桜井さんは、「真の 父母を神格化し、信仰の対象とする考え」に反対だそうです。
その根拠が原理講論などの記述によるという。
前回の記事にお父様の御言葉を追加しましたが、天聖経からもう一度引用しましょう。
民主世界というのは、杖と同じです。これは、兄弟主義です。民主主義というのは、兄弟主義です。兄弟が多いので、これを相続するように代表を立てようとするので、兄弟たちが皆集まって、より犠牲となり、より奉仕して、より伝統を立てうる人を取り出さなければならないのに、それが民主主義式です。
民主主義は、世界主義ですが、その上が父母主義です。これから、父母主義時代がやってくることを知るべきです。父母を選挙で選出しますか? 再臨主を選挙で選出できますか? 神様を選挙で採択できますか? できないのです。
つまり、民主主義とは兄弟間で代表者を決める制度だというのです。
これを宗教に当てはめて「相続するように代表を立てようとする」ような行為が、
桜井さんが推進している兄弟主義であり、兄弟主義宗教の教祖が顯進様だというのです。
その証拠は顯進様を「支持する」という表現に現れてきます。
民主的に決めましょう。お父様抜きに。お父様を神格化せず、兄弟だけで決めましょう。どの兄弟が相続者に相応しいか、神だとかメシヤだとか、そう堅いことを言わないで、皆で冷静に決めましょう。霊性に決めるのはやめましょう。
こういうことなのです。
ですから、せっかく成約時代が訪れたのに、それ以前の宗教の次元にわざわざ転落して、行こうというのです。
「民主主義は世界主義です」とお父様が言うように、
兄弟主義宗教の顯進教も、確かに世界性を持っているのです。
だから彼らは言うでしょう。
顯進様は世界的に運動を展開しているんだ、凄いだろうと。
だが、決して惑わされてはなりません。
何故なら「その上が父母主義」だからです。
上には上があるのです。
お父様の言葉です。
さて、桜井さんの記事を振り返ってみましょう。
では見てみましょう。
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顕進様の第二の質問は、「メシヤの使命とは何か?」です。メシヤとは日本語で訳せば「救世主」となり、人間を超越した力を持つ存在という印象を多くの人が持っています。あまりにも尊敬し、神聖視するあまり、メシヤであるイエス様を神格化し、神様と同一視する信仰を持っている人々もいます。
そこでまず、神様とメシヤの関係について考えてみたいと思います。
原理講論第7章キリスト論で、お父様は何度もイエス様が神様御自身ではないということを強調しています。
(引用開始)―――
今までの多くの信仰者たちは、イエスを創造主、神であると信じてきた。...
***
ヨハネ福音書一四章9節から10節のみ言は、イエスが正に、神そのものであるという意味で言われたのではない。
***
ヨハネ福音書一章10節の記録は、彼が、すなわち、創造主御自身であるということを意味するものではない。
***
ヨハネ福音書八章58節のみ言も、イエスが神御自身であるという意味から言われたのではない。
(引用終了)―――
イエス様は神様を父と呼び、サタンから三大試練を受け、十字架上では「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と言われたことを見ても、イエスが神御自身ではないということは明確だと私たちは考えてきました。
また、キリスト論には、メシヤであるイエスがどのような存在なのか、次のように書かれています。
(引用開始)―――
イエスは、地上においても、原罪がないという点を除けば、我々と少しも異なるところのない人間であられる
***
完成した人間とイエスとは、いかなる差異があるかという点を考察してみることにしよう。(中略)
完成した人間は、唯一無二の存在であり、全被造世界の主人であるがゆえに、彼なしには、天宙の存在価値も、完全になることはできないのである。したがって、人間は、天宙的な価値の存在である。イエスは、正に、このような価値をもっておられる方である。しかし、イエスがもっておられる価値がいくら大きいといっても、既に列挙したように、創造理想を完成した男性がもっている価値以上のものをもつことはできない。このようにイエスは、あくまでも創造目的を完成した人間として来られた方であることを、我々は否定できないのである***
ヨハネ福音書一章10節の記録は、彼が、すなわち、創造主御自身であるということを意味するものではない。
(引用終了)―――
御旨と世界の852ページに、メシヤとはどのような存在なのか、次のように記されています
(引用開始)―――
メシヤとは何かというと、神の愛の前に初めて生まれた、神の愛の前に立った、初めて神の長男としての愛を受けるそういう立場に立った者がメシヤだ。
***
神が絶対なる主体となれば、(メシヤは)男として、絶対 なる主体圏に立つ者だ。それはどんな立場か。父子の関係だ。父子の関係。分かりました?(御旨と世界 P.852)
(引用終了)―――
したがって神様とメシヤの関係とは父子関係です。メシヤは神御自身ではありません。当たり前のことですが、いつの間にか真の父母様を神格化し、信仰の対象とする考えが広まっている状況があるため、敢えてこの内容から書き始めました。次回の記事から本格的にメシヤの使命について考えていきたいと思います。
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桜井さんはここを強調して青い字に修飾しています。
「原罪がないという点を除けば、我々と少しも異なるところのない人間であられる」
では、桜井さんにお聞きしたいのだが、
「イエス様が地上に誕生されるまでに、誰か一人でも原罪がなかった人はいるでしょうか? その後もお父様が誕生されるまでは原罪のない人はいたでしょうか?」
昔から
「言うは易く、行うは難し」
と言うが、この場合は
「言うは易く、あるは難し」
でしょうか?
原理講論がなぜこのところで、このような表現をしているのかという意図がよく飲み込めていないようです。
原罪がないという人は、確かに上記のような存在かも知れないが、
実際存在に即して考えてみると、ほとんど不可能な世界です。
つまり、原罪がない人を神格化しないようにする方が無理なのです。
それほどいないのですから。
言葉通りに捉えることと、実際存在に即して捉えること、あるいは、実際行動に即して捉えることとは別だということです。
理論と実践。理論(値)と実験(値)。
違うのです。
世に言う机上の空論ということです。
原罪があるか、ないかということは天地の差が出てくるのです。
神格化されるからです。
だから、処女懐胎で無原罪で誕生されたイエス様は神の子なのです。
だから、お母様は無原罪独生女にこだわるのです。
神格化されるからです。
それ以外は同じでも、これが違えば神の子であり、天地の差が生じるのです。
顯進様の間違ったメシヤ観を鵜呑みにしているからこうなってしまうのです。
顯進様はけっして統一原理を正しく理解されてはいないのです。
キリストやメシヤを人間的存在に降格して、お父様の神的価値を剥奪し、そのような人間的存在のお父様に従わなかったとしても、問題はなかったという方向に持っていく、サタン的な詭弁でしかありません。
神と人は、確かに別存在です。
しかし、創造本然の人の価値は神的価値です。
人は神格化されるべく生を受けてきたのです。
臨在という言葉があります。
この臨在がずっと続くような状態を
「インマヌエル」と言います。
「神 我らとともにあり」という意味で、神の宮である人に神が住まわれる事をいいます。
基本的には臨在も同じことです。
また「受肉」という言葉もあります。
み言葉の実体です。
キリスト教も、統一原理も神格化を目指しています。
お父様だけではありません。
私たち全ての食口もそうです。
被造世界における人間の位置
第一に、神は人間を被造世界の主管者として創造された
第二に、神は人間を被造世界の媒介体として、また和動の中心体として創造された。
第三に、神は人間を、天宙を総合した実体相として創造された。
我々は神格的存在です。
祝福を受けた夫婦の位置は如何だったことでしょうか?
ここにおいて、我々は、人間始祖として創造されたアダムがもし完成したならば、彼は被造物のすべての存在が備えている主体的なものを総合した実体相となり、エバが完成したならば、彼女は被造物すべての存在が備えている対象的なるものを総合した実体相となるという結論を、直ちに得ることができる。神は被造世界を主管するように人間を創造されたので、アダムとエバが共に成長して、アダムは被造物のすべての主体の主管主として完成し、またエバはすべての対象の主管主として完成され、彼らが夫婦となって一体となったならば、それがまさしく、主体と対象とに構成されている被造世界の全体を主管する中心体となるべきであったのである。
また、人間は天宙の和動の中心として創造されたので、すべての被造物の二性性相の実体的な中心体であるところのアダムとエバが、完成されて夫婦になってから、彼らがお互いに和動して一体となったときに、初めて二性性相として創造された全天宙と和動することができるのである。このように、アダムとエバが完成された夫婦として一体となったその位置が、正に愛の主体であられる神と、美の対象である人間とが一体化して、創造目的を完成した善の中心となる位置なのである。ここにおいて、初めて父母なる神は、子女として完成された人間に臨在されて、永遠に安息されるようになるのである。このときこの中心は、神の永遠なる愛の対象であるために、これによって、神は永遠に刺激的な喜びを感ずるようになる。また、ここにおいて初めて、神のみ言が実体として完成するので、これが正に真理の中心となり、すべての人間をして創造目的を指向するように導いてくれる本心の中心ともなるのである。それゆえに、被造世界は、このように人間が完成されて、神を中心として夫婦となることによってつくられる四位基台を中心に、合目的的な球形運動をするようになる。しかるに、被造世界は人間の堕落によってこの中心を失ったので、万物も実に切なる思いで、神の子たち、すなわち創造本性を復帰した人間たちが出現して、その中心となってくれる日を待ち望んでいるのである(ロマ八・19~22)。
何をいまさら、キリストを神格化するなと言うのでしょうか?
キリストどころか、我々も同様に神格的存在になることを目指しているのですから。
簡単にいえば、
顯進様や桜井さんは、
お父様にも、そうせよと言っているのです。
どれだけ堕落すれば気がすむのでしょうか?
堕落し失墜するのは、自分たちだけにして、
お父様を巻き込まないでいただきたいものです。
桜井さんは言います。
「したがって神様とメシヤの関係とは父子関係です。メシヤは神御自身ではありません。当たり前のことですが、いつの間にか真の父母様を神格化し、信仰の対象とする考えが広まっている状況があるため、敢えてこの内容から書き始めました。次回の記事から本格的にメシヤの使命について考えていきたいと思います。」
では、メシヤであるお父様との父子の関係を、一方的に断ち切ってしまわれた方に、
どうやって神様とメシヤの関係である父子関係を語ることができましょうか !
お父様は
「宇宙で最も重要な真理は、神と人が親子の関係だということです」
と言われてきました。
神を説明する際に、神の本質はこうこうと説明する人もいます。
神と人との関係性から説明することが大切だとお父様は考えられています。
お父様との父子の関係を理解できず、切って去っていった人に
どうやってその核心をわれわれに説明できるというのでしょうか?
それが説明できる亨進様に、顯進様は繋がるしか、永遠の命を得ることはできないのです。
神山氏は、お父様の真意を兄弟に語らなければなりません。
「亨進様こそ、お父様が願われた後継者です!」と。
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