原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

家庭連合のサンクチュアリ教会批判について  阿部氏は論理的説明に向いていないのでは?

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清平の忠母様の祭壇は撤去され、ついに文家の祭壇も撤去されてしまった。

孝進様を支えられた崔妍娥様は、女連のトップになられ、崔から文を名乗られ文妍娥として歩まれている。

最近は孝進様の想い出をお母様が語られてより、孝進様のことがちらほら語られることが多くなってきている。

孝進様は特にダンバリーの時期に後継者としての心情を立てられたが、無残にも我々食口の手によって打ち砕かれてしまった。

誰よりもお父様を愛し、誰よりもお父様を証ししたいと思われながら、それが許されぬ塗炭の苦しみの中で生きられた。

第二代の王として立つことを食口に掠奪され、心情はことごとく蹂躙された。

もしアメリカで多くの兄弟によるお父様への意見書が提出された時に、

それでも、孝進様とともに行くという忠臣の群が登場して、かえって孝進様を支えていたとしたら、その者達は孝進様にとって永遠の兄弟となり、また父の心を支えたことであろう。

だが、第二代の王としては立つことができなかった。

それ以降、当然の事ながら、第三代の王も・・・

崔妍娥様の献身的な歩みにもかかわらず、第二代無きままに

王統を現すことができなくなってしまった。

たとえ崔を文に変えてみたところで事情は変わりはしない。

我々全ての食口の罪である。

 

父を証さない祝福式は全てサタンの祝福式である。

したがって、堕落した天使長主導の祝福は、中間位置から神の所有となる祝福ではなく、かえってサタンが所有することのできるまた一つの条件を成立してしまうことになり、その懺訴を免れることができない。

そこで我知らずサタンの囚われの身になってしまった食口を本然の位置と状態に復元すべく天の恵みとして挙行されたのが、神と真の父の権威下に戻るための祝福であった。

 

家庭連合は祝福リングの内側にはお父様の名前は彫らず、

お母様の名前だけ彫られている。

性神である母の主導による祝福である証拠である。

もしそうでないとすれば、お父様の名前をわざわざ彫らないことがあろうか?

今まではリングの内側には何も彫られていなかったというのに。

決定的間違いだと感じているのであれば、そのような愚挙をなした愚か者を

家庭連合が断罪したことであろう。

だが、それさえできないことが、今日の家庭連合が

実際には独生女女性神神学を標榜する女性連合にすぎないことを

如実に物語っている。悲しいことである。

この世では、自動車に何か不具合が生じた際には、リコールが起こる。

メーカーは無償の修理をする。その数が数万数十万に及ぶことすらあっても、それは実行される。

食品でも瑕疵があれば回収され代金は返金される。

ましてや宗教上の極めて重要な意味のある祝福リングの内側にお母様だけの名前が、

燦然と刻印されたままの状態を放置し、容認していることこそ、

そこに、お母様の名前しか刻印してはならない事情があるからである。

お母様のみによる祝福であって、お父様を証しするものではないことを、

訂正変更し間違っていたと言えない家庭連合の罪がある。

女性だけで祝福は可能であるというのである。

回収してお父様のお名前も彫刻するということはなかったのである。

 

「亨進様ご夫妻の第二代王権戴冠式をさして

まるで、真の父母様の時代から亨進様ご夫婦の時代に移ったかのようだと疑問を持たれているようである。

その通りである。

家庭は祖父母から見れば、祖父母→父母→孫の三代によって完成される。

前世代のものが次世代のものに祝祷の祝福を捧げ、神の嗣業である心情と血統の相続によって神権が相続されるのである。

至極当然のことである。

では、家庭連合ではお母様が聖和された時には、誰の時代に移行するとお考えであろうか?

移行は必ずやって来るのである。

一代目から二代目を通り越して三代目を立てられるとお考えであろうか?

お父様は万一子女様のうちで一人もお父様の心情と血統を余すことなく相続するものが現れなかった時のために、信俊様が孫であるにもかかわらず、息子として入籍したのである。

孫であるにもかかわらず、息子のような立場でもある。

お父様が直接教育された御孫様どうしてなき者として見過ごすのか?

天下の真の父が何故このような前代未聞の役事をされたのか、

よくよく考えて然るべき事であろう。

 

 李鎬宅兄弟はサンクチュアリ教会の公式見解を表明しているのではなく、一信徒の見解を表明したに過ぎない。それにもかかわらず、サンクチュアリ教会の公式見解であるかのように糾弾するのは如何なものであろうか?

これも誤謬であり、意図的であれば個人の主張を教会の主張とする改竄と言われても仕方がないことであろう。

信仰者としてあるまじき行為である。

 

私個人的には李鎬宅兄弟は優秀な兄弟であると考えているし、今後の研究に大いに期待している。つまらないことで小さくまとまらず、神のためにこれからも精進されて素晴らしい成果を挙げられることを希望する。

兄弟が神から頂いた賜物を決して潰してはならない

まず、どれだけ兄弟が精誠を尽くしてきたのかを考えなければならない。

なあに、大きく失敗して大きく育てばいい。

私はそう思う。

 

亨進様は一貫して真の父母は一代限りのお方であるとされ、自分はその方によって指名された単なる後継者であると区別されて理解しておられる。

御父母様の価値は空前絶後であると考えているのは同じである。

人類始祖アダムとエバが堕落しなければ、戒めを守って完成したアダムとエバは真の父母となり、彼らの子孫もみな偽りではなく真の父母であった。

真などという言葉の必要すらなかったことであろう。

天一国主人、祝福の中心家庭となって大地を覆っていたことだろう。

 

家庭連合が将来孝進様のお子様を立てるなどする際には、彼らの主張が矛盾することになろう。

三代が一代の如く王として現れずしてどのような伝統を立てることができるであろうか?

すでに我々はその機会を破壊してきたのである。

お父様が孝進様とお子様の誕生をもって三代で揃って神に祈祷を捧げられた重要なときは過ぎ去ってしまったのである。

では、真の父母様が地上におられなくなったら、誰が後継者になるのか?

王位継承の順位もないのだ。誰が決めるというのか?

その正統性はどう担保するのだ。

この問いに家庭連合は自らの原理観から説明できなければならない。

 

聖婚問答についてはお父様がつくられたものをわざわざ変更する必要もない

天の父母様と呼ぶ時の動機が問題である。

男性格主体としてお呼びするべきである

 

サンクチュアリ教会の特徴として以下の事項を家庭連合はあげている。

 

,「新約的信仰観」に立ち「霊的傾向」が強い

,説教は真のお父様を語りながらも、主に「聖書」を引用

,「信仰」というものだけを重視する傾向が強い

4,神様と被造物である人間(例えばお母様)が神人合一できるとは考え難い

 

結論としてサンクチュアリは家庭連合からすると以下のように見えるという。

 

「信仰があれば神が奇跡をもたらし、信仰がなければ審判を受けるという、どちらかというと霊的メッセージです。」

 

それがどうだというのだ?

間違っているというのか?

また奇跡が起きるというような具体的な話しはしていないだろう。

 

そこで家庭連合本体に対するサンクチュアリの視点は次の二点になると言う。

 

「外的・人間的」に見える。

「律法学者やパリサイ人」と非難する。

 

これは反対派の牧師の主張に似ているという。

 

新約的な信仰観によって物事を判断し批判していると思われるという。

 

その結果、「お母様が独生女の立場、神様の立場である」ことを痛烈に批判しているという。

 

先ず言葉の定義から見ていかなければならない。

阿部氏の言葉の使い方は定義を省いていて極めて不親切である。

「独生女」の言葉についてサンクチュアリが否定する理由は、

「お母様は無原罪で生まれてきたのではない」という主張のためである。

お父様がそのように語ってきたことは、全ての食口の知るところである。

したがって阿部氏が批判する前に言うべきことは、

「お母様は無原罪で生まれてきた独生女です。」

或いは

「お母様は無原罪ではお生まれにならなかったが、お父様によって原罪が精算され、神様の立場になられた独生女です。」

のいずれの立場をとるのかはっきりさせないといけないだろう。

定義も明確にしないようでは、感情論に終始して議論の入り口で立ちどまったままで終わることになる。

阿部氏はお母様は胎中から無原罪で、お父様はイエス様に会って以来無原罪だとお考えであるのか?

独生女の定義をはっきりさせなさい。

 

 「霊的傾向」だって一体具体的に何を指すのか曖昧である。

だいたい家庭連合では「霊的」という言葉を使う時は、100%否定的な意味合いである。だから「霊的集団」などというのである。

 

原理講論は「聖書」の引用だらけである。

聖書の引用の何が問題なのか?

聖書の聖句を用いないで成約の説教をされている素晴らしい家庭連合の説教を

YouTubeにアップされてはいかがか?

何故、これほどたくさんの教会を建設しながら、教会の説教を万民に知らせることができないのか?

誇るべきものがないのではと疑問を抱かれないよう気をつけてほしいものである。

成約の説教なるものを徳野会長でも、誰でもいいから見せて頂きたい。

そうすればおっしゃられるように素晴らしいことが誰にも、一目瞭然であろう。

亨進様は毎週公開しておられる。

徳野会長もそうして全食口にたまには説教されてはいかがか?

 

新約の聖徒から我々が相続すべき事は、単純に3つである。

 

日々の生活の中での悔い改めであり、

日々の生活の中での神の導き対する感謝であり、

日々の生活の中での神に対する賛美である。

 

 

「信仰」というものだけを重視する傾向が強い

と言うが何がいけないのか?

それでは反対に、「信仰」を重視しない傾向とは何を指すのか?

あるいは「信仰」の他に何が満たされないと充分だと言えないと言うのか?

さっぱり分からない。

例えばお母様が神人合一できるとは考え難いというのなら、

同様に、

例えばお父様も神人合一できるとは考え難いということになろう

我々はそうは思ってはいない。

そもそも論理と言うことをご理解できているのであろうか?

我々よりも遥かに頭のいい人たちは顕進様のもとに行っている。

これでは彼らに説得も何も難しかろう。

 

さて、サンクチュアリ教会の信仰は新約レベルだという。

神人合一はキリスト教修道会の正道だと思うが・・・

私は十字架の聖ヨハネの精神的継承者を重視している。

兄弟達とその恩恵を分かちあいたいと思っている。

 

「ですから、サンクチュアリ教会から批判を受けないためには、私たちが彼ら以上に深い神体験により霊的なものを身に付けなければならないし、その土台の上に成約レベルの行動や生活を本質的なもので深める必要があります。」

 

その通りである。

 

つまり家庭連合の現状は、サンクチュアリ教会が既に身に付けている「霊的なもの」さえ未だ身に付けていないので、成約の信仰を築く土台さえできていないという嘆かわしい状況であるということの告白か?

われわれはまだサンクチュアリのレベルに及ばないと自認しておられるのである。

本気で我々を批判しているおつもりか?

我々を打てば打つほどぼろが出るではないか?

大丈夫かと心配すらしてしまう。

これが家庭連合の精鋭頭脳を結集してつくった動画とは驚きである。

 

霊的という言葉が否定的に使われたかと思えば、今度は肯定的に使われているようで、

わかりにくい話し方である。

 

サンクチュアリ教会のお母様に対する視点として家庭連合が指摘しているのは

 

「お母様は真のお父様にただ従う存在だ」

キリスト教パラダイム

と主張している。

 

これに対して、統一原理や御言葉からすると

 

「四位基台の無視」だという。

四位基台は神様の王国である天一国の基台

四位基台における真の父母は永遠の出発点

 

 さらに説明して

 

●真のお母様は、真のお父様の対象に立つと同時に

神の対象に立つ

(真のお母様は神様に直結する道を持っておられる)

 

●真のお父様の指示を受けると同時に

神様の直接の指示を受けられる立場

 

●神様は「二性性相の中和的存在」

男性的側面と女性的側面を持っておられ

その実体として顕現されておられるのが真のお父様であり、

真の御母様です。

 

と主張し原理原本を持ち出してきた。

 

①主体の位置の夫は主体である神と一つになって

その次に妻を完成させる

②対象的位置にある妻は

主体的な夫と一つになって

夫を完成させる

③夫と妻は息子と娘として生まれました。

各自父母に仕えることで成長して完成される。

④従って、夫は自分の母親に侍り、妻に仕え、

妻は自分の父親に侍り、夫に仕える。

 

 

このように

夫を通して妻が完成され、妻を通して夫が完成される関係であると主張する。

そこでは「夫婦」「父母」という概念が強調されていると解説している。

 

この御言葉の核心部分は、太字のところである。

妻を完成させる」すなわち妻は夫の指導によって完成するが

夫は妻の指導によって完成するのではない

「主体的な夫と一つになって

夫を完成させる」

 

そのようにお父様は言っておられるのである。

勿論、その前提が

「主体である神と一つになって

その次に妻を完成させる」

 

神   ←   夫   ←   妻

  絶対従順    絶対従順

 

神に対する愛で絶対従順している夫に

主体の位置にある夫を神の主体と同一視して

一つになってこそ妻は完成され、

夫も完成されるのである。

 

ところが、お母様は各位を離れてしまわれたのである。

お母様が対象の位置で一つにならなかったので

真の父母は完成することが一旦お預けとなってしまわれたのである。

 

原理原本をよく使われるが、私に貸しなさい。

正しく解説して差し上げる。

兄弟を誤った方向に導くのであれば

宝の持ち腐れである。

 

亨進様による先祖解怨式や先祖祝福式を批判しているが、亨進様はお父様が生きておられる頃に解怨の役事も祝福の役事もする権能をお父様によって許可されてきた事実がある。

お父様が生きておられる時にお母様が単独でされた例はない。

イサクの妻リベカによってエサウは祝福を受けたという話しはない。

亨進様は語られている。

三代王権・真の御父様に帰ろう!참아버님 문형진님 문신준님 !: 2015年9月13日説教 文亨進師 「バビロンの謎」【英語説教日本語訳】

 

 

(金孝南さんの写真を見ながら)

 
金孝南さんは隠されたリーダーの1人です。彼女は人々を操り、完全に人々から搾取していました。今、彼女の権力はなくなったにもかかわらず、人々に高額献金を要求し、霊界に家を買いましょうとか免罪符と同じようなことをしています。それは完全に異端です。
それ故に私達は数ヶ月以内にお父様が指示された210代までの先祖解怨を私達の責任として行います。私にはその権限があります。なぜなら、お父様が地上におられる時、お父様は私に先祖解怨の権限をくださったからです
お父様が生きておられる時、私は韓国の退役軍人に対して、それをしていました。私達は韓国中を回って、彼らの名前の書かれている石の所へ行って霊界にいる彼らを祝福しました。
 
私はそれに対して大金を要求することはありません。あなたがそれを望むなら、それに対する献金をする必要さえありません。それがどうしてかわかりますか。それは全てあなたと神様との関係によるのであり、あなたとお父様との関係によるからです。それは子供達を悪魔の搾取から解放することです。それを金集めの手段に使うとは、それは哀れな愚か者のすることです。

 

まさに真の父母様の御名によってなされたわけである

これに対して家庭連合はお父様の言葉を引用します。

 

「大母様の役事が終われば他の役事はない。私が霊界に行ったとしても、私の代わりに他の肉身を立てて役事することは絶対にない。」

成約時代の清平役事と祝福家庭の道109ページ

2000年2月14日発行

 

亨進様が役事して韓国を回られたのであり、解怨の権能を与えられているのである。

お父様が死んでから怪しげな人物を立てる必要がない。

何故なら、お父様が生きておられる時に亨進様に権能を与えられているのである。

210代が完了していない家庭のために、お父様が霊界から責任を持って食口のために亨進様に指示されているのである。

実際には食口の先祖に対する役事だ終わっていないのでお母様も始めるのではないのか?

お母様は一体だから他の肉身には当たらないと言うことか?

お父様が生きておられた時に実際に解怨の役事の権能を与えられて実行していたのは、亨進様であり、真のお母様ではなかった。

お母様はお父様が霊界に行かれた後に立てられた肉身ではないかと考えるものも出てくるかも知れない。

 

訓母は退任した。

しかし仕事は終わっていなかった。

大母様の役事が終わっていないので、誰かがやらなければならない。

そこで権能をお父様から伝授された亨進様がお父様の命令で始められるのである。

 

お父様の言葉を引用して、「御旨のために死のうという人」になりなさいと、

力説され、続いて顕進様と国進様が一体化しなければならないとする御言葉を紹介している。

果たして、家庭連合は御旨の核心である真の御家庭の完成のために、

このお二人のために何をされてきたというのであろうか?

御子女様が真の家庭の「四位基台」守り、新たな勝利の段階を形成するために

現在何をされておられるのかお伺いしたい。

もし、何もこのお二方に働きかけていないと言うのなら

どうして父の御言葉を胸に秘めていると言うことができようか?

せめて阿部氏の御子女様に対する命がけの覚悟を見せて頂きたいものである。

 

たとえ子女様に対して語られた御言葉であっても、自分との関係の中で

御言葉を消化したいものである。

 

家庭連合と阿部氏とそのスタッフに神の導きと祝福のあらんことを!

アージュ