10月1日、日本統一教会創立55周年記念大会」の後 「先輩家庭の集い」にて語られた御言葉から、以下のサイトより一部を転記する。
私の人生において、最近の二、三年ほど、
娘として真の父母様とともに過ごせた時間はありませんでした。
真の父母様と過ごす貴重な一瞬一瞬を通して、
多くのことを学ばせていただきました。
子女様はお父様ばかりか、お母様とも、親子の普通の関係で時を過ごすことがなかったようである。9番目にお生まれの御子女様にしてこのような証がなされることに、真の御家庭の中で育つことの難しさを思い知らされる気がするものである。
もう一つお話をさせてください。
それは秋夕直後に起きたことです。
姸進と情進夫婦、姸娥姉さん、恩進姉さんと私たち夫婦で、元殿に行きました。
そこで、私たちの先祖、そして聖和した兄弟姉妹・甥姪、
ですから孝進オッパ、興進オッパ、惠進オンニ、榮進
そしてすべての家族のもとにお参りに行きました。
お墓を一つずつ回りながら、祈り、私たちが体験したことは、
一言で言えば家族の愛でした。
涙が頬から流れ落ちながら、みなが胸にいだいた願いは唯一つでした。
先に去っていったみなが平安であること、
そして今、この地球にいる全ての人が平和と和合にあること。
遠い将来ではなく、私たちが生きているうちにそれが実現すること。
それが私たちの願いでした。
真のお母様は 、真のお父様のみ言をもとに、よくお話しになります。
「一人では、天国にいけない。
家族全体が一つにならないと天国にはいけない」と。
これは本当に真理です。
自分たちだけがいて、愛する人が共にいない天国なんて想像ができますか?
真のお母様は、私たちが一つの家族にならないといけないとおっしゃるとき、
それは全ての14人の真の子女を始め、全ての祝福家庭、
そして全ての万物までも含め、一つになることを意味しているのです。
私たちは、一つの幹から伸びている数々の枝なのです。
皆さんは、その幹から伸びているのです。
そしてその幹は、祝福の地に、真の父母様により、
しっかりと根を張っているのです。
お父様とお母様の完全なる統一とその種によら なければ、
何一つ生じることはなかったのです。
このようなお言葉は涙なしには語られなかったであろう。
特に
「一人では、天国にいけない。
家族全体が一つにならないと天国にはいけない」
と語られる時また、
「お父様とお母様の完全なる統一とその種によら なければ、
何一つ生じることはなかったのです。」
と締めくくられる時である。
私が子供の頃、母方の祖母が日蓮正宗の信者で、時折わたしに日蓮から連なるお坊さんの名前をたくさん聞かされたことがある。
つまり、日蓮の法灯の正統な後継者は誰であり今日に向かって脈々と伝えられてきたというお話であった。
禅なども同様なものがある。
これらのものは、善の天使が起こした宗教であり、基本的には相対者を持たない個人を対象にしたものであり、言いかえれば、個人の救いを求めてきたものである。
したがって、一代で断絶する定めにあるのである。
本来は血統的に継承されて行くはずであったものが、人類始祖の堕落によって愛統が断たれ、しかも、神を中心として一体化した理想相対という夫婦、さらにはその子女も含めた理想家庭という単位を最小単位として、継承されるべきものであったのである。
そこで、統一原理の立場に立つときには、常に中心人物を一人挙げるにしても、それは最低でも夫婦を指し、また実質的には家庭をまるごとひとつと見ていっているのである。
神の愛が家庭の構成員によってはじめて立体的に顕現することを考えれば至極当然の帰結である。
そこで、この世の宗教の世界では個人を中心に評価がされることが常であるが、われわれの世界では、厳密には個人の評価はあり得ないのである。
つまり、せめて夫婦や家庭をもっての評価しかあり得ないという結論に至るのである。
真の父母様による勝利圏の拡大によって、祝福家庭がある一定の規模になってくると、「私の誓い」という個人路程の宣誓文は改められ、本来神が願われておられた、神を中心とする理想家庭の完成完熟に向かって宣言する「家庭盟誓」に当然変わっていくことになるのである。
また、再臨主を迎えるべきキリスト教基盤が失われてしまったが故に、それに変わる統一教会が必要になってきたのであるが、イエス様は勿論創造本然の世界に神が抱かれたアダム家庭理想を成し遂げるために降臨されたのではあるが、殺害され子羊の婚礼の時を許されなかったために、イエス様を慕い求めて誕生したキリスト教も残念ながら、個人の救いを求める善の天使長的宗教形態を取らざるを得なかったのである。
そこで、我々祝福家庭に「私の誓い」を「家庭盟誓」に梶を大きく切って前進させてくださったように、これに対応して、組織も当然「世界基督教統一神霊協会」から「世界平和統一家庭連合」に変身せざるを得ないのである。
この辺りの基本的な宗教的理解がなされていないので、6500双の信徒においても、何故韓国と日本では異なるのか、二つあるじゃないかということになるのである。
単にこの世の法的拘束によって、本来の持つべき名称に変更できないだけのことなのである。
これをこの世で悪が心に住み着く者が見ると、何か悪さをして社名変更をして凌ごうとする姑息な会社のように映るから、人間というものはおかしなものである。
善進様が
「お父様とお母様の完全なる統一とその種によら なければ、
何一つ生じることはなかったのです。」
と語られているは一体どのようにわれわれはしっかりと受けとめなければならないのであろうか?
イエス様は語られたのである。(ヨハネによる福音書14章10節)
「わたしが父におり、父が私におられることをあなたがたは信じないのか」
これはイエス様が心ならず悪党どもに殺害され個人路程で御生涯を閉じられてしまったからである。
もしイエス様が生きて子羊の婚礼を挙げ御家庭を築かれていたら、さらにこのように付け加えられたことであろう。
「また、わたしが妻におり、妻が私におるのをあなたがたは信じないのか」と。
これが成約時代のメシア観である。
善進様は8月13日、世界戦略会議の開会式の辞で、お母様のご様子が変化したことに触れています。
「お母様が大変お変わりになったことに気づかれましたか? 身体的に変わられただけでなく、情的、霊的にも変わられました。」
謹んで申し上げるに
お父様が天に行かれたことから、地上におられるお母様に、その影響がはやくも現れているようである。何故一体化した夫婦は、霊肉共に変化するのであろうか?
「地上生活と霊界」には、
2 夫婦の霊人体
「愛の実を結んで、その夫婦が霊界に入るようになるとき、神様の永遠の愛の圏内に抱かれ、神様と一つの体になるのです。神様と一つになるのです。」(144-224)
3 結婚と霊界
「結婚はなぜするのでしょうか。神の形に似るためです。神様は、二性性相が合体した一律的な存在であり、その分性自体が男女であるために、彼らも合成一体化して種のようになって、神様の本性の位置に帰らなければならないのです。」(139-96)
「人間の生と霊魂の世界」には、
「霊界に行ってみれば、男性、女性が一人の大きな人に見えるというのです。」(P174)
「霊界に行けば、本当に一心同体になった夫婦は、いつでも男性が女性になり、女性が男性になることができるのです。「愛は一体」と言うでしょう。女性の心をのぞいてみれば男性が入っています。夫が入っているのです。神様の二性性相とちょうど同じです。性相と形状、それが分かれて出てきたのですから、その本体に帰るには愛の架け橋を渡らなければいけないでしょう。創造の基準が愛から始まったので、この架け橋を渡って帰らなければなりません。結局、終着点では神様のようになるのです。」
P199
というようにお父様は語られているのである。
結局のところ、お父様が語られる「統一原理」や造られた組織である「統一協会」の統一の真意が分からなければ、サタンの分裂攻勢の荷担を担ぎ、自らを滅ぼすことになるのである。
分裂原理や分裂協会は断じてあってはならないことなのである。
そこで本質的に見れば、継承ということも、これまでの宗教のように、個人レベルの継承というのではなく、家庭レベルでの継承になるのである。
どうして善の天使長レベルの継承問題に引きずり落とすのか、全くもって理解しがたいところである。
神山氏や彼の意見に同意する信徒には目を覚ましてほしいものである。
この家庭を代表するのが夫婦なのである。
お父様の中にお母様があり、お母様の中にお父様がある。
そこで後継者として亨進様が指名されながら、お母様を中心にやって行きなさいと言われるのである。
一体一如であられる。
霊界に行かれて全てを掌握されているお父様は、あえて霊現象に頼ることなく、あくまで原理に即して、お母様の霊人体に影響しまた現れて、蕩減を負わない役事をなされておいでなのであろう。
それにしても兄弟は何故お母様の変化を体重やスタイルや歩き方に求めたりするのであろうか?
もっと性相的な変化に着目すべきであろう。
14人目の御子女様はどなたであったか?というように
その意味するところを神に求めるというように
真のお母様は、私たちが一つの家族にならないといけないとおっしゃるとき、
それは全ての14人の真の子女を始め、全ての祝福家庭、
そして全ての万物までも含め、一つになることを意味しているのです。