神を金の仔牛に取替え、キリストを銀貨に交換し、地方の通貨をシュケルに交換し拝金ビジネスは始まる
ロックフェラーが亡くなったそうです。
19世紀まではロスチャイルドが世界の重要な歴史に関わってきたようですが、20世紀になると、ロスチャイルドよりロックフェラーの方が力を持つようになったといいます。
これらの家系は色々取り沙汰されて、陰謀論ということで話題を振りまいてきました。
亨進様の説教にもいろいろな方や機関が登場します。
これが説教を難しくしています。
予備知識がないとどう受け止めてよいか戸惑う事がありました。
私自身は陰謀論や秘密結社については話題に上がることもたまにはありましたが、
あまり深入りしないようにしてきました。
イルミナティについてもどう思いますか?と
食口に尋ねられたこともありまが、お茶を濁すような答え方だったと思います。
金の子牛を造っている民があります。
:1)民はモーセが山を下ることのおそいのを見て、アロンのもとに集まって彼に言った、「さあ、わたしたちに先立って行く神を、わたしたちのために造ってください。わたしたちをエジプトの国から導きのぼった人、あのモーセはどうなったのかわからないからです」。
:2)アロンは彼らに言った、「あなたがたの妻、むすこ、娘らの金の耳輪をはずしてわたしに持ってきなさい」。
:3)そこで民は皆その金の耳輪をはずしてアロンのもとに持ってきた。
:4)アロンがこれを彼らの手から受け取り、工具で型を造り、鋳て子牛としたので、彼らは言った、「イスラエルよ、これはあなたをエジプトの国から導きのぼったあなたの神である」。
:5)アロンはこれを見て、その前に祭壇を築いた。そしてアロンは布告して言った、「あすは主の祭である」。
:6)そこで人々はあくる朝早く起きて燔祭をささげ、酬恩祭を供えた。民は座して食い飲みし、立って戯れた。
Early the next morning they bought some animals to burn as sacrifices and others to eat as fellowship offerings. The people sat down to a feast, which turned into an orgy of drinking and sex.
拝金主義は淫行と結びついていることの象徴としてこの物語は受け取れます。
:7)主はモーセに言われた、「急いで下りなさい。あなたがエジプトの国から導きのぼったあなたの民は悪いことをした。 :8)彼らは早くもわたしが命じた道を離れ、自分のために鋳物の子牛を造り、これを拝み、これに犠牲をささげて、『イスラエルよ、これはあなたをエジプトの国から導きのぼったあなたの神である』と言っている」。 :9)主はまたモーセに言われた、「わたしはこの民を見た。これはかたくなな民である。 :10)それで、わたしをとめるな。わたしの怒りは彼らにむかって燃え、彼らを滅ぼしつくすであろう。しかし、わたしはあなたを大いなる国民とするであろう」。
これを聞いたモーセは神をなだめてイスラエルの許しを請うのだが、実際に彼等のところにやって来てみるとその乱痴気騒ぎは大変なものであったので、モーセも怒り狂ってしまう。
:17)ヨシュアは民の呼ばわる声を聞いて、モーセに言った、「宿営の中に戦いの声がします」。
:18)しかし、モーセは言った、「勝どきの声でなく、敗北の叫び声でもない。わたしの聞くのは歌の声である」。
:19)モーセが宿営に近づくと、子牛と踊りとを見たので、彼は怒りに燃え、手からかの板を投げうち、これを山のふもとで砕いた。
:20)また彼らが造った子牛を取って火に焼き、こなごなに砕き、これを水の上にまいて、イスラエルの人々に飲ませた。
神ではないものに主管されていた民に、これをを破壊させ粉砕したものを水の中に混ぜて飲み込ませたことによって、主管性を復帰させる条件となったのかもしれない。
その上で、善悪を分立させます。
:26)モーセは宿営の門に立って言った、「すべて主につく者はわたしのもとにきなさい」。レビの子たちはみな彼のもとに集まった。
:27)そこでモーセは彼らに言った、「イスラエルの神、主はこう言われる、『あなたがたは、おのおの腰につるぎを帯び、宿営の中を門から門へ行き巡って、おのおのその兄弟、その友、その隣人を殺せ』」。
:28)レビの子たちはモーセの言葉どおりにしたので、その日、民のうち、おおよそ三千人が倒れた。
:29)そこで、モーセは言った、「あなたがたは、おのおのその子、その兄弟に逆らって、きょう、主に身をささげた。それで主は、きょう、あなたがたに祝福を与えられるであろう」。
その命令は、神に従わない者なら、たとえ自分に情の近い兄弟や友や隣人であっても殺せというものでした。
その行為によって初めて神に忠実であるか否かが確定したのです。
善悪が分立されたとみなされるのです。
この時代に分派家庭連合があれば、分派家庭連合に所属する家族や友人を滅ぼさなければならない。この感覚があって初めて善悪が分別されるのです。
:30)あくる日、モーセは民に言った、「あなたがたは大いなる罪を犯した。それで今、わたしは主のもとに上って行く。あなたがたの罪を償うことが、できるかも知れない」。
:31)モーセは主のもとに帰って、そして言った、「ああ、この民は大いなる罪を犯し、自分のために金の神を造りました。
:32)今もしあなたが、彼らの罪をゆるされますならば――。しかし、もしかなわなければ、どうぞあなたが書きしるされたふみから、わたしの名を消し去ってください」。 :33)主はモーセに言われた、「すべてわたしに罪を犯した者は、これをわたしのふみから消し去るであろう。
:34)しかし、今あなたは行って、わたしがあなたに告げたところに民を導きなさい。見よ、わたしの使はあなたに先立って行くであろう。ただし刑罰の日に、わたしは彼らの罪を罰するであろう」。
:35)そして主は民を撃たれた。彼らが子牛を造ったからである。それはアロンが造ったのである。
アロンは分派家庭連合の指導者を連想しますが、
同時にサンクチュアリの指導者も同様な試練を受ける可能性があると言えます。
金の仔牛はサンクチュアリに当てはめてみると、例えば
アボジの御言葉では氏族メシア活動が王道であるはずだ、それなのにデモ活動が主流になるのはおかしいというような考えになります。
これはつまり、結果として第二代王の亨進様を否定することにつながっていくのです。
「お父様の意志と亨進様の考えは違う。」ということになっていくので危険なのです。
「お母様の意志と亨進様の考えは違う。」という分派家庭連合の主張にどこか似ている。
すべてのものには全体目的と個体目的があります。
摂理的目的と個人的目的があります。
今トランプに対する意識よりも氏族メシア活動に意識が高く、実際に行動している人は主流には残れない。支流や亜流になっていく。
私はそう思います。
申命記9章にも金の仔牛事件のことが出てくるが、出エジプト記にはないアロンのことがそこには書いてあります。
:19)主は怒りを発し、憤りを起し、あなたがたを怒って滅ぼそうとされたので、わたしは恐れたが、その時もまた主はわたしの願いを聞かれた。
:20)主はまた、はなはだしくアロンを怒って、彼を滅ぼそうとされたが、わたしはその時もまたアロンのために祈った。
申命記第9章
関連する聖書考古学セミナーの文章を引用します。
預言者ホセアと豊穣儀礼―現代社会への警告 : 神学・教育 : クリスチャントゥデイ
より引用
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21日、聖書考古学資料館(東京都千代田区お茶の水クリスチャンセンター内)は、第18回聖書考古学セミナー第二回目として「預言者ホセアと豊穣儀礼」と題したセミナーを開催した。
聖書考古学資料館(TMBA)館長津村俊夫氏は、第二回目セミナーにおいて旧約聖書の預言者ホセアが生きた時代に広まっていた「豊穣儀礼」の様子について解説し、現代日本社会に住む私たちに、当時の豊穣儀礼と預言者の警告がどのような意味・重要性を持っているかを説明した。
紀元前8世紀の預言者ホセアの時代において、ホセアが活躍した北イスラエル王国では、経済的・政治的に安定しており、宗教的な堕落が生じていた。
当時子牛崇拝が盛んに行われていたことが考古学的見地からも示されており、ホセア書でもその様子が克明に記述されている。1990年にはイスラエルの古代都市アシュケロンで紀元前16世紀に作られた「銀の子牛」の像が出土しており、古代イスラエルにおける「子牛崇拝」の歴史が長く続いていたことが改めて示された。
ちょうどモーセとアロンがエジプトからイスラエルの民を導いていた時代が紀元前15世紀(早期説)又は13世紀(後期説)であるから、その時代にはすでに「子牛崇拝」がカナンの地に久しく続いていたことになる。出エジプト記20章3~4節では「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも作ってはならない」との警告が書かれてあるが、その警告を破ってアロンは民の不安を取り除くために「金の子牛」を造り、「イスラエルよ。これがあなたをエジプトの地から連れ上ったあなたの神だ」(出エジプト32・4)と民に伝えた。
前10世紀後半には、政治的な意図からヤロブアムが金の子牛を二つ造り、イスラエルの民に、エルサレムに上らなくてもそれぞれの地で礼拝できるようにさせた。「子牛」という偶像を造ることで、「見えない神」を見える神にさせてしまったこと自体が問題であり、偶像を土地土地で造ることで、それぞれの土地での神が生じ、「ヤハウェの『地方神』性」が生じるようになっていったことが指摘された。
さらに地方神性がはびこるに応じて、それぞれの土地の「ヤハウェ」の配偶者となる女神も生じるようになり、土地土地に偶像、偽りの神を崇拝する文化がはびこっていき、ヤハウェ宗教の仮面をかぶった「バアル宗教」が盛んに生じるようになった。
津村氏は「バアル宗教」において非常に注目するべきこととして「創世記には『バアル』の記述がどこにもない」ことを挙げた。イスラエルの民がエジプトから荒野の地を通り、カナンに近づくにつれ、バアルを崇拝するようになっていったことが、聖書の記述や出土されたバアルの彫像等によって示されている。
バアル宗教はイスラエルに於いて紀元前10世紀までは生じては消えて行くような状態であったが、当時ソロモン王が外国の妻たちによる異邦の神の崇拝を合法化してしまったことによって、イスラエルの民の間に様々な宗教の影響が公認された形で入ってくるようになった。紀元前9世紀にはイゼベルとアハブによるバアル崇拝が盛んに行われ、第一列王記18章19節には「バアルの預言者450人、アシェラの預言者400人」が生じるようになったことが書かれている。
その後紀元前8世紀の預言者ホセアの時代においては、経済的・政治的に比較的安定した中にあって、ベテル、ダン、サマリヤ、テマンとそれぞれの地方において子牛に関係のあるヤハウェが生じており、ヤハウェとバアルの一体化も生じるようになった。考古学的見地からすると、当時イスラエル以外の異教の国では、豊穣儀礼として子牛、地方神、アシェラ女神を崇拝することは当たり前の様に行われていたという。
豊穣儀礼は繁栄、御利益をもたらすために行われていた儀礼で、「バアル」は豊穣神として祭られており、「良きこと、良きもの」をもたらす豊穣の神であると信じられていた。他にも豊穣の女神として、アナト女神、アシェラ女神、アスタルテ=イシュタル=アフロディテ女神等も崇拝されていたことが、出土された豊穣儀礼文書などから示されている。
豊穣儀礼の祭儀の習慣として、人間が「神々」への呼びかけを行い、共感魔術によって「死と悪」の神を征服することが行われ、倫理を超えて「滞りなく」祭儀が行われるようになっていったことが、ウガリト出土の粘土板文書 (KTU 1.23/UT 52) に基づいて解説された。
紀元前8世紀のイスラエルの歴史において、津村氏は「表面的にはヤハウェを礼拝しているように見えても、実体は限りなくバアル礼拝であった」ことを指摘し、その結果神の裁きが生じ、アッシリアによる捕囚が生じるようになった(Ⅱ列王記17章6~23節)ことを指摘した。
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ここでは豊穣儀礼としての金(銀)の仔牛が説明されています。
金の仔牛はゴールドの増殖、マネーの増殖の象徴のように見えます。
神の民が、金の仔牛信仰という拝金主義でサタンの奴隷に成り下がりました。
神の民は心情の繁殖でしたが、サタンの民は金(カネ)の増殖でした。
金を増やす方法はどうだったのでしょうか?
ロックフェラーやロスチャイルド、ジョージ・ソロスといった人たちを思い浮かべると、私はこのモーセの時の金の仔牛と、イエス様が神殿の両替商を叱ったこととや、ユダがイエス様を銀貨30枚で売ったことを思い出します。。
彼らに対する陰謀論は、多くの人の関心を引いてきた。
確かに彼らの集会において、謀議がなされてきたこともあったのだろう。
だが、一体これは宗教的にはどこに起源があるのでしょうか?
私にとって彼らは拝金主義の宗教とそれに付随する堕落した儀式や淫乱というものは、天一国憲法の三大天法に関係した背信であり、実際上は拝金ビジネスによって成り立っていると思われる。
ここで言う拝金ビジネスというのは、
真実のものを偽りのものに取り替えて富を生み出す行為のことです。
モーセの時代の「金の仔牛」は、
真実の神を偽りの神に取り替えるということでした。
神をサタンに交換したのでした。
この「取り替える」「交換」という行為が、見かけ上は様々に複雑化してはいるが
大昔も現代もさして変わらない特徴であるとみています。
ゴールドやマネーに交換、いや変換していく詐欺師の錬金術です。
私は何故聖書で出てくる偶像が、仔牛なのかと不思議に思ってきた。
牛ではなく仔牛であるというのは、「繁殖性」を象徴しているのかもしれない。
つまり、ゴールドやマネーが増えていくことを象徴しているのかもしれない。
モーセの時代では、神を神ではないものに取り替えたことが、
イエス様の時代では、キリストを神の子ではない銀貨に取り替えた。
わたしはこれらの行為を、一種の両替の行為に似ていると考えている。
両替によって増える仕組み。
為替という言葉も、学生の頃はよくわからない言葉だった。
考えてみれば「お金に替える為の証書」ということで、為替なのかもしれない。
平たく言えば両替と言うことなのだろう。
神でないものを金の仔牛に交換し、
キリストの等価として銀貨に換金することは、
いっそう神殿にいる両替商によって堕落世界の
経済的交換の特徴を表していると思われます。
:13)さて、ユダヤ人の過越の祭が近づいたので、イエスはエルサレムに上られた。 :14)そして牛、羊、はとを売る者や両替する者などが宮の庭にすわり込んでいるのをごらんになって、
:15)なわでむちを造り、羊も牛もみな宮から追いだし、両替人の金を散らし、その台をひっくりかえし、
:16)はとを売る人々には「これらのものを持って、ここから出て行け。わたしの父の家を商売の家とするな」と言われた。
:17)弟子たちは、「あなたの家を思う熱心が、わたしを食いつくすであろう」と書いてあることを思い出した。
要するに、神に献金や献品するために、はるばるエルサレムに上京して来た信徒に対して不当な換金をしていた両替商や、不当に高い金額でアブラハムの三種の供え物にある動物を売っていた商人をイエス様は糾弾したのです。
いったい温厚な人柄のイエス様が何故このように厳しい姿を見せたのか?
本質的な問題を見ていたからだと思う。
現代の問題にも通じる根本問題がそこにあるからだと考える。
神に捧げられるべき献金を横領して増殖させる仕組みがビジネスの初めではないのだろうか?
これが、王に捧げるべき税金の横領に変わってくる。
一旦話をロスチャイルドに向けてみることにする。
副島隆彦の「ロスチャイルド200年の栄光と挫折」から引用する。
王権に軍資金を用立て
ヨーロッパで、宮廷ユダヤ人という貴族化した金融家が出現したのは、17世紀ごろからだ。やがてザクセン公国やプロイセン王国が興り、ロスチャイルド財閥が宮廷ユダヤ人の中で目立つ存在となった。
彼等はヨーロッパ諸国の王たちに、軍資金を用立て、国家相手の金融業で世界を動かすことになる。
国王たちは、「王の蔵」(ファイナンス)という自分の財産の蓄えを持っていた。このファイナンス(王の蔵)から、現在の財政(finance)というコトバが生まれたのである。国王たちは多くの宮廷従者や、兵隊を養わなければならないから、常に国庫(ファイナンス)の資金は不足し、戦争のための軍資金も必要だった。
王様という残虐な人間は戦争が大好きだ。宮廷ユダヤ人たちは王様に「王様。戦争をしたいでしょう。戦争をしてあの国を取りにゆきたいでしょう。王様、どうぞ戦争をしてください。必要なお金(資金)は、私がなんとか用立てしましょう。そのかわりその信用証書(ワラント)を書いて私めにください」と言って私めにください」と言って、言葉巧みに資金を貢いだのだ。
この時、王様たちが書いて発行した、宮廷ユダヤ人への借用証書が、現在の国債なのである。
今の言葉で言う国債(ナチュラル・ボンド)そのものだ。国家の借用証書である。どうせこのお金は民衆から取り立てなければ済まない。
徴税請負人としての宮廷ユダヤ人
案の定、王様たちはその借金を返せない。どの国も借金地獄である。
そこで宮廷ユダヤ人たちは、王様にこう囁いた。「王様。お金は貸しました。お願いです。そのお金は、私に返さなくていいです。そのかわりに、新しい税金の項目をつくってください。そして、その税金を国民(王様の臣民、サブジェクトたち)から取り立てる権限を、どうか私めにお与えください。そうしたら、私が、立派に税金として取り立てます。それで、王様にお貸ししたお金は、返済してもらったことにしますからので」と、言ったのだ。
そうやって借金証書を王様の目の前で燃やしてみせた。「なんという忠臣よ」と王様たちは感激した。借金漬けの王様たちは泣いて喜んだ。このようにして宮廷ユダヤ人たちは徴税請負人にもなった。
宮廷ユダヤ人は、金貸しだけではなく、徴税請負人にもなった。
さて、イエス様の時代の両替商がいました。
資料:エルサレム神殿とエルサレム よりいかに引用
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5.神殿貴族の腐敗 大祭司・上級祭司一族は、更に神殿の奉仕に規定されている動物を売ることにより、更に富を蓄積した。大祭司などの神殿貴族の破廉恥ぶりは後のタルムードにもあり・・・祭司に支払われるべき十分の一税を手に入れようとして、あつかましくも奴隷を地方の脱穀場に送り込み、税を強制徴収して懐に入れた、その結果、貧しい祭司は飢えに苦しむ一方だったと。牛・小羊・家禽・その他の生物の大規模売買と囲い入れ、および神殿の大祭司に仕える収入役や管財人の支配下になった「王の柱廊」の地下での両替行為・・・つまり動物や両替をしていた商人=大祭司系の人間であったと言う(タルムード・メマホート)。 共感福音書の著者は、神殿についての確かな知識を持っていなかったと思われる。神殿の中(異邦人の庭)で両替商や動物を売っているようなニュアンスで記述しているが、これは勘違い。神殿の庭を含めて平地は神殿の一部であり、そこでの商行為は禁じられていた。ヨハネは神殿で、とだけ書いているが、これは神殿の王の柱廊の中(地下)でと言う意味だろう。柱廊の地下はギリギリ神殿外と見做されていた。エルサレムに関しての慣習や祭りの状況については、ヨハネ福音書の記述はかなり正確と思われる。エルサレムにおける大祭司寡頭政治、とりわけ神殿や一般の人々に対する厳しい支配についても、タルムード伝承が紀元後1世紀の2人の賢人の名で伝えている。 |
ボトニスの子アッバ・サウルにより、ヨナハンの子アッバ・ホセはよくこう言った。(括弧内は私のコメント) ああ、悲しいかな、ボエトス家のゆえに。ああ、悲しいかな、彼らの杖のゆえに。(杖で民衆を叩き、殺害された者もあった) |
上記の歌の大祭司家に関する資料(とりあえず調べてみたが、正確かどうか・・・) (エル)ハナン家 ボエトス家 ファビ家 |
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聖職者の上位層の者が商人や両替商とつるんで悪どいビジネスをして私腹を肥やしていたということです。
本来はそっくり神に捧げられるべき献金や献品から、強盗たちが間引いていたわけです。両替手数料や税金のような形です。
日常で使われていた通貨は地域によって違ったりもしました。
またローマのコインは皇帝の肖像が彫られていて、献金にはふさわしくはありません。
そこでシュケルに交換する必要がありました、
20歳以上の成年には年間半シュケル(約1万円)の献金が義務付けられていました。聖職者に商人や両替商から手数料としてロイヤルティが入る仕組みが、宮廷ユダヤ人が王に貸付証書と徴税権を取り替えるという拝金ビジネスに似ています。
貸し付けて分割払いのローンにしたのですが、貸し付けた相手である王様からではなく、国民から税金と言うかたちの分割払いで徴収しました。
現代社会ではどのようなものが考えられるかというと、CO2の排出規制に絡んだ、
排出取引という拝金ビジネスモデルがあります。
このビジネスモデルで誰が得をするのか?
どんな機関が推進しているのか?
その機関は、誰と深い関わりがあるか?
よく考えないといけないでしょう。
排出取引 - Wikipedia より引用
硫黄酸化物から温室効果ガスへ[編集]
1990年代前半から、アメリカ合衆国で硫黄酸化物の排出証取引が行われた(国内排出証取引制度)。大気汚染や酸性雨の原因となる硫黄酸化物 (SOx) に排出枠を定めたうえで、排出枠を下回った者がその削減分に付加価値をつけて排出枠を上回った者と取引するもので、硫黄酸化物の排出量の削減に大きく貢献したと見られている。
アメリカはこうした経験を踏まえ、京都議定書の策定交渉時においても排出取引制度の導入を強く求めた経緯がある。同国はその後に京都議定書から離脱したが、排出取引制度は京都メカニズムとして組み入れられた。これは排出枠の対象を温室効果ガスに変え、対象を国単位に変えたものである。
京都メカニズムにおける排出取引[編集]
京都議定書第17条やマラケシュ合意では、附属書I締約国(京都議定書#署名・締約国数の署名及び締結を行った国のうち、*が付いている国)同士の間で、炭素クレジット (Carbon Credit) を取引することを認めている。
炭素クレジットは4種類あり、各国が持つ排出枠に対する削減量である初期割当量 (Assigned Amount Unit, AAU)、各国が吸収源活動で得た吸収量 (Removal Unit, RMU)、クリーン開発メカニズム事業で得られた認証排出削減量 (Certified Emission Reductions, CER)、共同実施事業によって得られた排出削減ユニット (Emission Reduction Units, ERU) に分けられる。
カーボンオフセットなどに使われている、認証排出削減量 (Certified Emission Reductions, CER) は、京都議定書で規定された、途上国への地球温暖化対策のための技術・資金援助スキームであるクリーン開発メカニズム (CDM) のルールに則って温室効果ガスを削減し、その排出削減量に基づき発行される国連認証のクレジットのこと。認証は第三者の認証機関が行うことになる。
附属書I締約国やその国内企業などは排出枠の配分を受ける。炭素クレジットを加味した最終的な排出量が配分された排出枠を下回っている(あるいは下回る見込みの)国や企業と、炭素クレジットを加味した最終的な排出量が配分された排出枠を上回っている(あるいは上回る見込みの)国や企業との間で、排出枠を売買することができる。
<まとめ>
1,神の民であることを捨て、サタンの奴隷になった。(人権問題)
サタンの手先である拝金主義者のビジネスの奴隷になって、神の民に与えられた神民権という人権を失った。
2,エバがサタンの言葉を神の言葉より信じて、淫行関係を結んだので、(純血問題)
異邦の神を信じることは異邦の神と淫行をすると表現されてきた。
ルーシェルは淫行によって自分の手にない財産を奪い取って自分のものとした。
そこで、金と淫行は切り離すことができないのが堕落世界。
3,神を信じることから、金の仔牛を信じることになった。(公金問題)
個人の財産にも、全体目的と個体目的がある。
個人の財産も厳密には公金と言える。
3000人を殺したレビ人は土地を持たなかった。
この世の仕組みには、この三大天法を蹂躙する三つ巴の仕組みがある。
心情蹂躙と淫乱と強盗。
正当な価値の交換としての「取り替え」ではなく
謀略の交換としての「すり替え」が
巧妙なトリックによって堂々と行われている。
トランプはこの謀略と戦っている。
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