原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

おしらせ 内村鑑三のことば 2   16日日曜日午前5時から一時間NHKで放送される!

若い頃には心霊の糧を求めて時折キリスト教書店を訪れ、自分が霊的に成長をする助けになるような本を探したものである。

片っ端から棚の本を取り出して目次をみて、ピンと来ればもう少し読んでみて必要な本か吟味したものである。

しかし、自分が捜したものであれ、兄弟が勧めてくれたものであれ、自分にとっての良書に巡り会うことはほとんどなかった。

ところで大阪の梅田駅の近くに偶然古本屋を見つけたのが内村のキリスト教関係の本であった。残念ながら題名を忘れてしまったがとても内的に訴えるものがあった。

当時自分は日本人のクリスチャンにはそれほど学ぶべきものを書いている者はいないであろうという偏見を持っていたので、もっぱら外国人の著した本に霊の糧を求めていた。

しかしながら大して参考になるものは見当たらなかった。

内村の説教などを読んでみると、さすがに長成期の完成級に至っておられ主の祝福を待つばかりの人物に見えて、内的であり、神霊に満ちた文章が多いことに気がつく。

我々がこの道の信仰をとるときに、愛する父や母また兄弟、敬愛する親友や故郷、自分が価値有りとして愛した一切を捧げて、来たように、内村もあらゆる試練を神の驚くべき恩恵として昇価して歩まれてきた。

それゆえ、通常では得ることのできない信仰的受け止め方や観点が見受けられる。

統一信徒にとってこそ日々の迫害と試練の生活にヒントとなるものが多く存在していることと思われる。

明日の放送を是非見て頂きたい。

丁度敬礼の時間なので、録画するか22日土曜日の再放送を見るかくふうしなければならない。

20年以上前に衛星放送の為のスタジオを築き、全国の信徒は巨大なアンテナを取り付けた。

ところが放送すべきコンテンツがさっぱりであり、宝の持ち腐れとなってしまった。

日本統一協会がもっと謙虚であり、他の宗教からも大いに学ばせて頂こうという気概があれば、放送の枠を提供し例えば「宗教界に学ぶ」という番組を持って、普遍的に人類が学ぶべき内容を自由にお話下さいとして場をもてば、人物であれば必ず協力を得ることができ、将来共に社会の問題に協力して貢献する道が開かれたかも知れない。

法然なら法然親鸞なら親鸞という正師に出会って始めて、人の道を行くことが見えた 信者も、我々が文鮮明 恵父に出会って始めて自らの永遠の命に目覚めたことも、通じるものがあるのである。

お互い良き師を得て今日の自分たちがあることを祝福し合って行くならば、アベル的勢力が結集してこの世の悪や罪と向き合って解決に協力し続けることができたことであろう。

久保木会長を育てた庭野日敬との再会の日も来たことであろう。

話は終わらないので

とにかく早く放送のお知らせをするためここで終えることにする。