原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

5,真のお母様を掠奪した天使長達の正体と陰謀  真のお母様奪還の為に食口が知るべき動機と経路  Ⅰ

www.youtube.com

 

お母様が行かれた道が前人未踏の険しい道であられたことに感謝と敬愛の心情をお捧げして、お母様をこよなく愛される亨進様の胸の内を理解しながら、我々の永遠の命のために心情の境を超えて行かれる文亨進様の説教を始めに見てみましょう。

 

絶対「性」や血統転換の話しの後なので真意がよく酌み取れることでしょう。

 

2015年9月16日 バビロンのミステリー

 こんにちは、皆さん。今日はバビロンのミステリーという題名でお話しようと思います。

ヨハネの黙示録17章1節から6節

1: それから、7つの鉢を持つ7人の御使いのひとりが来て、私に語って言った、「さあ、来なさい。多くの水の上に座っている大淫婦に対するさばきを見せよう。

2: 地の王たちは、この女と姦淫を行い、地に住む人々は、この女の姦淫のぶどう酒に酔いしれている」。

3: 御使いは、私を御霊に感じたまま、荒野へ連れて行った。私は、そこでひとりの女が赤い獣に乗っているのを見た。その獣は神を汚す数々の名で覆われ、また、それに7つの頭と10の角とがあった。

4: この女は紫と赤の衣をまとい、金と宝石と真珠とで身を飾り、憎むべきものと自分の姦淫の汚れとで満ちている金の杯を持ち、

5: その額には、1つの名がしるされていた。それは奥義であって、「大いなるバビロン、淫婦どもと地の憎むべきものらとの母」というのであった。

6: 私は、この女が聖徒の血とイエスの証人の血に酔いしれているのを見た。

 1節にでてくる“大淫婦”という言葉をギリシア語でみてみると、“ポルネイ”という言葉です。これは娼婦という意味であると同時に、異端となった共同体も表しています。4節を見ると、『この女は紫と赤の衣をまとい、金と宝石と真珠とで身を飾り、憎むべきものと自分の姦淫の汚れとで満ちている金の杯を持ち』とあります。

 キリスト教の歴史上、このバビロンのミステリーが誰であり、また何であるのか、多くの人が研究してきました。私たちも今の天宙的な状況の中で、お父様が聖和された後の裏切りの歴史をみながら、誰も想像もできなかった状況に全世界の統一家が直面するようになりました。

 私たちはお父様が聖和された後、お母様に言いました。「このような行いをされたら、審判を受けるでしょう。お父様を削除するのであれば、全世界から罵られます」。ですが、その後皇帝のような姿で現れました。

 その時、謙遜な妻として、夫であるお父様を高め、栄光を返す姿勢で、全世界万民と世界教会に自由と責任を与えたならば、お父様の聖霊の恩赦とお父様を称えるその声で驚くべき祝福の世界が来ていたのです。

 ですが、韓氏オモニは皇帝として現れ、漢南洞にあるお父様の写真を全て降ろせと言い、このような偽りの写真を掲げました。私たちはその目で、淫行を見たのです。また、今まで一度も着られた事のない、この偽りの服、紫の服と赤い冠、そして全身に金と宝石を施し、手には金の杯を持っています。

 この杯が何でしょうか?お父様は今まで一度もこの棒を持って、シックたちの前に現れることはありませんでした。ですが、韓氏オモニがこの杯を持ち、この杯は私が主体となる象徴であると現れたのです。

 

 誰も私の言葉に逆らうことは許さず、また、私の淫行に対して何の発言権もないという意味の現れである偽りの杯です。その杯を満たしている汚れた姦淫とは何か?その日、お父様を公式的に削除編集する行事がありました。

 

 彼らはお父様の天聖経を削除し、国進お兄さんが偽りの天聖経を韓氏オモニに渡す、そのような行事を予定していました。ですが、国進お兄さんが強く拒否したので、その行事は私たち不在のまま進行されました。

 この服は私たちも始めて見る服でした。たぶん、その偽りの行事のために作られたのでしょう。紫と赤、サタンの色、ヨハネの黙示録に出てくるバビロンの大淫婦の啓示、そのままの姿です。

 ヨハネの黙示録17章3節を見ると、その大淫婦は獣に乗っています。そして、“その獣は神を汚す数々の名で覆われ、また、それに7つの頭と10の角とがあった”とあります。

 (家庭連合のマーク) 本当に不思議です、、、。お父様が天宙的な力を持つ統一マークを定められ、天福宮の入り口に掛けて世界に堂々と統一マークの力を示されました。ですが、韓氏オモニはお父様が立てられた息子たちを首にした後、この家庭連合のシンボルを掲げました。

 皆さん、これをよく見なくてはなりません。この中に頭がいくつありますか?6つのように見えるでしょう?ですが、よく見てください。頭がもう一つあります。このおかしな太陽、異邦神のようにみえる、この太陽がもう一つの頭です。

 この太陽のような頭をよくみてみると、ヤギの毛のようなものと角のような、、、太陽にしては変な感じを受ける、神のような、頭です。それを全て合わせると、7つの頭が浮かび上がります。

 また、この手をよく見てください。手が手のように描かれておらず、動物の角のようです。この角を数えてみると、10つあるのです。ここでまたヨハネの黙示録に戻ると、その獣には7つの頭と10の角とがあり、また、神を汚す数々の名で覆われていたとあります。

 この獣、この組織の中にある名前とはどういったものがあるでしょうか?天のお父様、お父様を削除する、神聖を冒涜する名前でいっぱいです。善良な志で家庭連合は存在していたのですが、お父様を神聖冒涜し、統一マークを削除し、韓氏オモニの裏切りの後、この獣を掲げたのです。7つの頭と10の角をもつ獣。その組織の中にある名前がメシアの神聖を冒涜しているのです。

 ヨハネの黙示録17章6節を見ると、『この女が聖徒の血とイエスの証人の血に酔いしれているのを見た』と、あります。この組織は人を利用し、お父様を尊敬し高める者たちを攻撃する獣となってしまいました。お父様の神聖を冒涜する獣。サタン家庭連合、サタンを中心とする家庭が連合し、キリストを証す聖徒たちを攻撃し殺そうとする獣だというのです。

 5節を見ると、『その額には、1つの名がしるされていた。それは奥義であって、「大いなるバビロン、淫婦どもと地の憎むべきものらとの母」というのであった。』と、あります。この内容がとても気になり、バビロンとは何のことだろうと、古代ギリシア語を調べるようになりました。

 バビロンとは、神々の門という意味です。神々が出てくる門です。神様が出てこられる門ではなく、“神々”が出てくる門だというのです。唯一神、神様が出てこられる門ではなく、異邦神たちが出てくる門。これが、バビロンの意味です。

数ヶ月前に、私が皆さんに何と言いましたか?私たちは当時、オモニに「お父様のみ言葉を修正してはいけません」と言いました。オモニがお父様のみ言葉を修正するならば、次世代もまた同じようにお父様のみ言葉を修正するでしょう、修正してもいいのだと思うでしょうと、言いました。

 唯一神神様、一主体が突然、天のお父様お母様と、主体が二つとなり、神様の中に二つの主体が存在する、このようになってしまうならば、未来の愚かな後孫が自分も神であると、神から生じた自分も神であると、そのような見解を必然的にもつようになってしまうというのです。

 唯一神から離れ、2つの神が家庭連合では現在存在していますが、後の代、3世4世5世の代になれば、より多くの神たちが現れるのは言うまでもないことです。多くの愚か者が現れ、「私もメシアである、神である」と、いい始めるのです。キリストの重要性と唯一の価値を忘れるならば、誰もがメシアとなり、神となり得るのです。

 これは、異邦神宗教です。世界にあるいろいろな宗教をみるとき、ほとんどの宗教であなたも神になることができると唱えます。このような修行や儀式をしたら、偉大な悟りを開いたら、神になれると教えるのです。私はそのような人々に会いました。この世界で悟りを開いたといわれる方たち、有名な瞑想家たち、数万名の信徒がいるヨガ僧など、多くの人にあいました。

 それらの人々が言うには、「自分も神になった」。ですが、その人々の姿は決して神ではありません。人としての暮らしをしています。そのような世界に入るならば、誰もが神だと言うわけです。終わりがないのです。

 唯一なる神様から、異他神2つが生じるならば、いずれ3つの主体が現れるようになります。その後、4つの主体、5つの主体と、増え続けるのです。行けば行くほど、一般市民が神のように侍らなければならない人々が増え続けるのです。そして、人間と神様が分離され、サタンに従うようになります。

 なぜ韓氏オモニがバビロンのミステリーの大淫婦となったのでしょうか。淫行をした大淫婦です。バビロンの門を開き、神様から離れ、自らが神だと言いました。その門を開いたので、これからは堕落した子女たちが現れ、自らを神だと主張するでしょう。私が保証します。

 一度神様から離れてしまえば、サタンの懐に行く道しかありません。皆さん、考えてみてください。神様の創造の歴史上、誰が一番初めに自らが神になることができると考えましたか?サタン。ルーシェル。ルーシェルは「私も神になることができる」と考える宗教の創始者です。

 キリストの重要性が何ですか?数千年の間、なぜキリスト教徒たちはその基盤を通じて、キリストお一人をメシアお一人を待ち焦がれて来たのですか?なぜ、その基盤の上に再臨主が来られるのですか?なぜ、異邦神の基盤の上に来られないのでしょう?なぜ、数千年の間、ただお一人を待ち焦がれたその基台の上に来られるのかというのです。

 キリストの重要性を忘れてしまうならば、サタンの宗教に行くしかありません。キリストをつかんで、真の新郎と出会うことができなければ、私たちは自らが神になることができると、考えるようになります。そして、そのように神になった自分が、善悪を定義することができると考えるのです。

 そうすると、数々の神たちが主張する善悪の基準が生じ、そこにはサタン世界、地上地獄が現れるようになります。善と悪を分離することのできない世界です。混乱の中で堕落していく世界です。

 

 なので、神様はお一人でなければならないのです。全ての聖書の歴史は、唯一神、神様お一人に侍ってきた歴史ではないですか。神様がお一人なので、善と悪がきちんと整理されています。神様お一人を知るようになれば、自動的に善と悪を知るようになるのです。

 いろんな神様がいて、それぞれ善と悪の基準が違うのならば、一体善悪とは何なのか分からないのです。それが正にサタンの罠なのです。「偉大な悟りを開いたら、私たちは皆神となることができる。」よく見れば、全ての異邦神宗教には全く同じメッセージがあるのです。

 それが何かというと、あなたも神となることができると信じろということです。いろいろな姿形で違うように装っていますが、根本的なメッセージは同じなのです。根本的なメッセージを見るとき、皆同じ宗教なのです。それが何ですか?「あなたも神となることができる」 誰がその宗教の創始者だと言いましたか?サタンです。

 韓氏オモニがこのような裏切りをした後、バビロン、神々の門を開けたので、これからはあらゆる淫行と悪霊がその門を通してくるようになるのです。これからは、善と悪を分離することができなくなります。お父様を削除することが誤りである!お父様を無視することは間違っている!と言うことができないのです。

 悪は善のように正当化され、それに反対し、これは間違っているという信徒たちの血を飲み、キリストについて言及するその輩たちが悪いと言い、結果的に善が悪のように見せるのです。まさにヨハネの黙示録のその内容です。

 5: その額には、1つの名がしるされていた。それは奥義であって

これを誰が知り得たでしょう。奥義であったというのです。50年の間、お父様に侍り続けながら、心の奥底に大きな秘密があったのです。その秘密とは何か。「お父様のために皆が集まると思いますか?私がいるためにこの教会は滅びないのだ、私が居るから、この教会は成功しているのだ」 

 バビロンの秘密です。「私が清い血統であるために、お父様を救った、お父様の淫行を防いだ」という、このような秘密です。「実は私が独生女、メシア、神なので、お父様は成功することができる。」 

 「大いなるバビロン、淫婦どもと地の憎むべきものらとの母」というのであった。

なぜ、憎むべきものらとの母というのですか?母は子供たちを産みます。この秘密でもって、お父様を削除し、お父様が聖和されてすぐに復讐を始めたのです。この秘密でもって自らを神と称し、それをスタート地点として、その母の霊的な子宮からでてくる者たちは、お父様を憎む者たちなのです。

 その秘密を宣布し、サタンたちと手を組み、お父様に復讐しようとたくらみ、悪の世界を作ろうとする淫行を始めたので、3年の間にすでに全世界の教会が滅んだのです。祝福ではなく審判が来たのです。

 お父様のみ言葉で世界を変えることのできる段階まで来たのに、、、。お父様が私たちを立てられたとき、韓国と日本の基盤が本当に強くなったのです。国家を動かすことのできる基盤を神様が準備されていたのに、3年の間にそれが全て消えて行きました。バビロンの秘密のためにです、、、。

 6: 私は、この女が聖徒の血とイエスの証人の血に酔いしれているのを見た。

ヨハネの黙示録をみると、彼らは一般人の血を飲むことはしません。この大淫婦と悪魔たちはどのような血に酔いますか?聖徒達、、。イエスの証人たち、、。お父様は再臨のイエス・キリストである主張する聖徒達の血に酔いしれる悪魔たちなのです。

 お父様がこの宣布をされながら、「代身者相続者は文亨進である。その他の人は異端者であり爆破者である」と言われたとき、一体誰が、この異端者爆破者が韓氏オモニであると考えたでしょう?一人としていなかったのです。その秘密をとてもよく守ったのです。お父様を愛する心ではなく、詐欺であり淫行であるその秘密を、、。お父様を消し去り、自らの栄光を追求する偽り!!異端者爆破者、、、。韓氏オモニがバビロンの大淫婦となりました。

(原理の四位基台の図)

 指導者たちが学んでいる原理のテキストです。今や、この堕落した獣、7つの頭と10の角を持つ獣、神様を汚す名前で満ちているこの獣の中で、一体どんなことを教えているのでしょう。

 指導者たちの教育内容の中の4位基台の図を見てみてください。神様から降りた、この主体の位置に誰がいますか?エバが主体の位置にいます。また、アダムは対象の位置にいます。ですが、原理では全く逆に位置されているのを皆さんもご存知でしょう?

 お父様は92歳の生涯、アダムが主体であり、神様はアダムの体を使われエバを愛されるといわれました。ですが、7つの頭と10の角を持つ獣の中では、このように(4位基台の図を指されながら)原理を教えているのです。目で見てとれますね?

 その一箇所だけではありません。また、妻が主体の位置に置かれています。夫は対象となってしまいました。これを見ながら何も考えない愚か者は、お父様を信じる者ではありません。これを見ながら、もし専門家でなかったとしても、これはちょっとおかしいということのできない人は愚か者です。

 原理を一度でも聞いたなら、神様の原則と三位基台について学びます。そこでは、アダムとエバの責任を定義し整理します。また、主体と対象の授受作用について話します。その内容を完全に逆さにしてしまったのです。

 私は笑いしかでてきません。非常に馬鹿げています。サタンの淫行を正当化するために、お父様のみ言葉だけでなく、今や原理までも完全に180度、変えてしまいました。真のご父母様生涯路程の講師の教育教材でも、全く同じように出ています。

 お父様が生きていらっしゃる時、韓氏オモニはお父様の玉座に座ることができないので、原理の中で、神様の神聖を冒涜する偽りの者たちが、神様の原理原則を完全に変え、エバをお父様の玉座に座らせたのです。

 そして、ある人がこれを見ながら「キリストになぜそのようなことをするのですか」と尋ねたならば、「お前が問題である、お前は何者だ?!」と、審判を受ける悪の文化。天のお父様!!と叫ぶことのできない文化。

 ここまで酷い異端はあり得ません。(原理教材を連続で見せながら)ここでもまた出てきます!またです!!「愚かな天一国の市民たちよ、これでも食らえ」と言っているようです。お父様を裏切った者たちの詐欺行為です。神様の神聖を冒涜する偽りの者たちよ!!あなたたちの考えは手に取るようにわかります。

 『平和の主人、血統の主人』。8大教材教本にこのような薄い小さな本を含まれました。その中でお父様はどう仰いましたか?

私もこのようにみるとき、心配がありません。アメリカを捨てていくのに教材を作りました。オモニの教材であり、皆さんの教材です。オモニができないならば、間違ったならば、「オモニ、悔い改めなければなりません。もう一度私から祝福を受けなければ生きる道がありません」ということのできる皆さんとならなければなりませんオモニをもう一度祝福することのできる教材がでたので、訓読会の先祖は皆さんしかいません。2世が家庭訓読会のリーダーとなるのです。そうでなければ、誰もそれをすることができません。

 どのような2世ですか?お父様を売る2世ですか?そのような偽りの2世たちは裏切り者であり、詐欺師たちです。お父様に服従する2世たち、そのような息子娘たちが家庭訓読会のリーダーとなるのです。お父様はこのように直接み言葉をされました。

 その後、詐欺師たちが改竄をし、出版したのです。

アメリカを離れながら教材を作りました。それは皆さんの教材です。

 何かが抜けていますね?お父様のみ言葉をもう一度みてみましょう。

アメリカを捨てていくのに教材を作りました。オモニの教材であり、皆さんの教材です。

オモニが抜けているのです。

そして、続いて、、

皆さんのアボジ、オモニが間違ったならば、「アボジ、オモニ。悔い改めなければなりません。私を通してもう一度祝福を受けなければ生きる道がありません。」ということのできる皆さんとならなければなりません。アボジ、オモニをもう一度祝福することのできる教材がでたので、訓読会の先祖は皆さんしかいません。2世が家庭訓読会の指導者となります。

 このような詐欺をみたことがありません。お父様が非常に明確にみ言葉をされました。彼らは自らが神となることができると考えるので、再臨主メシアのみ言葉を修正し、オモニへの警告、お父様がお母様に与えた警告、それを全て削除し、アボジ、オモニが悔い改めなければならないと、偽りの内容を付け加えたのです。

 これは何の悪戯ですか!?一体何の遊びですか!?神様と遊んでいるのですか?真っ黒なサタンと遊んでいるのですか?

ヨハネの黙示録17章

14: 彼らは子羊に戦いをいどんでくるが、子羊は主の主、王の王であるから、彼らに打ち勝つ。また、子羊と共にいる召された、選ばれた、忠実な者たちも勝利を得る。

15: 御使いはまた、私に言った、「あなたの見た水、すなわち、淫婦のすわっている所は、あらゆる民族、群衆、国民、国語である。」

 バビロンの淫婦が何をしますか?“彼らは子羊に戦いをいどんでくるが” キリストと戦争をします。キリストを殺そうとします。キリストを消し、削除しようとするのです。ですが、どうですか?『子羊は主の主、王の王であるから、彼らに打ち勝つ。また、子羊と共にいる召された、選ばれた、忠実な者たちも勝利を得る。』 アジュ!!

 キリストに従う人々を決して殺すことができません。この詐欺師たちよ。私たちは自らの位置をよく知っています。キリスト無くしては、私たちは何でもないということを知っているのです!!なので、私たちに勝つことはできません。

 『御使いはまた、私に言った、「あなたの見た水、すなわち、淫婦のすわっている所は、あらゆる民族、群衆、国民、国語である。」』 私たちに法的な攻撃をし、バビロンの淫婦がついにお父様の玉座に座るようになりました。真実は真実です。真実は何ですか?お父様の玉座に座る堕落したバビロンの淫婦、、、。

 ヨハネの黙示録18章

2: 彼は力強い声で叫んで言った、「倒れた、大いなるバビロンは倒れた。そして、それは悪魔の住む所、あらゆる汚れた霊の巣窟、また、あらゆる汚れた憎むべき鳥の巣窟となった。

 これは、正に清平のことです。それは悪魔の住む所、あらゆる汚れた霊の巣窟、また、あらゆる汚れた憎むべき鳥の巣窟』となったのです。あらゆる汚れた者達が集まる所、、、。神様を銀30枚で売る詐欺師たち、、。あらゆる汚れた悪魔、霊たちがいる獣たち、、、。

3: 全ての国民は、彼女の姦淫に対する激しい怒りのぶどう酒を飲み、地の王たちは彼女と姦淫を行い、地上の商人たちは、彼女の極度のぜいたくによって富を得たからである。」

 『地の王たちは彼女と姦淫を行い、地上の商人たち』 商人たち、商人たち、商人たち!!金で主を売る商人たち、、、。淫行を行った詐欺師たち!!己の金のために、淫行を働く詐欺師たち、、、。

(韓国のリーダー達の写真を見せながら)彼らは商人たちです。

(若い韓国のリーダー達の写真を見せながら) 今や、2世たちも仲間入りしてしまいました。自らを2世だと言うなというのです。お父様を売る商人たちです、、、。シックたちの血を飲みながら、富を手に入れ栄光を受けたがる商人だというのです。

(金孝南の写真)詐欺師、金孝南、、、。

(ピースTVの社長キム・ソクビョンの写真)キム・ソッピョン、、。

(ピーター金の写真)キム・ヒョユル、、、。

(金マンホの写真)キム・マノ、、、。

 オモニを利用して己の金を蓄え、主が聖和されてすぐ、己の金のためにシックたちを奴隷とし、王として暮らそうとする商人たちです、、、。原理までも修正し、お父様のみ言葉を削除し、韓氏オモニを道具として利用し、淫婦として利用し、己の勢力を強めようとしているのです、、、。シックたちを奴隷とし、、この詐欺商人たちめ!!!!あなたたちの企みは手に取るようです、、、。

ヨハネの黙示録18章

4: 私はまた、もう1つの声が天から出るのを聞いた、「私の民よ、彼女から離れ去って、その罪にあずからないようにし、その災害に巻き込まれないようにせよ。

5: 彼女の罪は積もり積もって天に達しており、神はその不義の行いを覚えておられる。

 天一国の市民たちよ。あなたのお父様、神様はあなたを呼んでいます。「私の民よ、彼女から離れ去って、その罪にあずからないようにし、その災害に巻き込まれないようにせよ。

6: 彼女がした通りに彼女にし返し、そのしわざに応じて2倍に報復をし、彼女がまぜて入れた杯の中に、その倍の量を入れてやれ。

7: 彼女が自らを高ぶり、ぜいたくをほしいままにしたので、それに対して、同じほどの苦しみと悲しみを味わわせてやれ。

 これは、神様のみ言葉です。私の言葉ではないのです。神様が民たちに語られたみ言葉です。『自らを高ぶり、ぜいたくをほしいままにしたので、それに対して、同じほどの苦しみと悲しみを味わわせてやれ。』 これは天一国の民の責任です。苦しみと悲しみを味わわせてやる責任です。真実をいう責任。真理を宣布する責任と勇気。バビロンの淫婦が現れたとき、民たちにこの責任があるのです。 

ヨハネの黙示録18章

7: 彼女が自らを高ぶり、ぜいたくをほしいままにしたので、それに対して、同じほどの苦しみと悲しみを味わわせてやれ。彼女は心の中で「私は女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない」と言っている。

 バビロン淫婦が心の中で言ったのです。私は女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない」!!!自らをやもめではなく、女王だと言ったのです、、、。夫のために悲しむことはないと言いました。

(お母様がお父様の王衣をのせた椅子の横に座っていて、お母様は王冠をかぶっておられるが、お父様の王衣の上には王冠が写っていない写真)

お父様の王冠はどこにありますか?お父様の王冠が無くなってしまいました、、、。お父様は売ることのできる安物と化してしまいました、、、。博物館の中の物品と化してしまいました、、、。なぜでしょう?私は女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない

 お父様は物ではありません。お父様は生きておられる神様、キリスト、再臨のイエスです!!!アジュアジュアジュ!!また、信仰者たちを消すことはできません。日毎に真なる信仰者たちが悟っているのです。あなたたちの詐欺をみています。あなたたちがバビロンの淫婦を作り上げ、7つの頭と10の角をもった獣に乗っているのを見て取ることができます。

 最も重要な祝福の指輪、永遠の誓いの指輪からもお父様が消えてしまいました、、。お父様を殺しました。

 韓氏オモニのリーダーシップをみると、

*天聖経の80%が変更修正。

天一国国歌、変更。

*家庭盟誓変更。

*聖婚問答変更。

唯一神から多神教神学へと変更。

*偽りの憲法委員会で原理講論排除。

*信仰的に従順的な対象の立場から離れ、主体になろうとする。

  原理本体論の立場を離れ、自らが天のお母様、メシア宣布

*メシアの血統に先立ち、堕落した韓氏の血統を立てる。

*真のお父様の玉座を奪う。

*真のお父様の血統を祝福から除去。

 皆さん、これをはっきりと知らなくてはなりません。韓氏の血統はどのような血統ですか?それはメシアの血統ではありません。韓氏の血統はサタンの血統です。全ての1世の血統はサタンの血統ですが、韓鶴子、韓氏の血統は純粋なサタンの血統です。なぜだと思いますか?

 メシアは真なる血統を持ってこられ、サタンの娘まで浄化することのできる血統の力を持っていらっしゃるのです。サタンの血統を清算することのできる神様の血統をもっていらっしゃいます。なので、メシアは来られるとき、中間のうやむやなサタンの血統をもった女性を選ばれません。純粋な悪の血統を選ばれ、その血統と共に暮らしながら、神様の最大の敵と結婚されるのです。

 お父様は天聖経で、オモニが失敗すれば、イギリスの女王の血統の女性と結婚しなければならないと仰いました。なぜ、イギリスの女王の血統の女性と結婚しなければならないのだろうと、多くの人が不思議に思ったことでしょう。

 ですが、イギリスの女王の血統を知っている人は、その血統がトランシルバニアのゲルマンの血統であり、その血統を辿っていくと、エジプトの王たちに繋がるということを知っています。神様の選民を殺そうとした血統に辿り着くのです。最も純粋な悪なる血統に繋がるのです。本当に不思議です。なぜお父様が雀(チェ)氏を選ばれ、韓氏を選ばれたのか、、。また、それらの血統が失敗したら、イギリスの王の血統と結婚しなければならないのか、、、。

 なぜ、お父様は日本の女性は韓国の男性と結婚しなければならない、恩讐を愛し結婚しなければならないと仰り、それを進行されながら、「私もお前たちがすることは全てしたのだ」と仰いましたか?お父様は全てされたのです。全て、、、。皆さんはご存じなかったでしょうが、お父様は全てされたのです、、。

 神様の最大の敵、純なるサタンと結婚しなければならなかったのです。神様を最も憎む血統!!姦通の血統、堕落の血統、、、。30%?50%?80%でもなく、最も純なサタンの血統です。再臨主が最も悪なるサタンの血統を浄化されながら、中間の血統たち全てを浄化することのできる力があるということを、見ることができるのです。

 これを理解すれば、お父様に乗って完成の段階直前まで来た韓氏オモニが、お父様が聖和された後、何をしなければならなかったのか、はっきりとしてきます。韓氏の血統が純なるサタンの血統であることを理解すれば、オモニは何をしなければならなかったのでしょう、、。自らの血統、先祖を捨て、それはサタンの血統であると言い、お父様の種から出る血統を、お父様が選ばれた血統、カインとアベルを選択しなければならなかったのです。

 韓氏のサタンの血統ではなく、お父様の血統、メシアの血統です!!お父様の前に従順し、自らの正体性と、栄光の対象であった先祖を捨て、メシアをつかまなければならなかったのです。

 国進兄さんもこのように言いました。「本来ならば私ではなく、お母様がメシアの血統に王冠を被せなければならなかった」 もし、それができたなら、お父様の血統を高めたなら、お父様の選ばれたカインとアベルを信じ、お父様に栄光を返していたなら、審判ではなく、祝福が来ていたでしょう。

 天使長たちを監獄に投じる時代、民が奴隷ではなく、主人となる時代が到来していたのです。ですが、韓氏オモニの堕落によって、韓氏堕落の血統を高めるほど、主人とならなければならない民は奴隷となり、奴隷とならなければならない天使長たちは主人となる、サタンの地上地獄の役事を3年の間、皆さんは目撃してきました。

 そして、その後一体どうなるのでしょう、、。ヨハネの黙示録18章をみれば、恐ろしいみ言葉がでています、、。

ヨハネの黙示録18章

8: それゆえ、さまざまの災害が、死と悲しみとききんとが、一日のうちに彼女を襲い、そして、彼女は火で焼かれてしまう。彼女をさばく主なる神は、力強いかたなのである。 9: 彼女と姦淫を行い、ぜいたくをほしいままにしていた地の王たちは、彼女が焼かれる火の煙を見て、彼女の為に胸を打って泣き悲しみ、、

 お父様を裏切ると、恐ろしい現実が待っているのです、、。

 

1,真の母とバビロンの大淫婦

亨進様は黙示録のバビロンの大淫婦の話しをされました。

エバが主管性転倒し、対象ではなく主体として振る舞う話しでした。

新約にはそのような記述がありますが、旧約を代表とするユダヤには何か関連する物語はないのでしょうか?

 

「図説 聖書人物記」R.P.ネッテルホルスト著にはこんなことが書かれています。

 

図説 聖書人物記

図説 聖書人物記

 

 

 8世紀から11世紀に書かれたユダヤ教文献『ベン・シラのアルファベット』では、アダムの最初の妻はエバではなくリリスだとされている。この伝説によれば、リリスはアダムと同時に塵から造られたという。リリスはアダムと対等の立場を主張し、アダムと寝る(アダムの下になる)のを拒否した。アダムがリリスを自分の意に従わせようとすると、リリスはアダムのもとから飛び去り、最後は悪魔の仲間になってしまう。悪魔たちとの間に何百人もの子供をもうけたリリスに、神は3人の天使を差し向けた。天使たちは、アダムのもとに戻らなければ毎日100人の子供を殺すとリリスを脅した。だが、リリスは脅しに屈せず、アダムとエバの子供を殺してやると言い返し、アダムのもとに戻ることはなかったのである。

 

お父様はかってエバが堕落した時に神にはそれを取り戻す選択肢が二つあったというようなことを語られたことがあります。

ひとつは、ゼロから別のエバを造ることで、

もうひとつは、堕落したエバを復帰する道でした。

心に引っ掛かっていた言葉を上述の内容は思い起こさせてくれます。

 

リリスであれ、エバであれ、女性がアダムと対等を主張したり、主体であることを主張したりして、主管性転倒する罪の重さを我々に考えさせる内容です。

「私はアダム(男性の皆さん天使長ではない)より正しく、アダムより物事をうまくやってのけることができます。」

 

ラケルはラバンの家の守り神の偶像を尻で主管して隠し、

ラバンとヤコブが和解できるように、この偶像との交換条件で取引をしました。

尻で、絶対「性」でサタンの化身のラバンを征服しました。

夫を主体として支え、その高貴な女性の伝統はチッポラにも見られました。

アブラハムが神と契約して選民となる条件の割礼、絶対「性」を死守すべく

モーセの子が未だ割礼を施していないことをモーセにかわって悔い改めて、モーセを殺そうとした御使いの前で割礼をして、その皮をモーセにあてがい、「あなたこそ血の花婿」というように、絶対「性」の血統を重んじる信仰を表しました。

神と交わしたアブラハムの契約では、神の民は生まれて8日目に割礼をしなければならないからです。

サラは二度もサタンの化身の王たちに妹として捕らわれ妻として現れ万物を復帰してサタンのもとから帰ってきました。

懐に抱かれたような婚約期間に立ち戻り、そこから戻ってこなければなりませんでした。

初臨の主の花嫁も、再臨主の花嫁も、主の対象として絶対「性」に対する信仰に勝利して、主体である夫を誰よりも支えなければならないことを、聖書に出てくる女性の勝利者たちは物語っています。

 

その女性は未婚の時には誰よりの「神の娘である」という絶対信仰を持ったものでなければならないというのです

その女性は既婚の時には誰よりも「神の妻である」と思うものでなくてはならないというのです。

だが、主と結ばれ主の花嫁となった時からは、

無形の神様の娘や妻ではなく、

実体の神様であられる主の妻であると

信仰転換しなければならないというのです。

ここをサタンは狙いました。

 

2,独生女

真のお母様は「神の娘」という絶対信仰を持った方であるべきです。

無原罪ではなく、その意味での「独生女」

だが、再臨主の花嫁になると

「独生女」→「実体の神様の妻」に心情転換

 お母様の使命を持たれた方々が挫折されてきたので、

お母様として立つための全ての要素から、たった一つ

神の女を自称する最高の女性、すなわち神がお母様まで三代かけて教育育成してこられた、まさにそのお方こそ韓鶴子お母様であられたというのです。

天はそこに全てを賭けてお選びになられたというのです。

反対にそれさえ満たされれば他の要素は問題なかったのです。

他の期待すべき要素を一切捨て去っても、これだけは必要と神やお父様が願われたものが、私は神の独り子であるという信仰貞操でした。

絶対対象挌位の教育でした。

真の御母様は三代に渡って訓練されてきた筋金入りのお方でした。

だが、これを逆さに利用して、神側の実の戦術に対して、サタンは虚の戦術をとりました。表ではなく裏から背面攻撃を仕掛けてきたというのです。

 

さて、エバは神を信じることができず、命がけで、神に相反する御言葉を信じて

堕落しました。

そこで、お母様にはそのようなエバが足元にも及ばない、神の娘を自称する女性が重要でした。

韓鶴子お母様には驚くべき天品がございました。

「独生女」という言葉と思想は諸刃の剣でした。

「独生女」を無形の神の心情の対象とすれば善、結婚して実体の神様の心情の対象となれば善。

ところが、わたしは生まれた時から原罪がない「独生女」、あなたはイエス様に会った時からようやく原罪のない「独生子」。どっちが偉いか考えてみましょう。

こうなれば大問題だというのです。

延長された真の母にどうしても必要であった要件が「独生女」信仰でした。

それはありとあらゆる理解しがたく受け入れがたいことを真のお父様が為されても

微動だにせず、むしろそのような中にあってもかえってお父様に仕えお父様を証しし、

その姿を見た我々に尊く深い悔い改めと聖霊の恵に満たしてくださるような、真の母の父と常に一心一体の御姿であるはずだというのです。

そういう心情圏を持った女性を、真のお父様はお母様を指して用いられた言葉こそ、

実に「独生女」であったというのです。

 

3,ティモシー・エルダーの証言

真の御家庭の姿を最近ティモシー・エルダーが証されました。

(赤い字の文はわたしの処理です)

Follow My Heart より引用

 

 お父様の聖和前後で、どのようなことが起こり、あなたにとって、はっきりとしたことは何でしょうか

世界中のメンバーは、30-40年も信仰暦があったとしても、そのほとんどは、真の御父母様、お父様とお母様を、個人的に、近くで見たり、公式でない、カメラがないときの、お二人の関係を身近に経験する機会は、ほとんどありません.
ーーー
2011-2012年、訓読会でのお父様とお母様の引っぱり合いの闘い
ーーー
私は、2011年と2012年に、お父様がヨーロッパに行かれたときに、いくつかの経験をしました。私は、お父様の訓読会、イベントの公式の通訳として、同行していました。
私は、毎日の朝の訓読会やイベントにおいて、韓国語から英語への同時通訳をしていました。

そこで、私は、途中で、お母様が立ち上がり、出て行かれるのを、毎日のように見ました。
お母様は、お父様が、お話を早く終わられるのを望んでおられました。

お父様は、、、彼はアダムであり、毎日のように、このように言われるのをを聞かされていました。”聞きなさい、私の体は、行かなければならないときには、自ら体が起き上がるのがわかります。まだ、その時間ではない”

しかし、何度も、御父母様の、引き会う闘い起こりました。
ーーーー
ユングフラウ事件
ーーーー
日程の最後の方で、お父様とお母様は、スイスのユングフラウに登る予定がたてられ、御父母様は、汽車で、ユングフラウに登っていくことになっていました。
その日も、お母様は、汽車に乗り遅れるのではないかと気にしておられました。そのときは、決められた時間に、汽車に乗らなければならなかったからです。

しかし、お父様は、抵抗され続けました。
お母様は、引っ張って早く行かせようとされましたが、お父様は、抵抗されました。お父様は、訓読会を、続けられ、お話をやめれれませんでした。
終に、お父様のお話が終わり、御父母様は行くことができ、駅に着かれたのですが、汽車に乗り遅れてしまいました

しかし、彼らが乗る予定だった汽車は、目的地までの途中で、壊れてしまい、その汽車に乗った乗客は、汽車に閉じ込められました。もちろん最終的には、何時かは、目的地にいったと思いますが、、

お父様が、この汽車が途中で、壊れたとのニュースを聞かれて、”これは証明だ!私は、言っただろう! 私の体は、いつ行かなくてならないのかと知っているのだ!

その日は、彼らは、ユングフラウには、行かれず、計画を変更して、ナーデルフォルに行かれました。それは、別の山です。

このように、私が見てきたものは、
お父様は、神霊が、お父様のなかで働いているという、ある信念と確信をもっておられました。
お母様は、それを、受け入れませんでした。お母様は、自らの、スケジュールをもたれていました。
ーーー
ナイジェリアでの行動
ーーー
ヨーロッパ ツアーの後の、ナイジェリアでのことです。2011年の7月、お父様は、ナイジェリアに行かれました。その最後の日のことです。

その日の日程は、朝5時から、訓読会をやり、そして、それは短いものが予定されていて、その後、空港に向かい、チャーターされていた、ジェット機にのり、ラスベガスに戻られる予定でした。もちろん、燃料補給のため、いくつかの場所、アイスランドとかに、寄っていくのですが、

そう、それはあくまで、予定でした! しかし、再び!!

お父様は、行くべき時間になっても、話つづけられます、、、訓読会は、続けられます。何時間も過ぎていきました。お母様は、非常に、あわてられました。

あきらかに、税関に行かなくてはならない時間に遅れて、税関がしまった後に着いたりして、一晩、飛行機の中で過ごさなくてはならなかった経験などがあるためなのか、とにかく、そのように、お母様には、彼女の理由があり、時間を守られようとされました。
お母様は、飛行機のなかで、一晩過ごさなくてはならなくなるような、不快なことを避けておられたのだと思います。

その時は、お母様は、いろんな、韓国人リーダーを使いながら、お父様を止められようとされました。しかし、お父様は、お話を止められません。

その後、お母様は、ステージから、席をはずされて、どこかにいかれました。私は、同時通訳をやっていて、お父様のお話に集中していました。そのため、私は、お母様が、何処へいかれたのか、わかりませんでした。

しばらくして、私の背後を、誰かが、突くのです
私は、同時通訳の最中だったのですが、誰かが、私の背後を、突き続けるのです。それで、、

私が、振り返ると、それは、お母様でした。そして、お母様が、”あなたが、いって、お父様をステージからおろしなさい”と言われました。
ーーー
メシアをステージから降ろす役目ですか?
ーーー
そうです、お母様が、言われるのですから、私は、それをやるしかなかったのです。

だから、私は、目を閉じ、深呼吸をして、勇気をだし、お父様に向かって、こう言いました。 ”お父様!もう、いかなければならない時間です!”

そして、お父様は、私の方を向かれて、言われました!
”あなたは、あなたが私にしてほしいことができると考えているのか?”
もちろん、それで、お父様との会話は終わりです。

その時、お母様は、私の後ろにおられました。
今、考えれば、お父様は、私に語られたのでなく、お母様に語られたのだと思います。

お父様は、お母様がやってほしい事を、やられるつもりはありませんでした
お父様は、神様からの使命を受けてなされていて、その国を救う為の使命をおびてなされているるのであり、また、その時、ある人々は、お父様は、ナイジェリアの政府高官が来るのを待たれておられたのだという話とか、私には、わかりませんでしたが、とにかく、お父様には、何かの理由があって、話しを続けられていたと思います。

結局、お父様は、11時か12時くらいまで話されました。予定よりも、何時間も過ぎていました。
ーーー
背中突かれ事件?にも、かかわらずですか?
ーーー
もちろん、あれは、何の影響もありませんでした。

お父様が、訓読会を終えられるのは、終る準備ができたときです。
お父様の体が、もう、行く時間だと告げたときなのです
ーーー
お父様の聖和後の報告
ーーー
お父様の聖和の後、清平パレスで、会議がありました。聖和のすぐあとです。
お母様は、セレモニーはどのようだったのか、良かったのか、どうだったか、評価のようなものです。
ーーー
それは、聖和式のことですか?
ーーー
そうです、9月3日から15日までの13日の及んだ、聖和式のことです。
ーーー
報告会のようなものですか?
ーーー
そうです。おそらく、150人から200人の人々が、部屋に集まりました。
お母様は、それぞれの人々に、聖和セレモニーの評価を、聞いていきました。

ほとんどの人々は、すごく、すばらしかったとか、良かったとか、良いことしか報告しませんでした。多くの国会議員がきたとか、有名な人たちがきたとか、何万人も、兄弟姉妹たちがきたとか、また、すべては、予定通り、順調に執り行われたとか、このような事でした。さらには、うまく、組織されていたとか、、

そして、みんなの報告が終わったあと、お母様は、みんな、もっとも重要な点を抜かしていると言われました。
お母様は、もっとも重要な点は、私の母親である、大母様が、清心平和ワールド センターを建てたことです。だから、私達は、清心平和ワールド センターで、お父様の聖和式をやれました。
そうでなければ、他の、どこかのホテルとか、どこかの会議場とか、を使わなければならなくなり、それでは、とても、みすぼらしい( SHABBY )ものになったでしょう。

お母様は、この SHABBY という言葉を使われました。

私が、受けた印象では、お母様にとって、SHABBY(みすぼらしい)とは、もっとも、恥ずかしいことなのだと、考えられているのだと感じました。

お母様が、このような、外的な面に、注視された事は、多くの人々を、驚かしました。
そのような意外な、お母様の言動に、多くのひとが、驚きを感じていました。
それは、そのような面が、他の多くの視点よりも、高い評価をされるとは、思ってはいなかったからです。

ーーー
2012年11月15日
ーーー
そして、2012年の11月15日、
お母様は、パレスで、個人的に、私に電話をしてこられました。
私は、お母様と、個人的なミーティングを 30分くらい、持ちました。

そのときの会話ですが、、、
まず第一に言えば、そのときの会話は、うまくいかなかったことです。
そのときの会話が、それからの、私の行く道をきめました。

そのときの、会話で、感じたことは、
お母様は、息子(亨進様)を、競争相手として見ておられたことです
普通の母親が見る、誇りある息子としてでなく、競争相手として見ておられたことです。

お母様は、自分が権力を握るために、息子を、取りの除かねばならないと思われていたからです。それは、私には、非常に、ショッキングなことでした。

それに、また、お母様は、お父様に対して、尊敬を失う事になるような言動を、私に、させようとされた事です。それにも、私は、とても、ショックを受けました。
ーーー
それは、お父様に対して、反対するようなことですか、
ーーー
そのようなものです。
例えば、
私は、2009年に、韓国に来て依頼、統一教会の組織の腐敗や問題を、何年も見てきました。
そして、私は、お父様が、国進様を任命して、このような問題を解決されようとしました。
結果として、彼は、多くの、このような問題を取り除かれたのを、この3年半あまりの間、私自身見てきました、と話たのですが、それに対しての、お母様の反応は、

あなたは、2009年以前の、お父様が主管していた時は、たくさんの腐敗があったが、国進様にかわった後は、腐敗はなくなったと言う事ですね。
お母様は、私に、このような腐敗は、お父様の責任であり、お父様の間違い、失敗であるとい言わせようとされました。

それも、私を、驚かせました。

もちろん、私は、NO と言いました。もちろん、違います!そういうことでは、ありません、
腐敗や、失敗は、郭氏や、黄氏、尹正老氏達や、その他の教会を指揮していた人々、財団を指揮していた人々で、お父様から、信頼されていた人たちであると、

それは、本当に、目を開けさせられました。
お母様は、私を、そのような立場に、私に、そのようなことを、言わさせようとされました

このとこは、私にとって、本当に、目を開けさせられたのです。

お父様を持ち上げるかわりに、、、
普通、私達は、お母様は、お父様を持ち上げるように導くのを、期待しますが、しかし、そのかわりに、お母様は、お父様を、蔑むように、導かれようとされたのです。

それは、私を、驚かせました。
私には、それは、正しくないと思いました。それは、正しくないと、

それは、2012年の11月で、私は、統一財団で、引き続き、働き続けましたが、国進様が、解雇されたのが、2013年の3月で、翌月、4月、財団を後にしました。

私は、フリーランスとして、自分で仕事を始めました。教会でないところで、約一年働きました。そして、その後、ここで(サンクチュアリー)で働くことを頼まれました。

ーーー
何か、結論は?
ーーー
争いは、カメラが無い時であり、私は、お母様が、お父様をコントロールされようとしたのだと思います。おそらく、お母様は、お父様を、

私が、気がついたことは、お母様は、お父様を、彼女の救い主として、受け入れていないのではないかということです。彼女の救い主として、
お母様は、決して、そのような、経験をしなかったのではないかと。
お母様以外の私達、みんなは、教会に来た時に、お父様が、私達の救い主であることを認め、受け入れました。しかし、お母様は、そのような経験はなかったようです。

ーーー
いつの日か、彼女は、人々が彼女を女神としてみるような考えに占められているのでしょうか
ーーー
私は、そのようなことは、予想してませんでした。
私は。いつも、お父様が、亡くなられた後、お母様は、お父様のレガシーを守り続け、お母様は、彼を高く持ち上げ、お父様の御言葉に従い、私達を勇気づけ、持ち上げられると、思っていました。

私は、決して、今、お母様がなされていることを、やられることは、予想していませんでした。

私が、見たものは、
お母様は、彼女が目指す目的のために、主管できる責任を持とうとされていたことです。そして、お母様は、お父様を、年老いた人のように、扱われていたことです

 

 <証に学ぶ教訓>

 1,お父様とお母様が主体と対象ではなく、主体と主体になってぶつかり争うことがずっと続いていた。これに真の子女が巻き込まれたり、カインの子女の我々が巻き込まれたりすることが現実に多々存在していたし、聖和以降も継続して闘争のただ中にあること。

2,堕落天使長に主管されるお母様は、堕落天使長の意のままに、主管性転倒を図ろうとされるので、これを阻止しなければならない。

例えば、「お父様、精誠を尽くされて訓読指導されておられるところを遮る罪をお許しください。実は予定の時間が迫っております。どうすればよいか御命じください。御心のままにいたします。」

このようにしてお二人の各位を破壊せずに、お支えすることができる。

3,お母様が亨進様をライバルとされている事情と心情と決定的証拠を知らなければならない。(後に説明します。)

4,お母様が何故SHABBY(みすぼらしい)という言葉を多用されざるを得ないのか、その事情と心情を理解しなければならない。

 

 4,男性と女性の霊的集団の摂理的意義

 

男性格主体の心情と血統や女性格対象の心情と血統の継承者として、神の神格を人の人格の中に(無形の神様が実体の神様になるために)、真のお父様を主体格男性とし、真の御母様を対象格女性として、主客を維持しながら中和統一されて人類の前に降臨されたのが真の父母様だというのです。

 

男性は東側(主体)であり、婦人は西側(対象)です。それゆえに、西側である鐵山では婦人たちが神霊役事を行い、東側である元山を中心として、男性たちによる神霊役事が起こりました。黄國柱、李龍道、白南柱などがそこで神霊役事を行いました。その時、このような外的な形態を基盤とした神霊役事の責任を負ってきた方が李龍道牧師です。

 男性だけではなく、女性を中心としても出てこなければなりません。男性がそのような立場に立つと同時に、女性たちを中心として、三代の女性(エバの堕落によって一家庭三代の女性が失われた)たちが天の摂理に備え、それを迎えるための準備をしなければなりません。なぜでしょうか。エバが堕落したからです。ゆえにエバが天の前に先に呼ばれ、女性として今後主がどのように来られるかということを知って、これを三代にわたって準備しなければならない、このような摂理史があるのです。

 そのような混乱期において、皆さんが知っているように金聖道から許孝彬を経て三代が出てきたのです。その背後においては、白南柱から李龍道牧師、新イエス教会派など、その相対的な新しい男性的教派が生まれるようになっていたのです。

 

5,お母様の生い立ちの理解とお母様が「独生女」を誤解される余地の存在

 

聖酒教団のエバ→腹中教のエバ→統一教のエバという蘇生長成完成の最終エバが

真の御母様

さらに家庭的三代のエバ祖母→洪順愛→韓鶴子という蘇生長成完成の絶対対象完成者が

真の御母様

無原罪独生女として生まれたからではなく、

絶対対象として神と実体の神様の前に信仰を立てる独存女としての

「独生女」がお父様が語られてこの言葉を使われる時の本義だというのです。

 

今にして思えば、どうやらこれを神山氏が問題として捉えて公開質問状を出したようです。

その中からお父様の御言葉を引用します。赤い字にした処理は( )も含めて私の処理です。

 

 この血統転換は、真のオリーブの木である真のお父様(男性)によってのみなされます。なぜなら、「生命の種は男性から、生命の根源は男性から出てくる」(天聖経、宇宙の根本)からです。

 

「神様の血統の中には、真の愛の種(神の精子が入っていて、真の生命の体が生きています。したがって、この血統と連結されれば、神様が理想とされた理想人間、すなわち人格完成も可能であり、理想家庭も生まれるのであり、さらには神様の祖国、理想国家も出現するのです。平和理想世界王国は、このようにして創建されるのです。」(平和神経1)

 

女性は畑でしょう?盗賊が来て種を蒔けば、盗賊の子供がでてくるのであり王子が来て蒔けば、王孫が出てくる」(天聖経、宇宙の根本)

 

真のお母様の腹の中に入っても、それは真のお父様の真の愛と真の血統にはまだつながっていないのですお母様は真の愛と真の血統を持っていません。向こうのほうなのです。」(天聖経、祝福家庭)

 

亨進様が天使長主導の祝福が聖和時以降為されてきていて無効であるとされ、そのような全ての食口はお父様の権威下に戻るための祝福を、聖和されたお父様が現れ亨進様を直接主管されて祝福を為さらなければならない原理的根拠であり、お父様自身の御言葉であり、御心だというのです。

それが、「お父様の権威下に戻るための祝福」の意義と価値だというのです。

 

女性は畑でしょう?盗賊が来て種を蒔けば、盗賊の子供がでてくるのであり王子が来て蒔けば、王孫が出てくる」(天聖経、宇宙の根本)

 

真のお母様の腹の中に入っても、それは真のお父様の真の愛と真の血統にはまだつながっていないのですお母様は真の愛と真の血統を持っていません。向こうのほうなのです。」(天聖経、祝福家庭)

 

6,お母様の家庭と韓氏の理解とお母様が誤解される余地の存在

 

①お母様の誕生時サタンが殺そうとした

 

あなたがたの前に座っている私、真の母は、6000年後に誕生した神の独り娘です。
アージュ。これは説明ができます。私は証すことのできるものを持っています。
私が生まれた時、サタンは私を殺そうとしました。

 

(映画「オーメン」などにも出てくるキリストをサタンが殺そうとするテーマは、

メシアが誕生すると予言されていたイスラエル民族の長子、サタンの化身のヘロデ王が皆殺しにして、その中にいるイエス様を殺そうとする聖書の記述に由来します。

 

イスラエル選民に比すべき「韓氏」であるとお母様は考えられました。

 

「韓」という言葉はなぜ大韓民国に出てきましたか?
摂理歴史において、韓王朝はアジアの主人でした。
彼らは東からの人種、韓の人種です。
神はこの民族を選び、彼らを育てました。

 

② 韓氏とは何か?

 

李 大淳 望月 幹夫が訳に解説を加えた、朴 世茂 著「童蒙先習」―啓蒙篇・童蒙須知によると

 

 朝鮮には初め君主がいなかった。神人(現人神)が太白山の壇木の下に降りると、人々は彼を王とした。中国の尭王と並ぶ名君で、国名を朝鮮とした。この人が壇君である。 周の国の武王は箕子(きし)を朝鮮に送って治めさせた。箕子は民衆に礼儀を教えた。八条の法が作られて、賢者が人民を感化して、その行いを改めさせた。

 燕の人、衛満盧綰(ろかん)の乱から逃れて朝鮮にやって来ると、箕準を追放し、王倹城を占拠した。その孫、右渠の時になって、漢の武帝がこれを討って滅ぼし、その領地を分割して、それぞれ楽浪・臨屯・玄菟・真蕃という名前の4郡をつくった。昭帝は平那と玄菟を合わせて平州とし、さらに臨屯と楽浪を合わせて東部の二つの都督府を置いて、この地域を治めた。箕準が衛満から逃れて、海路を南へ下り、金馬郡に居を定めた。これが馬韓である。秦から乱を避けて逃げてきた人々が韓の地に入ってきたため、韓では東境の地を分け与え、そこで暮らすようにした。これが辰韓である。弁韓は、韓の地に国を建てたが、その始祖および年代は判らない。以上が三韓である。 

 

さらにこのように書かれている

 

 神話というものは、どの国のものであれ、政治の初めに必ず出てくるものです。壇君朝鮮約千年間続いて、その後に箕子朝鮮がくる。

 かっての朝鮮史では箕子東来説を認めており、中国から箕子が朝鮮に入ってきて国を建てたことになっていた。箕子についての中国の記録は、『史記』の宋微子世家に「周の国の武王が箕子に朝鮮を与えたが、直接の臣下とはしなかった」(周武王 封箕子於朝鮮不而臣也)とある。さらに「魏書」東夷伝に「昔箕子が朝鮮に行って八条の教えを民にさずけた。このため、夜に戸を閉じなくても民は盗みをはたらかなかった。その後40余代を過ぎて朝鮮侯だった準が一方的に王を名のった」(漢文省略)という文章が見られる。しかし今日では、箕子が中国から朝鮮に来たという説の根拠は曖昧であるとしてすっかり否認されてしまった。いわゆる「箕子朝鮮」の成立は対外関係の結果ではなく、朝鮮社会内部での政治体制の変動と見られているのである。それでは「箕子朝鮮」の正体とは一体何なのか?この謎の政権をめぐっては、学者たちの間で多くの論争が戦わされてきた。その中でも「韓氏朝鮮」説が最有力で、それは次の根拠にもとづいている。「魏書」東夷伝に、「準が衛満の攻撃を受けて、海を渡って韓の地に住み、自らを韓王と称した」との文章があり、さらに魚豢(ぎょけん)の書いた『魏略』に、「その息子と親族として衛満朝鮮に残っている者は、姓を韓氏といった」という記録がある。そして現在の清州韓氏は、系図の上では箕子をその始祖としている。いずれにしろ、箕子朝鮮の正体については確実な判断を下しにくいというのが実情だ。箕子朝鮮は約千年間存続したが、準王の時に衛満に国を奪われた。そして準王は船で南方へ下り、韓王となったのだ。

 

そこで、お母様はキリスト教の精神継承者としても

イスラエルに替わる文字通り「漢民族」の正統な血統の継承者としても

私こそ選ばれたものであるという確信があられるというのです

だから、水澤里の売却においても、「水澤里は聖地ではないですか?売却してもいいのでしょうか?」という食口の疑問に、「韓国全土が聖地ではないか。」と言われるというのです。

 

③ お母様のご先祖に予言があった

 

天子(メシア)が子孫に生まれるという予言があったというのです。

 

神は、私の家系を通して天の息子を送ると約束されました。
あなた方は私の先祖についてのこの話を聞いたことがあると思います。
3枚の硬貨のゆえに天は息子の代わりに天の娘を送ることになりました。
あなたがたはその話を知っていますか?これは伝説ではなく事実です。

 

 ④ お母様の誕生までを3教団から見てみれば、マリアの如き心情で主を待つ女たち

 

金聖道、許孝彬、および新イエス教のような人々は、救世主が自らに入るのを待っていました。(選ばれた女性から生まれる)

 

 

3教団を通過した洪順愛大母様と

主の花嫁として死を覚悟して主を迎えようとする三代の女性があったというのです。

絶対対象挌位の女たちであり、それゆえ神に祝福される女たちだったというのです

何の話しかわかりますか?

 

⑤ 信徒の中で洪順愛お母様がマリアのような立場に

 

お母様は「独り子」であったはずのメシアを本当は「独り娘」であったのではないかと

後に思うように至りました。それが6マリアを利用したサタン神学、つまり「独生女神学」だったというのです。

 

神がイスラエルの人々に神の独り子を送るまで、摂理歴史は選別を通してなされました。

私の母の子宮から、血統を転換する過程は起こっていました。
これは、あなたがたが、信じる必要があるものです。
それで、私を中心とした私の家系の中の三世代は、平壌がエデンの宮殿になると信じました。(三代で死線を超えて主を待ち望んだ)
私達はこれを信じました。それは、私が6歳の時でした。
韓半島の解放の後に、北朝鮮の政局は共産化しつつあり、38度が引かれました。
私達は、主がそこに来臨されることを信じたので、平壌を去りませんでした。

 

⑥ 女性が祝福を授けることができることを体験された

 

腹中教の教主は牢獄なので、その母に権能が委譲されて教団はまとめられていたところ、突然お母様が呼び出されて、教主の母から祝福を受けることになりました。

 

娘が刑務所にいたので、許孝彬の母はそのグループにおけるすべての霊的な業を任せられました。
この老婦人は私を呼び出し、私に祝福を与えました。

(腹中教の全ての勝利圏を相続し継承した)

 

ここで重要なことは、お母様が女性が女性によって祝福ができることを学んだことだというのです。

 

これは女性の信仰の継承者にはできることでしょう。

お母様は、本当は第二代王妃の李妍雅を祝福することをお悟りなされることが神の御心でした

だが、お父様や亨進様がなさるべき祝福に介入されてしまったのでした。

 

さあ、全文をご覧ください。

 

あなたがたの前に座っている私、真の母は、6000年後に誕生した神の独り娘です。
アージュ。これは説明ができます。私は証すことのできるものを持っています。
私が生まれた時、サタンは私を殺そうとしました。
私の誕生を通して、サタンは滅びるようになっていました。
それで、サタンは私を殺すことに集中していました。
これは、天が韓民族を通して摂理歴史を導いていることを意味しています。
「韓」という言葉はなぜ大韓民国に出てきましたか?
摂理歴史において、韓王朝はアジアの主人でした。
彼らは東からの人種、韓の人種です。
神はこの民族を選び、彼らを育てました。

神は、私の家系を通して天の息子を送ると約束されました。
あなた方は私の先祖についてのこの話を聞いたことがあると思います。
3枚の硬貨のゆえに天は息子の代わりに天の娘を送ることになりました。
あなたがたはその話を知っていますか?これは伝説ではなく事実です。
キリスト教が韓国で根を下ろして百年未満です。
韓半島の解放の後に、霊的な復興運動は、平壌を中心に起こりました。
キリスト教徒は、救世主が雲に乗って来るのを待っていましたが、
金聖道、許孝彬、および新イエス教のような人々は、救世主が自らに入るのを待っていました。(選ばれた女性から生まれる)
一人の有名な牧師李浩彬は私の両親の結婚式の主礼でした。

(参考:李浩彬牧師は聖進様のお母様との御聖婚の主礼でもある。)
神がイスラエルの人々に神の独り子を送るまで、摂理歴史は選別を通してなされました。

私の母の子宮から、血統を転換する過程は起こっていました。
これは、あなたがたが、信じる必要があるものです。
それで、私を中心とした私の家系の中の三世代は、平壌がエデンの宮殿になると信じました。(三代で死線を超えて主を待ち望んだ)
私達はこれを信じました。それは、私が6歳の時でした。
韓半島の解放の後に、北朝鮮の政局は共産化しつつあり、38度が引かれました。
私達は、主がそこに来臨されることを信じたので、平壌を去りませんでした。
真のお父様が啓示を受けて、北朝鮮に行ったのはその頃でした。
私の母方の叔父は早稲田大学で勉強していました。
彼は、戻ることになっていましたが、韓国で軍隊に入ったという知らせを受けました。
私の祖母、私の母、洪順愛、そして私は独り娘の三世代でした。
私達は避難ではなく、叔父に会いに行くところでした。

これが天の摂理であったことを否定することはできません。
許孝彬が拘置されたことを知った時、
彼女に「すべてをを否定し、牢獄から出るように」と命じた文書を送りました。
お父様は、その後で何が起こったと言われましたか?
お父様は、このため拷問されたと言われませんでしたか?
娘が刑務所にいたので、許孝彬の母はそのグループにおけるすべての霊的な業を任せられました。
この老婦人は私を呼び出し、私に祝福を与えました。

(腹中教の全ての勝利圏を相続し継承した)
許孝彬のグループは、自らの体に入るであろうと信じた再臨主を迎える具体的な準備をしていました。
真のお父様がもっと早くそのグループと会ったならば、どうなっていたでしょう?
その老婦人は私を祝福しました。

 

統一原理では神の愛は四位基台上の三対象目的の主体的な愛だといいます。

お母様は、人類の真の母になるべく、天には神様、地にはお母様の洪順愛大母様に対する愛のみで育たれました。兄弟姉妹に囲まれ、多くの人と和動されながら過ごし成長されることがございませんでした。

それゆえ、お母様には普通の人とは何か違うものを実際にお会いになると感じられることになるというのです。

ぜひその生い立ちを理解され、我々の真の母が何を我々のために犠牲にして捧げられてこられたかを知ることにいたしましょう。

お母様は一人っ子であられ、霊界を通してその天父の御心を知ることが度々あられました。それをサタンはよくよく知っていて、なりすまそうと企みました。

訓母を通してです。

後にこの件をお話しします。

 

 

真の御父母様の生涯路程 10/真のお母様と世界女性時代/第一節 真のお母様の誕生と成長期

 

第一節 真のお母様の誕生と成長期

一 真のお母様の誕生とその背景

韓鶴子女史の誕生

 人類の真のお母様・韓鶴子女史は、一九四三年二月十日(陰暦一・六)寅の刻(午前四時三十分)、平安南道安州郡安州邑信義里二六番地において、父君・韓承運(一九〇九~七八)、母君・洪順愛(一九一四~八九)大母様との間に誕生された・大母様は、満二十歳になられた年の一九三四年三月五日、天の導きに従って韓承運先生と成婚され、その後一九四二年に至って「男の子を産めば宇宙の大王になり、女の子を産めば宇宙の女王になる」という啓示とともに真のお母様を身ごもられ、翌年出産された。

 お母様の先祖はどこですか。平安南道でしょう。平安南道の韓氏ですが、韓氏の先祖はどこにいますか。お母様の実家の第一先祖はどこですか。清州です。ですから、私の息子、娘がお母様の本家に訪ねていくならば、清州の地を訪ねていくようになるのです。

 清州は本当に良いと思います。清州は、その名前が「清い」という字に「州」という字でしょう? 清い州です。清い水の中をのぞいてみれば、川ならば川、海ならば海の底まですべて透けて見え、魚がいれば泳いでいるのも見え、黒い砂も白い砂もすべて見えるのです。

 女性を誇ることができる家門があるとすれば、文先生の奥様の韓氏以上に誇ることができる家門がどこにありますか

 お母様の名前が良いのです。韓鶴子です! 女性が先生の相対になろうとすれば、学者(ハクチャ)にならなければならないでしょう。(笑い、拍手)韓(ハン)は何のハンかというと、漢学(ハンハク)もハンですが、恨めしい学問の恨です。誰よりも神様に対して最高に勉強した学者にならなければなりません。恨学者(ハンハクチャ)です。女性がそのようになれば、間違いなく神様の相対の位置に来ると思ったのです。そのように姓も良く、名前も良いのです。今は結局、その位置に来たのです。

 また、お母様は鶴子ですが、なぜ鶴子ですか。(笑い)鶴女となれば良いのに、どうして鶴子になったのでしょうか。私は、「ははあ! そこに息子の『子』という字をつけたのは、神様の息子と因縁を結んでくださるためだったのだなあ。本来、そのように生まれついたので、統一教会の母の名をもったのだなあ」と思いました。それはすてきでしょう? 「韓」と言えば韓国を代表するこどもでき、宇宙を代表することもできるでしょう。「韓」は、「一(ハン)」であって、一番という意味です。

 息子、娘がどのようになると思いますか。皆さんは生産することを嫌い、身ごもれば薬を飲んで流産させてしまうのですが、その息子がこの世界の王になるかもしれないということを誰が知っていますか。天上世界では「こいつ、地上世界に天地のみ旨を立て、万民が褒めたたえることができる生命が生まれてくるというのに、刃物で切ってしまうのか!」と言うのです。それは、千年与えてくださった福をなくし、本然の息子、娘をなくすことと同じです。

 もしお母様をそのようにしていれば、どのようになっていたでしょうか。おばあさんがそのようにしていれば、どのようになっていたでしょうか。そのようにしていれば、今日、私たち二人がどのようにして出会うことができたでしょうか。よくぞおばあさんがお母様を生んでくれました。また、先生のお母さんがそのようにしていれば、どのようになったでしょうか。生んでいなければ、本当にこの世は真っ暗闇の天地ではないですか。

 天国の王子、王女である素晴らしい息子、娘を生んで、天国まで行くことができるとすれば、どれほど有り難いでしょうか! 本来私たちは、神様の息子、娘です。神様の体を通して神様の息子、娘が出てくるのです。神様が王の中の王であられるならば、神様の息子、娘も、王子の中の王子であり、王女の中の王女です。それゆえに、アダムは、神様、天地大王陛下の長子であり、エバは長女です。


真のお母様のみ言

 私は、一九四三年陰暦一月六日午前四時三十分、平安南道安州郡安州邑信義里二六番地で生まれました。今まで故郷の安州の住所を覚えているということは殊勝なことでしょう? 私が生まれる時に外祖父(洪唯一先生)が「今、何時か見ておきなさい」とおっしゃられて、正確な時間が分かるようになったのです。

 そして生まれる時、韓氏の父(韓承運先生)は、胎夢(妊娠する徴候となる夢)と言うより夢示(夢の啓示)、幻を見られたということです。とても鬱蒼とした青い松林の中に清らかで美しい日が射し、二羽の鶴が和動する姿が見えたそうです。それで、名前を「鶴子」とつけられたのです。

 私の村は、ひどい片田舎ではありませんでした。家の裏には丘があり、小川が流れる、とても穏やかで暖かい感じを与える所でした。ちょうどめんどりがひなを抱くようにです。裏庭では、家族が食べるために栽培していたとうもろこし畑がありましたが、そのとうもろこしがとても大きかったことを思い出します。

 真のお父様の故郷である定州は、私の故郷の安州と川を一つ挟んだ所にあり、七里の距離です。一九九一年十二月に定州に行った時、ヘリコプターで安州を通り過ぎましたが、アパート団地が建っていて全く変わった姿になっていました。真のお父様の故郷である定州よりも、もう少し市街地へと変わっていたのです。


洪順愛大母様の証

 お母様は、一九四三年正月六日早朝四時三十分に誕生されました。ほかの子は生まれるとすぐに「おぎゃー」と言って泣くのですが、お母様は泣かれずに「ラララッ」と歌われました。それで、おばあさんが「この子は大きくなって音楽家になるようだ」と言われました。

 最初のわかめ汁を飲み、お母様を抱いて寝入ったのですが、真っ黒な角の生えたサタンが迫ってきて、お母様を殺そうとしました。私は「サタンよ、退け! この娘は私にとってどれほど大切な娘か分からないのに、お前がどうして殺そうとするのか」と言って大声で叫びました。どれほど大きく声を張り上げたでしょうか。それでおばあさんが「やあ、お前はおなかがすいているようだな」と言われました。「そうではなく、角の生えたサタンが来て赤ん坊を殺そうとするので、私が大声を上げました」と言うと、「それは不思議だ」とおっしゃいました。

 生まれると同時にサタンが殺そうとするのを見たので、本当に不思議でした。そして「この子は精誠を尽くして育てなければいけない。今後、世俗に染まらないように、清く美しく育てて主に捧げなければならない」と思いました。

 一ヵ月ほどすると、夢に新しい主である金聖進おばあさんが白い雲に乗り、白い服を着て現れると、「順愛よ、その赤ん坊のために心配しただろう? 心配することはない、この子は主の娘であり、お前は乳母と同じだ。乳だけよく飲ませて養育しなさい」とおっしゃいました。その命令を今まで私は心に固く刻んで生きてきました。

 お母様は成長される時、普通の子供だちとは違っていました。一歳になる前に歩かれ、言葉まで話されました。一言の言葉でも、とても明瞭に話されました。どれほど利口か分かりませんでした。実家の母も「この子はどう見ても、やはり違う」と言われました。それほど賢く、見劣りするところがありませんでした。

 北韓には六歳になる時までいましたが、六年間、夢を見ると、いつもサタンがお母様を殺そうとしてついて回りました。それで私は、丸六年をサタンと闘いました。私は、深い意味は分からず「なぜサタンがこのようにつけ回しながら殺そうとするのか」といつも不思議に思いました。

 三十八度線を越えて以南に下ってきて、友人の家にしばらく滞在した時があったのですが、面識のない一人の男性がお母様を見て、「この方は天他聞において神聖なお方です。二つの大きな仕事をもってこられました。しかし、道において成功してこそ大きくなるのであり、そうではなくこの世に出ていかれれば、反対に逆賊になりますと言いました。私はその言葉に非常に驚きました。それで、「あなたはなぜそのようなことを言うのか」と言いました。すると、その人は「既にこの世に生まれる時に、そのように生まれつかれたのだ」と言うのでした。そのように言いながら、「イエス様を信じるか」と聞くので、「そうだ」と答えると、「よく選んだ」ということでした。

 その言葉を聞いて、私は何としてでも道で成功させなければならないと決意しました。以南に来て済州島に入っていったこともそうであり、統一教会に入ってきてからは、どのようなことをしても中学校だけは卒業させて「原理」をしっかり武装させ、統一教会の最も立派な働き手にしようと考えました。「お母様になられる」という考えは、夢にも思うことができませんでした。


三代の一人娘の母性(趙元模外祖母-洪順愛大母様-真のお母様)

 お母様になる人は、血統的にどのような過程を経なければならないでしょうか。お母様を選ぶにおいては、すべての条件が合わなければなりません。それは簡単ではありません。前後で合わなければならず、左右で合わなければならず、上下で合わなければなりません。お母様の顔がかわいらしいからということで立てたのではありません。条件が合わなければなりません。その第一の条件は、どのような血筋に生まれついたかということです。サタン世界から讒訴され得る血統の因縁をもって生まれたのか、そうでなければそれを乗り越えることができる血統的内縁をもって生まれたのかということが重要です。

 それゆえに七代続きの一人息子としてかろうじて続いてきて、その七代続きの一人息子の前(上)に、三人の娘をもったそのような家に天地が訪ねてくるのです。そのような内容をもった三女、次女、長女の三人が一つになり、その父母まで合わせてすべて愛で一つになり、推戴することができる基盤になるようになれば、お母様がそこから選択されるのです。それは天の法度になるのです。

 お母様は世界の女性たちの代表です。全人類の女性を代表して一人の女性がつながって、お母様に連結させるのです。ですから、お母様になられる背後においては、三代が連結されなければなりません。本来は一人息子、一人娘にならなければなりません。アダムも一人息子でしょう?イエス様もひとり子ではありませんか。再臨主も、神様のみ旨から見れば一人息子と同じです。一人息子のみ旨を立てていくからには、長女である一人娘がいなければなりません。それゆえに復帰摂理において、男性と女性が相対的な立場で一つになって連結され、この世のサタン世界を越えて天国に行かなければなりません。

 エバがアダムを通して造られたように、お母様は、全く分からないところから出てこなければなりません。親戚が多くてはいけません。三代があとについてきてはいけないのです。普通であってはいけないのです。まさしく今のお母様がそのようなお母様です。お兄さんもいない上に父親もなく、独りです。母子二人しかいません。

 み旨のために、幼い時も支援を受けずに独りで生きた一人娘です。七代続きの一人息子の家系だと言ったでしょう。そのような一人息子にしたのは、サタンの血統をごちゃごちゃと残さないためです。それで、このおばあさんも一人娘です。お母様も一人娘です。三代が巻き込まれていくのです。ですから、お母様は三代の受難を受けました。祖母と母親の二人が信仰に狂って歩いたので、おしめにしても満足に当ててもらい、御飯にしても満足に食べさせてもらったでしょうか。


真のお母様のみ言

 韓氏の父は、新イエス教の篤実な信仰者でした。李龍道牧師、李浩彬牧師、彼らに従って大母様と一緒に信仰生活をされました。二人が結婚して赤ん坊をもてば、天が大きく用いられる息子が生まれるという啓示を受けたのですが、娘が生まれたのです。その李浩彬牧師は、真のお父様と崔先吉さんの主礼も行い、母方の叔父の主礼も行いました

 外祖父の洪唯一おじいさんは、背が高く美男子でした。だから私が初めて真のお父様にお会いした時も、外祖父と姿がとてもよく似ていて同じ印象だったので、見知らぬ人のような感じもせず、恐ろしくもありませんでした。また、その時代に、嫁にハイヒールを買ってあげるほどのおじいさんだったことが思い出されます。

 趙元模おばあさんは小さくてかわいらしい上に、勤勉で活動的でした。勉強はあまりすることができませんでしたが、開化期の新しい教育を受けた女性であり、ミシン商会をしていらっしゃいました。販売したあとに集金する時、故障した物は修理してあげたりもしていました。

 私の家門の歴史を見たときに、母方を見れば、趙氏おばあさん、大母様、そして私のすべて一人娘でしたが、お父様は「それはすべて意味がある」とおっしゃいました。大母様も娘一人、また外祖母である趙氏おばあさんも娘一人だったのです。趙氏おばあさんは定州でお生まれになったのですが、その趙氏の家族は、定州の地でとても裕福だったそうです。皆さんが知っている弥勒菩薩の信仰をもっていらっしゃいました

 弥勒菩薩の歴史について話せば、これは伝説ではなく、本当にあった話です。私の家はキリスト教の家庭だったので先祖を崇拝せず、何代かはよく知りませんが、我が国が中国の属国の立場にあった時のことだそうです。中国の使臣が韓国へ来ようとすれば、定州の撻來川を渡らなければならないのですが、その当時、橋がなかったのです。橋を架けるお金が国になかったということでしょう。それで、その橋を架けることができる人を探すために公示文を貼っておいたのです。

 その時、おじいさんの趙漢俊氏という方が、私財を投げ打ってその橋を架けたのです。橋は石橋でしたが、橋の下を船が通り抜けることができるほど大きな橋だったそうです。そして、そのおじいさんが石橋を造る際に全財産を使い果たし、銅銭三文が残ったそうです。それで、あすは橋の竣工式に行くということで、その残ったお金でわらじを買っておいてから寝たそうです。ところが、夢の中に白い服を来たおじいさんが現れて、「漢俊よ、お前の功労は大きい。それで、お前の家門に天子を送ろうとしたが、残しておいた銅銭三文が天に引っ掛かったので姫を送ろう」とおっしゃったということです。その夢を見てから外に出てみると、その丘の上に石仏ができていたそうです。

 昔、弥勒は男性を象徴し、菩薩は女性を象徴したでしょう? 釈迦牟尼はすべての人々が平安な心で福を祈ることができるようにと、慈悲深い印象で造られていたのですが、その菩薩はそれ以上に慈悲深い姿をしていらっしゃり、おなかがふっくらと出た仏でした。昔、父が言われたのですが、馬に乗っていく途中でも、その菩薩の前では、馬から下りて敬拝をしなければならなかったということです。なぜなら、馬がその前では決まって足を止めたからです。誰であろうと、その前では敬意を表さなければならないのであり、そのようにせずには通り過ぎることができなかったのです。

 ところが、私の家門に問題が起こりました。その趙氏のおじいさんが「夢の啓示を受けたとおりに娘が生まれれば、菩薩のような腰がまるまるとした子が生まれるだろう」と言って「その仏のおなかを削り落とそう」と言ったのです。それで、腰の部分を削り落としたところ、血が出てきたそうです。それで人々が悔い改めをして、削り落とした部分にセメントを再び塗ったというのです。父が幼い時にその場所に行って遊ばれた時は、セメントを塗った部分が長い間風に当たって、そこに穴ができ、はちたちがしきりに出たり入ったりしていたそうです。この石仏の話は、定州に住んでいる人は誰もが知っている話です。

 このような話を通して一面を知ることができるように、趙氏おばあさんの家の先祖は、神様を知らなくても、民として国の願いに従って生きようとした先祖だったのであり、それゆえに天が記憶することができる祝福された家庭だったのです。それで、私が笑い話で「趙漢俊おじいさんによって趙氏の家門に王子が生まれるところだったのに、その銅銭三文のゆえに、遅ればせながら王女が生まれたのですね」と言ったのです。


父君・韓承運先生(一九〇九~一九七八)

長男(真のお母様の異母弟)・韓偉一先生の証

 私の幼いころ、先父・韓承運先生は、民俗的な祝祭日になるといつも部屋の中で独り静かに瞑想され、祈祷されながら、静かに書道もされ、誰も入ってくることができないようにされました。私たちに「出ていなさい」と言われ、そのようにして終日時間を過ごされました。そして、夕方ぐらいになると、私たち兄弟を呼んで以北にある故郷の住所を教えられ、それを私たちに暗唱させ、また祖父や先祖の方々のお名前を暗唱させながらその日を送った記憶があります。

 その当時、先父が私たちに暗唱させられた故郷の住所は、現在知られているものとは少し異なりますが、平安南道安州郡大尼面龍興里九九番地でした。そして、そこに「天恵園農場という所がある」と言われながら、その農場がとても美しく、果樹が大変豊富だという話をしてくださいました。また、祖父と祖母もいらっしゃり、姉が一人いらっしゃるという話もしてくださいました。「統一が成されれば、必ず一度訪ねてみなさい」と言われながら、その住所をもう一度記憶させられました。それで、私は、以北に関する何かの消息が耳に入ったりする時は、いつも漠然と故郷のことを恋しく思いました。そのようにしながら成長したと考えることができます。

 高祖父のお名前は、相五であり、曽祖父は正順、祖父は炳健です。戸籍には二九〇九年一月二十日、平安南道安州郡大尼面龍興里九九番地で、村の私塾の先生をされていた祖父・炳健様と、祖母・崔基炳様の長男として、私たちの先父は出生されたと記録されています。その戸籍は以南に越えてきて作ったものであり、一九五八年三月に、その当時先父が居住されていた京畿道烏山で仮戸籍の申告をして作ったものだということを知っています。

 解放前の先父の行跡については、私には知るすべがありません。ただ、親戚の人だちから聞いたところでは、青年時代はとても勉強ができたそうです。そして、教育の仕事に志があられて教鞭を執られ、篤実なキリスト教の信仰をされていたということを知っています。また、改革的な気質をもっていらっしゃったので、保守的な家門の中においては良い関係ではなかったということを聞きました。

 壮年時代には体格が大きくがっしりしていて、道を歩いている時に、田んぼに大きな岩があって人々がそれをどけることができずにいるのを見て、「自分がどける」と言って入っていって、軽々と外に出したこともあるほど力が強かったという話を聞きました。

 先父は、解放されるとすくに以南に渡ってこられました。そこにいれば共産党から被害を被る恐れがあったからです。それで以南に渡られ、すぐにソウルにある橋洞小学校と孝悌小学校で教頭として教鞭を執られ、その後、農村改革に志を立て京畿道満州郡昆池岩里へ行かれたのですが、その時期の一九四八年三月一日に私が出生しました。

 六・二五動乱は驪州で遭われ、家族を連れて釜山まで避難され、一・四後退(注:国連軍のソウル放棄)当時、再び釜山まで避難されたのですが、その時、陰城を通る途中で私の弟(韓偉勇)が生まれました。

 休戦になるとすぐに、京畿道華城郡(現・龍仁郡)南四面の南四小学校で公職に就かれ、加平郡雪岳面、ほかならない清平修錬苑の入り□にある雪岳面の迷源小学校でも勤務されました。それから鐵原郡(現・抱川郡)官仁面の官仁小学校を経て、島にまで行かれました。甕津郡(現・江華郡)西島面(甫+乙)音島の(甫+乙)音小学校、そして最後に仁川の葛山洞の葛月小学校で勤務されたのちに定年退職されるまで、四十数年をただひたすら農村の子供たちの教育だけに献身されました。

 このように田舎だけを転勤して回られた理由は、絶対に能力や人柄が劣っていたからではありません。むしろ優れた才能と人格を備えていらっしゃいました。しかし、その方の剛直な気性のゆえに、腐敗した官僚たちのような位置にいることを断固として拒否され、生涯を貧しく困難な農村で幼い学生のために奉仕し、教育する仕事を天職と思われたのです。そして、行かれる学校ごとに校舎を建てられ、厚生施設を造られるなど、学校の発展のために全力を傾けられるのを見ました。

 学校のすべての子供をあたかも自分の子供のように愛され、その当時、貧しさのゆえに身なりの汚い子供たちをみな連れてきて洗われたり、頭も刈ってあげたりもされました。また、その当時は、腫れ物のある子供たちがとてもたくさんいました。そのような子供たちをすべて連れてきて薬を塗ってあげたのですが、その時の姿が、今も絵のように私の記憶にはっきりと残っています。

 そして、私が見るのに、先父は篤実なキリスト教の長老として、真なる信仰生活をされていました。学校の官舎の片側にいつも小さな祈祷室を造っておき、毎日、朝晩瞑想をされ、祈祷されました。教会がない所に赴任されると、教会を造られました。そして、教会はあっても牧会者がいない地方に行かれれば、何としてでも牧会者を招聘しようと献身的に努力されました。驪州にいらっしゃる時には、一人の教師が先父の献身的な生き方を見ながら、その根がキリスト教の信仰にあるということを知り、その方は神学校に行って牧師になりました。そのような方もいます。そのように先父は、農村の子供たちを愛され、教育する仕事に専念され、ただひたすらまっすぐな信仰生活をしながら、解放後の貧しく困難だった農村において、さながら灯台のような立派な人生を送られました。

 先父は、一九七四年に定年で退任されたのち、城南市板橋洞の自宅で静かに読書と思索をされながら過ごされ、一九七七年、肝硬変で仁川基督病院に入院され、それが悪化して一九七八年三月十八日午前一時ごろ、私の生母と私の兄弟が見守る中で平和な顔をされながら静かに息を引き取られました。

 一九九七年に、私が真のお母様にお会いしたのちに手紙を差し上げました。心の中で、私の記憶の中に残っている先父の姿をきちんとお話し申し上げたほうが良いと思ったので、その内容を手紙に書き、会長を通じてアメリカにいらっしゃる真のお父様に送ってさしあげたことがあります。真のお父様がとても喜んでいらっしゃった、という話を聞きました。その内容をここでお話しいたします。

 先父は、現在、清平修錬苑がある雪岳面において勤務されたことがあります。それは二九五九年から六二年、三年までだったと思います。今、雪岳面に入っていき、清平修錬苑に入っていく方に曲がっていけば、すぐ清平教会があり、そこからもう少し行けば村の外れになり橋が現れますが、そこの橋を渡る前に、すぐ右側を見れば小学校が見えます。私は先父に従って小学校を約五箇所経ながら卒業したのですが、ほかならない雪岳面にあるその迷源小学校で卒業したのであり、先父はそこで約三、四年公職生活をされました。

 その時、校舎があまりにも古くてそれを新しく建て直したのですが、その校舎を建てようとすれば、加平の教育庁まで仕事をしに毎日通わなければなりませんでした。その当時、交通の便がとても悪く、清平駅から富岳面まで一日に二回しかバスがありませんでした。その小さなバスが故障すれば運行せず、また雨が少し降っただけでも運行しなかったのですが、そのような困難な条件の中で、小学校の校舎を新しく建てるために加平の教育庁までいつも通われました。

 そして、そこは、なにしろ空気が良い所なので、肺結核の叔父が私たちの家に時々療養しに来られたりもしました。来られると、私と私の弟に「川に行って鯉を買ってきなさい」と言われました。そうすると弟と二人で今の修錬苑に行く方に越えていくのです。修錬苑は右側に行きますが、もっとずっと行けば川が現れ、その川岸に掘っ立て小屋がありました。その小さな掘っ立て小屋には、魚を獲って売ることを生業としている老夫婦が住んでいました。そこに行ってお金を出し、二匹ほどの大きな鯉を買って棒に挟んで家まで担いできて、療養されている叔父に届けたりもしました。

 先父は、他界されるまで特別に病院に通われるということがありませんでした。とても健康でしたが、肝硬変で他界されました。常に腰を曲げずに力強く歩かれ、朝は早く起きて家族たちを起こしました。賛美歌を歌いながら布団を畳まれ、掃除もされました。私は、いつも整理され掃除される父親の習慣を見て、それを学び身につけながら育ちました。

 生前、先父にお会いした方が食口の中に二人ほどいらっしゃいます。鄭壽源会長が一九六〇年代の中盤に協会本部に勤務されている時、その時何度か行ってお会いしたということです。

 その次には、先父のお墓が城南市盆唐の南ソウル公園墓地にあるのですが、一九九八年にお墓参りに行った時、洪順貞会長が話をしてくださいました。昇華される何年か前まで、家は板橋にあったのですが、私たちは職場の関係でみな地方に出ており、私の母親と先父のお二人がそこに住んでいらっしゃる時に、洪会長が板橋に行かれて先父にお会いしたということです。


二 再臨準備、信仰の主流継承

解放直後の韓国キリスト教の神霊役事

 この韓国の地を中心としてある天的な摂理があるとすれば、この地において内的使命を果たす運動が始まらなければなりません。その中で、外的な使命は男性たちが責任をもたなければなりませんが、内的使命は女性たちが責任をもたなければなりません。内的使命は女性たちが果たし、外的使命は男性たちが果たさなければならないということです。

 堕落の型を見れば、エバがアダムを主管しました。それゆえに、復帰路程においては婦人がアダムを身代わりして内的使命の責任を負い、またアダムはエバの主管を受けたので、男性たちは復帰路程において外的な使命を担当するのです。そのようにして堕落した当時の基準を探し立てていくのです。

 それゆえに、この韓国の教団においては神霊的役事が起きなければなりません。韓国のキリスト教の歴史はおよそ八十年になりますが、今から約六十年前から神霊役事が始まりました。そのようにして、解放される年まで続きました。そして、解放直後、全国的に「聖霊降臨四十周年復興会」を一ヵ月あるいは四十日間行ったのです。今(一九六〇年)から五十年ないし六十年以上前から、宗教界を中心としてこのように神霊役事の基盤が築かれてきたのです。そして、それが左右に分かれ、内外に分かれていきながら、神霊役事が展開していったのです。そこで特別に心霊的祈祷をする婦人たちには、イエス様が直接現れて指導されました。

 今まで、キリスト教はイエス様と聖霊を中心として役事してきましたが、天の内的な復帰摂理を完結させることができる内的基準に立脚した基盤を広げたのではなく、外的基盤を築くための基盤を広げてきたので、イエス様は、この地上に来られて本来の使命を完成することができる勝利の基盤の上に立つことができませんでした。勝利の基盤の上に立つためには、内的な基準を新たに編成しなければなりません。すなわち、今日のキリスト教がつづってきた外的歴史を必ず受け継がなければならないのです。このような責任を担うためには、相続する順序から見るとき、必ず婦女子たちがこの事柄を中心として相続の役事をなさなければなりません。

 このように復帰摂理歴史は、女性たちを中心として摂理の出発をしましたが、女性たちはみ旨がどのようになり、どのように帰結するかということについて知らずにいます。ですから、全体のすべての決定的責任は、女性たちが果たすことはできません。なぜ果たすことができないのでしょうか。それは、女性であるエバが堕落したからです。アダムが責任を果たすことができなかったことによってエバが堕落の結果をもたらしたので、再び来られる主は、アダムが失敗したすべての内容を再び収拾し、新しい中心を決定しなければならない立場で来られるのです。全般的な内外のすべての内容を収拾し、勝利の基準を築くためには、必ず決定的な権限がなければなりません。これは、再び来られる主、すなわち第三次アダム格として来られる主だけが解決できる問題です


元山と鐵山を中心とした神霊役事

 韓国の地は東と西に区別されます。東側には山が多く、西側には平野が多くあります。韓国の東側部分は男性的な姿をしており、西側部分は女性的な姿をしています。神様の摂理も、韓国の地形と同じ形態を取られました。すなわち、東側部分には男性的な特質を、そして西側部分には女性的な特質をもたせられたのです。

 北韓東海岸に元山と呼ばれる都市があります。この都市で一つのキリスト教運動が起きました。西海岸には鐵山と呼ばれる所がありましたが、ここでも一つのキリスト教運動が起きました。東海岸地方の多くの人々がこの運動に従いました。彼らにイエス・キリストが現れ、御自身の過去と、今後追ってくること、そして今後起きることなどを話されました。

 男性は東側であり、婦人は西側です。それゆえに、西側である鐵山では婦人たちが神霊役事を行い、東側である元山を中心として、男性たちによる神霊役事が起こりました。黄國柱、李龍道、白南柱などがそこで神霊役事を行いました。その時、このような外的な形態を基盤とした神霊役事の責任を負ってきた方が李龍道牧師です。

 男性だけではなく、女性を中心としても出てこなければなりません。男性がそのような立場に立つと同時に、女性たちを中心として、三代の女性たちが天の摂理に備え、それを迎えるための準備をしなければなりません。なぜでしょうか。エバが堕落したからです。ゆえにエバが天の前に先に呼ばれ、女性として今後主がどのように来られるかということを知って、これを三代にわたって準備しなければならない、このような摂理史があるのです。

 そのような混乱期において、皆さんが知っているように金聖道から許孝彬を経て三代が出てきたのです。その背後においては、白南柱から李龍道牧師、新イエス教会派など、その相対的な新しい男性的教派が生まれるようになっていたのです。


再臨準備の主流信仰の道

 皆さんも知っているように、お母様のお母さんになる大母様は、一生を信仰一筋に生活してこられた方です。その中で、特に私たちが記憶すべきことは、新しい摂理歴史において、再臨主が人として来られるということを宣布して新しい教団をつくる、そのすべての役事に最初から参加したということです。李龍道牧師以前に白南柱を中心とした聖主教がありましたが、この聖主教が李龍道牧師の新イエス教を通してそこで一系統が分かれました。聖主教の金聖道おばあさんが一代目であり、二番目である腹中教の許孝彬の系統を受け継ぎ、おばあさん(大母様)が信仰の主流の伝統を受け継がれたのです。そのようにして、来られる再臨主を迎えるための先発として来られた方でもあります。

 そのようにしながらお母様を生んで三代目のエバ的役事をなしたのですが、お母様の時代に来て実を結ぶことができる、そのようなみ旨を暗々裏に知って準備してきたおばあさんだと言うことができます。その間の苦労は言葉では言い表せないものです。周りにいる兄弟や親戚や同志の誰もが避けるこの道を独りで歩み、生食をしながらありとあらゆる歴史を経てきたのです。しかし、最後まで中心の思想を曲げずに歩んでくることによって、お母様が先生と出会うことができる基台を造成したのです。

 鄭壽源氏のおばあさんである金聖道を中心とした聖主教から、お母様まで来たのです。三代を通じて来たのです。ここでおもしろいことは何かというと、金型道おばあさんに対して、趙氏などの二人の娘が忠誠を尽くさなければならないということです。縦的なカイン・アベルの基準で、金型道おばあさんがその二人(趙元模氏、洪順愛氏)に侍ったのです。それゆえに、金聖道おばあさんは、誰よりもこの二人を心から尊敬するというのです。すべてのことを任せるのです。そのようにしているうちに、腹中教が出てくると同時に分かれていくのです。


神霊役事の精誠基盤の継承

 三代が再臨主を迎えるための準備をしました。既成教会やカトリックからどれほど反対されたでしょうか。李龍道牧師を中心として新イエス教をつくったといって、どれほど迫害されたこと

 お母様のお母さんは、主を迎えるために精誠を尽くすことにおいては韓国の代表です。主が人として来られるといって、腹中教から従ってきた者たちなのです。そしてお母様は、すべてのエバ的責任を果たした、そのような韓国の歴史を代表するおばあさんたちから祝福を受けていたのです。

 再臨主を迎えることができる団体から、重要な幹部として教育を受けてきました。そのようにして、避難してくる時、新婦の装いをして新郎を迎えるように準備した教主から、お母様はすべての祝福を受けてきました。最近になってそれがすべて成就したのです。先生とは二十三歳の違いがありますが二十三年苦労したのは、お母様がそのような祝福を受けた基盤を立てるように天が準備されたからです。

 お母様のお母さんは、許孝彬に篤実に従っていた人でした。お母様のお母さんは、お母様が四歳の時にその集団に連れていったのですが、許孝彬の母親がお母様を祝福したのです。それは、お母様に使命が継承されるという意味でした。お母様は、もちろんそのことを知りませんでした。先生が一九六〇年にお母様と出会った時、先生はそのような事実を知りました。神様によって準備されてきたすべてのことが一九六〇年に一つになったのです。それで、今、真の父母が現れたのです。

 神様は責任を負わせれば、ある一時に必ずその責任を埋めてこられるのですが、人々はそのことを知りません。今まで準備した集団が失敗してきた歴史的内容を、すべて収拾して連結させる作戦を行ってこられたのです。彼らはサタンとの闘いでみな倒れて滅んでいきましたが、それを相続して引き継ぐことができる統一教会が残るようになりました。このように、韓国の歴史において異端者として非難され、追われてきた人々がみな犠牲になったので、彼らが再び復活することができる時代が来なければならないのです。


真のお母様のみ言

 二千年前にイエス様がイスラエルの地に誕生されるまで、天は、その民族がイエス様を迎えて天の家庭を築き、一つになった国家を築いて世界へ進んでいくことができるようにするために前もって準備させました。しかし、その時に準備されて責任を担った人物たちは、天の深い意味や事情よりも現実問題に汲々としてイエス様を正しく理解することができず、ついには十字架に送ってしまったのです。

 それで、イエス様の復活以後二千年間伝わってきたキリスト教文化を中心として、来られる主を迎えるための新婦としてのあらゆる準備をなすことができるように、天は、無知な人間たちを悟らせながら役事してこられました。天は、韓国を選民の国として選ばれ、韓国のキリスト教が短い歴史しかもっていないにもかかわらず、解放直後を通じて新しい主を迎えるための内的準備を行う団体を立てられました。

 そこに、平安北道の鐵山を基点として、エバの使命を蕩減復帰する、金聖進おばあさんが主軸となった聖主教団がありました。また、聖主教団の金聖進おばあさんが死ぬと、そのあとを継いで、聖主教団の平壌教会の責任者であり、腹中教をつくった許孝彬氏夫婦を通して、天は、内的にどのように再臨主を迎えなければならないかということを直接的に教えてくださいました。

 衣服を準備するにおいても、イエス様が生まれて三十三年の生涯路程を歩まれる時までの全衣服を、それぞれサイズに合わせて作らせるなどの実質的な準備をさせられました。そして、再臨主の三弟子に誰がなり、また三十六家庭の形態を準備する役事までもありました。

 北側では、共産党勢力が大きくなると同時に、宗教に対する弾圧も激しくなりました。それで、一九四六年八月、許孝彬氏も平壌の大同保安署という監獄に入るようになったのですが、監獄で再臨主に出会うという啓示がありました。その時、真のお父様も、平壌で伝道している中で捕まり、同じ監獄に入られるようになったのです。

 その監獄で、許孝彬氏の一番弟子である黄元信氏を通してお父様がこの事実を聞かれ、許孝彬氏に手紙を送られたのですが、途中で看守に見つかり、お父様は激しい拷問を受けて歯まで折れる受難を経られたのです。

 その時が、私が以南に下ってくる少し前だったのですが、許孝彬氏の母親が啓示を受けて私を呼ばれたのです。六歳のころでした。許孝彬集団は、聖主教に続いて再臨主のための新婦の使命を果たす団体だったのですが、その名目のもとで私に祝祷をしてくれたのです。「この次に大きな使命を果たされる方だ」という祈祷を受けました。白いチマチョゴリを着た若いおばあさんが私一人を呼んで、「天の啓示があった」と言いながら祝福してくれたことをはっきりと覚えています。

 私が六歳にもならなかった時に「このお方こそ天の新婦になられるだろう」と予言したのです。彼女はその時、六歳にもなっていなかった幼い少女が天の新婦になる運命に生まれついたという啓示を頻繁に受けていました。


三 真のお母様の学生時代と信仰

南韓での生活

真のお母様のみ言

 腹中教に出入りしているころ、母方の叔父・洪順貞氏が日本の留学から帰ってこられ、南側に渡って軍隊に入隊しました。叔父は知識人であると同時に、とてもおしゃれな方でした。一時は共産主義に心酔したりもしました。叔父が軍隊にいる時、外祖母が叔父にあまりに会いたいということで、外祖母と大母様と私の三人で「叔父に少しだけ会ってくる」と言って南下したのですが、その時から、そのまますっと以南にとどまるようになりました。南下してきた当初はソウルの孝昌洞にいました。それで、孝昌小学校に入学もしました。

 叔父は再び北側に上がっていこうとしましたが、状況が思わしくなく、上がっていくことができませんでした。叔父に多くの話を聞いてみてください。

 趙氏おばあさんは、私といつも一緒にいらっしゃったのですが、そのおばあさんと通りを歩くと、人々が私のことを「とてもかわいい」と言って誰もがかわいがってくれました。それで、人々はあま0出歩くことができない時だったのですが、私はあちらこちら歩いて回りながら、人のお使いもたくさんしてあげ、たくさんの愛を受けました。南韓に下ってくる過程においても、女子供であり、幼い子供である私がいたので、無事に南に渡ってくることができたのです。

 かわいくきちんとしていて、このように行く所ごとに羨望の対象となり、周囲の多くの人々から愛を受けながら育ったのですが、もし私が早めに婚姻していなければこの世に奪われる余地もたくさんあったので、幼くして聖婚させ、あらかじめ天が私を抱かれたのではないかという考えをしてみたりもします。

 いずれにせよ、そうこうしているうちに私が八歳の時、六・二五動乱が勃発しました。戦争でソウルから避難するようになったのですが、その時、叔父が大きな助けをしてくれました。大母様は、ただひたすら主に出会うことだけを思いながら絶えず精誠を尽くして過ごしていらっしゃったのですが、叔父が軍隊にいて、漢江の橋が爆破されるという情報を入手したのです。それで、ある日、小型トラックを運転してきて、外祖母と大母様と私を乗せて南側に避難したのです。

 漢江の橋を渡る時、叔父は私たちに「橋を渡ったらすぐに降りなさい」と言いました。私たち一行は、叔父に言われるがまま、橋を渡るや否や降りて身を伏せたのですが、その瞬間、漢江の橋がホーンと爆発したのです。その時、漢江の橋を渡っていた多くの人々と軍人たちが川の中に落ちて死にましたが、幸運にも私たち一行は叔父の助けで命を取り留めることができました。

 私の年齢ぐらいの韓国人は、大部分戦争と厳しい受難時代を経ていますが、私においては、すべてのことに絶えず天が保護する中で守ってくれ、無事に過ごしてくることができました。六・二五動乱も、大きな事故もなく無事に送ることができました。

 避難中に私が風邪にかかった時は、大母様が飴をふくませてせきを止めさせ、けがをした時は、サボテンに御飯を擦りつぶして傷に塗り、膿を出させて傷を治してくださったことが思い出されます。

 入教前、大母様は、主を探し出す日までを目標として絶えず伝道されました。祖母と私の面倒を見ながら避難生活をされていた時、大邱で聖主教の食口であった鄭錫天長老家族と出会い、そこで何年間か生食をしながら生活しました。そのようにしたのち、鄭錫天長老の弟である鄭ピョンファ氏を訪ねて済州島に行き、何ヵ月間かそこで生食をしながら過ごしました。

 その後、春川へ上がってきたのですが、大邱にいらっしゃった鄭錫天長老から「不思議な先生」が来られたという知らせを受けました大母様は、「不思議な方ならば、おそらく私たちが探し回っているそのお方かもしれない」と言われながら、大邱に行かれたのですが、会うことができず、再びソウルに上がってこられ、青坡洞にいらっしゃったお父様の、そのお宅をお伺いするようになったのです。

 お父様にお会いしたのち、大母様は春川で牧会をされました。私はその春川の鳳儀小学校を卒業しました。卒業するころ、按手事件が起きて、大母様が監獄に行かれるようになったのですが、その時が中学校の入学試験を受けなければならない期間でした。しかし、大母様がいらっしゃらす試験を放棄していたのですが、ソウルにいた叔父がちょうどその知らせを聞き、春川に来て私をソウルに連れていって入学試験を受けさせたのです。既に前期は終わり、後期が残っていて、聖貞中学校(現・善正中・高等学校)の試験を受けて合格しました。聖貞中学校に入学すると同時に、叔父が住んでいらっしゃる新堂洞へ引っ越してくるようになりました。


洪順貞先生の証

 姉が投獄された時、私は春川で陸軍中佐として、小さな部隊の部隊長をしていました。投獄された翌日、速報が私のところに飛んできて大変驚きました。あれほど信仰生活だけを忠実に行っていた善良な姉が、刑務所に入るということは想像ができない話なので理解ができませんでした。それで、担当判事を訪ねていきました。

 経緯を調べてみたところ、精神病患者を治療してあげようということで最初から祈祷を捧げ、どうこうするうちに、その病人の熱があまりにひどくなったからなのかは知りませんが、そのまま死んでしまいました。それで投獄されたのです。その判事の話では、宗教の力で患者を治療してあげようという信仰で祈祷し、その途中で不本意ながら過失致死になったということは自分も理解するが、ここに住んでいるその家族たちの恨みゆえに、今すぐには姉を釈放することができないということでした。「善良な人だということは自分も理解しており、純然たる宗教問題だということが分かっているので、このような状況を報告書によくまとめてソウル高等裁判所に送致するつもりなので、もう少し我慢していなさい。それをもってソウルに行って報告すればすぐに釈放されると思うから、信じて安心していなさい」ということでした。

 それを聞いて初めて心が落ち着き、姉に面会してそのとおりのお話を申し上げました。普通の人であればとても歓迎しながら「ありがとう」と言うところですが、それとは正反対に「お前は分からないのでそうなのだ。そうではない。今、私がここにいるのは神様のみ旨によることなのに、お前が勝手に判事に話をして人為的に釈放させれば、神様のみ旨に反することになる。それではいけない。帰りなさい」と言われ、姉は再び監房に入っていきました。

 その時、鶴子お母様は、春川で小学校を卒業して女学校に進学しなければならない時だったのですが、姉が精神病患者を治療することに熱を上げていたので、女学校に進学させる時期をほとんど逃していました。それで、大変なことになったということで、軍隊のジープに乗せて春川からソウルに走っていきました。その時、折良く学生募集をしていなかった学校が一箇所残っていました。今の西大門の方にあったのですが、そこに直接お連れして、その場で願書を書き、翌日だったか面接を受けて、そこに入学することができました。それで、その学校に対しては本当に感謝の思いをもちました。

 その当時、私の家はソウルにあり、もちろん春川で続けて勤務していましたが、その後、陸軍本部の医務補給課長として転任すると同時にソウルに出てくることになり、お母様をお世話して一緒に過ごしました。その後、またいくらもたたずに釜山医務基地の補給倉長として転出し、釜山に下っていったので、一緒にいた期間は大変短いものでした。

 しかし、その当時幼かったお母様に対して残っている印象は、第一に、幼い年齢のわりには男性以上に言葉数が少なく、とても落ち着いているということでした。そして、また一つは、頭が驚くほど良かったということです。並外れていました。そのことが、今も印象にはっきりと残っています。

 そして、看護専門学校に入学したのですが、そこに対して私はとても悩みました。なぜなら、南韓に私の直系の親戚が全くいないからです。そのお母様が女学校を卒業して再びどこかの学校に進学しようとすれば、親戚に任せなければならないのですが、それができないのです。それで、私の先輩の方々と相談した結果、カトリック教会が直接経営している看護専門学校があり、規律も厳しく、まじめなところである上に、修道女たちが寄宿舎の舎監なので安心して任せることができるということで、その学校の寄宿舎にお母様を任せ、私は釜山に行きました。


一片丹心、絶対純潔の生活

 洪氏おばあさんも、三代の中に組み込まれて自分の意識で行動したのではないのです。自分が考えて行動しているのではありません。天がそのようにさせたのです。ですから、持って生まれた何かがあるのでしょう。それゆえに、世の中からどれほど多く迫害されたか分かりません。

 ただひたすらに天のためには何でもすることができるという背景があります。年齢がどうであろうと、何がどうであろうと問題でないのです。洪氏おばあさんのような人は、信仰0‐道のために男性であろうと女性であろうとすべてほうり投げてふろしき包みをまとめ、主に出会うために歴史的な受難の道を歩んできた人です。ですから、お母様もそのような訓練をした歴史があるのです。それは最も簡単なことでしょうか。み旨のために行く夫の道であり、熱烈な精誠を尽くす夫の道であるならば、より熱烈な精誠を尽くすことを願う心をもった家門が必要です。それで、先生はお母様を選んだのです。

 人間世界の情を知らず、天情の道理を受け継がせるために、一片丹心、身骨が溶け出すことも意に介することなく、一片丹心に神様の前に絶対服従し、絶対従順する道を行ったのです。それを悪魔はできないようにするのです。お母様の容貌は良くないですか。お母様の顔は美しいのです。娘のころ、容貌は悪くなかったはずです。ですから、誘惑がなかったでしょうか、あったでしょうか。ありとあらゆる誘惑があったはずです。そのようなお母様に接するようにさせてはいけないので、天が聖別生活をさせました。皆さんはそれが分かりますか。

 学生時代、お母様は、嫁に行かないで修道院に入り、果樹園を追って独りで生きようと思っていたのですが、「十八歳でもう嫁に行ってしまった」と言っていました。それは私が作った話ではありません。私がお母様から聞いたのです。アメリカでは十七歳になると成人とみなしますが、韓国ではそうではありません。ですから、お母様自身、愛というものが何なのかを知らなかったのです。異性に対する何の考えももたなかった人でした


真のお母様のみ言

 復帰摂理路程において、女性の役割はとても重要です。特に母の使命を準備することに対して、天は、人間が知らない中で、サタンの讒訴を受けない限度内において大変な苦労の路程を導いてこられました。

 趙元模おばあさんと洪順愛大母様は、再び来られる主を迎えるための準備と信仰で生涯一貫した生活を送られました。世の中と妥協されず、安逸な家庭環境の中で型にはまった信仰をすることなく、二十四時間をすべて天の前に奉仕し、主を迎えるための準備に限りない精誠を尽くされました。そのような信仰生活で、大母様はほとんど家にいらっしゃらなかったので、私は、幼い時には主におばあさんと多くを過ごしました。それで、その趙氏おばあさんを通して自然に、当たり前に信仰を受け入れるようになったのです。

 外祖母は、私に対する天の何かのみ旨を知っていらっしゃったのか、私が世の中に染まらす、とにかく純粋に育って天の前に用いられることができる貴い娘として成長するように多くの精誠を注がれました。外祖母は、絶えず私に「お前のお父さんは、天のお父様だ」と言われました。その記憶しか思い出しません。「天のお父様がお前のお父さんだ」と言われていました。

 それで、父親と言えば、肉身の父のことを思わず、いつも天のお父様のことを思ったので、神様を思うと常に心温まる感じをもったのであり、外的に見れば人々がすぐには理解し難い環境で育ちましたが、特別な不平不満はありませんでした。いつも何かが私を包んでくれているような温かい感じがして、常にゆとりのある心で過ごしました。大母様やおばあさんにも、肉身の父親に対してや、またお二人がどうしてこのように暮らされるのかなどといった質問は全くしませんでした。ただそのままその生活に満足しながら暮らしていました。肉身の父母に対する恨みや反発感といったものは、私の人生には全くありませんでした。

 二千年前のイスラエルの国においても、主を迎えるための内的な準備が多くあったように、解放前の韓国においても、再臨主を迎えるために準備した団体が数多くあり、復帰摂理歴史を内面的に歩んできた団体も数多くあったのですが、おばあさんと大母様は、そのような団体を探して歩きながら世の中と一切妥協することなく、ただひたすらみ旨だけのために、ただひたすら主おT人に出会うその日だけのために生きてこられました。結局、そのような信仰が私をこの位置まで導いたようです。

 絶えず深い信仰生活をされました。絶えず分別され、清潔な生活、清い生活をされました。私は、生活の大部分を大母様から学びましたが、趙氏おばあさんもそうであられました。

 趙氏おばあさんは、真のお父様と私が聖婚したのちに亡くなられましたが、霊界に行かれても、仏教系の霊通する信女(在俗、女子の仏教信者)である尹清浄心氏に現れて、「時になったので昔の君主が王位に就く時に着る服を作りなさい」と言ったことがあります。結局、尹清浄心氏はこれを果たすことができずに逝きました。また、おばあさんは、真のお父様を「王の王だ」と言われ、時局が変わるたびに、その位置がお父様の位置であると証されたりもしました。


素晴らしい性稟と資質

 お母様は、本来おとなしい方です。今、四方にすべて目を注ぐことができるのは、私に会ってそのように訓練されたからです。事実、おとなしい女性です。青坡洞に行ったり来たりする時も、一つの道だけを行くのです。いつもきちんとその道を行くのです。(笑い)私が注意して見ていました。一度来る時もそうであり、二度来る時に見回してみてもその道をきちっと行くのです。次に来る時もまたその道を来るのです。(笑い)きちんとした道を通うので、「ははあ!」と思いました。

 また、お母様を見るとき、女性として非常に端正だというのです。きちんとしています。お母様がしとやかにしている時は誰にも劣らない、尊敬することができる内的な性稟をもっています。また、伝統的に「ため」に生きる愛をもった代表的な女性を探してみると、お母様がすべての面において一致するので選んだのです。文総裁の目は偽物ではありません。

 顔が美人だからといって素晴らしいのではありません。心が美しいので、顔が美しいのです。心が美しいので、声も美しく、姿も優雅なのです。壇上でも、とても自然です。壇上で初めて歌を歌った時はいつかというと、十六歳の時です。高校二年生の時です。さっと歌うと、とても有名になりました。先生がいようと誰がいようと、壇上に上がっていけばチャンピオンのように堂々としていたのです。

 見掛けはおとなしく見えますが、度胸があるのです。見ればすぐに分かります。手を見れば分かるのです。お母様の顔は優しそうに見えますが、手を見れば違います。分厚く、腹が据わっています。壇上に立っても少しも動揺しません。それゆえに先生は、お母様として迎えたのです。「今はなんだかんだ言うが、見ていなさい」と思ったのです。


真のお母様のみ言

 当時、私は性格がおとなしいほうであり、平穏で静かな雰囲気の中で読書や音楽を好む性格の人として学校の中でも知られていました。また、とても知的なイメージの女性としても知られていました。極度に感情的でもなく、極度に激することもなく、常に理性的であり、初めて会う人にはむしろ少し冷たい印象まで与えたはずです。

 私のその当時の生活は、ほとんど修道女のような生活でした。男性と一緒に活動することは一切避けていて、さながら温室の中に咲く一輪の花のように、外の環境から完全に自分自身を隔離していました。今になってこそ、それがいつか主にお会いして、主の新婦になるための人として聖別するための天の準備だったということを知りましたが’当時としては何も分からなかったでしょう。

 本来、私の性格も外向的ではなく、常に消極的であり、世の中から離れて自分自身の世界を楽しむほうでした。それで、男性たちに対してはほとんど完全に無視するかのように行動したのであり、周囲にいる青年や男性たちを私のほうから先に見つめるということもありませんでした。男性を見るだけでも何か気恥ずかしく、純粋性を失ったように感じたからです。

 学校に通う時、私は出歩くことを好ます、運動を避けながら静かに読書を楽しみました。そして、どの学校に行っても先生から愛され、保護されました。比較的まじめなほうだったからなのか、先生たちがよく面倒を見てくれました。また、先生方は「君は最近の子供のようではない」と言いながら「少し外に出て歩いてみなさい」とそのようにも言われましたが、それは、悩みが多いなどの理由によるのではなく、ただおとなしく座って静かにしていることが好きなのでそのようにしていたのです。

 思春期などの成長期においても、私は生きることに対する悩みをもつことかありませんでした。おばあさんや大母様が常に天に侍って生きる信仰を植えつけてくださったからです。

 時々「テス」のような小説を多く読み、のちのち気に入った友人と一緒に田園生活をしながら暮らしたいという考えをもったりもしました。友人たちの間で「あなたは澄まし屋だけど、お嫁には先に行くでしょう」という言葉を聞いたりもしました。

 聖婚したのちは、過去の学生時代に対して考えることがなかったので、特別に思い出すものがありません。考える暇もなかったでしょう。最近になって時折訪ねてくる友人たちがいて、その時の記憶が少しよみがえったりもします。

 最近、女性連合の大会の時に私を訪ねてきた友人がいるのですが、中学校の同期で呉クヮンヂャという友人です。同じ町内に住み、一緒に学校に通ったのですが、その父親が私を大変愛してくださいました。また、高校の一年先輩であるヘレン・キム(Helen Kim)という人がいるのですが、その母親が私を見て「きちんとしていてかわいい」と言って多くの関心をもってくださいました。ヘレン・キムは、今もカナダに住みながら何かの折には私に手紙を送ってくれ、また会ったりもしました。大会のたびに参席していると聞いています。

 善正学校を引き継ぎする時、その学校に行ってみると、その当時の国語の先生がそのままいらっしゃいました。その国語の先生の顔が思い出されました。また、作曲家の李フンニョル先生の弟子である数学の先生が私を大変愛してくださいました。

 六〇年代までは、衣服で自分自身を包み隠すようにほとんど目立たない生活をしました。天が私を世の中と妥協しない生活へと導かれるので、簡素な生活環境で暮らしました。神様は、私がサタン世界の空気をかぐことも嫌われるほど徹底的に保護してくださり、そのような環境の中で、私は、私自身の考えをすべてなくし、天が導かれる生活だけをしました。

 そして、常に日記を書きましたが、不思議なのは、何気なく書きつづることが「私たちの願いは統一などの、大抵このような文句でした。後日、お父様のみ言を聞いてから、そのようなことが意味をもって記憶されたりもしました。

 昔、私が学生の時、おそらく中学校の時だったか、運営委員長をした記憶があるのですが、その時、全校生がいる場所で壇上に上がり決定された事項を話さなければならないことがありました。それで、その話をして下りてくると、その時に国語の韓ヂョンエ先生──今も勤務している──や、何人かの先生が「いやあ! 鶴子は大したものだ」と言ったそうです。いつも周囲の人々には、静かでおとなしい学生という印象を与え、すぐに親しくなることも難しいという印象を多く与えていたので、そのように言われたのでしょう。私はただ説明しただけなのに……。それが、私が多くの人々の前で話をしてみた最初の経験でした。それ以後は、私の運命がこのように変わったので、全く話をせずに暮らす生活をしました

 

 サタンはお母様の強みを弱みに転じる戦略をとりました

例えば、アナログのウォークマンの市場を独占していたソニーの資産が

逆に「資産を負債化する戦略」をとられてデジタル商品の普及に遅れて、アップルなどに後れを取るようなものでした。

このような神と真の母が待つ財産であるはずの、神のたった一人の心情の対象としての娘、「独生女」を負債化するサタンの虚の戦術でした。

お母様が持っておられる最も美しい天稟を逆手に取るというものでした。

ではどのように実行されたかを語る前に、今一度、神観について、次回は確認して参りましょう。

 

 


にほんブログ村