原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

創造原理 統一思考 イエス様の統一智(無分別智)から見た 笹井芳樹博士と山中伸弥博士の細胞研究

4月25日、石井俊輔上席研究員がSTAP細胞の論文不正問題で理化学研究所の調査委員長を辞任した。平成20年の論文の中の画像の件で、文章に沿った順序に一枚の画像中の配列に手を加えた件で、当時のルールではセーフであったものだが、対応などの混乱を招くと解されたのか、身を引かれた。切り張りの一種である。

さらに、28日、山中伸弥博士も2000年の論文で切り張りがあったことで会見をされた。産経の報道の一部は以下の通り。

 問題の論文は、山中教授が12年に「EMBOジャーナル」に発表したもので、ES細胞の分化において重要な役割を果たす「NAT1」という遺伝子の機能を解析した論文。

 この論文で使用された2つのNAT1細胞の画像が類似している▽使用されたデータの数値が似通っている-の2点について平成25年夏ごろから、日本のインターネットサイト上で指摘されていたという。

 山中教授は、「論文の研究結果は複数の研究者により再現されており、研究者倫理の観点から適切でないことをした記憶もない」と説明した。

 この日の会見には調査の責任者でもある、同研究所の森沢真輔副所長と山中教授が出席。森沢副所長は、この実験は山中教授が複数の協力者とともに10年ごろに実施したもので、画像、データのいずれも山中教授の実験ノートに、実験データが存在していると説明。

 一方で、山中教授以外の協力者の実験ノートが存在しなかったことや、図、データのいずれも元となるデータが存在していなかったことについては「遺憾」とした。

 現在の法律が過去に遡って適用されることがないように、科学の世界における論文作成の倫理基準の適用も同等に扱われるものと思われる。

このことは先日語ったように、「科学は個人の倫理によって担保されている」ということであり、科学の進歩は科学者の倫理の進歩と表裏一体のように感じられる。

我々もマスコミも重箱の隅をつつくような詮索は必要以上にすべきではないと思われる。

重要なことは、科学者が自らの落ち度を見つけたと考えた事柄があったことの責任の取り方は、基本的には科学の実績でとるべきであるということである。

高齢になると様々な眼病に悩まされることが多くなるものである。白内障緑内障飛蚊症と色々である。

2011年4月、科学雑誌ネイチャーにES細胞から眼杯の組織を作ったという論文を笹井博士は発表した。眼杯の内側が網膜であり外側が色素層になっている。

笹井氏はSFEBq法という、ES細胞を神経細胞やその前段階の細胞に効率よく培養・分化させる方法を発明したのであるが、それにより網膜を創るようになるように調整し、培養液の中で3000個を集めて宙に浮いた状態に放っておいたら、なんらかの相互作用が起こって、外部から指令したわけではないのに、自己組織化が起こって、眼杯が創られたという。

ネイチャーの表紙を飾り、眼杯の画像とともに「メイキング・アイズ」と記されたそうである。それだけ画期的な研究成果と受けとめられたことを物語っていた。

つまり科学者は科学の発展に貢献して多くの人がその恩恵に浴す事ができるよう尽力することが本筋であり、マスコミの執拗な質問に追い回されることが任務なのではない。落ち度があるとしたら科学的実績を掲げて埋め合わせをすればよい。

笹井博士は言う。

「今回の研究の結果でわかったことは、網膜の細胞は巧妙な相互作用を介して、最終的に自分の形をどのようにつくるか知っているということです。その力を引き出すことによって、組織の形や細胞間の秩序もできあがっていく。それは人為的なものではありません。あくまで細胞に本来プログラムされていた形で引き出そうという、再生医学に関する新しい原理を打ち立てることができたかなと思っています。」

「そうした臓器や組織はとても複雑な細胞の相互作用によって生まれてくることがわかっています。今後、試験管のなかで再現してつくることができるようになれば、非常に大きな医学的な革新につながるだろうと思います。」(細胞 「私」をつくる60兆個の力 より)

 

統一原理では存在するものはすべて、全体目的と個体目的の二重目的を備えている統一体であるとする。アーサー・ケストラーのホロンを目的に当てはめて考えてみると、全体の目的の中に部分の目的があり、部分の目的の中に全体の目的があると表現できる。現象界で比較分析智である理性を持って見ると、全体の目的と部分の目的というふうに別々に存在するように一見見えるが、神の世界の一体一如の実相から生まれ出た存在は、全体目的と個体目的が区別されえぬ統一体としてのみ存在し、一つの存在の二つの側面である。というか本然の世界では意識する必要のないものである。私的即公的、公的即私的ということである。

山中伸弥博士は「山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた」という本の中で以下のように語っている。

「iPS細胞は体細胞に四つ遺伝子を入れて作製した細胞で,ES細胞は受精卵から作った細胞です。まったく由来がちがう。一卵性双生児でも、親には見分けがつきますよね。でも、ES細胞とiPS細胞をぼくらは区別できません。血のつながっていない他人のようなものなのに、どうしてそこまで似ているのか。

いま、皮膚などの細胞から直接、神経細胞、心筋細胞、肝細胞などを作るダイレクト・リプログラミングの研究が進んでいます。しかし、ダイレクト・リプログラミングで作製した細胞と、もともと体にある細胞をくらべると、かんたんに見分けがつきます。」

ES細胞は受精卵からできているので、設計図のすべてを持っていることは容易に理解できたが、iPS細胞は分化したなれの果ての体細胞、つまり部分に過ぎない。ところがある条件でONにすると、無いと思っていた全体の青写真を持つ細胞があらわれたのであった。全体目的と個体目的の統一体として存在していたというわけである。

両先生のご活躍を心より祈念するものである。