原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

売春婦像を世界中に展開し、売春婦の博物館もつくり、売春婦を輸出する国。悪魔に憑かれているか、気が触れているかだ!

慰安婦像を米軍基地に不法侵入して轢死した少女のために造った少女像は、慰安婦像として一人二役を演じさせられている。

韓国人は、亡くなられた少女を売春婦にして弄んできた。

これによって慰安婦像とは、轢死少女高給売春婦像になってしまった。

 

慰安婦の日韓合意を破棄しようと企み。

轢死少女高給売春婦像を国内にも世界にも設置する運動を続け、

轢死少女高給売春婦博物館まで造ると言う。

ソウルにも彼女たちを慰めるお花畑も造るとか。

 

それだけでも満足できないらしい。

轢死少女高給売春婦記念日を8月14日とするという。

さらに、

米軍慰安婦被害、国家が真相究明に乗り出すか : 政治 : ハンギョレ より引用

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ユ・スンヒ議員、14日、米軍慰安婦法の代表発議 
「国家が米軍基地村女性の人権侵害の先頭に立った」

朝鮮戦争は、韓国の女性たちにも癒えることのない傷を残した。米軍基地村女性122人は国に対し被害賠償請求訴訟を起こすことにした。2014年7月25日、ソウル大方洞のソウル女性プラザビル4階で開かれた訴訟記者会見の様子=カン・ジェフン先任記者//ハンギョレ新聞社

 米軍基地村周辺で売春に従事してきた女性たちの被害実態を究明し、国家が彼らの生計を支援する内容の法案が国会に提出された。

 

 共に民主党のユ・スンヒ議員は14日、「米軍慰安婦問題に対する真相究明と名誉回復および支援などに関する法律案(米軍慰安婦法)」を代表発議した。民主党のイ・ジョンゴル、ユン・フドク、キム・ドゥグァン議員と正義党のキム・ジョンデ議員など18人が発議に参加した。

 

 同法案は4年期限で「米軍慰安婦問題の真相究明及び慰安婦支援委員会」を設置するようにしている。同法案は「1945年9月8日から2004年9月22日まで、韓国政府が在韓米軍を相手にした接客行為または売買春を目的とする店の営業を幇助した。また、政府が強制的に売春女性の性病を検診して治療する過程で、不当に監禁または暴行などを行うことによる被害も発生した」とし、「真相を究明し、被害を補償するため、大統領所属の委員会を設置する」と規定している。

 

 「米軍慰安婦」国家責任問題は、2013年の国会の国政監査と翌年のハンギョレの報道などで公論化した。米軍基地村周辺で売春に従事してきた女性122人は、2014年に国家を相手に精神的被害に対する損害賠償請求訴訟を起こした。今年1月、ソウル中央地裁22民事部(裁判長チョン・ジウォン)は、国家賠償責任の一部を認める原告一部勝訴判決を下した。

 

米軍基地村には人身売買された未成年女性たちも多数いた。国はこのような状況に目をつむり「米兵にうまく接待せよ」という教育ばかり行った。教育を始めた公務員らは基地村女性たちを「ドルを稼ぐ産業の担い手」と称えた。1970年代の東豆川基地村風景=ハンギョレ資料写真//ハンギョレ新聞社

ホ・ジェヒョン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

 

韓国語原文入力:2017-07-16 20:16
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/803017.html 訳M.C(773字)

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ひのもとまもる : 「ライタイハン」(라이따이한) 韓国軍がベトナムでしたこと

韓国人兵士がベトナム人女性を大量に強姦して産まれたり、韓国軍の従軍慰安婦として強制徴用された美しいベトナム人女性が産んだり、ベトナムで結婚した韓国兵との間に産まれた韓国人との混血児などを総称して「ライタイハン」という。
 韓国軍は、強姦した後、女性の容姿で選別を行い、不美人や年寄りの女性は両手・両足を切断して、火に放り込んで焼き殺したり殺す前に両手・両足を切断しておいて、死ぬまで強姦する「だるま」と彼らが読んでいる強姦・虐殺をしたり川へ投げ入れて強姦と虐殺の証拠を隠蔽しようと工作したケースもある。
 そして容姿が良いベトナム人女性や少女を強制的に従軍慰安婦として韓国軍は連れ回して、繰り返し強姦を行った。弱ったり病気になった女性は虐殺して処分した。
韓国人は、ベトナム人「従軍慰安婦を肉便器」と言ったそうだ。これは、出したい時に出せる(射精できる)という意味だとか。

以下記事より


ベトナム戦争が終わり、南北ベトナムが統一して既に四半世紀が通ぎた。そして韓国ではここ数年、あの戦争をめぐり長らくタブーとされてきた過去について、かつてない議論が進められている。その過去とは、ベトナム戦争に参戦した韓国軍によるベトナム民間人の虐殺問題だ。
最初にタブーを破ったのは、韓国のハンギョレ新聞社が発行する週刊誌『ハンギョレ21』だった。同誌は99年、韓国軍がベトナム戦当時に起こした虐殺事件について記事を掲載したのだ(5月6日号)。この記事を書いたのは、韓国人歴史研究者のク・スジョン。
彼女はベトナム戦争の韓国軍の残虐行為が記されたベトナム側の資科を入手し、韓国の市民団体の一行とともにベトナム現地で検証を始めたのだ。ある地域で、猛虎部隊(韓国軍部隊)等による1か月間の作戦で1200名もの住民が虐殺されたという66年当時のベトナム側の報告を紹介しながら、同時に生存者たちの証言に基づき虐殺の様子を具体的に描いている。
例えば、生存者の証言からは韓国軍による民間人虐殺の方法にいくつか共通した類型があったようだと、同記事には記されている。

以下、その部分を略して引用すると「大部分が女性や老人、子供たちである住民を一か所に集め、機関銃を乱射。子供の頭を割ったり首をはね、脚を切ったりして火に放り込む。女性を強姦してから殺害。妊産婦の腹を、胎児が破れ出るまで軍靴で踏み潰す。トンネルに追い詰めた村人を毒ガスで殺す等々」だ。
日本の戦争責任を追及してきた韓国の人々にとって、自国軍も虐殺をしていたのだという告発は、苦いものであったに違いない。
続いて同誌の2000年4月27日号には、住民虐殺を行なったという元軍人による加害証言が掲載された。戦争当時、一般住民とゲリラを区別するのは難しく、我が身を守るためには仕方なかったのだとその元軍人は述壊した。しかし同時に、今やその行為に罪の意識をもち、韓国政府がベトナムに謝罪し被害者に補償することを望むという彼の声も、同誌では伝えられた。

これと前後して米誌『ニューズウィーク』が「暴かれた英雄の犯罪」と題してベトナム戦争での韓国軍の虐殺問題を取り上げた(2000年4月21日号)。ク・スジョンらの調査を紹介しつつ、「8000人以上の民間人を殺した韓国軍の虐殺行為の数々」が明らかにされつつあると、7ページにわたり大々的に報じたのだ。
タブーであった虐殺事件についてのこれらの報道に対し、韓国国内では激しい反撃が起きた。同年6月27日には、ベトナム戦に従軍した退役軍人ら2000人余りがハンギョレ新聞社に乱入しコンピュータなどを破壊した。彼らは「大韓民国枯葉剤後遺症戦友会」のメンバーで、国のために闘った戦友を冒涜されたと激しく抗議したのだ。
ベトナムへの韓国人派兵は64年に始まり、延べで30万人以上の兵士を送り込んだ。米国に次ぐ大派兵であった。この戦争で約5000人の韓国人が死んだ。ハンギョレ新聞社に乱入した元兵士たちがそうであったように、アメリカ軍が散布した枯れ葉剤の被害に苦しむ元兵士らが、今も韓国には多い。
ベトナム戦争当時、韓国軍総司令官だった蔡命新は、先の『ニューズウィーク』でのインタビューで「誰に対しても償う必要はない。あれは戦争だった」と明言している。
アメリカ軍によるソンミ事件などの虐殺行為がベトナム戦争当時から国際的に批判を受け議論の的となったのとは対照的に、韓国軍による虐殺行為については、こと韓国国内では長く沈黙が保たれてきた。(中略)また全斗煥盧泰愚両大統領がベトナム戦争で武勲を挙げた軍人であったという政治事情もあり、ベトナム戦での過去は、韓国では幾重にもタブーであり続けた。しかし、冷戦終結と韓国の民主化により、このタブーは破られた。(中略)韓国の歴史教科書には、ベトナム戦争についてほとんど記述はされていない。中学生向けの国定教科書に記されているのは「そして、共産侵略を受けているベトナムを支援するために国軍を派兵した」の約1行のみだ。
(佐藤和「被害者史観韓国を揺るがすベトナム民間人虐殺の加害責任」『SAPIO』2001年9月26日号)


 1965年から1966年の間、プウエン省のタオ村で、韓国軍は、ほとんど大部分が婦人の村人42人を狩り立て、やがて小火器を浴びせ、全員を殺害した。
1966年1月11日から19日の間、ジェファーソン作戦の展開されたビンディン省では、韓国軍は300人以上の住民を捕まえ、拷問を加え、更にまた400人以上のベトナム人を殺した。
1965年12月から1966年1月の間に、韓国軍は、ビンディン省のプレアン村では数百戸の家々を炎上させ、一方キンタイ村を完全に掃討した。同じ省の九つの村々で韓国軍は、民間人に対して化学兵器を使用したのである。
1966年1月1日から同月4日までの間に、ブン・トアフラおよびヨビン・ホアフラ地方で、韓国軍は、住民たちの所有物を残らず略奪したうえ、住民の家やカオダイ教の聖堂を焼き、さらに数千頭の家畜を殺した。彼らは、また仏教寺院から数トンもの貨幣をくすね、それから人民を殺したのである。「ある村が、わが軍の支配下に陥ると、その次の仕事はベトコンから村人たちを分け離すことなのだ」こう言ってのけたという韓国軍将校の話しが引用された。
ナムフュン郡で、韓国軍は4人の老人と3人の妊婦を、防空壕の中へ押し込め、ナパームとガスで殺した。アンヤン省の三つの村では110人を、またポカン村では32人以上を、こうしたやり方で、殺したのである。
1966年2月26日、韓国軍部隊は、137人の婦人、それに40人の老人と76人の子供も一緒に、防空壕の中へ押し込めて、化学薬で殺したり、全員を盲にさせたりした。
1966年3月26日から28日にかけて、ビンディン省で、韓国軍は、数千におよぶ農家と古寺院を炎上させ、若い女性や年老いた女性を集団強姦した。8月までに、勇猛な朝鮮人たちは、ビンディン省における焦土作戦を完了した。
ブガツ省では、3万5千人の人たちが、死の谷に狩り立てられ、拷問を完膚なきまで加えられてから全員が殺された。10月には、メコン河流域では、裸で両手ないしは両足の19人の遺体が川から引揚げられた。これらは、いずれも陵辱された少女たちの遺骸であった。
この事件に先立って、同じ地域で共同作戦中の米軍と韓国軍が、昼日中に結婚の行列を襲い、花嫁を含め7人の女性を強姦した、との報道もあった。かれらは、結婚式に呼ばれた客の宝石を残らず奪ったうえ、3人の女性を川の中へ投げ込んだ。
放火、銃剣による突き殺し、拷問、強姦、強奪こんな記事は、ほとんど毎日のように続いている。母親の胸に抱かれたいたいけな乳幼児でさえも、非人間的な殺人行為を免れることができないのだ。これは、たった一都市に起きた南京大虐殺どころの話ではないのだ。これこそ、アメリカの新聞の力をもってしても、中国の南京で起こった話を語ることのできない、今日のベトナム民族大虐殺なのである。
つまり今日では米軍および韓国軍の検閲官が全強権を発動し、事実が明るみに出るのを妨げているのである。(中略)なぜ在ベトナム韓国軍がかくも攻撃的で残酷であるかという理由は、彼らが、アメリカが与えてくれた援助に対してお返しをするためであり、さらにまたそれは韓国民に対して彼らが、アジアにおいて平定の役割を演ずることができるのだという誇りと確信の感情を与えるためである、と1967年5月、ソウル政府当局は日本人記者に説明した。
(D.W.W.コンデ『朝鮮-新しい危機の内幕-』新時代社、1969年)


従軍慰安婦問題で日本に謝罪と賠償などと、聞いてあきれる。 
「あれは戦争だった」で済むなら、韓国はもうなにも言えない。

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現在は隠されていた悪事が白日の下に示される時である。

悪事とは、アダム家庭の犯罪、

すなわち、① 不信罪 ② 性犯罪、③ 殺人罪 ④ 強盗罪

韓国の悪事が世界中に知れ渡り、滅亡に拍車をかけることだろう。

 

 

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