原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

メシアは男性か?それとも男女か?       神の二性性相に似た統一を条件に真の父母は成立

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お父様が2011年に語られている御言葉を聞くと

家庭連合のサンクチュアリ批判の動画の間違いがよくわかりますね。

 

<お父様とお母様は次元が違う>

オモニ手を上げてみてください。苦労したおばさんです。
夫だと対して出るけれど夫に対してできる要求がすぐには難しいのです。
同じ位置でも次元が異なるのです。

 

<御言葉の意味を尋ねていたお母様>
み言を聞いたらいつでも「これはどうするの」と一つ二つ尋ねるのです。
知らなければそのみ旨を成すことができません。


<お母様や側近達による権力闘争>
政治をして何をしますか。政治をして生きることのできるパターンではありません。

<席の座る位置も主人が右夫人は左であるべき>
皆さんも、上下関係ならば父子関係であり左右関係ならば夫婦関係です。
なぜ右左と言わずに左右というのですか。それは間違っているのを知っていますか?
父子関係は合ってる、上下は合ってます。左右という言葉を堕落前に使った人はいません。
堕落後に左右が生まれたのです。その以前には上下右左なのです。上下右左前後なのです。

<お母様に警告されるお父様>
真の父母という人が、本当に結婚してみたことがありますか?
オンマ、結婚したことがありますか? (お母様)「蘇生 長生 完成」
全てしましたか? (お母様)「D-Day」

<権力奪取の計画が行われている事件を知ったお父様>

真の父母が結婚式をしましたか、していませんか?
偽りの父母が真の父母になるためにどれだけ苦労したのか知っていますか?
先生は93歳ですが、今だ結婚式ができていません。お父さんお母さんがいなくなりました。
夜の神様 昼の神様 の結婚式はありません。
その大きな事件を、先生が知りました。


<お一人になっておられるお父様>
アボジ オモニが分裂してどこに行くのですか。ああ?
行くところがありますか?ない。

 

 

元気のない家庭連合の動画を見るのも因果なものですが、

家庭連合におられる真面目な食口のことを、お父様は見過ごすことができないようですから、いくらかおつきあいしなければならないでしょうか?

リンクする必要もないでしょう。

 

「メシアは人類の真の父母として来られなければならない。」

原理講論 277頁

 

「メシアは『真の父母』である」

八大教材・教本『天聖経』191頁

 

「メシアは真の父母です」

八大教材・教本『天聖経』192頁

 

「メシアは男性です」

八大教材・教本『天聖経』192頁

      ↑

     矛盾 

      ↓

「メシアは真の父母です」

八大教材・教本『天聖経』192頁

 

アダム・エバが偽りの夫父母になったためにそのような父母がありませんでした。それで「真の父母」が出てこなければなりません。「真の父母」が歴史上に出てこなければならないのです。そのような歴史的使命を代行する一つの名詞をかぶせて呼ぶ、その存在とは誰でしょうか。これが「救世主」という存在であり、「メシア」という存在です。・・・

八大教材・教本『天聖経』176~177頁

 

こんな風に家庭連合のサンクチュアリ批判動画は始まるのですが、

皆さんはどう思われますか?

メシアは男性一人を指すのか?

それとも男性と女性二人を指すのか?

それが問題です。

 

結論を言えば、

メシアは男性一人を指すし、男女二人も指すのです。

禅問答みたいでわかりにくいですか?

もう少し丁寧に言うと

メシアは男性一人をさす言葉だが、ある条件が整うと男女二人を指すことができる。

こんな風になるかと思います。

 

神様の原相があって、それに似せて真の父母があります。

神様あるいは神様の原相に似ていると言うことはどういうことでしょうか?

 

神様は二性性相の中和的主体でした。

この二性性相の中和的主体を家庭に当てはめると「父なる神」ということになります。

さらに「中和的主体」や「父なる神」を別表現しているのが

「性相的男性格主体」という表現になります。

原理講論を読めばそのようになるでしょう。

 

主体があるのですから対象もあることでしょう。

では二性性相の「中和的対象」に相当するのが「母なる神」となりそうですが、

どうでしょう我々は「母なる大地」とよく言うではありませんか。

ですから、本質的には「神」と言うことはできないものです。

仮にこの言葉を使ってみるならば、

「父なる神」が心であるなら、「母なる神」はその心に動じ静ずる体と言うことになるでしょう。

「形状的女性格対象」ということです。

体に言葉があるでしょうか?

体には言葉がありません。

口はありますが、口は「心」の命ずるまま、「心」の思うままに語るのであって、

自分の言葉を語るのではありません。

お母様は自分の言葉を一切語ってはならないのです。

 

神様の似姿として、「真の父」と「真の母」が現れました。

「真の父」は実体の神様です。

「真の母」は実体の神様ではなくて、「真の父」という実体の神様の妻です。

これが「形状的女性格対象」ということです。

 

「形状的女性格対象」というのは神に対する被造世界を指して用いる言葉ではなかったでしょうか?

その通りですが、神様自体の中に既にそのような主体と対象の関係の存在があるので、

その通りに、神と神の外側の被造世界との関係も同様に現れてきたのです。

 

お話ししてきましたことから結論を申しますと、

メシアは本質的には男性です。

 

では一体どうして「真の父母」という言葉をも用いて、お父様はメシアを語られることがあるのでしょうか?

それは、前述しましたように、

神様は形状的女性格主体ではありません。

もし「真の母」が対象に位置を守って「真の父」を主体として一体化していれば、

神様のような「中和的主体」として「真の父母」が成立します。

それは、お父様が本質的に厳密的に神の実体であることを証している立場です。

このような時には、主体のものは対象のものになるのです。

メシアが「真の父母」だと言うこともできるでしょうし、

「真の父母」は神だと言うこともできるでしょう。

 

お父様も神様の絶対対象なので、お父様に神が臨在され、実体の神様になることができます。

お母様は、実体の神様であるお父様の絶対対象にならなければ、「真の父母」とは言えなくなってしまいます。

また、実体の神様の妻でもなくなってしまいます

お父様が聖和された時に、お母様はおっしゃいました。

「わたしはお父様よりうまくやれる」

また、亨進様との会話で、

「私は神です。絶対権力です」

と言われました。

お母様は真の母の対象位置を離れて堕落してしまわれました。

本来であれば100%お父様の御言葉に忠実に語られ、そのことによって万民にお父様を証し、永遠の命に繋げるのが聖霊の実体たる真の母の位相です。

それを破壊してしまわれました。

 

そこでやむなく、お父様のお写真しか用いることができなくなってしまいました。

「私には相対はいない。永遠にない。」

とお父様が嘆かれるようになってしまわれました。

 

お母様には御言葉の種も血統の種もございません。

お母様ご自身がおっしゃられているように

原理も聖書も誰からも学んだことがないということです。

それなのに全て知っているというのです。

エバにない御言葉はどこからやって来るというのでしょうか?

創世記には蛇からもたらされたと書いてあります。

堕落天使長からお母様は「無原罪独生女」だと吹き込まれ

お父様に反旗を翻す「メシア」宣言をされました。

 

 

神は、

見えない神様の中の主体と対象の平和な秩序を

目に見える真の父母の主体と対象の平和な秩序として確立し

そこから真の家庭において立体的な秩序の伝統を立てて

天宙の秩序を永遠に築こうとされました。

 

だが、お母様は6000年の神が苦労された痛みの心情を蹂躙され

爆破者となってしまわれたのです。

 

太田朝久さんや家庭連合の頭脳集団も

もう一度原点に立って原理講論を読み直すべきでしょう。

神の二性性相の理解が甘いと言わざるを得ません

神がわからなければ、真の父母も理解できません。

神のなかの主体と対象と真の父母の主体と対象関係は

全世界の秩序が平和に保たれるか、

戦争をもたらすかの分かれ道になってしまうのです。

 

 

 
魔法をかけれれた栄光のお母様を救う為の教科書 ⅠーⅤ、及び総合版
三部構成
 
一部 
Ⅰ は概要
ⅡはⅠの概要+主体対象の正統な理解について
ⅢはⅠ+Ⅱ+主体対象の一体化の摂理的意義について
 
二部 Ⅳ
三代王権について
1、亨進様の正統性
2,ヨナ様の正統性
3 ,信俊様の正統性
4,江利川会長の正統性
 
三部 Ⅴ
6マリアの理解の基礎
 

 


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