「利」は、果実を実らせることと、そうなる力

「貞」は、種子に完成することと、そうなる力

それぞれを促す力でもある。

元亨利貞は春夏秋冬に対応している。

 

元亨利貞は天道の恒常な姿、仁義礼智は人の本性の大網である。

 

<小學題辭>

元亨利貞は天道の常、仁義禮智は人性の綱。凡そ此れ厥の初め不善有ること無く、藹然たる四端、感に隨いて見わる。親を愛し兄を敬し、君に忠に長に弟なる、是を秉彛と曰う。順うこと有りて彊うること無し。惟れ聖は性のままなる者、浩浩たる其の天、毫末をも加えずして萬善足る。衆人は蚩蚩、物欲交々蔽い、乃ち其の綱を頹して此の暴棄に安んず。惟れ聖斯に惻れみ、學を建て師を立て、以て其の根に培い、以て其の支を達す。小學の方は、灑掃應對、入りては孝、出でては恭、動くには悖ること或る罔く、行いて餘力有らば、詩を誦み書を讀み、詠歌し舞蹈して、思うには逾ゆること或る罔し。理を窮め身を脩むるは斯れ學の大、明命赫然として内外有ること罔し。德崇く業廣くして、乃ち其の初めに復る。昔足らざるに非ず、今豈餘有らんや。世遠く人亡せ、經殘われ敎え弛み、蒙養端しからず、長じて益々浮靡、郷に善俗無く、世に良材乏しく、利欲紛挐し、異言喧豗す。幸に茲の秉彛は極天墜つる罔し。爰に舊聞を輯め來裔を覺さんことを庶う。嗟嗟小子、敬みて此の書を受けよ。我が言の耄なるに匪ず。惟れ聖の謨なり。

 

どなたか口語訳していないか調べていると、ヤフー知恵袋で質問された方がいて回答が示されていました。以下に記します。

漢文の小學題辭の現代語訳を教えてください。お願いします。小學題辭元亨... - Yahoo!知恵袋

 

万物を発生成長完成させ、滞ることなく正しい法則に沿って存在させていく、
これが天道の常の姿である。
仁、義、禮、智は、人間の性質の根本である。
凡そ此れは、人の性質の初めには、不善なるものは無い(至善である)。
外界との接触に随って、感性に豊かな四端が顕れてくる。
親を愛し、兄を敬う、君主に忠義を尽くし、年上を敬う。
是れを秉彝(へいい)=人の常性という。
本性に順って顕れるものであり、強制して出てくるものではない。
聖人の心は、本来の性を保ち、あの広大な天そのままであって、少しも人為を加えていない。
それだけで萬善というに十分である。
凡人の心は無知であり、さまざまに生じる物欲によって蔽われてしまう。
そして人の善なる本性の大綱は崩れて、自暴自棄な行いに終始する。
そこで聖人は斯れを憐み、學校を建て教師を置いた。
こうして衆人の性質の根本を培い、その良い枝葉を伸ばそうとした。
小學の教育の方法は、掃除や応対の作法を教え、
家に入っては孝行を行い、家を出ては恭順を教え、
行動する際、善に悖ることがないように教える。
これを行って更に餘力が有れば、詩を誦唱し書を読む。歌を詠い舞踏を習う。
思考が正道から外れることが無いようにさせる。
天の理を窮め、道徳により身を修めることは、これは大學の段階であり、
天命が赫然と明らかになり、心の內と外に出る行動に差異がなくなる。
人としての德が高まり業績も広がる。
これは乃ち其の人としての初めの本性である至善に還ったのである。
昔に不足があったのではない。
今、どうして餘りが出たのであろうか(そんなことはない) 三代の世も遠くなり聖人も亡くなった。
經書は損なわれ敎えも弛んだ。
幼い子供を養う教えも正しくなく、成長しては益々、軽薄浮華に傾く。
鄕郷に善い風俗は無く、世に良材は乏しい。
利や欲が人を誘惑して、正しくない異説が喧しく聞こえる。
幸にも、ここに秉彝(人の天性)があり、天のある限り墜ちることはない。ここに(小児を教育するための)舊聞を集め、将来の人々の自覺をこいねがう。
ああ若者たちよ、敬んで此の書を受けなさい。
これは耄碌した私の言葉ではなく、まさに聖人の法度なのである。

易にも出てくるようです。

 

文言伝 - 易経を学ぼう より

 

第一節(四徳について)
 文言(ぶんげん)に曰(いわ)く、元は善の長(ちょう)なり。亨は嘉(か)の会(かい)なり。利は義の和なり。貞は事(こと)の幹(かん)なり。


 文言にいう、元は善のかしらである。亨はめでたいことのあつまりである。利はよいことの総和である。貞は事がらの中心である。


君子は仁を体すればもって人に長たるに足(た)り、嘉を会すればもって礼に合するに足り、物を利すればもって義を和するに足り、貞固なればもって事に幹たるに足る。

 君子は仁を身につければ、もって人のかしらになるにたりる。めでたいことがあつまれば、もって礼にあうことにたりる。万物を利すれば、もってよいことの総和にたりる。正を固くすれば、もってことがらの中心にたりる。


君子はこの四徳を行なう者なり。故に曰く、乾は元亨利貞と。

 君子は、この四徳を行う者のことである。故にいう、乾は元亨利貞であると。

 

 

 

昔の人が幼少から修養の書に学び育ったので

毅然とした人物が多く生まれたのでしょうか。

学問は修養のためで知識の羅列ではありませんでした。

一年の計は元旦にありです。

残りの日を充実させて新しい年を迎えましょう。

 

 


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