原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

真の父母天宙完成聖婚式一周年記念式典で与えられたお父様のみ言葉

 

真の父母天宙完成聖婚式一周年記念式典で与えられたお父様のみ言葉は、

「真の神様の祖国復興」第五章にあるみ言葉です。

文字起こしして行く中み言葉の所在に気づかされ、

以下の内容と知りました。

式典のものとはいくらか日本語訳が違いますが、内容は同じです。

 

聖和6周年のときのみ言葉もどなたかご存じでしたらご紹介してください。

一言で言いますと、その時のみ言葉も「勝手に天の基準を変える」なというようなものであったかと思います。

 

今回のみ言葉もその時のみ言葉に呼応していると思われ、

天の伝統をびた一文まけることのないようにしなければならないと悔い改めさせられました。

 

どうか十二分にこのみ言葉を味わい活用されますことをお祈り申し上げます。

 

 

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五章 再出発のための私たちの決意

 一 再出発の決意

 さあ、滅びるわけにもいかないし、死ぬわけにもいきません。生き残らなければなりません。生き残るためには、そのままでいてはならないのです。敵を越えていかなければなりません。敵を越えなければならないのです。敵を越えれば天国です。ですから還故郷したところから敵を越える日には、天国の版図が広がるのです。統一民族圏ができるのです。
 それゆえ、皆さんが今回同行することによって、一千万の心の中に還故郷の火をともすことのできる良い機会です。こうして底辺から侍り、抱き、兄弟の愛をもって南韓の同胞と北韓の同胞が兄弟のように自らのすべてを分かち合いつつ、そこから再出発するのです。そこには国家観はありません。カイン・アベル時代に国家はあったでしょうか。国家がありましたか、ありませんでしたか。国家の後援を受けてはならないのです。国家の後援があれば、両者とも滅びるのです。
(219−339,1991.10.13)        


 以前、分水嶺を越えると言いましたね。古稀のとき霊界に通じる外部の人が、踊りを踊りながら「今や文総裁が三十八度線を越えた」と言いました。それは敷居を越えたという意味です。幸福の世界が来るということです。すべてそういうことです。
 そのようにして一九九〇年代を越えなければなりません。これを越えれば統一教会は一瀉千里に発展していくことができます。今回の古稀からは……。七十歳ですから七千年、七数を蕩減して八数時代になるのです。八数は解放の数、再出発の数ですね。
 ですからアメリカが共産党滅亡宣布をしたのです。すべてが終わったのです。本当に不思議です。それも私たちが大会を終えたのちの七日と八日でした。

(199−96,1990.2.15)
            
 このような難局の時期が来ることを天は知っていたので、神のみ旨を中心として新たに再出発する準備をさせなければなりません。その位置にあるべき宗派、教会、あるいは宗団とはいかなる宗団でしょうか。統一宗団です。
 その名のとおり「統一」という言葉は指導を受ける位置での統一ではありません。「統」には率いるという意味があるのです。率いなければなりません。主体的中心をもって相手を教育し、主体理論の理想的な同伴者として、相対圏を形成することのできる内容を備えなければなりません。それが統一宗団、統一教会です。
しかし、それはこのレバレンド・ムーン一人の構想から始まったものではないのです。歴史性を超越した内容を中心として始まったという事実を今日の世界は知りませんでした。

(219−289,1991.10.134)
            
 孝子の道を行くためには、有史以来の迫害が迫り、困難な峠が多かったとしても、それを克服することのできる余裕満々とした男とならなければなりません。患難と試練の中でもまれ、後退の余念をもって悲しみの恨の道へと戻っていくのではなく、億千万世の苦衷と受難の道を克服し、克服し、決意して誓い、あすの希望に満ちた再出発の道を促していきながら、死の道も見分けていくことのできる道を残して行かなければなりません。そのような歴史的要求と、神様の要求があるということを知らなければなりません。

(174−43,1988.2.23)
            
 世界平和連合構想をそのときから始めたのです。それを今年八月末までに終わらせなければなりません。世界平和宗教連合も同じです。これが九月を越えてはならないのです。八月は世界的な再出発をする月なので、それを形成しなければなりません。そのために七月一日の神様祝福永遠宣布式をしたのです。蕩減路程をすべて越えなければならないのです。そして宗教圏まで一つに結んで宣布しなければならないのです。それが八月二十八日です。そのときまでに宣布式をして、その次に九月一日に新たな出発をするのです。すべてが越えるのです。そしてこれからは、世界は進んでいた道に背を向けて、すべて先生に従ってくる群れとなっていくのです。

(220−45,1991.10.14)
            
 皆さん、皆さんがそのように「ため」に生きようという生き方をすれば、歴代の先祖の基準を越えて、歴史上初めて必勝の勝勢者として神様の息子、娘だということのできる天道の道を行く巨人の人生に出世するのです。そのような時代になったのです。皆さんが自分自身の生涯を再出発させることのできる、驚くべき時代になったのです。

(201−169,1990.3.30)


 二 真の御父母様の伝統相続の姿勢

 皆さんは堕落した息子、娘です。本来は、一人ではその位置に到達することはできません。皆さんは堕落した位置にいるのです。それゆえ、まず真の父母に学ばなければなりません。その場で互いに一つとなることができ、そこで真の愛が生じるのです。それが最初のエデンの家庭の伝統になるのです。真の御父母様なしに、どうして真の愛と伝統を学ぶことができるでしょうか。御父母様なしにはそのような相続がなされるはずはないのです。分かりますか。

(131−238,1984.5.4)
            
 父と母は、真の愛で愛する息子、娘に自分のすべてを相続しようとするのです。宇宙の相続は愛の伝統の上で、同等な愛の価値的位置を見いだすときに、そのすべてのものを心置きなく100パーセント相続するようになっているのです。ですから父母は孝子を望むのです。孝子とは何でしょうか。父母の永遠なる愛の同参者として愛を相続しつなぐものです。
            
 皆さんは、皆さんの家庭の主人がどんな人だったらいいでしょうか。どんな人を主人の位置に置きたいでしょうか。父親でも、おばあさんでも、家族はみな、どんな人を相続者にしたいでしょうか。より愛する人です。おじいさんが最もその家全体を愛しているとすれば、家族はおじいさんにすべてを報告するのです。お父さんをさておいても、それはどうしようもないのです。それゆえ、一つの主人となることのできる者は、愛の心をもって「ため」に生きる者です。愛の心をもってより「ため」に生きる者が、その愛の家庭の伝統を受け継ぐのです。より大きな愛をもって「ため」に生きる者が永遠なる相続系列に同参するということを知るべきです。

(141−292,1986.3.2)
            
 皆さんは家庭で「孝子になれ」と言いますが、それはどういうことでしょうか。真の愛の中に入りなさいということです。それでは「相続者となるようにしなさい。愛国者となりなさい」というのはどういうことでしょうか。国を相続しようということです。「聖人になれ」と言いますが、それはどういうことでしょうか。世界を愛せよということです。「聖者となれ。神様の息子となれ!」と言いますが、それはどういうことでしょうか。神様の愛に同参して宇宙全体の相続権を受け継ぎなさいということです。そのすべてを相続することのできる伝統的な道があるがゆえに、今日まで堕落した人間世界において、このような論理的な段階に発展することのできる基盤を連結させてきたのです。それゆえ宗教の目的や、求道の道が可能であるということを決定づけることができるのです。何ゆえにできるのでしょうか。愛のゆえです。

(142−337,1986.3.14)
            
 今までこの道を切り開いてきた神様の道がそうだからです。神様の築いてきた伝統を相続してやるには、皆さんがこの道を行かなければならないのです。皆さんが苦労するのを見て喜ぶのではありません。苦労して切り開いてきた、その心血を注いだすべての福の恵みを、皆さんに無条件に祝福してくださる天があるということを知らなければなりません。その位置で相続を受けてこそ栄光となるのです。神様はそこで暮らすのです。十字架で蒔いたのですから、十字架で取り入れなければなりません。それを知らなければならないのです。涙で蒔いたので、涙で取り入れなければなりません。

(150−209,1961.2.15)
            
 私たちが神様の摂理全体を相続するためには、その伝統に忠実でなければなりません。伝統に忠実な者となったのちには、どうすべきでしょうか。そこからは責任をもたなければなりません。責任をもたなければならないのです。責任をもったならば革命を起こさなければなりません。この伝統が父の前に正しくないとするならば、その伝統を全体の前で相続させるためには、社会環境の矛盾したすべてを打開するために闘争しなければなりません。そうしなければ発展がないのです。それゆえ、皆さんがそのような歴史的な因縁を相続し、時代的な開拓者の責任を果たすためには、神様の復帰摂理に関する歴史的な純粋な伝統を受け継がなければなりません。そして、現在の生活的環境においてそのような責任を負い、未来の新たな理念の礎を築くために闘争していかなければならないということを、よくよく心に刻まなければなりません。

(152−196,1963.5.10)
            
 同じ父母をもち、兄弟の因縁を共にしなければなりません。そうして一つの父母の生活と、習慣と、伝統をそのまま相続しなければなりません。そして、天が喜ぶことのできる家庭形態を備えなければなりません。そうしてこそ家族ができるのです。

(155−209,1965.10.30)
            
 立派な国をもちたがっている人が、「ただ遊んで食べて、人と同じようにしながら立派な国をもとう! それはどんなに素晴らしいことか!」と言っているとするならば、その人は悪魔の後継者に違いありません。立派な氏族と民族と国をもとうとするならば、一家ではなく、一族を、自分の氏族を……。そのような世界を願うならば、まず一国を投入するということをしなければなりません。そうしてこそ、立派な世界を相続することのできる摂理史的伝統の位置に立つのです。そのとおりです。

(172−314,1988.1.31)
            
 皆さんのお母さん、お父さん自体が生命をもって生きているのですが、そこに愛というものがなければ、関係を結ぶことはできません。また、愛がなければ、前後左右のいかなる因縁も相続することはできないのです。それゆえ夫婦となった男女は、必ず父母の愛を伝授してもらわなければなりません。父母の愛を伝授してもらうと同時に、子女にその愛を伝授する伝統の上に生命の軸を立てなければなりません。
            
 天国とは「ため」に生きる人の行くところです。自分を世界に投入しつつ、世界と連絡し、世界を抱いて、世界以上の位置を、神様に侍るための愛を求めてさまよう人が、天国の主人となるのです。そのようなことを誇らなければなりません。自分から自分の母親を誇り、自分の妻や夫を誇り、息子、娘を誇り、兄弟を誇り、皆さんのお兄さんを誇るには、そのような伝統を中心としてこれを国へと拡大して適用し、その公式を世界に適用し、天宙に適用しなければならないのです。そのような人はどこへ行っても同参、同位、相続権をもつことができます。
 それゆえ、神様が私のものとなるのです。神様の愛が私のものになるというのです。神様の行くところはどこでも同位、同参することのできる権限があるということを知らなければなりません。この驚くべき事実を知ってから他のものを求めていこうというのなら、行きなさいというのです。雷が落ちることでしょう。そのようなことを求めていくのが統一教会の道であるということが分かりました。

(175−138,1988−4.10)
            
 息子、娘が、自分のことばかり考えるようであってはなりません。私のように、天地のために、人類のために生きるには、より強く、より次元の高い伝統を受け継ぐことのできる息子、娘にならなければなりません。そのように考えるのです。だからといって、誰も不平を言うわけにもいきません。それゆえ、統一教会の教主の後継者には誰もがなれるというわけではありません。血統を受け継いで、「ため」に生きる伝統的な愛と一致することのできる息子、娘にならなければなりません。より次元の高いお母さん、お父さん以上の息子、娘とならなければならないのです。そのより高い息子、娘は、侍る生活をしてみなければなりません。出たり入ったりする人はなりません。それゆえ、相続も、高い次元の息子、娘がもっと「ため」に生きようという基準で相続しなければならないので、長孫(孫の中で一番上の男の子)が必要なのです。

(175−185,1988.4.16)
            
 皆さんは南韓の地においてどうしなければならないのでしょうか。北韓を取り戻す前に、南韓アベル圏の中にいるがゆえに、皆さんがアベル圏の中に入ってこの世界版図まで上がるように、先生が引っ張ってあげなければなりません。ずーっと上がってきたこの基準を皆さんが相続して、皆さんの誰もが先生を代表し、世界を代表し、国家を代表し、氏族を代表し、民族を代表して、皆さんの故郷に帰って、皆さんの家に根を下ろすのです。真の夫婦の愛を中心として、本然の伝統基準をここにしっかりと根づかせることによって、先生の世界基準の根が完全に根づくのです。

(177−160,1988.5.17)
            
 教会をあとにして、みな家に帰って自分だけがよく食べ、いい暮らしをするというのではなりません。帰ってから第一にすべきことは何かというと、教会を整備することです。次に、自分の息子、娘から後ろ指をさされるようではいけません。物乞いになって人の世話になるようであってはなりません。血の汗を流し、正義の真なる血肉の価値を通したその基盤において、息子、娘を養い育て、息子、娘に新たな伝統を教育しなければなりません。のみならず、自分の一身を投入してその一族を生かしたのちに、一族が自分を定着させてくれて初めて私が生きるのです。さもなければ潔く祭物として消えていこうという犠牲的精神をもつ、そんな相続者がいなければ、この南韓の地が天国の基地として残り得る国家の基盤はできないということを、はっきりと知らなければなりません。

(177−163,1988.5.17)
            
 相続は天の名によって、天の命令によってなされるものです。相続は民主主義式ではできません。もしそうであれば滅びます。国会の相続、授権政党というものを、自分たちが偉いからといって自分たちの手段方法をもってしてはいけません。国の伝統を立てなければなりません。命令によってなされるものであるがゆえ、命令を受けることができなければなりません。そのような社会にならなければならないのです。それを分かってほしいと思います。
            
 今回皆さんを配置したのですが、それは皆さんが愛の主人、サタンが愛してきたそれ以上の愛をもって、主人意識を回復した立場に立ち、神様に代わって、イエス様に代わって、先生に代わって、子孫として堂々と伝統を受け継ぐ天の相続者としての権威をもち、主人の役割を堂々と果たしてくれることを願って故郷に送ったというわけです。これまで故郷では私たちに反対してきましたが、これからは順応できるようになりました。文総裁のもとに従ってこれるようになっているということです。

(179−93,1988.7.22)
            
 愛には相続権があるのです。驚くべき事実です。この世でも、親が相続権を与えるときには、父母を愛し、国を愛し、兄弟を愛する人に与えようとします。それはなぜでしょうか。その伝統の歴史的起源、出発の起源に合っていて初めて正しい種となるからです。それが分からずにいたのです。

(179−235,1988.8.12)
            
 歴史上どんな父母にもそれはできません。私が最高の伝統を立てました。そのような伝統を皆さんに相続してあげようというのです。皆さんは何をしているのですか。これから季節が変わります。春が来るのです。お父様は春だけではありません。四季……。そのような態度でやっていくのです。

(189−117、1989.3.19)
            
 生命よりも貴いものは何でしょうか。私が貴いでしょうか。私の生命よりも、もっと貴いものは何ですか。それは愛であるがゆえに、高い愛をもった人の前に忠誠を尽くさなければならないのです。
 それゆえ、家庭に入れば父母の前に服従するのです。愛の最も高い位置にあるのが父母の愛であるがゆえに、その愛を慕う息子、娘は、千年、万年順応しながら、その愛を相続するために、山奥をさまようような立場にあっても良いというのです。あの臭い肥やしを頭からかぶっていても、父母を愛する伝統を受け継いでいかなければならないという立場で、「孝行しなさい」という父母の言葉を永遠に誇ることのできる愛を相続するのです。そうならなければなりません。

(191−222,1989.6.25)
            
 先生がこの世を去るときの贈り物として、何を残していくかということを考えるとき、それが最高の贈り物なのです。それは天地を渡しても売り買いすることのできないものです。その贈り物は、先生が真の父母だという場合、真の子女がいたとすれば、血統的に一つに結び付けてくれるものです。血統的に一つとなったというのは、生活はもちろんのこと、環境のすべてまでも収拾されます。父母に代わる者、父母に代わって愛する者であるがゆえに、父母のみ言を相続し、父母の文化を相続し、父母の生活方式を相続しなければならないのです。それが伝統的な道です。

(190−227,1989.6.19)

 

 

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家庭連合が堕落したので、

新たに世界平和連合に変わる機構を創らなければなりません。

 

 

 


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