魔法をかけられた栄光のお母様を救う為の教科書 ダイジェスト Ⅴ
第三部,血統転換から見た6マリア
<1枚の写真から6マリアを読み解く>
ここに記す内容は天倫の秘儀中の秘儀についてです。
到底わたしの手に負えるようなものではございません。
この奥義は、必要であれば後に正確に亨進様が語られる日が来ることでしょう。
付け焼き刃のような説明ではありますが、パレートの法則のように、全体の80%を表す20%は何かに集中して、特に「6マリア」の6数に関係すると思われる、アブラハム・イサク・ヤコブの家庭から、関連すると思われるエッセンスを抜き出すよう努めました。
舌足らずの文章は私個人の責任であり、相応しからぬ者しか、未だサンクチュアリに来られていないので、止む終えず一時凌ぎの仕事を果たすことになりました。
本来書くべき方が、亨進様に正確にお伝えしていただくよう心からお願い申し上げます。
さて、6マリアと噂された女性達が5大聖人と霊界祝福を受けたことが食口にひろがったことがありました。
以下のサイトから文章を引用します。
1998年6月13日、アメリカ、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン
で第1次3億6千万組の国際祝福式があった時にイエス、孔子、釈迦、マホメット、ソクラテスの五大聖人をはじめとして52億の霊人たちも祝福を受けた。
真のご父母様はこの五大聖人の祝福に特別な価値を置かれ、公式行事でも何度かその意味を強調された。さらに公式、私式でもまた“聖人の血筋を残さないといけない”とされ「聖人家庭に養子を立てなさい」と語られた。
それで今回、真のお母様の許しの中で行われた。
私にとってはこの記念すべき一枚の御写真が、客観的事実を物語っているように思われます。
右上に楕円の中におられるのが、崔元福先生です。
ここにおられなかったので写した写真を合成しての参加のようです。
はたして、これは偶然にそうなったのでしょうか?
ここにおられる方はタマルのように絶対「性」の勝利者達でしょう。
崔元福先生は上記に書きました。
他の方同様、タマルのように死を超えて神の血統を残さんとする女性でしょう。
だが、6マリヤとは違うことでしょうけれども、本質的には同一の使命だと言えることでしょう。
だから自然に枠に囲まれているのでしょうか?
不思議なことです。
「6マリア」という言葉の6数に神の役事の重要な意味があるとすれば
6マリアというように重要な6人の女性が復帰摂理歴史の中心史に出てくるのは、
ヤコブ家庭においてでした。これを重視すれば、
ヤコブが初めに結婚したのが姉のレア。
これに対応するのは、最初の方がおられないので、
お父様が先に結婚した金明熙様でレア格マリア
これに対応するのは、
その他の方はヤコブに二人の姉妹があてがった妾の立場のマリア
誰がどうのはここでは問題にしません。
こう見るのが一番スッキリするようです。
後ろに並んだ5人の中では金明熙様が、中央に立たれて良さそうに思いますが、
どうやらイエス様に敬意を表して、そのご婦人である
張貞順様に譲られているようです。
これは特別な記念撮影ですが左から
マホメットの妻 李貞玉
ソクラテスの妻 金明熙
イエス様の妻 張貞順
孔子の妻 李京俊
アウグスチヌスの妻 姜賢實
仏陀の妻 崔元福
人類歴史において人類の心霊と真理の向上に著しく貢献した聖賢が
6マリアの女性達と霊界祝福を受けられました。
神の絶対「性」を勝利した女性に、
善の天使長が創り、また発展させてきた、宗教思想の代表的最重要人物を
神の絶対「性」と家庭に連結することによって
宗教統一の道を切り開く祭物であり祭壇がこの役事だというのです。
そうすることによって、神の一つの血統と一つの家庭、一つの血族と一つの王国を築き、億代兆代にまで永遠に神と人が至福に生きることできる、円和園理想を取り戻し、築いていくのだというのです。
功労のあった聖賢たちにはその血統を本然の立場に浄め与えて、養子を持つことによって子孫を残してあげようとまでいうのです。
これが驚くべき神の恵みでなくて何でありましょうか?
聖マホメット イ・ジョンオク家庭のムン・ベイグァン養子入籍式
内容要約すると、、
去る(2014年)11月15日、天福宮教会2階で36家庭を始めとする120名ほどが集まって聖マホメット イ・ジョンオク家庭のムン・ベイグァン養子入籍式が行われた。
“この養子入籍式を通して天上と地上の多くのイスラム信徒たちが連結される実体的な基盤を持つようになった”と摂理的な意味を説明した。 これは統一家の名門家庭の誕生を意味する。
1998年6月13日、アメリカ、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン で第1次3億6千万組の国際祝福式があった時にイエス、孔子、釈迦、マホメット、ソクラテスの五大聖人をはじめとして52億の霊人たちも祝福を受けた。
真のご父母様はこの五大聖人の祝福に特別な価値を置かれ、公式行事でも何度かその意味を強調された。さらに公式、私式でもまた“聖人の血筋を残さないといけない”とされ「聖人家庭に養子を立てなさい」と語られた。 それで今回、真のお母様の許しの中で行われた。
「君たちは先生が下半身を主管できない男だと思うか?」
もしそう思うなら、父と我々は何の関わりがあるというのでしょうか?
6マリアは本来エバ1マリアで良かったものが
ヤコブの家庭で6マリアに増えてしまったものを収拾して
6人でありながら一人であるかのような一心の6女性になるべき使命があったと思われます。
『先生にも二人の女性がいます。聖進様のお母さんと真のお母様です。二人が戦わないで、如何に一つになるかが問題です。ヤコブを中心として見ると、レアとラケルがいました。ヤコブの願いはラケルとの結婚でしたが、先にレアを抱きました。ここにラバンがいます。そして彼の妻がいます。このラバンはサタン側です。長女をしてヤコブを誘惑するのです。ヤコブはラケルを願いましたが、ラバンは、レアとヤコブとの結婚を願いました。互いにぶつかったのです。夜一緒に寝て、朝、起きてみるとレアだったのです。それで、ラケルのために、また七年間を費やしました。世の中にそのようなことがあり得ますか。ヤコブに息子・娘が生まれましたが、自分が願った息子・娘でしたか、願わない息子・娘でしたか。レアとラケルには愛の喧嘩がありましたか、ありませんでしたか。これが問題です。 神様の立場は、悪魔までも等しく愛するべきなのに、それと同じ愛がないためサタン側になるのです。ヤコブの時代に、先生が教えてあげることができたならば、どれ程良かったでしょうか。ラバンの妻は母として、長女と次女を一つにしなければなりませんでした。そのようになればサタンはあり得ません。それを知らなかったのです。二人が愛の喧嘩をしました。女性達の喧嘩が、十二人の子供達の戦いに展開されるのです。二人の女性が一つにならなかったために、後孫は、イスラエルの十支派とユダの二支派に分かれました。本来ならば、父が一人なので一つにならなければなりません。誰が一つに結ぶかというと女性達です。 イエスの時代も同じです。洗礼ヨハネとイエスです。マリアとエリサベツも一つにならなければなりません。洗礼ヨハネとイエスは兄弟の関係です。ザカリヤを中心として一つにならなければなりません。イエスはマリアを通して生まれましたが、イエスの父は誰ですか。原理で見るとザカリヤにならなければなりません。聖書では未解明です。そうすると、洗礼ヨハネは兄です。エリサベツの立場がレアであり、マリアの立場はラケルです。ここで、父と一つになり、母と一つになったならば、洗礼ヨハネの家系も一つになり、イエスの家系も一つになります。そのようになれば、洗礼ヨハネはイエス様を裏切ることができません。ザカリヤも分からなかったし、母も分からなかったのです。皆、知らなかったの で、イエス様は迫害を受け、十字架につけられて亡くなりました。 イエス様は結婚をしなければなりませんでした。洗礼ヨハネの妹がいなければ、洗礼ヨハネの知人を通して結んであげるべきだったのです。マリアと洗礼ヨハネが話し合ったり、この三人が一つになったならば、イエス様は死ぬはずがありません。結婚ができておれば、イエスの時代に完全に蕩減することによって、イスラエル国を中心として完全に一つになったのです。カイン・アベルに分かれたすべてが、母を中心として、自動的に一つになり、統一圏が起こるのです。このようになったならば、アジアを中心として、儒教や仏教が自然に一つになります。そうすることによって、西洋のローマは問題ではありません。全部一つになって、ローマを消化するのです。このようになっていれば、キリスト教が西洋 から始まるのではなく、東洋から始まり、完全に西洋を吸収したことでしょう。 公式的なプログラムを通して摂理されるのです。皆さんの家庭も同じです。祖母・母・姉・義姉・妹・義妹など女性達がたくさんいます。この女性達が皆、和動して一つになれば喧嘩はありません。女性が問題です。ここで喧嘩すれば大変なことになります。サタンが入って来るのを知っているならば、喧嘩はしないのです。このような訓練をしなければなりません。神様が忍耐し、真の父母様が、それを全部消化して来ました。神様と先生を中心として、怨讐を愛しているのに、自分の血族を互いに一つにできないはずがありません。自分の血統であり、一族です。皆さんの怨讐を愛さなければなりません。家庭内の小さな怨讐を愛さなければ天国に行けません。二人の男性と二人の女性を皆、受け入れて愛さなければならないのです。 女性達の喧嘩によって、イスラエルの十支派とユダの二支派に分かれ、イスラエルの王国が亡びました。イエスが十字架につけられた原因がここにあったのです。ヨセフを十人の兄弟が売り飛ばしました。怨讐になって売り飛ばしてしまいました。故にサタン側です。サタンは神様にとって愛の姦夫であり、愛の怨讐です。しかし、神様は怨讐を処断することができません。サタンが「神様、原理原則はこうではありませんか」と讒訴して来ると、神様はいつも「そうだ、君の言うことは正しい」と、愛の怨讐を自分の身のように愛するのです。自分と同じように愛することは、神様にとってどれ程苦痛でしょうか。イエス様も同じです。先生も同じです。分かりましたか。』 (世界の女性の復活と解放 1993年2月1日 ベルベディア)
ちゃぬさんのブログ記事より
4,心情と血統と結婚から見た復帰摂理の概観と アブラハム・イサク・ヤコブ一体家庭の6マリア
公式的なプログラムを通して摂理されるのです。皆さんの家庭も同じです。祖母・母・姉・義姉・妹・義妹など女性達がたくさんいます。この女性達が皆、和動して一つになれば喧嘩はありません。女性が問題です。ここで喧嘩すれば大変なことになります。サタンが入って来るのを知っているならば、喧嘩はしないのです。このような訓練をしなければなりません。神様が忍耐し、真の父母様が、それを全部消化して来ました。神様と先生を中心として、怨讐を愛しているのに、自分の血族を互いに一つにできないはずがありません。自分の血統であり、一族です。皆さんの怨讐を愛さなければなりません。家庭内の小さな怨讐を愛さなければ天国に行けません。二人の男性と二人の女性を皆、受け入れて愛さなければならないのです。
(世界の女性の復活と解放 1993年2月1日 ベルベディア)
<6マリアの6数の原理的根拠を求めて>
6マリアの6数がもし摂理的数字であるとすれば、その根拠と考えられる最有力は、
お父様の上記の御言葉でしょう。
「公式的なプログラムを通して摂理されるのです。皆さんの家庭も同じです。祖母・母・姉・義姉・妹・義妹など女性達がたくさんいます。この女性達が皆、和動して一つになれば喧嘩はありません。女性が問題です。」
①お父様の御言葉からは
祖母・母・姉・義姉・妹・義妹の6人
これを三代で一代とみなす.
この家族成員にアブラハム・イサク・ヤコブの一家庭に代入すると
祖母サラ・母リベカ・姉レア・義姉ビルハ・妹ラケル・義妹ジルバの6人
②アブラハム家庭は3次目の家庭からすれば(三次の家庭と延長の三代の家庭)
アダム家庭のマリア→ノア家庭のマリア→アブラハム家庭のマリア 3人
これは家庭的、本来のアダムは神の国の王となるべき王子、天宙の主管者
この代表が第一アダム、第二アダムのイエス様、第三アダムの再臨主
アダムの相対者であるマリアは天宙的マリア
天宙的アダム家庭のマリア→天宙的イエス家庭のマリア→天宙的再臨主家庭のマリア
3人のマリア
③アベル・カインから見たアブラハム・イサク・ヤコブ一体家庭から
アブラハムのサラとハガルの二人のマリア
イサクのリベカは一人なので除く
ヤコブの妻ラケルとレアの二人と各々がヤコブに与えたビルハとジルバの二人のマリア
三代の中の6マリア
<サラとリベカの使命の継続性>
サラと同様の路程をリベカも歩んでいる。
:8)イサクは長らくそこにいたが、ある日ペリシテびとの王アビメレクは窓から外をながめていて、イサクがその妻リベカと戯れているのを見た。 :9)そこでアビメレクはイサクを召して言った、「彼女は確かにあなたの妻です。あなたはどうして『彼女はわたしの妹です』と言われたのですか」。イサクは彼に言った、「わたしは彼女のゆえに殺されるかもしれないと思ったからです」。 :10)アビメレクは言った、「あなたはどうしてこんな事をわれわれにされたのですか。民のひとりが軽々しくあなたの妻と寝るような事があれば、その時あなたはわれわれに罪を負わせるでしょう」。 :11)それでアビメレクはすべての民に命じて言った、「この人、またはその妻にさわる者は必ず死ななければならない」。
創世記26章
ちゃぬさんが御言葉を引用したサイトと
彼女の6マリアの構成図を発見したので引用させて頂くことにします。
http://ameblo.jp/chanu1/theme2-10031388309.html
『真のお父様が、崔淳實(淳実)さんと出掛けられるときには、わざと怒らせるような言葉で、「明煕よ、すまない。わたしたちは映画を見に行ってくる。」と言って出掛けられました。また、淳實(淳実)さんは、映画館に行ってくると、真のお父様がおっしゃった言葉をわたしに話してくれました。 映画の中の女性の主人公を見ながら、「あれは明煕のようでしょう? まるで明煕のようだ。」とおっしゃったと言いました。そのような中で、淳實(淳実)さんとわたしは教育を受けたのです。淳實(淳実)さんと、その妹(崔淳花)とわたしを、真のお父様は三位基台として結んでくださいました。』 (ファミリー2005年6月号より 金明煕の証し) 『お母様の血と肉が交差しているのです。そこではお母様は、多くの涙を流しました。結婚をしたので、どこかに行こうとすれば夫に付いて歩かなければならないのではありませんか。ところが、おばあさんの三位基台、お母様の三位基台がいるのです! どこかに行く時はその人たちを連れていくのであって、お母様は連れていきません。ですから、どれほどあっけにとられるでしょうか。峠を越える時までは、そうするしかありません。そのようにすることによって、周りにいる女性たちが「あの先生は、あまりにひどいではないか!」と言うようになるのです。』 (「真の御父母様の生涯路程10」より 文教祖のみ言葉) 『また本来、再臨主は、「旧約・新約・成約」の三時代を連結できる代表的な女性が協助する中で聖婚してこそ、初めて父母圏を定着させることができる。それゆえ、縦的な三代がそれぞれ横的に展開された、おばあさんの三位基台・中年女性の三位基台・真のお母様の三位基台があった。真のお母様の三位基台となる女性たちは、エバの失敗を蕩減する主導的な役割を果たして、真のお母様を天国の王妃として保護育成しなければならず、中年女性とおばあさんの三位基台は、真のお母様の三位基台の象徴的な基盤であり、精誠によって一つにならなければならなかった。』 (著書「実録・洪順愛大母様の生涯と信仰」より) 『ここで崔元福先生について少々触れる。復帰されたエバの立場にあり、真の御父母様の前には洗礼ヨハネ的エバの使命をお持ちになっておられるお母様と一体となられる事により、サタンがお母様に侵入できない。本来大先生のお母様がマリヤと同じ様に、その使命を果たすべき立場におられたが、摂理上それは崔先生が担当されているのである。』 (歩みこられし主の道(1974年版主の路程)) 『どこかへ連れて回るときには、崔先生を連れて回ります。お母様に侍っておいて、私が行くべき道を公式的にすべて教えておきます。「このように行かなければならない」ということを、一つも間違いなくただそのまま行きます。』 (第14回「愛勝日」のみ言葉 1997年1月2日 ブラシル・サンパウロ) 『今までは、崔先生が世界舞台に立ってすべて先頭で行ってきたのですが、今からは、そのような時代は過ぎ去っていきます。第三次七年路程は、そのような時代ではありません。完成時代なので、お母様が全体の責任をもたなければなりません。今までは崔先生が前に出てきたのですが、今からは後ろに下がっていかなければなりません。そのような時だというのです。先生が行く道は、原理を立てる道です。原理世界を立てなければならない責任があるのです。そのようにすべて収拾して、ずっと原理的に行かなければなりません。 本当は、お母さんという言葉をむやみに使うのではありません。崔先生に対しても「お母さん」と言い、誰かに対しても「お母さん」と言っていますが、それは違うというのです。今後は、崔先生には「崔先生」と言わなければなりません。そのような時になってくるのです。』
(真の御父母様の生涯路程10 崔元福先生の使命完了)
http://ameblo.jp/chanu1/entry-11176055075.htmlより以下を引用
ここには、二組の三位基台を作る6人の女性が説明されています。
崔先生と韓鶴子お母様にそれぞれ3人ずつです。合計6人です。
<1960年ごろの六マリア>
(アベル側ラケル格マリア)
アダム的:李昌淑
イエス的:李京俊------孔子と祝福
再臨主的:韓鶴子------文鮮明と聖婚
(カイン側レア格マリア)
アダム的:李得三
ノア的 :李貞玉------ムハンマドと祝福
ヤコブ的:崔元福------釈迦と祝福
--------------
孔子 -李京埈(お母様と三位基台)
キリスト -張貞順(すでに1971年にイエスと霊界祝福させている)
釈迦 -崔元福(カインのお母様 三位基台は李得三・李貞玉)
ムハンマド-李貞玉(三位基台は崔元福・李得三)
ソクラテス-金明煕(喜進の母 三位基台は崔淳實・崔淳實の妹)
アウグスチヌス-姜賢實(1952年文教祖が直接伝道)
--------------
上記はちゃぬさんがまとめたものです。
情報がございませんから真偽のほどはわかりません。
お父様の6マリアに関する御言葉が入手できるかもしれませんので
それを見てみないとよくわかりませんが
もしヤコブ家庭の蕩減復帰のみに終わるなら、その後延長されてきた6000年の問題は残されたままになることでしょう。
上記に出てくる用語がお父様の使われたものかどうかはわかりませんが
旧約・新約・成約に連結される条件にする為には
ほかの仕掛けが必要なことが予想されます。
そういう意味においては暗示的な内容を感じるものがあります。
誰がどのような役割をしてきたのか確定することに関心が行く人もあるでしょう。
だが、大切なことは、心情と血統と結婚から見た復帰原理の全体観から判断しなければならないというのです。
<アブラハムの根本問題と6人の女性たち>
神の祝福された血統の死守と神の心情の相続
1,神は神の愛する血統のみの繁殖を願われる。
EX. ①ハガルから生まれた子は神の嗣業の相続人にはしない。
②ラケルの女奴隷ビルハ(妾)やレアの女奴隷ジルバの子を望まれない。
2,神は神の血統の死守のために、神の愛する氏族の近親婚を求める。
EX.アブラハムとサラは、異母兄妹
ナホルとミルカは叔父と姪の結婚
イサクとリベカは従兄妹(いとこ)
アブラハムはイサクの嫁は親族から選びたいと考えた。
3,神の手にある聖婚と、サタンの手にある混淫
堕落した血統を聖別し純化するためには、
神の祝福しない血統との婚姻はしない。
神の祝福しない血統、すなわちサタンの血統との結婚は、サタンの血統が混入す
る混淫であり淫乱だというのです。
神の血統が薄まるのです。汚されるのです。
反対に、神の祝福する家族や氏族の成員による結婚は、神の血統を純化するので
聖婚であり善なる性愛だというのです。
神の血統が濃くなる。浄められるというのです。
よって生まれてくる子も、
「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」
マタイによる福音書3章17節
EX. ①神の祝福する血統のアブラハムと
そうでないサタンの祝福する血統のハガルによる性的関係は
神の血統にサタンの血統が混入する混淫。
②ヤコブとビルハやヤコブとジルバが性愛によって結ばれる事も同様
そう神の血統が薄まっていく。
4,神は神の祝福する血統を重んじる女性、自分の体面も生命も何もかもを失っても
神の祝福する血統を残そうとする女性を捜し続けておられる。
EX. タマルによって初めて神はそのような女性を見出す。
5,神が祝福した血統の子女を授けることのできる血統を愛する心情が確立するまで
神は御心に適った女性の胎を閉ざされる。
6,女性達の間に葛藤と闘争がなくなればサタンの存在基盤がなくなり血統はそれぞれ
アベルの血統カインの血統というような、相対的な血統ではなく、神の絶対的な血
統になります。
血統転換が完了するのです。
だから6マリアは記念すべき栄光と恩恵の奇跡なのだというのです。
EX.サラ・ラケル・タマル
堕落はエバによって引き起こされた。
エバがアダムを誘惑しアダムを堕落させた。
この時アダムがエバを突き放して、自分だけ完成したなら
エバの復帰は容易であった。
サラはアブラハムを誘惑(誘導)し、ハガルとの間に子を持つよう混淫を薦めた。
神の願わざる結婚(神の血統以外の血を混入)を誘導した。
ラケルとレアのような同一の父から生まれた姉妹のアベル・カインが理想でした。
姉と妹のアベルカインを複雑にして、義姉と義妹まで参加するまでにヤコブ家庭はなってしまいました。
アブラハムはこれを突き放さなければならなかった。
ところがこれを受け入れたために、神が祝福した血統が汚染され蹂躙されてしまった。
神の血統にサタンの血統を混淫(混入)した。
これがアブラハムの根本問題です。
この事実は判例のようになって、後孫の判断をおかしくした。
イサクは実体献祭の道を行き、サタンの死亡の血を流した。
彼はリベカ以外の女性を知らなかった。
リベカとは誰であったでしょう?
7年路程はなんでもなかった。
愛するラケルと結ばれるならどんな苦労も受けて立った。
ところが叔父のラバンはヤコブをだまして姉のレアと結ばれるように策略した。
ヤコブはこの罠にはまり、ラバンに抗議したが後の祭りであった。
狡猾なラバンはもう7年仕えればラケルも嫁がせると約束した。
ヤコブが騙されたことによってエバだけであった女性問題を姉妹型のアベル・カインを生み出してしまった。(未婚の姉をラケル同様神の愛で愛するだけでよかったかも)
さらにこの姉妹はそれぞれ妾をヤコブに与えて、アブラハムの時と同じ間違いを犯してしまった。だがこの子孫を外戚として、特に優秀な女性復帰などに神は用いた。
イエス様の時はこれを蕩減復帰するために、マリアとエリサベツが登場することになった。堕落後のアダム家庭のように単純にはいかなくなってしまった。
姉妹のアベル・カインとそれぞれの子である、イエス様と洗礼ヨハネという、ザカリアを中心とした腹違いの子供によるアベル・カインが登場してきた。
さて、詳細は省いて要点を言うと、
ヤコブの時もアブラハムの時のような、神の祝福した血統にサタンの血統が入り交じる、混淫が行われた。
そばめ=妾のことである。
ラケルがあてがったビルハと
レアがあてがったジルバによって
ヤコブの子供が生まれてきた。
神の血統にサタンの血統が混入する混淫があった。
ラケルはエバのように、ヤコブを誘惑(誘導)して、ビルハをあてがい姦淫を薦め子を宿らせたた。それは神が予定したヤコブの子ではなかった。
妾の子、姦淫の子、混淫の子であった。
神が祝福することができない、本来は、嗣業を相続させることもできない者たちであった。
レアもエバのように、ヤコブを誘惑(誘導)して、ジルバをあてがい姦淫を薦め子を宿らせた。それは神が予定したヤコブの子ではなかった。
姦淫とは原理的に定められた相対関係ではないということと、その動機が神の血統の繁殖でないことである。
ヤコブは時ならぬ時に、神の祝福とは関係のない者と、時のことをしてしまったのである。本来なら12数が必要であるとしても、ラケルが12人産むべきだが心霊と心情の成長が不十分なので神が胎を閉ざされた。サラの時を思い出してほしい。
ザカリヤの家庭において、
かってヤコブの時はサタンが妾を用いて姦淫をヤコブにさせ、神の血統の混淫を招き混乱を生じさせたので、
今度は「堕落の時とは逆の経路」の原理原則から、妾を用いて神の血統を現す。
神は妾(マリア)を用いて、形の上では見かけ上姦淫に見せかけ、実際には死んでも姦淫をしない男女が神の御心故に、死線を超えて、サタンの死亡の血を流し抜き去って、そこに原罪の精算された神の血統を誕生せしめた。
イエス・キリストの誕生のことです。
このことは再臨の時にもしも予定されていた天の女性が失敗した際には、
婚姻関係が続く夫婦のときに、妾の立場のような女を復帰して結ばれなければならないことを暗示している。
アブラハムの家庭的摂理の進展がままならなかったため
三代に渡って延長することになった。
そこで、
三代で一代、三家庭が一家庭とみなされる。
アブラハムの家庭のサラとハガルの問題と
またレアとはした女ジルバ
合計6人の女性問題を
誰かが一家庭一代によって蕩減復帰して、解消しなければならなくなったのです。
その道は
男性にとって愛の拷問の道だというのです。
女性にとって愛の拷問の道だというのです。
それを目の当たりにする子女にとって
愛の拷問の道だというのです。
よって何人も御子女様を非難してはならない。
堕落がなければ全て必要がなかったことだというのです。
ヤコブが14年も苦労してでも愛し合い共に幸せを分かち合いたいと思ったかけがえのない女性がラケルであったように、
お父様の胸の中には永遠絶対に愛されるお母様がただ一人おられるのです。
どのような屈辱的で奴隷のような引き裂かれるような道を行こうとも
真のお父様の清らかな愛は、ただただお母様のためだけにあり、捧げられた真の愛なのです。
魔法をかけられた栄光のお母様を救う為の教科書 PDF版は以下からダウンロードできます。
資料 | サンクチュアリ教会 Cyberサンクチュアリ人協会
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