原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

選挙による人間の意志とくじによる神の意志

神主義と民主主義とは違う。

ある組織で専制的な独裁制が敷かれると、その反省から民主的な手法である選挙が重視され採用されることになる。

だが、お父様は南北統一選挙が最後だと言った。

みな祝福家庭だからだと。

 

現在は霊連世協会時代に入っている。

霊界ではすべての情報は共有され、誰がどの役割に相応しいかを知っていることだろう。

地上では自分の判断が自由の名のもとに貴重視され

天意を求める意志は廃って行った。

 

お父様はイエス様が民主主義をつくってくださったことに感謝していると言っておられた。

それはある時代にある使命を果たすことに貢献してきた。

だが、それはイエス様が天に召されず地上天国を建設したときも有効であったことだろうか?

 

 :15)そのころ、百二十名ばかりの人々が、一団となって集まっていたが、ペテロはこれらの兄弟たちの中に立って言った、 
:16)「兄弟たちよ、イエスを捕えた者たちの手びきになったユダについては、聖霊ダビデの口をとおして預言したその言葉は、成就しなければならなかった。 
:17)彼はわたしたちの仲間に加えられ、この務を授かっていた者であった。 
:18)(彼は不義の報酬で、ある地所を手に入れたが、そこへまっさかさまに落ちて、腹がまん中から引き裂け、はらわたがみな流れ出てしまった。 
:19)そして、この事はエルサレムの全住民に知れわたり、そこで、この地所が彼らの国語でアケルダマと呼ばれるようになった。「血の地所」との意である。) 
:20)詩篇に、
『その屋敷は荒れ果てよ、
そこにはひとりも住む者がいなくなれ』
と書いてあり、また
『その職は、ほかの者に取らせよ』
とあるとおりである。 
:21)そういうわけで、主イエスがわたしたちの間にゆききされた期間中、 
:22)すなわち、ヨハネバプテスマの時から始まって、わたしたちを離れて天に上げられた日に至るまで、始終わたしたちと行動を共にした人たちのうち、だれかひとりが、わたしたちに加わって主の復活の証人にならねばならない」。 
:23)そこで一同は、バルサバと呼ばれ、またの名をユストというヨセフと、マッテヤとのふたりを立て、 
:24)祈って言った、「すべての人の心をご存じである主よ。このふたりのうちのどちらを選んで、 
:25)ユダがこの使徒の職務から落ちて、自分の行くべきところへ行ったそのあとを継がせなさいますか、お示し下さい」。 
:26)それから、ふたりのためにくじを引いたところ、マッテヤに当ったので、この人が十一人の使徒たちに加えられることになった。
使徒行伝 1章

 

われわれ人間がすべてを知っているなら選挙は有効である。
それどころか、お父様が言われたように選挙すら必要ではないだろう。
 
中央集権独裁を忌み嫌う民主的選挙からヒトラーが現れた。
サタンは民主主義にはいり入りやすいからだろう。
 
霊連世協会時代は、霊界と地上界が協力しあって神の意志が何であるかを
はっきりと見定めて摂理を前進させなければならない。
 
エス様が選んだ12使徒は、イエス様の昇天後には、最も権威ある存在であった。
その使徒パウロは入ることができなかった。
ヨハネバプテスマの時から始まって、わたしたちを離れて天に上げられた日に至るまで、始終わたしたちと行動を共にした人たちのうち」
から決められたからである。
 
神と主イエス・キリストによってマッテヤが選ばれた。
 
神主義か?民主主義か?
それが問題である。
 
 
 


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