この人も怪しい。
さて、説教によく出てくるキーワードを列挙すると。
1、1921年に発足した外交問題評議会 CFR( The Council of Foreign Relations)
2、1930年より ロックフェラーによって支配される
1954年 ビルダーバーグ会議( The Bilderberg )
3,1968年 ローマクラブ ( The Club of Rome )
4,1973年 日米欧三極委員会 TC( The Trilateral Commission )
Free Mason ( Rothschild ) , Rotary , YMCA
「それらの年月の間、もし、我々が、報道の光にさらされていたなら、
我々の計画を、発展させることは不可能だっただろう。
しかし世界は今や、より洗練されており、
世界政府に向けて、動いていく用意がある。
知的エリートと、国際銀行家の超国家的主権は、
過去の世紀において、国家が独自に決めていたやり方よりも
間違いなく望ましいものだ。」
1991年6月 ドイツ ビルダーバーグ会議
「一部のものは、我々ロックフェラー家が、
米国の最善の利益に反して作業している
秘密結社の一部であると信じている。
そして、私の家族と私を
『世界政府主義者』(internationalists)と特徴づけ、
我々が、より統合したグローバルな政治的、および、経済的な構造システムを伴う
一つの世界を構築しようと、世界中の国々と共謀していると言う。
もし、それが告発なら、私は有罪のままでかまわず、私はそれを誇りに思う。」
ロックフェラー回顧録 英書 405ページ
では、どのようにトランプとビルダーバーグが対立するかを要所よく書いている記事が
ビルダーバーグ・グループと敵対関係にあるトランプ - trendswatcher.net
29.01.2016
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共和党大統領候補の指名がほぼ確実とされている、ドナルド・トランプ氏はこれまでの発言、
「イスラム教徒の米国への入国を禁止する」
「海外で製造された商品の関税を引き上げる」
「メキシコとの国境に壁を建設する」
「アップル製品の製造を海外ではなく、アメリカで製造させる」
「フォード車に35~40%の関税をかけることで、メキシコから生産拠点をアメリカに戻す」
「アメリカの労働者に不利な貿易協定は破棄する」
などで、グローバリズムを提唱するグローバル・エリートと敵対関係となった。それを明らかにしているのが、ビルダーバーグ・グループの意見を代表する英ファイナンシャル・タイムズ紙である。
ドナルド・トランプを止めなければならない
ファイナンシャル・タイムズ紙に同紙の経済論説主幹であるマーティン・ウルフは “The Economic Losers are in Revolt Against the Elites” (社会の負け組は、エリートに敵対意識を持っている)と題した記事を掲載した。マーティン・ウルフは1999年以降、ダボス会議のフェローを務めており、著者には「徹底討論グローバリゼーション賛成/反対」がある。
記事の内容は以下のようなものである。
社会の負け組も選挙権はある。それが民主主義である。彼らが、酷く騙され、人間としての尊重を失ったと思えば、共和党候補のドナルド・トランプ、国民戦線のマリーヌ・ル・ペン、自由と民主主義のヨーロッパのナイジェル・ファラージなどに投票するであろう。
彼らは、ダボスで開催された世界経済フォーラムに参加した、各国の経済や文化を支配するエリートたちを拒否する。このような考え方は恐ろしい結果を生む。エリートたちは、協力して対応を考えないといけない。もう手遅れかもしれないが。
右翼派のエリートたちは、低い限界税率、制限がない移民政策、グローバル化、労働市場の自由化、社会保障コストの削減、株主価値の最大化を追求してきた。左翼派のエリートたちは、制限がない移民政策、多文化主義、多様化、中絶の自由、人種と性別平等を求めてきた。各国の状況とはかけ離れ、彼らはグローバル・スーパー・エリートのグループを形成した。
一般の保護主義的な考えを持つ国民が共感できないのは当然である。グローバル・エリートたちと比較すれば、エリートたちが進めてきた政策による利益は平等に配分されていなので、彼らは負け組だからである。彼らは利用され、不当に扱われたと考えている。
トランプ氏はポピュリストである。減税、保護主義的な貿易、閉鎖的な移民政策を提唱している。このような考え方が支持者たちに受ける理由は、彼らが大事にする市民権にある。彼らは自国以外の外国人と共有したくないのである。
保護主義的な考えを持つポピュリストが絶対勝ってはならない。勝てば、悪い結果となる。アメリカの場合、結果は深刻でグローバルな影響を引き起こす。世界は知識の高いリーダーを必要としている。トランプ氏は不適で危機的な状況を引き起こす可能性がある。
ダボス会議でトランプの敗北を発言
ビルダーバーグ会議の常連参加者で、著者に『ハウス・オブ・ロスチャイル』、『理想家キッシンジャー 1923~1968』、『マネーの進化史』があるドハーバード大学教授のニーアル・ファーガソン氏は、ダボス会議でトランプ氏は3~4月には恥をかく立場になり、政治家としての将来はなくなると述べている。
さらに、世界最大の広告代理店であるWPPのCEOであるマーティン・ソレル氏は、「2016年の大統領選の結果はすでに決まっている。だれが、共和党候補であっても、ヒラリー・クリントンは勝つ。」と述べている。WPPの顧客には、フォード、IBM、マイクロソフト、グラクソ・スミスクライン、ネスレ、ウォルマート、ユニリーバなど、世界を代表する多国籍企業が含まれている。2015のビルダーバーグ会議では、ヒラリー・クリントンが次期大統領として指名されている。
グローバル・エリートはトランプを脅威に思っている。反トランプの記事によって民主主義国家であるアメリカで、国民ではないグローバル・エリートの勢力が大統領を決めている事実が見えてきた。
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ローマクラブの記事を以下から引用。
昨日使ったサステナビリティ(持続可能性)もここから来ているのか、くわばらくわばら。
日本や世界や宇宙の動向 : いよいよ豪議員がイルミナティの仕業を公の場で暴露しました!
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(ブレシングトン議員が最初に語った部分)
環境保護運動は、ローマ・クラブが結成された1968年に始まりました。ローマ・クラブは、危機的状況を発生させる専門機関として危機のシンクタンクと呼ばれています。彼等の主な目的は、計画的に危機的状況を発生させ、世界を統一し、我々の国や地域の問題までも世界的規模で解決するという考えを人類に植え付けさせることです。
ローマ・クラブの第一次世界改革と呼ばれる文書によると、世界人類を統一するためには新たな敵が必要になった。それは、環境汚染、温暖化の脅威、水不足、飢餓などの問題であり、彼等はそれらを創作したことが分ります。世界的な対応が求められる環境問題は全て人間の介入により発生しました。このようにして地球温暖化の問題を創り上げたのです。
1975年に国連の産業開発機構の協議会でオーストラリアはリマ宣言の新経済秩序を導入することに同意しました。それは、先進国から開発途上国にツールや仕事や製造業を移すためのブループリントだったのです。その結果、オーストラリアは、製造基盤、製造業の仕事、産業技術が不足してしまいました。同時に、実行不可能な貿易関税協定を結ぶことにより、オーストラリアを現在の状況に陥れたのです。今では、オーストラリアの農業や製造業の90%が消えてしまったという現実だけが残っています。
オーストラリア政府は政治に強い影響力を与える団体、組織(複数の大企業、環境団体、国民、政党など)からの支持により、リマ宣言に署名しました。このような貿易協定は、オーストラリアにアジェンダ21の役割を果たさせているのです。
また、オーストラリアは世界のチェスゲームの駒として、あちこちに動かされているような気がします。そして、現在では、オーストラリアはチェックメート(行き詰まり)寸前にあります。1992年にジョージ・ブッシュSr米大統領は「アジェンダ21を効果的に実行するには、社会をこれまで経験したことがないほど徹底的に改造しなければならない。」と言いました。
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https://nqj17437.wordpress.com/ より引用
世界には大きく3つの政治的悪魔崇拝ブロックがあります。アングロサクソン銀行カルテルのブロックは、ビルバーグ(ビルダーバーグ会議?)、ダボス(ダボス会議)、ロスチャイルドによって運営されています。その代表がジョージ・ソロスで非営利組織を組織して、ウクライナやアラブの春など暴動や戦争を引き起こし今度はアメリカでやろうとしているのです。
次に中東のサウジ、ワッハーブ派の億万長者でイスラム過激派に資金を提供しています。サウジアラビアの君主国の王は何十人という妻を持っています。未成年を含めた妻たちと一緒に撮った写真もありますが、もちろんそれがイスラムでは違法ではありません。
そして東には中国の独裁的なブロックがあります。毛沢東とそのならず者たちが7千万のアジアの人々を殺害しました。
彼らはすべてが実際にルーシェルを崇拝しているわけではありません。そのエリートたちの中には実際にルーシェルの名を口にしていない者もいます。しかし、その頂点において多くは闇の世の主権者に支配されているのです。オカルトや秘密のパワー、第三の目の開眼、チャクラの開花、といった超能力のようなものに夢中になっており、大学に資金を提供して研究させているのです。
例えばイギリスの王室については、何週間か前にヒースが小児性愛に関わっていたことを警察が発表していました。死姦についてもそうです。ジェフリー・ダーマーのように国を支配しています。本当のサイコパスです。食人、死姦、小児性愛といったものが人間を支配しています。
彼らが中央集権の天使長の権力を得たいのは自分たちを守るためなのです。法律を超えて官僚制の背後に隠れることができるのです。自分のやりたいように乱用しても訴えられることがありません。
外交問題評議会の仕事の便宜を図ってもらったキッシンジャーのようなトップエリートたちは、学術論文のようなものを書いており、一般大衆はこういったものを目にしていません。その中で彼らは、アメリカの対抗勢力となるために中国が経済的に発展する必要があると書いています。
トランプはそれを拒否して私たちは公平にしたいのだと言っているのです。例えば法人税を高くして企業がアメリカを去り中国に行ってしまっています。なぜなら中国では法人税も低く人権を守らなくても何の咎めも受けないからです。過酷な労働環境で奴隷のように働かされています。
ダボス会議の記事がある。これによって習近平も金融資本家の新世界秩序に組み込まれたと見ることができたのだろう。
ダボス会議2017に異変 - trendswatcher.net
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スイスの高級スキーリゾート地ダボスで、1月17~20日に世界経済フォーラムの年次総会(ダボス会議)が開催される。ダボス会議の3,000名の参加者には、世界の大手多国籍企業1,000社から約1,800名のビジネスリーダーの他、世界の指導者、経済人、メディア関係者、セレブが出席する予定である。今年のダボス会議の注目は、 中国の習近平国家主席が中国の国家主席として初めて出席することである。
ダボス会議から生まれた、銀行家・ビジネスリーダー・政治家の「ダボス」ネットワークの参加者で毎年開催されるダボス会議は通称、世界の0.1%の超富裕層、「グローバル・エリート」のための会議とも呼ばれてきた。本年度の議論のテーマは、「俊敏で責任あるリーダーシップ」(Responsive and Responsible Leadership)であるが、中心となるのは既存の政治、社会経済システムに反対する民衆への対応策と思われる。
英国のEU離脱、ドナルド・トランプ大統領の誕生、イタリアの憲法改正への反対によるレンツィ首相の辞任、欧州諸国で極右派政党の支持拡大など2016年は国民がグローバリズムに対する不満と反対を示した年であった。今年予定されているオランダ、フランス、ドイツでの選挙結果では、グローバリズムを推進するダボス会議参加者にとって、既存の社会経済状況が大きく変化し、大きく影響を受ける年といえる。
中国国家主席が初出席
グローバリズムや既存の政治体制に反対するトランプ次期大統領とは異なり中国の習近平国家主席の出席は、中国が米国に代わってグローバルな役割を果たす意向があることを示唆している。市場のより自由化と規制緩和を求める「グローバル・エリート」と保護貿易主義ともいえるMade in China 2025政策を進める中国が注目される。
米国のトランプ次期大統領の参加はない
トランプ次期大統領は選挙期間中、既存のグローバリズムに反対姿勢を示してきた。ダボス会議の最終日と重なるトランプ大統領就任式、トランプ政権からはダボス会議の常連である元ゴードマン・サックス取締役のゲーリー・コーン次期米国家経済会議委員長が出席する予定である。米国を代表して参加するのは、オバマ政権からバイデン副大統領とケリー国務長官となっている。
ドイツのメルケル首相が欠席
ドイツのメルケル首相は、2005年に首相となって過去7回と頻繁にダボス会議に参加している。しかし、去年に続き2年連続でダボス会議を欠席する予定となった。それには、ドイツ国民の反EU、反グローバリズム、反移民政策の高まりがあり、12月にベルリンで起きたトラック突入テロ事件やドイツ連邦総議会選挙を9月に控えていることから、参加を断念したと考えられる。
また出席が予定されていたフランスのオランド大統領、イタリアのレンツィ首相、カナダのトルドー首相、ユンケル欧州委員会委員長は欠席を表明している。
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http://www.huffingtonpost.jp/alastair-crooke/you-cant-understand-isis_b_5807238.html
よりワッハーブ派の記事を引用
イスラム国の劇的な出現は西側の多くの人々に衝撃を与えている。そして多くの人が困惑して、恐怖を感じている――その暴力と、イスラム教スンニ派の若者たちへの明らかな求心力にだ。さらに、この出現に直面したサウジアラビアの迷走を厄介に、また不可解に感じ、首をかしげている。「サウジはイスラム国が自分たちをも脅かしていることに気付いていないのだろうか?」と。
今でさえ、サウジアラビアの支配階級のエリートたちは分裂しているように見える。ある者たちは、イスラム国がイランのシーア派の"武力"にスンニ派の"武力"で対抗するのに拍手喝采だ。新しいスンニ派国家が、まさに彼らがスンニ派の歴史的遺跡とみなす中心地で具体化しているからだ。そしてそれらはイスラム国の厳格なサラフィスト(サラフと呼ばれる初期イスラムの時代を理想とするサラフィー主義の一派)・イデオロギーにより出現している。
他のサウジ人たちはもっと恐れており、ワッハーブ派(18世紀半ばにアラビア半島に起こった復古主義的なイスラム改革運動)のイフワーン(サウジアラビアの建国を支えた民兵組織)によるアブドゥル・アジズ・イブン・サウード(サウジアラビア初代国王)への反乱の歴史を思い出している。(お断り:このイフワーンはイスラムの兄弟関係を意味するイフワーンとは無関係である。――今後のすべての言及はワッハーブ派のイフワーンに関するもので、イスラムの兄弟関係のイフワーンについてではないことにご注意いただきたい)。イフワーンは1920年代末に、ワッハーブ派とサウド家をほぼ崩壊寸前まで追い込んだ。
多くのサウジ人はイスラム国の急進的教義に深く困惑している――そして、サウジアラビアの方向性と論理のある部分に疑問を投げかけ始めている。
サウジの二重性
イスラム国をめぐるサウジアラビアの内的不調和と緊張は、この王国の教義上の構造やその歴史的起源のまさに核心に存在する、固有の(また持続する)二重性を知ることで初めて理解できる。
サウジのアイデンティティーの1つの支配的な鎖は、ムハンマド・イブン・アブドゥル・ワッハーブ(ワッハーブ派の創始者)と、イブン・サウードにより示された急進的で排他的なピューリタニズムの採用に直接つながる(後者は当時、非常に乏しい灼熱のネジド砂漠でベドウィン部族たちを襲い続ける多数の指導者たちにまぎれた、目立たないリーダーの一人に過ぎなかった)。
この複雑な二重性への2つ目の鎖は、1920年代の、アブドゥル・アジズ王に続く国家体制へのシフトに正確に結びつく。彼がイフワーンの暴力を抑制したこと(イギリスやアメリカに対し国家として外交的立場を取るため)、ワッハーブ派の元来の衝動を制度化したこと、そして続く1970年代の、絶好のタイミングで押し寄せてきたオイルマネーの蛇口を捕らえたこと、変化しやすいイフワーンの流れを内側から外側へ向けさせたことだ。それらはイスラム世界全体に、暴力革命よりも文化革命を拡散させることによって実現した。
しかしこの"文化革命"は穏やかな改革主義ではなかった。それはアブドゥル・ワッハーブが自らの内に知覚した、腐敗と逸脱へのジャコバン派に似た憎悪に基づく革命であり、すべての異端と偶像崇拝を粛清するよう求めるものだった。
イスラムの詐欺師たち
アメリカの作家でジャーナリストでもあるスティーブン・コールは、14世紀の厳格なイスラム法学者イブン・タイミーヤの厳しくて口やかましい弟子、アブドゥル・ワッハーブが、"上品さ、芸術家気取り、喫煙、大麻吸引、太鼓を叩くエジプト人、そしてアラビアを縦断してメッカへ祈りに行くオスマン貴族"をいかに軽蔑していたか書いている。
アブドゥル・ワッハーブの思想によれば、彼らはイスラム教徒ではない。イスラム教徒の仮面をかぶった詐欺師だ。もちろん、地元のベドウィン・アラブ人の振舞いを、もっとましだと思ったこともない。彼らは聖人をあがめ、墓石を建て、"迷信"(たとえば墓や、特に神聖とみなされる場所をあがめたりすること)に従うことで、アブドゥル・ワッハーブを怒らせた。
これらの振舞いすべてを、アブドゥル・ワッハーブは異端――神により禁止されている、として非難した。
昔のタイミーヤのように、アブドゥル・ワッハーブは預言者ムハンマドがメディナ(イスラム教の聖地)にいた期間こそ、すべてのイスラム教徒が倣おうとすべき理想的なイスラム社会("最良の時代")だったと信じていた(本質的に言って、これがイスラム教の最も保守的な思想であるサラフィズムにほかならない)。
タイミーヤはシーア派、スーフィズム(イスラム教の神秘主義思想)、そしてギリシャ哲学に対し宣戦布告した。彼はまた預言者の墓を訪れて誕生日を祝うことにも反対し、そのような振舞いはすべて、イエスを神として崇拝(つまり偶像崇拝)するクリスチャンのまねごとにすぎないと宣言した。アブドゥル・ワッハーブはこれら初期の教義すべてを吸収し、こう言った。イスラム教義のこの特定の解釈を受け入れる面で、信者の側に「なんであれ疑いや躊躇」があれば、「その者は財産や命を免除される権利を奪われる」べきだ。
アブドゥル・ワッハーブの主要な教義のひとつがタクフィール(不信仰者の宣告)の主要な考えとなった。タクフィールの教義のもとでアブドゥル・ワッハーブと彼の追随者たちは、何であれ絶対の権威(すなわち王)の主権を侵害するような活動に携わった仲間のイスラム教徒を異端者とみなすことができた。アブドゥル・ワッハーブは、死者、聖人、天使をあがめたイスラム教徒すべてを非難した。そのような感情は、神に対し、また神にのみ示されるべき完全な服従を損なうと考えたのだ。よってワッハーブ派のイスラム教義は、聖人や死んだ愛する人に祈ることや、墓や特別なモスクへの巡礼、聖人をたたえる宗教的祭り、イスラムの預言者ムハンマドの誕生日を祝うこと、そして死者を葬る際に墓石を使用することさえ禁じた。
この考えに従わない者は殺されるべきであり、その妻や娘たちは犯されるべきであり、その財産は没収されるべきだと彼は書いている
アブドゥル・ワッハーブは服従を要求した――物理的、具体的に示される服従だ。彼は、イスラム教徒すべては1人のイスラム指導者(カリフ、もし存在するならば)に個人的に忠誠を誓う必要があると論じた。この考えに従わない者は殺されるべきであり、その妻や娘たちは犯されるべきであり、その財産は没収されるべきだ、と書いている。死に処されるべき背教者のリストには、シーア派、スーフィー派、そして他のイスラム宗派、すなわちアブドゥル・ワッハーブが決してイスラム教徒であるとは考えなかった人々が含まれていた。
ここにはワッハービズムとイスラム国を区別するものは何もない。裂け目は後に現れることになる。後の、ムハンマド・イブン・アブドゥル・ワッハーブの教義を制度化した"1人の支配者、1つの権威、1つのモスク"―― これら3つの柱のそれぞれがサウジ王、すなわち正統ワッハービズムにおける絶対的権威を現す、そして"言葉"を支配することだ(つまりモスクだ)。
これが裂け目――イスラム国による、スンニ派が全権を振るうこれら3つの柱の否定――、すなわち他のすべての要素についてはワッハービズムを受け入れるイスラム国を、サウジアラビアの深刻な脅威としているものだ。
ワッハービズム小史
1741年―1818年
こうした超急進的思想をアブドゥル・ワッハーブが擁護したことは、必然的に彼自身が町から追放されることにつながった。そして1941年、放浪を繰り返したあげく、イブン・サウードと彼の部族の保護の元に避難することになる。イブン・サウードはアブドゥル・ワッハーブの高潔な教えがアラブの伝統と慣習を覆す手段になると考えた。それは権力掌握への道だった。
彼らの戦略は、現代のイスラム国と同様、征服した人々を服従させることだ。恐怖を植え込むことがねらいだった
アブドゥル・ワッハーブの教義を手中に収めたイブン・サウードの一族は今や、いつも行っていること、すなわち近隣の村を襲って財産を奪うことができた。ただし今回はただアラブの慣習の範囲で行うのではなく、ジハードの旗の下にだ。イブン・サウードとアブドゥル・ワッハーブはさらに、ジハードの名の下に殉教という考えを持ち込んだ。それら殉教者たちはそのまま楽園へ行くことが保証されるというのだ。
当初、彼らはいくつかの小さな地元コミュニティを征服して自分たちのルールを課した(征服された人々には限られた選択肢しかなかった。ワッハービズムへの改宗、もしくは死である)。1790年までに、この連合はアラビア半島の大半の地域を支配しており、メディナ、シリア、イラクを繰り返し攻撃した。
彼らの戦略は、現代のイスラム国と同様、征服した人々を服従させることだ。恐怖を植えつけることがねらいだった。1801年、この連合はイラクの聖都カルバラを攻撃した。女性や子供を含む何千人ものシーア派を虐殺した。預言者ムハンマドの殺害された孫であるイマーム・フセインの寺院を含め、シーア派の寺院の多くが破壊された。
イギリスの役人、フランシス・ウォーデン中尉は当時の状況を観察し、「彼らはそこ(カルバラ)のすべてを略奪し、フセインの墓を・・・略奪した。その日の、独特の残酷な状況の中で、5000人以上の住人を殺害した・・・」と書いている。
オスマン・イブン・ビシャール・ナジ、第一次サウード王国の歴史家は、イブン・サウードが1801年のカルバラの大虐殺に関わったことを記している。彼は誇らしげにその虐殺を記録していた。「われわれはカルバラを制圧し、その民を殺し、(奴隷として)捕らえた。アラーが賛美されますように、世界の主が。われわれは謝罪しない、そして言う、『不信者たちへも、同様の扱いを』」。
1803年、アブドゥル・アジズは、恐怖とパニックにより降伏した聖都メッカに入った(同様の運命がメディナにも間もなく訪れることになる)。アブドゥル・ワッハーブの追随者たちはメッカにある歴史的建造物やすべての墓、寺院を破壊した。1803年末までに、彼らはグランド・モスク近くの何世紀もの歴史を持つイスラム建築物を破壊した。
しかし1803年11月、シーア派の暗殺者がアブドゥル・アジズを殺害する(カルバラの大虐殺の報復だ)。彼の息子、サウド・ビン・アブドゥル・アジズがその後を継ぎ、アラビアの征服を継続した。しかしオスマンの支配者たちはもはや、指をくわえて自分たちの帝国が少しずつ削り取られていくのを見ていることはできなかった。1812年、エジプト人で構成されたオスマンの軍隊はこの連合をメディナ、ジェッダ、そしてメッカから追い出す。1814年、サウド・ビン・アブドゥル・アジズは熱病により死亡した。しかし彼の不運な息子、アブドゥラ・ビン・サウードはオスマン人によりイスタンブールへ連れてゆかれ、陰惨な方法で処刑された(イスタンブールを訪れたある人は、彼がイスタンブールの通りで3日間にわたって辱められ、その後つるされて首を切られ、切断された頭部はキャノン砲で吹き飛ばされ、心臓は切り出されて体の上に突き刺されたと報告している)。
1815年、ワッハーブの軍は決定的な戦いでエジプト人(オスマンのために行動していた)と衝突する。1818年、オスマン人はワッハーブの首都ディルイーヤを制圧し破壊した。ここに第一次サウード王国は消滅した。ワッハーブ派の少数の生き残りが再起のため砂漠に逃げ、19世紀の間のほとんど、そこで沈黙を貫いた。
イスラム国により歴史は繰り返す
現代のイラクにおけるイスラム国によるイスラム国設立が、歴史を思い出す人々の間でどのように共振するかを理解するのは難しくない。確かに、18世紀のワッハービズム思想はネジド(サウジアラビア中央部の高原地域。ワッハーブ派の発祥地)において枯渇しなかった。それは第一次世界大戦の混乱のさなかにオスマン帝国が崩壊した時、唸り声を上げて舞い戻ってきた。
アル・サウードは、この20世紀のルネッサンスにおいて簡潔で政治的に抜け目のないアブドゥル・アジズに導かれた。気難しいベドウィン部族たちを統一し、先に述べた通り、アブドゥル・ワッハーブとイブン・サウードによる改宗者たちとの戦いの思想に基づいたサウジの"イフワーン"を創始した。
イフワーンは、初期の激しい半独立の急進的運動から派生したものだ(そのために自ら進んで武装したワッハーブ派の"道徳者たち"は、1800年代初頭にアラビア半島をほぼ掌握した)。当初と同じように、イフワーンは再び1914年から1926年の間にメッカ、メディナ、そしてジェッダの制圧に成功する。しかしアブドゥル・アジズは、イフワーンによって掲げられる革命的な"ジャコバニズム"が、自分のより広範な関心事にとって脅威になると感じ始めた。イフワーンは反乱し、内戦が始まった。内戦は1930年代まで続いた。アブドゥル・アジズが彼らをマシンガンで射殺し、終結させたのだ。
この王(アブドゥル・アジズ)にとって、それまで数十年間続いていたイスラムの純粋な真理は価値のないものとなってしまった。アラビア半島で石油が見つかったからだ。イギリスとアメリカは、アブドゥル・アジズに言い寄りつつも、なおアラビアの唯一の正当な支配者としてメッカの太守シャリフ・フセインを支持することに傾いていた。サウード家は、もっと洗練された外交的姿勢を示す必要があったのだ。
ワッハービズムは強制的に変換させられた。革命的ジハードと神学的なタクフィールの純化運動から、保守的、社会的、政治的、神学的、宗教的ダワ(イスラム布教活動)と、サウード家と王の絶対的権力への忠誠を掲げる制度を正当化する運動へである。
オイルマネーがワッハービズムに広がる
石油資源が掘り当てられ(フランスの学者ジャイルズ・ケペルが書いているように、サウジの目標は、ワッハービズムを、"ワッハービズ"[ワッハービズム・ビジネス]イスラム国家へ向けてイスラム世界全体に広め、この宗教内部での異なる思想を退けて"単一の信条"にすることだ)、この運動は国家的分裂を克服するはず、だった。このソフトパワー(その社会の価値観、文化的な存在感、政治体制などが他国に好感を持って迎えられ、外交に有利に働くこと)の表明に対して何十億ドルもの富が投資されており、さらに投資されるはずだった。
それは魅力的な何十億ドルもの富、そしてソフトパワーの投影だった。サウード家が推し進めようとした、イスラム教スンニ派を管理しアメリカの利益を促進しようとする意図は、教育的、社会的、文化的にイスラム世界全体へワッハービズムが付随的に埋め込まれた。その結果、西側世界の政策がサウジアラビアに依存するようになった。1945年2月、アブドゥル・アジズが(ヤルタ会議から大統領を連れ戻す)アメリカの戦艦クインシー号でルーズベルトと会談したときから今日までずっと続いてきた。
西側の人々はこの王国を見た。彼らはその富を、見かけだけの近代化を、公言されたイスラム世界のリーダーシップを凝視した。そしてこの王国が近代社会の要求に屈服することになるだろうと予測していた。そしてスンニ派イスラムの指導部も、近代社会のために、王国に屈服するだろうと。
「一方では、イスラム国はワッハーブ派が深く根ざしている。他方で、違った意味で超急進的だ。それは現代ワッハービズムへの是正運動に本質的に見ることができる」。
しかしイスラム教へのサウジ・イフワーンのアプローチは1930年代に断絶していなかった。イフワーンは衰退したが、システムのさまざまな場所に影響力を残していた――だから今、我々はサウジのイスラム国への姿勢に二重性があると見ている。
一方では、イスラム国は深く根ざしたワッハーブ派だ。他方で、異なる意味で超急進的だ。それは現代ワッハービズムへの是正運動に本質的に見ることができる。
イスラム国は"ポスト・メディナ"運動だ。闘争の旗印として預言者ムハンマド自身よりも、2人の正統カリフ(初期イスラム国家の最高権威者)カリフに目を向けており、サウード家の支配権を強く否定している。
サウード家の支配者たちが石油時代に花開き、かつてないほど隆盛したのに伴い、原理主義的なイフワーンのメッセージは主張の拠り所を得た(第3代国王ファイサル王の近代化キャンペーンにもかかわらず)。"イフワーン・アプローチ"は多くの裕福な男女とシャイフ(アラブの族長)たちの支持を得たし、今も得ている。ある意味で、オサマ・ビン・ラディンは、まさにこのイフワーン・アプローチが遅まきながら花開いた象徴であった。
現在、イスラム国が王権の正当性を弱めようとする動きは問題ないとみられている。むしろ、サウード家―ワッハービズムへの原点回帰だと言える。
西側のプロジェクト推進のため、サウード家と西側諸国がこの地域の共同管理(社会主義、バーシズム、ナセリズム、ソビエト、そしてイラクの影響力に対抗して)を行っている。西側の政治家たちは、彼らがサウジアラビア(富、近代化、影響力の拡大)の選択を担ったことを強調している。しかし彼らは、ワッハーブ派の動きは無視することにした。
結局のところ西側の諜報機関は、もっと急進的なイスラム原理主義がアフガニスタンからソ連を追い出すために――また好まれない中東の指導者たちや国家との戦いに、より効果的だと認識していた。
であれば、サウジの情報機関トップであるバンダル王子のサウジ―西側コネクションがシリアのアサド大統領への反乱を指揮するよう命じ、現代のイフワーン的な暴力、恐ろしい急進的活動、すなわちイスラム国を出現させたことに驚きはない。ワッハービズムについていくらか知っているなら、シリアの"穏やかな"抵抗勢力が神話のユニコーンよりも珍しい存在だということに驚くこともないだろう。急進的なワッハービズムが穏健派を生み出すなどと、どうして想像できるだろう。あるいはどうやって"1人の指導者、1つの権威、1つのモスク:服従させよ、さもなくば殺せ"という教義が、最終的に中庸、譲歩につながると想像するのだろうか。
あるいは、多分、想像したこともないだろう。
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