原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

3,アダムとエバの堕落から「復帰されたエバ」  一枚の写真から6マリアを読み解く

「しかし、私が見たお父様は、世界的な偉業をなした側面でなく、私が見たのは、神様の立場で人を見、神の耳で聞く男性を、本当に目にしたのです。それは、本当に私を感動させました。私は、決してそのようなことができる人を、想像できませんでした。」 李妍雅 様

 

だが、我々はメシアではない。血統転換の奥義は、御言葉を誰よりも知るサタンですら知ることができない内容でした。

お父様の若き日の祈祷目標の筆頭は「サタン以上の知恵を与え給え!」

したがって100%を求めること自体が不可能だというのです。

だからパレートの法則のように、全体の20%でありながら、全体の80%を表す何かを掴むことに集中して、他は切り捨ててしまう。

当たらずとも遠からず、「これだけ6マリア」という理解を目指し

その他一切は真のアダムの解法に委ねるべきだというのです。

それで十分。神を知らず統一原理を否定する者たちの試練を

乗り越えて行けるでしょう。

 

20くらいの頃「復帰されたエバ」という言葉があることを知った。

うる覚えではあるが「崔元福先生」を指していた。

言葉通りの、ただ復帰された女性だとしかわかる者は、私の周りにはいなかった。

要は全く分からない言葉でした。

 

<公式 1>

創造本然:アダム→エバ→天使長

     息子  娘  僕

堕落以降:天使長→エバ→アダム

 

<公式1>から、

天使長によって懐に抱かれたエバを復帰して元返す

そうして取り戻したなら、これが「復帰されたエバ」ということなのか?

 

ではこれをイエス様に当てはめてみると、

一番関係がありそうなのが、母マリアです。

<公式8>

霊肉の堕落の結果

天使長→サタンになった偽りの父

エバ→天使長の妻にしてアダムの偽りの母

アダム→父サタンとサタンの妻にして母となった堕落エバの子 

 

これをもう少し詳しく書くと

先ず、堕落以前はアダムが兄でエバが妹でした。

 

①心情的堕落:天使長が兄でエバが妹<婚約状態>

②霊的堕落:天使長が夫でエバが妻<結婚状態>

③肉的堕落:天使長が父でエバが母でアダムは子(種のない天使)<家庭状態>

 

さらに天使長の立場から一連の堕落を見ると

エバとアダムの性行為(結婚)は

偽りの父サタンの精子を妻になったエバの胎に仕込んで子供であるアダムを生んだ行為

 

エバの堕落:妹→妻→母

復帰:母→妻→妹

 

アダムは母のエバと妻のエバを経て初めて妹

すなわち婚約者の妹を取り戻すことができる。

 

肉的堕落では、エバは天使長の妻であり、アダムの母

これを元返して

アダムの母であり妻である女性との性行為(結婚)を経て

本来の相対者である妹のエバを取り戻すことになる。

 

復帰されたエバはイエス様の母マリア

 

一説に原理原本にはイエス様と母マリアが結婚しなければならなかったとの記述があるという。

 

堕落したエバは単なる堕落した妹ではなく

サタンの妻になり、サタンの精子を仕込まれた母

そのサタンの精子によってエバを通して生まれてきたのがアダム

 

そこで、イエス様は復帰されたエバである母であるマリアを妻のように迎えて一体となり蕩減復帰しなければならないと考えられる。

 

全ては人間が責任を果たさなかったが故に、

堕落の時と逆の経路を歩まさなければならないことになってしまった

蕩減復帰の道です。

 

復帰:母→妻→妹

 

復帰されたエバは復帰された母

それゆえお母様と呼ばれるべき

エス様のお母様はマリア

 

崔元福先生は「お母様」と呼ばれた

何のことかわかりますか?

 

 

<1枚の写真から6マリアを読み解く>

 

一番詳しいとされる神を否定する者・お父様を否定する者・統一原理を否定する者の

資料が参考にならないのだから、

神側の者から、客観的事実とそれに準ずる資料を得て考察することに

方向転換すると、

6マリアと噂された女性達が4代聖人と霊界祝福を受けたことが食口にひろがったことがありました。

以下のサイトから文章を引用します。

聖マホメット家庭の養子縁組!?|この道どの道

 

1998年6月13日、アメリカ、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン

で第1次3億6千万組の国際祝福式があった時にイエス孔子、釈迦、マホメットソクラテスの五大聖人をはじめとして52億の霊人たちも祝福を受けた。

 

真のご父母様はこの五大聖人の祝福に特別な価値を置かれ、公式行事でも何度かその意味を強調された。さらに公式、私式でもまた“聖人の血筋を残さないといけない”とされ「聖人家庭に養子を立てなさい」と語られた。

それで今回、真のお母様の許しの中で行われた

 

 

私にとってはこの記念すべき一枚の御写真が、客観的事実を物語っているように思われます。

右上に楕円の中におられるのが、崔元福先生です。

ここにおられなかったので写した写真を合成しての参加のようです。

はたして、これは偶然にそうなったのでしょうか?

 

ここにおられる方はタマルのように絶対「性」の勝利者達でしょう。

崔元福先生は上記に書きました。

他の方同様、タマルのように死を超えて神の血統を残さんとする女性でしょう。

だが、6マリヤとは違うことでしょうけれども、本質的には同一の使命だと言えることでしょう。

だから自然に枠に囲まれているのでしょうか?

不思議なことです。

「6マリア」という言葉の6数に神の役事の重要な意味があるとすれば

6マリアというように重要な6人の女性が復帰摂理歴史の中心史に出てくるのは、

ヤコブ家庭においてでした。これを重視すれば、

 

ヤコブが初めに結婚したのが姉のレア。

これに対応するのは、最初の方がおられないので、

お父様が先に結婚した金明熙様でレア格マリア

ヤコブが次に結婚したのが妹のラケル

これに対応するのは、

お父様が次に結婚された韓鶴子お母様でラケル格マリア

その他の方はヤコブに二人の姉妹があてがった妾の立場のマリア

誰がどうのはここでは問題にしません。

 

こう見るのが一番スッキリするようです。

後ろに並んだ5人の中では金明熙様が、中央に立たれて良さそうに思いますが、

どうやらイエス様に敬意を表して、そのご婦人である

張貞順様に譲られているようです。

 

これは特別な記念撮影ですが左から

 

マホメットの妻 李貞玉

ソクラテスの妻 金明熙

エス様の妻 張貞順

孔子の妻 李京俊

アウグスチヌスの妻 姜賢實

 

仏陀の妻 崔元福

 

人類歴史において人類の心霊と真理の向上に著しく貢献した聖賢が

6マリアの女性達と霊界祝福を受けられました。

 

神の絶対「性」を勝利した女性に、

善の天使長が創り、また発展させてきた、宗教思想の代表的最重要人物を

神の絶対「性」と家庭に連結することによって

宗教統一の道を切り開く祭物であり祭壇がこの役事だというのです。

 

そうすることによって、神の一つの血統と一つの家庭、一つの血族と一つの王国を築き、億代兆代にまで永遠に神と人が至福に生きることできる、円和園理想を取り戻し、

築いていくのだというのです。

功労のあった聖賢たちにはその血統を本然の立場に浄め与えて、養子を持つことによって子孫を残してあげようとまでいうのです。

これが驚くべき神の恵みでなくて何でありましょうか?

 

聖マホメット家庭の養子縁組!?|この道どの道

 

マホメット イ・ジョンオク家庭のムン・ベイグァン養子入籍式

内容要約すると、、

去る(2014年)11月15日、天福宮教会2階で36家庭を始めとする120名ほどが集まって聖マホメット イ・ジョンオク家庭のムン・ベイグァン養子入籍式が行われた。“この養子入籍式を通して天上と地上の多くのイスラム信徒たちが連結される実体的な基盤を持つようになった”と摂理的な意味を説明した。
これは統一家の名門家庭の誕生を意味する。

1998年6月13日、アメリカ、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン
で第1次3億6千万組の国際祝福式があった時にイエス孔子、釈迦、マホメットソクラテスの五大聖人をはじめとして52億の霊人たちも祝福を受けた。

真のご父母様はこの五大聖人の祝福に特別な価値を置かれ、公式行事でも何度かその意味を強調された。さらに公式、私式でもまた“聖人の血筋を残さないといけない”とされ「聖人家庭に養子を立てなさい」と語られた
それで今回、真のお母様の許しの中で行われた。

 

どうして養子なのに血統は聖賢のものだというのでしょうか?

血統転換がわかればわかることでしょう。

何の話しかわかりますか?

 

婦人達が如何なる方かは知りませんが、

お父様の立場で考えてみるなら、

この家庭的勝利を天宙的勝利に飛躍させる工夫があっても良さそうなものです。

例えば

 

旧約時代の12双からマリア

新約時代の12双からマリア

成約時代の12双あるいは真の御家庭からマリア

 

ノアの箱舟の三層やアブラハムの三種の供え物のように

最終的な御言葉と心情と血統の祭物ならしめる役事であってもおかしくはないと思われます。

 

何を言いたいかと申しますと、

以上のことがどうのこうのというのではなく

たとえ我々の知られざることがまだ、絶対「性」に関していくつもあったとしても

狼狽えるなというのです。うろたえるなと。

お父様ははっきりそうおっしゃっておられるのです。

「君たちは先生が下半身を主管できない男だと思うか?」

 

もしそう思うなら、父と我々は何の関わりがあるというのでしょうか?

 

 

6マリアは本来1マリアで良かったものが

ヤコブの家庭で6マリアに増えてしまったものを収拾して

6人でありながら一人であるかのような一心の6女性になるべき使命があったと思われます。

 

舌足らずの前座は引っ込んで、お父様の御言葉で閉めて頂きましょうか。

たしか、ちゃぬさんのブログの何処かから知ったものです。

有り難うございます。

 

『先生にも二人の女性がいます。聖進様のお母さんと真のお母様です。二人が戦わないで、如何に一つになるかが問題です。ヤコブを中心として見ると、レアとラケルがいました。ヤコブの願いはラケルとの結婚でしたが、先にレアを抱きました。ここにラバンがいます。そして彼の妻がいます。このラバンはサタン側です。長女をしてヤコブを誘惑するのですヤコブラケルを願いましたが、ラバンは、レアとヤコブとの結婚を願いました。互いにぶつかったのです。夜一緒に寝て、朝、起きてみるとレアだったのです。それで、ラケルのために、また七年間を費やしました。世の中にそのようなことがあり得ますか。ヤコブに息子・娘が生まれましたが、自分が願った息子・娘でしたか、願わない息子・娘でしたか。レアとラケルには愛の喧嘩がありましたか、ありませんでしたか。これが問題です。
 神様の立場は、悪魔までも等しく愛するべきなのに、それと同じ愛がないためサタン側になるのですヤコブの時代に、先生が教えてあげることができたならば、どれ程良かったでしょうか。ラバンの妻は母として、長女と次女を一つにしなければなりませんでした。そのようになればサタンはあり得ません。それを知らなかったのです。二人が愛の喧嘩をしました。女性達の喧嘩が、十二人の子供達の戦いに展開されるのです。二人の女性が一つにならなかったために、後孫は、イスラエルの十支派とユダの二支派に分かれました。本来ならば、父が一人なので一つにならなければなりません。誰が一つに結ぶかというと女性達です。
 イエスの時代も同じです。洗礼ヨハネとイエスです。マリアとエリサベツも一つにならなければなりません。洗礼ヨハネとイエスは兄弟の関係です。ザカリヤを中心として一つにならなければなりません。イエスはマリアを通して生まれましたが、イエスの父は誰ですか。原理で見るとザカリヤにならなければなりません。聖書では未解明です。そうすると、洗礼ヨハネは兄です。エリサベツの立場がレアであり、マリアの立場はラケルです。ここで、父と一つになり、母と一つになったならば、洗礼ヨハネの家系も一つになり、イエスの家系も一つになります。そのようになれば、洗礼ヨハネはイエス様を裏切ることができません。ザカリヤも分からなかったし、母も分からなかったのです。皆、知らなかったの
で、イエス様は迫害を受け、十字架につけられて亡くなりました。
 イエス様は結婚をしなければなりませんでした。洗礼ヨハネの妹がいなければ、洗礼ヨハネの知人を通して結んであげるべきだったのです。マリアと洗礼ヨハネが話し合ったり、この三人が一つになったならば、イエス様は死ぬはずがありません。結婚ができておれば、イエスの時代に完全に蕩減することによって、イスラエル国を中心として完全に一つになったのです。カイン・アベルに分かれたすべてが、母を中心として、自動的に一つになり、統一圏が起こるのです。このようになったならば、アジアを中心として、儒教仏教が自然に一つになります。そうすることによって、西洋のローマは問題ではありません。全部一つになって、ローマを消化するのです。このようになっていれば、キリスト教が西洋
から始まるのではなく、東洋から始まり、完全に西洋を吸収したことでしょう。
 公式的なプログラムを通して摂理されるのです。皆さんの家庭も同じです。祖母・母・姉・義姉・妹・義妹など女性達がたくさんいますこの女性達が皆、和動して一つになれば喧嘩はありません。女性が問題です。ここで喧嘩すれば大変なことになります。サタンが入って来るのを知っているならば、喧嘩はしないのです。このような訓練をしなければなりません。神様が忍耐し、真の父母様が、それを全部消化して来ました。神様と先生を中心として、怨讐を愛しているのに、自分の血族を互いに一つにできないはずがありません。自分の血統であり、一族です。皆さんの怨讐を愛さなければなりません。家庭内の小さな怨讐を愛さなければ天国に行けません。二人の男性と二人の女性を皆、受け入れて愛さなければならないのです。

 女性達の喧嘩によって、イスラエルの十支派とユダの二支派に分かれ、イスラエルの王国が亡びました。イエスが十字架につけられた原因がここにあったのです。ヨセフを十人の兄弟が売り飛ばしました。怨讐になって売り飛ばしてしまいました。故にサタン側です。サタンは神様にとって愛の姦夫であり、愛の怨讐です。しかし、神様は怨讐を処断することができません。サタンが「神様、原理原則はこうではありませんか」と讒訴して来ると、神様はいつも「そうだ、君の言うことは正しい」と、愛の怨讐を自分の身のように愛するのです。自分と同じように愛することは、神様にとってどれ程苦痛でしょうか。エス様も同じです。先生も同じです。分かりましたか。』
(世界の女性の復活と解放 1993年2月1日 ベルベディア)

 

次回は以前にこのブログで書いたことのある6人の女性、6マリアの内容について

控えめにヤコブと妻達をとりあげて書いたところを加筆修正して、続きを述べていきたいと思います。

その先に「堕落天使長による堕落の動機と経路」をお話しいたします。

 

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