イエス様の家庭でのヨセフとマリアの不信仰に学ぶ教訓 2
神が祝福した血統を生命以上貴重視する心情の継承者 サラ
タマルに対して「彼女を引き出して焼いてしまえ。」と命じたユダであったが、自分が預けていた印と紐と杖を見定めて、思い直したのであった。
「彼女はわたしよりも正しい。わたしが彼女をわが子シラに与えなかったためである。」と認め、以後彼女と関係を結ぶことはなかったのである。
殺そうとしていユダがこの女を義としたのである。
神の目的を中心に神の予定していた相手と、兄弟姉妹の心情関係を経て、婚約期間を全うして、晴れて夫婦になるべきアダムとは別の姦夫、天使長ルーシェルの誘惑に、神の御言葉である戒め「取って食べるな。」(性的意味)を破って、エバが淫行関係を結んで生まれ広がってきて地に満ちたのが人類であった。
善悪とは互いにその目的を相反するものであり、その求める方向性は180度違っている。
ある意味において、そうであるからこそ、方向性を完全に正すことができれば、復帰の道があり救済されうるのである。
すなわち堕落の時と同じ情況で逆の経路を歩むという道筋である。
タマルの物語に比して今一度、アブラハムの甥ロトとその娘たちの物語を見てみよう。
創世記19章31節~38節
時に姉が妹に言った、「わたしたちの父は老い、またこの地には世のならわしのように、わたしたちの所に来る男はいません。さあ、父に酒を飲ませ、共に寝て、父によって子を残しましょう」。彼女たちはその夜、父に酒を飲ませ、姉がはいって父と共に寝た。ロトは娘が寝たのも、起きたのも知らなかった。あくる日、姉は妹に言った、「わたしは昨夜、父と寝ました。わたしたちは今夜もまた父に酒を飲ませましょう。そしてあなたがはいって共に寝なさい。わたしたちは父によって子を残しましょう」。彼らはその夜もまた父に酒を飲ませ、妹が行って父と共に寝た。ロトは娘の寝たのも、起きたのも知らなかった。こうしてロトのふたりの娘たちは父によってはらんだ。姉妹は子を産み、その名をモアブと名づけた。これは今のモアブびとの先祖である。妹もまた子を産んで、その名をベニアンミと名づけた。これは今のアンモンびとの祖先である。
アブラハムはヘブルびとと書かれているし、その後孫も然りである。
甥のロトがこうした経緯で残した子孫はモアブびととかアンモンびとと呼ばれるようになったというのである。
タマルは姦淫を忌み嫌い貞操観念の確立した女性であったが、そういう自分の事情よりも神の祝福した血統がこのままでは絶えてしまうことを何より恐れ、死線を超えてでも神が祝福した血統を残そうと信仰を立てたのであった。
それ故、後孫に救世主、イエス・キリストが誕生するのである。
ロトの娘たちが画策して生まれた子孫はヘブルびととは呼ばれなかったのである。ロトの娘たちとタマルではその動機が天地の開きがあるからである。
「木はその実によって知られる」とはこのことである。
さて、パンタナールの開拓の証を見た。アブラハムが甥のロトと分かれる際に好きな方の土地を選びなさい、残った方を自分のものとするからとし、ロトは肥沃な地を選んだので、アブラハムは違う方をとったことが思い出される。
良い土地には悪い人がいて悪い風習がある。パンタナールの開拓は想像を絶するほど苦難の道ではあったが、それゆえに悪い人や悪習から免れ、天の伝統を立てるには相応しい場所なのであった。
さて、サラの信仰であるが、原理講論にはこうある。
アダムとエバが未完成期(婚約期間)において、まだ兄妹のような立場にいたとき、天使長ルーシェルがエバを奪ったので、その子女達と万物世界のすべてが、サタンの主管下に属するようになった。従って、アブラハムがこれを蕩減復帰(罪の負債精算)するための条件を立てるためには、既に明らかにしたように、兄妹のような立場から、妻サライを、一旦サタンの実体であるパロに奪わせたのち、渠の妻の立場から、再び彼女を取り戻すと同時に、全人類を象徴するロトと、万物世界を象徴する財物を取り返さなければならなかったのである。
( )の中は私注である
このようなアブラハムの路程は、後日イエスが来て歩まなければならない典型路程となるのである。アブラハムは、このような蕩減条件を立てたのちに、はじめて、鳩と羊と雌牛でもって「象徴献祭」を捧げることができたのである。
1,サラがアブラハムの妹としてサタン側のパロの元に行き、懐に抱かれる所を、知恵と信仰で免れてアブラハムの元へ戻ってくる。
この時、人(人類を象徴)と財(万物を象徴)を神側に復帰してくる。
創世記12章10節~20節
10、さて、その地にききんがあったのでアブラムはエジプトに寄留しようと、そこに下った。ききんがその地に激しかったからである。
11、エジプトにはいろうとして、そこに近づいたとき、彼は愛するサライに言った、「わたしはあなたが美しい女であるのを知っています。
12、それでエジプトびとがあなたを見る時、これは彼の妻であると言ってわたしを殺し、あなたを生かしておくでしょう。
13、どうかあなたは、わたしの妹だと言ってください。そうすればわたしはあなたのおかげで無事であり、わたしの命はあなたによって助かるでしょう」。
14、アブラムがエジプトにはいった時エジプトびとはこの女を見て、たいそう美しい人であるとし、
15、またパロの高官たちも彼女を見てパロの前でほめたので、女はパロの家に召し入れられた。
16、パロは彼女のゆえにアブラムを厚くもてなしたので、アブラムは多くの羊、牛、雌雄のろば、男女の奴隷および、らくだを得た。
17、ところで主はアブラムの妻サライのゆえに、激しい疫病をパロとその家に下された。
18、パロはアブラムを召し寄せていった、「あなたはわたしになんという事をしたのですか。なぜ彼女が妻であるのをわたしに告げなかったのですか。
19、あなたはなぜ、彼女はわたしの妹ですと言ったのですか。わたしは彼女を妻にしようとしていました。さあ、あなたの妻はここにいます。連れて行ってください。
20、パロは彼の事について人々に命じ、彼と彼の妻およびそのすべての持ち物を送り去らせた。
2,三種の供え物→失敗
アダムが堕落したために善にも悪にも相対するように陥ってしまったため、その子アベル(善の表示体)とカイン(悪の表示体)に善悪分立したように、供え物を裂くことによって善悪分立し聖別された供え物として捧げなければならなかったが、深い眠りに襲われて鳩を裂くのを怠ってしまった。
創世記15章9節~13節
9、主は彼に言われた。「三歳の雌牛と、三歳の雌やぎと、三歳の雄羊と、山ばと、家ばとのひなとをわたしの所に連れてきなさい」。
10、彼はこれをみな連れてきて、二つに裂き、裂いたものを互いに向かい合わせて置いた。ただし、鳥は裂かなかった。
11、荒い鳥が死体の上に降りるとき、アブラムはこれを追い払った。
12、日の入るころ、アブラムが深い眠りにおそわれた時、大きな恐ろしい暗やみが彼に臨んだ。
13、時に主はアブラムに言われた、「あなたはよく心にとめておきなさい。あなたの子孫は他の国に旅びととなって、その人々に仕え、その人々は彼らを四百年の間、悩ますでしょう。
3,この失敗のゆえに再びサライは同様の路程を歩まざるを得なくなったのであった。(創世記20章1節~18節)
妹であると言ったサラをアビメレクは召し入れ、関係を結ぼうとしたが、信仰を立てたサライゆえに神がアビメレクの夢に現れ、「あなたは召し入れた女のゆえに死ななければならない。彼女は夫のある身である」(20章3節)と告げ、まだサライに近づいていなかったアビメレクが妹であると聞いていたいたと釈明して命乞いをした。するとまた夢に現れて続けて言われた。「そうです、あなたが清い心をもってこのことをしたのを知っていたから、わたしもあなたを守って、わたしに対して罪を犯せず、彼女にふれることを許さなかったのです。いま彼の妻を返しなさい。彼は預言者ですから、あなたのために祈って、命を保たせるでしょう。もし返さないなら、あなたも身内の者もみな必ず死ぬと知らなければなりません」。(20章6節~7節)
こうしてアビメレクはアブラムに羊と牛および男女の奴隷を与えサライを返した。また銀1000シケルをも与えたのである。
4,サライの勝利によって、もう一度献祭を捧げる事ができる立場に立つことができたが、簡単な供え物を精誠を尽くして捧げることができなかったために、より大きな代価の捧げ物が必要となったのである。
これがイサク献祭である。
たやすくできたはずなのに鳩を裂かなかったということは、アブラハム(アブラム)の心が裂かれていないことを意味し、これは善にも悪にも相対し得る非原理的な立場であったので、神のみに相対しうる立場に立つためには、より大きな捧げ物が必要となったのである。自分の命よりも貴重なものを捧げることによって、サタンの血統の死亡の血を流すことができるのである。善悪分立のことである。
自分の命を神に捧げることには躊躇しないであろうアブラハムも、さすがに生まれるはずがないと思って老境のみに与えられたイサクだけは、捧げる覚悟を決めるのに3日かかったのであった。
ご存じの通りアブラハムとイサクはこの試練を父子一体で勝利したのであった。
サラが絶対貞操を守り、リベカは神が愛するヤコブに対して夫のイサクが長子としての祝福を与えるよう神の立場で協助することによって、神の血統や心情の後継者ヤコブが成立し、そのヤコブは天使との組み討ちに勝利して勝利者すなわちイスラエルと天使から名を名乗るように言われることに繋がっていくのである。タマルがエバが果たすことのできなかった女性の勝利者として、絶対愛・絶対「性」・絶対貞操の伝統を確立してイエス様が聖霊によって身ごもるという道筋を神が教示してくださったのである。
聖霊体験というのは実際に体験すれば、単なる霊的な働きではないことがわかるのである。
聖霊の役事によって、大きな力が自身に働くが、その力の背景に、はっきりと人格が認められ、母性愛が本質で圧倒的な力で包まれるのである。
聖霊によって身ごもるというのは、神を中心として勝利した女性が血統転換の役事を主導し、協助して現された摂理であり、神の心情を復帰した初めての真の父・イエス・キリストの誕生であったのである。
罪なき、第2のアダムが創造されたのである。
従って、祝福家庭の婦人においては、何よりもこれらの勝利した女性を研究し、如何にしてその信仰と心情を継承しうるか探求実践することが、重要な最優先事項となるのである。
ラケルがレアとの人間関係の葛藤から解き放たれて、何を勝利し心情転換したかは、李耀翰先生がわかりやすく説かれているので、知らない方は必見である。
ラケルは何を如何にして勝利して、ヨセフのような優秀な子女を持つことができたかを李耀翰先生は明らかにしてくださった。
またヨセフのような立派な方も、同じ信仰や神の愛する血統の信仰的女性ではなく、異邦人である「エジプトの女」と結婚してしまい。天運を逃してしまったことは残念なことである。
神を中心とした、神が祝福し得る結婚とは大きく離れていたことが、その子孫にキリストが誕生しなくなった失敗だったのである。
わたし自身は20歳の時に血統転換という話を知り、以来ずっとその講義を受けることを願ってきた。しかし、わたしの信仰の不足によって今日まで一貫した摂理上の説明は受けていないことをここにお断りしておきたい。誤った解釈があるかも知れないので、正式な資格のある方によって真意をご理解いただければ幸いである。
さて、つづけて本題に次回はと思っていたら、元日本統一協会会長の講演の話を耳にしたので、神山氏の誤りを指摘しておきたい。
さらに本日STAP細胞の笹井博士が自殺された。
本当に世界の宝の人材を失ってしまった。無念である。これらそれぞれについて一回ずつ書いて、本題に進むことにしたい。