原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

霊的な現象に主管されずに、原理で主管せよとあります

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この曲は映画「赤いテント」のテーマ曲です。米ソ冷戦の時のもので、共産主義の全盛時代のロシア作られた映画だったのですが、ある事故で死んだ幽霊たちが集まって、その事故の原因は一体何だったのかを討論するような内容でした。

唯物共産主義の国でそんな設定の映画が作られることに驚いた人は多かったのではないでしょうか。

ところで、映画自体はそれほどわたしの心には残らなかったのですが、このテーマ曲には、大変心を惹かれました。友人の家でEP盤を回してもらって、何度も聞いた記憶があります。当時は大きなステレオのスピーカーから鳴る音で聞いたので、ずっと綺麗に聞こえましたが、このYouTubeのものはあまり綺麗に聞こえないのに驚かされます。

こんなに美しい哀愁のこもった曲があるのかと感動したものですから、あまりにも色あせて聞こえるのが信じられない程です。

それでも、懐かしくて選んでみました。

ご存じの方はおられるでしょうか?

画像の女性は映画とは関係がありません。単なる曲の題のイメージでしょう。

 

あるとき縁があって出会った霊能者は四柱推命諸葛亮孔明の占いで有名な奇門遁甲をされていました。わたしもいくらか見られたようです。

年に一度台湾から中国人があちらでは奇門遁甲をできるものがいないという理由から、年間の運勢を占ってもらうために訪ねてくるといいます。

 

自分が信仰をしていることは話していませんでしたので、そちらの話は、あちらが話すことに付き合う程度でした。

有名な教団で昔は活躍しておられたと聞いています。

ウィキペディアにはテレビで活躍していたことしか出てきませんが・・・

その方は掌を酌のように曲げて、心を集中して見ると、いつもとは限らないようですが

まあ、けっこう映像が見えてくるようでした。

昔はある教団で大活躍されていたといいます。

祝詞をあげると指先から黄金の糸が宙に飛び散って、それを見た信者が沢山の献金を捧げたと聞きました。霊力という側面においては教祖よりも凄いと言われていたようです。この方と付き合って面白いなあと思ったことは、ご自分が二の位置の役割に向いていることをはっきり自覚していることでした。

少女時代に鴨川の水面をキリストのように渡って見せて、地元の新聞に載ったとか聞きました。

その方はサイババとも会いましたが、ボロクソにこきおろしていました。

「あんなのは金粉なんかじゃない。灰のようなものじゃないか」と。

「わたしは祝詞をあげると綺麗な金色の糸が指先から出て、宙を舞った」と。

霊能者というのは実際に会ってみると、どこからどこまでお見通しなのか知れない不思議な主管力があります。これは、実際に交流してみると、よく分かりますし、霊能者とこの世の人が接している姿を見ますと、完全に主管されているのを見ることができます。

私自身も影響を受けていたと思います。

人生は実際の体験と実際行動によって、失敗したり勝ち得たりしなかればわからないことがあるものです。

自分が知っていることであれ、さらに自分の知らない背景までも

もし見透かされているとしたら、普通の人はひとたまりもないことでしょう。

ある高貴な少女について占って見てほしいと要請された事があったといいます。

勿論内容は話されませんでした。

あるときは中国のはるか昔の王妃の生首の話がありました。

その生首を運勢が急落している大企業にある期間納めると、

不思議に運気が高揚して発展するのだといいます。

まあ、不気味な話です。

料金が指一本でしたでしょうか。

また、その霊能者が、当代一と言われる占い師に会った時のことを、私に話して聞かせてくれたことがありました。

その時、相手の方が

「あんたの方が一枚上手だ」

とおっしゃったようです。

それはお互い占いの理論には通じているが、私は霊界に通じていないので、あなたの方が上だと言われたといいます。

この占い師の方にも間接的ですが縁がありました。

わたしの知り合いの方は昔の六高の同窓会の秘書のようなことをされていましたが、

その方が占いをある方に習っていたのです。

その先生が上記の占いの大家と一緒に机を並べて、ある先生から学んだ人でした。

また、この占いの大家はご自分が大変忙しい方ですが、実際の執筆を任せている方がいます。

その方が会社のコンペに来たということがありまして、伝え聞き、その方が書いた本を購入したことがあります。

どうしても譲って欲しいと食口に頼まれて譲ってしまったので、ご紹介できませんが。

 

知り合いの霊能者は時折私に言いました。

霊的な現象を見るだけで判断するのは危ないので、理論の裏付けが必要だと。

そこで、四柱推命奇門遁甲などの理論と照合させて精度を上げなければならないと

その言葉はとても新鮮に私には聞こえたものです。

だが、その方が道を外れて行くさまを私は見ました。

かって教団にいた時は、まっすぐに生きてこられただろうことを思うと

胸が痛みました。

今思えば、自分もいくらか信仰の世界がわかると言って

本質的な話をすればよかったと思います。

ある時、その霊能者は私に言いました。

「泥の中の蓮の花と言うけれど、お釈迦様だって、本当にできたかしれない」

教団にいた時に尊敬する教祖のもとにいた女性が、教祖と親密な関係であることが、わかったと聞きました。

手かざししたら、教祖と女性の小指通しがからんでいる映像が見えて驚き、その女性に問いただしたところ、泣き出したといいます。

さて、ご自分も献身生活から出て、娑婆世界で生きていく中で、

「泥の中の蓮の花」のように

堕落世界に影響されることなく、凛として生きることの難しさを味わってこられたのだろうと、わたしは思い、残念で気の毒で言葉がありませんでした。

また、別の霊能者と仕事の関係でお会いしました。

年間3000万とかを市に寄付しているとか言うお金持ちの家で、リビングに私が待っている間に、隣の部屋でその家の夫人のために祝詞を上げて、神示が降りるのを待っているようでした。

お告げがあってお二人がお話されていました。

だが、私はこの霊能者の素行を永らく見てきましたので、大変自己中心な方だと思っていました。

このことから、霊的な力が先祖の功労などによって与えられていることと、実際の本人の人格のバランスが均衡しておらず、むしろ大きく乖離していることがあることを学びました。大変孤独な方でした。

 

さて、お父様は霊的な現象についてどのように語られているでしょうか?

やはり、わたしの知り合いだった霊能者のようなことをお話されていました。

 

霊界を統一しなければ、地上を統一させることはできません。では、霊界を統一した主人がいらっしゃるなら、地上の統一は問題でしょうか。それは難しくないのです。
 これから我々は、霊通する人同士主管しなければならないのです。今、霊界に通じる人たちの大将が先生です。彼らもここに来て、習わなければなりません。
 彼らは一方向しか知りません。それゆえ、霊界から教えてくれるといって、それを絶対視してはいけないのです。それを原理で解読して、方向をわきまえていかなければ、霊通人たちはサタンになりやすいのです。
 今は、霊界が先生を証し、先生についてきています。先生は、霊界の内容を専門的に知っているために、サタンだ何だということをよく分類して、今までここまで率いてくることができました。それで滅びないのです。

地上生活と霊界 第5章 メシヤと霊界 4)先生と霊界 ③ 霊界の統一と地上世界統一

 

 先生は、霊的体験をしても、多くは話しません。体験があるのかないのか、皆さんはよく分からないのです。それをどのようにするのでしょうか。真理で調整しなければなりません。「これは、これこれこうであるために、このようになるのである」と言いながら、中庸の道を行くのです。そうしていつも天の摂理観に方向を一致させることによって、霊界の発展をもたらすことができ、地上世界の発展をもたらすことができると見るのです。
 そうするには、霊的世界がどのように動いており、真理とどのように関係を結ばれるのかを知った上で霊界と関係を結ぶことを生活化しなければなりません。神霊と真理が必ず一つにならなければならないのです。この調和が取れていなければなりません。なぜそうなのかと言うと、我々人間自体がそのようになっているからです。

地上生活と霊界 第5章 メシヤと霊界 4)先生と霊界 ⑤ 霊的体験の生活化

 

このように霊的現象に対する原理的な判断が肝要であるというのです。

ですから、霊的な現象を一面的に語る人の言葉を、そのまま鵜呑みにしてはなりません。

霊界の栄進様が再臨して私を通して語っているので、それを聞きなさいというようにはならないのです。

30000双の山下美千代という姉妹が活動しているといいます。

栄進様のお写真をそのグループの人達は携えて食口に会って

うったえかけているといいます。

今はこうした霊的になる方が多くいるのでしょう。

 

全世界では既に5人が栄進様の名前を語っています。

亨進様によれば、本当に栄進様である時には、先ず亨進様のところに来るだろうとのことです。

地上の中心人物の許可無く、またその方に報告なくなされることはないということでしょう。

だが、興進様が霊界から来られた時のことも思い出してください。

本当に興進様でした。

我々が知らない復帰摂理の話をされました。

だが、興進様がボディから離れた際に、

ボディは勝手なことをはじめました。

訓母もそうです。

大母様が離れている時も、入っている振りをし続け、堕落訓母になりました。

全く同じでした。

役事はお父様の主管でしたから本物でしたが、訓母は問題のある人物でした。

胡散臭かったので私は、清平で一度家族で参加してからは、久留米などに来ても一度も行きませんでした。

 

つまり、我々はどんなに素晴らしい子女様が降りてこられて語るというような体験をしても、あっという間に自己中心的な動機で堕落する可能性があるというのです。

ですから、なんでもかんでも盲信するのではなく、一つ一つ原理的であるか否かを判断して、善神の業か悪神の業か見極めていくべきなのです。

今日の家庭連合のようにならないためにはそうしなければならないことでしょう。

もし自分にできないなら、善神の業と悪神の業を実践の中で区別できるような兄弟に聞くべきでしょう。

例えば、ブッダ仏教はイエス様が現れる前には、一つの人類を導く指導的宗教でした。

だが、キリスト教の前には、仏教は天使長が主管する宗教となります。

率直に言えばサタンが主管している宗教になってしまいます。

本物の真理に照らしだされなければ、本当の姿はわからないのです。

 

昨日相対者がこんな天聖経の御言葉について私には話かけてきました。

御言葉も大切ですが・・・・

 

「私は劉孝元です。地上では先生の一番弟子として長い間協会長を務め、み言を受けて『原理講論』を執筆し、世界的経典とならしめたので、霊界では最も高い地位を占めることと思っていました。ところが、先生が霊界の三位基台を編成なさったのですが、李起錫、劉孝元、朴鍾九の順でした。私は失望して不平を言いました。先生は、『ここは愛の世界であり、知性を競うのではなく、愛を競うところである。李起錫のほうが愛をより多く所有していたのだ。だから李起錫が三位基台の一番上の兄になったのだ』と説明してくださったので理解できました。私はいまだ天国へ行くことができずにいます。今行く途中です。これまでは知性的な面に傾いてやってきましたが、地上にいる妻と共に、懸命に心情的に働こうと思います。現在天国には興進様がいらっしゃいます。興進様も祝福を受ける前は天国にお入りになることができなかったのですが、四位基台を立てて天国へ行かれました。霊界は愛の世界です」

成約人への道 第2章 家庭観 4)天国は家庭単位で行く所

 

今日、家庭成長研究院の先生方は御言葉を知的には、誰よりも理解されてこられたでしょう。講義はとても立派でしょう。

だが、御言葉の背後にある心情や愛を知るためには、それだけでは充分ではありません。

「お前という人間の心のなかにある大切なものと、神と、どちらがお前にとって大切なのだ」

サタンは信仰している信徒に常に問いかけてきます。

最初から覚悟をしておけば、実際に試練に遭っても、手こずらずに「いよいよ来たか」

と言って超えていけるのではないでしょうか?

 


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