原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

創造原理 相対思考 本質と現象を意識して考える生活習慣②

1月10日に文章を書いた翌日、NHKで超常現象の番組があった。懐疑的な役柄で阿部寛が案内役を果たしていた。

先日NHKの番組は左翼的であり唯物的であると述べたが、この番組は極めてフェアに超常現象が取り扱われていた。驚くべき事である。トップや理事の交代の成果と考えるにはまだ早いと思われるが、対象によって科学的かどうかが決まるのではなく、対象に迫る方法が科学的であるかどうかに、科学的か否かが判断されるのであり、科学者自体の中にも超常現象のような胡散臭いものには関わるなという風潮が今も蔓延していることは意外であった。

非常に良い番組なので動画で見られるにこしたことはないが、わざわざ文章に起こしてくれているサイトがあったので以下にリンクする。

 

第一回 内容は霊現象や臨死体験など

http://ameblo.jp/ashhrr/entry-11747905046.html

第二回 内容は超能力など

http://ameblo.jp/ashhrr/entry-11752967874.html

 

臨死体験には脳機能やその異常では説明のつかない事例が存在する。人間の身体以外の何かと脳の相互交流の中に思考活動が営まれると考える学者も出てきているようである。楽しみだ。

 

第二回にはマクモニーグルが出てくるが、邪馬台国の謎解きの動画が見れるので歴史に関心がある方は見て頂きたい。本にもなっている。個人的にはなかなか面白い説得力のある説であった。以下にたくさんアップされている。十数回の動画は飽きさせないものであった。

 

http://www.youtube.com/watch?v=cAYlCSW_kZM

 

F1で有名なシューマッハが昏睡状態である。

多くの感動を世界中の人々に与えたレーサーであった。

友人の子供を助けるために行動したことが命取りになったようである。とはいえ単純に運がなかったとも言える。転倒する先に、あたかもシューマッハの頭を岩が待っていたかのように見えるからである。

シューマッハは引退した事を考えれば、既にこの世での仕事は完了したと言うことができよう。勿論、若い才能を育成する道もあることだろう。しかし基本的には幕は降りたのである。

一度カムバックしたことのある彼ならば、昏睡状態の中より立ち返って、また別の道に進んでくれたらと思うのである。

世界中の多くの人が人生はこの100年を満たない地上生活でお終いだと考えている。ところがその後永遠の世界が広がっており、地上での生き方によって自由に生きられたり不自由に生きざるを得なくなることを知らない。

人は神や閻魔大王に審判されるのではなく、一生を走馬燈のように再見し、自ずと行くべき世界に行き着くのである。私の過去の善行も悪行も全て万民にオープンにされているのが霊界である。それ故に類は類を呼ぶで、心の中に天国がないものは天国には行かず、また心の中に地獄があるものは地獄に落ち着くのである。堕落性に汚染された人間には、ある意味居心地がよいからである。

往生要集という本がある。地獄の有様が書かれた本である。中世の人々にとっては強烈なショックとなり、悪行に陥らぬようにとのブレーキとして働いたことであろう。

彼らにとってはまさにリアルな情報であったはずである。

今日単なる良い生き方を勧める方便として天国や地獄が存在すると多くの人は思っているようである。

その時、世界的な有名人のシューマッハが人生のリタイヤを取りやめて臨死体験を携えてカムバックしたらどうであろう?多くの人が有限の人生から無限の人生に思いを馳せる好機となるかも知れない。

イエス様が「たとい全世界を得るとしても永遠の命を失ったなら何になろう!」と警鐘されたその言葉が昏睡状態のシューマッハにも宿る。

人が苦労して掴み取ってきたものは神に捧げるべきである。自分の手を離れ神の手に渡ったときに初めて、その仕事は永遠にして絶対の価値を賦与され完結するのである。否、どのような偉大な業績も単に個人のものに帰するのであれば、その人生は残念ながら失敗であったと知る日が来るであろう。

 

凡人の我々も天才的ドライバーのシューマッハもその点同じである。心せずにはいられない。

 

シューマッハが帰還すべく、願わくは本来地上人を協助すべき絶対善霊が働かれ、多くの人を幸せにした彼に転換の機会を与えて下さるよう切に祈るものである。

眼を覚ませ!シューマッハ