講義では堕落性を4つ説明した後に、本当は一つだけ克服できれば良いと話してきました
先輩が大好きなドクター愛子です。
神の立場をつかむためのヒントになるかもしれないので、
掲載します。
原理講義では堕落性を4つに分類して説明します。
堕落の動機と経路から導き出された内容でした。
学生時代に、一番目の堕落性が発生しなければ、
その他の堕落性は発生しないことに気づきました。
結局神との一致、神人合一なのです。
神の立場に立ち、神の立場で愛する。
これだけです。
別の表現で言えば、
「神の事情と心情に通じる」
ということになるかと思います。
これは結局、「絶対信仰・絶対愛(性)・絶対服従」にもなりますが、
この3つを勝利する鍵が、先日お話した「神と私の父子の因縁」です。
宇宙の一番重要な真理です。
それは、他の表現が知的な表現であるのに対して、情的な表現だからです。
知的にいくら理解できても、情的にストンと腑に落ちないと自分のものにならないからです。
お父様は因縁という言葉を否定的な意味ではけっして使われませんね。
神にすっかり委ねきったあとには、その感覚で今度は神を背負って行きたいという感情が生まれることをお父様の姿は明らかにしています。
堕落性を脱いだだけの神の立場では、静的なものでしょう。
これを一体というのなら、動的なものは一如と呼んでみることにしましょうか。
神の立場に立つ一体と、神の立場で愛する一如があります。
一如というのが孝子です。
神と私が父子の関係であるという、この関係性の勝利基準を具体的には天聖経では、
「孝子の中の孝子」という表現をされたのだと思います。
ですから、「真の孝の生活」のところは珠玉のみ言葉です。
ヨブの信仰を如何に超えるかの鍵がそこにはあります。
ヨブは偉大な人でしたが、
厳しい環境の中で苦悩する自分を神に見せてしまいました。
お父様はこれが微塵もありません。
たとえば、
相対者が死んだかと思えば、嘆くまもなく息子がドラッグをやって人を轢き殺したという知らせがきた、驚くまもなく、娘が誰かに強姦されバラバラに切断され、川で発見された。自分は今こうして医者に末期がんでもういくらも生きられないと言われ、激痛に拷問のような瞬間瞬間を生きている。
最後にあなたの財産も盗まれ、あなたの財産も勝手に名義変更され他人の物になりましたと言われ、目は次第に見えなくなり、耳も聞こえなくなっている我が身一つになった。
そのとき、奪われた一切のもの以上の価値ある心情を如何に捧げることができるか?
もしできれば、ヨブを超えたことになる。
父は如何なる環境圏においても動じなかった。
その時捧げた心情は神を感動させ胸しめつけさせた。
そしてこれを我々に相続させようと願われた。
大母様も霊界から心配されて「絶対」ということをよくよく考えなさいと教えてくださりました。
孝子の中の孝子の心情が父と子が一心だという境地です。
だから、心情の境です。
ゲッセマネでは二心だったと父は言います。
「父よ願わくはこの盃を過ぎ去らせ給え」
十字架上では
「我が神、我が神、何故捨てたのですか?」
と聖句にあることから、これを神に尋ねるだけでも二心だといいます。
もちろんこの大本の聖句は神を賛美して終わってはいます。
もしかしたら、最後に槍で突かれてしまった原因、
奪われてしまった条件になったのかもしれません。
夕方になれば降ろされたはずでした。
生きて復活する道を神は用意していたでしょう。
父と一心は誰にも譲ることができない心です。
空海なら秘密荘厳と言うでしょうか?
それでも意味は全く違いますが。
孝子の中の孝子で世界的に生きれば、聖子になれます。
南無阿弥陀仏と念じて生活をする方たちには、人格者がおられます。
つまり念仏を唱え仏に帰一することに専念することが
仏の立場に立つということになります。
これが一番はやいからなのでしょう。
皆さんはどのようにして神様と一体化する努力をされていますか?
神様はわたしと一体化するための努力を今もなされ続けておられます。
お応えしなければ なりませんね。
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