原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

カインとアベル、マルタとマリア、旧約と新約、カトリックとプロテスタント、行義と信義

仏教には「信解行証」(しんげぎょうしょう)という言葉があるそうです。

ブッダの御言葉を信じて、よく理解し、実践体験して、悟りを体恤するということのようです。

確かに信仰にはそういう行程があるようです。

加藤智見氏が書いた「仏教の美と聖なるもの」という本の中で、法然の苦悩が紹介されていました。 

仏像の美と聖なるもの

仏像の美と聖なるもの

 

 

 法然は18歳の時、比叡山での学問と修行に挫折した。「知恵第一の法然房」と言われたほどの秀才であったが、どうしても自分の心を満たせなかった。「ひじり」となって遁世しようと決意した彼は、経律論のすべてを研究し和漢の書を読破したが、どうしても苦しみから救われる道は発見できなかった。この孤独が18歳から43歳の時まで続いた。恐ろしい孤独の闇の中に20年以上もいたわけである。

 

 かなしきかな、かなしきかな、いかがせん、ここにわがごときは。すで

 に戒定恵の三学のうつはものにあらず。この三学の外にわが心に相応す

 る法門ありや。わが身にたへたる修行やあると。(和語燈録)

 

孤独の中で求道に励む者の問いに、観念的な学問は何も答えなかった。

 

 よろずの智者にもとめ、もろもろの学者にとふらひしに、をしゆる人な

 く、しめすともがらもなし。

 

法然は仏が選択した念仏に気づく。

すなわち『選択本願念仏集』にある「正定の業とは即ちこれを仏名を称するなり。み名を称すれば、必ず生ずることを得。仏の本願によるが故なり」のことです。

法然の弟子親鸞はこれを、人間からの努力によって得られるのではなく、信心は阿弥陀如来から一方的にいただくものだとした。

伝統的な信解行証の行程の第一段階の信で涅槃にまで至ると考えた。

「涅槃の真因はただ信心をもてす」「正定の因はただ信心なり」と言い切ったという。

自力から他力に信仰の重心が移っていきました。

行いから信じることに重心が移っていきました。

 

さて、聖書だが創世記に出てくるカインは地の産物を神に捧げた人でした。

これに対してアベルは羊の初子を捧げたという。

羊を飼うことも大変な仕事かも知れないが、普通に考えればやはり農業の方が苦労が多いことだろう。また、知識や技術も要求されることだろう。

カインは後に街までつくっている。

非常に実力があったのでしょう。

外的な実力があり行動力があるカインに対して、アベルはそれほどではないが内的な純粋な動機が初子を捧げたことから推測される。

カイン:行動力、仕事人、外的

アベル:行動力や仕事がそれほど出来ないが、内的な動機の純粋さがある

 

このカイン的態度や信仰とアベル的態度と信仰の特徴は旧約から新約に新約から成約にと解決されないままに引き継がれてきたようです。

解決されないとは、本然のアダムではなく、堕落性を持った中間位置に立つ人間を善悪に相対的に分立されて現れたのがカインとアベルでしたので、

真のアダム、アベル、カインの3つを見ていく必要があると思うからです。

ここでは、あとの方の二つを見ていきましょう。

 

新約聖書でこのカインアベルと類似していると思われる記述で、われわれがすぐ思い出すのがマルタとマリアのところでしょう。

 

38 一行が歩いて行くうち、イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。 
39 彼女にはマリアという姉妹がいた。マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。 
40 マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」 
41 主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。 
42 しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。

ルカによる福音書10章

 

ここではエス様を迎えたのはマリアではなくマルタだと書かれています。

どうやらマリアは一緒ではなかったようです。

マルタはそつがないさばけた人だったのでしょう。

常識や礼儀や作法が行き届いており、しっかりしていて料理でも掃除でもその他の家事でも見事にやり遂げる実力のある女性だったのでしょう。

そこで聖書には「マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていた」とあります。

やり手の女性でした。カインがやり手の男性であったように。

自分ができる人の特徴ですが、周りの人の問題によく気が付きます。

マルタもそうですから、まして身近な妹のマリアのことですからなおさらでしょう。

 

おそらくマルタはさばける人でしたが、大変なのでマリアに手伝うように頼んだに違いありません。ところがマリアときたらまったくその願いに応えようとはしなかったのではないでしょうか?

「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、」

おそらく言うことを聞かなかったのかもしれません。たまらずにマルタはイエス様に言いました。

「何ともお思いになりませんか。」 

わたしが正しいでしょう?わたしだけ忙しくもてなしているのは理不尽です。

手伝ってくれるようにおっしゃってください。」 

 

自分自身が行っている行為を正しいと認めてくださり、

そうでない間違っている人にも手伝ってください言ってほしいという感じでしょうか?

もしかしたら、見過ごしていたイエス様にも少しだけ不満があったのかもしれません。

サンクチュアリも同じ試練に遭います。

 

マルタは他でもないイエス様一行をおもてなししていました。

大変重要な素晴らしいことをされていました。

ところがイエス様の答えは、マルタの予想に反していました。

 

マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。

 

マルタはよく気がつくそつのない女性でした。外的なことにとらわれる人でした。

そこでイエス様は語られました。

「しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。

 

エスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。

ヨハネによる福音書14章6節

 

 マリアはマルタのような実力のある女性ではなかったかもしれない。

だが、姉のマルタ以上に内的にイエス様をもてなす女性でした。

エス様はマルタのもてなしを否定はされませんでしたが、

マルタの外的なもてなしよりもマリアの内的なもてなしを喜ばれました。

我々の心の中にあるマルタとマリア。

 

情欲を抱いて女を見るものはすでに心のなかで姦淫したのだというように、

エス様は律法を外的に守るにとどまらず、内的に守ることを重視されました。

外的行為を重視した旧約の律法を守る行義時代から

内的な動機を重視する新約の御言葉を守る信義時代に移行しました。

 

カインのようなユダヤ教に対してキリスト教アベルの立場であったはずでしたが、

カトリックは形骸化して外的になり宗教改革が起こります。

1517年のことでした。

ここから、今までユダヤ教に対してアベルであったカトリックは、

新教のプロテスタントアベルとしたカインの立場に転落しました。

さらに1945年を中心としてキリスト教も再臨主の文鮮明先生を受け入れなかったので、カインの立場に転落いたしました。

 

日本の天正少年使節団が派遣されたのが1582年のことで帰国は1590年でした。

何の話かわかりますか?

宗教改革があった1517年からずっと後、すなわちカインアベルが変わった以降のカイン的キリスト教が日本にやってきていました。

ザビエルが来たのが1549年のことです。

神の摂理における本流のアベルキリスト教プロテスタントではなく、

支流のカイン的カトリックキリスト教が日本に来ました。

さらにその信仰は日本教によって歪められていきました。

キリシタンの信仰には見るべきものもありますが、その霊界にどっぷり浸かってしまうと本流には戻れなくなってしまいます。

そのことを以前より警告してきました。

基本的にはカイン的キリスト教信仰だからです。

 

家庭連合でも同じでした。

ある時から天地正教の信者が献金の主役になっていきます。

神のため献金を毎月たくさん出来た人が主役になりました。

毎週礼拝に出ている人が当然ながら評価されました。

取税人の仕事が中心になりました。

献金の捻出のために毎日活動する人が信仰者とされ、

本部教会は毎週の礼拝参加者数を重視して報告させましたが、

水増しの報告をされる教会長も出てきました。

行義時代の信仰に逆戻りして行きました。

みんな仕事屋になりました。

マリアのような心の問題に集中したいと思う人の居場所がなくなりました。

1万人大会という派手なイベントがかえって信仰の本質を忘れさせてしまう悲しい結果になっていきます。

 

蓮如はこのように語ったそうです。

「一宗の繁昌と申すは、人のおほくあつまり、威のおほきなることにてはなく候ふ。一人なりとも、人の信をとるが、一宗の繁昌に候ふ。」

 

石田慶和の「これからの浄土真宗」という本の中で西谷啓治という方の信心についての言葉が紹介されています。 

これからの浄土真宗

これからの浄土真宗

 

 

 西谷先生の「信仰について」という文章を紹介しましたが、そこには先ず、

「信仰といふものには、いつでも、自分を捨てるといふことがなければならない」と指摘されています。しかしそういう場合でも、なかなか本当には自分といふものが捨てきれないで、「自分を捨てて神に仕え仏に仕へるという生活のうちに、何か自分が他の人々の達し得ない高い所に達したといふ意識、他よりも勝れたものになったといふ誇りの気持ちが現れてくる」。それが浄土門でいう「本願ぼこり」であり、「信仰といはれるもののうちに信仰以前の心、信仰とは反対の心が出て来る」ことである。だから浄土門では、自分が極悪人だと自覚すること、或いはむしろ自覚せしめられることが、信の根本的な一契機になってゐる」のであり、それが「信仰による高ぶりの危険を破り、信仰を正しい信仰に導く道を意味している」とおっしゃっています。

 

 浄土真宗の信仰と信仰以前のお話は実に含蓄がございますね。

さて、先程カトリックプロテスタントに対してカインだと申しましたが、

カトリックの中にもアベル的な流れもございます。

上記の文章に続くところでは聖フランシスの話が出てきます。

一緒に学ばせていただきましょう。

 

フランシスがある冬の寒い日に、弟子のレオといっしょに、ある町から隣の村の教会へ行こうとして歩いていました。そのとき、フランシスはレオにこう申します、

「レオよ、私たちが聖者の道の模範を示すようになればいいとわたしは思う。しかし、完全な歓びというものはそういうところにはない。そのことをよく憶えておきなさい」。

それからしばらく行って、またこう言います。

「レオよ、私たちが目の見えない人の目を見えるようにし、病人を治し、死んだ人をよみがえらせたとしても、完全な歓びはそこにはないということをよく憶えておきなさい」。

また少し行ってこう言います。

「レオよ、私たちがあらゆる学問に通じ、未来のことも、いろいろな秘密を明かす力を持ったとしても、そういうことでは完全な歓びにはならぬということをよく憶えておきなさい」。

また少し行ってこう言います。

「レオよ、私たちがよく説教することができて、不信仰の者をみなキリストの信仰に回心させたとしても、完全な歓びはそこにはないことをよく憶えておきなさい」。

そこで、とうとうレオは驚いて尋ねました。

「では、完全な歓びはどこにあるのですか」と。

フランシスは答えます。

「私たちが雨に濡れ、寒さに凍え、飢え死にしそうになって隣村の教会につき、戸をたたく、すると門番が出てきて言う、おまえ達は誰だ、おまえ達は世間をだまし歩いて貧乏なひとたちの物を盗む極道者だ、出て行け」と。そのとき、私たちが、じっとすべてを忍ぶならば、そして、この門番は私たちがどんな人間かということをよく知っているんだ、神が彼に語らせていらっしゃるのだと、謙遜と愛とをもって考えるならば、そこにこそ完全な喜びがあるのだ」と。

西谷先生はこういう話を記した後で、

「さういふところまで徹底して初めて、本当に自分を捨てて神に仕へるといふことになり得るのかと思われる」

とおっしゃっています。

 

信仰以前に徹底して、信仰を持って徹底し、悟って後にも徹底するのが

私たちのゆく道なのでしょう。

 

 

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