夫婦の一方がサンクチュアリで、もう一方が家庭連合に属している人達がいる。
以前に私は、精誠を尽くしても独生女偶像崇拝をやめないなら、再祝福をすべきだと語ってきた。
するとコメント欄には反論が書かれた。
要するに他人事だと思ってということだろう。
バカを言っちゃいけない、同じ食口だから嫌われることもはっきり言わなければならないのだ。
夫がお父様の権威に戻る祝福を受けたのに、受けていないまだ家庭連合に属する妻と夫婦生活をすれば、再堕落したことになる。
だから、6ヶ月なら6ヶ月尽くしてもだめなら、第二の人生に向かわなければならない。お父様にはそうさせて自分だけは無傷でいようとは何事か!
本来的には相対者であったのだが、堕落したエバと性的関係を持ったアダムはどうなったのか?
堕落したではないか!
その時のエバは非原理圏の存在だったからである。
では、現在独生女家庭連合の妻と夫婦関係を結べば再堕落である。
非原理的存在が家庭連合に属する妻であり、堕落エバだからである。
壮年壮婦のような立場である。未祝福堕落圏である。
言い換えれば、キリスト教徒の立場である。
ドフトエフスキーの「罪と罰」に登場する主人公のラスコーリニコフは金貸しババアを殺すことは罪ではなくむしろ正義であるかに考えた。
だが、実行に移すと凄まじい葛藤に悩まされていく。
彼を救ったのがソーニャという信仰者である女性であった。
彼女は最も忌み嫌う売春を家族の生活のためにしていた。
その中でも、我が心だけは神のものであるという信仰を堅持していた。
霊的王国のみで地上に実体の王国を持つことができないでったキリスト教を
彼女は象徴して描かれている。
そのソーニャの長年における真心がやがて頑なになっていたラスコーリニコフの氷切った心を氷解する。聖霊のような女だった。
サンクチュアリの夫婦は新約のような悩みの中で生きる存在として神は願われているのだろうか?
わたしはそうは思わない。
夫婦関係を結べば再堕落である。
もし、いまあなたがそのような生活にあるなら、サタンの手のひらの内にある。
そのような関係を結べば、当然み言はわからなくなる。
み旨もわからなくなる。
ただ、わかっているつもりだけが残る。
一つは絶対「性」であった。
憲法違反を堂々としている者共がいる。
あり得ない。
中心勢力に侵入したサタンの条件が、世界にも波及されていかざるをえない。
その責任を誰が取るのか!
現在のサンクチュアリはどこが違うというのか?
聖別しなければならない。
自分が聖別されないから、妻が聖別される機会を奪ってしまっている。
自分が聖別されないから、夫が聖別される機会を閉ざしてしまっている。
兄弟はアブラハムが祭壇の鳩を裂かなかった事で、エジプトでイスラエル民族が400年間苦役生活をしてきたことを知っていると言う。
本当に知っているのだろうか?
アブラハムは言うだろう。
「お前たちのようにみ言をすべて教えられていたら、どうして鳩を裂かないことがあろうか!阿呆め!」
兄弟はみ言を過去には適用するが現在の自分には適用しない。
何故だろう?
滅びよ!聖別されず独生子を裏切る夫婦!
主は言われた。
「わたしとあなたと何の関わりがあらんや!」
「そのとき、だれかがあなたがたに「見よ、ここにキリストがいる」、また、「あそこにいる」と言っても、それを信じるな。にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。見よ、あなたがたに前もって言っておく。だから、人々が「見よ、彼は荒野にいる」と言っても、出て行くな。また「見よ、へやの中にいる」と言っても、信じるな」。
マタイ24章23〜26節
偽独生子信仰が多く現れる。
初臨のときのように。
蛇の巣の中で暮らす夫婦は災いだ!
彼らは天一国には住めないだろう。
信仰は覚悟の境地である。
ヨブがもっとも辛かったのは家庭問題だった。
「神を呪って死になさい」と言われてうろたえたヨブに我々はなることができない。
ヨブは摂理もみ言も知ることができなかった。
天国でどうして不条理の中に立たされても神を証した人々に
顔と顔を合わせて会うことができようか!?
人は二人の主人に仕えることはできない。
すべての女がキリストの花嫁であるということは、
すべての女はキリストの妾であるということだ。
非原理圏の夫と原理圏の夫のどちらと人生を歩むのか?
それが問題だ!
夫に覚悟がないので妻が救われないのだ。
彼女のせいではない、言うべきことを言わず、
なすべきことをなさない夫が罪を確定して動かないものにしているのだ!
災いだ!災いだ!
神よりも自分を思う者!
彼らは神のみか自分も家族も全ても失うだろう!
皆様に神の祝福と加護と導きがありますように。
アージュ。
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