原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

亨進様は侍がお好き?             侍の心は志にあり その魂魄は漢詩にある

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 亨進様はサムライがお好きなようである。

居合いは鞘を抜いた時に既にひとりを斬っている。

だが サムライの魅力は文武両道 文は漢詩に表現された境涯である。

是非 サムライの性相もさらに理解されんことを。

願わくは 英語のできる方は英訳して何かご紹介して差し上げてくだされ。

幕末維新の志士には優れた漢詩が多く存在しているのだから。

 

先日ご紹介した、林田 慎之助氏による「幕末維新漢詩の解説はすこぶる面白い。また格調が高い。幕末維新の志士たちの心意気を知りたいと思う方には是非読んで頂きたい。

同じ牢獄に吉田松陰も囚われていることを知って、吟じた橋本左内漢詩は切ないものがある。濡れ衣を着せられて無実であるのに26歳で果てた侍がどうしてこうも存在感があるのだろうかと、昔の人のスケールの大きさにひれ伏してしまう。

 

林田氏の厳選の漢詩にはそれぞれ味わい深いものがあるが、その中で特に私は、佐久間象山西郷隆盛勝海舟の三人の漢詩に惹かれる。以下漢文と読み下し文は上記の本による。林田氏の読み下し文を本に、本人のものとは別に、口語訳文を作ってみた。

先ずは象山先生から

 

謗者任汝謗 謗る者は汝の謗るに任せ

嗤者任汝嗤 嗤(わら)う者は汝の嗤うに任す

天公本知我 天公(てんこう)は本より我を知る

不覓他人知 他人の知るを覓(もと)めず

 

誹謗中傷があるなら あなたの好きに任せ

嘲笑侮蔑もあるなら あなたの好きに任せる

天(帝)は本より私を知っている

他人の理解など求めたりはしない

 

良い文章だ。説明はいらないね。

昔の志士には天を相手にした人が多く見られる。

 

林田氏によれば、海舟は南洲の死後、逆賊としてレッテルを貼られた南洲の名誉回復に尽力し、機を見て明治天皇に賊名を除くよう建言し、正三位を追贈されという。また上野にある銅像を建てることにも一役買ったばかりか、自費で現在の葛飾区東四つ木にカキツバタで有名な寺がありそこに南洲の漢詩を選んで留魂碑まで建てたという。

残念ながら我が故郷の四つ木から大正時代に大田区に移されているという。洗足池あたりの海舟夫妻の墓があるところに、一緒に並んでいるらしい。

西郷隆盛の留魂碑

 

江戸城明け渡し」が、特にの二人によって達成され、江戸を焦土とすることを回避できたことは、大変な功績であった。

海舟が選んだ南洲の漢詩

 

洛陽知己皆為鬼 洛陽の知己 皆鬼と為り

南嶼俘囚独窃生 南嶼の俘囚 独り生を盗む

生死何疑天賦与 生死何ぞ疑わん 天の賦与なるを

願留魂魄護皇城 願くば魂魄を留めて皇城を護らん

 

都の友人は 既に皆 鬼籍に入ってしまったが

南の孤島(沖永良部島)に私は囚人として 独り徒に生きながらえている

生きるも死ぬも構うものか 天が時と場所を与えるものならば

願いはただ 魂魄を留めて皇城を護りたいのだ

 

私の好きな勝海舟の晩年の漢詩には以下のようなものがある。

 

多年蹤跡没埃塵 多年の蹤跡(しょうせき)埃塵(あいじん)に没す

揣摩心情思天真 心情を揣摩(しま)して天真を思う

華屋雖美是浮栄 華屋(かおく)は美なりと雖も是れ浮栄(ふえい)

富如泡沫名如烟 富は泡沫の如く名は烟(けむり)の如し

笑看江山依然碧 笑って看る江山は依然として碧(みどり)なるを

行蔵豈亦関干人 行蔵 豈に亦人に関せんや

風捲敗葉夜寂寂 風は敗葉を捲いて夜は寂々

嘯響凛然一剣寒 嘯響(しょうきょう)凛然として一剣寒し

 

永年に渡る政(まつりごと)の足跡は塵芥(ちりあくた)に埋没した

心情を推し量って天の御意(みこころ)を思う

華やかな屋敷は外見こそ美しいが 虚栄でしかない

富は泡のようなもので 名誉もけむりのようだ

ただ笑って臨み見る 碧(みどり)讃える山河

自分の出処進退は 人にとやかく言われる筋合いのものではない

風は落ち葉を捲いて 夜は静寂(しじま)の中にある

嘯(うそぶ)き歌い 凛として鞘より抜き立てた白刃の剣に 武者震いが起こる

 

 

 

幕末維新の漢詩: 志士たちの人生を読む (筑摩選書)

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