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原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

顯進様はお父様をメシアやキリストや再臨主だと確信できませんでした 単なる優秀な宗教家でしかなかったのです

2011年7月 お父様の御言葉 

コディアック「盗賊認定」動画(2011年7月末) - YouTube より

 

「郭の家族、顯進サイドは、私の意にかなったことをしていない­­、君たちは、よく知っているだろう。」

郭家の家族は刑務所に行くようになるんだ。なぜかと言えば、彼らは真の父母に逆らい­­、真の父母が所有するお金を奪い、資産を奪い、企業を奪うからだ。
 それが、どこの国であったとしてもだ。アメリカであれ、モンゴル共和国であ­­れ、真の父母に所属するものを、郭ファミリーのように盗んでしまうものたちは、全部­、­刑務所行きだ。 」

 

「誰れが善い立場に立ち、誰が悪い立場に立たされているのかが、わかるだろうし、

天の父と霊界、自分の先祖に祈り求めてみなさい。

彼らが答えてくれるはずだ。

真の父母様が主人であり、主であり、メシアであり、救世主です、と。

それなのに、どうして、真の父母に対抗するのか?

 

以上のお父様の御言葉を整理すると

 

1,郭家と顯進サイドはお父様の意に反した泥棒行為をしている

2,お父様は主でありメシアであり、救世主である

3,郭家と顯進サイドは「反キリスト」である

 

 

 

つまり、顯進様の問題の本質は、お父様をメシアだと思っていないということです。
メシアだと信じていないばかりか、「反キリスト」だというのです。

 

残念ながら、現在まで顯進様はお父様を永遠にして絶対の再臨主だと確信することができませんでした。我々はどれほどその時をお待ちしたことでしょうか?

その悟りさえ掴めれば、お父様の血統と心情が爆発して、天の期待に応える歩みをされていたことでしょう。

だが、顯進様はお父様の指示に従わず、帰ってこられませんでした。

お父様をメシアだと思わなかったからです。

メシアとは神が使わされた絶対者です。

その指示がたとえ理解できなかったとしても

メシアから去ることは許されないことだというのです。

お父様が生きている期間に悟るべきでした。

 

我々食口は、お父様がメシアであることを絶対的に確信しています。

だが、私たちはお父様によって血統転換されたことを絶対基準で信じることが難しいのです。つまりお父様の子女、実子になったという確信が難しいのです。

 

子女様は私たちとは正反対です。もともとお父様の本当の実子であられるわけですから、お父様ではあるわけです。

ただ、食口とばかりいて、いつも家庭に家族といる父親ではなかったという意味では、複雑なところだったでしょう。

さて、このようにほとんど父親として接することがなかったお父様を、神が遣わされたメシアであると確信することは、大変なことのようでした。

亨進様もやはり悟られるまで、相当苦労されたようです。

ご存知のように禅の話に対するお父様の指摘を通して、

お父様は、怨讐感情が全く無いお方だと悟られました。

そして数年間お父様と生活して、あらゆる宗教指導者とは桁違いに別格の方だと確信され、七死八生の啓示で完全にお父様が永遠絶対のメシアだと悟られたのでした。

 

この悟りが顯進様には未だ見ることができません。

メシア観が不徹底だからです。

これでは後継者にはとてもなれません。

お父様の期待が大きかっただけにわれわれ食口の失望も大きかったのです。

どれほど、お父様が生きておられる内に戻って欲しかったことでしょうか。

言葉がございません。

 

洗礼ヨハネとイエス様は腹違いの兄弟でした。

神は御霊が鳩のようにイエス様に降りるのを洗礼ヨハネに見せて

イエス様がキリストであることを教えました。

 

顯進様と亨進様は実際の兄弟でした。

お父様は仁進様の証言にあるように、顯進様を含めた家族に

亨進様が後継者であると宣言しました。

 

洗礼ヨハネはイエス様とは行動をともにせず、悲惨な最後を遂げました。

顯進様もお父様とは行動をともにせず、今後の展開は心配なところです。

 

多くの三男派と呼ばれる人々は、神の選びを軽んじ、人間の選びを重んじているようです。

「顯進様を支持する」と彼らは言います。

人が支持してリーダーを決めるのは民主主義です。

神主義ではありません。

民主主義ではだめだとお父様はおっしゃるのです。

 

天聖経

真の父母 第3章 真の父母の必要性

八)選挙で選出できない真の父母

 
先生は、今まで家庭を探すのが大変で、教会を探すのが大変で、その次には、キリスト教の方向を定めるのが大変で、自由世界が滅びていくのを方向を定めるのが大変で、共産世界が滅びていくのを方向を定めるのが皆大変でした。
それで、文総裁をして、長子権が復帰されたのです。カイン・アベル歴史を知っているでしょう? 長子権が復帰されたというのです。本来、アダムが堕落しなかったら、アダム自体が長子権を持ったでしょう。また、アダム自体が真なる真の父母になります。その次には、アダム自体が王の中の王です。
人間が堕落によって何を失ってしまったか? 長子権を失ってしまいました。天地の大きな事業と財産を相続する、その長子の権限を失ってしまいました。誰のために? 悪魔のために! これを知らずにいました。それだけでなく、神様の愛と、神様の生命と、神様の血統を中心として、天地の創造主である父母に侍りうる、永遠な血族になるべきなのにもかかわらず、アダムが真の父母になるべき権限を失ってしまったことが分かりませんでした。そして、堕落しなかったら、一つの文化であったでしょう。アダム文化です。アダム一族です。こうすることによって、一つの王権が成されるのです。
民主世界というのは、杖と同じです。これは、兄弟主義です。民主主義というのは、兄弟主義です。兄弟が多いので、これを相続するように代表を立てようとするので、兄弟たちが皆集まって、より犠牲となり、より奉仕して、より伝統を立てうる人を取り出さなければならないのに、それが民主主義式です。
民主主義は、世界主義ですが、その上が父母主義です。これから、父母主義時代がやってくることを知るべきです。父母を選挙で選出しますか? 再臨主を選挙で選出できますか? 神様を選挙で採択できますか? できないのです。
民主主義は、不信の風潮を造成しうる基盤になっています。なぜ? 全部自分の利益のためには、ありとあらゆることを皆します。金力を動員し、人力を動員し、謀略、中傷など、ありとあらゆることを皆します。

 

人が亨進様をどう見るかは全く重要ではありません。

神が、また実体の神であるお父様がどう思うかが問題なのです。

兄弟が決める兄弟主義では滅びます。真の父によって後継者は決まるのです。

韓氏エバ文化ではありません。

アダム文化です。アダム一族です。

 

ダビデはどうだったでしょうか?

誰がダビデが選ばれると想像したことでしょうか?

亨進様はどうだったでしょうか?

誰が、また本人ですら選ばれると想像したことでしょうか?

だが、神は彼らを選んだのです。

悟りのないものは聞くがよい。

亨進様を神とお父さまは選ばれたのです。

 

参考のためダビデが選ばれた際の様子を書いた文章を

トム・ヒューストンの「ダビデ王」から以下に引用しましょう。

 

預言者サムエルは神の命令を受けた。ベツレヘムの地に赴き、その地の屈指の家柄を誇る一つの家族の中からサウル王の後継者を選ぶようにとのことだった。

 犠牲(いけにえ)の燃える強烈な臭いが辺り一面にただよっていた。

 肩幅が広く、背が高く、容姿の立派な男たちが一人ずつ預言者サムエルの前を通り過ぎた。

 立派な家柄を誇るエッサイの長男エリアブが石の祭壇の上の若い雌牛に近づいたとき、サムエルは「この男こそ・・・・神が選ばれた者だ」と思った。エリアブは、膝丈の上着の下で筋肉を脈動させながら、イスラエル王国の次の王を選んで油を注ごうとしているサムエルに、自信ありげに微笑みかけた。

 しかし、サムエルが油を入れた角を握りしめたとき、図らずも神の声が彼を制止した。

「容姿や背の高さに目を奪われるな。人は外見を見るが、わたしは心を見る」

 サムエルはやむなく、エリアブに立ち去るように合図した。エリアブは驚き、恐らく腹を立てて祭壇の傍らを通り過ぎたことであろう。

 父親のエッサイはアビナダブを呼び出した。サムエルは言った。「いや、主はこの者をもお選びにならない」

 シャンマが祭壇の傍らを通り過ぎると、エッサイは残りの息子たちを呼び出した。サムエルは言った。「いや、主はこれらの者をもお選びにならない」

 エッサイの息子たちが一人また一人、選ばれることもなくサムエルの前を通り過ぎるたびに、サムエルの言葉は儀式を行っているように規則正しく反復されるだけだった。

「あなたの息子はこれだけですか?」と、サムエルは手短に聞いた。

 エッサイは、ほとんど気にかけていないダビデのことを口にした。ダビデはまだ少年で、羊の番をしていたからだった。

 しかし、サムエルはエッサイの言葉をさえぎり、断固たる調子で命令した。

「人をやって、彼を連れて来させなさい。その子がここに来ないうちは、食卓には着きません」

 エッサイの七人の息子たちは、いぶかしげに顔を見合わせた。エリアブの顔には、いらいらした表情がありありと見えた。

 サムエルがダビデの来るのを待っている間、火の上の若い雌牛がジリジリと焦げ、その脂肪が熱した石の上に滴り落ちる音だけが聞こえていた。

 

 やがて、ダビデがやって来て、祭壇の前に立った。

彼は、ほかの者と同じように血色が良く、立派な目鼻立ちをしていた。彼はまた、ハープを巧みに弾き、話上手で、戦闘の経験こそなかったが、兄たちと同じように勇敢だった。

 主はすかさずサムエルに言った。

「これがその人だ。油を注ぎなさい ! 」

 預言者サムエルの注ぐ油は、ダビデの髪から地面に滴り落ちた。ダビデの指導者としての長い年月に渡る仕事は、まさにこの瞬間に始まったと言っていい。

 

 

 

神の目に適うことが何より重要なのであって、

人間の目にどう映るかはさして重要なのではない。

 

ほとんど気にかけていなかった進様。

 

亨進様は圧倒的に理解不能なお父様の振る舞いにもしがみついて

忠誠を果たされたのです。

決して逃げ出しはしなかったのです。

父とともにおられました。

 

 

 あなたの目は、

まだできあがらないわたしのからだを見られた。

わたしのためにつくられたわがよわいの日の

まだ一日もなかったとき、

その日はことごとくあなたの書にしるされた。

詩篇 139篇16節

 


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