どの母親から生まれた子女であるかより 同じ父の精子から生まれた子女ということにすべての関心がある
Zamfir - Can you feel the love...
「朱蒙」という韓国時代劇で、クムワ王という人物がでてきます。
大変立派な方でした。
この王には二人の息子がいました。
ですが、息子たちは、葛藤する人間でした。
その母もまたそうでした。
その母から立派な王の息子とたちは生まれました。
朱蒙はならず者のような生活に明け暮れていました。
自分の父が英雄のへモス将軍であることを知りました。
彼の中で眠っていた血が騒ぎ始めます。
自分自身も父へモスのように生きるべきだと目覚めていきます。
女性が葛藤を克服できなければ、父に似た良い子供を産むことができません。
男性が葛藤を克服できなければ、父の血統を顕すことができません。
血統転換は心情転換だと語られてきました。
葛藤が心情転換に関係があることは明らかです。
ヨハネ先生は、ラケルが質の高い子供をたくさん産むことができなかったといいます。
本来は、そうした子供をたくさん産むことが神の願いであったと。
所詮、誰がラケルだレアだというのは、当事者の女性の話です。
私という男性信徒、つまり天使長にとっては、私の心霊や私の心情や私の信仰生活にどのようにつながりがあるのかというと、直接には関係がございません。
ある原理的判断をしたとすれば、その判断に伴う実際行動とは何なのか。
わたしという人間の信仰生活にその判断を落とし込めてこそ意味があると思うのです。
まあ、若いころは評論家は面白いなあと思いましたがね。
今は昔です。
先のお母様がいて、後のお母様がいる。
そこで、こちらのお母様から生まれた子女様にはこれこれの方がおられて、
また、あちらのお母様から生まれた子女様にはこれこれの方がおられる。
だけれども、今はこのお母様が本妻だからそのお子様が・・・・。
そういうのって神様からの発想なのでしょうかね。
わたしは何でもシンプルに理解します。
統一ですべてがわかる。
一心ですべてがわかる。
こちらのお母様のお子様が誰々で、あちらのお母様のお子様が誰々という発想は、
堕落世界の発想ですよ。
言葉上は構いませんよ。
でもね、心情はいけませんや。
だって二心じゃありませんか?
これが罪でしょ、堕落性でしょ。
教会の天使長たちが、堕落しているから分けてしまうのでしょ?
神とも父とも一心じゃないし、同じ神の精子、同じ父の精子から生まれた子供だとは考えず、感じず、分けてしまった。
これって、善の天使長のすることかね?
それとも、悪の天使長のすることかね?
一言でいえば、絶対「性」がわからなかったのでしょう。
お父様が勝利なされた絶対「性」の勝利基準が永遠にして絶対、絶対にして完璧であるということに確信が持てなかったのでしょう。
その種を信じることができなかった。
今にして思えば、久保木先生ですら駄目だったということではないのか?
み旨が成就するよう協力するのが善の天使長。
み旨が成就するのを妨害するのは悪の天使長。
堕落天使長は物事を分けて比較し分析することに長けていた。
本当は本然の天使長として統一して理解すべきだった。
聖進様はお父様の子女様、孝進様もお父様の子女様、お二人とも神の精子の子女様。
これでよかった。
ところが、悪魔ではなく食口が分けた。
聖進様はかってのお母様の子女様、孝進様は今のお母様の子女様。
韓国に右へ倣えでそうしたのだというかもしれない。
だがここはエバ国家だ。
そして聖進様はエバ国家に住んでおられる。
エバの胎中にいるような立場であるのが聖進様。
子女様たちは戦いはしなかった。
むしろ母の国は聖進様を追いやった。
まるで流産でもしたかのよう。むしろ中絶か?
日本人は暴れてほしくないと神社に封じ込めてしまう。
荒ぶる神よ、鎮まり給え!
お札を貼って封印だ。
「ちゃんと大切に祀りますからご安心ください。」
聖進神社、節子神社建立。
「桜井先生。大丈夫わかっておりますから。ただ、誤解されることのないようご発言には、くれぐれもお気をつけください。よろしくお願いします。」
おでこにぺたっと御札を貼られて、はいそれまでよです。
荒ぶる神よ、鎮まり給え!
聖進様も日陰者として生涯送っていただくおつもりでしょうか?
徳野会長?
ひどい奴らだよ。
頭の中では、エサウとヤコブやペレヅとゼラが胎中で争ったことは知ってはいる。
数ある講義で説明したこともある。
では、それがわたしとどんな関係がある?
遠い遠い昔のことさと思っているのか。
葛藤する女の胎中からは葛藤する子供が生まれてくる。
母の国のエバが葛藤せず、ふたつの子女を受け入れたなら、
母の国の天使長がそれを協助できたなら、
子供たちが一つになる道が開かれる。
日陰で暮らさなければならない子供が出て来ようもない。
共に暮らし、共にみ旨を担当することができたはず。
日本家庭連合は囹圄の子女様をつくってきた。
ナチス以下の糞野郎だ。
悪魔はにんまりほくそ笑んだ。
「俺様がしなくても日本食口がしてくれるわ。メシアに瓜二つの心情を持ったあんな奴に活躍されでもしたらえらいことになる。日本家庭連合様々だな。」
サラは子宝に恵まれず、神の祝福する血統を残すため、アブラハムにハガルをあてがえた。
ハガルはイシマエルを生むと、サラを軽んじた。
神がサラにもイサクを与え希望を取り戻したが、
イサクがイシマエルにいじめられたのを見てアブラハムに訴えた。
アブラハムはハガルはお前の手にあると言ったが
なんとサラは母と子を追い出してしまった。
これには神もアブラハムも驚いたことだろう。
ハガルはイシマエルを生んだが、サラはイスラエルを生んでしまった。
二人の女がいるのではなく、二人でありながら一人の女のようでなければならなかった。
サラはハガルを愛さなければならなかった。
イシマエルを愛することによってハガルを愛さなければならなかった。
ハガルはサラのために子供を産まなければならなかった。
自分の子供を産んではいけなかった。
代理母のような立場だった。
当時はどうかはわからないが、
ユダヤでは妾の子は正妻のものとされていたという、すなわち正妻の子供であった。
追放されて途方に暮れたハガルを神は祝福し告げた。
イシマエルもアブラハムの子供であるからその子孫は繫栄すると。
だからわたしは、
どの母親から生まれた子女であるかより 同じ父の精子から生まれた子女ということにすべての関心がある。
サラの未解決の「葛藤する心」という課題は、ラケルに託された。
巡り巡って国家としては、エバ国家である日本にたどり着いた。
エバ国家である日本の善の天使長たちと、
善の妾たちが
父の心と一つであれば、葛藤が生じることはなく
子供たちは仲睦まじく安心して暮らすことができたでしょう。
父の一つの、絶対「性」の、血統であるのだから。
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