原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

原罪とは実体ではなく、神ではなくサタンが人間を所有することができる条件のことである 韓鶴子にはこれがわからない

善悪と言うものが、目的性、方向性の違いによって引き起こされて来ることを

原理講論は語っている。

それ故、方向性が180度ちがうのだから、方向性を正せば復帰の可能性があるということになる。

包丁自体が善や悪ではなく、それを料理に使えば善だが、人殺しに使えば悪だというわけである。

 

人間の所有、すなわち神の支配、神の直接主管はある条件が成立することによって決定される。

神とサタンの中間位置にある堕落人間は何らかの条件を立てなければ

神のものともサタンのものとも言い難い宙ぶらりんな状態であった。

 

言い切ってしまうなら、神と一体のときには原罪はないのである。

厳密に言えば、絶対的な一体化である。

 

そのためには単なる善の条件を立てただけでは、神の所有とはみなされない。

ではどのような条件を立てればサタンの所有から神の所有に転換できるのかと言えば

御存知の通り人類始祖が、あるサタンが所有し得る条件を立てて堕落した時と

逆の経路で逆の条件を成立させなければなない。

これが血統転換であった。

 

韓鶴子オモニは、われこそは無原罪で誕生した独生女なるぞ!と繰り返し繰り返し公言している。

そして、アボジはイエス様に召命されたときから原罪が精算されたが自分は生まれたときからだと言う。

 

そもそも韓鶴子オモニは原罪とは何かをご存知であろうか?

どのような条件が成立して血統転換がなされてきたと説明できるのであろうか?

不可能である。

御自分をメシアだとお思いのようだが、み言葉を復帰したことがない。

エス様もオリーブの喩えや種まきの喩えで血統転換を語ってきた。

弟子たちは訝しく思った。

「先生、どうしてわれわれにはあからさまに語るのに、他の人にはたとえでお話になるのですか?」と。

堕落人間をサタンの血統から神の血統に転換してくださる方がメシアである。

 

統一原理も知らず、血統転換も解せず、どうして生まれながら無原罪だと言えようか?

そもそも原罪があるなしとは何かさえ知らないのが韓鶴子オモニである。

それどころか、キリスト教2000年間が再臨される主の前に新婦として侍ってきた歴史すら知らない。

統一原理はおろか聖書も理解していないのが韓鶴子オモニである。

勿論そのようなことは、再臨主と一体化していさえすれば

ある意味とるに足らないことではあった。

 

オモニは生い立ち上、み言葉より霊的な証を重視してきた。

オモニがいろんな霊能者に会うのが好きだったという話がある。

大母様は何故聖書をよく読むように教育されなかったのであろうか?

 

韓鶴子オモニは大母様がどのような血統転換の摂理を担われたか

答えることができない。

原罪とは何か?血統転換とは何か?を

そもそもまったく知らないのである。

 

そのようなただの女がどのようにして主礼として立ち得ようか?

その女が如何にして血統転換へと導く祝福ができようか?

できるはずがない。

 

アボジが何故原理本体論をオモニも学ばなければならないと言われたのか?

本体論の核心が絶対「性」だからである。

絶対「性」の観点から、原理講論の内容を語り直さねばならず、

特に復帰原理こそそうしなければならなかたのである。

男性と女性とでは、アダムとエバがどのような立場で堕落してどうなったかが違うのであるが、原理講論では男性の復帰摂理が中心に説かれ、アベルカインとして表現されてきた。

女性に関してはほとんど何も語られていない。

「タマルがわかれば原理のすべてがわかるよ」とアボジは語られているのに、

講論には殆ど触れられていない。

女性の絶対「性」に関係するところは、サラぐらいである。

しかも無難な話である。

 

キリスト教には主の花嫁思想がある。

これはオブラートに包んだように聞こえがよい。

あからさまに言えば、主の花嫁とは主の妾という意味である。

それがわからずして原罪がわかるはずもないのである。

韓鶴子オモニが無原罪だといくら言っても、

原理的な無原罪とはおよそ関係のないサタンの巣窟圏の話なのである。

 

非原理的な無原罪を主張するオモニは

アボジと一体化していると言えるであろうか?

それどころかメシアの仕事が原罪の精算であり血統転換であるのに

間違った原罪観と女性メシア観を抱いて実行する女は

反キリストに他ならないのである。

 

12弟子はイエス様と行動したが、

エス様の最後のときにはどこにいただろう。

 

最後が問題である。

お父様が聖和される前後が問題である。

反キリストの尖兵韓鶴子と地に墜ちたのであった。

 

堕落人間の男性の精子はサタンの血統の種でしかない。

祝福家庭の男性が自分の精子によって子女が生まれてきたというなら

血統転換は外的のみになり内的には失敗となる。

天使長の精子しか持たない輩にどうして神の血統の神の子女ができようか?

 

だから全世界の女性は再臨主の妾にならなければならない。

それがキリスト教の主の花嫁思想である。

 

これを恥ずかしく思うことが、再臨主の絶対「性」を疑うことになるのである。

だから、本来二世は天使長たる一世の父親の子供ではない。

それゆえ原罪がないのである。

 

自叙伝が出版されて以降は、これをかくさず誇らなければならない。

20%はアボジに語らせたり、子女様に語らせてはならない。

我々がとっくに信仰告白すべきものであり、それによって子女様を守るべき責任があった。

何故、原理通り側近たちはしなかったのか?

アボジが服を次々に脱がれていく裸を見て恥ずかしく思わなかったことが

絶対「性」であるものか!

阿呆め!

 

6マリアだろうが

60マリアだろうが

60億マリアだろうが

アボジは絶対「性」のお方である!

 

実体的にできないから、選ばれた数理的人物で終わらせ

人類は象徴的な条件で復帰していくことになる。

それが三日行事である。

 

以前の本体論の問題点は復帰原理を血統転換の観点から書き直していないことである。

男性型のアベルカインだけでは片手落ちなのである。

これに女性型のアベルカイン、すなわち正妻と妾の復帰原理を明らかにして

はじめて原理の全貌が見えてくるのである。

 

今回本体論が改定されたようだが、

これができていなければ三度目の正直に向かわなければなるまい。

 

韓鶴子オモニは堕落して、無精卵祝福、すなわち天使長の精子の祝福を拡大しているのである。

サタンにとって痛くも痒くもない。

サタンの掌の儀式なのである。

 

康賢実オモニ万歳!