原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

旅客船セウォル号の沈没による殉教者キム・ヨンナムさんに栄光を! 愛勝日の「愛が死を超えた」の本義と殉教者を天に送る我々の覚悟

韓国の沈没船の中におられた、キム・ヨンナムさんが聖和なされた。ご本人は三万双の両親であるキム・ジョンホ、ナカジマ・ヤヨイの二世子女である。

この事件は輝かしい将来に臨む若い青年たちの命が失われてしまった、誰が考えても痛恨の極みの惨事である。

私にも愛する子供たちがいる。もし同じような境遇にあったとしたら、目の前が真っ暗になってしまい、聞こえるものも聞こえず、ただうろうろとするばかりかも知れぬ。

しかし、末席の名もない信徒とはいえ、文鮮明 恵父の弟子であることを思うと、そのように悲嘆にくれて子女を天に送るべきではないと考えざるを得ないのである。

結果として死が確定してしまった以上、単なる人災によって犬死にしてしまったというような、霊界への旅立ちを我々は用意すべきではないと、私は信じるからである。

何を他人のお前がと言われることは百も承知で語りたいのは、親として、或いは同じ統一教会の信徒としては、一旦死が決まった以上はキム・ヨンナムさんを聖き祭物として、天の父母様(神様)の前に捧げたいという一心からである。

本来アダム国家(韓国)とエバ国家(日本)は神を中心として一体化して然るべきである。

ところが両国の情勢はいっこうに改善する気配がない。分断状態が続けばそこにつけ込まれ、サタンが侵入することができる。すなわち北朝鮮の南進である。大統領官邸を無人の偵察機が人知れず偵察していた今日の状況は何があってもおかしくはないであろう。

韓国籍の父親は韓国を象徴し、かって日本籍であった母親は日本を象徴している。この両親の愛によって生まれたヨンナムさんは、韓日の一体を象徴していると見ることができる。

ヨンナムさんが天に行かれたのは、第一に日韓の一体化のためであり、第二に南進を防ぎ南北統一のための供え物として、統一信徒を代表して聖和(天に召される)されたのであると確信している。

そこで供え物を捧げるときに大切なのは、いかなる動機と心情で捧げたかが問われると言うことである。

アブラハムは年老いた時に一人子であるイサクを天より授かることができた。空の星の如く、浜辺の砂の如く子孫が繁栄することを祝福されたはずのアブラハムであったが、たった一人のわが子を捧げよとの命が下った。その心境は推測するに悲痛なものであったことであろう。神の命であるから子供に手をかけるが、子供の命が絶えた後は、すぐに自分も自害して果てようと当然考えたことであろう。

アブラハムが愛するわが子を捧げるときの心情は、悲しみであったと考えられる。

では、再臨主。メシアとして来られた、真の父である文鮮明 恵師は興進様を如何にして天に捧げられ、お送りなされたのであろうか?

「愛が死を超えた」。この死はわかる。しかし愛とは、具体的に一体どのような崇高な愛なのか?それが当時なかなか分からなかった。摂理的な観点や原理的な観点は色々と説明されたが、心情的な観点の説明はあまり見当たらなかったのである。

真の父母様は悲しみではなく喜びで、神を愛する聖子である興進様を、全人類の永遠の命が蘇生されるために捧げられたのである。

先ずこの間、行われていた「韓国巡回勝共決起大会」と「世界平和教授協議会」の意義は何であったか?1984年2月20日、マンハッタンセンター 「霊界における王権の統一」より抜粋する。

「今回の韓国での大会は、イエス様が国家と教会の基礎をイスラエル民族から失い、国の基盤を失った立場を蕩減する意味をもっていたのです。そして、72門徒がひとつになることができなかったので、イエス様が亡くなりました。それで、世界の72カ国のアカデミー議長団を中心として、韓国に連れて行ったので、韓国民族はどうすることもできず、反対することのできない状況に追いつめられてしまったのです。完全に協助するしかなかったのです。

 この一連の大会はメシヤを宣布することでした。つまり、民主世界であれ、共産世界であれ、全世界の人々にむかって「もし、あなたがたが希望をもち、生き残りたいなら、私の話す言葉に耳を傾けなければならない」というものでした。72カ国の議長団たちは、先生を証しする人たちなのです。」

次にこの時、興進様は神のために死ぬ覚悟をし、祭物となる覚悟を常時お持ちであられた。

1984年1月8日、文興進様世界昇和式での朴普煕先生の昇和辞より、興進様の覚悟とご心情を確認したいと考える。

  興進様は16歳をすぎてから、お父様が世界共産主義の崩壊のために先頭に立っておられることを悟られ、日々お父様の身辺に共産主義者の脅威が近づいていることを胸深くたいじゅつ(体得)されると、自身の身を投げ出して父母様を守って差し上げることが息子としての最高の本分であると信じ、実践してこられました。

 少し前、この方は祝福家庭の子女数人をひき連れワシントンにある私の家を訪問されていた時、彼らの一人一人に、「もし銃を持った凶漢が現れお父様を撃とうとした時に君たちは身を投げ出してでもお父様をお守りすることができるか?」と尋ねられ、「私は言うまでもなく、お父様の身代わりに喜んで死ぬことができる」と言われ、「私が死んでお父様が生きられることができるとするならば、私は少しもためらわず私の命を塵芥のごとく捨てるんだ」とおっしゃりながら、ご自身が手を挙げて宣誓されることによって、もう一度決意を確認されたりしたのです。

 事故が起こった当日も、あるアメリカの食口と昼食をとりながら、死という問題について対話されたとのことでありますし、その時もまた興進様がおっしゃるには、「私はお父様の身代わりに死ぬことができる。ただし私が結婚祝福を受けることができず若い年で行くとすればその一点が残念だけれど、この世において偉大な我がお父様に代わって死ぬこと以上に偉大なことはないだろう」と胸中を語られたといいます。その時がすなわち自動車事故が起こる7時間前のことでありました。

 興進様はいつもお父様のみ旨に従うことに余念がありませんでした。興進様は本来手先が器用で美術には天才的な素質がありました。興進様は工学美術を専攻しようというお心をもっておられましたが、だんだんお父様が成されることを知るようになると、「違う、私もお父様のように宗教指導者にならなければいけない!そうなら私は今から歴史と考古学を勉強しなければならない」と決心されたといいます。

勝共大会においてサタンは再臨主を殺害するために、36人の刺客を差し向けていたのであった。過去にアンドロポフによって殺害の指令が発令されたことを思い出さずにはいられない。ところがどうにも殺害できないとみたサタンは、神のみ旨成就において文鮮明 恵父と一心一体であられる興進様の命を狙うべく方針転換したのであった。

珍福君と珍吉君とともに自動車で走行中に、凍った道路ですべって反対車線からつっこんできたトラックに激突されてしまったのであった。

興進様はとっさのことであったが、ご自分を守るようにはハンドルをきらず、むしろご自分がまともに傷つくように切ったのであった。

その間の事情を今一度、1984年1月15日 ベルベディアにて語られた、「愛勝日の必要性」から抜粋することにする。

「イエス様の時は、十字架につけられた3人は皆、死んでしまいましたが、興進様の時は、興進様だけが他を助けるための犠牲となり、二人が生き残ることにより、民主世界と共産世界の道が開かれるのです。」

 

文鮮明 恵父はご自身の神様に対する負債を以下のように語られ、ご子息の興進様がその恨みを晴らしてくれたと言われたのである。

「神様はアダムとエバが十代で堕落してしまったために、今まで、霊界においても一人の青少年も真に愛する機会をもつことができませんでした。しかし、今や、清い未婚の息子が霊界に行きましたので、復帰のために苦労してこられた神様が、純潔な子供を愛することができるようになったと、思うのです。

 それで先生が祈る時、『私が十代の少年だった時に、神様の前に基盤を整え得ず韓国を十分に愛せなかったことを申し訳なく思います。今、ようやく世界的な基盤を整え、国家基盤を蕩減した上でこのアベルを私の代身として、栄光を受けてください。私の時に栄光を受けられなかったのを蕩減してください』と祈ったのです。しかし、今や、自分の息子を犠牲として捧げたことによって、先生は韓国と世界に対して責任を果たしました。過去にできなかったことを今や興進様を通じて神様に受けてもらうことができます。」

さて、事故にあった興進様は脳の損傷が余りにも酷く、医師に因れば到底回生が不可能であるばかりか、通常であれば即死であるとのことであった。しかし、興進様は昏睡状態の中でもお父様が韓国での使命を果たされるまで最後まで持ちこたえられたのである。御父母様の祈りに応えて、1月1日の神の日だけは悲しみに曇らせてはならじと、超えられて御父母様が神の日の敬礼式と新年の辞と、世界の前に下さる主の御言葉をすべて語り終えるまで耐えられ、1月2日1時15分に旅立たれたのである。

これが興進様が死を超えて神を愛したお姿であった。ノアの子供が方舟献祭に勝利したノアと心情一体に立てず、勝利圏を相続できなかったのに比べて、興進様は見事に歩まれた。

それに対して、御父母様はどうであったのか?

「すべての蕩減条件を成して、『愛勝日』という日を宣布するために、死体を前にして、神様の愛のため闘いをしたのであります。これは何の話かというと、母や父が、死んだ我が子を思うよりは、神の愛をもっと思って、死亡圏に勝つことのできる時であるというものです。」

 

そして核心の部分である。

「この『愛勝日』の期間は、死んだ息子を側において、結婚式をする時以上の喜びの心情をもって神様を愛するという、心情圏を勝利せずしては超えることができないのです。それで先生は、興進様の葬儀の間は一滴の涙も流しませんでした。そして、朴先生が来て昇和式の報告をした時、初めて父親として泣きました。息子のために涙を流しました。公的な人は、自分に対しても厳格でなければなりません。」

 

生きて息子が晴れの結婚式に臨む幸せな姿を見る父母が抱く喜びを遙かに超えて、神様の理想世界を胸に、栄光を受けませと至福を捧げる心情の境である。

私の弟は若い頃海外宣教で2度ほど命が危ない経験をしたそうである。

この道は何が起きても不思議ではない。たとい奈落の底に突き落とされるがごとき状況に遭遇しようとも、我らが恵師の示してくださった敬天のお姿を胸に、死線を超えていきたいものである。

もし私の息子がまだ祝福を受けず相対者が決まっていなかったとしたら、私は息子に聞いたかも知れない。お前はこの天に召された娘さんを相対者として迎える覚悟はあるかと・・・。さて、息子は何と答えたであろう。

志願するものが出てくれば、彼は興進様を天に捧げた御父母様の栄光のを垣間見ることであろう。

ベルベディアや清平で毎日のように真の父母とお会いすることが、主に相見えるということであろうか?

それとも、主の路程を我が生活に当てはめて追体験する道にその手懸かりがあるやもしれぬ。

願わくは興進様のように心情の境で主にお会いしたいものである。

 

真の父母様が興進様を天に送り出す際に捧げてこられた心情は悲しみではなく、喜び、至福である。