若い頃、仏陀が本当に苦悩されたことが、愛の問題ではないかと考えたことがある。
何故そのように思うようになったかというと、仏陀が我が子にラーフラと名づけた名前の意味を仏教の入門書のような本で知ったからである。
何年も前に日本において、自身の子供に「悪魔」という名前で役所に申請した親があった。しかし、この名前は役所では受理されなかった。そのようなことがあったのをニュースで国民が知ることになり、大騒ぎになった。
ところが、人格者の中の人格者、悟りの境地を得て歩まれる仏陀が、息子にかって付けた名前が「ラーフラ」、即ち「悪魔」を意味する言葉だという。確か著者は「差し障り」というような意味の方をとられていた。
これらの言葉が同様の意味で多く用いられるというのか。「差し障り」としたことに、著者の仏陀に対する尊敬の念がバイアスとなり、本来「悪魔」として使われることが本当は多いのか。
その辺の学術的正確さを持っては如何なる意味になるのかを知ることが出来なかった。
ともあれ、たとえ柔らかな表現の「差し障り」であったとしても、一般にわれわれ父母が子供の名前をえる場合には、子供の誕生に希望の未来を祝福するような言葉を選ぶことであろう。
そのことを忘れて年月が過ぎ去った2006年7月の「ブッダは、なぜ子を捨てたか」という本が出版され、急いで大きな書店に向かい、店頭でぱらぱらページを捲ってみた。
自分が考えてきた先のことが書かれていることを期待したからである。
大変失望し、購入して帰らなかった。
多くの方の書評を後に知ったが、ほとんど憶測の憶測というようなお話であるといって切り捨てられておられた。
これから私が書くことは、仏陀やラーフラが時系列でどうのとかいうような、学術的な背景は一切無視して、ただ若い頃の自分に、ラーフラが不義の子であると仮定した際に、思わず浮かんできた仏陀のお言葉を通して、感じてきたものである。
四苦八苦でお馴染みの八苦は、前半の四つが普遍性のある苦について説かれ区分されている。即ち、生老病死の四つである。
これに対して後半の四つの苦は、妙に生活感があるというか、人間くさいというか、つまり個別性をもった内容であるような気がするのである。
私の胸に湧き上がってきたのが、この八苦の後半の四つであった。
さて、ラーフラが仏陀の妻の不倫によって生まれ来た不義の子であると仮定してみるときに、
どのような姿で、この後半の四苦は私の前に現れるようになったのであろうか。
空想物語にお付き合いくだされば幸いである。
先ず四つの苦はどういう内容であったであろうか。
初めの、愛別離苦は
愛している者と離れ離れにならなければならない苦しみのことである。前半にでてきた死によって引き裂かれる死別の苦があり、生きながら事情があって離れざるを得ない苦しみがある。
次の、怨憎会苦は
会いたくもないような怨みや憎しみを抱く者にも、事情があって会わなければならない苦しみがある。
さらに、求不得苦は
あることを求めてみたところで、叶うことが出来ず、得ることが出来ない苦しみがある。
最後に、五蘊盛苦は
五蘊は5つの要素の意味で、具体的には色(肉体)受(外界の刺激を感受すること)想(イメージをもつこと)行(行動を決断すること)識(認識判断をすること)とされている。
この五蘊に執着し囚われることから生じる苦しみがあるということである。
さて、以上の四苦を先程掲げた仮定から、仏陀の個人的体験から悟られたものであるとして見直してみると
仏陀が愛してやまない妻が、思いもよらない不倫なる淫行関係を結ぶことによって、不義なる子ラーフラが誕生してきたとする。
そこで深く妻を愛しているにも拘わらず、家を出て、すなわち道を求めて出家を選ばざるを得ない苦しみがある。愛別離苦である。
自分と妻の愛の結晶ではない息子ラーフラといういわば恩讐に毎日会わなければならない苦しみがある。怨憎会苦である。
本来の妻との麗しい関係を求めてみたところで、それは叶わぬという苦しみばかりがあふれてくる。求不得苦である。
心は五蘊に執着するあまり、千々に乱れ、これに囚われの身となり、ただただ苦しみを果てしなく生じるばかりである。五蘊盛苦である。
代表してこの五蘊盛苦から如何に解脱し悟りを得るか。ここに仏教の嚆矢があるような気がする。
苦というのは結果として表れた現象である。
ではこの苦をもたらした原因としての本質は何であったのであろうか?
それが愛である。
仏陀が愛の問題で本当に悩まれたのではなかろうかと
若い日に私は思いを馳せたのである。
田上太秀は、京都にある黄檗宗萬福寺に不義密通によって生まれたと中国で伝承されてきた、ラーフラの木彫りの像があり、顔は仏陀に似ておらないが、胸を開けて見せて「顔は似ずとも心は仏なり」とでも言わんばかりの様相であると言う。
<追記>
この記事を書いて二年以上が経った。
別段この件の考察を重ねてきたわけではないが、原始仏典のスッタニパータに以下の様な内容がある。
835
(師(ブッダ)は語った)、「われは(昔さとりを開こうとした時に)、愛執と嫌悪と貪欲(という三人の魔女)を見ても、彼らと淫欲の交わりをしたいという欲望さえも起こらなかった。糞尿に満ちたこの(女が)そもそも何ものだろう。わたくしはそれに足でさえも触れたくないのだ。」
中村元の注によれば
「伝説によると、かってブッダがサーヴァッティーにいたときに、マーガンディヤというバラモンが、自分の娘を盛装させて同道し、ブッダの妻として受納するように乞うたときに、ブッダがこのように語ったという・・・・
こういう点では原始仏教の戒律は厳しいものであった。のちの体系においては、出家した修行僧が婦人と交わるならば、それはバーラージカという大罪を犯したことになり、教団を追放される。」
一般にわれわれが思い描く穏やかなブッダの人柄のイメージとは異なる様相をここでは垣間見ることになる。
糞尿に満ちたこの(女が)とは、激昂に近いものを感じる表現である。
まるでブッダの過去に男女の愛の何らかの問題があり、トラウマが残っているかのようにさえ感じるのである。
2016年11月27日