「第二章 11.国進様・亨進様はお父様の‘一つになれ’というみ言を3回無視する 」という桜井さんに少々苦言を
前回の記事にコメントがありました。
コメント欄が小さいので元の文を引用してお答えすることにしました。
第二章 11.国進様・亨進様はお父様の‘一つになれ’というみ言を3回無視する|神と共に生きる真なる息子娘として
真のご家庭は皆様それぞれ堕落天使長の画策の中にお暮らしでありました。
誰か一部の方がそうであったのではないことでしょう。
そのような状況を作ったり、続いてきたことには我々には責任があります。
桜井正美さんは有望な二世でしょう。
大変期待しております。
上記のサイトがシャボン玉さんの質問に関するサイトです。
いくらか感想を述べたいと思います。
私は常に感心するのですが顕進様を支える方たちは大変優秀な方が多いようです。
私なんぞは彼らの1/10あるいは1/20くらいしか御言葉も教会情勢も知らないことでしょう。
だが、どうも頭で理解される傾向が強いようです。
パリサイ人は御言葉をよく知っていました。
だが、メシアを失いました。
イエス様は相手の議論に相対して答えられませんでした。
「あなた方の中で罪がない者から石を持って打ちなさい」
これは天使長が知の世界に生きているのに対して
御言葉の核心である神の心情の世界に生きておられるからそのような受け答えになるのです。
頭のいい人はとかく理屈で「説得」しようとされます。
だが、我々に必要なことは人から「説得」を強いられることではなく
双方が自発的に「納得」できる道にあるというのです。
天聖経やらなにやら経の文章を引き出して、これこそが論拠であると
まあそうなるのでしょう。
そのためには原理講論の理解がある程度のレベルで必要なのですが
この文章を見る限り十分ではないように思われます。
お父様の御言葉を聞く前に既にある程度の原理講論の理解ができていて、それに基づく実践を経て、お父様の具体的な御言葉が出てきて、やはりそうであったかと確認するようになるものだと思います。
お父様から与えられた御言葉を、自分自身の御言葉として、自分自身の問題として、実践の中で復帰しなければ、到底わかることができません。
ここで言う原理講論の理解というのは正確で正統な講義ができて、受講者を神につなげることができるというようなものを指しているのではありません。
御言葉もその背後にある心情もどうしてわかったと言えることでしょうか?
我々堕落人間は神とサタンの中間位置にいるといいます。
神もサタンも納得し得る条件があって初めて誰の所有かが決定されます。
本人が立てるのが基本ですが、メシアが立ててくださったり、霊の親が立てることがあります。
例えば、主の路程には北韓が攻めてこれないように、お父様が漢江に浸かって激祷を捧げたことがありました。
ありとあらゆる資料を収集して、これを駆使して雄弁に語ることもできましょう。
それははたしてどれだけわかっているというのでしょうか?
私は若い頃、自分の霊の子女が試練にあっていることを霊の子女から聞いたことがありました。ビデオセンターに霊の子女から電話がかかり「もうこれ以上はこの道を歩めません」という内容でした。
大勢の人がいる控え室で私は大声で怒鳴りました。
「ばかもん!すぐに帰ってきなさい!」
1800双の教会長に
「すごい迫力ですね。本当に親ですね」
と言われたことを思い出します。
無言のまま切れた電話でしたが、私は何か圧倒的な条件を立てないと霊の子女の永遠の命が危ないと思いました。
外に出ると雪が降っています。
すると目の前に漢江でお父様が北韓の軍隊が南進しないように、身を川の水に浸かって、激祷されたことがありありと浮かんで参りました。これだ!サタンに渡すことはできない。
主の路程を慕い求めて、3時間広瀬川に浸かって談判祈祷をすることを即決し、直ちに広瀬川の橋から橋を回ってどこで決行するのか決めました。
意外に川の周辺は明るく目立ち、またなかなかいい場所が見つからず、ここらでするしかないと決めました。
当時私は体の具合が大変悪く
いつものはったり信仰もこれまでかもしれないと考え、万一のため帰ってジャージに着替えておこうと決め、どういう訳かいったんビデオセンターに戻りました。
広瀬川を巡る中でこう思いました。
「19で死ぬはずだった命を神様が拾ってくださったのだから、命を失ったとしてもたいしたことではない。だが、自分が地上にいなくなった時には誰が霊に子女の永遠の命に責任をもってくれるというのだろうか?霊界に行って協助すると言ったって、風が頬をなでるようなものにすぎないことだろう」
号泣しながら
死ぬより辛いというのはこういうことなのか?
ふらふらになってやっとのことで戻るとチームマザーが駆け寄ってきました。
「戻ってきましたよ」
だが、信仰はほっと一息つくところに、また追い立てるものがある。
やがて続くサタンの試練と主の訓練が始まりました。
話が横道にはずれました。元に戻しましょう。
「お父様を中心に一つになる」→これがテーマです
顕進様を中心にではありません。
そのとき
お母様にもお母様の責任があり
顕進様にも顕進様の責任があり
国進様にも国進様の責任があり
亨進様にも亨進様の責任があります。
それは「神の立場」お父様と一心にならなければできません。
真のご家庭にはご家庭自体で見るならば、本来アベル・カインはございません。
だが、復帰摂理上の使命を果たさねばならない真のご家庭では、過去の罪悪歴史の一切を蕩減復帰しなければならない、祭物としての責任がございます。
そこで子女様がアベル・カインとして立てられる時には
カインをはじめとするすべての恨みと葛藤と復讐心や殺意をもった霊界が
全部子女様に降りてきます。
自分のようであって自分でない、
自分の感情のようであって、自分の感情でないというのです。
そこで一回目が
顕進、何のことか分かるか?国進、分かるか?亨進、分かるか?3兄弟が手を取って神様がアダム家庭で3人の息子が一つにならず戦って血だらけになり涙の谷を作って洪水、太平洋の水のように作った、血の海を作ったそのような家庭の伝統を埋めなければならない責任が我々父母様を中心とした直系の息子娘のお前たちにあるという事実を知らなければならない。(2006.2.4 天一国指導者大会)
とお父様は語られ、それぞれが責任を果たし、お父様の心情と一心になりなさいとおっしゃられたのです。
誰(顕進様)に一つになれと言う言葉はここにはありません。
二回目は
お母様とカインとアベルの三人が一つになり、アダムを中心として夫を堕落させる根本の元凶となった位置を踏み越えて引っ繰り返し、父がなしておいた位置をつかんで、そこに上がっていくことによって、堕落が無かった、神様が直接連結された血統と真の愛、真の生命の因縁と一致し、真の血筋が連結するのです・・・明確に締めくくりました。分かりますか? あなたたち兄弟同士で争って分かれることはできません。それが父母を殺した元凶です。ですから、我知らず憎みます。声を聞くのも嫌で、歩いていくのを見れば、後からついて行って殺したい思いが出てきます(2008.4.6 第49回真の父母の日記念式典真のお父様の御言葉)
顕進様を中心としてではではなく、「父がなしておいた位置をつかんで」
すなわちお父様を中心としてなのです。
歴史的祭物なので
「ですから、我知らず憎みます。声を聞くのも嫌で、歩いていくのを見れば、後からついて行って殺したい思いが出てきます」
カインをはじめとする歴史のすべての悪感情を子女様に再現してそれを超えてこそ蕩減復帰されるというのです。
だから難しいのです。
そのことを原理的に知っていても難しいのです。
「罪が門口に待ち伏せています。それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません」
カインが超えることができなかった感情を再現し、それを克服して初めて蕩減復帰がなされたと神もサタンも認め得ることができます。
:3)日がたって、カインは地の産物を持ってきて、主に供え物とした。
:4)アベルもまた、その群れのういごと肥えたものとを持ってきた。主はアベルとその供え物とを顧みられた。
:5)しかしカインとその供え物とは顧みられなかったので、カインは大いに憤って、顔を伏せた。
:6)そこで主はカインに言われた、「なぜあなたは憤るのですか、なぜ顔を伏せるのですか。
:7)正しい事をしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。もし正しい事をしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せています。それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません」。
創世記4章
カインは供え物を先に捧げました
顕進様は供え物(お父様と行動)を先に捧げられました
アベルは供え物を後から捧げました。
亨進様は供え物(お父様と行動)を後から捧げられました。
主はアベルとその供え物とを顧みられた
お父様は亨進様の供え物(父と一体の行動)を顧みられた
亨進様には王冠を戴冠されました。
「油を注がれし者」とは旧約時代は王をさすものでした。
油も使うことはございましたが、新約以降は「王冠」に変わって参ります。
また、霊的王国と地上の王国に分かれました。
お父様が戴冠されたのは亨進様でした。
これが事実です。
イサクがいったん祝福した者を
別の者に祝福し直すことができないように
いかなる天使長主導の宮廷情勢を説明してみたところで何の意味もありません。
王冠をお父様から誰がいただいたということは、大変重要なことなのです。
誰が後継者になるかが問題なのではありません。
誰が後継者を選んだのかが問題なのだというのです。
誰が後継者になるかにとらわれる人は後継者にはふさわしくありません。
もし、亨進様がそうであればふさわしくありません。
亨進様はどれほど愛するお兄さんたちを差し置いて、
自分が行きたいと思うでしょうか?
どれほど避けたいと思ったことでしょう!
父の御心であり、父のみ旨であるから、甘んじて行くのです。
その心にちょっと振れただけでも、爆発するような慟哭する心情があるというのです。
イエス様を単なる宗教的指導者だと思っていました。
メシア観に問題があると、離れて活動することになります。
イエス様の「放蕩息子の譬え」では二人の放蕩息子が描かれました。
外的に父の御側から離れて暮らした放蕩息子。
内的に父の心情から離れて暮らした放蕩息子。
本来は心情的にも距離的にも最も近いところで侍って生きていくべきでした。
それができませんでした。
それは大変残念なことでしょう。
御言葉を復帰するためには、御言葉を自分の問題として、実践の中で復帰しなければなりません。
そうして、ある段階にきますと見えてきます。
前方に広がるお父様がおられる世界の入り口のドアに出会います。
そのドアの隙間からこぼれてくる、一筋の光が自分をめがけて差し込めてきます。
その木漏れ日でさえ圧倒的な迫力で我々を掴んで離さないというのに、
向こう側のお父様の心情世界がどれほど無尽蔵に広がっていることでしょうか?
それを我々は知らなければなりません。
私はそのドアの前で一筋の光に打たれて気絶した者です。
桜井さんは立派なご両親の二世であられるので、早い時期にドアの向こうの世界を見ることができるようになることでしょう。
還暦を目前にしてようやくドアの前にたたずむような老いぼれになってはなりません。
3回目の御言葉はお父様ではなく顕進様の発言です。
こうしてみると桜井さんの思考方法は思いこみが激しい傾向があると思われます。
お父様が語られた御言葉を精査しても桜井さんがおっしゃるような主張の根拠とはなり得ません。それが可能であるなら、反対に亨進様の側に立って引用することもできます。
お父様が上記のことを語った→確定的事実
そう語ったことに対して桜井さんが判断した→主観的判断
桜井さんの主張の根拠にはならないことは誰にもわかります。
憶測による希望的見解でしかありません。
お父様がどこに顕進様をアベルとして、あるいは中心として一体化せよと語っているというのでしょうか?
都合のいい解釈にすぎません。
また、メシア観がずれています。
「2008年8月7日、お父様は亨進様ではなく顕進様を呼ばれ、統一家全体にメッセージを語らせます。お父様は顕進様を真の家庭の代表だと考えていらっしゃったのです。」
お兄さんなのですから、杓子定規に考えず、真の家庭の代表者として語ったとしても普通でしょうし、そもそもそれを「代身者・相続者」と見なして「真の家庭の代表者」だというのであれば、かなり思いこみが激しいように思われます。
桜井さんはこう書いています。
「亨進様は2009年3月8日束草で偽りの霊界メッセージを持ってお父様の認可を得て全権力を掌握すると」
では、桜井さんのメシア観でいうと、お父様は堕落訓母くんだりにだまされるほど愚かな存在だということになります。
そんなお父様なら私はメシアだとは思いません。
何故あなたはすべてを差し置いてもお父様の決定を重視されないのでしょうか?
メシアの判断より桜井さんの判断が正しかったと思われるのでしょうか?
大変危険な思考様式です。
桜井夫人は我々に信仰講座で「動機の聖別や動機の成長の重要さ」をお教えくださいました。
あなたの動機は父にありますか?
あなたの動機は顕進様にありますか?
あなたの動機はあなたにありますか?
お父様と顕進様はしばしば口論になられたといいます。
ある時は幹部のいる会議でお父様の意見に従えず、思いっきりバーン!とテーブルを叩いて、出て行かれました。
お父様は悲痛な声を上げられて顕進様の後を追いかけられました。
それはどんなに悔しい出来事でしょうか?
老いた父にそのような悲痛を与えてしまったというのです。
我々にも、もちろん責任があります。
他の子女様とすべての食口は、意見が違っても最後はお父様に従いました。
だが、ひとりだけ違う方が出てきてしまいました。
どんなに理解不能なことを父が願われてきたとしても
「父よ。願わくはこの杯を過ぎ去らせ給え!」
という態度をとれば神と子、実体の神と子、父と子は一心とは言えず
お父様にしてイエス様の問題を指摘できた、「神とイエス様は二心」ということになってしまうというのです。
亨進様も同様の体験をされました。
想像を絶するものでした。
だが、わからないとしても、父の心でわかろうと努め
お父様に振り飛ばされないようしがみつきました。
顕進様が常に語られた「アライメント」を死守されました。
現在のことはわかりませんが、
顕進様の書いた二冊の本には格別な宗教性は見られませんでした。
一方、亨進様にはありました。
当時、坊主頭の作務衣のような出で立ちの青年は、多くの誤解の中にあった。21年間の修行の路程を定めて求道の中に身を置かれておられた。
「はげ頭と苺」という亨進様の著書には信仰告白、つまり自分の父親を単なる宗教指導者ではなく、メシアであると悟った際のいきさつが書かれている。
ある禅の寓話を亨進様は真の御父様にお話ししたのである。
一日の農作業を終えた農夫が、一寝入りしたつもりが、眼を覚ますと既に日が暮れていて、急いで家路につくと、なにやら生き物が迫りくる気配を感じ、逃げ延びたが、目前には崖が現れ、思い切って飛び降り、すんでのところで一本のつるに捕まり、かろうじて助かった。
がけの上を見ても、がけの下を見ても、お腹をすかした虎が、「こっちへ来い。食べてしまうぞ!」と言っている。
それどころか、黒と白のねずみが一匹ずつ、頼りの命綱のつるをガリガリかじっているではないか!万事休す、絶体絶命の瞬間、そっと目を開けてみると、目の前に甘くておいしそうな苺があった。思わず頬張ってみれば、そのおいしかったことといったら・・・
一般の解釈では、人生には様々な艱難辛苦が訪れようと、それに囚われずに、視線を別に回せば、そこには格別の味わいが待っているということになろうか?
その話を息子から聞いた、文鮮明 恵父は、間をおかずに言ったのである。
「うん。それは分かるけど、それならその苺を、そのねずみと虎にもやらないとね!」
神様が善人にも悪人にも等しく、太陽の光を注ぎ、雨の恵をあたえるように、相手に価値があるから、与えるといった、条件付きの愛ではないのである。無境界にして無条件の愛!瞬時に無意識にさっとお話しされる真の御父様をご覧になって、自分の父が単なる宗教的指導者ではなく、悟りの境地を既に体現されている方なのだと悟ったというのである。
それより、父親はメシアとなったのである。
驚くほど率直にその辺の事情をご説明されておられる。立派な御方である。
さて、顕進様がマスコミにインタビューされた動画がYouTubeにアップされていたことがあった。
ちょうどイエス様が弟子達に向かって「私を誰と思うか?」と言われたように、インタビューした人は顕進様にあなたの父親は誰だと思うか問いつめたのである。残念ながら、メシアであるとははっきり答えられなかった。答えずらそうにさえ見受けられた。
亨進様はお父様という方が、たった今自分を食い物にしようと襲いかかっていた敵や恩讐に対して、そのとき祝福したい心情をあっさり持っておられることを悟られたのでした。
だが、それは悟りといっても、頭の中でわかっただけであったのです。
これを心情の根底から悟ることができたのが、前回のブログ記事です。
一部引用しましょう。
はじめに私の説明、次が亨進様の言葉です。
「七死復活八段完成」の悟りとお父様の評価として揮毫の存在
「文亨進博士 七死復活八段完成 真の父母勝利 真の愛神学」があります。
「七死復活八段階完成」とは「復帰の八段階公式路程」と対応するような公式路程とは性質が異なっているものです。
いわば、「復帰の八段階公式路程」がお父様が万民にお与えくださった内容であることに対して、「七死復活八段完成」の方は、子女である我々から見たお父様の信仰事実としての内容と、それに対する信仰告白に基づくものであるという違いがあります。
ユダヤ人がイエス様を十字架にかけたということを、信仰転換して、
「私の罪ゆえにイエス様が十字架に架けられ行かれたのだ」
という真の愛に対する我が身の罪の悔い改めと、祭物となられ贖罪してくださったことに対する感謝と、恩賜に報いるための決心覚悟というような性質を持っています。
2009年7月14日
亨進様の前に天界が開かれ、お父様の6度の獄中の拷問の様子やヘリコプター事故の映像や、その様子が意味する霊的な内容を天が直接見せられたのでした。
肉を裂かれ霊を裂かれ心情を天に捧げて、罪深い人類を救うメシアのありのままの姿を
ごらんになることができたのです。
圧倒的な御姿でした。
ちょうど若き日にイエス様と相対基準が一致したお父様が、イエス様に会われ使命を託されたように、
亨進様もまた、お父様と相対基準が一致したので、天宙の秘儀である
メシアとはいかなる方かを啓示することになったのです。
ここで心情的な悟りを完成されたのです。
霊的な目が開かれると、獄中で言うことのできない拷問を受けていらっしゃる真の父母様が見えました。そして同時に、真の父母様の霊魂が地獄に向かって降りていかれる姿が見えました。父母様は地獄の底まで降りていかれ、苦痛を受けながら泣き叫んでいる、神様の堕落した子女を抱きしめながら、サタンと悪魔たちに向かってこのように叫んでいらっしゃるのです。“サタンよ!この者たちは私の子女である。彼らの代わりに、私の聖なる体と霊魂を持っていけ。おまえが願う通りに私を拷問し、私の体を裂け!”
真のお父様は、サタンの魔の手にメシヤであられるご自身の霊魂を投げ出されました。お父様の霊魂が無残にもばらばらに引き裂かれる、とても悲惨で恐ろしい場面でした。そのような苦痛と痛みを耐え忍ばれながら、真の父母様は私たちを救いの道へと導いてくださったのです。
真の父母様はそのような心情と実践をもって6回の獄中の苦難を受けられ、7回目として、ヘリコプター事故から実体復活されました。しかし、私たちは皆、真の愛で歩んでこられたお父様の苦痛と苦難を、単純に人間的な目を通してのみ、見つめてきたのです。
クリスチャンたちがイエス様を見つめるように、霊的な目で真の父母様を見つめてこそ、真の父母様が本当にどのような方なのか、知ることができます。真の父母様は罪もなく投獄され、拷問を受けられ、肉身が破れ、血を流されました。しかしそれは、肉身の苦痛だけではありません。その瞬間、真の父母様は最も低く、悲惨な地獄の底に降りていかれ、私たちのすべての罪を代身し、ご自身の霊魂を犠牲にしてこられたのです。
真の父母様の霊魂は貫かれ、切りつけられ、裂かれました。真の父母様が私たちの代わりに死の道を行かれ、それによって私たちが生きることができたのです。真の父母様はご自身の生命を犠牲にされ、地獄の道も拒まれることはありませんでした。私たちが天国で永遠に生きることができる道を開いてくださったのです。
心情というのは命を捧げた先にもありません。
さらに先の霊人体を捧げた先にあるというのです。
亨進様によるお父様のすばらしい証です。
では顕進様はどうか
東亜日報・顕進様のインタビュー記事(日本語訳)|在韓日本祝福家庭婦人会
- あなたは宗教家なのか?
「精神的な原則と価値の話をすると、伝道とも言えるがそうではない(笑)。ほとんどの人は、宗教人や信仰者は、ただ信仰と呼ばれる領域内でのみ活動すると考えるがそうではない。今まであった重要な社会変革を振り返って見ると、人を感動させるビジョン、原則があった。これが精神的な価値である。北朝鮮の主体思想は哲学ではなく宗教に近い。最近は宗教指導者たちも、自分たちの信仰と信念を擁護することを望む」
- 新しい宗教を作るという意味なのか?
「全然。そんなつもりはない」
- あなたは、企業人でもあるが、霊性を基盤としてお金を稼ぐことも可能である。
「企業活動は利益を通じて価値を創出することである。精神的な活動は生活を豊かにし、意味と目的性を付与する。二つの領域が重なるときもあるが、経験的に見ると、それぞれ固有の目的を持つことが有益である」
- どうしてそれぞれの目的性を守りながら成功できるのか?
「道徳的であり、革新的なリーダーシップを通して最大の価値が創出されると信じている」
彼の答えは具体的というよりは抽象的であり、時にはもどかしさを感じさせた。表情や声に真正性が感じられたが、何か“見せたいものだけ見せる ”という感じを与えた。
統一教会内部対立は、方向に対する異見
記者は話題を統一教会に向けた。後継構図の話をしようとしたが、彼は強い拒否感を示した。記者は書面による質問を通じて「兄弟たちとの訴訟や争いなど、統一教会内部の問題について言及することを拒否する理由は何なのか」と尋ねた。すると、このような答えが返ってきた。
「統一教内部の対立というのは、目的と方向に関する意見の相違からである。私の兄弟は何人かの悪い指導者の邪悪な目的のために不運にも利用された手先であった。信仰者である私は、このような問題は、時が来れば解決できるだろう考えている」
- 父親はどんな人だったのか?
「自叙伝のタイトルそのままに“平和を愛する世界人”だった。愛国心が深く、人類の為の神様の摂理にあって、韓国人が耐えなければならない特別な役割があると考えられた。特定の宗教や宗派だけの利益を超えて、政治、経済、非政府組織(NGO)、学術、文化、芸術、スポーツ、メディアなど、様々な分野で活動された。そして、韓国の統一と世界平和のために統一教会を犠牲にする覚悟ができているとも語られた。亡くなった今、父の驚くべき意味深い生が、偏見と誤解なく正しく理解されることを望む」
「あなたは、統一教会員なのか、そうでないのか」という質問に対して、本人に代わりGPF関係者の答えが書かれていた。
「現教権の指導部は、故文総裁の志とは違う道を行こうとしています。これが統一教会分裂の根本的な原因です。文顯進会長は、現指導部の方向には決して同調せず、独自に先親が成そうとされた神様を中心とした世界平和実現のための道を歩んでいます」
文会長とのインタビューで記者は、最近、統一教会内の分裂は“故文総裁の神聖化に対する立場の違い”という感じを受けた。米国最高の学部を卒業し、西洋の合理性と民主主義的価値を体得した彼が、統一教会を改革できるのか?そして、南北統一にどのように具体的に貢献できるのか?という疑問と期待感が生まれた。
ホ・ムンミョン記者
残念ながら、顕進様はこの時点でもお父様を「絶対の神が使わされたメシア」として証すことができなかった。
私見ではまだつかめていないようにお見受けされる。
悲しくやるせない事実ではないだろうか?
洗礼ヨハネは
「来るべき方はあなたでしょうか?それとも他に誰かを待つべきでしょうか?」
と語られイエス様は、間接的にしか答えることができませんでした。
桜井さんは、今でも
「来るべき方は亨進様でしょうか?それとも他に誰かを待つべきでしょうか?」
そのように聞かれるというのでしょうか?
そして、あなたを敬愛する人たちも主の下から連れ去ろうというのでしょうか?
偉大な信仰者はパウロのように、見事な回心をされるべきでしょう。
すばらしいご両親が天に精誠を尽くされた土台に
神よ!どうかこの子女にあなたの哀れみをお示しください!
桜井さんに神の祝福と加護と導きがありますように!
アージュ。
以下に桜井さんのひとまとまりの文章を引用する
はたして私の危惧が的を射ているかどうか、ここを訪問された方々にお任せしたい。
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第二章 11.国進様・亨進様はお父様の‘一つになれ’というみ言を3回無視する|神と共に生きる真なる息子娘として
顕進様を追い出すため、弟の子女様方に取り入った不正リーダーたちは真の父母様の前で顕進様を偽りの内容で讒訴し、亨進様を褒め讃え、遂にお父様は亨進様を立てて行く決定をされるに至ります。問題は、国進様・亨進様の宗教中心の摂理観がお父様のものとは異なっていたということでした。統一運動の摂理の方向性を守ろうとする顕進様を追い出し摂理の方向性を捻じ曲げていく過程において、お父様は何度も一つになるようにと語られますが、その願いを無視して、国進様・亨進様は、顕進様を攻撃し続けました。
1) 第1回目
2006年2月4日、最初で最後の訓示になるかもしれないと語られながら、お父様は3人に一つとなれという第1回目のみ言を語られます。
顕進、何のことか分かるか?国進、分かるか?亨進、分かるか?3兄弟が手を取って神様がアダム家庭で3人の息子が一つにならず戦って血だらけになり涙の谷を作って洪水、太平洋の水のように作った、血の海を作ったそのような家庭の伝統を埋めなければならない責任が我々父母様を中心とした直系の息子娘のお前たちにあるという事実を知らなければならない。(2006.2.4 天一国指導者大会)
当時、表面に出てはいませんでしたが、摂理の方向性を捻じ曲げようとする国進様・亨進様と、正しい方向性を守って行かれようとする顕進様の間には葛藤がありました。
2) 第2回目
2008年4月6日、お父様は第49回 真の父母の日 ハワイ、キングガーデンで儀式を執り行われながら‘お母様とカインとアベルの三人が一つになれ’というみ言を語られます。
お母様とカインとアベルの三人が一つになり、アダムを中心として夫を堕落させる根本の元凶となった位置を踏み越えて引っ繰り返し、父がなしておいた位置をつかんで、そこに上がっていくことによって、堕落が無かった、神様が直接連結された血統と真の愛、真の生命の因縁と一致し、真の血筋が連結するのです・・・明確に締めくくりました。分かりますか? あなたたち兄弟同士で争って分かれることはできません。それが父母を殺した元凶です。ですから、我知らず憎みます。声を聞くのも嫌で、歩いていくのを見れば、後からついて行って殺したい思いが出てきます(2008.4.6 第49回真の父母の日記念式典真のお父様の御言葉)
これはお母様と二人の弟の子女様が一つとなって顕進様を追い出そうとしていることに対するお父様の立場を明らかにしたものと言えます。しかしそのようにお父様が語られた直後である2008年4月18日、世界平和統一家庭連合世界会長及び韓国会長に就任した亨進様は、即座に顕進様を世界大学原理研究会(W-CARP)会長から解任し、世界平和統一家庭連合副会長の地位まで剥奪します。お父様の願いとみ言を完全に無視したのです。
当時教会内では、真のお母様とカインとアベルの三人が一つになれというみ言を、「カインである顕進様がアベルである国進様に服従しなければならない」という意味で解釈した人もいました。(私もそのように考えてしまった一人でした) 本然の家庭である真の家庭に、善悪分立の表示体としての「カイン」と「アベル」が存在するのだとしたら、真の父母様が失敗したことになってしまいます。実際、兄である顕進様がこの時の儀式ではお母様の右側に立たれていました。カインだというなら左に立っていなければなりません。復帰摂理上のカインとアベルではなく創造本然の兄弟関係を立てる時だったのです。
この儀式を通してお父様はお母様が兄弟を一つにする責任を明確にされました。お父様はご自身の責任分担を全て果たされましたが、お母様は真の子女様を一つにしてお父様につなげる責任が残っていたと言えるでしょう。
顕進様と祝福家庭のリーダー間の不一致を通して侵入したサタンは真の子女様の不一致を通して遂に真の父母様の命を狙うに至ります。
2008年7月19日、真の父母様が乗られていたヘリコプターが墜落する事故が起こります。統計的に90%以上が大惨事を免れることができないヘリコプター事故で異例的に16名全員が無事だったということは奇蹟と言わざるを得ません。
3) 第3回目
2008年8月7日、お父様は亨進様ではなく顕進様を呼ばれ、統一家全体にメッセージを語らせます。お父様は顕進様を真の家庭の代表だと考えていらっしゃったのです。
お父様はこの偉大なる日にみ言を語れとおっしゃいました。お父様はこの日は新しい出発の日だとおっしゃり、私たち統一運動と家庭が一つの目的、一つのビジョンを持って一つとなる日であると説明してくださいました。(2008.8.7 神様のみ旨から見た環太平洋時代の史観での顕進様のみ言)
真の父母様がヘリコプター事故で命を落とすような大事故があったのです。そこでお父様が一つになるようにと、顕進様の口を通して語られたのですから、国進様と亨進様は悔い改めて、顕進様を追い出す考えをやめ、一つとなる努力をするべきでした。
しかし、驚くべきことに、その後も国進様・亨進様は2009年3月8日束草で偽りの霊界メッセージを持ってお父様の認可を得て全権力を掌握すると、2009年11月、顕進様をUPFの共同議長からも解任してしまいます。翌日お父様が激怒され、顕進様をUPFの共同議長の地位に戻すように言われたという話も聞きますが、訓読会が録音禁止になった後だったので証拠がありません。顕進様が独自路線を決行されたのは、2009年12月からなのです。宗教を中心としようとする亨進様がUPFの世界会長になってしまった以上、UPFの使命を果たし基元節を迎えるためには、超宗教超国家の平和運動をする摂理を守って行くしか道がないと顕進様は判断されたのです。簡単な決定ではなかったはずです。
真の子女様が一つになれないといった時に顕進様にも責任があるのではないかと考える人もいるでしょう。しかし顕進様は、仁進様、国進様、亨進様にUCIの責任者の位置以外の全てを奪われても、他の真の子女様の活動を妨害したり、攻撃なさったりはしませんでした。それに比べて他の子女様の顕進様に対する攻撃は度を越えていました。真の父母様に絶対服従せよと言いながら、お父様の意向に背き続け、顕進様を追い出したのです。
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