原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

堕落論 罪の根  聖霊による霊的罪の精算 と 真の母による霊肉共なる実体的罪の精算

 

統一原理では

人類始祖アダムとエバが堕落した根本原因である罪の根の解明を詳細に説明している。

創世記に描かれているエデンの園にあった主要存在物として、「生命の木」・「善悪知るの木」・「蛇」が言葉どおりのものとして捉えるべきか、それとも多くの聖書の御言葉にもあるように、何かを比喩や象徴によって表現したものかを検討している。

この三つの検証はおおよそ以下のような展開になっている。

 

生命の木     善悪知るの木     蛇

  ↓          ↓       ↓

創造本然のアダム 創造本然のエバ 天使長ルーシェル

        ↓       ↓

天使の犯罪 人間の犯罪 天使と人間との淫行

           ↓

         善悪の果(果はエバの愛:神かサタン中心に性愛を結び繁殖)

           ↓

          罪の根(天使長と不倫なる血縁関係・淫行関係を結んだこと)

 

さて、現在の我々にとって重要と思われる原理講論の箇所は以下である。

 

創世記三章24節に明示されているように、神が回る炎の剣をもって、生命の木の前に行くアダムの道をふさいでしまわれたので、これが取り除かれない以上、人間は、生命の木の前に出ていくことができないのである。したがって、使徒行伝二章3節に記録されているように、五旬節の日に、聖徒たちの前をふさいでいた舌のごとき炎、すなわち火の剣が分かれて現れたのち、初めて聖霊が降臨し、全人類が生命の木であられるイエスの前に行き、彼に接がれるようになったのである。しかしながら、キリスト教信徒たちは、生命の木なるイエスに、霊的にのみ接がれるようになったので、いかにイエスを熱心に信ずる父母であるとしても、また再び贖罪を受けなければならない罪悪の子女を生まなければならなくなったのである。このような事実から見るとき、いかに信仰の篤い信徒といえども、アダムから遺伝されてきた原罪を、今もなお取り除くことができないままに、これをまた、そのまま子孫へと遺伝しているという事実を、我々は知っているのである(前編第四章第一節)。そのために、イエスは地上に生命の木として再臨され、すべての人類を、再び接ぐことによって、原罪まで贖罪してくださる摂理をなさらなければならない。黙示録二二章14節のみ言のごとく、新約聖徒たちが再び、生命の木を待望するようになったその理由は、実にここにあったのである。したがって、この黙示録二二章14節に記録されている生命の木は、まさしく再臨のイエスを比喩した聖句であるということが分かる。

堕落論 第一節罪の根 (一)生命の木と善悪知るの木 (1)生命の木 P96

 

エデンの園における堕落によって偶発的に生じてきた罪は

(1)天使長の堕落→(2)エバの堕落→(3)アダムの堕落

というようにそれぞれ二者間によって受け継がれてきた

これを堕落の時の情況と逆の経路で

蕩減復帰(罪の負債精算)を果たして行かざるを得ないというのが

統一原理観である。

(1)アダムの復帰→(2)エバの復帰→(3)エバによる天使長の主管による天使長の復帰

アダムが神の創造理想を実現できなかったため、

後のアダムと呼ばれるイエス様がその使命を継承し成就されるために来られた。

ところが、サタンの罪の血統を引き継いだ堕落人間によって十字架の道に追いやられてしまわれたのである。

神と動じ静ずることができるイエス様が降臨されて、すなわち神による失われたアダムの復帰がなされると、次には相対者であるエバが復帰されなければならない。

神の心情の対象である善の子女の繁殖がなされ、神の主権の地上天国が実現されるためである。

さらにエバは天使長に対する主管性を復帰しなければならないのである。

言いかえるならば、サタンに最終的にとどめを刺すのは、堕落の時と逆の経路によって、エバになるわけである。

そこでエバが先頭に立てということになり、例えばサタンの思想である唯物共産主義との最終的な思想戦の決着はエバ国家である日本が舞台とならざるを得なかったのである。

旧約聖書の根拠としては、既にこのブログで書いてきたようにアブラハムの妻サラがサタンの実体であるサタン世界の王を「分別」して「感動屈服」させ世界を象徴するものを復帰してきたのであった。

そこで前述の引用に戻ると

「使徒行伝二章3節に記録されているように、五旬節の日に、聖徒たちの前をふさいでいた舌のごとき炎、すなわち火の剣が分かれて現れたのち、初めて聖霊が降臨し、全人類が生命の木であられるイエスの前に行き、彼に接がれるようになったのである。」

 

イエス様はヨハネによる福音書14章6節にご自身が神様と堕落人間を繋ぐことができるただ独りの仲保者であるとしたが、地上に居られるときに結婚をすることができず相対者を持つことができなかった。

 

わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、. だれも父のもとに行くことができない。」

 

だが地獄の3日路程を勝利し復活されたイエス様は、人類が生み返され蘇生していくために、ご自分が霊的な真の父として立たれ、真の母の霊的な代身をもたなければ、霊的救いさえも与えることができなかったので、聖霊が再臨の時までその使命を代わって果たすことになったのである。

しかしながら霊的神の国は信徒たちの心の中に築かれるに止まってしまったのである。

 

「初めて聖霊が降臨し、全人類が生命の木であられるイエスの前に行き、彼に接がれるようになったのである。」と表現されているように、

堕落人間→真の母(聖霊)→真の父→神

というようにメシア・キリストである真の父の仲保者が真の母なのである。

そこでイエス様は「永遠に許されない罪がある」と語られているのである。

聖霊を汚す罪(真の母を汚す罪)である。

 

28 よく言い聞かせておくが、人の子らには、その犯すすべての罪も神を汚す言葉も、ゆるされる。

29 しかし、聖霊を汚すものは、いつまでもゆるされず、永遠の罪に定められる」。

マルコによる福音書 3章28~29節

 

ここで注目すべきは、「神を汚す言葉も、ゆるされる。」

ところが、聖霊を汚すものは、いつまでもゆるされず、永遠の罪に定められる」

神様を冒涜してもゆるされる道はあるが、聖霊を汚せば、真の父に繋がる道が塞がれ、お二人によって生み返され新生して創造本然の人間に戻る道がないというのである。

信徒が誤った信仰の判断をすれば、神の意図とは裏腹に、結果として神の審判になってしまうのである。

 

現在、名誉会長を名乗る神山がお母様の心情を蹂躙する煽動活動を展開している。

神山のような43双(12双)がお母様を差し置いて謀反を企てている誤った信仰に陥ることがないよう、たとえ777双が「基元節は失敗した」と語ったとしても、取るに足らないことと聞き流して頂きたい。

我々6000双やそれ以前の先輩の祝福では、お母様のお腹は大きくて御子女様がお腹の中でご成長されて居られたのを間近に見ている。

我々もまたお母様によって生み返されているのだという実感があった。

その後の信徒より遥かに重生の実感があったのである。

有り難く尊いお母様であられる。

今やお母様は地上にお父様がおられたら間違いなく果たされようとすることおも、一人二役で邁進されて居られる。

このお母様のご指導のもと、ネパールでは仏陀が再臨協助して地上の信徒を奮い立たせて、7万人の大会実現に凄まじい発展を遂げているという証があり、

また東ティモールシャナナ・グスマン首相が韓国の鮮鶴平和賞委員会に「未来の世代のための平和賞、鮮鶴平和賞」創設基金として10万ドル(約1140万円)を寄贈した。以下のサイトから少し引用したい。

東ティモール、文鮮明•韓鶴子総裁「鮮鶴平和賞」に10万ドル寄贈…一大事件 | 統一教会員の合同ニュースブログ familyforum.jp | ファミリーフォーラム

 

シン・ドンリプ記者= 東ティモールが12日、韓国の鮮鶴平和賞委員会に「未来の世代のための平和賞、鮮鶴平和賞」創設基金として10万ドル(約1億830万ウォン=約1160万円)を寄贈した。

東ティモールシャナナ・グスマン首相(69)が2014年8月、韓国プレスセンターで開かれた鮮鶴平和賞委員会の発足式に出席し、委員会サイドに約束したことを実践した。

東ティモール政府は昨年12月19日の大統領宮閣僚会議で鮮鶴平和賞創設基金(10万ドル)の寄付案件を上程、全会一致で承認したのだ。

閣僚会議は次のように決議した。

東ティモールは宗教、人種、国家と文化を超越した平和思想と平和社会・国家建設のビジョンを含む、鮮鶴平和賞の創設を非常に喜んでおり、その志を共にしようと思う。 本会議は鮮鶴平和賞創設に10万ドルを寄付することを決定する。」

グスマン首相は鮮鶴平和賞委員会の発足式で

「鮮鶴平和賞は、利他的な人生で、宗教、人種、国家、文化を超えて、平和な国家と世界を構築することができる本質的なメッセージを含んでおり、希望の灯として平和文化を導いていく」とし、「東ティモール政府として創設資金を支援する」

と明らかにした。

2002年5月20日独立した東ティモール21世紀最初の独立国家であり、アジアに於いて韓国・フィリピンと並ぶ3大キリスト教国家の一つである東ティモールは、インドネシアから(国際法上はポルトガル)独立した国でキリスト教を信じる国民が99.1%だといい、その多くはカトリックであるそうだ。

 

真の御母様の天に捧げられた精誠とご苦労が次第に実りつつある今日である。