原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

何故心情文化は形成されにくく、何故中和文化祭は一世の自己満足に終わるのか

皆さんがよく御存知の甲子園という一種のイベントがございます。

家庭連合でも、中和文化祭なるものが行われています。

教会によって力を入れているところもあれば、そうでないところもあるようです。

 

甲子園というイベントはどのような仕組みに支えられて成功しているのでしょうか?

誰でも知っていることではありますが、夏に打ち上げ花火のように華やかなトーナメントが繰り広げられるのは、スモール・グループによる日々の活動があるからです。

クラブ活動とか、部活とかいわれている、具体的には野球部のことです。

 

中央集権的に中央のトップから末端組織に向かって縦的な指示による取り組みが、大会というイベントであるとするならば、全国の高校の野球部というスモール・グループの活動は、自発的なものであり、一過性のものではなく、日々継続して続けられている練習や地域での大会もあります。

クラブ活動はイベントが縦的であるのに対して、横的に全国展開しています。

生地で言えば、縦糸と横糸で生地が作られているようなもので、ふたつが協力して初めて大会も成功することができるというわけです。

このように、誰でも御存知のことではありますが、残念ながら家庭連合ではイベントを下支えする下部組織とその健全な運営が行われることがありませんでした。

 

何故でしょうか?

アベル絶対主義の弊害が大きいようです。

アベルは命令する人、あなたカインは従う人。

全てがそうです。

軍隊組織です。

私がいた教会でも牧会者が信徒たちを怒鳴り散らしています。

普通であればパワハラです。

しかもアベル絶対主義の上に立ったパワハラはどれだけ凄まじいことでしょうか?

ご本人は全く解してはおられません。

牧会者早く過ぎ越せ祭り!

 

世の中にもありますが

上しか見ない組織。

自分が上司にどう受けとめられるか、体面だけを気にして、本当に信徒の永遠の命に対して切なく思う心がないのです。

私の所属していた家庭連合の教会もそのような責任者が多く赴任して、とうとう立ち上がることができないほど疲弊してしまいました。

 

例えば仮に信徒が60万人ではなくて6万人だったとしても、そこには医者がいたり、看護士がいたり、教員がいたり、保母さんがいたり、様々な職業をお持ちの方がおられます。

農家が生業なら一体どうしたら神様が喜ばれる創造本然の農業の形が見出せるのだろうと、全国の農業従事者が横断的にネットワークを形成して、語り合うことができる場の提供を日本の会長は与えるべきだったことでしょう。

残念ながら誰もが教師の組織を造ろうなどとはせず、考えもしなかったようです。

共産主義者ですら真剣に取り組んできたというのに、不思議なことです。

取税人牧会者が「さあ出せ、さあ出せ、貧しいのはみんな同じだ。摂理だ」

と巻き上げては、評判が悪くなってきた頃にはちゃんと人事があって、救われるのです。

教会内に引きこもりの子供たちがいても気にもしません。

摂理のために献金を優先してきた家庭の子供たちがどのようにすれば

進学ができなくなっても、神の子としての修養を身に付けることができるのか

悩み相談に乗ることもございません。

どこに希望がありましょう?

真っ暗闇じゃあございませんか?

歌の文句じゃないけれど、何から何まで真っ暗闇。

 

さて話しを戻すと、今までの上からの一方的な命令による活動とは別に、

スモールグループによる自発的な活動こそが、心情文化を築くことができる

一つの切り口でしょう。

 

今までは教会の礼拝によって、御言葉を受けて復活して一週間を神と共に歩むということがなされてきましたが、今日では家庭連合で礼拝や説教ができる牧会者は極めて少なく、探すことが難しいほどだと多くの信徒が明らかにしてきています。

牧会ではなく怒鳴り散らすことが得意のようです。

このような現実に二世は悩んでいます。

お父様は素晴らしいのだが、どうして素晴らしいお父様の立てた牧会者は悲惨なのだろうか?二世の人たちの苦しい胸の内を聞いてまいりました。

結局、御旨のために、二世を切り捨て、放り出してきた、また、放り出しつつあるのが家庭連合です。

 

礼拝参加人数が重視されますが、牧会者によっては嘘八百を報告する人が出てきます。

するとそれを見ていた信徒も、なあんだ嘘も方便でいいんだとおもうのです。

小さな嘘が積もり積もって段々本当の顔のようになってしまいました。

教会の信徒に中で一番の嘘つきが牧会者であることは誰もが知っている公然の事実でしょう。

教会はつじつまが合わないことでいっぱいです。

我々一世は二世のつまづきの種でしかありませんでした。

 

御言葉はビデオで見るもの。

牧会者に講義してもらうもの。

みんなうんざりしています。

次から次にあれを見ろこれを見ろとそればかりで

何にもできない。

 

スモールグループは自分の職業を如何に神に繋げて貢献して行くのかという集まりもあれば、善の繁殖性のある趣味などもそうでしょう。

聖書研究会などもあれば、育児井戸端会議もあり、登校拒否の子供を持つ親のグループというように、いくらでも可能です。

二世は芸術に才能のある子供が多いので、絵画のグループもいいかも知れません。

 

近いところに住んでいれば集まってすることができるでしょうし、

難しければインターネットを使った会議でもできるでしょう。

 

教会は道具の紹介や場の提供をして、信徒間で具体的にはグループの目標を中心とする活動になってきます。

すると、どんなことが起こってくるでしょうか?

自分の所属教会に拘束されず、ボーダレスに交流が行われていくようになります。

教会に所属することに価値があるのではなく、どのようなスモールグループでの活動で価値を生み出し、心情文化創造の主人になるかが重要になってきます。

これはヒエラルキーの中に下部組織としても調和させることもできるでしょう。

基本的にはネットワークの形態を取ります。

身近に幼児を持つ母親がいなくても、出会うことができる場があれば、所属教会を超えて交流の輪が広がることでしょう。

 

押しつけからはよいものが生まれません。

例えば二世がネイルアートのスモールグループを作ります。

おそらく多くの信徒が集まるでしょう。外国からも参加してきます。

わたしは活き活きと活動する二世を見てみたいと思っています。

 

言語の交換学習グループもできるかも知れません。

あらゆる可能性があります。

ぎちぎちに主管されて息苦しかった二世の才能が顕れるかも知れません。

 

自発的な信仰

自発的な個性のある活動

そのためのスモールグルプの形成

複数のグループに入ったり出たりしながら

自己創造して心情文化を担う天一国主人として活躍したいものです。

 

1,スモールグループのポイントについて

2,子育てのためのスモールグループについて

3,夫婦円満のためのスモールグループについて

4,統一原理から見た夫婦の理解の障害と克服

 

大ざっぱに上記のことについて

それぞれ今後少しづつ回を分けてブログに書いていきたいと思います。

 

今日は思いついたことをざっくり話しました。

 

 


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