原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

創造原理 万有原力 超越と内在

神はあらゆる存在の創造主として、時間と空間を超越して、永遠に自存する絶対者である。・・・・神がこのような存在としておられるための根本的な力も、永遠に自存する絶対的なものであり、同時にこれはまた、被造物が存在するためのすべての力を発生せしめる力の根本でもある。このようなすべての力の根本にある力を、我々は万有原力と呼ぶ。

 神は超越神でもあり、かつ内在神でもある。

この力というのは、神の心情の表現である。全体の至福を希求する。押さえがたい衝動のような有様で展開する。したがって、先ず心情があり、この心情が求める無限の喜びを実現するための、具体的目的である、創造目的があり、その創造目的の成就する方向性を伴った力が、万有原力である。

万有というのは、あらゆる存在が存在するために普遍的に内在しているということであり、原力というのは、天界(霊界)と宇宙の両方、すなわち天宙の外に超越して存在する力を指しているのである。

単なる物理的な力ではなく、心情的な力なのである。われわれが自然現象の妙味に酔いしれることから、果ては、大気圏外に出て行った宇宙飛行士が神秘的な感受体験をするのも、この宇宙が無味乾燥な、唯物的物質によって造られているのではなく、観察者である人間主体の内に、喜怒哀楽を含めたあらゆる感情と感性の統括者である心があるだけではなく、一見ただ物質で造られているが如き外界の宇宙にも、やはりこの人間の感情や感性に対応する心情が見えない形で、既に織り込まれているのである。

そのことがあってはじめて芸術は存在を許されているのである。

神は科学者の中の科学者であるばかりではなく、芸術家の中の芸術家でもあられるために、大自然の中や人間の中にインスピレーションやモチーフなどを与えられるのである。

神の創造された被造物は空間的な調和である、ホロンと呼ばれる状態があり、時間的な調和としてエコロジーが注目されている。

神の創造には副産物が付随しないのに、一体何時になったら、我々人類の創造物に副産物が生じなくなるのであろうか?

人間はどうして副産物を生まない被造世界を創造された御方の存在に気が付かないのであろうか?見事に調和した世界を目前に見ているにもかかわらず、いつまでも偶然という創造神を信じ続けるのであろうか?それとも副産物を伴う作品しか作れない程度の知性であるから、神秘的なほど高度な知性の存在を理解し得ないというのであろうか?

イエス・キリストは一粒の麦の譬えをされたが、完全な一粒の麦さえ造れない存在である、というのが我々人類の実情である。

何をか言わんや!である。

神は、外において超越し存在し、内においても内在し存在し給うのである。

既に語ってきたように、神の立場、神の世界から、また創造本然の人間として完成されたイエス様や文鮮明 恵父のような、神性の体現者の視点から見るような思考を、私は統一思考と呼んでいる。

分裂した堕落世界の堕落相という現象から見るのではなく、神の創造理想世界の統一性からの視点をもって、事象を見ると言うことである。

さて、今日は韓国のケーブルTV・MBC NETでドキュメンタリー番組「文鮮明、統一と平和のための生涯」をご紹介させて頂きたい。

マスコミの報道を見れば、日本であれ韓国であれ、統一教会のイメージは悪の権化の如くである。しかし、ようやくその活動の真意の側面も報道されるようになってきたようである。

相対思考(両面思考)の素材にご覧下されば幸いである。

皆様に、神の祝福のあらんことを!

 

ドキュメンタリー番組「文鮮明、統一と平和のための生涯」

http://www.ucjp.org/?p=15654