原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

9月23日 シオンの山の天一宮とそれに繋がる教会に 選ばれし者が招かれる 象徴的数14400人と言われた

黙示録第一章には、メシアの降臨が宣布されている。

今日は、聖書の日本語訳には新約聖書翻訳委員会訳を用いていきます。

 

 私たちをいつも愛し、また自分の血でもって、わたしたちのもろもろの罪から、私たちを解放した者、そして、彼の父である神に私たちが祭司として仕えるために、私たちを用いて王国を造り上げた者、この方に、栄光と権力とが〔世々〕永遠にありますように、アーメン。

 見よ、その方が雲に乗って来る。

そしてあらゆる人の目が彼を見る、

彼を突き刺した者たちさえも。

地上のあらゆる部族は、彼のゆえに胸を打ち叩いて嘆く。

然り、アーメン。

 全能者にして神なる主、現在在し、かっても在し、またこれから来る者が、こう言われる、「私はアルファであり、オメガである」。

黙示録1:5〜8

 

 

 我々は黙示録のすべてを詳細に知る必要はない。

現在我々がこの記述のどの地点に立っているかを知ればよい。

我々は9月23日に向かってる。

黙示録の記述と天空の様相が一致する時点に向かっている。

 

8686

画像は サンクチュアリNEWS より引用

 

9月23日と言うのは聖書の七年の患難の中間地点のことであった。

聖書はこの七年を前半と後半の二つに分けている。

そして、我々はその目前に立っている。

聖書ではこの七年の艱難を二つの時期に分けて表現している。

すなわち、「四十〔と〕二ヶ月の間」=12✕3+6ヶ月=三年半

 

 それから、私に杖のような物差しが与えられて、こういう声があった、「さあ、立って、神の神殿と祭壇の寸法を測り、そこで礼拝している者たち〔の数を数えよ〕。しかし、神殿の外のある庭は捨てておけ。その寸法を測ってはならない。そこは〔異〕民族たちに与えられたからだ。彼らはこの聖なる都を四十〔と〕二ヶ月の間踏みにじる。

 私は私の二人の証人に、千二百六十日間、粗布を身にまとって預言することを許そう」。これら〔二人の証人〕とは、大地の主の前に立っている二本のオリーブの木〔であり〕そして二つの燭台である。

黙示録11:1〜4

 

「二本のオリーブの木

オリーブの木はキリストを表し、

「二つの燭台」

二つの燭台も世を照らす神の子キリストであるお二人の兄弟であろう。

1260日というのは、何らかの理由で一年360日と見立てて

表現したものであると思われる。

1260÷360=3.5(三年半)

 

続く黙示録では、

 

 二人がその証言を終えるとき、一匹の獣が底なしの深淵から上がって来て彼らと戦い、二人に打ち勝って、彼らを殺す

黙示録11:7

 

お二人は証人として

独生子が絶対「性」であることを証しし、

独生子が無原罪で生まれ、独生女は原罪をもって生まれたことを証しし、

独生子こそがメシアであり、独生女は堕落したエバすなわち偽キリストであることを

証しした。

 

だが、邪悪な勢力のために家庭連合での存在を抹殺され、影響力は皆無になってしまった。

 

 しかし3日半たって、生命〔を与える〕霊が神から〔送られて、〕彼ら〔二人〕の中に入り込み、彼らは自分たちの足で〔すくっと〕立ち上がった。そこで、彼らを見ていた者たちに大きな恐怖が襲った。二人は、天から大声がして、自分たちに向かって、「ここにのぼって来い」と言うのを聞いた。それで二人は雲に包まれて天にのぼった。彼らの敵たちもそれを凝視した。ちょうどその時に、大地震が起こって、その都の十分の一が倒壊した。そしてその地震で、七千人の人々が死んだ。〔生き〕残った者たちは恐怖におののいて、天上の神の栄光を認めた。

黙示録11:11〜13

 

十字架につけられ復活されたお二人の兄弟は

聖化された信徒とともに天に在することになった。

清平を都とする家庭連合に激震が走り、その機能の十分の一は機能不全に陥った。

 

さて、次に続く12章は亨進様が語られています。そちらを御覧ください。

 

互いに祈り合うとき-「王国の戦争」8月20日(その1)英語説教 – サンクチュアリ NEWS

 

統一教会の母-「王国の戦争」8月20日(その2)英語説教 – サンクチュアリ NEWS

 

 天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である-「王国の戦争」8月20日(その3:完結)英語説教 – サンクチュアリ NEWS

 

次の章である13章には二匹の獣が出てきます。

また、後半の三年半を示す言葉「四十〔と〕二ヶ月の間」という表現が出てきます。

一匹目の獣の説明では、

 

 それから、その獣に大言壮語と冒涜の言葉を語ることが許された。また、四十〔と〕二ヶ月の間〔自分の思い通りに活動する〕権威が与えられた。獣は、神に対する様々な冒涜の言葉を吐くためにその口を開いた。神の名前とその幕屋とを、つまり天に住む者たちを冒涜するためである。この獣は、聖徒たちと戦い、彼らを打ち負かすことも許され、また、あらゆる部族や国民や国語〔の違う民〕や民族を支配する権威が与えられた。地上に住む者たち、すなわち、世界が創造された時から、屠られた子羊の生命の書の中に名前を書き込まれていない者たちは皆、この獣を礼拝するようになる。もし誰でも、〔聞く〕耳があるなら、聞くように。

「誰でも、牢獄に〔繋がれる運命にある〕なら、牢獄に行く。

誰でも、剣でもって殺される〔運命にある〕なら、彼は剣でもって殺される。」

ここに、聖徒たちが忍耐し信仰〔すべき必要〕がある。

黙示録13:5〜10

 

お父様の権威に戻るための聖酒式に参加せず、小羊の「生命(いのち)の書」の中に名前を書き込まれていない者たち、すなわち家庭連合やこの世の者たちは、サタン崇拝をことの重要さを知る知らずにかかわらずするようになる。

 

続いて二匹目の獣の説明があるが、

 

 そして、第二の獣は、かの獣の像に霊を吹き込むことを許された。それは、かの獣の像がものを言うことさえできるためであり、また、かの獣の像を礼拝しない者があれば、すべて殺させる〔ためであった〕。そして、卑小な者にも偉大な者にも、金持ちにも貧乏人にも、自由人にも奴隷にも、誰にも皆、その右手か額に刻印を受けさせる。それは、刻印〔のある者〕、つまり、かの獣の名前か、あるいは彼の名前〔を記す文字〕が表す数字のある者のほかは、誰も買ったり売ったりすることができないようにするためである。

 ここに、知恵〔を働かせるべき必要〕がある。理性のある者は、かの獣の数字を数え〔て、それにどんな意味があるのかを考え〕なさい。なぜなら、それはある人間の〔名前を表す〕数字だからである。その数字は六百六十六である。

黙示録13:15〜18

 

サタンやサタンの化身、また彼らに支配され罪の奴隷になった者たちを識別する刻印があり、その数字が「666」であった。

神のものではなく、サタンの所有だというのです。

サタンの所有権。

1000を完全数と見て666とするならば、

これを百分率にすると、

66,6%です。

人類始祖の堕落が長成期の完成級でした。

そこで完成期以外の三分の二がサタンに奪われました。

66.6%です。

ひとつの意味はこんなところでしょうか。

 

さて今日のブログの目的は黙示録の解説ではありません。

9月23日が、我々成約聖徒にとっていかなる日になったのかということです。

 

摂理が人間の責任分担不履行故に延長に延長を重ね、

やり直さなければならなくなり、繰り返され同時性を生んできました。

黙示録の預言も人間の責任分担が為されなければ、再解釈を余儀なくされました。

9月23日は復帰摂理の、七年の患難のターニングポイントでした。

前半の三年半はお二人の兄弟による文鮮明再臨主の証と、反キリスト韓鶴子オモニとの戦いが主なものでした。

後半の三年半はユダヤ金融資本家勢力によるグローバリズムとの戦いと、

彼らの洗礼を受けた習近平中国共産主義との戦いが主流になっていきます。

 

それとは反対に、

神の勢力が現れると黙示録14章では預言されました。

9月23日のことです。

本来であるなら、サンクチュアリ人すべてが招集されている日です。

「あなたはこれを信じるか?」

シオンの山上の小羊とその信従者のことだというのです。

 

 また私は見た、すると小羊がシオンの山の上に立っていたのではないか。小羊と共に、十四万四千人の人々も〔立っていたが〕、その人々の額には小羊の名前と小羊の父の名前とが書かれていた。また、私は大水の轟きのような、また激しい雷鳴のような声が天から響いて来るのを聞いた。私が聞いたその声は、竪琴を奏でる人たちが自分たちの琴を〔かき鳴らしつつ〕歌う歌声にも似ていた。彼らは玉座の前で、新しい歌〔のようなもの〕を歌っている。その歌は、地〔上の世界〕から贖い出された十四万四千人の人々のほかは、誰一人として歌うことができなかった。

黙示録14:1〜3

 

www.youtube.com シャボン玉さんお紹介された動画

 

神の所有か、サタンの所有か?

それが問題です。

人々は山羊と羊により分けられ、所有者の主管圏に住みます。

神の刻印か、サタンの刻印か?

それが問題です。

 

天一国国家は韓鶴子オモニによって勝手に変更されました。

家庭連合では歌われなくなりました。

再臨主が作詞された創造本然の歌でした。

第二代王亨進様はこれを元返し

正常化されました。

 

彼らは玉座の前で、新しい歌〔のようなもの〕を歌っている。

 

エス様の十字架上で右の泥棒はイエス様を擁護し罪なきキリストと信じ

自分のことを覚えてほしいと願った

彼は人生の失敗者であった。

だが、最後の最後で信仰を立てたので

エス様に、

おまえはわたしとパラダイスにいるであろうと約束された。

信仰は肝心なとき、最後の時に全うしなければ

それまでのすべての精誠は虚しく消えていく。

 

神は神のみ旨の貴重な時間を奪ってきた役立たずの大泥棒にも、

優しく御手を差し伸べてくださる。

父よ、あなたにふさわしからざる者ゆえに

御手ではなく 御衣の裾を握らせ給え!

 

御父の声に

 

聞こえる者は聞くがよい。

聞こえぬ者も聞くがよい。

その声は聞こえても聞こえず、

その声は聞こえずとも聞こえる。

話せる者は話すがよい。

話せぬ者も話すがよい。

その声は話しても響かず、

その声は話さずとも響く。

見える者は見るがよい。

見えぬ者も見るがよい。

その手招きは見えても見えず、

その手招きは見えずとも見える。

 

われは行く。

聞こえざる声と見えざる御手に導かれて

遠く遥かなシオンの山も

今や我が胸の中にある 父の御下に降りきたった。

 

 

 

皆様に神様の祝福と加護と導きがありますように!

 アージュ

 

 

 


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