不確実なリスクには、起こってみなければどんなリスクだったか知れやしません。
そんな時には、株やFXをする人は、「損切り」で対処するものです。
わたしは株やFXはしませんが、
自分の持っているすべてを手放せないと強情に居直るのではなく、
見切ってしまえというのです。
1000株持っていた一株1000円の価値があった株が、今日は900円に下がってしまった。
どうやらこれからも下がりそうだ。(リスク)
でも下がらないかもしれない。
とりあえず、200株を売ろう。(損切り)
翌日株価はさらに800円まで下がります。
そこで、まだ下がるかもしれないし、止まるかもしれない。
そこで、さらに200株を売りました。
ところが翌日も700円まで下がります。
まだまだ下がるかもしれないが、そろそろ止まるかもしれないし、
反対に上がるかもしれない。
もう少しだけ処分してみよう。
200株を売りました。
勿論一気に全部売ることもできましょうけれど、
好転するかもしれないという期待もあります。
そこで、少しづつ処分することで、株価が例えば以前よりも高く値を上げた時のために
数回に処分を分けることで、損失がそれらの平均で収まるようにしました。
韓国聖殿の方たちには、この「損切り」という概念が
不確実性のリスクに対処する際に欠けていはいまいかと不安です。
リスクは損切りで対処するか、何らかの保険によって
失われた際に同様の価値を再び手に入れるか
そのふたつが一般には予想されるかと思います。
スーパーでも、20%引きとかのシールが張ってある商品があります。
賞味期限が近づいてきているので、購買されないリスクを回避するための
「損切り」の対処でしょう。
彼等に「損切り」や「保険」の概念がもしなかったとしたら、
最悪の事態に直面してどうするというのでしょうか?
備えあれば憂いなしではないでしょうか?
不思議の国 韓国?
今の状態を全部失いたくないのは理解しますが、
リスクを回避するには、何かをどこまでか失わなければならない事があるようです。
神のご加護を!
アージュ。
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