原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

マララの演説とキリストの山上の垂訓     印象的なリフレインに共通の魅力がある


【日本語字幕・高画質版】マララ・ユスフザイさん ノーベル平和賞 授賞式スピーチ - YouTube

 

ノーベル平和賞受賞者のマララのスピーチが絶賛されてきた。

何故、彼女のスピーチは素晴らしいのか?

多くの人々はこの十代の女性が語る内容の深さに魅了されたようである。

ところで一方彼女のスピーチの心地よさは印象的な言葉のリフレインにも由来していると思われる。

それは、イエス・キリスト山上の垂訓を連想させるものである。

 

Blessed are the poor in spirit,
    for theirs is the kingdom of heaven.

神に祝福されよ、心霊に暗いもの者たち。

 神の国は彼らのものである。

 

Blessed are those who mourn,
    for they will be comforted.

神に祝福されよ、悲しみの中にある者たち。

 彼らは慰められるであろう。

 

Blessed are the meek,
    for they will inherit the earth.

神に祝福されよ、柔和な者たち。

 彼らは世界を相続するであろう。

 

Blessed are those who hunger and thirst for righteousness,
    for they will be filled.

神に祝福されよ、正義に飢え渇く者たち。

 彼らは満たされるであろう。


Blessed are the merciful,
    for they will be shown mercy.

神に祝福されよ、慈悲深い者たち。

 彼らは慈愛を受けるであろう。


Blessed are the pure in heart,
    for they will see God.

神に祝福されよ、心清き者たち。

 彼らは神を見るであろう。


Blessed are the peacemakers,
    for they will be called children of God.

神に祝福されよ、平和を創り出す者たち。

 彼らは神の子と呼ばれるであろう。


10 Blessed are those who are persecuted because of righteousness,
    for theirs is the kingdom of heaven.

神に祝福されよ、正義のために迫害された者たち。

 神の国は彼らのものである。

 マタイによる福音書5章3節~10節

 

実際の口語訳聖書の言葉では

 

こころの貧しい人たちは、さいわいである

 天国は彼らのものである。

悲しんでいる人たちは、さいわいである

 彼らは慰められるであろう。

柔和な人たちは、さいわいである

 彼らは地を受けつぐであろう。

義に飢えかわいている人たちは、さいわいである

 彼らは飽き足りるようになるであろう。

あわれみ深い人たちは、さいわいである

 彼らはあわれみを受けるであろう。

心の清い人たちは、さいわいである

 彼らは神を見るであろう。

平和をつくり出す人たちは、さいわいである

 彼らは神の子と呼ばれるであろう。

義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである

 天国は彼らのものである。

 

Blessed are神に祝福されている(さいわいである)が強調され、かつ繰り返し用いられている。

日本語の「さいわい」には、神の気配も存在も我々との関係も見当たらない。

人間世界に於ける幸福である。この幸いが「神の祝福によってこそ保証されている」という感覚、生活の中心に神が存在する世界に住む人々の感覚がある。

「祝福されている」という言葉には、当然「神による」が暗黙の了解として共通認識されている「さいわい」には神と人との円満な関係によってこそ、人の幸せが訪れることがすっぽり抜けてしまっている。

「天国」「神の王国」(the kingdom of heaven)である。

「heaven」を表している。

そこでイエス様の天国の譬え話では「主人」が出てくるのである。

文鮮明 恵師 は、この「主人」の統治が「神主義」、すなわちGodismであるとした。

愛の神が主権を握る絶対価値の国である。

ここにも中心の神が存在する。

神と共に住むところが天国である。

 

さて、このようなリフレインによって人々は、神の祝福をイエス様が約束してくださることがまっすぐに伝わってくる。

この説教はGood News、良き知らせ、福音書の由来であろう。

音楽に於いても全てのメロディの中でひときわ印象的なフレーズがあり、脳裏に浮かんできたり思わず口ずさむこともある。

山上の垂訓ではこの、Blessed are、神に祝福されている(さいわいである)がそれにあたると考えられる。

イエス様は人々に神の祝福をもたらす方であると、多くの群衆に受け取られてきたことであろう。

では、マララのノーベル賞受賞時のスピーチではどうなっているのであろうか?

「慈悲あまねく慈悲深いアラーの御名において。」から始まるのである。

私が印象に残ったのはスピーチの締めくくりの辺りの部分である。

英文は以下のサイトの河北新報に由った、全文の日英比較が為されている。

英文や和文を文字で知りたい方は(1)から御覧頂き、このブログで引用した文は

(2)の方である。訳の方はオリジナルではなく、へた訳を示し、山上の垂訓のように、リフレインがわかりやすいように文章に段落を施している。

 

<マララさん>平和賞受賞演説テキスト(1) | 河北新報オンラインニュース

<マララさん>平和賞受賞演説テキスト(2) | 河北新報オンラインニュース

 

動画25分5秒辺り

Dear brothers and sisters, the so-called world of adults may understand it, but we children don’t.

親愛なる兄弟姉妹の皆さん、いわゆる大人の世界はそれを理解できるのかも知れませんが、我々子供たちは違います。

 

Why is it that countries which we call “strong” are so powerful in creating wars but so weak in bringing peace?

一体何故なのでしょう?

我々が強大であると呼んでいる国々は、戦争を生み出すのはとても力強いのに、平和をもたらすことにはとても力がないというのは。

 

Why is it that giving guns is so easy but giving books is so hard?

一体何故なのでしょう?

銃を与えることはこんなにも簡単なのに、本を与えることがこんなにも難しいなんて。

 

Why is it that making tanks is so easy, but building schools is so difficult?

一体何故なのでしょう?

戦車を造ることがこんなにも簡単で、学校を建てることがそんなに難しいなんて。

 

Why is it の繰り返しで、聴衆に疑問を投げかけている。また同意を求めているともみる事ができる。これは文章を読むのと動画を見るのとでは大違いである。本当に魂のこもったスピーチである。

一番にいたいこと、一番にいたいメッセージがしっかりと聴衆に伝わる表現である。平易な文章でありながら、実に本質的な内容を語りきっているところがマララの天才的な品格を伺わせる。

 

さらにクライマックスの主張は圧巻である。

 

動画27分7秒辺り

 

 Let us become the first generation to decide to be the last.

これで最後にしようと決めた最初の世代になろうではありませんか?

 

The empty classrooms, the lost childhoods, wasted potential?let these things end with us.
これらのことは私たちで最後にしましょう。空っぽの教室、失われた子供時代、潜在能力を発揮できずにいること。

 

Let this be the last time that a boy or a girl spends their childhood in a factory.

これで最後にしましょう。少年や少女が子供時代に工場で過ごすのは。


Let this be the last time that a girl gets forced into early child marriage.

これで最後にしましょう。少女が幼い子供のときに結婚を強いられることは。


Let this be the last time that an innocent child loses their life in war.

これで最後にしましょう。罪のない子供が戦争で命を失っていくことは。


Let this be the last time that a classroom remains empty.

これで最後にしましょう。教室が空っぽのままでいるのは。


Let this be the last time that a girl is told education is a crime and not a right.

これで最後にしましょう。少女が教育を受けることが犯罪であり権利ではないと言われることは。


Let this be the last time that a child remains out of school.

これで最後にしましょう。子供が学校から切り離されたままでいることは。


Let us begin this ending.

さあ始めましょう。これを終わらせることを。


Let this end with us.

さあ終わりにしましょう。我々が。


And let us build a better future right here, right now.

そして築こうではありませんか?たった今ここで、より良い未来を。

 

Let this be the last time that (これで最後にしましょう)を繰り返し強調している。何が最も言いたいのかが誰が聞いてもわかるように構成されている。

野暮な解説はこれ以上入らないであろう。

動画のマララの渾身のスピーチを見るに如かずということである。

イエス様とマララに学んで今後皆さんと共に成長したいと考える。

 

祝福二世に神の加護と祝福のあらんことを!