イエス様の12弟子とは何者か? レスリー B フリン 「12使徒」に学ぶ
:12)このころ、イエスは祈るために山へ行き、夜を徹して神に祈られた。
:13)夜が明けると、弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選び出し、これに使徒という名をお与えになった。
:14)すなわち、ペテロとも呼ばれたシモンとその兄弟アンデレ、ヤコブとヨハネ、ピリポとバルトロマイ、
:15)マタイとトマス、アルパヨの子ヤコブと、熱心党と呼ばれたシモン、
:16)ヤコブの子ユダ、それからイスカリオテのユダ。このユダが裏切者となったのである。
ルカによる福音書6章12~16節
イエス様の公生涯3年を共に歩んだ使徒の代表が12使徒あるいは12弟子である。
それ以前がイエス様の個人路程であったことから、12弟子としての歩みは最大で3年程度ということになる。
ただし、聖書によれば安息日の意義を知らずに麦を食べていたりする者もあった。
信仰をしている段階から、神の御旨のために献身している段階にあったのが12使徒であった。
モルモン教徒は昔聞いた覚えでは、やはり3年間の献身生活を若い信徒がされていると聞いた。これは、上記のことに基づいているのかも知れない。
主と共に御旨に献身生活をしている者の中から立てられ、僅かな期間の薫陶を受けて選ばれた若い方々であったと思われる。
レスリー B フリンの「12使徒」によって学んでいきたい。
<若い者>
使徒たちは、老人ではなく、たぶん20代の青年たちだったと思われます。ヨハネが18か19、ペテロが30歳に近かったでしょう。ペテロは結婚していました(マタイ8・14)。聖書は、他の使徒たちの中にも妻帯者があったことを暗示しています。(Ⅰコリント9・5)彼らは下層か中流階級の出身で、普通の職業について生計を立てていました。全員ユダヤ人でした。 P6
祝福二世の皆さん。
あなた方こそ亨進様の12使徒になるべきである。
私はただ考えを先日述べたに過ぎないがイギリスでは、祝福二世がサンクチュアリの会長職になったと聞く。その方の父は当ブログでも掲載したYouTube動画に登場されたお母様をこよなく愛される信徒であった。
イギリスは実に良い選択をした。
同じ島国、女性国家であるニッポンの面目躍如なるか?
祝福二世の弱点は何か?
それは献身者が極端に少ないことである。
何故、原罪が精算された二世の方が、原罪の中で生まれた一世より
頼もしく思えないのであろうか?
これがわからなかった。
だが、我々一世の若き日は、献身者がスタンダードであった。
統一教会は実に敷居の高い組織であった。
それはメシアと共に歩む者たちによる組織だからである。
したがって、勤労青年などの信徒は伝道実践をしていても
一人前には見られなかった。
献身していなかったからである。
主は、全てを捨てて私に従いなさい、と言われる。
イエス様が問題にしたのは、このことである。
そしてこうして付き従ってきた信徒は聖徒と呼ばれている、
その聖徒から70人が選ばれ、さらに厳選されて12使徒が決まった。
使徒とはどのような語源を持つのであろうか?
使徒の意味。キッテルの新約聖書辞典によれば、古代ギリシャ語の「使徒」は、最初、艦隊や軍隊を遠征に派遣することを意味しました。その後、艦隊自体を指すようになり、それから最後に、特別な目的のために遣わされる人々の一団を意味するようになったのです。すなわち、公式に、正当に、信任され、権限を与えられた代表者を意味しました。新約の時代までは、使徒とは、最高の権力を委任されて、メッセージを携えて行く人のことでした。この言葉の動詞形は、文字通り「送り出すこと」を意味します。 P10
特定の任務を持つ機動部隊のことをタスク フォース(task force)というが、企業でいえばプロジェクト チームである。
確かチャック・ノリスがアメリカ陸軍の特殊部隊デルタ フォースのメンバー役で、映画かドラマに出演していたが、この下部組織であるタスク フォース20がサダム・フセインの捜索に関わったようである。
当初は、神のみ旨を述べ伝え布教する電撃部隊のような勇ましいイメージなのかも知れない。
:14)そこで十二人をお立てになった。彼らを自分のそばに置くためであり、さらに宣教につかわし、
:15)また悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。
:16)こうして、この十二人をお立てになった。そしてシモンにペテロという名をつけ、
:17)またゼベダイの子ヤコブと、ヤコブの兄弟ヨハネ、彼らにはボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられた。
:18)つぎにアンデレ、ピリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルパヨの子ヤコブ、タダイ、熱心党のシモン、
:19)それからイスカリオテのユダ。このユダがイエスを裏切ったのである。イエスが家にはいられると、
:20)群衆がまた集まってきたので、一同は食事をする暇もないほどであった。
マルコによる福音書3章14~20節
12使徒は我々と同じように、特別な能力を持った人たちと言うよりは、堕落性を持っている堕落人間であったことを聖書は描いている。
ペテロは魚のにおいをさせてそこに立ちました。無骨者で、やぼったく、衝動的で、性急な人物です。アンデレ、ヤコブ、ヨハネも魚のにおいがして洗練されたところはありません。ピリポは優柔不断に見えました。トマスは皮肉たっぷりでした。マタイは母国の反逆者と見られていました。熱心党員のシモンは危険な革命論者でした。ユダは盗人でした。P18
お父様が我々を妖邪な者たちというのに似ている。
フリンによると、イエス様はシモンと初めて会われた時に、彼を劇的に「岩」と呼んだが、それは彼に相応しい呼び方ではなかった。だが、主が彼の性格の弱点である、衝動的な面や心の変わりやすい面を知って、それを神の導きによって克服できるであろう希望を抱かせようとシモンを励まされたという。
また、ヤコブやヨハネには「雷の子」と呼ばれることによって、彼らの激しいかんしゃく持ちで雅量のない性格を気づいていておられたことを、彼らに知らせようとした。
マタイというのは、「神の賜物」という意味の名前であった。おそらく人々に軽蔑されていた取税人であったレビが、そのいかがわしい全ての過去を払拭し、無償で許されたことを知らせるためだったろうと語る。
彼らは何度も失敗し、イエス様の説教が理解できず、もう一度繰り返して説明してほしいと願わなければならず、イエス様の復活の預言を理解できなかった。
:19)イエスは彼らに答えて言われた、「この神殿をこわしたら、わたしは三日のうちに、それを起すであろう」。
実際イエス様は明解に預言されている。
:31)それは、イエスが弟子たちに教えて、「人の子は人々の手にわたされ、彼らに殺され、殺されてから三日の後によみがえるであろう」と言っておられたからである。
:32)しかし、彼らはイエスの言われたことを悟らず、また尋ねるのを恐れていた。
マルコによる福音書9章31~32節
:32)さて、一同はエルサレムへ上る途上にあったが、イエスが先頭に立って行かれたので、彼らは驚き怪しみ、従う者たちは恐れた。するとイエスはまた十二弟子を呼び寄せて、自分の身に起ろうとすることについて語りはじめられた、
:33)「見よ、わたしたちはエルサレムへ上って行くが、人の子は祭司長、律法学者たちの手に引きわたされる。そして彼らは死刑を宣告した上、彼を異邦人に引きわたすであろう。
:34)また彼をあざけり、つばきをかけ、むち打ち、ついに殺してしまう。そして彼は三日の後によみがえるであろう」。
同 10章32節~34節
だが、悟りが悪かったという。
:44)「あなたがたはこの言葉を耳におさめて置きなさい。人の子は人々の手に渡されようとしている」。
:45)しかし、彼らはなんのことかわからなかった。それが彼らに隠されていて、悟ることができなかったのである。また彼らはそのことについて尋ねるのを恐れていた。
ルカによる福音書9章44~45節
イエス様が実際に復活されても最初は信じられず、かえってイエス様の敵のほうがイエス様を信じて、墓を封印するように要求したのだという。
:62)あくる日は準備の日の翌日であったが、その日に、祭司長、パリサイ人たちは、ピラトのもとに集まって言った、
:63)「長官、あの偽り者がまだ生きていたとき、『三日の後に自分はよみがえる』と言ったのを、思い出しました。
:64)ですから、三日目まで墓の番をするように、さしずをして下さい。そうしないと、弟子たちがきて彼を盗み出し、『イエスは死人の中から、よみがえった』と、民衆に言いふらすかも知れません。そうなると、みんなが前よりも、もっとひどくだまされることになりましょう」。
:65)ピラトは彼らに言った、「番人がいるから、行ってできる限り、番をさせるがよい」。
:66)そこで、彼らは行って石に封印をし、番人を置いて墓の番をさせた。
マタイによる福音書27章62節~66節
フリンによると、12人は4人ずつ3つのグループを構成しているようだという。
3つのグループには、それぞれ同じ順ではないが、いつも同じ名前があり、同じ名前で始まる人がそのグループのリーダーではないかという。
第一グループ(1~4)筆頭ペテロ(1番目)
第二グループ(5~8)筆頭ピリポ(5番目)
第三グループ(9~12)筆頭のアルパヨの子ヤコブ(9番目)
さらに面白い指摘をして
最初のグループについて言えば、この中の3人が、主との関係を持つ恵に浴していました。ペテロとヤコブとヨハネだけが、ヤイロの娘の復活、変貌、ゲッセマネのイエスの苦悩を見る特権にあずかりました。P15
マタイ10:2-5 マルコ3:16-19 ルカ6:14-16 使徒1:13
1 シモン シモン シモン ペテロ
(ペテロ) (ペテロ) (ペテロ)
2 アンデレ ヤコブ アンデレ ヨハネ
3 ヤコブ ヨハネ ヤコブ ヤコブ
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5 イリポ ピリポ ピリポ ピリポ
(ナタナエル) (ナタナエル) (ナタナエル) (ナタナエル)
7 トマス マタイ マタイ バルトロマイ
(ナタナエル)
8 マタイ トマス トマス マタイ
-----------------------------------
10 ダダイ ダダイ シモン シモン
(ユダ) (ユダ) (熱心党員) (熱心党員)
11 シモン シモン ユダ ユダ
(熱心党員) (熱心党員) (ダダイ) (ダダイ)
・ユダ ・ユダ ・ユダ
4人のグループに分けられていたのではなく、4人が二人一組になって、二人ずつの6グループを形成していたらしいと言う。
学者たちはイエス様が使徒たちの個性や性格また長所と短所を理解して組み合わせ、補なっていると指摘しているそうである。
例えば、率直なペテロと沈思黙考型のヨハネ、慎重で計算高いピリポと、単純な信仰の純真なナタナエル、疑い深いトマスと、強い確信をもったマタイというように組まれたという。
それでは使徒の資格はどうであったのか、フリンは5点にまとめている。
<使徒の資格>
1 彼らは最初からイエスに同行していました。ペテロは、ユダの使徒職の補充を必要とした時、後継者は次のような者から選ばれなければならないと言いました。すなわち、「主イエスが私たちといっしょに生活された間だ、すなわち、ヨハネのバプテスマから始まって、私たちを離れて天に上げられた日までの間、いつも私たちと行動をともにした者の中から」(使徒1・21~22)選ばれなければならなかったのです。
2 彼らはイエスの復活の後に、イエスを見た人たちでした。ユダの補充に先立って、ペテロは再び、後継者は「私たちとともにイエスの復活の証人」(22節)でなければならないと言いました。
3 彼らは、教会の教理的な土台を据えました。イエスは、使徒たちをすべての真理に導いてくださる聖霊を送ると約束されました。この約束の成就のうちで一つの重要なことは、聖霊によって霊感された新約聖書の啓示でした。後世において、信徒たちは、12使徒たち、あるいは、マルコ、ルカ、ヨハネのような使徒たちの身近にいて人たちから出た著作のみを神聖な正典に入れたのでした。
4 彼らは、教会の組織の基礎を据えました。これは、かぎを用いることも意味しました。(マタイ16・18~19)。ペテロの導かれて、彼らは、福音のとびらをユダヤ人だけでなく(使徒2・38~41)、半ユダヤ人であるサマリヤ人にも(8・14~17)、コルネリオ家(10・44~48)とアンテオケ(11・22~23)の異邦人にと開いたのでした。福音がユダヤ人の境界を越えて外部に進出して行く時、そのそれぞれのステップにおいて、使徒の承認が求められました。
5 彼らは、奇跡を行う力を持っていました(使徒2・43,5・12,8・18)
。奇跡を行う力を持つ目的は、彼らのメッセージが本物であることを証明するためでした(Ⅱコリント12・12、ヘブル2・4)
使徒という言葉は、正式には、これらの資格を独自に持つ12使徒に限定されます。(使徒9・27、Ⅰコリント15・7)。使徒たちが死んだ時、狭い意味での使徒としての職務は、彼らと共に消滅したのです。
パウロは使徒と呼ばれた人物であったが、12使徒の中には入っていない。
フリンによれば、多くの人は、ユダの脱落によってできた穴埋めをマッテヤではなく、パウロを後継者にすべきであったと言う。ところが、
<使徒たちのパウロの回心に対する疑念>
:26)サウロはエルサレムに着いて、弟子たちの仲間に加わろうと努めたが、みんなの者は彼を弟子だとは信じないで、恐れていた。
:27)ところが、バルナバは彼の世話をして使徒たちのところへ連れて行き、途中で主が彼に現れて語りかけたことや、彼がダマスコでイエスの名を大胆に宣べ伝えた次第を、彼らに説明して聞かせた。
:28)それ以来、彼は使徒たちの仲間に加わり、エルサレムに出入りし、主の名によって大胆に語り、
使徒行伝9章26節~28節
パウロは復活の主の証人であるだけでなく、主イエスに任命された使徒であり、特別な啓示を受けた者であると、断固主張したが、また12使徒を自分とは隔てられたグループとして認めてもいた。
:3)わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、
:4)そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、
:5)ケパに現れ、次に、十二人に現れたことである。
:6)そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れた。その中にはすでに眠った者たちもいるが、大多数はいまなお生存している。
:7)そののち、ヤコブに現れ、次に、すべての使徒たちに現れ、
:8)そして最後に、いわば、月足らずに生れたようなわたしにも、現れたのである。
:9)実際わたしは、神の教会を迫害したのであるから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者である。
第一コリント 15章3節~9節
では、ユダが脱落した空白を埋めた、マッテヤについては如何にして選出されたのであろうか?
:22)すなわち、ヨハネのバプテスマの時から始まって、わたしたちを離れて天に上げられた日に至るまで、始終わたしたちと行動を共にした人たちのうち、だれかひとりが、わたしたちに加わって主の復活の証人にならねばならない」。
:23)そこで一同は、バルサバと呼ばれ、またの名をユストというヨセフと、マッテヤとのふたりを立て、
:24)祈って言った、「すべての人の心をご存じである主よ。このふたりのうちのどちらを選んで、
:25)ユダがこの使徒の職務から落ちて、自分の行くべきところへ行ったそのあとを継がせなさいますか、お示し下さい」。
:26)それから、ふたりのためにくじを引いたところ、マッテヤに当ったので、この人が十一人の使徒たちに加えられることになった。
使徒行伝1章22~26節
お父様も時々くじ引きで決められることがあったが、新約の使徒もこのようにしていたということである。
復活のイエス様に会い地の果てまで宣べ伝える彼らは、変貌したくましかった。
例えばそれは、ステパノが殉教した直後に、彼らの決心覚悟が本物であったことがわかる。
:1)サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起り、使徒以外の者はことごとく、ユダヤとサマリヤとの地方に散らされて行った。
:2)信仰深い人たちはステパノを葬り、彼のために胸を打って、非常に悲しんだ。
:3)ところが、サウロは家々に押し入って、男や女を引きずり出し、次々に獄に渡して、教会を荒し回った。
:4)さて、散らされて行った人たちは、御言を宣べ伝えながら、めぐり歩いた。
:5)ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べはじめた。
:6)群衆はピリポの話を聞き、その行っていたしるしを見て、こぞって彼の語ることに耳を傾けた。
:7)汚れた霊につかれた多くの人々からは、その霊が大声でわめきながら出て行くし、また、多くの中風をわずらっている者や、足のきかない者がいやされたからである。
:8)それで、この町では人々が、大変なよろこびかたであった。
:9)さて、この町に以前からシモンという人がいた。彼は魔術を行ってサマリヤの人たちを驚かし、自分をさも偉い者のように言いふらしていた。
:10)それで、小さい者から大きい者にいたるまで皆、彼について行き、「この人こそは『大能』と呼ばれる神の力である」と言っていた。
:11)彼らがこの人について行ったのは、ながい間その魔術に驚かされていたためであった。
:12)ところが、ピリポが神の国とイエス・キリストの名について宣べ伝えるに及んで、男も女も信じて、ぞくぞくとバプテスマを受けた。
:13)シモン自身も信じて、バプテスマを受け、それから、引きつづきピリポについて行った。そして、数々のしるしやめざましい奇跡が行われるのを見て、驚いていた。
:14)エルサレムにいる使徒たちは、サマリヤの人々が、神の言を受け入れたと聞いて、ペテロとヨハネとを、そこにつかわした。
:15)ふたりはサマリヤに下って行って、みんなが聖霊を受けるようにと、彼らのために祈った。
:16)それは、彼らはただ主イエスの名によってバプテスマを受けていただけで、聖霊はまだだれにも下っていなかったからである。
:17)そこで、ふたりが手を彼らの上においたところ、彼らは聖霊を受けた。
:18)シモンは、使徒たちが手をおいたために、御霊が人々に授けられたのを見て、金をさし出し、 :19)「わたしが手をおけばだれにでも聖霊が授けられるように、その力をわたしにも下さい」と言った。 :20)そこで、ペテロが彼に言った、「おまえの金は、おまえもろとも、うせてしまえ。神の賜物が、金で得られるなどと思っているのか。
:21)おまえの心が、神の前に正しくないから、おまえは、とうてい、この事にあずかることができない。
:22)だから、この悪事を悔いて、主に祈れ。そうすればあるいはそんな思いを心にいだいたことが、ゆるされるかも知れない。
:23)おまえには、まだ苦い胆汁があり、不義のなわ目がからみついている。それが、わたしにわかっている」。
:24)シモンはこれを聞いて言った、「仰せのような事が、わたしの身に起らないように、どうぞ、わたしのために主に祈って下さい」。
:25)使徒たちは力強くあかしをなし、また主の言を語った後、サマリヤ人の多くの村々に福音を宣べ伝えて、エルサレムに帰った。
使徒行伝8章1節
霊能者を語る者は昔から妖しげな者が多く、脅しのテクニックで善良な人々をたぶらかし、人心を操っていたようである。
さあ、12使徒たちはどのような死に直面したかフリンは以下のようにまとめている。
ペテロ。ローマで頭を下にして十字架につけられた。
ヤコブ。エルサレムで首を切られた(使徒12・2)
ユハネ。ドミティアヌス皇帝による迫害の際、煮えたぎる大釜に投げ込まれたが、奇跡的に救出され、後に、パトモスの島に追放された(彼はここで、ヨハネの黙示録を書いた)。そしてここからエペソに戻され、そこで生涯を終えた。
アンデレ。ギリシャのパトラスで、X型の十字架につけられた。これには今、彼の名前がつけられている。
ピリポ。小アジアで、絞首刑にされたか、十字架につけられたか、石で打ち殺されたかのいずれかである。
バルトロマイ。アルメニアで、激しく鞭で打たれ、首を切られた。
マタイ。エチオピアで、剣で殺害された。
トマス。インドで、体を槍で突き通された。
小ヤコブ。エルサレムで、塔から投げ落とされ、石で打たれ、棍棒で打たれたが、回復し、後にのこぎりで細々に切られた。
ユダ(ダダイ、レビ)。メソポタミヤで、矢で射殺された。
熱心党員シモン。ペルシャ湾の近くで、暴徒に襲われ、致命傷を受けた。
イスカリオテのユダ。自殺した。
フリンは12使徒それぞれ個性について、それぞれ一章を設けて説明しているので、関心のある方は以下の本を読まれると良い。
良書は版を重ねないことも多い。また、キリスト教関連の本はアマゾンなどの書評に乏しく、良書を探しにくい。
祝福二世には読んで貰いたい本である。
1000人10000人が集える教会を献堂しても、
それを支える12使徒のような主要な伝統の証し人が信仰を全うしなければ
教会は価値を喪失する。
イエス様の十字架以降、使徒たちは活躍された。
真のお父様の聖和以降、若くして献身し亨進様と同行し、
地上天国実現に投じる若人よ、現れ出でよ!
江利川姉は、たった一人お母様と子女様の仲を取り持とうとされた信仰者である。
江利川姉以前にも以後にも今日まで誰もいない。
中心人物が多少の迷いの中にあっても
彼女が檜舞台に登場できるように我々信徒ができることを、
かってのヨシュアとカレブやそれを支える者に見習うべきであろう。
12使徒は問題多き人たちであった。
だが、大切なことは主がその人たちをお選びになり代表として立てたということであり、それによって正統とされるのである。
お父様が亨進様を選ばれ、
亨進様が江利川姉妹を日本会長に選ばれたがゆえに、
神が働くのである。
人間的な判断は控えたいところである。
むしろ、全ての信徒の前に登場しやすいように
我々が環境を整えて差し上げるべきである。
:16)彼らはヨシュアに答えた、「あなたがわれわれに命じられたことをみな行います。あなたがつかわされる所へは、どこへでも行きます。
:17)われわれはすべてのことをモーセに聞き従ったように、あなたに聞き従います。ただ、どうぞ、あなたの神、主がモーセと共におられたように、あなたと共におられますように。
:18)だれであっても、あなたの命令にそむき、あなたの命じられる言葉に聞き従わないものがあれば、生かしてはおきません。ただ、強く、また雄々しくあってください」。
ヨシュア記1章16~18節