真の愛を中心とした真なる家庭と真なる宇宙
この講演文は、1997年7月、韓国の18カ都市で開かれた真の家庭実践韓国指導者大会で宣布されたみ言です。
1 尊敬する御来賓の皆様、親愛なる文氏、韓氏宗親連合会会員の皆様、特別にこの場に御光臨賜った著名なる紳士淑女の皆様!
2 公私多忙であられる中にもかかわらず、この場に御来臨くださった皆様に深く感謝を申し上げます。
◆ 「救援摂理史の原理観」と「宇宙の根本を探して」
3 このような貴き日、私が心から皆様に捧げたい最も貴い返礼の贈り物があるとするならば、それは私がこれまで世界を巡回しながら教えてきた、最も代表的な二つのお話を御紹介することです。
4 それは、「救援摂理史の原理観」と「宇宙の根本を探して」という話です。現代においては男女問題と家庭問題、そして青少年問題が絶対的に解決されなければなりませんが、この二つの話は、その根本的な解決方案を提示しているのです。各自帰られて、自らを振り返り、家庭を愛したい思いが生じるたびに、このお話を深く考えてくだされば、皆様が幸福で円満な家庭を築くのに大きな助けとなることでしょう。
5 皆様は、この二つのお話を皆様の年の数ほど読まれるようにお願いします。年齢が八十歳を超えているなら、八十回以上読むべきです。皆様が読めば読むほど、天の祝福と天運が共にあることでしょう。読めば読むほど、その家庭に平和が自動的に臨むようになるはずですので、たくさん読まれるようにお願いいたします。
6 一番目の話の主題は、「救援摂理史の原理観」です。その内容を要約すれば、神様を中心として結婚し、真の父母になることです。第一次アダム家庭でアダムが失敗して堕落したので、第二次アダムとしてイエス様が来られて、これを国家的な次元で復帰しなければならないということです。ですから、第一次アダムは堕落したアダムであり、メシヤであられるイエス様は、第二次アダムとして来られたのです。しかし、真の父母の家庭を築くことができずに約束だけして亡くなられることによって、第三次アダムが再び来られ、世界的基準で真の御父母様の使命を蕩減復帰しなければならないのです。これが、第三次アダムとして来られる再臨主の使命です。したがって、旧約時代、新約時代、成約時代を完成するのです。そして、人類救援の根本問題が、血統復帰という事実も明らかにしています。こうして、真の父母を中心として成約時代を迎える、世界的に広がった祝福結婚式となるのです。
7 二番目の話の主題は、「宇宙の根本を探して」です。人間堕落の根本が愛によって成立したので、人類は真の愛を失ってしまいました。そのことから、この真の愛をどのように取り戻すかという問題が提起されています。真の愛を失ってしまったということは、淫乱によって堕落したという意味です。すなわち、生殖器を中心として過ちを犯したので、これを取り戻そうとすれば、その反対に正しく行かなければならないということです。このように、間違った愛がエデンの園で植えられたものが、終わりの日の刈り入れのときに、その結果として現れる現象が青少年問題なのです。ですから、セックス(「性」)混乱時代が来るのです。これを清算するのは、絶対純潔(絶対的「性」)でなければならないということです。このような絶対純潔(絶対的「性」)の概念でのみ、家庭破壊を防止し、青少年の淪落を防ぐことができるのです。
◆ 三大主体思想とメシヤ思想
8 今晩は、時間が限定されていますので、「真の愛を中心とした真なる家庭と真なる宇宙」という新しい主題で、今から皆様と話を分かち合おうと思います。
9 ここに集った皆様は、すべて父母をもっています。そして、師をもっていて、国の主をもっています。それは、誰にとっても絶対的に必要なものです。しかし、たとえ父母であるといっても、真という基準を中心として見るときには、いろいろな基準があります。皆様自身は、果たしてどれくらい真なる父母になったと思われますか。また、「師」ということをとっても、アメリカにあるハーバード、エール、コロンビアのようなアイビー・リーグ(注:アメリカ東部の名門私立大学八校で結成しているリーグ)に属した大学であるとか、イギリスのオックスフォードやケンブリッジなどの大学の教授なら、それですべて真なる「師」と言えるでしょうか。国の主人も、「真」という基準から見るとき、みな同じではあり得ません。皆様は、アメリカのような強大国の大統領ならばみな、真なる大統領であると思われますか。
10 事実、今日の家庭では、子供が親を信じることができず、夫婦同士も互いに信じることができず、兄弟同士も不信し合うような間柄になっています。学校では先生のことを信じることができず、国では国の責任者を信じることができないというのが、今日の実情なのです。
11 このように、皆様が願われるこの三つの重要な立場、すなわち父母と師、国の主人の中で、「真」という基準を中心として見た場合、一つでも合格することができるのか、ということが問題なのです。
12 皆様が真なる父母になり、真なる師になり、真なる主人にならなければならないとするならば、そのような世界最高の基準と、そのすべてのモデルの中心は誰なのでしょうか。それが正に神様なのです。神様は、父母の中の真の父母であり、師の中の真の師であり、王の中の真の王であられます。神様は永遠の真の父母であり、永遠の真の師であり、永遠の真の主人であられます。私たちが神様の子女になるとするならば、まず神様のような真の父母にならなければなりません。神様のような真の師の道を行かなければならないのです。そして、神様のような真の主人になる道を行かなければなりません。これが三大主体思想です。その究極的なモデルは、神様なのです。
13 旧約聖書に記録されている、イスラエル民族の前に送られるメシヤとは誰のことでしょうか。メシヤは、正に真の父母として来られるお方であり、真の師として来られるお方であり、真の王として来られるお方です。しかし、イエス様がこの地上で家庭をもって民族を一つにすることができなかったことによって、メシヤは再び地上に来られなければならないのです。再び来られるメシヤは第三次アダムとして来られて、世界的基準で真の父母権と、真の師権と、真の王圏を教えてくださろうとするのです。これが正にメシヤ思想です。ですから、家庭があり、国家があり、世界があり、天がある所ならば、いつでもどこででも、この三大主体思想が正しく確立されなければならないのです。
◆ 宇宙の核のようなものが正に真の家庭
14 人が空間の世界に立つためには、必ず上下が必要であり、左右が必要であり、前後が必要です。そうでなければ、自分の存在位置が確定されません。皆様が上下を正しく備えているか、左右、前後を正しく備えているかによって、様々な姿になるのです。
15 皆様の上下、左右、前後関係、そして、家庭の問題、国の問題、世界の問題を扱ううえにおいて、公式は一つです。個人を中心として上下、左右、前後があるように、家庭においても父母と子女がいなければならず、夫と妻がいなければならず、兄弟姉妹がいなければならないのです。
16 これと同じように、国においても国の主人を中心として、すべての家庭が東西の文明、南北の文明をすべてかき抱き、それから世界の万民を兄弟姉妹のようにかき抱いて、結局、一つの家庭のモデルを築くのです。モデルは全く同じです。そして、自分自身がそのモデルの中心となるのです。自分がいたのちには、自分の家庭がなければならず、国と世界と天地、そして、神様まで進んでいかなければならないのと同じ道理です。皆様には、宇宙の中心になりたい気持ちがあるだけではなく、みな、そのようになることができるのです。
17 このように、宇宙において、その核に当たるものが家庭の概念です。天を父母として見れば、地は子女です。東西を見れば、東側は男性を象徴し、西側は女性を象徴するので、女性は結婚することによって、どこでも夫の位置に従っていくのです。西側が太陽の光を受けて輝くとき、東側と同じ価値をもつようになることと同じです。兄弟関係も同じです。長子である兄を中心として役事するとき、弟妹たちが協助するようになるのです。
18 ですから、人間は父子の関係をもち、夫婦関係をもち、兄弟関係をもたなければなりません。つまり、この三つの関係が、一点になければなりません。その中心点は一つなのです。上下、左右、前後の中心が異なってはならないのです。この中心点が狂えば、上下、左右、前後関係の均衡がみな崩れてしまうのです。ですから結局、上、下、左、右、前、後、そして一つの中心点まで合わせると、全部で七数を成すようになるのです。このように七数を成すということはすなわち、神様を中心として完全な真の愛で一つになって、これらすべてが完全に球形を成して、調和と統一を成す家庭になることです。私たちが、よく「ラッキー7」というのも、このような観点から見れば一理あることなのです。
19 それで、これが一つに定着して回るようになれば、八数です。真の愛が永遠に変わらない限り、この中心も変わらず、永遠に回ることができたはずなのですが、堕落することによって神様を中心から追い出してしまったのです。神様の真の愛を全部追い出してしまったので、真の家庭理想がすべて崩れてしまったのです。
20 西洋と東洋は、その生活習慣において、あまりにも異なる点がたくさんあります。様々な面で正反対です。例えば、韓国で人を呼ぶときは、手のひらを下にして手招きしますが、西洋の人たちはそのようにすると、かえってもっと遠くに行ってしまいます。「私のことが嫌いで行ってしまうのだろうか」と、むしろ誤解してしまうようになっています。西洋の文字は、横的なものであり、左側から右側に進行しますが、東洋の文字は本来縦的なもので、上から下に書いて読むようになっています。ですから、西洋の本は左側から開いてみますが、東洋の本は右側から開いてみます。
21 西洋文明は一種の横的文明なのです。握手であいさつするのは、横的なあいさつということです。頭を下げながらあいさつする東洋文明は、縦的です。東洋では、家庭制度の核が先祖でなければならないという伝統がありますが、西洋ではそのような核が強くありません。先祖を核とする概念がないのです。自己中心であるというのです。
22 すべてのものが核から連結されるので、核が動かなければすべてが動かないのです。ですから、中心核から一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、すべて同等です。それを分ければ十二切れになりますが、その十二切れをどこに合わせてもみな、合います。祖父が願えば孫は反対せず、子女もそれを願うようになり、三代がみな、一緒に願うようになるのです。祖父、祖母、父、母、夫婦、息子、娘、全部中心に合わせるようになるのです。この愛を中心として見るとき、父子の関係も一つであるので一体であるといい、夫婦関係も一体であり、兄弟間も一体であるといいます。一つの体です。
23 何を中心として、このような関係を一体であるというのかと言えば、愛の中心である神様の真の愛を中心として言うのです。真の愛を中心として、父母と子女が一つになり、夫婦も一つの体になり、兄弟間も同様です。このようになることによって、すべてのものの価値が同等になるのです。
◆ 人間が行くべき真なる真理の道
24 では、神様がその子女に願うことは何でしょうか。お金をたくさん稼いで億万長者になることでしょうか。国の最高の権力を手にした大統領になることでしょうか。神様が息子と娘であるアダムとエバに願われたことは、彼らが成長して孝子、忠臣、聖人、聖子になることでした。では、皆様は神様が願われるように、家庭では孝子、国では忠臣、世界では聖人、天地の前に聖子になろうという思いをもったことがあるでしょうか。歴史的に見るとき、すべての聖人は、孝子、忠臣、聖人、そして、聖子になるようにと教えてきました。
25 今晩、皆様はこのような理想的な人間、すなわち人間がその人格完成に必要とする孝子、忠臣、聖人、聖子の道理という観点から見るとき、合格したと見ることができますか。このような内容を知らずしては、家庭で真なる父母の役割を果たすことはできません。真なる父母であれば、孝子、忠臣、聖人、聖子のような前進的なことを教えてあげなければなりません。自分の子供たちをして、孝子、忠臣、聖人、聖子の道理を果たし、そののちに、神様まで行かなければならないということを、教えてあげなければならないのです。そのように教える人がいるとすれば、神様が御覧になるとき、初めて真なる父母、真なる師、そして真なる主人であると考えられるのです。
26 皆様に真なる父母の資格があり、真なる師の資格があるというときには、真なる主人の資格も備えるようになり、さらには真なる王になることのできる資格まで備えるようになります。堕落した人に、真なる孝子という概念があるでしょうか。忠臣の概念もありません。聖人の概念もありません。聖子という概念もありません。ですから、滅びるのです。誰が聖子になることを願うのでしょうか。神様が願われるのです。聖人になることを誰が願うのでしょうか。世界が願います。国は何を願うのかと言えば、忠臣を願います。家庭は孝子を願います。これが正に、真なる真理の道です。
27 愛を中心としたこのような真理は、一つの方向で永遠に持続するのです。そのことを知らなかったのです。それで、真なる父母になれなかったのです。国の真なる主人になれませんでした。聖人や真なる聖子になれなかったのです。イエス様がこの地上に来られたとき、家庭にそのような真の主人がいないし、国と世界にもそのような真の主人がいないし、結局、天地に真の主人がいませんでした。どのようにして、その道理の道を行かなければならないかを知らなかったというのです。しかし、もはや知らなければなりません。
28 真なる父母は、「孝子になったから、忠臣になるな」とは言いません。真なる父母は、その孝子に「お前は、家庭を犠牲にして忠臣の道を求めて国に仕えなければならず、国を犠牲にして聖人の道理を果たし、世界のために生きなければならない。また、世界を犠牲にして、天地が願う道を行かなければならず、天地を犠牲にして、神様を求めていかなければならない」と、教えてあげなければなりません。
29 そのようになろうとすれば、個人は家庭のために犠牲にならなければなりません。家庭のために犠牲になってこそ、孝子になるのです。また、国の愛国者になろうとすれば、その家庭全体を犠牲にしてでも国を救わなければ、愛国者になることはできません。聖人というものは、自分の国を犠牲にして、世界を救わなければなりません。聖子は、世界を犠牲にして、天上天国と地上天国を築かなければならないのです。
30 ですから、すべての父母たちの中で、より子供のために生きる父母が真の父母であり、いかなる師よりも、より「ため」に生きる師が真の師であり、いかなる大統領よりも、より「ため」に犠牲になろうという大統領が本物です。このような概念があるということを知りませんでした。投入して犠牲になるのです。そのようにしなければ、一つの平和と統一の世界は、永遠に来ないのです。
◆ 自分のために生じたものは何もない
31 個人主義がどこにありますか。自己において自己だけを主張する部分は一つもありません。子供が父母の愛によって、母親のおなかの中、卵子から育って生まれるとき、その九九・九九九パーセントは母親の骨と血と肉です。そしてそこに〇・〇〇一パーセントの一つの父親の精子が合わさって生まれるのです。そこには、「自己」という概念はあり得ません。誰でも生まれるとき、自分自身だけという概念はなかったのです。
32 いかに立派な人であっても、自分一人で立派に生まれついたと言える人は一人もいません。レバレンド・ムーンも同様です。骨や血や肉もすべて母親のおなかの中で譲り受けたものです。
この体の重要な部分は、母親の体の延長だということを認めなければなりません。私たちの体のあらゆる要素は、精子と卵子に含まれていたのです。例外はありません。ですから、個人主義というものが存在する根拠がないのです。
33 「上」という言葉が成り立つときは、「下」を認めたうえで言う言葉です。「上」ということだけで、個人主義が成り立つでしょうか。個人だけという概念はあり得ません。「右」というのは、「左」というものをあらかじめ前提としたうえで言う言葉です。「前後」について見ても、「前」というのは「後ろ」を前もって認定して言う言葉です。男性という言葉も、男性一人を念頭に置いて言う言葉ではありません。女性を前提条件にして言う言葉なのです。これは、誰か一個人の言葉なのではなく、宇宙的な事実です。
34 男性は、なぜ生まれたのでしょうか。男性たちはよく、自分一人で生きていけるので、そのようなことに関心がないなどと言いますが、男性は女性のために生まれたのです。女性がいなければ、男性は必要ありません。絶対的に必要ないということです。結局、自分のために生まれたものは、一つもないのです。
35 私たちの五官を見てください。自分の目が、自分の目を見るために生まれたのでしょうか。鼻や耳、口、手もすべて、相対のために生まれました。五官を総動員して、集中させることのできるその力が何かと言えば、真の愛です。目、鼻、耳、口、手は、真の愛のために生まれた真の愛の道具です。
36 自分のために生まれたものは一つもありません。人のものを自分のものにする人をどろぼうといいます。人のものを持ってきて、自分のものとして使う人はどろぼうではないでしょうか。ですから、女性のために生まれた男性の五官と体を、自分勝手に使う人はどろぼうなのです。
37 男性と女性は、何が互いに異なるのでしょうか。まず、生殖器を含んだ体が異なります。では、男性の生殖器は、誰にとって絶対に必要なのでしょうか。男性の生殖器は、女性のためにあるのです。人間の生殖器の一つは凹であり、一つは凸ですが、なぜそのようになったのでしょうか。二つとも、とがらせるとか、二つとも平べったくすることができるのに、なぜそのように異なって生まれたのでしょうか。すべて、相対のためです。男性のものは、女性が絶対に願い、女性のものは男性が絶対に願うのです。女性のものは、絶対に男性のものであり、男性のものは絶対に女性のものだという事実を知らなかったのです。それを占領することによって、愛を知るのです。
38 二つが一つになるような経験を通してのみ、最も高い境地の愛を知ることができるのです。どこの誰であれ、このような事実を絶対に否定することができません。誰でもみな、認定しなければならないのです。二つが完全に一つになるその場で、理想的な夫婦が生まれます。正に、その場に絶対愛が存在するのです。絶対的に変わらないそのような愛の場に、神様が臨在されるのです。
39 ですから、絶対純潔(絶対的「性」)は神様を中心としたものであり、フリーセックスは自分とサタンを中心としたものです。歴史的に政治家や経済人たちは、文学作品やメディアを通してフリーセックスを刺激することが多くありました。ですから今から私たちはみな、政治家や経済人、文人、作家と言論人たちと一つになって先頭に立ち、フリーセックスを防がなければなりません。フリーセックスは、完全になくならなければなりません。
◆ 神様から玉璽をもらったレバレンド・ムーン
40 レバレンド・ムーンの話を聞けば、皆様の現在の立場とは一八〇度異なる人間になり、異なる国になり、異なる世界になるのです。間違いなく変わります。この悪なる世界を完全に変化させることは、絶対に必要なことです。
41 ところが、サタンを含めた悪の世界の人たちは、神側の人々を好みません。それで、世の中すべてがレバレンド・ムーンに反対してきました。国家と世界的次元でも反対しました。しかし、レバレンド・ムーンは神様に属しているので、神様がレバレンド・ムーンを保護してこられたのです。レバレンド・ムーンをサタンは嫌いますが、神様は好かれるのです。いくらレバレンド・ムーンを悲しませ、押さえつけて、無視するとしても、レバレンド・ムーンは意に介しませんでした。レバレンド・ムーンは、下がってはいきませんでした。むしろ、最も高い立場まで上がっていくようになりました。それで今は、どこの誰であれレバレンド・ムーンに反対できないようになったのです。
42 あらゆる迫害を受けながら、どうしてこのような世界的な基盤を築くことができたのでしょうか。いかなる力でもって、世界の碩学と最高の指導者たちを教え導くこのような基盤を築くことができたのでしょうか。神様がそのような力をレバレンド・ムーンに下さったので可能だったのです。神様が私を保護され、私にそのような方向性を教えてくださり、今も継続して保護し教え導いてくださっているので、レバレンド・ムーンは、常に成功の道を進んでいるのです。
43 歴史始まって以来、霊界に通じることのできた多くの宗教指導者たちがいましたが、レバレンド・ムーンほど霊界を知り、かの天の国、霊界を統一して、この地上に現れたのはレバレンド・ムーン一人しかいないということを知らなければなりません。そうして、神様から玉璽を受けました。そうでなければ、地上の統一はできません。神様が霊界でそのように私を訓練し育てられたように、この地上においてもそのように継続して導いていらっしゃるということを知らなければなりません。
44 二十余年間、レバレンド・ムーンは、新教の地アメリカに行って多くの迫害を受けました。しかし、イエス様が亡くなられて以後二千年間、すさまじい殉教の血を流したキリスト教を、この国に定着させようという神様のみ意を知ったので、アメリカを捨てることができなかったのです。カトリックの地、南米も同様です。四十余年前にレバレンド・ムーンを受け入れていたならば、南米も北米もどのようになっただろうかと考えてみてくださるようにお願いします。韓国においては、なおさらそうです。
◆ 「神様のもとの一つの世界」を成すための努力
45 それでは、真の愛はどこから始まるのでしょうか。自分の生命を投じたのち、また復活して、三度以上より投入しようというところから真の愛が始まるのです。私たちは、堕落した血を受け継いだので、自分の命を懸けてでもこれを越えなければなりません。ですから、「生きようとする者は死に、死のうとする者は生きる」というのです。イエス様もこの地上に来られて、その道を行かれたのです。そのことによって、世界を支配することができたのです。利己的な個人主義ではありません。利他主義です。ですから、私たち夫婦は、一生の間に数百億ドルのお金を得ましたが、一銭も私たちのものはありません。みな、世界のために投入しては忘れてしまい、また苦労しお金をつくっては、また投入する、そのようなことを反復するのです。
46 「神様のもとの一つの国」と「神様のもとの一つの世界」のうち、皆様はどちらが好きですか。一部のアメリカの人たちは、「神様のもとの一つの世界」が好きではありません。また、一部の白人たちは、黒人が好きではありません。アングロ・サクソン系の白人の新教徒たちが、アメリカの支配的な立場を占めていますが、彼らを中心としたアメリカは、世界のために生きるという考えをもたなければなりません。もし、アメリカだけのために生きるというのなら、アメリカは存続することができないのです。
47 今は、時代が変わっています。到来する時代とは、「神様のもとの一つの世界」です。神様は、このような世界のために働いていらっしゃり、また、そのような摂理のために働く者を助けていらっしゃいます。そして、これからも永遠にそのような者たちを助けていかれることでしょう。ところで問題は、すべての人たちが、このような世界で暮らすことを願いながらも、そのような摂理の同参者になることは好まない、ということです。
48 一つの平和な世界をつくるために、私たち夫婦は様々な努力を傾けています。そのうち、いくつかの代表的な例を挙げれば、人種と宗教、国境、言語の障壁を超越して、未来世界の基盤を固める理想的な国連大学を建てることです。また、世界的な知識を交流させるために、遠隔通信大学が必要です。
49 医学では、堕落によって生じた肉身の病気を治療するだけではなく、東西文化の和合を通して、東西洋の藤までも修復させるという次元から、統一思想と統一医学を開発しなければなりません。東西思想と医学が一つになってこそ、今後、エイズのような難病を治せるようになることでしょう。韓国では、医学教育を全く受けていない農村の青年たちの中で、エイズのように現代医学でも治すことが困難な病を治すことのできる特別な治療法を、霊界から教えられた人々がたくさんいます。ですから、霊的世界の事実を認めなくなれば、大きな問題が起こるのです。
50 このすべての課題は、既にブリッジポート大学(米国)と鮮文大学(韓国)を中心として、実践に移されつつあります。さらに私たち夫婦は、既にアメリカのワシントン・タイムズだけでなく、南・北米すべての国々をカバーする言論機関をつくりました。これらの言論機関は、間もなく世界百八十五カ国まで拡張され、世界が一つになって学び、協力するのに大きく貢献するようになることでしょう。
51 レバレンド・ムーンはアメリカに行って、アメリカ国民の前に一つも負債を負いませんでした。むしろ、アメリカが私の世話になりました。天から受けた祝福でもって、レバレンド・ムーンはアメリカを祝福しました。私たち夫婦は、天から受けた祝福を世界にすべて分け与えました。南米も韓国もレバレンド・ムーンを歓迎して、アメリカのような祝福を受けることを願っています。どんなに反対しても、より多く愛する人が主人になるのです。より多く愛し、より多く投入し、より多く与えて忘れる者が中心存在になるのです。これがまさしく天法なのです。
52 これから皆様は、家庭において父母の前に孝行し、国の前に忠臣になり、世界の前に聖人になり、神様の前に聖子になる道を行くべきです。誰であろうと、家庭、国家、世界、天、地の前に恥ずかしくない、この宇宙自然の中で天運の保護を受ける自らとなり、神様の最高の愛を受ける家庭を築くべきなのです。
53 そうして、地上天国に転換し、天上天国に入籍をして、神様を中心とした地上天上王圏時代に進入して、勝利と自由と幸福と統一の世界を求めいく国際合同結婚式を迎えなければなりません。
54 皆様もすべて、今年の三百六十万双の祝福結婚式を超えて、三千六百万双の合同結婚式に参与してくださるようにお願いします。そうして、天地が歓迎する人になって、永生の道を求めるようにお願いします。
55 私たち皆が、神様と真の御父母様の血族になり、神様の真の愛を中心とした真なる家庭と真なる世界(宇宙)文化創建の主役になって、来たる二十一世紀を平和と統一の世界へと建設していくことを願いながら、これで私の話を終わります。
56 皆様と、皆様の家庭と、なされている事業に、神様の祝福が共にありますようにお祈りいたします。ありがとうございました。
この講演文は、1997年7月、韓国の18カ都市で開かれた真の家庭実践韓国指導者大会で宣布されたみ言です。
1 尊敬する御来賓の皆様、親愛なる文氏、韓氏宗親連合会会員の皆様、特別にこの場に御光臨賜った著名なる紳士淑女の皆様!
2 公私多忙であられる中にもかかわらず、この場に御来臨くださった皆様に深く感謝を申し上げます。
◆ 「救援摂理史の原理観」と「宇宙の根本を探して」
3 このような貴き日、私が心から皆様に捧げたい最も貴い返礼の贈り物があるとするならば、それは私がこれまで世界を巡回しながら教えてきた、最も代表的な二つのお話を御紹介することです。
4 それは、「救援摂理史の原理観」と「宇宙の根本を探して」という話です。現代においては男女問題と家庭問題、そして青少年問題が絶対的に解決されなければなりませんが、この二つの話は、その根本的な解決方案を提示しているのです。各自帰られて、自らを振り返り、家庭を愛したい思いが生じるたびに、このお話を深く考えてくだされば、皆様が幸福で円満な家庭を築くのに大きな助けとなることでしょう。
5 皆様は、この二つのお話を皆様の年の数ほど読まれるようにお願いします。年齢が八十歳を超えているなら、八十回以上読むべきです。皆様が読めば読むほど、天の祝福と天運が共にあることでしょう。読めば読むほど、その家庭に平和が自動的に臨むようになるはずですので、たくさん読まれるようにお願いいたします。
6 一番目の話の主題は、「救援摂理史の原理観」です。その内容を要約すれば、神様を中心として結婚し、真の父母になることです。第一次アダム家庭でアダムが失敗して堕落したので、第二次アダムとしてイエス様が来られて、これを国家的な次元で復帰しなければならないということです。ですから、第一次アダムは堕落したアダムであり、メシヤであられるイエス様は、第二次アダムとして来られたのです。しかし、真の父母の家庭を築くことができずに約束だけして亡くなられることによって、第三次アダムが再び来られ、世界的基準で真の御父母様の使命を蕩減復帰しなければならないのです。これが、第三次アダムとして来られる再臨主の使命です。したがって、旧約時代、新約時代、成約時代を完成するのです。そして、人類救援の根本問題が、血統復帰という事実も明らかにしています。こうして、真の父母を中心として成約時代を迎える、世界的に広がった祝福結婚式となるのです。
7 二番目の話の主題は、「宇宙の根本を探して」です。人間堕落の根本が愛によって成立したので、人類は真の愛を失ってしまいました。そのことから、この真の愛をどのように取り戻すかという問題が提起されています。真の愛を失ってしまったということは、淫乱によって堕落したという意味です。すなわち、生殖器を中心として過ちを犯したので、これを取り戻そうとすれば、その反対に正しく行かなければならないということです。このように、間違った愛がエデンの園で植えられたものが、終わりの日の刈り入れのときに、その結果として現れる現象が青少年問題なのです。ですから、セックス(「性」)混乱時代が来るのです。これを清算するのは、絶対純潔(絶対的「性」)でなければならないということです。このような絶対純潔(絶対的「性」)の概念でのみ、家庭破壊を防止し、青少年の淪落を防ぐことができるのです。
◆ 三大主体思想とメシヤ思想
8 今晩は、時間が限定されていますので、「真の愛を中心とした真なる家庭と真なる宇宙」という新しい主題で、今から皆様と話を分かち合おうと思います。
9 ここに集った皆様は、すべて父母をもっています。そして、師をもっていて、国の主をもっています。それは、誰にとっても絶対的に必要なものです。しかし、たとえ父母であるといっても、真という基準を中心として見るときには、いろいろな基準があります。皆様自身は、果たしてどれくらい真なる父母になったと思われますか。また、「師」ということをとっても、アメリカにあるハーバード、エール、コロンビアのようなアイビー・リーグ(注:アメリカ東部の名門私立大学八校で結成しているリーグ)に属した大学であるとか、イギリスのオックスフォードやケンブリッジなどの大学の教授なら、それですべて真なる「師」と言えるでしょうか。国の主人も、「真」という基準から見るとき、みな同じではあり得ません。皆様は、アメリカのような強大国の大統領ならばみな、真なる大統領であると思われますか。
10 事実、今日の家庭では、子供が親を信じることができず、夫婦同士も互いに信じることができず、兄弟同士も不信し合うような間柄になっています。学校では先生のことを信じることができず、国では国の責任者を信じることができないというのが、今日の実情なのです。
11 このように、皆様が願われるこの三つの重要な立場、すなわち父母と師、国の主人の中で、「真」という基準を中心として見た場合、一つでも合格することができるのか、ということが問題なのです。
12 皆様が真なる父母になり、真なる師になり、真なる主人にならなければならないとするならば、そのような世界最高の基準と、そのすべてのモデルの中心は誰なのでしょうか。それが正に神様なのです。神様は、父母の中の真の父母であり、師の中の真の師であり、王の中の真の王であられます。神様は永遠の真の父母であり、永遠の真の師であり、永遠の真の主人であられます。私たちが神様の子女になるとするならば、まず神様のような真の父母にならなければなりません。神様のような真の師の道を行かなければならないのです。そして、神様のような真の主人になる道を行かなければなりません。これが三大主体思想です。その究極的なモデルは、神様なのです。
13 旧約聖書に記録されている、イスラエル民族の前に送られるメシヤとは誰のことでしょうか。メシヤは、正に真の父母として来られるお方であり、真の師として来られるお方であり、真の王として来られるお方です。しかし、イエス様がこの地上で家庭をもって民族を一つにすることができなかったことによって、メシヤは再び地上に来られなければならないのです。再び来られるメシヤは第三次アダムとして来られて、世界的基準で真の父母権と、真の師権と、真の王圏を教えてくださろうとするのです。これが正にメシヤ思想です。ですから、家庭があり、国家があり、世界があり、天がある所ならば、いつでもどこででも、この三大主体思想が正しく確立されなければならないのです。
◆ 宇宙の核のようなものが正に真の家庭
14 人が空間の世界に立つためには、必ず上下が必要であり、左右が必要であり、前後が必要です。そうでなければ、自分の存在位置が確定されません。皆様が上下を正しく備えているか、左右、前後を正しく備えているかによって、様々な姿になるのです。
15 皆様の上下、左右、前後関係、そして、家庭の問題、国の問題、世界の問題を扱ううえにおいて、公式は一つです。個人を中心として上下、左右、前後があるように、家庭においても父母と子女がいなければならず、夫と妻がいなければならず、兄弟姉妹がいなければならないのです。
16 これと同じように、国においても国の主人を中心として、すべての家庭が東西の文明、南北の文明をすべてかき抱き、それから世界の万民を兄弟姉妹のようにかき抱いて、結局、一つの家庭のモデルを築くのです。モデルは全く同じです。そして、自分自身がそのモデルの中心となるのです。自分がいたのちには、自分の家庭がなければならず、国と世界と天地、そして、神様まで進んでいかなければならないのと同じ道理です。皆様には、宇宙の中心になりたい気持ちがあるだけではなく、みな、そのようになることができるのです。
17 このように、宇宙において、その核に当たるものが家庭の概念です。天を父母として見れば、地は子女です。東西を見れば、東側は男性を象徴し、西側は女性を象徴するので、女性は結婚することによって、どこでも夫の位置に従っていくのです。西側が太陽の光を受けて輝くとき、東側と同じ価値をもつようになることと同じです。兄弟関係も同じです。長子である兄を中心として役事するとき、弟妹たちが協助するようになるのです。
18 ですから、人間は父子の関係をもち、夫婦関係をもち、兄弟関係をもたなければなりません。つまり、この三つの関係が、一点になければなりません。その中心点は一つなのです。上下、左右、前後の中心が異なってはならないのです。この中心点が狂えば、上下、左右、前後関係の均衡がみな崩れてしまうのです。ですから結局、上、下、左、右、前、後、そして一つの中心点まで合わせると、全部で七数を成すようになるのです。このように七数を成すということはすなわち、神様を中心として完全な真の愛で一つになって、これらすべてが完全に球形を成して、調和と統一を成す家庭になることです。私たちが、よく「ラッキー7」というのも、このような観点から見れば一理あることなのです。
19 それで、これが一つに定着して回るようになれば、八数です。真の愛が永遠に変わらない限り、この中心も変わらず、永遠に回ることができたはずなのですが、堕落することによって神様を中心から追い出してしまったのです。神様の真の愛を全部追い出してしまったので、真の家庭理想がすべて崩れてしまったのです。
20 西洋と東洋は、その生活習慣において、あまりにも異なる点がたくさんあります。様々な面で正反対です。例えば、韓国で人を呼ぶときは、手のひらを下にして手招きしますが、西洋の人たちはそのようにすると、かえってもっと遠くに行ってしまいます。「私のことが嫌いで行ってしまうのだろうか」と、むしろ誤解してしまうようになっています。西洋の文字は、横的なものであり、左側から右側に進行しますが、東洋の文字は本来縦的なもので、上から下に書いて読むようになっています。ですから、西洋の本は左側から開いてみますが、東洋の本は右側から開いてみます。
21 西洋文明は一種の横的文明なのです。握手であいさつするのは、横的なあいさつということです。頭を下げながらあいさつする東洋文明は、縦的です。東洋では、家庭制度の核が先祖でなければならないという伝統がありますが、西洋ではそのような核が強くありません。先祖を核とする概念がないのです。自己中心であるというのです。
22 すべてのものが核から連結されるので、核が動かなければすべてが動かないのです。ですから、中心核から一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、すべて同等です。それを分ければ十二切れになりますが、その十二切れをどこに合わせてもみな、合います。祖父が願えば孫は反対せず、子女もそれを願うようになり、三代がみな、一緒に願うようになるのです。祖父、祖母、父、母、夫婦、息子、娘、全部中心に合わせるようになるのです。この愛を中心として見るとき、父子の関係も一つであるので一体であるといい、夫婦関係も一体であり、兄弟間も一体であるといいます。一つの体です。
23 何を中心として、このような関係を一体であるというのかと言えば、愛の中心である神様の真の愛を中心として言うのです。真の愛を中心として、父母と子女が一つになり、夫婦も一つの体になり、兄弟間も同様です。このようになることによって、すべてのものの価値が同等になるのです。
◆ 人間が行くべき真なる真理の道
24 では、神様がその子女に願うことは何でしょうか。お金をたくさん稼いで億万長者になることでしょうか。国の最高の権力を手にした大統領になることでしょうか。神様が息子と娘であるアダムとエバに願われたことは、彼らが成長して孝子、忠臣、聖人、聖子になることでした。では、皆様は神様が願われるように、家庭では孝子、国では忠臣、世界では聖人、天地の前に聖子になろうという思いをもったことがあるでしょうか。歴史的に見るとき、すべての聖人は、孝子、忠臣、聖人、そして、聖子になるようにと教えてきました。
25 今晩、皆様はこのような理想的な人間、すなわち人間がその人格完成に必要とする孝子、忠臣、聖人、聖子の道理という観点から見るとき、合格したと見ることができますか。このような内容を知らずしては、家庭で真なる父母の役割を果たすことはできません。真なる父母であれば、孝子、忠臣、聖人、聖子のような前進的なことを教えてあげなければなりません。自分の子供たちをして、孝子、忠臣、聖人、聖子の道理を果たし、そののちに、神様まで行かなければならないということを、教えてあげなければならないのです。そのように教える人がいるとすれば、神様が御覧になるとき、初めて真なる父母、真なる師、そして真なる主人であると考えられるのです。
26 皆様に真なる父母の資格があり、真なる師の資格があるというときには、真なる主人の資格も備えるようになり、さらには真なる王になることのできる資格まで備えるようになります。堕落した人に、真なる孝子という概念があるでしょうか。忠臣の概念もありません。聖人の概念もありません。聖子という概念もありません。ですから、滅びるのです。誰が聖子になることを願うのでしょうか。神様が願われるのです。聖人になることを誰が願うのでしょうか。世界が願います。国は何を願うのかと言えば、忠臣を願います。家庭は孝子を願います。これが正に、真なる真理の道です。
27 愛を中心としたこのような真理は、一つの方向で永遠に持続するのです。そのことを知らなかったのです。それで、真なる父母になれなかったのです。国の真なる主人になれませんでした。聖人や真なる聖子になれなかったのです。イエス様がこの地上に来られたとき、家庭にそのような真の主人がいないし、国と世界にもそのような真の主人がいないし、結局、天地に真の主人がいませんでした。どのようにして、その道理の道を行かなければならないかを知らなかったというのです。しかし、もはや知らなければなりません。
28 真なる父母は、「孝子になったから、忠臣になるな」とは言いません。真なる父母は、その孝子に「お前は、家庭を犠牲にして忠臣の道を求めて国に仕えなければならず、国を犠牲にして聖人の道理を果たし、世界のために生きなければならない。また、世界を犠牲にして、天地が願う道を行かなければならず、天地を犠牲にして、神様を求めていかなければならない」と、教えてあげなければなりません。
29 そのようになろうとすれば、個人は家庭のために犠牲にならなければなりません。家庭のために犠牲になってこそ、孝子になるのです。また、国の愛国者になろうとすれば、その家庭全体を犠牲にしてでも国を救わなければ、愛国者になることはできません。聖人というものは、自分の国を犠牲にして、世界を救わなければなりません。聖子は、世界を犠牲にして、天上天国と地上天国を築かなければならないのです。
30 ですから、すべての父母たちの中で、より子供のために生きる父母が真の父母であり、いかなる師よりも、より「ため」に生きる師が真の師であり、いかなる大統領よりも、より「ため」に犠牲になろうという大統領が本物です。このような概念があるということを知りませんでした。投入して犠牲になるのです。そのようにしなければ、一つの平和と統一の世界は、永遠に来ないのです。
◆ 自分のために生じたものは何もない
31 個人主義がどこにありますか。自己において自己だけを主張する部分は一つもありません。子供が父母の愛によって、母親のおなかの中、卵子から育って生まれるとき、その九九・九九九パーセントは母親の骨と血と肉です。そしてそこに〇・〇〇一パーセントの一つの父親の精子が合わさって生まれるのです。そこには、「自己」という概念はあり得ません。誰でも生まれるとき、自分自身だけという概念はなかったのです。
32 いかに立派な人であっても、自分一人で立派に生まれついたと言える人は一人もいません。レバレンド・ムーンも同様です。骨や血や肉もすべて母親のおなかの中で譲り受けたものです。
この体の重要な部分は、母親の体の延長だということを認めなければなりません。私たちの体のあらゆる要素は、精子と卵子に含まれていたのです。例外はありません。ですから、個人主義というものが存在する根拠がないのです。
33 「上」という言葉が成り立つときは、「下」を認めたうえで言う言葉です。「上」ということだけで、個人主義が成り立つでしょうか。個人だけという概念はあり得ません。「右」というのは、「左」というものをあらかじめ前提としたうえで言う言葉です。「前後」について見ても、「前」というのは「後ろ」を前もって認定して言う言葉です。男性という言葉も、男性一人を念頭に置いて言う言葉ではありません。女性を前提条件にして言う言葉なのです。これは、誰か一個人の言葉なのではなく、宇宙的な事実です。
34 男性は、なぜ生まれたのでしょうか。男性たちはよく、自分一人で生きていけるので、そのようなことに関心がないなどと言いますが、男性は女性のために生まれたのです。女性がいなければ、男性は必要ありません。絶対的に必要ないということです。結局、自分のために生まれたものは、一つもないのです。
35 私たちの五官を見てください。自分の目が、自分の目を見るために生まれたのでしょうか。鼻や耳、口、手もすべて、相対のために生まれました。五官を総動員して、集中させることのできるその力が何かと言えば、真の愛です。目、鼻、耳、口、手は、真の愛のために生まれた真の愛の道具です。
36 自分のために生まれたものは一つもありません。人のものを自分のものにする人をどろぼうといいます。人のものを持ってきて、自分のものとして使う人はどろぼうではないでしょうか。ですから、女性のために生まれた男性の五官と体を、自分勝手に使う人はどろぼうなのです。
37 男性と女性は、何が互いに異なるのでしょうか。まず、生殖器を含んだ体が異なります。では、男性の生殖器は、誰にとって絶対に必要なのでしょうか。男性の生殖器は、女性のためにあるのです。人間の生殖器の一つは凹であり、一つは凸ですが、なぜそのようになったのでしょうか。二つとも、とがらせるとか、二つとも平べったくすることができるのに、なぜそのように異なって生まれたのでしょうか。すべて、相対のためです。男性のものは、女性が絶対に願い、女性のものは男性が絶対に願うのです。女性のものは、絶対に男性のものであり、男性のものは絶対に女性のものだという事実を知らなかったのです。それを占領することによって、愛を知るのです。
38 二つが一つになるような経験を通してのみ、最も高い境地の愛を知ることができるのです。どこの誰であれ、このような事実を絶対に否定することができません。誰でもみな、認定しなければならないのです。二つが完全に一つになるその場で、理想的な夫婦が生まれます。正に、その場に絶対愛が存在するのです。絶対的に変わらないそのような愛の場に、神様が臨在されるのです。
39 ですから、絶対純潔(絶対的「性」)は神様を中心としたものであり、フリーセックスは自分とサタンを中心としたものです。歴史的に政治家や経済人たちは、文学作品やメディアを通してフリーセックスを刺激することが多くありました。ですから今から私たちはみな、政治家や経済人、文人、作家と言論人たちと一つになって先頭に立ち、フリーセックスを防がなければなりません。フリーセックスは、完全になくならなければなりません。
◆ 神様から玉璽をもらったレバレンド・ムーン
40 レバレンド・ムーンの話を聞けば、皆様の現在の立場とは一八〇度異なる人間になり、異なる国になり、異なる世界になるのです。間違いなく変わります。この悪なる世界を完全に変化させることは、絶対に必要なことです。
41 ところが、サタンを含めた悪の世界の人たちは、神側の人々を好みません。それで、世の中すべてがレバレンド・ムーンに反対してきました。国家と世界的次元でも反対しました。しかし、レバレンド・ムーンは神様に属しているので、神様がレバレンド・ムーンを保護してこられたのです。レバレンド・ムーンをサタンは嫌いますが、神様は好かれるのです。いくらレバレンド・ムーンを悲しませ、押さえつけて、無視するとしても、レバレンド・ムーンは意に介しませんでした。レバレンド・ムーンは、下がってはいきませんでした。むしろ、最も高い立場まで上がっていくようになりました。それで今は、どこの誰であれレバレンド・ムーンに反対できないようになったのです。
42 あらゆる迫害を受けながら、どうしてこのような世界的な基盤を築くことができたのでしょうか。いかなる力でもって、世界の碩学と最高の指導者たちを教え導くこのような基盤を築くことができたのでしょうか。神様がそのような力をレバレンド・ムーンに下さったので可能だったのです。神様が私を保護され、私にそのような方向性を教えてくださり、今も継続して保護し教え導いてくださっているので、レバレンド・ムーンは、常に成功の道を進んでいるのです。
43 歴史始まって以来、霊界に通じることのできた多くの宗教指導者たちがいましたが、レバレンド・ムーンほど霊界を知り、かの天の国、霊界を統一して、この地上に現れたのはレバレンド・ムーン一人しかいないということを知らなければなりません。そうして、神様から玉璽を受けました。そうでなければ、地上の統一はできません。神様が霊界でそのように私を訓練し育てられたように、この地上においてもそのように継続して導いていらっしゃるということを知らなければなりません。
44 二十余年間、レバレンド・ムーンは、新教の地アメリカに行って多くの迫害を受けました。しかし、イエス様が亡くなられて以後二千年間、すさまじい殉教の血を流したキリスト教を、この国に定着させようという神様のみ意を知ったので、アメリカを捨てることができなかったのです。カトリックの地、南米も同様です。四十余年前にレバレンド・ムーンを受け入れていたならば、南米も北米もどのようになっただろうかと考えてみてくださるようにお願いします。韓国においては、なおさらそうです。
◆ 「神様のもとの一つの世界」を成すための努力
45 それでは、真の愛はどこから始まるのでしょうか。自分の生命を投じたのち、また復活して、三度以上より投入しようというところから真の愛が始まるのです。私たちは、堕落した血を受け継いだので、自分の命を懸けてでもこれを越えなければなりません。ですから、「生きようとする者は死に、死のうとする者は生きる」というのです。イエス様もこの地上に来られて、その道を行かれたのです。そのことによって、世界を支配することができたのです。利己的な個人主義ではありません。利他主義です。ですから、私たち夫婦は、一生の間に数百億ドルのお金を得ましたが、一銭も私たちのものはありません。みな、世界のために投入しては忘れてしまい、また苦労しお金をつくっては、また投入する、そのようなことを反復するのです。
46 「神様のもとの一つの国」と「神様のもとの一つの世界」のうち、皆様はどちらが好きですか。一部のアメリカの人たちは、「神様のもとの一つの世界」が好きではありません。また、一部の白人たちは、黒人が好きではありません。アングロ・サクソン系の白人の新教徒たちが、アメリカの支配的な立場を占めていますが、彼らを中心としたアメリカは、世界のために生きるという考えをもたなければなりません。もし、アメリカだけのために生きるというのなら、アメリカは存続することができないのです。
47 今は、時代が変わっています。到来する時代とは、「神様のもとの一つの世界」です。神様は、このような世界のために働いていらっしゃり、また、そのような摂理のために働く者を助けていらっしゃいます。そして、これからも永遠にそのような者たちを助けていかれることでしょう。ところで問題は、すべての人たちが、このような世界で暮らすことを願いながらも、そのような摂理の同参者になることは好まない、ということです。
48 一つの平和な世界をつくるために、私たち夫婦は様々な努力を傾けています。そのうち、いくつかの代表的な例を挙げれば、人種と宗教、国境、言語の障壁を超越して、未来世界の基盤を固める理想的な国連大学を建てることです。また、世界的な知識を交流させるために、遠隔通信大学が必要です。
49 医学では、堕落によって生じた肉身の病気を治療するだけではなく、東西文化の和合を通して、東西洋の藤までも修復させるという次元から、統一思想と統一医学を開発しなければなりません。東西思想と医学が一つになってこそ、今後、エイズのような難病を治せるようになることでしょう。韓国では、医学教育を全く受けていない農村の青年たちの中で、エイズのように現代医学でも治すことが困難な病を治すことのできる特別な治療法を、霊界から教えられた人々がたくさんいます。ですから、霊的世界の事実を認めなくなれば、大きな問題が起こるのです。
50 このすべての課題は、既にブリッジポート大学(米国)と鮮文大学(韓国)を中心として、実践に移されつつあります。さらに私たち夫婦は、既にアメリカのワシントン・タイムズだけでなく、南・北米すべての国々をカバーする言論機関をつくりました。これらの言論機関は、間もなく世界百八十五カ国まで拡張され、世界が一つになって学び、協力するのに大きく貢献するようになることでしょう。
51 レバレンド・ムーンはアメリカに行って、アメリカ国民の前に一つも負債を負いませんでした。むしろ、アメリカが私の世話になりました。天から受けた祝福でもって、レバレンド・ムーンはアメリカを祝福しました。私たち夫婦は、天から受けた祝福を世界にすべて分け与えました。南米も韓国もレバレンド・ムーンを歓迎して、アメリカのような祝福を受けることを願っています。どんなに反対しても、より多く愛する人が主人になるのです。より多く愛し、より多く投入し、より多く与えて忘れる者が中心存在になるのです。これがまさしく天法なのです。
52 これから皆様は、家庭において父母の前に孝行し、国の前に忠臣になり、世界の前に聖人になり、神様の前に聖子になる道を行くべきです。誰であろうと、家庭、国家、世界、天、地の前に恥ずかしくない、この宇宙自然の中で天運の保護を受ける自らとなり、神様の最高の愛を受ける家庭を築くべきなのです。
53 そうして、地上天国に転換し、天上天国に入籍をして、神様を中心とした地上天上王圏時代に進入して、勝利と自由と幸福と統一の世界を求めいく国際合同結婚式を迎えなければなりません。
54 皆様もすべて、今年の三百六十万双の祝福結婚式を超えて、三千六百万双の合同結婚式に参与してくださるようにお願いします。そうして、天地が歓迎する人になって、永生の道を求めるようにお願いします。
55 私たち皆が、神様と真の御父母様の血族になり、神様の真の愛を中心とした真なる家庭と真なる世界(宇宙)文化創建の主役になって、来たる二十一世紀を平和と統一の世界へと建設していくことを願いながら、これで私の話を終わります。
56 皆様と、皆様の家庭と、なされている事業に、神様の祝福が共にありますようにお祈りいたします。ありがとうございました。
アメリカにおける同様の題の講演もあるようです。
<真の愛を中心とした真の家庭と真の宇宙>
尊敬する内外貴賓、親愛なるワシントンタイムズ職員、特別にこの場を輝かす為に参席された著名な世界文人 指導者、そして紳士淑女の皆様!
多忙な中にも、この場に来てくださった皆様に深く感謝申し上げます。
ワシントンタイムズの創刊15周年を記念するこの日、本人は、深く、感慨に浸らざるをえません。世界が冷戦の激浪の中に彷徨っているとき、これを救おうとされる切迫した神様のみ旨を奉り、15年前、本人はワシントンタイムズを創刊いたしました。その後祝福を受けた国この米国が神様の国の為のその世界的使命を果たすことを懇切に念願しながら、ワシントンタイムズをそだてるのに、全ての精誠を尽くしました。その間、語ることができない試練と嘲笑の中、孤独な闘いを耐えて来ながらも、本人はワシントンタイムズが最も正しく責任ある言論へと成長する様にあらゆる心血を注いで来たのです。
今やワシントンタイムズは世界的な言論媒体として、誇り高く発展しました。冷戦が終わった今日、世界はワシントンタイムズの方向性がどれほど正しかったかを知るようになり、人類はその歴史的な貢献を忘れないでしょう。特に、米国と世界の道徳と精神的価値を復興させようとするワシントンタイムズの努力は、この時代の最も切実な要請として受け入れられているのです。
今まで、ワシントンタイムズを立てるために共に苦労をされたワシントンタイムズの職員皆様に熱い感謝を申し上げます。そして、その間、後援を惜しまれなかった米国と世界の指導者皆様に、心から、深い謝意を表します。
この様な貴い日、私の心から皆様に捧げたい最も貴い答礼の贈り物があるとするならば、それは、私が、その間、世界を巡回して教えてきた最も代表的な二つのみ言葉の紹介する事です。
それは、「救援摂理の原理観」と「宇宙の根本を探して」というみ言葉です。現代においては、男女問題と家庭問題、そして、青少年問題が絶対的に解決されなければだめですが、この二つのみ言葉はその根本解決法案を提示しているのです。各自に戻って、自分を振り返って、家庭を愛したい心が起こるたびに、このみ言葉を読んで深く考えてみるならば、皆様が幸福で円満な家庭をなすために大きな助けとなることでしょう。
皆様は、この二つのみ言葉を皆様の歳の数だけ読むことをお願いいたします。年齢が80歳を越えていれば、80回以上読まなければなりなせん。皆様が読めば読むほど、天の祝福と天運が共にあろうとするのです。読めば、読むほどその家庭に平和が自動的に臨むようになるのでたくさん読むことをお願いいたします。
一つ目のみ言葉の主題は「救援摂理の原理観」です。その内容を要約すれば、第1次アダム家庭でアダムが失敗して堕落したので、第2のアダムとしてイエス様が来られて、これを国家的な次元で復帰しなければならないのです。それで、第1次アダムは堕落したアダムで、メシヤであるイエス様は第2次アダムとして来られましたが、真の父母の家庭をなすことができず行かれたので、第3次のアダムがもう一度来られ世界基準で真の父母の使命を蕩減復帰しなければならないのです。これが再臨主の使命です。そして、人類救援の根本問題が血統復帰だという事実を明らかにしてくれるのです。
二つ目のみ言葉の主題は「宇宙の根本を探して」です。人間堕落の根本が愛のために成立したため、人類は真の愛を失ってしまったのです。それ故に、この真の愛をどのように探し取り戻すかという問題が提起されているのです。真の愛を失ってしまったことは淫乱により堕落したという意味です。すなわち、Sexual Organを中心としてそのようになったので、それを探し取り戻そうとすれば、その反対の経路で正しく行かなければならないのです。この様に、狂った愛がエデンの園で植えられた事が終わりの日収穫の時にその結果として現れる現象が青少年問題です。ですから、Sex混乱時代が来るのです。これを清算することはAbsolute Sexでなければできないのです。Absolute Sexの概念によってのみ、家庭破壊を防止して青少年倫落を防げると言うのです。
今晩は時間が限定されているため、「真の愛を中心とした真の家庭と真の宇宙」という新しい主題をもって、皆様にお話したく思います。
ここに集まった皆様は、全て、父母をもっています。そして、師匠をもって、その次には主人をもっています。それは、どこのだれにでも絶対的に必要なことです。しかし、どんなに父母だと言っても、真だという基準を中心として見るときにはいろいろな基準があって当然です。皆様自身は、はたして、どの程度真なる父母になったと思いますか?また、師匠といっても、米国にあるハーバード、エール、コロンビアのようなアイビーリーグに属する大学だとか英国のオックスフォードやケンブリッジ大学の教授だと言えば、全て真なる師匠でしょうか?国の主人も真と言う基準で見るとき、全てが同じわけではありません。皆様は米国や強大国の大統領ならば全て真なる大統領と言えるとお思いですか?
事実、今日の家庭では子女が父母を信じることができず、夫婦同士もお互い信じることができず、兄弟同士も不信する仲となっているのです。学校では先生を信じることができず、国では国の責任者を信じることができないことが今日の実状です。
この様に、皆さんが願うこの三つの重要な立場、すなわち、父母、師匠、そして国の主人のなかでどれか一つでも真だという基準を中心として合格できるかと言うことが問題です。
皆様が真なる父母となり、真なる師匠となり、真なる主人とならなければならないならば、そのような世界最高の基準、その全てのモデルの中心はだれでしょうか? それは、まさに神様です。神様は父母の中の真の父母であり、師匠の中の真の師匠であり、王の中の真の王であられます。神様は永遠の真の父母で、永遠の真の師匠で、永遠の真の主人であられます。私たちが神様の息子娘になるならば、まず、神様と同じ真の父母にならなければなりません。神様と同じ真の師匠の道を行かなければなりません。そして、神様と同じ真の主人になる道を行かなければなりません。これが、三大主体思想です。究極的なモデルは神様なのです。
旧約聖書に記録されたイスラエル民族の前に送られるメシアは誰ですか?メシアはまさに真の父母として来られる方であり、真の師匠として来られる方であり、真の王として来られる方であります。しかし、彼が、この地で、家庭を持ち、民族を一つにする事ができなかったので、もう一度来なければならないのです。すなわち、そのメシアが国家の基準で失敗したので、再び来られるメシアは、3次アダムとして来られ、世界基準において、真の父母と、真の師匠と、真の王を教えて下さろうとするのです。これが、まさにメシア思想です。
ですから、家庭があり、国があ、世界があり、天がある所ならば、どこでも、いつでも、この三大主体思想が確立されなければならないのです。
愛は、空間の世界に立つようになると、必ず、上下が必要で、左右が必要で、前後が必要です。それでこそ、私の存在位置が確定されるのです。皆様方が、上下を正しく備えているか、左右、前後をだだしく備えているかにしたがって、いろいろな姿になるのです。
皆様方の上下、左右、前後関係、そして家庭の問題や、国の問題、世界の問題を扱うにあたって、公式は一つです。個人を中心として上下、左右、前後があるように、家庭においても、父母と子供がいなくてはならなく、夫と妻がいなければならなく、兄弟姉妹がいなければならないのです。これと同じように、国にも国の主人を中心として、全ての家庭が東西の文明、南北の文明を全て抱いて、その次に、世界の万民を兄弟姉妹と同じく抱き、結局一つの家庭モデルをなすのです。モデルは全く同じです。そして、私自身がそのモデルの中心です。自己がいる後ろには自己の家庭がなけれがならず、国と世界と天と地、そして、神様まで至らなければならないということと同じ道理です。皆様は、宇宙の中心になりたい心があるだけでなく、すべて、そのように成ることができるのです。
この様に、宇宙において その核と同じ事が家庭の概念です。天を父母と見れば、地は子女です。東西を見れば東側は男子を象徴し、西側は女子を象徴するので、女子は結婚する事により、どこでも男性の位置についていくのです。西側が太陽の光を受け輝くとき東側と同じ価値を持つことと同じです。兄弟関係と同じです。長子である兄を中心として役事するとき弟たちが協調するようになるのです。
そのために、人間は父子の関係でいなければならなく、夫婦関係、そして兄弟関係でいなければならなりません。すなわち、この三つの関係が一つの点になければなりません。その中心点は一つです。上下、左右、前後の中心が異なってはだめなのです。この中心点が違ってくると、、上下、左右、前後関係の均衡が全て壊れるのです。それで、結局、上、下、左、右、前、後、そして一つの中心点まですべて、7数をなすようになるのです。この様に7数をなすということは、すなわち、神様を中心として完全な真の愛により一つとなり、この全てが完全に球形をなし、調和、統一をなす家庭となるのです。私たちが俗にラッキーセブンと言うことも、この様な観点から一理あるというのです。
それで、これが、一つに定着して回る様になれば、8数ということです。真の愛が永遠に変わらない限り、この中心も変わらず、永遠に回ることができたのですが、堕落することによって、神様を中心から追い出してしまいました。神様の真の愛を全て追い出してしまったので理想家庭が全て崩れてしまったのです。
西洋と東洋はその生活習慣において、あまりに異なる点が多いのです。いろいろな面で正反対だというのです。例をあげれば、韓国では人を呼ぶ時は、手のひらを下にして手招きをするのですが、そのようにすれば、西洋の人々は、むしろ遠くに行ってしまいます。「私を嫌いで行ってしまったのか?」と、むしろ誤解して当然です。西洋の字は横的なもので、左から右に書きますが、、東洋の字は縦的なもので、本来上から下に書き読む様になっています。ですから、西洋の本は左側から開いて見ますが、東洋の本は右側から開いて見ます。西洋文明は一種の横的文明です。握手で挨拶するのは横的な挨拶です。頭をさげながら挨拶する東洋文明は縦的です。東洋では家庭制度の核が先祖でなければならないという伝統がありますが、西洋にはそのような核が強くないのです。先祖を核として奉る概念がないのです。自己中心であるということです。
全てのものが核から連結されるので、核が動かなければ全て動かないということです。それで、中心の核から一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ全部同等です。それを割ると12個になりますが、その12個がどこにもって合わせてもすべて合うというのです。お爺さんが願えば孫が反対せず、息子娘もそれを願うようになり、3代が完全に願うようになるのです。お爺さん、お婆さん、お父さん、お母さん、夫婦、息子、娘、全てが中心に合わせる様になるのです。この愛を中心として見るとき、父子の関係と一つであるので一体と言え、夫婦関係も一体と言え、兄弟の間も一体といえます。一つの体です。何を中心としてこの様な関係を一体と言うのかと言えば、愛の中心である神様の真の愛を中心として言うのです。真の愛を中心として父母と息子が一つになり、夫婦も一つの体になり、兄弟の間も同じです。このようになることによって、全てのものの価値が同等になるのです。
それでは、神様がその子女に願うことは何でしょうか?お金をたくさん稼いで百万長者になることでしょうか?国の最高の力を手に入れ大統領になることですか?神様が息子娘であるアダムイブに願ったことは、彼らが成長して、孝子、忠臣、聖人、聖子となることでした。それでは、皆様は神様が願われるのと同じように家庭で孝子になることを考え、国で忠臣となることを考え、世界では聖人となることを考え、そして、天と地の前に聖子となることを考えて見ましたか?歴史を見ると、全ての聖人たちは孝子となり、忠臣、聖人そして聖子となれと教えて来ました。
今晩、皆様はこの様な理想的な人間、すなわち、人間がその人格完成に必要とする孝子、忠臣、聖人、聖子の道理という観点から見ると、合格したと見ることができますか?このような内容を知らなくては家庭において真なる父母の本分を全うできないというのです。真なる父母ならば、孝子、忠臣、聖人、聖子のような前進的であることを教えてあげなければならないのです。自分の息子に対して、孝子、忠臣、聖人、聖子の道理を尽くしてその後に神様まで行かなければならないことを教えてあげなければならないのです。そのように、教える人がいるとするならば、神様が見られたとき、はじめて、真なる父母、真なる師匠、そして真なる主人と思うのです。
皆様が真なる父母の資格があり、真なる師匠の資格があると言う時には、真なる主人の資格も備えるようになり、さらに真なる王となることができる資格まで備える様になるのです。堕落した人に何の真なる孝子という概念がありますか?忠臣の概念もありません。聖人の概念もありません。聖子という概念もありません。それで、亡びるのです。だれが聖子になることを望むのでしょうか?神様が願われるのです。聖人は誰が願うのですか?世界が願います。国が何を願うかと言うと、忠臣を願います。家庭は孝子を願います。これがまさに真なる真理の道です。愛を中心としたこの様な真理は一つの方向に永遠に持続するのです。それを知りませんでした。それで、真なる父母になれなかったのです。国の真なる主人になれませんでした。聖人や真なる聖子になれなせんでした。イエス様がこの地に来られたとき、家庭にそのような真なる主人がいなく、国と世界にそのような真なる主人がいなく、結局、天と地に真なる主人がいなかったのです。どのようにその道理の道を行かなければならないかを知らなかったというのです。しかし、今は、知らなければならないのです。
真なる父母は孝子になったので忠臣になるなとは言いません。真なる父母はその孝子に、おまえは家庭を犠牲にして忠臣の道を求め、国に仕えなければならなく、国を犠牲にして、聖人の道理を全うし、世界の為になり、世界を犠牲にし、天と地が願う道を行かなければならず、天と地を犠牲にして、神様を求めていかなければならないと教えてあげなければなりません。
その様になろうとするならば、個人は家庭のために、犠牲とならなければなりません。家庭のために犠牲となってこそ、孝子になるのです。また、国の愛国者に成ろうとすれば、その家庭全体を犠牲にしてでも国を救ってこそ愛国者になるのです。聖人というのは、自分の国を犠牲にしてでも世界を救わなければならないのです。聖子は世界を犠牲にしてでも国を天の国と地、地上天国を成さなければならないというのです。ですから、全ての父母の中でより息子の為に生きる父母が真の父母であり、どのような師匠よりも、もっと為に生きようとする師匠が真の師匠であり、どのような大統領よりも、もっと為に生き犠牲になろうとする大統領が真の大統領です。この様な概念があると言うことを知らなかったのです。投入して犠牲になるのです。そうしなければ、一つの平和と統一の世界は永遠に来ないのです。
個人主義がどこにありますか?自己にあって、自己だけを主張する部分が一つもないのです。息子が両親の愛により、お母さんのお腹の中で育って生まれる時、99.999%がお母さんの卵子から始まった骨と血と肉です。そこに、0.001%のお父さんの精子一つと合わさり生まれました。そこには自己だけだという概念が存在できません。誰も生まれるとき、自己自身だけという概念はなかったのです。
どんなに立派な人でも自分一人で立派になったと言える人は一人もいません。レバレンド文も同じです。骨、血、肉も、お母さんのお腹の中で受け継いだのです。この体の重要な部分はお母さんの体の延長だという事実を認定しなければなりません。我々の体の全ての要素は卵子と精子に包含されていたということです。例外が無いのです。ですから、個人主義というものは存在する根拠がありません。
上という言葉が生まれ出るときには下を認定するということです。上という事だけでもって個人主義が成立することができますか? 個人だけだという概念は存在できません。右側ということは左側ということを前もって前提とするということです。男子という言葉も一人をおいていう言葉ではありません。女子を先有条件としているということです。これは、誰か一人の個人の言葉ではなく、宇宙的な事実です。
男子は何故生まれ出ましたか?男子は俗に自分一人で生きて行くことができるので、その様なことに関心がないと言うが、男子は女子のために生まれたと言うのです。女子がいなければ男子は必要ありません。絶対的に必要ないと言うのです。結局、自己のために生まれ出たものは一つも無いというのです。
我々の五官をを見てください。私の目は私の目を見るために生まれ出ましたか?鼻、耳、口、手、全て相対の為に生まれ出ました。五官を総動員して集中するようにできるその力が何かと言えば真の愛です。目、鼻、耳、口、そして手は真の愛のために生まれた真の愛の道具です。
自己の為に生まれ出たものというのは一つもありません。反面、他のものを自分のものと言う人は泥棒と言います。他のものを持って自分のものとして、使い食べる人が泥棒では無いですか?ですから、女子の為に生まれ出た男の五官と体を自己の思いのままに使う人は泥棒でしょう。
男子と女子は何がお互いに違いますか?Sexual Organを包含したその体がまず異なります。それでは、男子のSexual Organは誰に絶対に必要ですか?男子のSexual Organは女子の為にあるのです。人間のSexual Organは一つは凹で一つは凸ですが、なぜその様に成りましたか?二つとも、尖ったようにしたり、二つともペチャンコにすることもできたのに、何故その様に異なって生まれたのでしょうか?すべて相対の為です。男子のものは女子が絶対願うのです。絶対に女子のものが男子のもので、男子のものが絶対に女子のものという事実を知りませんでした。それを、占領することによって愛を知ると言うのです。
二つが一つになることと同じ経験を通してだけ、最高の高い境地の愛を知ることができるのです。どこの誰も、この様な事実を絶対に否定できません。誰もが、すべて認定しなければならないと言うのです。二つが完全に一つになるその場所に理想的な夫婦が生まれ出るのです。まさにその場所に絶対愛が存在するのです。絶対的に変わらない、そのような愛の場所に神様が臨在されるのです。
ですから、Absolute Sexは神様を中心とするもので、Free Sexは自己とサタンを中心とするのです。歴史的に文学作品やメディアを通して、Free Sexを刺激する場合が多かったのです。それ故に、これからは、いろいろな文人作家と言論人が前に先頭になりFee Sexを防がなければなりません。Free Sexは完全に無くさなければなりません。
レバレンド文の言葉を聞くようになると、皆様方の現在の立場と180度異なる人になり、異なる国となり、異なる世界となるのです。間違いなく、変わると言うのです。変化させなければならないこの悪の世界を完全に変化させるということは必ず必要なことです。
ところで、サタンを包含する悪なる世界の人々は神側の人々を好きではありません。それで、世の中全てがレバレンド文を反対してきたのです。国家と世界的次元でも反対しました。しかし、レバレンド文は神様に属しているので、神様がレバレンド文を保護して来ました。サタンはレバレンド文を嫌いますが、神様は好きなのです。どんなに、レバレンド文を悲しませ、下に押し込み、無視したとしても私は介意しませんでした。レバレンド文は下がって行きませんでした。むしろ、最も高い場所まで上がって行くようになりました。それで、今は、どこの誰も反対できなくなったのです。
あらゆる迫害を受けながら、どのように、この様な世界的な基盤をつくることができたのでしょうか?そのどの様な力を持って、世界の学者たちと最高の指導者たちを教えるこの様な基盤をつくることができたのかと言うのです。神様がその様な力をレバレンド文に与えてくだっさたので可能だったと言うのです。神様が私を保護されて、私にその様な方向性を教えてくださり、今も継続して、保護して、教えてくださることによりレバレンド文はいつも成功の道へ進んでいっているのです。
歴史以来霊界に通ずることができたたくさんの宗教指導者がいましたが、レバレンド文のように霊界を知り、あの天の国霊界を統一してこの地に来た者はレバレンド文一人しかいないということを知らなければなりません。霊界を統一して神様から御印をいただきました。そうでなければ、地上統一をできません。神様が霊界でそれほど訓練し育ててくださった様に地においてもその様に継続して導いておられていると言うことを知らなければなりません。
20余年の間、私がこの米国の地に来てたくさんの迫害を受けました。しかし、イエス様が亡くなられて以後2,000年間、大変な殉教の血を流した基督教を、この国に定着させようとする神様の意中を知ったので、この国を捨てることができなかったのです。40余年前に、レバレンド文を受け入れたならば、この米国がどの様になったかを考えてみてくださることをお願いします。
それでは、真の愛はどこから出発することができますか?自己の命を投じた後、また復活して、3回以上、さらに投入しようとするのが真の愛です。私たちは堕落した血を受けたので、自分の命を懸けてでも、これを越えて立たなければなりません。それで、死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬと言うのです。イエス様もこの地に来て、その道を行ったのです。それ故に、世界を支配することができたのです。利己的な個人主義ではありません。為他主義です。それで、私が一生の間、数百億ドルのお金を稼ぎましたが、一銭も私のものがありません。すべて、世界の為に投入して忘れて、また苦労し稼いで、また投入する、その様なことを反復するのです。
「神様のもとの一つの国」と「神様のもとの一つの世界」の中、皆様はどちらが好きですか?一部の米国の人々は「神様のもとの一つの世界」を好きでないのです。また、一部の白人たちは黒人を好きではありません。アングロサクソン系の白人新教徒たちが米国の支配的な立場を占めていますが、これらを中心とした米国は世界の為にという考えを持たなければならないのです。万一、米国だけの為だとすれば、米国は存続することができないのです。
今は 時が変わっています。到来する時は、「神様のもとの一つの世界」です。神様はこの様な世界の為に働かれておられ、また、その様な摂理の為に働くものを助けておられます。そして、未来も、永遠にその様な者たちを助けられるでしょう。ところで、問題は全ての人間がこの様な世界で生きることを望みながらも、その様な摂理の同参者となることは好きではないというのです。
一つの平和の世界をつくる為に本人は色々労力を傾けています。その中でいくつか代表的な例をあげれば、人種と宗教、言語の障害を超越して未来の世界の基盤を固める理想的なUN大学をたてるのです。また、世界的な知識を交流する為に遠隔通信大学が必要です。医学では、堕落により、生じた肉身の病を治療するだけでなく、東西文化の和合通じて東西洋の葛藤までも終わらせるという次元で統一医学を開発しなければならない。東西医学が合わさってこそ、将来エイズの様な難治病を直すことができるようになるのです。韓国には医学教育を全く受けていない農村の若者の中でエイズのように現代医学でも直すことが難しい病を治すことができる特別な治療法を霊界から教えを受けた人々がたくさんいます。だから、霊的世界の事実を認定しなければ大きな問題がおこるのです。
この全ての課題は、既にブリッジボード大学と鮮文大学を通して実践に移っています。さらに進んで、本人は、既にワシントンタイムズだけでなく全南北米の国々をカバーする言論機関をつくって、この言論基盤はすぐに世界185ヶ国まで拡張され、世界が一つに学び、協力するところに、大きく貢献するようになることでしょう。
本人は米国に来て、米国国民の前に全く世話になりませんでした。むしろ、米国が私の世話になりました。天から受けた祝福により、私が米国を祝福してあげました。米国の祝福を私が受けなく、私の祝福を米国にあげるのです。
どんなに反対しても、より多く愛する人は愛の主人になるのです。より多く愛して、より多く投入して、より多く与えて忘れる者が中心存在になるのです。これが、まさに天法です。
将来、皆様は家庭において父母の前に孝行をし、国の前に忠臣となり、世界の前に聖人になり、神様の前に聖子になる道を行かなければなりません。誰においても例外無く、家庭、国、世界、天、地の前に恥ずかしくない、この宇宙自然の中、保護を受ける自己となり神様の最高の愛を受ける家庭を成さなければなりません。
そうして、地上天国に転換して天上天国に入籍をして、神様を中心とした地上天上王捲時代に進入して勝利と自由と幸福と統一の世界を探していく国際合同結婚式を迎えなければなりません。皆様も全て今年360万双祝福結婚式に参与して下さることをお願いします。それで、天と地が歓迎する人となり、永生の道を探すことを願います。
今日、この場には、世界各国から集まられた文人 指導者の皆様たちが席を共にされておられます。ワシントンタイムズの職員の皆様や世界の文人全てが神様の真の愛を中心とした真なる家庭と世界(宇宙)文化創建の主役となり、近づく21世紀を平和と統一の世界へと建設することを願いつつ、これでみ言葉を終えたくおもいます。
皆様と皆様の家庭と行っておられる事業に神様の祝福が共にあることをお祈りいたします。
多忙な中にも、この場に来てくださった皆様に深く感謝申し上げます。
ワシントンタイムズの創刊15周年を記念するこの日、本人は、深く、感慨に浸らざるをえません。世界が冷戦の激浪の中に彷徨っているとき、これを救おうとされる切迫した神様のみ旨を奉り、15年前、本人はワシントンタイムズを創刊いたしました。その後祝福を受けた国この米国が神様の国の為のその世界的使命を果たすことを懇切に念願しながら、ワシントンタイムズをそだてるのに、全ての精誠を尽くしました。その間、語ることができない試練と嘲笑の中、孤独な闘いを耐えて来ながらも、本人はワシントンタイムズが最も正しく責任ある言論へと成長する様にあらゆる心血を注いで来たのです。
今やワシントンタイムズは世界的な言論媒体として、誇り高く発展しました。冷戦が終わった今日、世界はワシントンタイムズの方向性がどれほど正しかったかを知るようになり、人類はその歴史的な貢献を忘れないでしょう。特に、米国と世界の道徳と精神的価値を復興させようとするワシントンタイムズの努力は、この時代の最も切実な要請として受け入れられているのです。
今まで、ワシントンタイムズを立てるために共に苦労をされたワシントンタイムズの職員皆様に熱い感謝を申し上げます。そして、その間、後援を惜しまれなかった米国と世界の指導者皆様に、心から、深い謝意を表します。
この様な貴い日、私の心から皆様に捧げたい最も貴い答礼の贈り物があるとするならば、それは、私が、その間、世界を巡回して教えてきた最も代表的な二つのみ言葉の紹介する事です。
それは、「救援摂理の原理観」と「宇宙の根本を探して」というみ言葉です。現代においては、男女問題と家庭問題、そして、青少年問題が絶対的に解決されなければだめですが、この二つのみ言葉はその根本解決法案を提示しているのです。各自に戻って、自分を振り返って、家庭を愛したい心が起こるたびに、このみ言葉を読んで深く考えてみるならば、皆様が幸福で円満な家庭をなすために大きな助けとなることでしょう。
皆様は、この二つのみ言葉を皆様の歳の数だけ読むことをお願いいたします。年齢が80歳を越えていれば、80回以上読まなければなりなせん。皆様が読めば読むほど、天の祝福と天運が共にあろうとするのです。読めば、読むほどその家庭に平和が自動的に臨むようになるのでたくさん読むことをお願いいたします。
一つ目のみ言葉の主題は「救援摂理の原理観」です。その内容を要約すれば、第1次アダム家庭でアダムが失敗して堕落したので、第2のアダムとしてイエス様が来られて、これを国家的な次元で復帰しなければならないのです。それで、第1次アダムは堕落したアダムで、メシヤであるイエス様は第2次アダムとして来られましたが、真の父母の家庭をなすことができず行かれたので、第3次のアダムがもう一度来られ世界基準で真の父母の使命を蕩減復帰しなければならないのです。これが再臨主の使命です。そして、人類救援の根本問題が血統復帰だという事実を明らかにしてくれるのです。
二つ目のみ言葉の主題は「宇宙の根本を探して」です。人間堕落の根本が愛のために成立したため、人類は真の愛を失ってしまったのです。それ故に、この真の愛をどのように探し取り戻すかという問題が提起されているのです。真の愛を失ってしまったことは淫乱により堕落したという意味です。すなわち、Sexual Organを中心としてそのようになったので、それを探し取り戻そうとすれば、その反対の経路で正しく行かなければならないのです。この様に、狂った愛がエデンの園で植えられた事が終わりの日収穫の時にその結果として現れる現象が青少年問題です。ですから、Sex混乱時代が来るのです。これを清算することはAbsolute Sexでなければできないのです。Absolute Sexの概念によってのみ、家庭破壊を防止して青少年倫落を防げると言うのです。
今晩は時間が限定されているため、「真の愛を中心とした真の家庭と真の宇宙」という新しい主題をもって、皆様にお話したく思います。
ここに集まった皆様は、全て、父母をもっています。そして、師匠をもって、その次には主人をもっています。それは、どこのだれにでも絶対的に必要なことです。しかし、どんなに父母だと言っても、真だという基準を中心として見るときにはいろいろな基準があって当然です。皆様自身は、はたして、どの程度真なる父母になったと思いますか?また、師匠といっても、米国にあるハーバード、エール、コロンビアのようなアイビーリーグに属する大学だとか英国のオックスフォードやケンブリッジ大学の教授だと言えば、全て真なる師匠でしょうか?国の主人も真と言う基準で見るとき、全てが同じわけではありません。皆様は米国や強大国の大統領ならば全て真なる大統領と言えるとお思いですか?
事実、今日の家庭では子女が父母を信じることができず、夫婦同士もお互い信じることができず、兄弟同士も不信する仲となっているのです。学校では先生を信じることができず、国では国の責任者を信じることができないことが今日の実状です。
この様に、皆さんが願うこの三つの重要な立場、すなわち、父母、師匠、そして国の主人のなかでどれか一つでも真だという基準を中心として合格できるかと言うことが問題です。
皆様が真なる父母となり、真なる師匠となり、真なる主人とならなければならないならば、そのような世界最高の基準、その全てのモデルの中心はだれでしょうか? それは、まさに神様です。神様は父母の中の真の父母であり、師匠の中の真の師匠であり、王の中の真の王であられます。神様は永遠の真の父母で、永遠の真の師匠で、永遠の真の主人であられます。私たちが神様の息子娘になるならば、まず、神様と同じ真の父母にならなければなりません。神様と同じ真の師匠の道を行かなければなりません。そして、神様と同じ真の主人になる道を行かなければなりません。これが、三大主体思想です。究極的なモデルは神様なのです。
旧約聖書に記録されたイスラエル民族の前に送られるメシアは誰ですか?メシアはまさに真の父母として来られる方であり、真の師匠として来られる方であり、真の王として来られる方であります。しかし、彼が、この地で、家庭を持ち、民族を一つにする事ができなかったので、もう一度来なければならないのです。すなわち、そのメシアが国家の基準で失敗したので、再び来られるメシアは、3次アダムとして来られ、世界基準において、真の父母と、真の師匠と、真の王を教えて下さろうとするのです。これが、まさにメシア思想です。
ですから、家庭があり、国があ、世界があり、天がある所ならば、どこでも、いつでも、この三大主体思想が確立されなければならないのです。
愛は、空間の世界に立つようになると、必ず、上下が必要で、左右が必要で、前後が必要です。それでこそ、私の存在位置が確定されるのです。皆様方が、上下を正しく備えているか、左右、前後をだだしく備えているかにしたがって、いろいろな姿になるのです。
皆様方の上下、左右、前後関係、そして家庭の問題や、国の問題、世界の問題を扱うにあたって、公式は一つです。個人を中心として上下、左右、前後があるように、家庭においても、父母と子供がいなくてはならなく、夫と妻がいなければならなく、兄弟姉妹がいなければならないのです。これと同じように、国にも国の主人を中心として、全ての家庭が東西の文明、南北の文明を全て抱いて、その次に、世界の万民を兄弟姉妹と同じく抱き、結局一つの家庭モデルをなすのです。モデルは全く同じです。そして、私自身がそのモデルの中心です。自己がいる後ろには自己の家庭がなけれがならず、国と世界と天と地、そして、神様まで至らなければならないということと同じ道理です。皆様は、宇宙の中心になりたい心があるだけでなく、すべて、そのように成ることができるのです。
この様に、宇宙において その核と同じ事が家庭の概念です。天を父母と見れば、地は子女です。東西を見れば東側は男子を象徴し、西側は女子を象徴するので、女子は結婚する事により、どこでも男性の位置についていくのです。西側が太陽の光を受け輝くとき東側と同じ価値を持つことと同じです。兄弟関係と同じです。長子である兄を中心として役事するとき弟たちが協調するようになるのです。
そのために、人間は父子の関係でいなければならなく、夫婦関係、そして兄弟関係でいなければならなりません。すなわち、この三つの関係が一つの点になければなりません。その中心点は一つです。上下、左右、前後の中心が異なってはだめなのです。この中心点が違ってくると、、上下、左右、前後関係の均衡が全て壊れるのです。それで、結局、上、下、左、右、前、後、そして一つの中心点まですべて、7数をなすようになるのです。この様に7数をなすということは、すなわち、神様を中心として完全な真の愛により一つとなり、この全てが完全に球形をなし、調和、統一をなす家庭となるのです。私たちが俗にラッキーセブンと言うことも、この様な観点から一理あるというのです。
それで、これが、一つに定着して回る様になれば、8数ということです。真の愛が永遠に変わらない限り、この中心も変わらず、永遠に回ることができたのですが、堕落することによって、神様を中心から追い出してしまいました。神様の真の愛を全て追い出してしまったので理想家庭が全て崩れてしまったのです。
西洋と東洋はその生活習慣において、あまりに異なる点が多いのです。いろいろな面で正反対だというのです。例をあげれば、韓国では人を呼ぶ時は、手のひらを下にして手招きをするのですが、そのようにすれば、西洋の人々は、むしろ遠くに行ってしまいます。「私を嫌いで行ってしまったのか?」と、むしろ誤解して当然です。西洋の字は横的なもので、左から右に書きますが、、東洋の字は縦的なもので、本来上から下に書き読む様になっています。ですから、西洋の本は左側から開いて見ますが、東洋の本は右側から開いて見ます。西洋文明は一種の横的文明です。握手で挨拶するのは横的な挨拶です。頭をさげながら挨拶する東洋文明は縦的です。東洋では家庭制度の核が先祖でなければならないという伝統がありますが、西洋にはそのような核が強くないのです。先祖を核として奉る概念がないのです。自己中心であるということです。
全てのものが核から連結されるので、核が動かなければ全て動かないということです。それで、中心の核から一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ全部同等です。それを割ると12個になりますが、その12個がどこにもって合わせてもすべて合うというのです。お爺さんが願えば孫が反対せず、息子娘もそれを願うようになり、3代が完全に願うようになるのです。お爺さん、お婆さん、お父さん、お母さん、夫婦、息子、娘、全てが中心に合わせる様になるのです。この愛を中心として見るとき、父子の関係と一つであるので一体と言え、夫婦関係も一体と言え、兄弟の間も一体といえます。一つの体です。何を中心としてこの様な関係を一体と言うのかと言えば、愛の中心である神様の真の愛を中心として言うのです。真の愛を中心として父母と息子が一つになり、夫婦も一つの体になり、兄弟の間も同じです。このようになることによって、全てのものの価値が同等になるのです。
それでは、神様がその子女に願うことは何でしょうか?お金をたくさん稼いで百万長者になることでしょうか?国の最高の力を手に入れ大統領になることですか?神様が息子娘であるアダムイブに願ったことは、彼らが成長して、孝子、忠臣、聖人、聖子となることでした。それでは、皆様は神様が願われるのと同じように家庭で孝子になることを考え、国で忠臣となることを考え、世界では聖人となることを考え、そして、天と地の前に聖子となることを考えて見ましたか?歴史を見ると、全ての聖人たちは孝子となり、忠臣、聖人そして聖子となれと教えて来ました。
今晩、皆様はこの様な理想的な人間、すなわち、人間がその人格完成に必要とする孝子、忠臣、聖人、聖子の道理という観点から見ると、合格したと見ることができますか?このような内容を知らなくては家庭において真なる父母の本分を全うできないというのです。真なる父母ならば、孝子、忠臣、聖人、聖子のような前進的であることを教えてあげなければならないのです。自分の息子に対して、孝子、忠臣、聖人、聖子の道理を尽くしてその後に神様まで行かなければならないことを教えてあげなければならないのです。そのように、教える人がいるとするならば、神様が見られたとき、はじめて、真なる父母、真なる師匠、そして真なる主人と思うのです。
皆様が真なる父母の資格があり、真なる師匠の資格があると言う時には、真なる主人の資格も備えるようになり、さらに真なる王となることができる資格まで備える様になるのです。堕落した人に何の真なる孝子という概念がありますか?忠臣の概念もありません。聖人の概念もありません。聖子という概念もありません。それで、亡びるのです。だれが聖子になることを望むのでしょうか?神様が願われるのです。聖人は誰が願うのですか?世界が願います。国が何を願うかと言うと、忠臣を願います。家庭は孝子を願います。これがまさに真なる真理の道です。愛を中心としたこの様な真理は一つの方向に永遠に持続するのです。それを知りませんでした。それで、真なる父母になれなかったのです。国の真なる主人になれませんでした。聖人や真なる聖子になれなせんでした。イエス様がこの地に来られたとき、家庭にそのような真なる主人がいなく、国と世界にそのような真なる主人がいなく、結局、天と地に真なる主人がいなかったのです。どのようにその道理の道を行かなければならないかを知らなかったというのです。しかし、今は、知らなければならないのです。
真なる父母は孝子になったので忠臣になるなとは言いません。真なる父母はその孝子に、おまえは家庭を犠牲にして忠臣の道を求め、国に仕えなければならなく、国を犠牲にして、聖人の道理を全うし、世界の為になり、世界を犠牲にし、天と地が願う道を行かなければならず、天と地を犠牲にして、神様を求めていかなければならないと教えてあげなければなりません。
その様になろうとするならば、個人は家庭のために、犠牲とならなければなりません。家庭のために犠牲となってこそ、孝子になるのです。また、国の愛国者に成ろうとすれば、その家庭全体を犠牲にしてでも国を救ってこそ愛国者になるのです。聖人というのは、自分の国を犠牲にしてでも世界を救わなければならないのです。聖子は世界を犠牲にしてでも国を天の国と地、地上天国を成さなければならないというのです。ですから、全ての父母の中でより息子の為に生きる父母が真の父母であり、どのような師匠よりも、もっと為に生きようとする師匠が真の師匠であり、どのような大統領よりも、もっと為に生き犠牲になろうとする大統領が真の大統領です。この様な概念があると言うことを知らなかったのです。投入して犠牲になるのです。そうしなければ、一つの平和と統一の世界は永遠に来ないのです。
個人主義がどこにありますか?自己にあって、自己だけを主張する部分が一つもないのです。息子が両親の愛により、お母さんのお腹の中で育って生まれる時、99.999%がお母さんの卵子から始まった骨と血と肉です。そこに、0.001%のお父さんの精子一つと合わさり生まれました。そこには自己だけだという概念が存在できません。誰も生まれるとき、自己自身だけという概念はなかったのです。
どんなに立派な人でも自分一人で立派になったと言える人は一人もいません。レバレンド文も同じです。骨、血、肉も、お母さんのお腹の中で受け継いだのです。この体の重要な部分はお母さんの体の延長だという事実を認定しなければなりません。我々の体の全ての要素は卵子と精子に包含されていたということです。例外が無いのです。ですから、個人主義というものは存在する根拠がありません。
上という言葉が生まれ出るときには下を認定するということです。上という事だけでもって個人主義が成立することができますか? 個人だけだという概念は存在できません。右側ということは左側ということを前もって前提とするということです。男子という言葉も一人をおいていう言葉ではありません。女子を先有条件としているということです。これは、誰か一人の個人の言葉ではなく、宇宙的な事実です。
男子は何故生まれ出ましたか?男子は俗に自分一人で生きて行くことができるので、その様なことに関心がないと言うが、男子は女子のために生まれたと言うのです。女子がいなければ男子は必要ありません。絶対的に必要ないと言うのです。結局、自己のために生まれ出たものは一つも無いというのです。
我々の五官をを見てください。私の目は私の目を見るために生まれ出ましたか?鼻、耳、口、手、全て相対の為に生まれ出ました。五官を総動員して集中するようにできるその力が何かと言えば真の愛です。目、鼻、耳、口、そして手は真の愛のために生まれた真の愛の道具です。
自己の為に生まれ出たものというのは一つもありません。反面、他のものを自分のものと言う人は泥棒と言います。他のものを持って自分のものとして、使い食べる人が泥棒では無いですか?ですから、女子の為に生まれ出た男の五官と体を自己の思いのままに使う人は泥棒でしょう。
男子と女子は何がお互いに違いますか?Sexual Organを包含したその体がまず異なります。それでは、男子のSexual Organは誰に絶対に必要ですか?男子のSexual Organは女子の為にあるのです。人間のSexual Organは一つは凹で一つは凸ですが、なぜその様に成りましたか?二つとも、尖ったようにしたり、二つともペチャンコにすることもできたのに、何故その様に異なって生まれたのでしょうか?すべて相対の為です。男子のものは女子が絶対願うのです。絶対に女子のものが男子のもので、男子のものが絶対に女子のものという事実を知りませんでした。それを、占領することによって愛を知ると言うのです。
二つが一つになることと同じ経験を通してだけ、最高の高い境地の愛を知ることができるのです。どこの誰も、この様な事実を絶対に否定できません。誰もが、すべて認定しなければならないと言うのです。二つが完全に一つになるその場所に理想的な夫婦が生まれ出るのです。まさにその場所に絶対愛が存在するのです。絶対的に変わらない、そのような愛の場所に神様が臨在されるのです。
ですから、Absolute Sexは神様を中心とするもので、Free Sexは自己とサタンを中心とするのです。歴史的に文学作品やメディアを通して、Free Sexを刺激する場合が多かったのです。それ故に、これからは、いろいろな文人作家と言論人が前に先頭になりFee Sexを防がなければなりません。Free Sexは完全に無くさなければなりません。
レバレンド文の言葉を聞くようになると、皆様方の現在の立場と180度異なる人になり、異なる国となり、異なる世界となるのです。間違いなく、変わると言うのです。変化させなければならないこの悪の世界を完全に変化させるということは必ず必要なことです。
ところで、サタンを包含する悪なる世界の人々は神側の人々を好きではありません。それで、世の中全てがレバレンド文を反対してきたのです。国家と世界的次元でも反対しました。しかし、レバレンド文は神様に属しているので、神様がレバレンド文を保護して来ました。サタンはレバレンド文を嫌いますが、神様は好きなのです。どんなに、レバレンド文を悲しませ、下に押し込み、無視したとしても私は介意しませんでした。レバレンド文は下がって行きませんでした。むしろ、最も高い場所まで上がって行くようになりました。それで、今は、どこの誰も反対できなくなったのです。
あらゆる迫害を受けながら、どのように、この様な世界的な基盤をつくることができたのでしょうか?そのどの様な力を持って、世界の学者たちと最高の指導者たちを教えるこの様な基盤をつくることができたのかと言うのです。神様がその様な力をレバレンド文に与えてくだっさたので可能だったと言うのです。神様が私を保護されて、私にその様な方向性を教えてくださり、今も継続して、保護して、教えてくださることによりレバレンド文はいつも成功の道へ進んでいっているのです。
歴史以来霊界に通ずることができたたくさんの宗教指導者がいましたが、レバレンド文のように霊界を知り、あの天の国霊界を統一してこの地に来た者はレバレンド文一人しかいないということを知らなければなりません。霊界を統一して神様から御印をいただきました。そうでなければ、地上統一をできません。神様が霊界でそれほど訓練し育ててくださった様に地においてもその様に継続して導いておられていると言うことを知らなければなりません。
20余年の間、私がこの米国の地に来てたくさんの迫害を受けました。しかし、イエス様が亡くなられて以後2,000年間、大変な殉教の血を流した基督教を、この国に定着させようとする神様の意中を知ったので、この国を捨てることができなかったのです。40余年前に、レバレンド文を受け入れたならば、この米国がどの様になったかを考えてみてくださることをお願いします。
それでは、真の愛はどこから出発することができますか?自己の命を投じた後、また復活して、3回以上、さらに投入しようとするのが真の愛です。私たちは堕落した血を受けたので、自分の命を懸けてでも、これを越えて立たなければなりません。それで、死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬと言うのです。イエス様もこの地に来て、その道を行ったのです。それ故に、世界を支配することができたのです。利己的な個人主義ではありません。為他主義です。それで、私が一生の間、数百億ドルのお金を稼ぎましたが、一銭も私のものがありません。すべて、世界の為に投入して忘れて、また苦労し稼いで、また投入する、その様なことを反復するのです。
「神様のもとの一つの国」と「神様のもとの一つの世界」の中、皆様はどちらが好きですか?一部の米国の人々は「神様のもとの一つの世界」を好きでないのです。また、一部の白人たちは黒人を好きではありません。アングロサクソン系の白人新教徒たちが米国の支配的な立場を占めていますが、これらを中心とした米国は世界の為にという考えを持たなければならないのです。万一、米国だけの為だとすれば、米国は存続することができないのです。
今は 時が変わっています。到来する時は、「神様のもとの一つの世界」です。神様はこの様な世界の為に働かれておられ、また、その様な摂理の為に働くものを助けておられます。そして、未来も、永遠にその様な者たちを助けられるでしょう。ところで、問題は全ての人間がこの様な世界で生きることを望みながらも、その様な摂理の同参者となることは好きではないというのです。
一つの平和の世界をつくる為に本人は色々労力を傾けています。その中でいくつか代表的な例をあげれば、人種と宗教、言語の障害を超越して未来の世界の基盤を固める理想的なUN大学をたてるのです。また、世界的な知識を交流する為に遠隔通信大学が必要です。医学では、堕落により、生じた肉身の病を治療するだけでなく、東西文化の和合通じて東西洋の葛藤までも終わらせるという次元で統一医学を開発しなければならない。東西医学が合わさってこそ、将来エイズの様な難治病を直すことができるようになるのです。韓国には医学教育を全く受けていない農村の若者の中でエイズのように現代医学でも直すことが難しい病を治すことができる特別な治療法を霊界から教えを受けた人々がたくさんいます。だから、霊的世界の事実を認定しなければ大きな問題がおこるのです。
この全ての課題は、既にブリッジボード大学と鮮文大学を通して実践に移っています。さらに進んで、本人は、既にワシントンタイムズだけでなく全南北米の国々をカバーする言論機関をつくって、この言論基盤はすぐに世界185ヶ国まで拡張され、世界が一つに学び、協力するところに、大きく貢献するようになることでしょう。
本人は米国に来て、米国国民の前に全く世話になりませんでした。むしろ、米国が私の世話になりました。天から受けた祝福により、私が米国を祝福してあげました。米国の祝福を私が受けなく、私の祝福を米国にあげるのです。
どんなに反対しても、より多く愛する人は愛の主人になるのです。より多く愛して、より多く投入して、より多く与えて忘れる者が中心存在になるのです。これが、まさに天法です。
将来、皆様は家庭において父母の前に孝行をし、国の前に忠臣となり、世界の前に聖人になり、神様の前に聖子になる道を行かなければなりません。誰においても例外無く、家庭、国、世界、天、地の前に恥ずかしくない、この宇宙自然の中、保護を受ける自己となり神様の最高の愛を受ける家庭を成さなければなりません。
そうして、地上天国に転換して天上天国に入籍をして、神様を中心とした地上天上王捲時代に進入して勝利と自由と幸福と統一の世界を探していく国際合同結婚式を迎えなければなりません。皆様も全て今年360万双祝福結婚式に参与して下さることをお願いします。それで、天と地が歓迎する人となり、永生の道を探すことを願います。
今日、この場には、世界各国から集まられた文人 指導者の皆様たちが席を共にされておられます。ワシントンタイムズの職員の皆様や世界の文人全てが神様の真の愛を中心とした真なる家庭と世界(宇宙)文化創建の主役となり、近づく21世紀を平和と統一の世界へと建設することを願いつつ、これでみ言葉を終えたくおもいます。
皆様と皆様の家庭と行っておられる事業に神様の祝福が共にあることをお祈りいたします。
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