原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

真のお父様御生誕100周年記念、お父様の生涯路程の価値とイエス様の価値 全文

<目次>

 

1,天宙の孝子とは何か?イエス様の悔いとは?神様の秘密とは?

2,イエス様とお父様が同じなのは霊的堕落の蕩減復帰までである

3,キリストによって贖われてわれわれが神の子となるのは、実子ではなく養子

4,霊的堕落と肉的堕落の蕩減復帰

5,先生の血統が違う。イエスの血統とは違う。

6,孝子の道は夫婦から始まる 

7,夜の神様と昼の神様の統一は8段階の完成であり我々が完遂すべき道

8,孝子の夫婦の道である8段階心情路程

 

 

 

一体何をどこからどこまでどう話せばいいのだろう?

神意のままに語るべきことを語らせ給え!

 

1,天宙の孝子とは何か?イエス様の悔いとは?神様の秘密とは?

 

お父様は御自身とイエス様の違いをはっきり自覚して語られることがしばしばあった。

 
神様はお父様に答えられたという。
エス様を含めて今まで神様の心情を知る者が、
過去にも現在にも居ないばかりか未来に現れるかさえわからないと。
 
 「ある時、先生は神に祈りました。『善なる神の目的、善なる神の人格、その目的にかなうその人格、神の心情を中心として生活する場において、神の事情を中心として、万物を抱き得る真なる神の創造本然のその人は、いずこにありますか?』。『おりませn』。『過去におりましたか?』。『おりません』。『現在におりますか?』『おりません』。『未来におるでしょうか?』『私は知らない』」
(1965年1月28日)
 
  

神様は神様の心情を本当に知るものは、過去にはいないとお父様に答えられている。

おかしいじゃないか?

それならイエス様も神様の心情が本当にはわからなかったことになる。

 

あなたはこれを信じるか?

もしあなたがこの事実を信じないとすれば、

一体あなたとお父様の関係とは何なのだろう?

 

食口は全て「お父様とイエス様は同じだ」と思い込んでいる。

阿呆め!

誰もお父様とイエス様が真理のみ言を巡って霊界で血みどろの戦いをされたことを考えもしない。

 

天聖経の孝子の教えは、

「地獄に送ろうと、天国に送ろうと、自由にしてください』と言うことができるのです。そのように生きた後に地獄に行った人はいません。」

(154−315.1964.10.5)

 

 

お父様にとっての地獄とは一体何だったのだろう?

 

「 いくら70,80になるまで孝子の役割を果たしたとしても、青春時代に父母のために生命を捧げた孝子にはかないません。それゆえに、忠臣は、死んだのち、生命を捧げたのちに決定するのです。真の孝子も、生命を捧げる立場で決定すえうということを、私たちは、歴史時代においてたくさん見て知っています。」

(48−65,1971.9.5)

 

お父様は青春時代のいつ地獄の死を通過され復活されたのだろう?

 

「生きている人が真の孝子になることはできません。生命をまだ残している人が、孝子の部類に入っていくことはできません。孝行するために数多くの人々が死んだのですが、死んでいない人が孝子の表彰を受けたとすれば、孝行するために死んだ人々から讒訴されるのです。・・・・・忠臣も、死ぬ前には忠臣になることはできません。同じ道理です。」

(49−280.1971.10.17)

 

お父様はそれを詳細には語ることができなかった。

 

「真の忠臣ならば、自らの事情を見せたりはしません。自らの心の奥深くにしみ込ませるだけであって、表に出して泣くことはできないのです。」

(18−252.1967.6.11)

 

アダムは神によって愛されながら、神の心情を不信し、神の心情を蹂躙して堕落した。

したがって、後のアダムや再臨のアダムは、

あたかも神に見捨てらたとしか思えない地獄に放り出されても、

神を信じ神を愛さなければ蕩減復帰が成立しない。

 

そこで、神と人類のために探求され復帰された真理の御言を

全教祖に否定され、イエス様に否定され、神様によって見捨てられなければならなかった。

 

だが、

 

兄弟よ、あなた方は一体具体的に何を論争してきたのか考えもしない。

何故天下のイエス様がお父様に反対されたのか?

エス様は理由なく反対されるような馬鹿じゃない。

 

キリストであるイエス様と再臨主であるお父様は意見を異にしていたのだ。

それも僅かな相違ではなく決定的な相違があったために、壮絶な論争があったのだ。

何故だろう?

 

終わりの日だから、はっきり言おう。

エス様の真理に対する解明が中途半端だったからである。

 

先生が地上にこの統一原理を立たせるには、数多く霊界で戦った。最後には神様の前まで行って談判して、神様も反対する所で勝利をして来なければならない。何の事かわかる? その霊界の孔子やら、あらゆる宗教の教祖がみんな降伏した結果、勝利を得たその原理である。だから天の神様から御印あるでしょう。』
あたしは(1965年2月8日 札幌教会 札幌教会和動会のみ言)

 

私が至誠を尽くしているそのお方に、その神様に、

全霊界の万民の前で反対され木っ端微塵に否定されることこそが、

心情の十字架の道であり、孝子の門である。

 

十字架上のイエス様は、本当は神様によって霊肉の勝利を期待されていた。

だが、

 

エス様の十字架における死は、霊肉が一つになった立場でサタンに勝利したのではなく、サタンに追い込まれて死んだのです。それゆえに、体はサタンに差し出し、霊だけが復活したのです。40日後に復活して弟子たちを集め、霊的な基準を中心として第2イスラエルを出発しました。これが今までの、キリスト教2000年歴史なのです。」

(横書き天聖経 P2040〜2041 19−207.1968.1.7)

 

サタンにはイエス様を打つことができる条件があった。

父が臨在されて父と一心であるなら、「私の思い」と「みこころ」が違うはずがない。

サタンはこれを見逃さなかった。

お父様はイエス様の禍根の一言だと言う。

 

わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさってください」

(マタイ26:39)

 

ローマ兵は何故イエス様を槍で突くことができたのか?

十字架刑を終えたイエス様には霊肉の復活の道があった。

だが、サタンには条件があった。

生き返らせることを許さなかった。

エス様はサタンに条件を奪われてしまわれた。

 

ただ、十字架上でイエス様には、

イサクの時とは違って神様がご自分を見捨てることがわかった。

神様が去っていく「暗黒」をイエス様は初めて体験された。

 

だが、それでも神と一心であると言うならば、

「わが神、わが神。なぜわたしをお見捨てになったのですか」

と言うことはできなかったはずである。

たとえ後半に神を讃える聖句であろうとも・・・

それゆえに、イエス様は十字架を超えて霊肉の復活をサタンに塞がれてしまった。

槍で突かれてしまわれた。

 

 神様に、『あなたが息子を引き離すような疑わしいことばかりを私におっしゃったとしても、私は信じます。』 『信じることはできないだろう』とおっしゃったとしても信じます。愛する父母が最も悪なる父母となって、むちで打ったとしても、私は、愛する孝子以上の心をもってあなたに従います」 と言わなければなりません。神様は、そのように思っていらっしゃいます。

(73−59.1974.7.29)

 

エス様までの信仰は、多かれ少なかれ神に頼る信仰

主の山に備えありだ。

だが、備えがなかったらどうするというのだ?

パラシュートが開かなかったらどうするというのだ?

それどころか、パラシュートの準備もなく飛び降りなければならないとしたら?

それでも、迷わず飛び降りろというのです。

 

モーセが紅海を前にして神に命乞いしたようにではなく、

お父様の信仰は神様に自分を頼ってもらう信仰

だからお父様はこう語られたのだ。

 

 「自分を信じる人間となれ、特に信仰生活において、蕩減路程において、いつも問題になるのは、自分が自分を信ずることができない。だから自分が自分を信じられない者は、神自身を信じることができない。」

(1980年7月1日)

 

「自分が自分を信ずる、そういう立場に立てない者は、神に頼ることができない。神自体も、信じて何事もまかせることができない。自分はどうでもいいんだけれども、神だけ認めればいい。そうはいきません。自分が自分を信ずるような立場に立たない者は、神もいりませんよ。神がいかに信じられるか。自分が自分を信じられない立場に立ったら、基台がないことになる。基台がないことになるんだから基台のない者を、神様は、絶対なる主体の神様は、そういう者を相手にすることはできません。だから、自分がこういう者であるというならば、それは、絶対自分の信ずるような基台に立ったという確信をもってやっていく所に、神はいつでもそこに援助してくれるということを覚えて貰いたい。」

 (1980年7月1日)

 

人々が忌み嫌う茨の十字架の道を、

お父様は自ら引き寄せてその中に神の祝福さえ見出されてこられたのだ。

蕩減とは悲しみの言葉ではなく、祝福に満ちた言葉であると。

 

あなたはこれを信じるか?

あなたはこの道を父のように行くか?

 

それとも、

言葉だけ信じ、言葉だけ集めるのか?

 

 

「人は、自分の子供のために最も大事なものを与えます。あなた方を自分の子供のように考え、最も貴い、最も正しいものを与えようとする父母の心があり、天の心があるからです。その最良のものが何であるかというと「蕩減」ということです。これは悲しみの言葉ではなく、ひじょうに祝福に満ちた言葉なのです。もし、私が悲惨な状態になって倒れた日には、神様は両手を取って息絶えた私に人工呼吸をして、再び生き返らせてくださるでしょう。もしあなた方が、神の言葉を実行して倒れるならば、神は必ずあなた方を助けてあげるに違いありません。」

 (1980年7月1日 確か年内のファミリーに掲載された)

 

お父様は何を語りイエス様に反対されたのか?

血統転換の根本復帰についてである。

 

「イエス様は母マリアと結婚しなければならなかった」

 

 

 絶対「性」は公的なものである。

したがって、自分の親、自分の相対、自分の子という意識圏内にいれば、

絶対「性」を知ることはできない。

 

『アダムとエバが堕落するとき、天使長が姦夫サタンとなって、自分の愛する妻を奪い、息子と娘をすべて滅亡させ、その家庭と世界全部を破綻させたという、この事実をどのようにして忘れるというのですか?(中略)そのために(堕落世界は)近親相姦関係まで行くのです。近親とはだれのことですか?親子の関係です。一番近い愛の関係において混乱が起こるのです。(中略)ですから、天の反対の立場であるサタンは、世の中で貴いということのすべてを奪っていったのです。神様が最も貴く考えるのは、近親絶対理想的相対関係であり、近親相姦関係ではありません。それを近親相姦関係にしてしまったというのです。』

(1997年8月9日 「七・八節」(天地父母天宙安息圏宣布)九里市水澤洞・中央修練院 )

 

堕落の時と逆の経路をゆく

男よ、あなたが天の祭物なら、婚約者であれ妻であれ喜んで天の結婚に協助しなければならない。

男よ、あなたが真のアダムになるには、妻が母でありながら子の息子と天の結婚をさせるみ旨に喜んで協助しなければならない。

それができなくて何故タマルが分かるというのだ!

 

女よ、あなたが天の祭物なら、婚約者であれ夫であれ喜んで断ち切って子羊との結婚に向かわなければならない。

女よ、あなたが真のエバになるためには、夫がありながら母でありながらアダムを完成させるために天の結婚を息子と結ばなければならない。

それができなくて何故タマルがわかるというのだ!

 

「すべての女性は先生の相対である。そして息子を産まなければならない。その息子を成長させて、自分の相対としなければならない。
これは理解できる者だけが理解すればよい・・・」
(1999年5月「血統転換についての文先生のみ言葉」)  

 

 

皆さんが愛するその奥さんを神の方に捧げるその愛、神をもっと愛するように、奥さんを捧げ物として捧げるような心持ちを持たないと、天使長は復帰されないというのです。

 皆さんは天使長の立場です。その奥さんはみ旨のために、いくらでも、どんなことでも捧げる。愛の怨讐の立場にある者に渡しても祝福しなければならないという心持ちを持たなければ、天の真なる子女になれないというのです。自分の奥さんを盗まれても、共にその男の妾のように生活しながらも、共に生きる男がいるというのです。おとなしくて、話もしないで祈るし、嫌々ながらもそういう立場で一緒に生活する男もいるというのです。」

(1970年10月18日 水澤里中央修練院 777双聖酒式後のみ言葉 )

 

神やメシアが黙っていたとしても、タマルは叫ぶだろう。

阿呆め!

頭の中だけで決着している者は祝福泥棒だ!

 

「 それで、タマルは公娼街の女として、遊女の身なりをして、舅が働きにいく途中の道に待っていて、関係を持って子供を孕むのです。あなたたちの奥さんの中で、そのようなことのできる勇気のある女がいるでしょうか? タマルは神様の祝福を相続するという英雄的な行動をしたのです。

 祝福家庭の女性は、それ以上の貴いものの相続を得るようになっていることを考えてみた場合に、そのような勇気を持った女性にならなければならないことは言うに及びません。あなたたちの奥さんは、そういう女性になっていますか、いないですか? 周りに聞くことではありません。小さい目をもっと小さくつぶって、見えないようにして隠れてしまう人、どうですか? 子供ばかりを守って、み旨も何もやらないで妻にやらせる悪辣な者たちが、ここにはたくさん集まっているのです。恥ずかしいことです。

 祝福家庭は手を挙げてください。みんなそうですね。恐ろしいことです。イエス様みたいになって、こういう遠因的な女性を妻に持ったとすれば、その一家は氏族メシヤとして、一六〇軒も一瞬で復帰するような素晴らしい尊敬される家庭となり、イエス様以上の誇りある堂々たる家庭となるべきなのに、何ですか君たちは! 恥ずかしいことです。分かりましたか? (はい)。タマルのような英雄的な女性として、妻を育てていけるような男が必要だということです。この場を中心として、覚えておかなければなりません。

 

 

タマルは誰と結婚したのだ?

自分の夫となるべき相対と結婚し、

自分の夫の弟と結婚し、

自分が結婚した夫が死んだら、その夫の弟とも父とも結婚したのだ!

誰のためだ?

神のためである!

 

「考えてばかりいてそのことを行わなければ、考えていない人よりも悪いのです。そのような人は、本当にどろぼうです。それがもし思ったとおりにならなければ、盗みしかできないのです。」

(横書き天聖経 P2027 88−27.1976.7.1)

 

 

顕進様が勝利できず、亨進様が勝利した世界も孝子の道であった。

顕進様と韓鶴子はお父様の財産を奪う盗賊になってしまった。

 

 

「孝子になろうとすれば、父母の心の方向と常に一致していなければなりません。孝子の道を行く人は、父母とかけ離れた行動をする人ではありません。

 父母が東に行けば東に行かなければならず、父母が西に行けば西に行かなければなりません。行く目的を提示したのちに、行く途中で回れ右をすれば、一緒に回れ右しなければなりません。そこに異議があってはなりません。10度行き、10度回れ右をしたとしても、また回れ右して従っていかなければなりません。

 反抗すれば、孝子の道理を最後まで守ることはできません。父母が狂ったことをすれば、子供も狂ったことをしなければなりません。父母の命令ならば、狂ったことでもしなければなりません。狂ったことをすること自体はいけないことであり、父母がわからずにしているのならば知りませんが、分かってしているというのです。

 それでは、何故父母は狂ったことをするのでしょうか孝子の中から最高の孝子を選び出すためには、その道しかないからです。100人の孝子がいるとすれば、その100人の中から一番になれる孝子をつくるために、その父母は狂ったことをするのです。

 しかし、その気まぐれを真実だと思い、生命を捧げてその父母の命令の前に絶対従順をすれば、その人は、孝子の王にもなれるのです。

(62−32。1972.9.10)

 

では、いつ亨進様は孝子としての勝利の基準を立てられたのか?

お父様とジョナサン大統領に会ったときである。

分かる人には分かるだろう。

 

その後ずっと経って、ある時亨進様はお父様の夢を見た。

夢の中で、お父様は何かに烈火の如く怒られていて、

大勢の食口を次々に殴りまくっていた。

そのお父様がついに自分のところに来たので、

もうダメだと亨進様が覚悟を決めていると、

お父様は亨進様を殴らず、「絶対『性』」と言って通り過ぎて行かれた。

ジョナサンのときは殴られたが、夢では殴られなかった。

何故だろう?

亨進様がただ一人お父様の絶対「性」を信じていたからである。

 

 

 お父様はイエス様との論争で血統転換の根本復帰について語られたのだ。

エス様は血統転換を充分には理解されてはいなかった。

だから、イエス様を含めて全霊界が反対したのだ!

 

我々のようなボンクラではない。錚々たる教祖たちが軒並み反対したのだ。

蕩減復帰の道が外的に見れば近親相姦に見える。だから教祖もイエス様も反対したのだ。

 

 

 『全世界の五大聖人を中心として、地獄も天国も、霊界に行った人をすべて動員し、神様が叫ばれて「文総裁が現れた。」と言えば、四十三日戦争をするのです。(中略)先ほどすべて話したように、霊界での闘いが起きたとき、すべてイエス様も孔子も、「あのような異端者がどこにいるか? 人類の先祖が堕落して、血統が間違ったとは。それ以降に蕩減復帰が必要だとは。」と言ったのです。知っている人は一人もいません。そして、すべて反対したのです。そして、霊界に行き、わたしが立って神様は後ろにいらっしゃり、すべての霊界の霊人たちが、わたしの前に立って、問答するのです。だれが正しいか問答するのですが、自分たちが知っていることは、わたしがすべて知ったうえで、そこに行きました。(中略)
すると神様が、何と答えられたと思いますか? 「文総裁の勝利だ!」です。そのような命令をするとき、霊界はどうしたでしょうか? 五大聖人の顔はどのようになったでしょうか? ひざまずいて赦しを願わなければなりません。』
(2005年1月3日 韓国・天宙清平修錬苑 「神様王権即位式四周年およびイエス様ご聖誕記念式典」)

 

 

エス様は真理すなわち統一原理を充分には理解されてはいなかった。

蕩減復帰が完全には分からなかった。

だからお父様は語られるのであった。

 

「イエス様は奇跡復帰だが、先生は蕩減復帰だ。」

 

 

『すべてに『道師』がいる。孔子やら釈迦やら、マホメットとか、たくさんの世界的な宗教の道師がおる。そういう道師たちにみんな先生が会って、「あんたの道義はどういう結果か。こういう問題とかがあるじゃないか」。「はい、そうです」。頭を下げなければならない。霊的統一の権限を持たなければ、地上統一はできない。最後にはイエス様に会って、先生は質問したわけなんです。「歴史の根源においてこういう問題がある。どういうようになるか」と。聖書を見たらイエス様はみんなわかっておるように信じておるんだけれど、そうじゃない。
(1965年1月29日 東京本部教会 統一旗授与式後のみ言 )

 

何故、「みんなわかっているわけじゃないイエス様」と

お父様が同じだ、同等だと言うのか!

聖書にとらわれてはならない。

新約の基準でお父様を引きずり下ろしてはならない。

 

聖霊が好きな奴はずっと新約に生きていればいい。

孝子の中の孝子、忠臣の中の忠臣、烈女の中の烈女。

それが現れないでどうして御旨が完成するというのだ!

 

「『原理』はイエス様まで説明しているために、イエス以後、先生に関することを皆さんは知りません。それ故に、皆さんはこれから本当の勉強が残っているのです。まだ私が教えてあげていないのです。」

(根本復帰 1971年1月10日韓国・江陵教会(聖日礼拝))

 

「タマルがわかれば原理のすべてが分かる」

エス様はタマルが完全にはわからなかった。

もし分かっていたら、何故お父様が現れるまで霊界でタマルが肩身の狭い思いで暮らしていたことがあろうか!

エス様が彼女の信仰を証しして彼女の恨みを解いたことだろう。

 

お父様は17歳の時に天下のイエス様を「阿呆め!」と喝破することができたのか?

既にこの時にはイエス様を見切っていたからである。

恐るべし、文龍明!

 

「私が17歳の時、イエス様が私に『文龍明さん、一緒に祝福を受けに行こう』と呼びかけてきた。私は言った。(声を張り上げられる)『お前は誰だ、阿呆め! お前は何も知らずに祝福のことを言っているではないか。お前は夜の神様と昼の神様を知っているのか、阿呆めが。』」

2011年12月4日 天暦11月10日 天正宮でのみ言葉

 

かって天使長ルーシェルは神様に騙された。

 

「神様が無形世界を創造し、天使たちが協助しながら、実体万物世界の創造を始めた。神様が有形実体世界を創造されたのは、無形実体のご自身の存在を、有形実体世界を通して繁殖するための場にしようという目的があったからである。しかし、その中心理想は、神様だけが知っていて、天使長も知らなかった。神様は、有形実体世界を創造されたので、ご自身の理想の発展と共に喜び、同時に天使長も喜んだ。」

原理原本 テオン訳

 

天使長だけではない。イエス様も知らなかった。

神は天使長に隠し事があったのだ。

天地創造の目的はアダムとエバの結婚にあるのではなく、

実はその根本において、神がエバと結婚をすることを、

神は天使長には知らせなかったのだ。

 

エス様はアダムとエバの結婚理想のように子羊の結婚を考えたお方だが、

お父様は子羊の結婚の前に父である神様の結婚を考えたお方である。

 

「私が17歳になった時、自分をイエスと名乗る男が私の所にやってきて言った。
『文龍明さん』
 私は言った。
『なんだ?』
 彼は続けて言った。
『これから私達は結婚式に行かなければならない。祝福にいきましょう』。
 私は言った。
誰と? どうしてそんな事が可能なのか?
 彼は言った。
あなたが望むなら神様が相手を用意して下さるでしょう。さあ行きましょう。
 それで私は尋ねた。
あなたは夜の神様と昼の神様が分かれてしまっていることを知っているのか?』」 

(2012年1月4日 天正宮 安侍日の訓読会)

 

エス様は御自身が三度母マリアにみ旨のため結婚式を挙げたいと訴えた。

 

「堕落は16歳で行われたので、イエス様は新しい年を迎えて、17歳で結婚についてマリヤに話したのです。 17歳の時に結婚で行くべき道を説明し、10年後の27歳で説明したのです。また、3年後に(30歳でも)3回説明してだめなので、涙を浮かべてエス様は出家をしたのです。」
ファミリー1997年3月号「第14回愛勝日の御言」1997年1月2日サンパウロ

 

だが、マリアは三度とも応じなかった。

 

「天の王は縦的な中心となって心の位置に来て、地上の王は体になるのです。それゆえに、完成したアダムとエバの理想的結婚式は、神様が中心になり、アダムとエバが体となってする結婚式です。それが神様の結婚式であり、アダムとエバの結婚式だというのです。」

(横書き天聖経 P2119 245−89.1993.2.28)

 

それを知ったルーシェルは?

追い出されるのではないかと思った。

 

「堕落が何か知らないでしょう?堕落が分からなければなりません。どのように堕落したか。例えれば、神様一人ではなく、神様に弟がいたのです。アダム・エバ、天使世界を創ったのは、神様が一人で創ったのではないのです。
このように間違ったのを、正し得る創造的なプログラムがありません。それ故、この責任を持った人が、教えてあげなくても、原理原則に従って分かるのです。お兄さん(※神様)が、結婚した後に、その息子娘を尊敬して育ててあげて、お兄さんが家庭を成した後に、弟(※天使長)が家庭を成したなら堕落がなかったのです。カインがアベルを殺すような破壊的な現象があり得なかったのです。

神様は、今まで女性を知りません。「天のお父様」という言葉は聞きましたが、「天のお母様」という言葉を聞いた事がありますか?「天のお父様」だと言うなら「天のお母様」がいて、天のお父さん、お母さんが人類始祖の父母となって、神様の息子娘になって生まれた息子娘は、血筋を通して連結されたので、同じく似た息子娘として生まれるのです。血筋が似なければなりません。

問題が何か?神様の弟の位置が、ルーシェル、天使長です。聖書に出てきます。誰が堕落をさせたかと言うと、このアダムの妻となる、お兄さん(※神様)の妻が、裸になって、弟(※天使長)に任せられていたのです。

毎日のように育って、大人になるまで守ると言う事にしたのに、誰よりも、アダムよりもそのような時間を近く過ごす事によって、エバは、夫に会うよりも、あの弟に会うほうが近かったのです。ルーシェルに会うほうが近かったというのです。そして、黙ってみてみると、横にいた動物たちもオスとメスが出会えば、かわいい子供が生まれるのです。

神様は、女性に子宮というものをつくってあげたのです。その子宮に、弟が上がれば、子供を持つようになっています。神様の弟であり、アダムの弟です。そのため、弟に根こそぎ奪われて、反対になって、弟たちがお兄さんまでも殺してしまって、お兄さんの相対もなくなってしまって今まで来ているので、それでカインがアベルを殺したのです。アベルの子供、お兄さん(※神様)が息子を生めば自分たちが追い出されるからです。」

天地人真の父母国民支持世界大会 

 

神様は御自身の結婚について、弟の天使長には話さず隠しておられた。

 

「 天使長は詐欺師であるが,神様もそうである。私はこの事をD-dayに訪ねなくてはならない。

 おい,天使長よ!おまえは女と結婚しなければならない事を知っているか、そしてそれがあなたが彼女を創造するという事を意味するのだということを?

 天使長の兄である神は彼の妻と妹を育てて、彼に差しださなければならなかった。

 もし神様にそれができないのならば、カインとアベルからでた双子を差し出さなければならなかったのである。」

(2011年9月22日)

 

だが、実際に追い出されたのは神様の方だった。

そして神は天地の創造主でありながら、すべてを略奪され囹圄の神になられた。

 

神様が臨在なさることができる中間の位置に、逆に、天使長が入り込んできて、アダムとエバと一体になることによって、天地父母の位置を悪なる父母が占領するようになり、その結果、心と体が怨讐となり、男性と女性が怨讐となり、天とこの地が怨讐となり、兄と弟が怨讐となり、その闘争の結果、神様は、孤独な立場、囹圄に閉じ込められた立場となり、サタン全権時代になるという、悲しく、恨めしい歴史が展開したという事実を、統一教会の教会員はみな知っております。」 

2003年2月6日 天宙天地真の父母様平和統一祝福家庭王即位式の祝祷 

 

創造主でありながら、万物に名前をつけたのは未完成のアダムだった。

 

ではその囹圄の神様を被造物である人間がどうすれば解放できるというのだ!

 

 「この天地において、神様の解放です。皆さんは神様を知らないけれど、お一人の神様がお一人だけではないのです。夜いらっしゃる神様と昼いらっしゃる神様がお一人であるはずなのに、知ってみると、なんと夜の神様、昼の神様、心的な世界の神様、体的な世界の神様が、一つになった立場にいることができないような立場でした。」

(2011年1月11日 天宙清平修練苑天城旺臨宮殿

「清平役事16周年記念真の父母様特別集会」のみ言)

 

お父様は子羊の結婚ばかりか、神様の解放のためには、神様の結婚がなされなければならないと確信しておられたのだ!

 

夜の神と昼の神が分かれてしまった。心と体の闘争していない者、手をあげてみなさい。手をあげなさい! 誰もいないのか? なぜそうなのか。心と体が分かれてしまったという事実は、夜の神と昼の神が分かれてしまったという事実から発している。神はアダムとエバに善悪の木の実を食べるなと警告した。なぜ彼らはそれを食べたか。その木の実とは何か。君たちは知らないだろう、どうだ? 人間の堕落を解明した人物がここにいる。これは嘘ではない。」

 (2011年11月24日 天正宮訓読会)

 

 

現在のところ、神様は女性を知らないのだ。我々は〈天のお父様〉とは言ってきたが、〈天のお母様〉と言ったことがあるかね?(声を張り上げて)それを聞いたことがあるか、ないか?

 人類の最初の先祖となる天のお父様と天のお母様がいるべきだろう。そして伝統というものがあり、人類は同じ血統から生まれたのだから、全ての人間がその親に似るべきではないのか?

 あなた方は、同じ血統をもつことによって自分の親に似ているのだから、それは分かっているはずだ。同じ伝統と血統をもつことで、人は親に似るのだからね。」

 

 「私が17歳になった時、自分をイエスと名乗る男が私の所にやってきて言った。

『文龍明さん』私は言った『なんだ?』彼は続けて言った

これから私達は結婚式に行かなければならない。祝福にいきましょう』。

 私は言った。『誰と?どうしてそんな事が可能なのか?』彼は言った『あなたが望むなら神様が相手を用意して下さるでしょう。さあ行きましょう』それで私は尋ねた(声を大きくして)『あなたは夜の神様と昼の神様が分かれてしまっている事を知っているのか?

 もし絶対者なる神様お一人が存在するのならばこの世界はこのようであるべきはずがない。

 ノアの時の洪水審判などあるべきではないし、終わりの日の火の審判などあるべきはずはないのである。夜の神様と昼の神様が分かれてしまっていて、ひとつになっていないのである。

 その事を私は知っていたので、このように言った『聖書には、人がそれぞれ生きている物を呼んだ物はその名前となった』と書いてある。しかし創造主としての権威と主人としての位置があるならば、ひとつになっていたとしたら、そんなことはできなかったのか?。

 できなかったのか?神様の弟の立場に居た者の名前は何だったかね?それはルーシェルだ。ルーシェルは天使長である 。人類を表し を表す、そして エル果物を意味するのだ。」

天地人真の父母国民支持世界大会) 

 

 

 

エス様とお父様では、根本において

神観も罪観も救済観もしたがってメシア観も違っているのだ。

 

 

創造以前の神様は、自己完結の存在であった。

だが、その神が時間と空間という様式の中にあらゆる存在を創造した時、

神御自身も自己中心的な神から成長し、自己超越して、変貌を遂げてこられた。

神は初めから自己超越が完成されていたのではなく、

被造世界の時間とともに、また人間とともに成長されてこられた。

 

「人間の堕落とは何だった? それはどのようにして起こった? 私が最近明かしたことはこうだ――神様には兄弟があったか、なかったか? あなた方はどう思う? 神はアダムとエバと天使世界を、ひとりで創造されたのではないのだ。だれもこれを知る者がいない。私はこの世界に責任を持つ者として、神はアダムをひとりで創られたのではないことを突き止めた。では誰が神の弟を創ったのか? 神が、自分が兄になるために、弟、仕える者としての天使長を創られた。神様はひとりでは創造することができず、自分の弟との協力でなさったのだ。神と神の弟は、主体と対象の間柄で、目的のために議論し助け合ったのだ。パートナーがいなければ幸福はない。そこで創造の過程において兄と弟がいたのだ。神は弟と一緒にアダムとエバを創り始められた。なぜ神様は、弟を未完成の状態に創っておいて、アダムとエバを創り始められたのだろうか?
 アダムとエバは、兄である神の息子と娘になる予定であり、アダムとエバが家庭を持ち始めたら、兄である神は、もっとすばらしい息子と娘を弟に与えようという、驚くべき約束があったのだ。これがあったから、弟としてのルーシェルは創造の過程において幸福だったのだ。この観点からすると、天宙の始まりは、兄と弟によって喜びをもって創造されたアダムの家庭ということになる。」 

(2012年1月8日、韓国で行われた「天地人真の父母国民支持大会」において「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」のスピーチを読みながら語られた、お父様のみ言の一部)

 

 

神の成長の歴史をただ一人知ったお父様は、

成長以前の神ではなく、成長した神の立場で行動された。

 

神は実体の神様になるアダムを天使長より先に祝福されたが、

お父様は天使長の立場の三弟子を自分より先に祝福された。

 

 

自己完結していた神様が創造を始めた時には、神様は全てを自己超越していたわけではない。

そこで神様はそのような歴史を持たれた。

 

原理講論はイエス様までの原理、原理本体論は先生の時の原理であるべきだった

 

「皆さんが分かる原理を教える程度の先生だと思いますか。皆さんが分かる原理は、イエス様までの原理です。先生の時の原理ではありません。」
祝福家庭と理想天国Ⅰ P802 

「祝福の意義と価値」第四節 祝福を受けるための蕩減条件

 

書かれた原理本体論は二度死んだ。

一度目の原理本体論も二度目の原理本体論も「イエス様までの原理」でしかなかった。

二つとも失敗だった。

阿呆め!何故「先生の時の原理」を書かぬのか!

そんなものがどうして「原理本体論」だと言うことができるのか?

 

逆説的だが、聖書にとらわれていると最後にはお父様を見失うのだ!

 

新・旧約聖書をすべて捨てても、真の父母を取り戻さなければならないという事実を知らなければなりません。真の父母をもたなければならないということなのです。それで、真の兄弟が出てきて、すべて出てくるのです。それで、世界的な因縁を通じて基盤を築き、その父母が出てきたのちに、父母を通して子女が出てこれるのです。そのような天地の調印をしなければなりません。それを神様が公認して、その次には真の父母が公認しなければなりません。その時から『真の子女の日』が世界的に認定されるのです。」

横書き天聖経 P2130 95−173.1977.11.11)

 

 

 圧倒的にお父様を理解しなければならない。

そして、圧倒的にお父様にそっくりに生きなければならない。

 

 俺のようなクソ野郎が何故お父様を証さなければならないというのだ?

お父様に永遠にして絶対の愛を受けた天使長たちは何処に消えたのか?

悲しみで胸が張り裂けそうだ!

お前たちが証さないから、このクソ野郎が証さなければならないのだ!

馬鹿野郎!

クソ野郎にどうしてお父様を明かす資格があるというのだ!

馬鹿野郎!

お前たちが捨てたお父様の真の愛を俺は拾って、

直接受けた者たちの何億倍も自分が、

まさにお前らを通してお父様に愛されたのだと確信して、

クソまみれの姿で証さずに入られないのだ!

馬鹿野郎!

俺もお前も皆、死ななきゃ治らない!

もとより到底お父様には似つかわしからざる糞野郎なのだ!

わかったか!

 

気がついてみると書き終えた今日11月22日は、あの御言から8年経っている。

わたしはお父様とイエス様が何故違うのかじっくり考えた人だ。

 

「聖書には、『そして夕べがあり朝があった。一日だった』と書いてある。夕べがありそれから朝があったのだから、これは二日目のはずだと思うかもしれない。夜はどこへ行ってしまったのか? この言い方は3数を中心にしている。私はこれがなぜ第一日なのかをじっくり考えた人だ。」 

(2011年11月22日 天正宮 訓読会)

 

 

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「神とメシアの三位一体を形成するためには、最初に方向性が定まっていなければならない。お前たちは、神とイエスと真の父を知らないのだ! お前たちは、私がどんな根拠で『第3アダム』と言ったのかを知らないのだ! お前たちは、アダムの実体的存在、イエスの実体的存在、真の父の実体的存在、夜の神、昼の神、といったものを知らないのだ。夜の神と昼の神がなぜ分けられてきたのかを、お前たちは知らないのだ! これがお前たちのありさまだ。

(2011年8月9日 ラスベガス平和宮

 

第1次アダムは神様から与えられた「しなさい」という責任を完成できなかった。
「してはいけない」という戒めも守れなかった。
​第1次アダムは「してはいけない」という戒めを守れずに堕落して
「しなさい」という三大祝福も完成することができなかった。
​第1次アダムは堕落によって昼の神様になれなかった。
​第1次アダムは堕落によって真の父母にもなれなかった。
​第1次アダムが昼の神様になれなかったことが、神様の恨(ハン)である。
​第1次アダムが昼の神様になれなくて、心と体の闘争が始まった。

 

第2次アダムとして送られたイエス様は「してはいけない」という戒めは守っても
「しなさい」という三大祝福の責任は果たせなかった。
​イエス様は洗礼ヨハネの妹と結婚して真の父母になって
昼の神様にならなければならなかった。
​イエス様が結婚したならば、十字架で亡くなることはない。」

(2001年1月13日)

 

 

 

2,イエス様とお父様が同じなのは霊的堕落の蕩減復帰までである

 

アウグスチヌスに始まる「原罪」という概念は一般にわかりやすいものではあるが、

これはあくまで新約的な表現であって、実際の中身を詳細に語るものではない。

新約から成約を見てもわからないが、成約から新約を見ればわかる。

 

旧・新約聖書 ➡ 成約の御言 ✕    原罪 ➡ 霊的堕落と肉的堕落 ✕

成約の御言 ➡ 旧・新約聖書 ◯    霊的堕落と肉的堕落 ➡ 原罪 ◯

 

<原罪とは何か>

 

 霊的堕落と肉的堕落によって生じた人間に対するサタンの所有権が原罪

 

「 イエス様自身について見ると、イエス様はマリヤの腹中に宿って生まれましたが、歴史的な勝利の土台の上に、サタンが讒訴できる何の条件もないのです。サタンが讒訴できる条件がないということは、原罪がないということです。
 罪とは何でしょうか。神様のみ言に違反したことが罪だというのですが、サタンが讒訴できる条件を提示することが罪です。恩讐が食い下がる条件を提示することが罪なのです。ですから、原理原則、法度から外れれば神様もどうしようもないのです。サタンに引っ掛かってしまうのです。エス様は、生まれたときにサタンが讒訴し得る立場を抜け出した立場で生まれたので、原罪がないのです。
(『イエス様の生涯と愛』)

 

 

霊的堕落と肉的堕落によって生じた所有権を根拠にサタンは人間に対する親権を主張

 

「けれどもエス様は、蕩減復帰の原則によって、タマルの腹中であるペレヅが勝利した血統的な基盤の上で、マリヤの腹中を通して生まれました。したがってイエス様は、腹中に宿った時からサタンが讒訴する条件がなかったのです。エス様と一般宗教の指導者たちとの違う点がそこにあります。生まれた根本が違うのです。腹中からサタンと戦って勝利した基盤の上で、サタンを屈服させ、長子の基準を立ててイエス様が生まれたので、神様の息子として生まれても、サタンが讒訴できる条件がなかったのです。そのようにして初めて2千年後に、イエス様がこの世にお生まれになったのです。」(『イエス様の生涯と愛』)

 

 

サタンが人間の所有を主張できる讒訴条件が原罪、

これがなければ無原罪。

 

 そういうわけで、

私はこの「原罪」という言葉が曖昧であまり好きではない。

 

霊界メッセージのイエス様もこんなふうに語っておられる。

 

「私は『無原罪』という言葉を使うことを好みません。なぜなら、それは理解するのがより難しいからです。」

 

エス様による霊界メッセージ

 

堕落と関係のない状態と、神様の直接主管圏または個性完成の状態とは意味が違います。生まれた時の赤ちゃんの状態は、神様の直接主管圏ではありません。また、それは個性完成した状態でもありません。

では、私はどのようにして、堕落と関係のない状態で生まれたのでしょうか。私は「無原罪」という言葉を使うことを好みません。なぜなら、それは理解するのがより難しいからです。

私は、生まれた時、堕落と関係のない状態になるために、罪や罪的なもの、あるいは罪を犯す事にさらされたことはありませんでした。堕落と関係のない状態、では堕落に関する知識は全くありません。

私の母は、私の誕生を、原罪のある状態から分立するために、何かをしました。彼女は罪と反対のことをしました。それによって、私は堕落と関係のない状態で生まれました。私は堕落していないアダムの立場で生まれました。

これは、私の母が立てた条件の手順によってなされました。私が何かをしたからではありません。私の母は、私が特別な立場で生まれるために、サタンを分立しました。


彼は、私、ナザレのイエスからその性格を相続しました。これはとても衝撃的なことですね。私は彼の親ではありません。それでは、そのことがどのようにして起こったのでしょうか。

神学者は「命の吹き込み」について話しますが、私は難しい用語はすきではありません。ここでは考えの移転、または心情と感情と愛の移転について話しましょう。

文鮮明師が生まれた時、私はそこにいました。私は、その赤ちゃんの助産でした。私は彼の母ではありませんでしが、私は彼をこの世界に迎え入れた助産師でした。

このことはとても奇妙なことのように思えるでしょう。しかし、私たちが生きている今の状況の中では、このことを説明する時が来たと私は思います。

私は、彼が子宮の中にいた時から、彼を導こうとしていました。そして、私はそれに成功しました。それゆえに、彼は堕落と関係ない状態で生まれました。私は、イスラエル国家の蕩減基台を通して作られた基台をその申請時に相続させました。私はタマルの勝利とマリアの勝利をその赤ん坊に相続させました。これらの勝利はとても偉大なことでした。彼女らは両方とも死に直面していました。彼女らは両方とも、信じられないような勝利を成し、堕落行為を取り消しました。


全ての人に喜びを与える喜びと希望に満ちた考えとは、私は、私の堕落と関係のない血統を文鮮明師に相続させたということです。私の血統は続いています。神様の血統は続いています。
 
 
この方は本当にイエス様か?
わたしはそう思う。
 

「私は、生まれた時、堕落と関係のない状態になるために、罪や罪的なもの、あるいは罪を犯す事にさらされたことはありませんでした。堕落と関係のない状態、では堕落に関する知識は全くありません。」

 

エス様が堕落に関する知識がなかったと言うように、お父様もこう語られている。

 

堕落はなぜ起こったのか。自由意志によって起こったのではない。アダムとエバは絶体的に他のために生きる存在、自分を中心に愛を求められない存在だ。それにもかかわらず堕落した。問題は何かというと、天使長自体が問題だった。…だから「善悪の実を食べるな」というのは、アダムに対する話(戒め)ではない。天使長に対する話。天使長は本来何をすべきか。アダム・エバを育て保護しなければならなかった。」

2003年3月23日 イーストガーデン 文鮮明

 

原理原本にはイエス様の誕生について書かれている。

再臨のときには天使ではなくイエス様が神様の命を受け責任を果たされたのだ。

 

<原理原本 原文>

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원리원본-제2편 창조원리와 타락섭리 - 제1장③
原理原本 - 第2編 創造原理と堕落摂理 - 第1章③
 
제2절 그렇다면 타락의 시작을 알아보자.
第2節 それでは堕落の始めを調べてみよう。​
 
아담 해와가 범죄 하고보니 본래 아담 해와에게 주입하여준
하나님의 근본 자체인 터 즉 생심을 중심하고 장성하여
하나님이 임제할 수있는 터 자체 즉 아담의 영인체는
악을 범한 자체의 몸에 있을 수 없으므로 하나님이 거두심이었다.
 
アダムとエバが罪を犯したので、本来、アダムとエバに注入してあげた
神の根本それ自体であるところ、すなわち『生心』を中心として成長して
神が臨在できるところ、すなわち、『アダムの霊人体』は
悪を犯したその体にいることができないので、神が取り上げられた。
 
그런고로 법죄 하기 전에 영인체 자체가 하나님 우편에 계시었다가
제2 아담 격으로 보내심을 받은 그 분이 즉 독생자 예수였다.
독생자라는 명사도 여기에 명백하게 되는 바이다.
죄를 짖기 전 아담의 영이 예수의 영에 주임 받아 오심이 근본 목적이었다.
 
それゆえに、犯を犯す前に、霊人体自体が神の右側におられたが
第二アダム格として送られたその方が、すなわち、独生子イエスであった。
独生子​という名詞もここに明らかにされるものである。
罪を犯す前のアダムの霊がイエスの霊に注入されて来られることが根本目的であった
 
그런고로 예수는 죄를 짖기 전 아담의 완전 성숙한 존재로 나타나서
복음을 시작하심은 무슨 목적이냐 하면
잃어버린 자녀들을 찾아 옮겨 놓고자 함이 근본 목저이다.
 
それゆえに、イエスは罪を犯す前のアダムの完全成熟した存在として現れ
福音を伝え始められたのは何が目的かというと
失われた子女たちを探し、移しておこうとすることが根本目的である。
 
그런고로 오날 인간은 원수의 몸에서 구속받고
참부모를 잃어버리고 사니
그 양심적 고통은 이 사실을 알려주는 간접적 자극이다.
 
それゆえに、今日、人間は恩讐の体に拘束され
​真の父母を失って生きているので
その良心の苦痛とは、この事実を知らしめるための間接的な刺激なのである。
 
그런고로 우리는 예수의 품으로 올겨 놓아
하나님을 근본 아버지로 직계혈통 관계를 맺지 않으면 안될 중대 책임이 남아 있다.
이것이 예수님이 오셔서 성사를 완성지 못하였기에
재림의 요구가 되게 되었다.
 
それゆえに、私たちはイエスの懐に移されて
神を根本の父として直系血統の関係を結ばなければならない重大責任が残っている。
エスが来られたが、これを完遂できなかったがために
再臨の要求がされるようになった。
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
私は、私の堕落と関係のない血統を文鮮明師に相続させたということです。私の血統は続いています。神様の血統は続いています。」
とイエス様が説明されていることは、霊的堕落の蕩減復帰までのことである。

「神を根本の父として直系血統の関係を結ばなければならない重大責任が残っている。
エスが来られたが、これを完遂できなかったがために
再臨の要求がされるようになった。」
 
私は永らく原理講論の創造原理の以下の箇所に引っかかり感じてきたが、何故そう感じてきたのかはわからなかった。
だが、原理原本にあるその記述のお陰で、その引っ掛かりが何によって生じたのか分かるようになった。
 
神は人間を創造する前に、未来において創造される人間の性相と形状とを形象的に展開して、万物世界を創造された。それゆえに、人間は万物世界を総合した実体相となるのである。人間を小宇宙という理由は、すなわちここにある。・・・・
神の第三祝福は、万物世界に対する人間の主管性の完成を意味する。人間が祝福を成就するためには、神の形象的実体対象である人間と、その象徴的実体対象である万物世界とが、愛と美を授け受けして合性一体化することにより、神を中心とする主管的な四位基台が完成されなければならない
 
 
原理講論には人間は誰でも同じように創られているように記述されている。だが、原理原本は違う。何故だろう?
 
人類始祖のアダムは他の人間とは違うからである。
 
原理原本を踏まえた私の理解では、
アダムとは神の心情的実体対象であり、一般の人間とは異なるものとなり、イエスの時までの原理ではわかりにくいのだと思う。
万物ではメートル原器もそれをコピーしてできたものも同じではある。もちろん我々の実生活に用いられるメートルには、メートル原器の厳密さを必要とはしてはいない。
だが、人間の場合はだいぶ事情が違ってくる。
わたし玉木という人物をアダムにして、果たして森や林や山川という人物の個性はその子孫に現れるだろうか?
人それぞれに与えられて個性は唯一のものであるならば、自分の中に有りもしない個性が子孫に現れるとは思い難い。
すると、人類始祖アダムには万人の個性が現れる原因が内に備わっていなければならないだろう。
われわれの持っている霊人体とアダムの霊人体は違うのだ。
この違いを統一思想的に表現するならば、
人間の霊人体は神の個別相的霊人体だが、アダムの霊人体はそれだけではなく、
普遍相的霊人体を持つということだろう。
アダムが堕落する前に神が取り上げたアダムの霊人体とは普遍相的霊人体である。
これがアダムが実体の神様である所以である。
 
「 ここで被造物の普遍相と個別相との関係を明らかにする。個別相は個体の特性であるとしても、普遍相と個別の特性ではなくて、普遍相それ自体が個別化されたものである。例えば人間の顔(容貌)がそれぞれ違うのは、顔という形状(普遍相)が個別化され、特殊化されたものであり、人間の個性がそれぞれ異なるのは、性格、気質という性相(普遍相)が個別化され特殊化されたものである。そのように人間において個別相とは、個人ごとに普遍相が個別化されたものであり、その他の被造物においては、種類ごとに普遍相が個別化されたものである。」
(新版 統一思想要綱 第一章 原相論 一 原相の内容 (一)神相(3)個別相 個別相と普遍相 P49)
 
 
エス様の時に直系血統の関係を結べなかったなら、どのような関係を結べたのだろう?
 
養子の関係である。
 
お父様のお母様である忠母様にはイエス様の母マリアのような秘密があった。
それゆえ、韓鶴子のお母様は「大母」とされたが、
お父様のお母様には「忠」の字が用いられている。

 

「私の母は,双子の弟と妹を生んだ。そのような歴史があったのだ。

 私は、母に尋ねた。「あなたの兄弟は結婚したのに、どうして、あなたのおじい様達は結婚しなかったのですか?誰のためにですか?」

 お母さんは「それはわからないね」と言って,目を閉じて向こうを向いてしまいました。それで,それはお母さんのためだったのだという事がわかりました。

 もう少しはっきりさせましょう。

 わたしはお母さんに”お母さんは間違った事をしたね”と34回言いました。するとおかあさんは私の方に向き直って,私におおいかぶさるようにして言いました。

 ”私は間違いを犯したんだよ。わたしには秘密がある。”わたしは更にその事について尋ねました。

 お母さんは”何のためにそれが知りたいのだい?何が出来たというのだい?時がたてば分かるようになる。わたしは最後までこの事に対しての責任はとるつもりだからね”

 私は,この女とはもう一緒にいれない、彼女を追い出してしまわなければならないとおもったのです。

 アダムとカインとアベルと全ての氏族達が地平線の彼方に沈んでしまい、もうそこから出て来られないように鍵をしめてしまうまで、私はこの事について、これ以上の事を語る必要はないと思う。

 君たちはもっと知りたいかい?これ以上の事を知る必要はないんだよ。あなたが自分の責任を果たし得ないのならば,あなた達は私についてくるしかないだろう。」

2011年9月22日

 

ここまでがイエス様同様に神様とは養子の関係である。

 イエス様は確かに霊人体は長成期までは神に実子だが、それ以降の肉身は実質的には養子でしかなかったのだ。

神の実子とは、堕落世界では原罪がないことを重視してきたが、

創造本然の世界で、神の実子として重要な資質とは、

神の絶対精子を持っているということである。

ところで、たとえ実際に神の絶対精子を持っていたとしても、

それを使うことができないとしたら、

一体血筋が違う養子や僕の精子と何処が違うだろうか?

サタンはたとえイエス様が神様の絶対精子を持っ生まれてきたとしても、イエス様が結婚する道を完全に封じ込めてしまえば、実子として生まれてきても養子としてしか生きれないも同然ではないかと考えた。

アダムのときのように、イエスのときもその相対を奪ってしまえばいいのだと。

 

「神様が無形世界を創造し、天使たちが協助しながら、実体万物世界の創造を始めた。神様が有形実体世界を創造されたのは、無形実体の御自身の存在を、有形実体世界を通して繁殖させるための場にしようという目的があったからである。しかし、その中心理想は、神様だけが知っていて天使長もしらなかった。」

(原理原本 二編 一章 二節)

 

 

 

 

エス様は霊界からのメッセージでこう語った。

 

これは、私の母が立てた条件の手順によってなされました。私が何かをしたからではありません。私の母は、私が特別な立場で生まれるために、サタンを分立しました。

 

エス様は御自身が原罪なく生まれたのは御自身ではなく、母親の実績だと語った。

ところが、独生女は母親に同様の実績がないにも関わらず自分を無原罪に生んだと曲解し、しかも自分の手柄のように誇っている。

 

そもそも母マリアとは、母の体ではなく僕の体である。

 

 「マリヤは、天使長側に立っている僕、天使長の娘でした。神はこの地上に必ず神の息子を送らなければなりませんが、女性なくしては産むことができないので、神の貴い皇太子を送るのに、仕方なしにサタン側の女性の体を借りたのです。神がそのようにしたのは、喜んでしたことではなく、女性がいなくては、この世界を祝福できる子供を産むことができないがゆえに、仕方なく、僕の体を借りて、イエスを誕生させたのです。 

 マリヤは僕です。マリヤはイエスの母ではありません。エスの母の立場に立ってはいましたが、マリヤは神がイエスを生むために仕方なく借りた女性なのです。今日、マリヤを崇拝しておりますが、それは良いこととは言えません。マリヤの体を通さなくては神の息子を誕生させることができなかったために、そのようにしただけの話です。」 (祝福68号 P137~143 根本復帰 前編1971年12月1日 江陵教会)

 

 

エス様は確かに霊人体は 長成期までは神の実子だが、

それ以降の肉身は実質的には養子でしかなかったのだ。

だから、信徒は養子にしか生まれ変わることができなかったのだ。

 

エス様が聖和され、イエス様という人物の歴史が確定的事実になった時、

そのイエス様の実績からお父様はイエス様が果たされた使命について語られた。

 

「 神様の約束を果たすために、神様のみ旨を中心としてこの地に来られた方が、イエス・キリストです。彼は過去の歴史時代において、人間が僕の立場にあるとき、神様と結んだ約束を果たして、養子と真の息子の因縁をもてる立場を立てるために来られたのです。僕が忠臣の道理を果たす時には、養子の位置に立てるのです。それゆえ、復帰摂理歴史を経てきながら、イスラエル民族に僕として忠誠を果たし得る土台を築かせ、養子の因縁を結ぼうとしてこられたのです。

 養子の因縁は、どのように結ぶのでしょうか。神様の息子がこの地上に来なければ不可能なことです。神様の息子がこの地上に来なければならず、その息子の命令を聞いて、それに従順に従ってこそ、養子の因縁を結べるのです。これが旧約時代と新約時代が連結する歴史だということを、私たちは知らなければなりません。

 旧約を信じてきた人々は、僕として養子の恵沢にあずかることを望むのですが、それが正にメシヤが来ることを望む理由です。すなわち、メシヤによって僕の悲しい境遇を越えて、養子圏の立場に進むことが彼らの願いなのです。養子というのは、直系の息子、娘がいないとき、親から相続を受けられる因縁が成立する立場です。

 そのようにして、僕の立場を超越し、神様のみ旨を迎えられる恵沢にあずかることを望みながら歩ませたのが、僕の旧約時代を指導してこられた神様のみ旨です。ゆえに彼らは、僕の境遇を免れ、神様の相談を受け得る圏内に入れる特権的なその時を願ってきたのです。それがイスラエルの思想なのです。

 イスラエル民族を、世界を代表した民族、外的世界を相続できる民族として約束し、イスラエル民族とユダヤ教を指導してこられたのです。ここで、息子と養子が一つにならなければなりません。僕は、神様の息子が来るまでに養子の土台を築き、息子が受けるすべての困難を解決したあとに息子を迎え入れ、その直系の息子と一つになる位置に立たなければなりません。そうしなければ、天国にはいれません。言い換えれば、神様の血統ではなく、サタンの血統を受け継いで生まれた息子が、神様の前に養子として公認されれば、直系の息子は、アベルの立場でカインの立場にある養子を復帰しなければならないのです。

 このような歴史的な因縁があるので、世界的な因縁を代表した教団と国として、養子圏の立場に立たなければならないのが、イスラエルの国とユダヤ教だったのです。そして、直系的権威に立たなければならないのが、神様を中心としたイエス・キリストが提示したキリスト教と、これを中心とする世界国家でした。

 このように、世界を代表したイスラエルの国とユダヤ教をイエス様の前に捧げるようになれば、一国と一教団を捧げたことによって、すべての国とすべての宗教を統合し得る権勢をもって来られるイエス様と、連結されることが起こるようになるのです。

 すなわち、イスラエルの国とユダヤ教をイエス様の前に奉献してこそ、イエス様がもってこられた天上・地上天国を、この地上で相続し得る圏内に入れるのです。イスラエルの国が僕として責任を果たし、イエス様を誠意を込めて迎えなければならなかったにもかかわらず、反対したためにその道が途切れてしまったのです。」

(「イエス様の生涯と愛」P23〜26)

 

完成期は二人で歩む道だろう?

エス様はどうだったというのだ?

 

「それゆえ、ガリラヤのカナの婚宴に行った時に、酒がないと言ったマリヤに対するイエス様の言葉は、『婦人よ、あなたは私と、何の係わりがありますか』ということです。このようにイエス様が言ったのは、マリヤが隣の村の親戚の結婚式は重要視して、息子の結婚について全く無関心であったことに抗議したのです。 また、メシヤの来られる前にエリヤが再臨すると予言されていたのに、洗礼ヨハネがエリヤとして再臨したということを誰が信じられましたか? このような立場でイエス様は洗礼ヨハネがエリヤとして来たと言ったのです。」 

(1993年2月14日 ベルベディア ファミリー1993年7月 P24〜28 「成約時代と私」 )

 

 

エス様はここで初めて奇跡を起こされた。

何故だろう?

そうであるにも関わらず、マリアは何故イエス様を信じなかったのか!

阿呆め!

 

「聖書にあるように、母親のマリヤに向かって、『婦人よ、あなたは、私と、何の関わりがありますか。私の時はまだ来ていません。』(ヨハネ福音書 2/4) と言ったことがあります。これは自分のことを口実にした言い方です。なぜそのような言い方をするのかというと、30歳が過ぎてもマリヤはイエス様を結婚させていないのです。マリヤはイエス様に対する責任は果たさないで、親戚の婚姻の席では、ぶどう酒の補充をイエス様に命じているのです。(沈黙) 

 この恨みが何ですか。年取ったチョンガーの恨みが何か。嫁を迎えていないのが恨みなのです。30歳になるまで結婚していないチョンガーの恨みが何か。嫁を迎えていないのが恨みなのです。30歳になるまで結婚していないイエス様は、年取ったチョンガーでしょうか。それとも若いチョンガーでしょうか。マリヤはそこまで考えることができなかったというのです。結婚するにしても、エス様の結婚は簡単にできなかったのです。どのような結婚をしなくてはならないのか。妻になる人も、堕落した世界の根から生れた女性しかいないのです。分かりますか。エス様は、神様が血統を清めてから送ってくださったお方です。」

(祝福67号 P45 祝福を受けた者達 1986年2月9日ソウル本部教会)

 

堕落した世界の根から生まれた独生女を誇っている奴らは誰だ!

17数・27数どころか30数になってもイエス様は結婚することができなかった。

その祝福を誰が奪っていったというのだ!

 

 

「イエス様が、母マリヤの前に立って、三度痛哭しながら訴えたということを知らなければなりません。イエス様が30歳になるまで、母マリヤは哀訴を聞き入れなかったので、(イエス様は)ふろしきを背負って家を出て、公生涯の路程を出発したのです。それでは、母マリヤがすべきことは何でしょうか。エス様に妻を迎えることのできる相対的因縁を整え、歴史的基盤を備えなければならないのです。イエス様がそのような基盤を完結するためには、母子協助をして、息子が恨みの多い道を行くに当たって、母親がすべての責任を負うべきなのです。そして、エス様の新婦を選び出してヨセフ家庭の基盤の上に、神様を中心とする聖婚式を挙げるべきでした。

(祝福家庭と理想天国 Ⅰ P583)

 

エス様は誰と結婚しなければならなかったというのか?

 

「イエス様が結婚しなければならないと言いましたか、結婚しないようにと言いましたか?(「結婚しなければなりません」)。だれと結婚しなければならなかったのですか?(「洗礼ヨハネの妹です」)。腹違いの妹と結婚しなければならないと言うのです。そのような者がどこにいますか?」 (ファミリー 97/6 P20 第38回「真の父母の日」記念礼拝の御言 1997年4月7日 中央修練院)

 

 

母マリアが行くべき道とは何だったのだ。

 

 では、マリヤはどのようにしなければなりませんでしたか。端女たるマリヤは堕落したエバの立場で、自分の継代(注:後継ぎ、あととりのこと)を通して堕落しないエバをつくるために、あらゆる精誠を込めなければなりませんでした。エスの結婚に関心を持たなければならなかったのです。ところが、マリヤはガリラヤのカナの宴会の席に参席し、そこに来たイエスに『ぶどう酒がなくなりました』という話をしました。すると、イエスは、『婦人よ、あなたは、私と何の関係がありますか』と言いました。『あなたと私は何の関係があるか』と言うのです。他人の家の宴会が何の関係があるか、私の宴会はどのようになっているかというのです。 

 先生がこのような族譜(注:イエスの系譜を示す)を掘り起こして、悪口を言う必要はありません。しかし歴史を正し、伝統を正さなければならないため、不可避なのです。そうではないでしょうか。エスが死ぬようになったのは、結婚することができなかったためです。結婚していたならば、どうして死ぬことがあったでしょうか。 

 マリヤは全身全霊を込めて女性を再創造しなければなりませんでした。マリヤは女性です。マリヤは僕としての女性の中で代表的立場であるために、僕圏内にいる女性を全部動員しなければなりませんでした。三人以上動員しなければなりませんでした。三位基台を立てなければなりません。そのように動員して、お互いが協助しなければなりません。 

 イエスの親戚の中で娘がいるか捜して見て、娘がいれば彼女達を集めて基台を作らなければならなかったのに、それができなかったのです。イエスの親戚の中で誰がいましたか。洗礼ヨハネの妹がいたならば、どれ程良かったでしょうか。洗礼ヨハネの母は、マリヤがイエスを宿した後、世話をしてくれました。イエスが胎内にいる時から歓迎しました。それ故、洗礼ヨハネの妹や親戚関係の八親等内に娘がいたならば、洗礼ヨハネの母とマリヤ、そして姉がいたならば、その姉と三人が一つとなって、イエスより年が若いその親戚の娘と因縁を結ばなければなりませんでした。イエスと共に一人の女性を再創造しなければならなかったのです。 

 もし洗礼ヨハネの妹がいたならば、幼い時から、イエスが東に行けば東に付いて行きたいし、西に行けば西に付いて行きたい。付いていかなければ、『私は死ぬ』という程にイエスを思うようにしておかなければなりませんでした。そうであれば、誰が来てもどうにもならないのです。そのような女性は、今まで信じることができる特別な氏族の中から出て来なければなりませんでした。それは、どのような氏族でしょうか。洗礼ヨハネの家庭とヨセフの家庭です。ヨセフの家庭には、ヨセフの従姉妹もいたでしょう。 

 神は、イスラエルの国ではユダヤ教が中心であり、ユダヤ教の中でもヨセフの家庭(氏族)が中心であり、ヨセフの家庭(氏族)の中でも、洗礼ヨハネの家庭が中心であることを知っておられました。それ故に、その家庭は最も重要な血族でした。祖先の中の種がいいというのです。神は、イエスを見込みのある家門から見ても、名門である家門を通して生まれるようにされました。また、洗礼ヨハネの家庭を見ても、洗礼ヨハネをエリサベツが身ごもった時、祭司長をしているザカリヤが啞になったのをみると、族譜、即ち家門がいい家だということが分かります。それ故に、それ程良い従姉妹圏内からイエスの相対者を得たならば、神は嫌がったでしょうか、喜ばれたでしょうか? 

 エスの相対は他のところから取ることができません。自分の直系の従姉妹の妹、従兄弟の姉妹からしかありません。血統が異なっていてはいけないのです。このように従姉妹を通して事が良く運んでいたならば、どのようになっていたでしょうか。エスに惚れて、『イエスでなければ自決したい。イエス以外の人の嫁に行きません』と言う、そのような妹がいたならば、どのようになったでしょうか。エスが死ぬ時に『私も共に死のう』と言って付いて来る女性がいたならば、どのようになったでしょうか。そういうことを考えてみたことがありますか。 

 ペテロ、ヤコブヨハネのような主弟子も皆逃げてしまったのですが、一方的に慕う一人の女性が出て、『彼が死ぬのならば、私も共に死にたい』と言う妹がいたならば、どのようになっていたでしょうか。そうであったならば、イエスは昇天することもなかったのです。イエスが昇天しなかったならば、キリスト教は虐殺されなかったのです。そういう事実を見ると、非常に重大なのです。 

 この地上に神の王者が来られたのに、男性達は天使長の立場であるために逃げたのですが、彼の相対者として残るべきエバの群れ、夫が行くべき道を貞操を持って守ることのできる一人の女性、片思いでもすることのできるそのような女性がいたならば、どのようになったでしょうか。皆さんはこれを考えてみましたか。 

 イエスは死んだとしても、神の前に栄光を返すことができました。また、死の場においても、『あなたはこの地上で愛することのできる一人の人を捜したのではないでしょうか。私に味方し、私を愛して死んでいった、か弱い女性をかわいそうに思ってください』と言って、恵みを施してあげることもできるのです。

 イエスは死の道、黄泉の道においても寂しくなかったのです。地獄に行ったとしてもペアで行ったでしょうし、楽園に行ったとしてもペアで行ったでしょう。だから寂しかったでしょうか。寂しくなかったでしょうか? そのようになっていたならば、聖霊は何のために送りますか。聖霊を送る必要がありません。そのように成すことができない運命であったので、聖霊を送ったのです。父の神であるイエスは天に行ってしまい、母の神である聖霊は地上に降りて来ました。離別が始まったのです。そのような女性がいたならば、昇天は必要なかったのです。地は子女を直接保護するために、そのように死ぬことはないというのです。」 

(祝福68号 P155~157 根本復帰 前編 1970年12月1日 江陵教会) 

 

弟子たち天使長が逃げ去っても、イエス様と死を覚悟する女が現れていたら、

エス様は昇天することがなかった。

エス様の相対はいなかったのだ。

 

3段階で言えば、蘇生・長成で、僕・養子の二段階、

8段階で言えば、僕の僕・僕・養子の三段階。

 

母マリアがイエス様の結婚の協助ができなくてイエス様は神の実子として生まれながら養子のように死んでいった。

妹と会うこともなく・・・

 

「もし知っていたならば、親戚の妹に接近し、御旨を教えてあげたのではなかったでしょうか。事実、当事の事情で、イエス自身がそうすることのできる立場でもなかったのです。腹違いの息子として生まれたという噂の故に、そうすることのできない立場でした。それを、母であるマリヤと洗礼ヨハネの母、そしてその姉かあるいは従姉妹等の、三人の女性がしなければならなかったのです。そのように、三人の女性が一つになっていたならば、間違いなく成すことができたのにこれができませんでした。」

(祝福68号 P158 根本復帰 前編 1970年12月1日 江陵教会) 

 

お父様の妹の話も・・・

 

「幼い時から、先生が東に行けば東に付いて行きたいし、西に行けば西に付いて行きたい。付いていかなければ、『私は死ぬ』という程に先生を思うようにしておかなければなりませんでした。」

 

「それ故に、それ程良い従姉妹圏内から先生の相対者を得たならば、神は嫌がったでしょうか、喜ばれたでしょうか? 

 先生の相対は他のところから取ることができません。自分の直系の従姉妹の妹、従兄弟の姉妹からしかありません。血統が異なっていてはいけないのです。」 

 

先生に惚れて、『先生でなければ自決したい。先生以外の人の嫁に行きません』と言う、そのような妹がいたならば、どのようになったでしょうか。」 

 

「私の妹が数えの13歳の時、私はよくからかったのです。『おい、お前の新郎になる人がこのような男だったらどうするのか、まぶたがこうで、何がこうで・・・』と言うと、『ええ、何ですって!』と言ったのです。ところが、数えの18歳くらいになった時、遠い親戚にあたる叔母さんが来て、『仲立ちしてあげるから、嫁に行くなら会ってみなさい』と言うのです。母が『あすくらいに誰かが見合いにくるかもしれないから、そのつもりでいなさい』と言うと、翌朝、先に起きて髪の毛をくしでとかし、おしろいまで塗るのです。服も着替え、それだけではありません。家の内外を一人ですべて掃除するのです。なぜそうするのでしょうか。嫁にいきたいからなのです。」

(1972年5月9日)

 

「母が多くの家庭を率いることが大変だと言うので、私の叔母が来て『ああ、お姉さん、子供が多く、皆苦労しているのでしょう。・・・どうか娘を一人下さい。私が育てますから』と言うので、母は平壌の叔母の家に妹を送ったのです。先生が一番愛した妹でした。その妹を送って行って、先生は実にたくさん泣いたことが今も忘れられません。それが兄弟愛なのです。そして、私がソウルに行ったり来たりして、その叔母さんの家に寄って話をしたりしました。妹と会えば、互いに涙を流しながら話をしていたことが忘れられない思い出として残っています。」

(1989年2月12日)

 

お父様が一番愛した妹も祝福を受けることができなかった。

その祝福を誰が盗んだというのだ!

お前たちだ!

 

キリスト教の歴史の中でも旧約時代は僕の時代であり、新約時代は養子の時代になります。さらに、息子の立場を引き継ぐためのものがメシヤの思想です。メシヤは神様の愛を受けることのできる息子なのです。それゆえ、イエス様を神様のひとり子といったのです。ひとり子というのは、神様において一人しかいない息子を指すのです。それは神様の愛を中心として初めて生まれた息子を称していう言葉です。そのような摂理的な背景を持った宗教、特にキリスト教を中心として歴史を導き、二十世紀の文明を支配する民主世界の創建を成してきたのです。」

「神様の摂理から見た南北統一」P50

 

エス様ですら生きてあずかることができなかった祝福家庭とは何だというのか?

 

「はじめに祝福家庭はなぜ尊いのかと尋ねましたが、なぜだか分かりましたか? 原罪ではありません。原罪は堕落以後のものです。堕落以前の神様との関係があるのであって、原罪とは関係ありません。そう言う人は、原理を知らないからであり、原理が分かれば、祝福家庭は神様と直接の関係なのです。

 (ファミリー93/9 30p 日本人特別修練会における御言 1993年 4月16日 ベルベディア)

 

 イエス様の時も、お父様の時も、何故7年の大患難が起こるのか?

 

「聖書には出ていませんが、元来はイエス様も、27歳から33歳までの7年間を中心として出発したのです。そこから40歳まで第2次七年路程であり、エス様が20歳から始めていれば、それが3次七年路程になります。そのようにしてイエス様は40歳までに世界的な基盤を築かなければなりませんでしたが、民族が従わなかったことにより死んでいったので、それが聖書に七年大患難として残っているのです。」 

(祝福家庭と理想天国 1 P1951)

 

 そして、罪なき息子は如何にして心情の十字架の絶頂で神の実子足り得るのか?

 

<宇宙の根本は真の愛による父子の一心関係>

 

宇宙の根本は父子の関係だというのです。そこで単純に考える人は、『父と子のいる関係が宇宙の根本なのだ』と思うでしょう。どうですか? 父母と息子といれば、それが宇宙の根本になるのでしょうか。父子の関係というのは、父母の関係でもなく、子女の関係でもありません父子の関係というのは、永遠に切り離そうとしても切り離すことのできない、絶対的に一つになった関係をいうのです。それには何が必要かというと、真の愛なのです。

(祝福70号 P19~20 神のみ旨を中心とする宗教圏の統一 1988年10月14日 ソウル本部教会)

 

 

もう冬か?

冬の星空が懐かしく思うなら「冬の星座」はどうだろう?

 

 https://www.youtube.com/watch?v=he6uTLQQkFc

 冬の星座 白鳥英美子

 

 

 

 

 

 

 

 3,キリストによって贖われてわれわれが神の子となるのは、実子ではなく養子

 

 

堕落したアダム家庭の8人は、サタンの実子圏に立って落ちていったね。ただし『実子』といっても血統が違う。違うものが神の直系の血統に入ることはできません。それは養子圏に立つ以外に道がないというんだね。養子圏に立つ子供は親と一つになって、(再び)落ちていくのではなくて、長成期完成基準から7年間上がっていかなくてはならない。あなたたちは完成基準にはまだ上がっていないだろう。神の直接主管圏に上がるには、完成基準を乗り越えなければならない。それは原理の教えだよ。今はまだそうなっていない。それをまとめたのが長成期完成基準だ。アダム家庭は、ここから落ちていったんだけれど、ここを中心として7年間上がっていく。それは家庭編成のための7年間である。」

(み旨と世界 P905 信仰の三子女と本然の家庭基盤、祝福家庭と理想天国Ⅱ P925)

 

キリスト教は霊的救いです。霊的なもので、実体的な関係を結ぶことはできません。それゆえ、聖霊は母なる神としてやって来るのです。天と地のこの中間にはサタンの権勢があるので、宗教を信じる人たちは突破して上がっていかなければなりません。それゆえ、聖霊とイエス様が恋愛する心情以上の心情を持たなければ、メシヤと出会う道がないのです。だからといって、世の中のサタン世界が精誠をささげることのできる自由環境にはなれませんでした。」

(ファミリー97年3月 P15~16 第14 回「愛勝日」の御言 1997年1月2日 サンパウロ

 

 

「 ローマ人への手紙第8章23節を見ると、『御霊の最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる身分を授けられる(養子となる)こと、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる』とあります。養子になるというのです。神様の前には直系の息子になれないのです。養子というのは血筋が違います。

(「イエス様の生涯と愛」P29〜30)

 

ローマ書8章23節は キング・ジェームズ・バージョンでは、

And not only they, but ourselves also, which have the firstfruits of the Spirit, even we ourselves groan within ourselves, waiting for the adoption, to wit, the redemption of our body.

 

養子縁組である。

 

誤訳では、

「それだけではなく、御霊の最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる身分を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる。」

 

「養子たる身分」でなければならない。

 

こちらのサイトで説明があった。

υἱοθεσία - 牧師の書斎 より引用

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  • 1:5には、「ご自分の子」と訳された「ヒュイオセシア」υἱοθεσίαが使われています。「子、子ども」を表わす「ヒュイオス」υίόςではなく、「ヒュイオセシア」υἱοθεσίαは、「養子として迎えられた子、養子縁組をした子」を意味します。新約聖書では5回使われています。パウロしか使っていない独自の語彙です。
    • ローマ8:15
      「あなたがたは、・・・子としてくださるυἱοθεσία御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、『アバ、父。』と呼びます。」
    • ローマ8:23
      「・・御霊の初穂をいただいいる私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくことυἱοθεσία、すなわち、私たちのからだが贖われることを待ち望んでいます。」
    • ガラテヤ4:4~5
      「4しかし定めの時が来たので、神はご自分の御子を遣わし、この方を、女から生まれた者、また律法の下にある者としてくださいました。5これは律法の下にある者を贖い出すためで、その結果、私たちが子としての身分υἱοθεσίαを受けるようになるためです。」
  • 他にもローマ9:4に使われています。そこでは、「子とされること」がイスラエルの特権だとしています。イスラエルという選民それ自体が養子縁組によって成立したのです。しかし、新約時代には、私たちは、神の長子であるイエス・キリストによって、養子縁組された神の子どもなのです。事実、今私たちは神の子どもですが、それが完全な形で実現するのは、ローマ8:23にあるようにまだ先のことです。

 

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ところで「神の子」とはなんであったのか?

 

神の子(かみのこ)とは - コトバンク

より以下に引用する。

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キリスト教の母体である旧約聖書ユダヤ教においてイスラエル民族や神から選ばれた王位への即位者が神の特別の恵みの対象として神の子と呼ばれていたが,この伝統に加え,イエス・キリスト自身が神に親しく「父よ」と呼びかけ,またみずからをその子として示したことによって,イエスの弟子たちは救い主として神からつかわされたイエスを特別の意味で神の子と理解するようになった。同時に神の子としてのイエスは神に等しい神的存在であるとする教理的思弁が進み,これとともに神の子は父,子,聖霊の三位一体の神において第二の位格をなすものとして把握された。ここから神の子はイエスと父なる神との親密な一致,キリストの超人間的・神的性質,三位の位格神としての存在などの意味表現を含むイエス・キリストへの呼び名となった。

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神の子は王権を認定されたものであり、サンクチュアリの王と王妃の冠はこのような伝統の嗣業である。

 

われわれの神学では三位一体という三者ではなく、われわれ子たる身分の信徒も加えられた四位基台が説かれてきた。

三位一体とは神を中心としたアダムとエバの一体化である自動的四位基台だけを指す。

俗に言えば、神を中心とした男女の一体化、夫婦の一体化のことである。

 

統一神学では、贖われ生み返される堕落人間の位格も含めた発展的四位基台でもあった。

 

ところで、イエスが神の実子なら何故イエス聖霊によって生み返された我々は養子なのだろう。

霊的にイエスの実子に何故なならないのであろうか?

それが問題である。

 

キリスト教でいうイエスに原罪がないという意味は、統一原理でいう霊的堕落の蕩減復帰が終わった血統というほどの意味であろう。

文鮮明師はそこで留まったのではない。

中途半端な血統転換で終わったお方ではないのである。

 

霊的堕落が蕩減復帰されたばかりではなく、

肉的堕落も蕩減復帰された天宙にただ一人のお方である。

 

 

すべての兄弟は「栄光の冠」を誤読している。

国際詩人協会の会議とやらの審査員基準で理解してきた。

どうして堕落人間にお父様の詩魂が分かるというのだ!

 

人間的な、あまりにも人間的な解釈で、

恩讐を愛する詩だと勘違いされ続けてきた。

この恨みを今日ここに解こう!

 

 

お父様は誰を許してきたのか?

お父様は誰を愛してきたのか?

 

復帰摂理上に現れたすべての義人聖人イエス様までも許して、

現在と未来のすべて神を裏切る者共を許して有り余る真の愛で

愛することに決着をつけたのだ。 

 

ここでお父様は、夜の神様に属する実子として歩む決着をつけたのだ!

 

 

お母様も38度線を越えなければならない。貴女は貴女が行くべき道があり、私は私なりに行く道があるなどと言って行ってみるがよい。分かれてしまうだろう。僅か1%、零点何%の差があっても分かれるのだ。天国の門に一緒に入って行かなければならない。堕落する時に一緒に堕落し、一緒に追い出され、地獄の底に一緒に行った。『先生は堕落の血を受けたか、浄い血を受けたか』と論じているが、皆さんはそうする自信があるのか。16歳で堕落したなら堕落する前のエバの名前をして、その次にアダムの代身の立場から歴史時代の代表として責任を引き受けて、蘇生段階の代表者、長成段階の代表者、完成段階の代表者、全部で8段階を越えていくことができる6千年の代表の血統を浄めずして、どうして代身して神様の血統を連結させることができるのか。原理を解釈もできない者たちが先生が純血か否か、何の血統か、先生の血がどうのこうのと議論できるのか。堕落前に血を汚したのか。16歳にしたことは何かといえば、その時に決心した内容が、その詩(栄光の冠)が何か、皆さんを教育する為のものなのか。それは私が越えるか越えられないかの闘いの宣言文である

文鮮明先生御言葉選608巻 P303) 

 

 

 

栄光の王冠

 

私が人を疑う時 私は苦痛を感じます。

私が人を審判する時 私は耐えられなくなります。

私が人を憎むと時 私は存在価値を失ってしまいます。

 

しかし もし信じれば 私はだまされてしまいます。

今宵 私は手のひらに頭を埋め 苦痛と悲しみに震えています。

私が間違っているのでしょうか。

そうです。私が間違っているのです。

 

たとえ だまされたとしても 信じなければなりません。

たとえ 裏切られたとしても 赦さなければなりません。

憎む者までも ことごとく愛してください。

涙を拭いて 微笑みで迎えてください。

人をだますことしか知らぬ者たちを

裏切りながらも 悔い改めのできない者たちまでも・・・。

 

おお主よ! 愛するという痛みよ!

私のこの苦痛を御覧ください!

熱きこの胸に 主のみ手を当ててください!

私の心臓は 深き苦悩ゆえに 張り裂けんばかりです。

 

しかし 裏切った者たちを愛した時 私は勝利を勝ち取りました。

もし あなたも 私のように愛するならば

私はあなたに 「栄光の王冠」をお捧げします。

 

 

 

 

神様が味わってこられたすべての屈辱の苦痛を通過して、

万民を祝福する至高の心情を確かに掴んだのだ!

その苦悩を、そのゲッセマネを超えた心情を我々は如何にして相続して

どうすればいいというのだ!

芳遠のようにのらりくらりか?

夢周のように血を吐いていくのか?

二つに一つだ!

選び給え!

 

하여가(何如歌)      이방원(李芳遠イ・バンウォン) 

        
이런들 어떠하리 저런들 어떠하리    *ㄴ들 だとしても
만수산 드렁칡이 얽혀진들 어떠하리   *리 反語的に であろうかしようか
우리도 이같이 얽혀 백년을 누리리라  *리라 推量 意思

こうだとしてもいいしああだとしてもいい
マンス山の葛のつるがからんだとしてもいいではないか
我らもこのようにからまり百年を享受しよう



단심가 (丹心歌)        정몽주(鄭夢周チョン・モンジュ)


이 몸이 죽고 죽어 일백 번 고쳐 죽어
백골이 진토되어 넋이라도 있고 없고
임 향한 일편단심이야 가실 줄이 있으랴.  *랴 反語的疑問 であろうか と言おうか

この身が死んで死に 百度も死に繰り返して
白骨が土に返り魂もあってもなくても
あなたに向かう一途な心はなくなることがあろうか

 

「何如歌」と「丹心歌」 : 隣の国の言葉にこがれて

 

 

「先生がこの道を備えてくるには、先生の愛する妻までもサタンの魁首に抱かせてあげ、祝福してあげることのできる心がなければならないというのです。何のことか分かりますか。神様がそのような立場に立ったのです。悪魔は愛の姦夫です。怨讐ですが、終わりの日になってメシヤになることのできる資格者ならば、自分の新婦までも犠牲にしてサタンに与え、神様を解放しようとすることのできる立場に立たなければ、神様を解放できないのです。

(罪と蕩減復帰 P107)

 

 

 

ある時先生は弟子たちを集めて次のような話を語られた。

 

働き者であったぶどう園の主人は、主人でありながら僕の仕事を率先して働かれていた。見かねた僕が、「ご主人様、わたしたちが致しますからお休みなさって下さい」

 主人は答えた。「これは私の仕事だから」。

ぶどう園にばかり出て家庭には戻らない父親を持つ息子は、ぽっかり開いた心の空虚を父のいないところで、酒を飲み、薬を打ち、女と戯れて自分を偽っていたが、誰よりも父を愛していた。そしてその心を天と父だけが知っていた。

主人は僕たちが幸せになるよう結婚の縁結びを忘れなかった。

息子が大きくなった時に主人は僕の中の僕の娘を長男の嫁に選んで結婚式を行った。

僕たちは、もしかしたらご主人様の放蕩息子が跡継ぎになるのではと怖れた。

自分たちが追い出されるかもしれないと思ったからである。

主人の息子は、これで父のもとで父の仕事をし父とともに生きることができると思っていたが、何処にも自分のいる場所はなかった。

そこで、一瞬の希望を抱いた息子は荒れに荒れて再び荒んだ生活に明け暮れた。

ある時、彼と結婚生活をしていた娘に散々の様子を聞かされた両親はたまりかねて、

主人の息子と自分たちの娘が住むモリヤの丘に娘を取り戻しに行って、主人に毒づいてぶどう園を去っていった。

翌日僕たちがぶどう園に行ってみると、すでにそこにはご主人様がいて、とっくに働いていた。見かねた僕が、「御主人様、今日だけはお休みになって下さいませ。」と言うと主人は言った。

「これは私の仕事だから」。

 

主人の娘も僕の中の僕から婿が選ばれて結婚をしていた。

いつも自分たち子どもたちとはいない父の代わりに夫がなってくれることを願った。

しかし、何かが違う、何かが足りなかった。

しだいに心のなかにぽっかり空虚が占領していた。

娘は生きた心地のない生活をしていたが、ある時ギターを弾く男に会った。

彼は娘の話をよく聞いてあげ慰めるためにギターを弾いては歌った。

しだいに娘の心は和みいつしか一緒に歌うようになっていた。

男にはすでに妻がいたが、二人は別の道を歩み始めていた。

男は家庭を捨て娘と暮らし、二人は結ばれた。

ぶどう園のすべての僕たちは主人に詰め寄りこう言った。

「ご主人様、あなたは常に正しいことを説かれ正しい行いを示されました。しかし、あなたの娘はぶどう園の結婚を破壊しようとしています。」

さて、娘に夫を奪われた妻は、何を見ても見えず、何を聞いても聞こえず、何を言っても答えることができなくなっていた。

彼女がふらふらとモリヤの丘の頂きに登っていくと、どこからともなく自分を呼ぶ声が聞こえた。主人の声だった。

「何故わたしを苦しめるのか」

妻はかって御主人が僕たちのために奥様を失ったことを目で見るように思い出した。

そこで妻はぶどう園に戻り、主人に詰め寄っている僕たちの前に立ちこう言った。

「ご主人様、わたしが間違っていました。わたしはご主人様のお嬢様と私のかっての夫の結婚を心の底からお祝いいたします。皆さんもどうかそのようになさって下さい。」

多くの僕は妻が悲しみのあまり気が狂ったのだと思った。

だが、主人は目を閉じて静かに厳かに言うのだった。

「おまえはわたしを解放した。」

「だが、お前は何故そうするのだ?」

「これが私の仕事だからです。」

やがてこの妻も主人によって再婚し、主人はいつまでもこの二つの家庭を訪れた。

 

これらの話を聞いた弟子たちは先生が自分たちのことを話していることを悟った。

 

 

だが、弟子の中には意を汲みかねた者もいた。そこで彼は先生に尋ねた。

「先生、わたしには仰る意味が分かりませんでした。もう少し易しく説明してくださいませんか?」

そこで先生は話を続けられるのであった。

「主人は神様であり、ぶどう園は天一国であり、主人による結婚が祝福家庭である。またモリヤの丘はアブラハムがイサクを献祭したモリヤ山のことである。僕の中の僕とは側近のことで養子の心情で主人に仕える者のことである。

その夫婦が手塩に育てた娘はアブラハムにとってのイサクのように、彼らにとっても自分の命よりも大切な宝物であった。しかし、嫁に出したということは、主人と主人の息子そしてその家庭に娘を捧げた立場にあった。

それにもかかわらず、自分の手を離れ捧げたはずの娘を燔祭の祭壇から取り戻してしまった。

イサクとはアブラハムやサラがあれ程望みながらも、神が授けるという言葉を信ぜず、唖にされて生まれてきた子ではないか。

彼ら夫婦の子である前に神の子であった。

一度財産を献金した者が、祭壇の前にある献金箱を斧で壊して、神の現前で取り戻す者がいようか?」

「先生、ますます分かりません。この夫婦が気の毒でなりません。」

そこで先生は続けられた。

「さて、この夫婦の幸せはどこからきたものだったのか?主人が二人の仲立ちをして結ばれたことから始まったのではなかったのか?主人が祝福して結びつけてくれなかったら、この夫婦の幸せも、宝のような娘は授かることができなかった。主人から頂いた福を主人に恩返したのが娘ではなかったのか?僕の中の僕、つまり養子の心情でせっかく仕えていたのに、娘を取り戻したことで彼らは主人との養子としての情関係を失って、僕どころか僕の僕、あるいはそれ以下になってしまったのである。だからわたしはあなた方に言う。高いものは低くなり低いものは高くなるのだと。また、自分を高くする者は低くなり、自分を低くする者はかえって高くなるのである。」

先生はまたこう言われた。

「では、主人の娘に夫を奪われた話をしよう。確かに僕たちが糾弾したことには理があった。しかし、ここでも先に犠牲になって来た事実は主人のほうが先であった。心を痛めた妻はアブラハムのように3日の間苦しんだのかもしれない。

だが、わたしはあなた方に言う。3日ではなく1日もうろたえてはならない。アブラハムやヨブののように落胆し不安になる姿を天の父の前に見せてはならない。あなた方にできるなら一瞬であってもそうであってはならない。むしろそのような窮地にあるときにこそ、わたしを見ておられる神様が心配なさらないように励まして差し上げるべきである。

妻はあたかもダマスコでパウロがイエス様の声を聞いたときのように、主人の切ない声を幻に聞くことになった。そこではじめて自分の前に私に先駆けて同じ事情に胸を痛めてこられた主人の痛みを今知ることになった。

この女は見るものも見えず何を聞いても聞こえず返事さえできないほど心を閉ざして死んでいたが、主人との関係を取り戻した時に生きた女に復活したのである。

その結果、僕の中の僕すなわち養子の心情を相続して生まれていた女ではあったが、この女は主人の心のなかに生きる実子となった。実子の心情を復帰したのだ。

もはやこの女は僕ではなく、主人の娘になった。

あなたがたはこれを信じるか?

 

天一国とは、あらゆる過程の学校の集まりのようである。

すべての住人は万王の王から王冠を頂いて被ってはいる。

しかし、彼らはそれぞれ学んでいる学校が違うようなものである。

ある者は小学校に、またある者は中学校に、またある者は高校にいて学んでいる学生のようである。おなじ地域に住みながら小学生には中学生の話が噛み合わない。しかし、反対に中学生にはすでに通過した小学生の話は見えている。

高いところの学校にいる者には低いところの学校にいる者が分かる。

だが、反対に低い学校にいるものには高い学校の生徒の話は理解することができない。

あなた方には何の話かわかるだろうか?

これと同じように、天一国には、

天の父と僕の因縁を築き、僕の情で御父に接する者の集団がある。

天の父と養子の因縁を築き、養子の情で御父に接する者の集団がある。

また、天の父と実子の因縁を築き、実子の心情で御父に接する者もある。

天の御父の愛は1デナリの愛、分割できない愛である。

僕に対するときも、養子に対するときも、実子に対するときも、

同じ1デナリの愛である。

そうであるにもかかわらず、人が父に捧げる愛はどうして違ってくることだろうか?

また違うべきであろうか?

神はすべての人に両手を広げて歓迎しておられる。

だが、人は自ら天の父との関係を僕や養子や実子というように決めて、

生きていること知らない。

あなた方はそうであってはならない。

そうでなければ、主人とあるいは天の父と何の関わりがあるか!」

先生の話が終わると悟りの悪い弟子は、それまで渇望したことのない

渇きを覚えるのだった。

「先生、やっと私にも何かがわかり始めました。では、このわたしはどうしたら天の御父と実子の因縁を持つことができ、永遠の生命を得る事ができるというのでしょうか?」

すると先生はこう答えられた。

「よくよくあなた方に言っておく、おのが十字架を背負って来なさいということはあなた方のすでに知るところである。だが、わたしはあなた方に言う。あなた方の十字架を降ろして、御父の十字架を背負って私とともに来なさい。そうすれば、あなた方にも実子の心情がやがてわかる日が来るであろう。」

 

 

 「孝進からしっかりしなさい。先生が愛することができる息子にならなければいけません。父は愛しているのです。息子、娘に会いたいだろう? 同じなのです。妍娥、夫の再創造!酒場に行けばついて行きなさい。麻薬をやればついて行きなさい。後ろからぞろぞろ付いて行きなさい。
(御言選集299巻「絶対信じることは絶対愛を見つけるためのもの」1999年2月1日 韓国・本部教会)

 

1999年2月5日 文孝進様・崔妍娥様御成婚

 

 

兄弟姉妹たちは、あまりにも「心情の境地」というものに対する関心と理解が足りない。そしていかにして私という人間が相続して体恤することができるのかという探求も。

 

「真に神を中心とした女性として立つためには、神への忠誠のゆえに、夫と子供、全家族が一度ならず二度三度と、三回’以上彼女を殺そうとする試練を通過しなければならないというのです。」その女性は夫と子供の憎悪の対象となる心情的十字架を耐え忍び、ナイフで体を切られたりして迫害されながらも、その最高の迫害に勝利しない限り、絶対的神中心の男性の花嫁の立場に立つことはできないのです」

(1977年5月1日)

 

外堀である天使長あるいは食口は、真のご家庭にいかなるサタンの侵入も許さない守護の使命を全うすべく神によって立てられている。まず母を守らなければならない。母が守られなければ、夫との関係に動揺が生じ、母の乱れた感情が子女を直撃する。そうなれば、父の愛情を真っ直ぐに受けるべき子女の心には、父の愛ではなく空虚だけが残る。その空虚を埋めなければ生きた心地のしない子女は、手当たり次第に埋め合わせるべき代替を求め彷徨うことになる。

だが、何処に行こうともそこには父の愛はない。

もし、母が子女の感情を収拾できなかったなら、次の世代の母が初めの母の勝利を継承して、エバの完全勝利の基準を達成しなければならなくなる。

サタンは最も長子に執着した。長子だけは取り戻そうとして自分の領域に引きずり込もうと無我夢中で工作して長子を手に入れる。

だが、神はサタンが安心するのをご覧になり、むしろサタンの攻勢を逆さにとって工作された。

蕩減とは神の祝福に満ちた愛だからである。

先ずエバは不倫によってアダムを裏切った。

真のエバになる女は、愛すべきアダムによって完全に身も心も砕け散るほど捨てられなければならない。生きる屍、息つくこともやすらぎもとっくに消え失せて死線を彷徨いながらも、アダムを求めなければならない。彼が行くところなら何処でもついていかなければならない。蕩減復帰しなければならない。

次にエバは不倫によって真の愛を失った。

真のエバになる女は、夫の生活に現れるすべての非原理的行為に主管されてはならず、

あらゆる現象を主管してありあまる真の愛を取り戻さなければならない。

最後に烈女になった女は、アダムとエバが失った神祝福することができる真の夫婦として天地に並び立たなければならない。

蘭淑様は両親と食口の守りのないところで単身勝利を続けてくださった。そうして力尽きてしまわれた。

彼女が歩んだ道を「神の摂理」だと知る者はいなかった。

蘭淑様もついに「神の摂理」を悟ることができなかった。

ただ、神とお父様だけがそれを知っていた。

お父様、孝進様、蘭淑様。本当に本当に本当に申し訳ございません。

役立たずでした。全くの役立たずでした。

 

 

 「皆さんは先生のことを良く知りたい、先生の近くにいたいと思わないですか。そうであれば皆さんはとてもまれな、普通でない生き方をしなければなりません。先生に従って狭い生き方をしなければなりません。」
(1982年9月5日)

 

 

「君たちはもっと知りたいかい?

これ以上の事を知る必要はないんだよ。あなたが自分の責任を果たし得ないのならば,あなた達は私についてくるしかないだろう。」

                文鮮明 

 

 

4,霊的堕落と肉的堕落の蕩減復帰

 

 

<霊的堕落の蕩減復帰>

 

誰が:悪の天使長 ➡ エバ (不倫なる淫行関係)

関係:天使長とエバ(本来はエバの相対はアダム)

動機:神のみ旨に反する悪の動機

時期:アダムとエバが婚約期間(神による三大祝福) 

行為:天使長とエバの不倫なる淫行関係(偽の結婚) 

 

これを蕩減復帰していくには

同様の内容で堕落の時と逆の経路を行かなければならない。

具体的には神が愛するアダムの象徴的存在である天使長的男性(祭司長)が

堕落によってエバの相対になっている天使長的男性から、

神の意志を動機として、婚約期間にある処女エバ

神の主管に奪い返すたにエバと結婚の行為をしなければならない。

 

誰が:善の天使長 ➡ エバ

関係:天使長とエバ(義父と娘=偽父と娘)

動機:神のみ旨に適った善の動機

時期:堕落圏のアダムとエバが婚約期間

行為:善の天使長とエバの神が祝福する性的関係(真の結婚)

 

そこでイエスが無原罪で誕生するためには

神のみ旨を受けて

ザカリア(善の天使長) ➡ マリア(天使長的ヨセフと婚約期間にあった)

すなわち神はザカリアによってヨセフからマリアを奪った。

これによって何が成立したのか?

当然、霊的堕落の蕩減復帰である。

 

これをイエス様が無原罪で誕生された原理であると講師も含めた兄弟が

理解してきた。

では、一体肉的堕落はどうなったのだろう?

いつどのようにしてイエス様は蕩減復帰なさったのだろう?

 

いや、はっきり言おう。

エス様はここまでであった。

肉的堕落の蕩減復帰にまでは至らなかったのである。

終わりの日だから言おう。

イエス・キリストは中途半端ないわゆる原罪の精算に終わった方である。

別の言い方をするなら、イエス・キリストとは霊的堕落の蕩減復帰を果たして誕生した独生子であった。

それはイエス様御自身の責任においてなされるものではなく、

両親においてなされた摂理であった。

 

では地上に誕生されたイエス様御自身が責任を果たすべきみ旨は何だったというのか?

当然、肉的堕落の蕩減復帰である。

 

韓鶴子はそんなことも知らずにほざいている!

 

エス様の肉身は善の天使長の血統である。

神の血統ではなく、別の血統の子を神が得たのであるから、

エス様は養子であるに違いない。

ザカリアは善の天使長にすぎないのだから。

 

旧約時代には、神は天使の姿でイスラエルに現れた。

旧約の完成者として出発されたイエス様は、肉身においては善の天使長の血統で出発されたに違いない。

 

 

 イエス様とお父様は同じだと言うが、

お前たちの子女でさえイエス様以上だという原理を知らない。

 

だから、

お父様は祝福家庭の子女はイエス様より立派になれると語ったが、

誰も信じるものがいなかった。

何故だろう?

何故そうお父様はいい切れたのか?

 

「 皆さんが生んだ息子、娘は、神様が4000年間準備して生んだメシヤ、イエス様より立派になれる息子、娘です。エス様の父母がいるならば、その父母が祝福を受けてイエス様を生みましたか。皆さんは、真の父母を通して祝福を受けて生んだというのです。

(横書き天聖経P2127 231−155.1992.6.2)

 

エス様は霊的堕落の蕩減復帰で生まれたが、祝福家庭はお父様の勝利によって、

霊肉の堕落から蕩減復帰された者である。

だからその子女は本来どのような可能性があるのか?

誰もお父様をメシヤだと信じてはいない。

この有様だ!

 

  

そこでイエス様が神の実子になるために、

お父様は語られてきた。

 

本当は「イエスは母マリアと結婚しなければならなかった」

これが肉的堕落の蕩減復帰だからである。

 

 第一の堕落=霊的堕落
 
天使長(義父)エバ(娘)の結婚で堕落
したがって、堕落の時の逆の経路の公式から、
善の天使長ザカリアと復帰されたエバであるマリアの結婚で復帰
 
霊的堕落の蕩減条件の成立
 
第二の堕落=肉的堕落
 
天使長の妻になったエバは、母格になったエバ
したがって、エバ主導のアダムとの結婚は、母子結婚
天使長中心にエバとアダムが堕落したことは、
外的には兄妹の結婚に見えるが、
実際には母子の結婚であり、
サタンを父としエバを母として
神の血筋からサタンの血筋に生み変えられてしまった。
 
 
主管性転倒が原罪を生んだ。
エバが主体の母格としアダムを対象の子として結婚することによって堕落したので、
子であるイエスは母であるマリアと結婚して蕩減復帰しなければならなかった。
これが肉的堕落の内容と蕩減復帰だった。 
母がアダムを完成させる方向に働くことを母子協助と言い、
アダムの根本復帰の母子協助は母と子の結婚である。
原理講論にかかれている母子協助は根本復帰の象徴的な内容にすぎない。
 
 

エバは二度堕落し、アダムは一度に堕落した。

エバは霊的堕落と肉的堕落の二度の堕落をしたが、アダムは霊肉の堕落を一度にした。

したがって、アダムとエバとでは堕落の内容が違うので原罪と一言で言われてきたが、

蕩減復帰すべき条件も違ってくる。

原罪と呼ばれてきたその性質は異なる。

アダムは一度の蕩減復帰で元返すが、

エバは二度の蕩減復帰で元返す。

 
 
「 イエス様が成人になるまで、喜びの中で完成できるように共助してあげ、彼の新婦を選ぶことにすべての最善を尽くして協助してあげなければなりませんでした。彼らは天使長夫婦の立場で、イエス様とその相手を本然の息子と娘のように完成させてあげるべきではなかったのでしょうか。
 マリヤを中心に天使長格であるヨセフは、絶対服従しなければらないのです。そうしてこそ復帰されるのです。エバの前に天使長が屈服していれば、アダムとエバは堕落しなかったでしょう。マリヤにヨセフが不平を言って服従しなかったのは、マリヤの責任です。イエス様を完成させるに当たっては、マリヤが主体にならなければならないのです。そうして天使長とアダムが失敗したことを復帰してあげなければなりません。エバが天使長とアダム、二人の男性を堕落させたでしょう?ですからエバの立場であるマリヤが、天使長とアダムを復帰しなければならないのです。
(『イエス様の生涯と愛』)
 
 

エバは先ず悪の天使長との結婚で堕落し、

次に戒め期間のアダムを誘惑して結婚し堕落した。

そこで、マリアは善の天使長との結婚として、

霊的堕落の蕩減復帰をした後、

霊的堕落の蕩減復帰をしてサタンに讒訴されることがない条件を立てて生まれた、

エス様と結婚して肉的蕩減復帰をしなければならなかった。

 

母子協助とは、

「 この地に神様の愛と生命の種をもって生まれるためには、まず母親がいなければなりません。母親が息子を生むとしても、ただ単に生むことはできません。必ず復帰の公式を通して生まれなければならないのです。

 復帰摂理の中に現れた母子協助は、すべて天の息子がサタンの讒訴を抜け出した新しい生命の種をもって着地するための準備であり、条件なのです。母子共に、サタンの攻撃を抜け出し得る条件を立てた土台の上で、サタンを代表する長子を屈服させることによって、サタンが先に占有した愛と血統を復帰していけるのです。 」

(『イエス様の生涯と愛』 P60 283−193,1997.4.12)

 

堕落してサタンの妻になったエバが母格になって未成年のアダムを誘惑し、

結婚することによって肉的堕落が生じ、アダムはサタンが占有してしまった。

そこで、「先ず母がいなければならなりません」ので仕方なく僕の体を借りた。

すなわち母マリアのことである。

その母は「復帰の公式を通して生まなければならない」

エバはサタンを中心とし二度の間違った結婚で堕落してサタンに占有されたのだから、

神を中心とした正しい二度の結婚で「サタンが先に占有した愛と血統を復帰」しなければならない。

一度目の悪の天使長との結婚による堕落は、ザカリアという善の天使長との結婚で復帰して取り戻した。

霊的堕落の蕩減復帰のことである。

そうであるなら、二度目の結婚でイエス様がアダムとして生み返されなければならない。言い換えれば、エバが主管性転倒してアダムを主管して母子で淫乱を行い堕落した。

だから、イエス様は母マリアと結婚しなければならない。

そうしてこそ、「愛と血統を復帰」と言うことができる。

 

 「 本来ヨセフの家庭は、イエス様に侍り、天の法度を立てなければなりませんでした。それは何故でしょうか。イエス様は天の王子であるからです。それならば、天の王子に侍るマリヤはどのような人物でしょうか。マリヤは、イエス様の母ではありません。母は母ですが、神様のみ旨を中心として見れば、母ではないのです。

 神様には、息子を生める娘がいません。それでイエス様も娘を通して生まれたのではありません。本来はエバ自体が完成して、神様の愛に一致できる結果のもとで、娘に決定されなければならなかったにもかかわらず、堕落したので神様の娘になれなかったのです。

 このように神様の息子を生める女性がいないので、神様は仕方なく僕の体を借りてでも、息子の種を残さなければなりませんでした。そのような運命から僕の立場であるマリアを通して、ついに天の王子が生まれたのです。天の王子が生まれたのならば、その次に天の王女がいなければなりませんでしたが、王女がいませんでした。

 それならば、マリアの果たすべき使命とは何でしょうか。僕から娘に、娘から母に上がることです。復帰の路程を経なければならないのです。では僕の体で、神様の娘になり得る立場に立つためには、どのようにすべきでしょうか。神様がアダムを創造し、アダムを見本としてエバを造られたように、マリアも創造原則によってイエス様に従って復帰されなければならないのです。」

(『イエス様の生涯と愛』P84〜85)

 

お父様の御言では、「蕩減復帰上イエス様と母マリアとが結婚する必要があった」ことを文字どうりには語られてはいないにせよ、以下のようにそう判断せざるを得ないような内容がある。しかも、それは第一回で私が書いたようなものとはまったく違って、イエス様は母マリヤにそのことを訴えたようにはっきり説かれている。

エス様は母マリアに御自身の心情をこう吐露された。

 

『あなたは天輪によって、私と因縁が結ばれているので、天のみ旨を立てなければならない』

 

「本来マリヤは、天の生活的な規範を中心として、僕の身で息子の行ける天の規範を立てなければならず、娘の行ける天の規範を立てなければなりませんでした。その次には、神様の王子の前において、王女として代を継ぎ得る接ぎ木をされなければなりませんでした。その接ぎ木されるとは、アダムの体を通してエバが創造されたように、イエス様のみ旨とイエス様の思想とイエス様の願いに、マリヤが一致して復帰されるということです。マリヤにはこのようなことを植えて、刈り入れるべき責任がありました。
 そうしてイエス様の骨の中の骨であり、肉の中の肉になる事ができる一人の新婦をヨセフの家庭を中心として、マリヤの精誠の基台の上に決定しなければなりませんでした。ところが、そのようにできなかったので、エス様はマリヤをつかんで涙を流しながら、『あなたは天輪によって、私と因縁が結ばれているので、天のみ旨を立てなければならない』と、御自身の心情を吐露されたのです。けれどもマリヤは、それを受け入れて協助する立場に立つことができなかったのです。」
(『イエス様の生涯と愛』P86〜87)
 
天輪の規範 ➡ 神を中心とした結婚
接ぎ木   ➡ 血統転換
アダムの体を通してエバが創造される ➡ イエスとの結婚を通してエバが復帰される
 
わたしはサンクチュアリ随一の異端者なのかもしれない。
ある時、お父様はこのようにも語られている。
 

「 このように、復帰歴史は困難なのです。もしイエス様が結婚していたならば、イエス様は死んだでしょうか、死ななかったでしょうか? 洗礼ヨハネもすべてを知っていました。イエス様が私生児だということもすべて知っていたのです。 ですから、そのようなイエス様が救世主となるということなど、誰も信じられませんでした。 

 それゆえ、ガリラヤのカナの婚宴に行った時に、酒がないと言ったマリヤに対するイエス様の言葉は、『婦人よ、あなたは私と、何の係わりがありますか』ということです。このようにイエス様が言ったのは、マリヤが隣の村の親戚の結婚式は重要視して、息子の結婚について全く無関心であったことに抗議したのです。 また、メシヤの来られる前にエリヤが再臨すると予言されていたのに、洗礼ヨハネがエリヤとして再臨したということを誰が信じられましたか? このような立場でイエス様は洗礼ヨハネがエリヤとして来たと言ったのです。」 

(ファミリー93年7月 P24~28 「成約時代と私」 1993年2月14日ベルベディア)

 
ここでは、カナの婚宴での『婦人よ、あなたは私と、何の係わりがありますか』
という言葉の意味を、マリヤが隣の村の親戚の結婚式は重要視して、息子の結婚について全く無関心であったことに抗議したとしておられる。
 
マリヤとの結婚なくしては、洗礼ヨハネの妹との結婚もないから、そういうことも見通してお話されているのかもしれない。
だが、そのままとれば、イエス様御自身の結婚である。
お父様はその時その時で何をどこまで話すか決めてお話なさる。
われわれに基準がないからだろう。
また、このようにも語られてきた。
 
 
「 イエス様は家を出たので、おなかもすき、物悲しかったことでしょう。そのとき、近い親戚の家で婚姻の祝宴が開かれるからと、そこへ行くことになったのですが、そこはガリラヤのカナの婚姻の祝宴をする家でした。その家は母マリヤのとても近い親戚の家だったのですが、イエス様はおなかもすいていたので、ご飯も食べお餅も食べようとして言ったのです。そこで、ぶどう酒を作る奇跡を起こしました。
 そのときマリヤは、台所に酒がなくなったことを知って、イエス様にぶどう酒がないと言いました。ところがマリヤは、イエス様のことが好きで、神様の息子で能力が長けているので、ぶどう酒を作ってくれるものと思って頼んだと思いますか。マリヤがイエス様のことを、能力に長けた神様の立派な息子、能力を自由自在に発揮できる聖なるイエス様と思って、ぶどう酒がないと言ったと思いますか。哀れにも、もらって食べようとやって来て、それを期待して待っているような姿に見えたので、期待するなという意味でそのようなことを言ったのです。そのようにも言えるでしょう? よくも解釈できれば、悪くも解釈できるのです。」
(『イエス様の生涯と愛』 P99〜100)
 
「 そしてこの地上で神様の前に忠誠を尽くして、善の実績を積んだ先祖たちがいるならば、彼らに後れを取らない忠誠の心までももたなければなりませんでした。それゆえイエス様は、エルサレムで暮らしながら御飯を食べるときも、『神様、私は御飯を食べますので、アブラハムの祭壇に供えられた三つの供え物として受け取ってくださいませ』と祈るような生活をしました。
(『イエス様の生涯と愛』 P105〜106)
 
 
 
 霊界での大論争では何が争点であったかというと、
「人類の先祖が堕落して、血統が間違ったとは。それ以降に蕩減復帰が必要だとは。」
という御言にあるように、蕩減復帰であり、血統転換である。
いかもお父様は断定されておられる。
「知っている人は一人もいません。そして、すべて反対したのです。」
そして霊界における理論闘争の前に万全の準備ができていたことも明らかにされている。
自分たち(霊界の霊人たち)が知っていることは、わたしがすべて知ったうえで、そこに行きました。
 
 

  「『全世界の五大聖人を中心として、地獄も天国も、霊界に行った人をすべて動員し、神様が叫ばれて「文総裁が現れた。」と言えば、四十三日戦争をするのです。(中略)先ほどすべて話したように、霊界での闘いが起きたとき、すべてイエス様も孔子も、「あのような異端者がどこにいるか? 人類の先祖が堕落して、血統が間違ったとは。それ以降に蕩減復帰が必要だとは。」と言ったのです。知っている人は一人もいません。そして、すべて反対したのです。そして、霊界に行き、わたしが立って神様は後ろにいらっしゃり、すべての霊界の霊人たちが、わたしの前に立って、問答するのです。だれが正しいか問答するのですが、自分たちが知っていることは、わたしがすべて知ったうえで、そこに行きました。

 (2005年1月3日 韓国・天宙清平修錬苑 「神様王権即位式四周年およびイエス様ご聖誕記念式典」)

 

エス様ですら、お父様を異端者と見たのである。

そうであるならば、根本復帰以外にはない。

エス様が公生涯でなさったことは、ダビデが天使長格のウリヤからバテシバを奪ったことに似ている。

 

「イエスの愛する弟子たちの中に、イスカリオテのユダがいた。このユダを愛し、天のみ旨成就を協助することのできる相対存在として立て、神様のみ旨の根本的な造成を目標として工作された。そのときイエスはユダを対象者として、堕落の根本自体であるエバ格の存在を取ろうとされた。それでユダの婦人をエバの存在として取り、み旨の本意を遂げようとされた。そのときマグダラのマリアは、イエスのみ旨に絶対的に従う者であり、同時にイスカリオテのユダの愛人であった。イエスはユダの婦人をエバ格として、サタンがエバをアダムに構わず奪ったように、ユダの婦人を奪って原理を補い、み旨を成就させようと工作された。こうしてイスカリオテのユダマグダラのマリアを与えて身代わりにしようとされた。イエスエバとしてユダの婦人を選び、摂理を始めたのである。このような事があったため、サタンはパリサイ人と書記官などに騒ぎを起こし、イエスに向かわせるようにした。

ユダだけでも全面的に信じ、従い、仕えていたならば、み旨を成就させることができたのであるが、イスカリオテのユダが、これに不満を抱き、行動を始めたのである。自分の先生を銀三十枚で売るという歴史上には無い根本問題がここから始まった。イスカリオテのユダは、天のみ旨を理解できず、イエスに反して恩讐たちと結託し、破壊的な行動に出るようになった。」

(『原理原本』 三編 三章 )

 

マグダラという言葉は地名では無いという。

 

 米ハーバード大の著名な歴史・宗教学者カレン・L・キング教授はローマで開催されたコプト学会で4世紀頃の古文書(縦4センチ、横8センチ)のパピルスに、「イエスは『私の妻は……』」と書いてあったと発表した。米ニューヨーク・タイムズが報じて大きな話題となったばかりだ。その内容が事実ならば、イエスが生涯独身であったと信じてきたキリスト教会は教義の大幅な見直しが余儀なくされる。
 そこでイエスの生涯を研究している聖書研究家マーティン・ダイニンガー氏(元神父)にイエスと結婚問題について聞いた。同氏は「イエスが祭司長ザカリアとマリアとの間に生まれた庶子だったことは当時のユダヤ社会では良く知られていたはずだ。その推測を裏付けるのは、イエスが正式には婚姻できなかったという事実だ。ユダヤ社会では『私生児は正式には婚姻できない』という律法があった」という。
 同氏によれば、イエスはザカリアの庶子であったゆえに結婚できなかった。カナの婚姻の宴で、自分(息子イエス)の結婚を忘れ、他の婚姻に没頭する母マリアに対して、イエスは「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか」(ヨハネ2章4節)と厳しく述べている。イエスの哀しい心情が伝わってくる個所だ。

 英国の著作家マーク・ギブス氏(Mark Gibbs)は著書「聖家族の秘密」(Secrets of the Holy Family)の中で、「イエスの誕生の経緯は当時、多くのユダヤ人たちが知っていた。そのため、イエスは苦労し、一部の経典によれば、父親ザカリアは殺される羽目に追い込まれた」と述べている。ダイニンガー氏の主張はギブス氏の見解と通じる。

 ところで、イエスユダヤ社会では正式に婚姻できなかったとしても、妻帯していた可能性は排除できない。キング教授が今回公表したパピルスだけではない。3世紀頃に編纂された外典「フィリポによる福音書」には、マグダラのマリアをイエスの伴侶と呼び、「イエスマグダラのマリアを他の誰よりも愛していた」といった記述がある。

 イエスの伴侶として頻繁に登場する「マグダラのマリア」とは誰か。ダイニンガー氏は「マグダラという地名はイエス時代には存在しない。ヘブライ語Migdal Ederをギリシ語読みでマグダラと呼んだ。その意味は『羊の群れのやぐら』だ。預言書ミカ書4章によれば、「羊の群れのやぐら、シオンの娘の山よ」と記述されている預言者ミカは紀元前8世紀に登場)。すなわち、マグダラとはイスラエルの女王と解釈できる。そのマグダラのマリアはイエスの足に油を注ぐ。イエスは油を注がれた人、メシア(救世主)を意味する、イスラエルの王だ。イエスマグダラのマリアは夫婦となって『イスラエル王と女王』となるはずだった」と指摘する。

 ダイニンガー氏の見解が正しいとすれば、イエスは結婚し、イスラエルの王、その妻は女王となって神の願いを果たす計画があったが、選民ユダヤ人たちの不信仰のため十字架上で亡くならざるを得なくなったわけだ。だから、再臨のメシアは必ず結婚し、「王と女王」の戴冠式を世界に向かって表明するだろうと考えられるわけだ。

イエスが結婚できなかった理由 : ウィーン発 『コンフィデンシャル』

 
 
マグダラのマリヤとサマリヤの女
 
「 エス様が死んだのは、女性が間違ったからです。実際、マリヤがイエス様の新婦を探してあげる責任を果たせなかったのです。マリヤだけでも責任を果たしていれば、ヨセフが死のうが生きようがほうっておいて、イエス様に、腹中にいる時から3年だけでもよく侍っていたならば、問題は変わったことでしょう。ですから女性たちが、第一に母の責任を果たせず、第二に新婦の責任を果たせず、第三に僕の責任をはたせなかったのです。このように3つの責任を果たすことができなかったのです。
 イエス様がサマリヤの女を引き止めて、話した理由とは何でしょうか。サマリヤの女を僕にしようとしたのです。母を失い、新婦を探せず、僕であるサマリヤの女の所に行って水をくれと言ったのです。その女性はサマリヤ人、僕でしょう?ところが、この僕も責任を果たせませんでした。このサマリヤの女は、僕の中でもぼろ布のような女の僕なのです。5人の夫に仕えた女性でした。家庭の暮らしは貧しく、汚れた女だったのです。
 そのような女性でも、イエス様のみ言を聞き、『この道だけが私の生きる道だ』と言いながら荷物をまとめてイエス様に従ったとすれば、どうなったでしょうか。マグダラのマリヤよりも、立派になったのではないでしょうか。そのようにしていたならば、そのサマリヤの女は、マグダラのマリヤ以上の立場に立つようになったことでしょう。
 そのような観点から見ると、エス様が亡くなることになったのは、女性のせいなのです。その女性とは、母、娘、僕の三段階の女性です。堕落したアダムを中心として見れば、アダムの妻は僕です。エバが堕落して僕になったのです。そのような僕の体をっ借りて、イエス様が生まれたのです。」
(『イエス様の生涯と愛』 P116〜117)
 
 
 
 
 
マリアは結婚で再びイエス様を生まなければならなかった。
 
「 イエス様は、アダムが失ったものを復帰するために再創造された、堕落していない第二次アダムなのです。コリント人への第一の手紙第十五章45節に、『最初の人アダムは生きたものとなった・・・・しかし最後のアダムは生命を与える霊となった』と記録されています。
 では第二のアダムとは、何でしょうか。堕落していない父母です。このような点から見ると、マリヤはエバの代わりの立場なのです。ですからエバを殺したので、それを蕩減復帰するためには、エバの立場に立ったマリヤがアダムの代わりであるイエス様を再び生まなければならないのです。
(『イエス様の生涯と愛』 P97)
 
 
 
「 創造の原則を見れば、アダムをまず造り、そのアダムを中心にしてエバを造られました。ゆえにマリヤは息子を協助して、息子の新婦を探さなければならなかったのです。マリヤはそうしなければならないのです。イエス様はもちろん、マリヤも協助して新婦を探さなければならないのです。」
(『イエス様の生涯と愛』 P110)
 
 
だが、新婦を探すにはあまりにも厳しい環境だった
 
 
「 イエス様が結婚するとしたら、誰と結婚しなければならないのでしょうか。腹違いの妹としなければならないのです。当時あの環境で、処女が妊娠すれば石で打ち殺し、家庭的に淫らなことが起きれば一族が滅びるその当時において、これを行い得る環境的与件になっていたでしょうか、なっていなかったでしょうか。ザカリヤの家庭だけ見た場合、妹が姉の夫を奪って妊娠してしまい、(親戚の)兄という者が腹違いの妹を強奪してしまったということになるのです。それが明らかになる場合には、一家が滅びるのです。
 ザカリヤあるいはエリザベツ、洗礼ヨハネも、イエス様がどのような人なのかを知っていて、またマリヤもそのような環境にいたのですが、そのようなこと(イエス様が腹違いの妹と結婚)をするならば、目がまん丸になり、唇がこのように折り重なるようになったでしょう。ならなかったでしょうか。あのように妾から生まれた息子が自分の妹を奪うとなれば、『こいつは淫乱の子だ』と思うのです。
 ですから洗礼ヨハネもイエス様を拒否したのです。エリサベツも否定し、ザカリヤも否定し、マリヤも「仕方がない」と思ったのです。16歳のときに堕落したので、イエス様は『結婚します』と17歳のときに一度話し、27歳のときに話し、30歳のときに決着をつけるために話したにもかかわらず、聞き入れなかったので家を出ざるを得なかったのです。
 なぜ13数が悪い数になったかを知っていますか。イエス様が相対的理想を成し遂げることも、定着することもできなかった怨恨の数なので、13数は悪いということになったのです。結婚するのは13数が最も良いのですが、これを失うことによって、個人を失い、家庭を失い、国、世界、すべてを失ってしまいました。どれほど邪悪で悪い数字でしょうか。最も願った数なのに、です。これを三度話したのに、言うことを聞かなかったのです。
 ですから17歳のときに、マリヤを通してザカリヤに話したでしょうか、話さなかったでしょうか。エリサベツに話したでしょうか、話さなかったでしょうか。洗礼ヨハネは知っていたでしょうか、知らなかったでしょうか。『こいつ、私の妹を奪って行こうとするのか。私も結婚していないのに、どうしてだ。一族を滅ぼそうとして・・・・』と思ったはずです。イエス様は洗礼ヨハネの腹違いの弟ですが、『こいつ、私も結婚していないのに、何だ、私の妹にまたこうするのか。この淫乱の代表!』と思うのです。一族を滅ぼす代表だと言うのです。
 イエス様は結婚できますか、できませんか。父が見ても『こいつ!』、エリサベツが見ても『こいつ!』、そして洗礼ヨハネも『こいつ!』、マリヤも『こいつ!』と思ったのです。そうして27歳の時に至っても、『そんなことをするのか、こいつ!』と思ったのです。それが駄目なので、三年後にその談判をつけたのですが、『こいつ、これは何だ』と追い出すしかなかったのです。父もそのようなイエス様を見たくはなかったし、母も兄弟も同じでした。それならばイエス様は、どこに行くのでしょうか。おいだされることになるのです。」
 (『イエス様の生涯と愛』 P113〜115)
 
 
さて、もう一度復帰の原則に戻るとしよう。
 
 
「 主管性転倒は、エバが行ったことなので、女性が責任をもたなければなりません。それゆえに、マリヤが天使長も復帰してあげるべきであり、アダムも復帰してあげるべきであり、エバも堕落前のエバに復帰しなければなりません。このすべてを復帰しなければなりません。ですから女性は、主管性を転倒しなければなりません。マリヤは、天使長とアダムとエバこの三つを復帰するだけでなく、神様の心情まですべて探し立てなければなりません。」
(横書き天聖経 P2078 38−70.1971.1.1)
 
マリヤが天使長(ザカリア)も(結婚で)復帰してあげるべきであり、
アダム(イエス)も(結婚で)復帰してあげるべきであり、
エバ(洗礼ヨハネの妹)も堕落前のエバに(重婚で)復帰しなければなりません。

 

 エス様は霊的堕落の蕩減復帰がなされて誕生した養子圏のお方

お父様は霊肉の堕落の蕩減復帰をされて根本復帰を勝利された実子圏のお方。

霊人体は実子だが、肉身はアダムが堕落する以前の時までは実子だが、

それ以降はそのままではどうなるのだろうか?

 

 『復帰摂理歴史は母子協助から始まる。しかし母子協助がある前に夫婦の協助がなければならないし、夫婦の協助がある前に父娘の協助がなければならない。』

(祝福家庭と理想天国)

 

父娘 天使長 エバ ➡ ザカリア マリア(父娘の協助)

夫婦 天使長 エバ ➡ ヨセフ マリア (夫婦の協助・ヨセフとマリアは天使長)

母子 エバ アダム ➡ マリア イエス (母子協助)

 

 

「僕の立場から一段階上がったので、娘が現れなければなりません。僕の体を借りて、神様の息子であるイエス様が生まれたので、次は神様に必要な娘が現れなければならないのです。その娘をイエス様がつくらなければなりません。エス様が堕落していないアダムになったので、イエス様の妻になり得る堕落していないエバがいなくてはならないでしょう?後のアダムであるイエス様が現れたので、復帰されたエバが現れなければならないのです。」
(『イエス様の生涯と愛』 P118)

 

「それならばイエス様を中心として、復帰されたエバをつくる際には誰の協助を受けなければならないのでしょうか。天使長の協助を受けなければならないのです。ところが男性の天使長の協助を受けてはいけません。なぜでしょうか。男性の天使長によってエバを失ったので、復帰路程においては男性の天使長の協助を受けてはいけないのです。女性の天使長の協助を受けなければなりません。そうしてこそ、エバが創造されるのです。ここで、堕落したエバを誰が復帰すべきかというと、アダムが責任を取って復帰しなければなりません。つまりイエス様御自身がしなければならないのです。
(『イエス様の生涯と愛』 P118〜119)

 

 

女性の天使長の協助を受けて、イエス様の相対的存在であるエバを創造しなければならないのです。そのためにはマリヤがイエス様のみ旨を中心としてイエス様と一つにならなければなりません。そうなれば、男性の天使長の立場に立ったヨセフが協助するようになるのです。そうしてこそ、堕落することによって僕の立場に落ちたアダムとエバが、息子、娘の立場に復帰されるのです。
 アダムとエバが天使長と一つになることによって堕落したので、天使長が復帰された立場に立ってこそ、イエス様もイエス様の妻も復帰されるのです。その復帰された立場に立つべき天使長夫婦が、ヨセフとマリアです。彼らはイエス様が完成できるように協助してあげなければなりませんでした。
(『イエス様の生涯と愛』 P119)

 

そして、復帰原理の根本についての手がかりをお父様はタマルの物語から悟られたようだ。

 

あなたたちがタマルについて研究すれば、原理すべてが分かる。タマルは誰と関係して子供を生んだの? 舅だね。舅と関係して生まれた子供が、いかにしてイスラエルの血統を受け継ぐことができたか。‥‥‥ソロモンの母は誰? バテシバ。バテシバはどういう女性か? ウリヤの妻だ。ダビデ王がウリヤの妻を奪い取った。その子供がいかにしてソロモン王になるか。ウリヤは何かというと、第二の主人だよ。これが堕落もしない前のエデンの園のその位置に再び帰った立場、すなわちダビデはアダムの立場、ウリヤは天使長の立場、天使長の妻は復帰しなければならないエバの立場。天使長がアダムの相対者たるエバを、堕落して引っ張っていった。愛によって占領して、盗んでいった。それを蕩減するには、そういう三角関係に立ってもとがえししなければならない。そういう原理的基準に立った条件を成した基台の上に生まれた子供は、天の愛の子供として、栄光の子供として生まれる。

 ソロモン (妾の子) は栄光の子供だ。タマルという女は自分の舅と関係したが、その精神が立派だというんだね。‥‥‥神が願う血統をいかに残すかという、愛するかという問題である。血統を愛する。血統を愛したから、血統を復帰しなければならない神の摂理の園に立ち帰る。心情的に立ち帰る条件になる。それで舅と関係した。これを見た場合には舅はどういう立場か。自分のお父さんだよ。」

 (御旨と世界 P75「血統的転換」)

 

エス様を中心とした家庭や氏族がすべて蕩減復帰に失敗したために、

再臨の主の家庭でもその蕩減復帰の道が課せられることになった。

お父様と同じ感性をお持ちのご子女様たちが如何に壮絶な生きた心地のしない生活をされてきたかは想像を遥かに超えることだろう。

したがって、どのような状態にご子女様が陥っても、われわれは子女様を守り支えることが祝福過程の道理であるはずだ。

前回の喩え話をよく思い出していただきたい。

何故、ご子女様に何度であっても丁寧にイエス様の時の蕩減復帰故に、

行かざるをえないのがメシア家庭であることを、ご説明して差し上げることができなかったのだろうか。

胸いっぱいの悲しみゆえに、このへんで筆を置くことを許していただこう。 

 

 

 

 

 5、イエス様とお父様の血統は違う

 

「死んで霊界に行ったらね。先生の生涯を知れるよ。詳しく説明してやれば、君たちの蕩減条件が大きくなる。聖書がイエス様の生涯を記録しなかった。なぜかというと蕩減条件になる。だから先生の生涯は話せない。それでも聞きたい?それでは全世界の人々の蕩減基準に責任を持つか。自信ないのにそんな、でかいこと言うんだからね・・・。人間としての体力で耐えられる苦労は、今のいかなる人にも、比べ物にならない苦労をした」

(1965年10月7日)

 

原理はイエス様までを説明しているため、イエス様以降、先生に関することを皆さんは知りません。それゆえ皆さんは、これから本当に勉強すべきことが残っているのです。」

(1971年1月10日)

 

「皆さんが分かる原理を教える程度の先生だと思いますか。皆さんが分かる原理は、イエス様までの原理です。先生の時の原理ではありません。」
祝福家庭と理想天国Ⅰ P802 

「祝福の意義と価値」第四節 祝福を受けるための蕩減条件

 

最初から、聖書という冠をかぶり、聖書を標本としていたなら、このような道を開拓できなかったでしょう。妥当な理論を中心として、私たちの心情世界に関係する内容を中心として、最高の深い谷になることのできるものが何かということを探り出して見る時、そのとどまることのできる錨の中の最高の錨になるのが、まさに心情なのです。」

(1989年2月12日)

 

先生の血統が違う。イエスの血統とは違う。16歳まで自然の血統として出てきた。イスラエル民族の骨髄内容の伝統を支持することができるような血統に生れついた。家門を見ると、驚くべき家門である

文鮮明先生御言選集557巻 P46)

 

 お父様とイエス様とでは、厳密には生まれた時からの蕩減復帰の条件が違う。

血統転換の講義ではあまり触れないかもしれないが、イエス様とお父様が生まれるために成されてきた血統転換は同じであるという前提あるいは推定によって話されていると思う。しかし私は言う。お父様の血統とイエス様の血統は明らかに違う。

 お父様は、イエス様が誕生された蕩減復帰以上の条件を神が立てて誕生されたお方である。

これはお父様を誕生させた人々の実績となる。

何故、神はそうなさったのか?

神は愚かではないからだ。再び失敗することがないように、イエス様の時以上の準備をされてお父様を誕生させたのである。

そうでなければ、イエス様のときのように再臨主も失敗する可能性があるからである。

したがって神様はお父様に酷いほどの蕩減を与えて愛されてこられた。

 

「神は先生を愛したと思いますか?先生に対して最も冷遇したのが神なのです。」

(1986年9月21日)

 

完成された独生子が先にあってこそ、完成を成すべき独生女を探し始める事ができる。

マリアとは、母の体ではなく僕の体を借りたに過ぎず、ほんとうの意味ではイエス様の母ではなかった。

マリアでさえもキリストの前に誇ることができないのだ。

 

「男を造った後に女を造った。それは原理である。だから、神の立場に立って完成された男が生まれない以上は、完成を成すべき女を捜す道は絶対にうまれてきません。」

(1972年4月30日)

 

金栄雲先生は霊界でお父様に質問したという。

彼女が書いた神学書は「統一神学」と命名された。

だが、血統転換も書かずに何が統一神学だというのだろうか?

偽物の神学者がひとり増えたに過ぎなかった。

 

「文氏の血統がメシアの血統ですか。それとも韓氏の血統がメシアの血統ですか。この問題に対するお父様の考えはどうでしょうか。私は実際このことをお父様に霊界でお尋ねしました。お父様は何と言われたと思いますか。かれは、韓国語で「サタンよ引き下がれ。」と言われました。
 
私はこのことを聞くべきではありませんでした。しかし、私は学者です。ですから私は聞きました。これが学者のすることです。学者たちは愚かな質問さえするのです。」

(自動書記による金永雲先生)

http://h2fanclub.blogspot.jp/2016/05/dr.html

 

 

何故お父様に愛された者ほどお父様を知らないのだろう?

 

 

(1)イエス様の時とは違い国家的蕩減条件の成立の中でお父様は生まれた

 

A、神は失われた真のエバ探し求め国家的祭壇の供え物として受けられた。

柳寛順のことである。

 

柳寛順を知っていますか?彼女は、16歳の身の上で体を6つに切断されながら、万歳を叫ぶことをためらわなかったのです。・・・受難の道を行きながら、一つの貞操と伝統を奪われず、千辛万苦して勝利した標石を残していったので、その期間に先生は胎内に宿って、この地に現れてくるのです。

(1997年8月9日)

 

柳寛順はエバの代表です。神様の御旨を去らせてしまった、崩壊させてしまったエバではなく、韓国の地に真のエバとして立ったのが16歳の柳寛順です。彼女は生きた聖なる捧げ物となったのです。日本に完全に占領された中で独立運動をしたのです。その条件によって先生が生まれたのです。

(1993年4月16日)

 

16歳で殉国した柳寛順烈士は、堕落しないエバと同じ立場にありました。・・・その柳寛順烈士の体を、サタンが6片に分けてしまいました。6数はサタン数です。柳寛順烈士は、国家に忠誠を尽くしながら、一身を犠牲にしながらも解放運動をしたのです。独立運動が最盛期だった1919年に、先生は母の腹中にいました。独立しない地で、そのまま生まれることはできなかったので、先生の生命を中心として、そのような戦いがあったのです。その時から10カ月後の1920年に、先生が生まれたのです。堕落したエバの罪を蕩減するために、天の側の心情圏をもって、この地上のすべての女性を代表して、韓国の地を守りながら死んでいった人が柳寛順です。

(1992年4月9日)

 

B、お父様の血統に見る国家的蕩減条件を捧げた文潤国先生

 

愛国者・・・として生きた私の大叔父さん(文潤国先生)がいました。その人は立派な牧師であり、崔南善の友人でした。李承晩博士が独立宣言書の起草をする時、大叔父さんも参与したといいます。大叔父さんは神学を勉強したので文筆を大変得意としました。しかし、愛国運動のために全財産を売り払ってしまい、牧師としてもやっていけず、官憲に追われて一生を逃げ回った人です。また独立軍のための資金が必要な時、兄の家までもみな売り払ってしまった人です。上海臨時政府の軍資金として、当時のお金で7万円を送りました。これは当時としては大変な額です。また、おびただしい米やラジオなどを買って、ソウルを中心にして独立運動の組織も造りました。ある時はまさにギャンブルのように鉱山を買い、独立運動をして、兄の財産すべてを売りつくして夜間に逃避しました。その時代は他に方法がなかったのです。私の母はそのような大叔父さんを見て、先祖の財産すべてを売り尽くしてしまったと思ったのです。

 

先生が幼い頃見たその大叔父さんの姿は、とても背が高くて美男子でした。李承晩博士の友人であり、李博士がゾンソン警察署からヘリコプターを二度も三度も送って『李承晩を助けてくれるように』と頼んできたそうです。・・・先生はそういう愛国者の家の出身なのです。

(1989年6月18日)

 

C、再臨主を迎えるべき国民の国家的蕩減条件

 

「兄弟たちは私のためにたくさん犠牲になりました。私の家門が犠牲になり、その村が犠牲になりました。韓国はその時凶作でした。7年の凶作が続くそのような環境は、国家的運勢を蕩減して、一人の人が生まれるためのものだったのです。
(1986年1月3日)

 

D、家庭及び氏族的蕩減条件

 

「神が文先生を愛していたようですが、生まれる時に、なぜそれほどまでに歴史的に追い込んで、最たる艱難、谷間に立たせたのでしょうか。また先生が生まれる時には、先生の一族が、いとこ、七親等もでが蕩減を受けるのです。・・・事が始まると一回しながら、良きものをすべて打って越えていくのです。それで、私の一族においては、先生一人のために目茶目茶になったのです。

(1986年2月16日)

 

「私たち(文一族)の家庭においては、四代を中心として二番目の息子が迫害を受ける事件が起こりました。」

(1988年1月2日)

 

「私たちの曽祖父(文善玉氏)は、現在上思里(真のお父様の誕生の地)へ新しく移ってきました。移ってくる時には、夫婦二人で故郷を離れてきて、本当に困難な環境でしたが、天が祝福してくださって、曽祖父の代に成功して基盤を立てました。その方には三人の息子がいました。・・・私のおじいさん(致国氏)が長子であり、その次が文社長のおじいさん(信国氏)、次が坡州(京畿道)にいたおじいさん(潤国先生)です。ところで、その三人の息子の中で、次男(信国氏)が外地に行って客死したということです。・・・それに・・・二番目のおじいさん(信国氏)と、坡州にいた三番目のおじいさん(潤国氏)の息子の中で、次男は全部客死したということです。龍善のお父さん(致国氏の次男の慶福氏)」も家を出て客死し、昇均のおじいさん(信国氏)の次男(慶勲氏)は病気でなくなりました。また三番目のおじいさん(潤国先生)の次男(慶浩氏)も客死の道を行ってしまったということです。」

(1988年1月2日)

 

 

E、文家の家風

 

お父様は幼いときから家に訪れた大人たちの話を聞くことが好きであった。その中には愛国者たちも多くいた。

 

「当時は、独立団という団体の人々がたくさん先生の家を往来しながら、国家独立を唱えてきたのです。」

(1995年1月19日)

 

「先生が・・・生まれ育った当時、私の家では、日本人に追われて満州に移民して行く人々をいつも助けてあげました。・・・往来する多くの人々をお世話することで私の家はいつもいっぱいでした。母は接待するのに大変でした。朝早くから御飯を炊いていました。そのようにしてもお金を受け取らず、すべて奉仕したのです。これが我が家の家訓なのです。」

(1989年6月18日)

 

「ですから先生の家には別楝があって、そこにはいつも10人、20人のお客さんが泊まっていたのです。そしてその人が帰る時には『この家が栄えますように』と皆涙して帰るのです。あまりにも自分の生涯で忘れられない待遇をされたので、自分の住所をちゃんと記入して、『私は今、乞食のような生活をしているが、いつか時が来た場合には、あなたに驚くほどの幸福を与えるでしょう』という手紙を残していった人もいるのです。」

(1995年1月19日)

 

「そういう家系だったからこそ、先生のような人が生まれたのです。」

(1982年6月27日)

 

 

(2)イエス様は霊的堕落の蕩減復帰で生まれたか独生子だが、お父様はさらに肉的堕落の蕩減復帰も勝利された独生子

 

0歳の時からお父様の血統は神様の血統を汚されてはいない

 

皆さんは『文総裁も堕落の血を受けている』と言ってはならない。アダムとエバが、エバが堕落したとしても、神様の血統が汚されていないものを引き抜いて堕落させることができない。先生は幼い頃からこの全てを皆知っていた
文鮮明先生御言葉選612巻 P309〜310)

 

 

幼い頃から全てを知るきっかけになった事があった。

 

 「私の母は,双子の弟と妹を生んだ。そのような歴史があったのだ。

 私は、母に尋ねた。「あなたの兄弟は結婚したのに、どうして、あなたのおじい様達は結婚しなかったのですか?誰のためにですか?」

 お母さんは「それはわからないね」と言って,目を閉じて向こうを向いてしまいました。それで,それはお母さんのためだったのだという事がわかりました。

 もう少しはっきりさせましょう。

 わたしはお母さんに”お母さんは間違った事をしたね”と34回言いました。するとおかあさんは私の方に向き直って,私におおいかぶさるようにして言いました。

 ”私は間違いを犯したんだよ。わたしには秘密がある。”わたしは更にその事について尋ねました。

 お母さんは”何のためにそれが知りたいのだい?何が出来たというのだい?時がたてば分かるようになる。わたしは最後までこの事に対しての責任はとるつもりだからね”

 私は,この女とはもう一緒にいれない、彼女を追い出してしまわなければならないとおもったのです。」

2011年9月22日

 

『わたしが幼いとき、「お母さん、悔い改めなければなりません。」と言いました。すると母が、「こいつ、何も知らない小さな子が、お母さんをつかまえてどうのこうの……。」と言いますが、そのような話をしてはいけないのです。
 母がいくら言っても、「わたしが知っている母は、そうではありません。」と言うのです。わたしを叩こうとすれば、「叩いてみなさい。」と言いました。
 びくともせずに、気絶するまで叩かれました。逃げません。そのような人です。そうしてそこで気絶しました。母も大変な女性です。
 母の実家は有名な両班の家なのです。そこに行けば、大臣だったかたたちを祠堂に祭ってあり、そこに入っていって、その服を着て遊ぶのが、いちばん楽しいのです。母方のおじに、褒められるよりも、たくさん叱られました。』
(第三十九回「真の神の日」記念礼拝のみ言葉 2006年1月1日 韓国・天宙清平修錬苑)

 

「私は、たくさんたたかれました。細い木の枝でたたこうとするので、私がこん棒を持ってきて、『これでたたいて良い人にしてください』と言ったのです。私は、母の性格に似ました。火のような性格です。それで、母が、『こいつ。お前が一言間違っていましたと言えばすべて終わるのに、それが言えないのか』と言うのです。そのような人です。ですから、たたかれて気絶し、村中に死んだとうわさが立ったこともありました。」
(第六回「安侍日」のみ言葉 2004年6月14日 麗水・清海ガーデン)

 

 

 A、16歳以前、十六歳、十七歳以降とは何か?

 

 <16歳> 

 

人類始祖アダムとエバの堕落は16歳であった。

先に引用したクリスチャンの柳寛順も16歳で殉国した。

当時はクリスチャンであれば愛国者であった。

エバが神を捨てて堕落して死んだ年齢で柳寛順は死んでいった。

蕩減復帰である。

 

堕落はエバから始まった。何歳の時か。16歳。未成年。天が信頼すべき父母の基準を女性が犯した。だから復帰の原則によって、真の母になるべきそのお方は20歳を越えてはいけない。そういう原則なんだよ。そして、先生の聖婚式は40歳を越えてはいけない。そういう理由で先生は若いお母様を迎えて、娘のように愛した。それで最初の7年間は何をする期間なんだね。天的な家柄や家法による教育、そうなっている。だから先生は、夜が明けた時にはそういうことはしないのだけれど、寝る時にはずっとそのことをお祈りする。お母様には分からないけれどね。そのようにして堕落の結果失われた、娘とその相対基準と神の前に真なる父母の基準、この3つを家庭において復帰する。これは堕落した人間としては、誰もが行くべき道なのである。」
(1969年2月4日 東京教会 「理想相対」)

 

エス様はアダムとエバが堕落した長成期完成級の16数を堕落なく越えて、17歳で結婚しなければならならなかった。

 

「堕落は16歳で行われたので、イエス様は新しい年を迎えて、17歳で結婚についてマリヤに話したのです。 17歳の時に結婚で行くべき道を説明し、10年後の27歳で説明したのです。また、3年後に(30歳でも)3回説明してだめなので、涙を浮かべてエス様は出家をしたのです。

だれがイエス様の相対にならなければならないのでしょうか? それが洗礼ヨハネの妹です。サタンが汚した血統は完全に切ってしまうのです。完全になくなるのです。」

ファミリー1997年3月号「第14回愛勝日の御言」1997年1月2日サンパウロ

 

 

  <16歳以前とは何か?>  

 

16歳までは堕落しなかったのでそれまでの霊人体も肉身も神の直接主管ではないにせよ、神の主管下にありサタンの主管下にはなかった。

これを引き継ぐということである。

したがって、イエス様もお父様も霊的堕落の蕩減復帰が成されて霊人体が復帰されれば、肉身も堕落とは関係がない。霊肉ともに堕落とは関係がなくなる。

 

「あなた達が、何、先生が原罪があるのか、ないのかと言うことができません。神様が原罪のある先生を使うと思うの? 16歳までアダムとエバの血統が間違っていません。なぜ、16歳を重要視するのですか? 16歳までは堕落しませんでした。その継代を引き継ぐのです。それ以前まで掘り下げて先生が原罪があるのか、ないのかということを自分たちが決定できますか? 意味のないことをしています。私がそのようなことを考えず、ここで教主の役割を行い、血統を正すと言えますか? 私は幼い時から、天が教えてくれました。血統が正常的なのか、そうでないのか、聞かなかったと思う?」

(2012年ご聖誕日記念出版マルスム選集608-276、正式版マルスム選集608-262)

 

16歳までは堕落しなかった。

 

 

「全て皆、関係だ。関係はそのまま結ばれない。因縁がなければならない。因縁の因の字を見ると、四角(□)の中に閉じこめられた大の字ではないか。神様が原罪のある先生を使うだろうか。16歳まではアダムとエバの血統と違わない。何故16歳を重要視するのかというと、16歳までは堕落しなかったからだ。その継代を引き継ぐのである。その前まで掘り下げていって先生に原罪があるかないかということを自分たちが決定できるのか。無駄なことをしている。私がそういうことを考えずにここで教祖稼業をしながら血統を正そうとしているというのか。私は幼い頃から天が教えてくれた。血統が正常か否かを尋ねてみなかっただろうか。私が尋ねてみると、天は口にも出すなということだった。天が責任を負うというそのことを夢にも考えずにいるのに、自分たちがそれを知って裁判長の役をしようという輩たちが皆いる。盗賊のような奴らだ。先生の言葉を聞いて損害を被ったことが何かあるのか。その根っこを中心として、その名前に乗って今どうなっているのか。その名前を尊重する立場で自分たちが出世もしたのではないか。そのとおりなのか、違うのか。(そのとおりです。)区切りをつけながら話してみよう」

文鮮明先生御言葉選608巻 P276〜277)

 

 

<17歳> 

 

『天而知之』天によってこれを知る)とは、母マリアとの結婚で完全に血統転換されたということである。

主の路程の講義では、先に一人で完成期を全うしたお父様が、お母様のために長成期の完成級まで降りてこられて、一緒に完成期を通過されたというものであった。

それなら、いつお父様はどのようにして完成したというのだろうか?

 

「16歳以前、堕落する前の本性の基準がある。血統がそうなので、先生も16歳に天の選びを受けた。血統が違う。イエスの血統と先生の血統は違わなければならない。エスが残したものが何処にあるのか。イスラエルの国に残っている血統、根源があるか。先生は『学而知之』(学んで之を知る)でも『生而知之』(生まれながらにして之を知る)でもなく、『天而知之』(天によって之を知る)である

文鮮明先生御言選集541巻 P199)

 

16歳で堕落したのだから、アダムはその死亡線を越えて、つまり長成期の完成級を越えた17歳で結婚しなければならなかった。

 

「一つ皆さんが知るべきことは、皆さんが祝福を受ける位置は、完成した位置ではないということです。父母が歩んでいった十字架の橋があるならば、その橋をそのまま歩んで行かなければなりません。飛んでいくことはできないのです。
山の頂上に登るには橋を渡らなければならないというとき、危険から逃れるためにその橋を鉄筋で完備することができるかもしれませんが、橋の上を行くことは、どうすることもできないというのです。それゆえ、先生が歩んでいった七年路程は、永遠に残されるのです。個人的七年路程と家庭的七年路程があるのです。

この道は永遠に残されるのです。人間は長成期完成級で堕落したために、そのまま完成段階に上がることはできません。私たち人間が長成期完成級で堕落したために、堕落したその線以上に上がっていってこそ、初めて原罪を脱ぐことができるようになっているというのです。長成期完成級で脱ぐのではありません。そうではありませんか。」

祝福家庭と理想天国Ⅰ 完成のための公式路程 P953

 

 

「原理からすれば、一人の男が二人の女とつきあうことはできないから、妾の旦那さんを、アダムを、接ぎ木して、ハンダ付けしてつくってあげるのです。先生は完成された旦那さんの立場ですから、弟の立場、第二番目のアダムをつくるのです。あなたたちの旦那さんたち、天使長を連れて来て、昔十六歳の時に堕落した、その堕落前の基準が残っているから、そこに完成されたアダムの勝利の実体を接ぎ木するのです。偽りの実体から生まれたものを皆接ぎ木して、ハンダ付けして、サタンの讒訴圏を逃れるような解放圏に立たせて、真の父母様が、これは自分のものということを認定してあげれば、第二のアダムとして立って、自分の前の奥さんと共に結婚することができるのです。だから、天使長は昔のアダムに、世界に忠誠を尽くすより以上、先生に忠誠を尽くさなければ相対圏を迎えることができません。原理がそうなっています。」
(第十一回愛勝日のみ言葉 1994年1月2日 漢南洞公館)

 

 

「堕落は16歳で行われたので、イエス様は新しい年を迎えて、17歳で結婚についてマリヤに話したのです。 17歳の時に結婚で行くべき道を説明し、10年後の27歳で説明したのです。また、3年後に(30歳でも)3回説明してだめなので、涙を浮かべてエス様は出家をしたのです。」

 ファミリー1997年3月号「第14回愛勝日の御言」1997年1月2日サンパウロ

 

わたしはこの御言は、イエス様が母マリアと結婚しなければならないことを言っているのか、それとも言葉通りイエス様の結婚のことなのか長年思いあぐねてきた。

結論を言えば、後者の結婚のことだと分かってようやく、

「イエスは母マリアと結婚しなければならなかった」という肉的蕩減復帰を

エス様は理解されていなかったのだと了解した。

エス様はアダムとエバが堕落した起点において正しい子羊の祝福結婚をしなければならないと考えられた。

 

  イエス様はご自分が果たせなかった恨みを再臨主には味わわせたくなかった。

そこで、その時点のお父様に現れて結婚式のことを訴えたのである。

 

 「私が17歳の時、イエス様が私に〈文龍明さん、一緒に祝福を受けに行こう〉と呼びかけてきた。私は言った。(声を張り上げられる)『お前は誰だ、阿呆め! お前は何も知らずに祝福のことを言っているではないか。お前は夜の神様と昼の神様を知っているのか、阿呆めが。』」

2011年12月4日 天暦11月10日 天正宮でのみ言葉

 

わたしが17歳の時エスが私の所に来て言った『文龍明さん、私と一緒に祝福に参りましょう』(声を大きくして)私は言った『あんたは誰なんだ?結婚の日取りも媒酌人も決まっていないのにどこへ行くのだ?この馬鹿者め。あなたは夜の神様と昼の神様が別れてしまっている事を知っているのか?』と。私は今日あなた方にすべてを教えているのだ。

2012年1月4日 天歴12月11日 天正宮 安侍日の訓読会でのみ言葉

 

「私が17歳になった時、自分をイエスと名乗る男が私の所にやってきて言った。
『文龍明さん』
 私は言った。
『なんだ?』
 彼は続けて言った。
『これから私達は結婚式に行かなければならない。祝福にいきましょう』。
 私は言った。
誰と? どうしてそんな事が可能なのか?
 彼は言った。
あなたが望むなら神様が相手を用意して下さるでしょう。さあ行きましょう。
 それで私は尋ねた。
あなたは夜の神様と昼の神様が分かれてしまっていることを知っているのか?』」 

2012年1月4日 天正宮 安侍日の訓読会

 

「私がそのような人生を生きていた間、17歳になり、イエスと言われる人が私の所に来てこう呼んだ。『龍明お兄様。』 私はその頃日本人たちのゆえに、自分の韓国名を使っていなかったが、彼はその名を知っていた。私は彼にこう言った。『私が今日ここに来たのは、あなたと結婚式に参加するためです。あなたにとって難しいこととなるでしょうが、私と一緒に行って結婚することをどう思いますか?』」

(2012年7月16日)

 

「私が17歳の時、2月にイエスが突然現れ、私を『龍明お兄様』と呼び、『祝福に行きましょう』と言った。彼は、夜の神様と昼の神様が分かれて争っていることを知っていたのだろうか? 私は、彼が誰かを特定するため、『あなたは誰ですか』と聞いた。すると彼は微笑んで言った。『もう知っているのになぜ聞きましたか? 時がくればまたきます。もしあなたが聞いてくれないなら、私があなたを捕まえるか、私が捕まえられるかどちらかを選ばなければならない。』」 

(2012年7月16日 訓読会)

 

 

エス様はお父様に普通の結婚式をしようとおっしゃっている。

母との結婚は語られなかった。

知らなかったからである。

 

 

B、マリアと忠母様

 

エス様の母マリヤ

 

「 マリヤが本当の意味で、この地上のいかなるサタン世界の母親よりも、イエス様を愛さずして愛の道を訪ねていくようになれば、天理の法度から外れるのです。マリヤは、イエス様のために選ばれた女性です。したがってマリヤは、イエス様の母としてイエス様を懐妊して出産すれば、誰よりもイエス様を愛さなければならないのです。

 愛する際には、この世のいかなる母親よりも高い立場で愛さなければならないのです。自分の命を捧げ、自分が引き裂かれて死ぬことがあっても、愛を守るために行かなければならないのです。死と引き換えるようなことがあっても、愛を守るために行かなければならないのです。」

(『イエス様の生涯と愛』 P93〜94)

 

信仰者の代表のような方でも、「大母」と名づけられた。

お父様のお兄様も「大兄」と名づけられた。

 

真のお父様は、「お兄さんの名を『大兄』(文龍寿様)と付けました。」

(1995年8月30日)

 

「私の兄は弟の私に対して、他のことは知らなくても、歴史上には数多くの兄弟がいたけれど、自分の弟は歴史的な弟だと知っていました。それゆえに私が何かを言えば、絶対的に服従でした。その頼みがどんあに難しいことでも、そのことを行うのに躊躇しない兄でした。

(1970年2月)」

 

先生を産んだお母様(金慶継様)

 

何故お父様はお母様に「忠」の字を差し上げたのか?

天に対する忠誠を示されたからではないか。

 

「先生はお母さんは『忠母』と付けました。

(1995年8月30日)

 

「先生のお母さんは、先生に精誠を尽くしたお母さんなのです。この世の母親の中で、先生のお母さん以上に先生を愛した人はいません。それは私が知っています。

(1996年4月18日)

 

母子協助の根本の意味が、母格のエバが息子格のアダムを誘惑結婚することによって堕落したことを蕩減復帰することであるなら、忠母様はイエス様の母マリアが勝利できなかったことを成し遂げてくださったに違いないだろう。

 

「 この地に神様の愛と生命の種をもって生まれるためには、母親がいなければなりません。母親が息子を生むとしても、ただ単に生むことはできません。必ず復帰の公式を通して生まれなければならないのです。

 復帰摂理の中に現れた母子協助お抜け出したは、すべて天の息子がサタンの讒訴を抜け出した新しい生命の種をもって着地するための準備であり、条件なのです。母子と共に、サタンの攻撃を抜け出し得る条件を立てた土台の上で、サタンを代表する長子を屈服させることによって、サタンが先に占有した愛と生命と血統を復帰していけるのです。 」

『イエス様の生涯と愛』 P60

 

 

「私がこのような人になることを母は既に知っていたのか、身内で私しか信じる人がいないと思って、私が何か言えば、母はどんなことでもしたのです。ですから蕩減復帰もしらずに、母子協助がすべてなされたのです。

(1990年5月6日)

 

 

だが、16歳時点のお父様はどれほど御旨が分かっていただろうか?

 

「原理を発見したのは、20代前半です。・・・・27歳前に、すべてのことを完結させました。そして行動を始めたのです。」

(1999年4月16日)

 

27歳直前で全てが分かったのだからそれより前の10代、

それも17歳や召命された16歳では天輪の秘密を知りえただろうか?

こんなみ言がある。

 

「先生は、15歳以前に、みんなもう父母はもちろん、親戚はもちろん、兄弟はみんな先生の作戦圏内に皆動かしてしまった。」

(1971年3月25日)

 

ある時には、一人なりに神に対して、逆らったことがあるんであります。一人の男として生まれて、こういうような天地の秘密の内容を暴露することによって、世界は動揺し、自分の一生が滅茶苦茶になる。『この道以外に治める道はないのですか』と何回も拒否した立場があります。しかし、神は、『君が責任を持たなければ、誰かがしなければならない』と。それで奮起して30余年の歴史を費やしてまだ果たされていないこの道に、戦いをその合戦を続けていかなければならない、そういう立場に立っている。それがどうして落胆するでありましょう。『雄々しく、尊く、目的に向かって、神のために進んでいこう』、その決意は、日が変わろうとも年が変わろうとも頭の毛が白くなろうとも、その心情は、変わりません。」

(1975年2月13日)

 

お父様は自分が成し得たことしか語られない。

エス様が母マリアと結婚しなけれなならなかったというならば、

当然自分は勝利してきたということであろう。

 

「(このスピーチの題名によると)それは実体み言葉であり、み言葉の実体ではない。み言葉による(再)創造というのは堕落の後にのみくる。」

2012年1月8日 文鮮明

 

 

18から20歳までに結婚懐妊して、19から21歳までに生むことが理想である。

 

「息子・娘を早く結婚させるのがよいですか、遅く結婚させるのがよいですか?(早くです)いくつの時ですか? (18歳です)。なぜ18歳ですか? 6数の3倍が18です。18歳を越えなければなりません。それを越えて19歳、20歳、21歳まで、その3年間で赤ん坊を産まなければ難しくなるのです。その時が血気が最も旺盛な時です。女性は24歳になると下がっていくのです。統一教会では、18歳から20 歳までに結婚させるのが理想的です。」 

(真の父母の生涯路程② P56)

 

  

 

 

 

6,孝子の道は夫婦から始まる 

 

 

エス様は結婚するこができず、孝子としての夫婦の道を歩むことができなかった方

「イエスは、30年という長期間にわたって、神様のみ旨を抱きながら、ヨセフの家で、大工として働いていた。そして、心の中では、み旨を成就しようとする気持ちを、一瞬でも忘れたことは無かった。この30年間は、様々な神様のみ旨を心に抱き、試練を重ねながら、み旨を成就することができるよう、内的な完成の為に準備をする期間であった。その期間、母マリアの内的な協力を受けることができなかったイエスは、家を出て、新しい第二次としてのみ旨を立てようとしたのである。」

 (『原理原本』三編 三章)

 

 イエス様は個人路程で終わることを余儀なくされた。

 

ある兄弟がキリスト教の救いは個人の救いだが、我々の救いは、人類始祖アダムとエバが二人で堕落した内容を蕩減復帰しなければ救いがないので、個人の救いはありえず夫婦で共に救われていく道であり、それがすなわち祝福となると語られた。

同様に、我々の信仰路程に個人路程はないと言える。

初回では孝子の話から出発したが、天の父にとって本物の孝子とは何か?その基準は何か?を知ることがお父様とイエス様の違いを知る手がかりになると考えたからである。

しかしそれは、お父様とイエス様だけが行くべき道ではなく、次には従って歩む我々の道である。

 

エス様は真の意味においては孝子の道を歩むことができなかった。

その恨みを我々が果さなければならない。

お父様とイエス様の違いを何のために知るというのだ!

これこれこう違うと知識を得て終了か?

「俺様はこんなことも知っているぜ、どんなもんだい!」

 

そんな馬鹿な話はない。

エス様を本当に尊敬し愛しているのなら、彼が果たせなかった夫婦としての孝子の道、忠臣の道、烈女・烈士の道を我々自身が勝利してイエス様の恨みを晴らすべきである。

いつまでもイエス様を神棚に飾って偶像崇拝するのは、

たった今からきっぱりとやめようではないか!

もちろんイエス様も祝福を受けられた。お父様に続くだろう。

康賢実オモニが勝利された今。聖霊はもはや地上に必要がない。

聖霊は長成期キリスト教の信仰である。

これでは天一国を創ることはできない。

アメリカには天一国は創れない。

せいぜい長成基準の天一国しか創れない。

アメリカ人の誰が孝忠烈を知っているというのだ。

何故朝鮮に朱子学が熟成したのか?

 

朱子学は天の意志は分かったかもしれないが、完全な人格を持った神を知ることがなかった。そこでそれを基盤に、鄭鑑録の預言を受けて、神を知る儒教として天道教が現れることになる。

そしてその先にサンクチュアリが現れた。

儒教圏である中国・韓国・日本のキリスト者が頑張らなければ伝統は立たない。

しかも、王がいる国は日本だけである。

王のいない国民にどうして忠誠が分かるというのだ。

 

兄弟姉妹よ、思い出してほしい。

祝福家庭は2000年前に十字架を越えて勝利し復活されたイエス様より上位にあることを。

その位置をどのように守っていけばいいというのか?

韓流ドラマのホジュンチャングムのように絶え間なく道を求めて精進する以外に方法はない。

わたしは信仰とはそのようなものだと思ってきた。

もしここにそれがないならば、ここは私のいるべき場所ではないに違いない。

 

「信仰生活の基準はメシアである。メシアに似ることが信仰である

(祝福家庭と理想天国 1 P563)

 

「先生を正しく知るためには、先生が一生かけて投入して、真心を込めて語った御言を解読しなければなりません

(1991年11月3日)

 

先生を中心として先生の生活観と、自分の生活のすべてを一致させることによって先生が体恤した神の心情圏を体恤する。これを平面世界の中に、見て感じ、接することによって、その神の心情圏は自分の方につながるようになる」

(1971年9月13日)

 

真理の全体を知らない限り、イエスの時の人々と同じように聖書の言葉の犠牲者となる

(1973年10月28日)

 

「皆さんは内的な先生に対して関心を持たなければならない」

(「祝福家庭と理想天国」P277)

 

成約は信じて義とされるのではなく、侍って義とされる。

その侍り方には、孝があり、忠があり、烈がある。

天聖経では誰を見本とせよとお父様は引用されたのか?

 

「 韓国は、最後に神様に忠誠を尽くして孝行する民族なので、今日、その忠孝精神が国家の中心思想になったのです。沈清の父母のために尽くす哀切な孝行心、春香の夫に対する志操、鄭夢周の君主に対する忠誠、柳寛順の殉国精神、このような忠孝の志操は、古今東西、どこにもその類例を見ることができない韓民族の魂です。

 このような忠孝の精神と、松や竹のように変わらない志操は、今後、成し遂げられる地上天国の中枢的志思想と精神になるのです。天国は神様の国なので、その国のために永遠に忠誠を尽くさなければならず、神様は人類の父であられるので、その父に永遠に孝行しなければなりません。世界の様々な民族をいくら試練してみても、韓国のように忠孝の情熱と志操が高い国はないのです。神様は、韓国を選んで訪ねてこられるのです。」

(横書き天聖経 真の孝の生活 忠孝の意義 P2005)

 

神は何故一双の夫婦を求めたのか?

家庭連合とサンクチュアリに別れて、どうして天に至誠を捧げられようか!

2000年前のイエス様の個人路程に後退するのか?

自分のために?孝子の道を放棄すのか?

祝福家庭より祝福待機献身者が望みならそれも人生の選択であり、

献身者より実践会員が望みならそれも人生の選択。

 

犯行を企てたのは天使長が先だった。

だが、天使長の立てた予定は明日なのに、

今日実行しましょうと天使長を急き立てたのはエバだった。

エバが堕落の日を決めたのであり天使長がその日を決めたのではなかった。

それゆえ、天使長は心の中で明日の犯罪計画を思い描いていたが、

エバは天使長に実行を促し、天使長を堕落させ、次にアダムを堕落させた。

女の歴史はそれゆえ悲惨なものになっていった。

 

 

「 神様が理想とされた1双の夫婦は、神様に栄光をお返ししなければならないのに、堕落によって栄光の代わりに悲しみを返してしまったというのです。ここには、アダムとエバの責任だけではなく、天使長の不忠もあるのです。天使が先に忠孝の道理を立てなければならなかったのですが、その道理を果たせずに堕落したのです。したがって、復帰摂理は、忠孝烈を立てることです。

 神様が忠孝烈の心的中心を立ててこられたので、すべての宗教の教えや道理もこれを立ててくるようになっているというのです。すべての道人たちは、これを探し立てるために出てきたのであって、イエス様も忠孝烈を立てるために家庭を尋ね求めてこられたのです。

 神様がイスラエル民族を立てられたのは、このような家庭を復帰するためでした。エス様が先に忠孝烈の道を立てて行かなければならず、忠孝烈を立てるための祭司長になってこそ、サタンを屈服させられたのです。

 私たち祝福家庭は、忠孝烈を立てることにおいて誰にも負けてはいけないのです。忠も、孝も、烈も、家庭から始まらなければなりません。祝福は、お父様の希望を相続することです。今まで、神様に対する忠孝はありましたが、烈の家庭はなかったのです。「神の国」が訪れるまでは烈を立てることができず、サタンの讒訴が残っている限り烈は立てられないというのです。

(14−209.1964.11.4)

 

「それゆえに、男性と女性の夫婦で愛し合う人こそ、孝子になるのです。孝子になり、忠臣になるのです。忠臣になり、聖人になるのです。聖人になり、聖子になるのです。」

(206−176.1990.10.7)

 

「それでは、孝子とは、どのようにするのが孝子でしょうか。昔結婚して夫婦となり、家庭を率いて父母の前に孝行した男性と女性以上の孝行をしなければなりません。結婚しなくては、真の孝子、孝女となることはできません。

(30−220.1970.3.23)

 

一瞬の孝行息子の我々ではなく、本来の孝行息子が責任を果たしたほうが父母は幸せだったに違いない。

 

「父母が死ぬ前までに親不孝したとしても、父母が死ぬ最後の場に置かれた時に、今まで孝行してきた子供が親不孝になり、親不孝してきた子供が転換すれば、孝行してきたその位置を受け継ぎ、一瞬の孝行をすることによって、父母から『孝子だ』という声を聞くようになるのです。そのようになれば、その1日の行動の基準とともに、孝子の称号を持って登場するようになります。生命が尽きる時まで、その目的に向かって行く人の前に、栄光の相続がなされるのです。

(64−75.1972.10.24)」

 

もし我々の孝行が一瞬で終わるなら、、一瞬の孝行息子の我々ではなく、本来の孝行息子が責任を果たしたほうが父母は幸せだったと思うのだ。

 

世界には二種類の人間がいる。

夜の神様を崇拝して終わる人間と昼の神様を崇拝して終わる人間だ。

 

人はみな他人事のように神様の結婚を考えている。

あるいは、お父様とお母様の結婚だと上の空である。

何故だろう?

 

夜の神様と昼の神様の結婚は、人類の公式路程でもあることを知らないのか?

おまえたちは基準なく三次の祝福結婚を成した者たちだ.

 

それなのにおまえたちは、夜の神と昼の神の戦場を知らない。

そこはあまりに近すぎて見えないからだ。

おまえたち夫婦の間が夜の神と昼の神の戦場なのだ

 

あたかも一人のような夫婦。

上から見ても、下から見ても。

前から見ても、後ろから見ても。

横から見ても、内から見ても。

 

天一国は一双の完成された夫婦を基本単位として、

君師父一体の三大主体思想は実現される。

エス様は道半ばで倒されてしまわれた方。

 イエス様は洗足の儀式で天の伝統を伝えたかった。

それは、外的に見ればピラミッド組織だが、

内的に見れば逆ピラミッドの心情組織のはずだった。

そして、その中にはありとあらゆる自由と責任に基づくコミュニティーが誕生するはずだった。

 

第一イスラエルは三綱を知らなかったが、朝鮮民族は隅から隅まで知っていた。

だから、天一国はそこに造られなければならなかった。

第一イスラエルも第二イスラエルキリスト教も知らないのだから。

 

アメリカに、ペンシルベニア天一国を造りたいなら、

アメリカ人は儒教を学ばなければならないだろう。

 

「今まで、父に対して息子として立っていても、子が父を知らないという無念な思いに長く耐えられた神様の心情に同情する孝子が、世界のどこにいるのか。この道を固めるため、世の中に、孝子の道と、忠臣の道と、師弟の道を、前もって伝搬し、その基盤にしようとしたのであるが、今、それ自体が無いというのは、実に嘆かわしいことである。それが分からない人間になろうというのか。知る者は直接、孝子は遠くから、み旨を立てることができる。イスラエル民族は、以上のような三綱という儒教的な中心体として、神様に仕えたのか。その原理を知らなかったのである。そのような関係を教示できなかった神様は、どれほど悲しかっただろうか。創造原理の全てを完全に取り戻し、最初の理想を成就しようとした。しかし、隠れた原理的間隔をおいて堕落したために、教示できなかった。それは前述の通りである。」

(『原理原本』 三編 二章)

 

韓国の正統時代劇は儒教の心情世界位の宝庫である。

かってお父様はそこに何かがないかと「徳川家康」の大河ドラマですら真剣にご覧になられた。

ましてや、韓国の時代劇には、朝鮮に脈々と流れ引き継がれてきた心情を求めるべきではないか?

自分たちの生活に落とし込む為に。

 

「我々が、(天と)完全に授受しようとすれば、再臨主を中心として天を愛し、天の父母に仕えなければならない。こうして、創造理想の善が完成する。これが、根本の根である。天の父母と一つになってこそ、創造理想の善となる。ところで、神様と一つになるためには、天の父母のようになることに合意しなければならない。そうすれば、創造理想の原理が完成し、理想の善となる。それ以外の我々は、肉身はあるが、天の父母を最上位とし、その影像である肉身の父母が、天の父母に仕えるみ旨に立って、完全に仕える父母となれば、その父母によって、肉身を持った子供は、(父母と)一つの体のようにならなければならない。それが、根本創造原理の頂点である。このような尊ぶべき創造原理があるため、天の父母に仕える代わりに、孝行の道を行かなければならない。このような原理の中に、孝行の道という儒教の起源がある。

また、国家としては、再臨主を王として仕えなければならない。今まで、未知の根本を教示してきたものとして、師に仕えなければならないという教えがある。これは、創造原理の頂点で、孔子を通して教示された三綱という原則であり、これが歴史に残ったのである。その目的は、創造原理の完成を助けるためであり,そのため歴史に残したのである。我々は、天の愛を引き継ぎ、それを繁殖させなければならないが、まず、天の父母のみ旨と一つになる努力をし、その次は、私の対象存在と一つになり、全体を一つとして完成させなければならない。それが、人生の第一責任である。

つまり、天の父母、肉身の父母、夫婦(子女)が一つになり分立しないこと、これが、神様の創造性相対として対象理想型を展開した根本創造原理であった。これを一つにして、天のみ旨を成就した者は、再臨主に仕えることにおいて完全な資格である第一責任を果たした者となる。従って、孝子、忠臣、となって、天の父母に仕えてこそ、自己が完成し、天に対して、完全なる仲介の立場に立つことができるのである。」

(『原理原本』五編 二章)

 

孝子の道を知る「ホジュン

烈女の道を知る「チャングム

烈士の道を知る「千秋太后

宮中を出て市井で卑しい身分の民の訴えを知る「世宗大王

天使長が命がけでエバを信用させ種を植える工作を知る「千秋太后

孝子の孝子や自然屈服の王道を知る「広開土太王」

本物の忠誠と天使長の策略を知る「鄭道伝

妾を愛で屈服させた「商道」イ・サンオクの妻

 

 

「一方、儒教の精神を受け、三綱輪屈服せるために、国家的に取り組んできた。その全盛時代の結実が、李朝の歴史である。儒教は、韓国を中心としてその目的(三綱五輪)を最高に発揮してきた。そして、今まで上層部の人々のほとんどが、儒教精神を習得してきた。こうして今まで、東洋における儒教の中心地として、その篤い信仰により、『東洋の礼儀の国』とされてきたが、そのような歴史的由来を持っているのである。このように儒教は韓国人にとって教養の中心となり、また、歴史の上で、偉大なる役割を果たしてきた。また、歴史の上で、偉大なる役割を果たしてきた。また、外国の統治下にあっても、その儒教的思想を貫いてきたのが事実である。そして、外国の統治が終わり、新文明の文化世界を望み、新生して出発した時代となっても、自分たちが伝え、崇拝してきた、孔子孟子の思想の道を中心として、高尚な道徳心を心に抱いてきたのである。しかし、新時代となって、韓国は圧政に直面し、因習的な傾向の強い儒教的思想は、徐々に(外部の)刺激を受け、減少していく方向に向かっていった。その時代に、儒教的思想を持った人士たちが望んでいたことは、再び、国土を復帰することであった。このような希望を抱く中、韓国に対する預言書として現れた鄭鑑録を研究するところとなった。そして、韓国が復帰され、全世界の中心国になると教えてくれた鄭鑑録によって、外国の統治に対する自分たちの対応方針を決めたのである。このように韓国民族の中で、儒教を崇拝する知識層に属する者たちの大多数は、今まで、鄭鑑録を中心として、国土の復帰と韓国の理想郷を論じてきた。つまり、この預言書は、この時代に適合したのである。それゆえ、今、韓国の全民族は、この預言書を非常に崇め尊んでいる。

こうして、儒教の思想はその基本目的である道徳観念よりも、鄭鑑録を中心として、それを支持する思想となった。儒教人たちは、(この思想によって自分たちの)立場を守る道を選び、外国の統治に対して、『東学』という名称で、民族運動を起こしたのである。それが、すなわち、三・一運動、己未(ウルミ)年の事件である。東学党は、宗教として教派をつくり、世界には無い天国理想を掲げ、天道教という名称で現れ、現在に至っている。その全ての中心は、韓国に対する預言書、鄭鑑録であり、それにより、目的完成基準を定めている。儒教は、韓国の新形態を示す教となった。それゆえ、天道教は、儒教的に結実した存在としての位置を持っている。このように、韓国人は、信仰を最後まで変えずにきた。そして、新しい教理は、天の原理を通して示されるのである。」

(『原理原本』五編 三章)

 

特に、ここ三十年余りの歴史を中心として、韓国で天道教が始まったのは、天の存在が目的を果たす、その将来の基盤を固めるためである。それゆえ、天の存在が現れる前に、(天道教が)始まったのであり、それが、み旨であることを知らなければならない。その教えは、地上天国を願うものであり、まさに、神様の望まれる韓国において準備された教えなのである。このように、神様が、天の存在を送られる前に、このような完成基台をたてなければならなかった。つまり、天道教が現れたのは、それが、天の目的だったからである。

このように、韓国の全ての宗教は、一つの目的に向かって動いている。神様の終わりの日の目的は、一つなのである。宗教は、神様のみ旨を助け、それを目的として完成していくのが原理である。」

 (『原理原本』五編 三章)

 

 

 

7,夜の神様と昼の神様の統一とは8段階の核心であり我々のゆくべき道である

 

 <今までのポイント>

1,お父様の血統とイエス様の血統の違い

 

お父様とイエス様の違いは、肉的堕落の蕩減復帰は同じ形式で成されてはいたが、

内容的には、お父様の場合は国家的蕩減条件を直系が果されたばかりか、家族・氏族もさらなる蕩減条件を立ててお父様がみ旨を勝利できる準備をされてきた。

また、血統は違うが国家的祭物として柳寛順が条件を立て、それを引き継いだ形で

10ヶ月後にお父様はお生まれになっている。また、国民も7年の凶作などの蕩減を経てお生まれになった。

エス様の時には、少なくとも国家的な条件は成立していない。

したがって、生まれた時からお父様とイエス様では血統が違っていたのである。

 

2,お父様は孝子の中の孝子だが、イエス様は孝子で終わられた。

具体的には、ゲッセマネの祈りにおける神とイエス様が二心となったことや、

十字架上で捧げた心情がお父様にして言えることだが霊肉の勝利には届かなかったことがあげられる。

 

3,17歳を中心に考えると、お父様は肉的堕落の蕩減復帰が完遂していると思われる。たとえば忠母さまが母子協助を完全に果たしたというが、母子協助を人間的に息子に尽くしたという意味では使われるはずがないゆえに、母マリアとの結婚に勝利されたと見ることができる。

 

<何故孝子が重要なのか?>

 

エス様が果された孝子の基準は養子であった。

我々祝福家庭は資格なく条件的祝福を受け実子としてスタートしている。

エス様が聖和され確定した心情圏を引き継いでさらに先に進んでいくのが我々祝福家庭の使命である。

エス様を拝んでいては駄目だということである。

如何に偉大な人物であっても、個人であれば進むことができないのが8段階であった。

 

<お父様に続いて夜の神様と昼の神様の戦いを終わらせる立場が祝福家庭>

 

「夜の神様」を必要以上に神秘化しすぎて、

我々と共に暮らしたい「インマヌエル」の神を、我々の生活と切り離した遠くの存在として崇め祀る間違いを犯すべきではない。

「夜の神様」を真に愛するならば、夫婦が完全に一体化して、

夜の神様と昼の神様の戦いを終結させなければならない。

祝福を受けるということは、その戦いに終止符を打つことを神と合意することである。

したがって、個人でいくら「夜の神様」と敬愛して呼ばわっても、

神は知らん振りせざるを得ない。

「我と汝に何の関わりのあらんや!」

 

<夫婦が行くべき対象思想と主体思想

1,三大対象思想(仮称)

我々祝福家庭は、歴史上最高の孝心をもって孝子の中の孝子と成ることを誓う。

我々祝福家庭は、歴史上最高の忠誠をもって忠臣の中の忠臣と成ることを誓う。

我々祝福家庭は、歴史上最高の烈をもって烈士の中の烈士に成ることを誓う。

2,三大主体思想

「真の父母と、真の師と、真の主人が「三大主体思想」の骨子です。」

(天聖経)

 

以上のような心情を夫婦一体で享受しつつ8段階を上昇して、それぞれの心情基準を通過し万王の王に対応する王の心情を創造することが、我々の天命であり至福となる。

 

そのような過程を経て、

真の御父母様の勝利を求めて、他人事ではなく、自分事として、

夜の神様と昼の神様を理解し解決することに合意した我々であることを、

以下の夜の神様と昼の神様の御言を共に振り返って確認し覚悟を改めたいと思う。

 

神様が臨在されるということは、夫婦が真の愛で統一されることである。

 

 

 「アダムとエバが本体のみ言葉を実践すれば、本体のみ言葉の実体となる。
​本体のみ言葉の実体が本体的実体である。
​本体的実体が昼の神様である。昼の神様は夜の神様の実体である。
​昼の神様は、見えない夜の神様を見える神様となるようにする。
​夜の神様は、昼の神様を通して実体があらわれる。
​昼の神様と夜の神様が一体をなせば、本体的存在として天地人真の父母になる。」

 

「アダムとエバが完成し昼の神様になれば、神様の直接主管圏時代が開かれる。
​夜の神様は、体がなくて一人で被造世界を直接主管することができない。
​夜の神様が被造世界を直接主管するためには、アダムとエバが完成し、
昼の神様にならなければならない。
​アダムとエバが完成すれば、夜の神様はアダムとエバを直接主管される。
​また、夜の神様はアダムとエバの体を使って被造世界も直接主管される。」

 

「昼の神様があらわれる時、夜の神様の創造目的が完成される。
​昼の神様が神様の創造理想として願われた真の父母だ。
​真の父母の思想は創造以前から存在していた夜の神様の核心思想である。​
真の父母という言葉は、創世以前からあった。
​真の父母は夜の神様の創造構想の中で存在していた。
​夜の神様の創造の中心は真の父母の完成である。
​夜の神様は真の父母の実体圏のために万物を創造した。」
(1997年8月9日)

 

 

「 ​夜の神様は第1創造主であり、昼の神様は第2創造主だ。」
(1998年8月21日)

 

夜の神様は目に見えない創造主であり、昼の神様は目に見える創造主である。
夜の神様は内的な創造主であり、昼の神様は外的な創造主だ。
​アダムとエバが完成すれば見える昼の神様となる。
アダムとエバが完成すれば見える創造主となり、外的な創造主となる。
見える創造主と外的な創造主が昼の神様である。
(1998年11月20日)

 

  

 

「真の父母思想の根は、創造以前の夜の神様である。
​夜の神様の創造目的はご自身が直接愛を授け受けることができる
愛の実体対象があらわれることだ。
​夜の神様の実体愛の対象が完成したアダムとエバだ。
​夜の神様の実体愛の対象が真の父母だ。
​夜の神様の愛の実体対象が昼の神様である。
​昼の神様があらわれてこそ、夜の神様は実体的な愛を通して
直接喜びを感じることができる。」

 

「夜の神様は、創造以前から今まで昼の神様が現れるのを
首を長くして待ちわびて来られた。
​四六時中、昼の神様が現れるのを待ち焦がれて来られた。
​もしアダムとエバが完成して昼の神様になって
​「一国に現れて真の父母の位置にだけ立つことができたなら、
神様は夢にでも現れてヘリコプターで太陽を運んで、月を移してでも
​空中で喜びの稲妻を作って歓喜の雷を鳴らしたかったことだろう。」
​(平和神経 21)

 

「神様が臨在なさることができる中間の位置に、逆に、天使長が入り込んできて、アダムとエバと一体になることによって、天地父母の位置を悪なる父母が占領するようになり、その結果、心と体が怨讐となり、男性と女性が怨讐となり、天とこの地が怨讐となり、兄と弟が怨讐となり、その闘争の結果、神様は、孤独な立場、囹圄に閉じ込められた立場となり、サタン全権時代になるという、悲しく、恨めしい歴史が展開したという事実を、統一教会の教会員はみな知っております。」

(2003年2月6日 天宙天地真の父母様平和統一祝福家庭王即位式の祝祷 ) 

 

 

 

「夜の神様と昼の神様が皆さんの前にいることを皆さんは知りません。神様をおひとりと思いやすいというのです。夜の神様がいることを知らなければなりません。夜の神様が現れ、昼の神様が現れ、異なるおふたりですが、昼の神様は夜の神様に侍ることができないというのです。侍ることができないので、昼の神様は世界の事情を通して夜の神様に侍らなければならないというのです。」 

(2010年9月3日 天正宮博物館 安侍日敬礼式および訓読会)

 

「隠れてしまう前にアダムが現れて、四十日が満ちる前に「神様、私が間違っていました」と言っていたなら、こんな歴史にはならなかったというのです。アダムは分かっていたというのです。知ってみると、世の中がこのようになったこと、エバの過ちを自分が請け負うことはできないというのです。エバがしたことはエバのものとして返し、カエサルのものはカエサルに、ラバンのものはラバンに、アベルのものはアベルに返しなさいと言うことによって、神様が夜の神様と昼の神様に分かれるしかありませんでした。それゆえに、昼夜共の主人がなくなり、人も体と心の闘争歴史を抜け出すことができなくなったのです。」

(2010年9月3日 天正宮博物館 安侍日敬礼式および訓読会)

 

  「この天地において、神様の解放です。皆さんは神様を知らないけれど、お一人の神様がお一人だけではないのです。夜いらっしゃる神様と昼いらっしゃる神様がお一人であるはずなのに、知ってみると、なんと夜の神様、昼の神様、心的な世界の神様、体的な世界の神様が、一つになった立場にいることができないような立場でした。」

(2011年1月11日 天宙清平修練苑天城旺臨宮殿

「清平役事16周年記念真の父母様特別集会」のみ言)

 

「神とメシアの三位一体を形成するためには、最初に方向性が定まっていなければならない。お前たちは、神とイエスと真の父を知らないのだ! お前たちは、私がどんな根拠で『第3アダム』と言ったのかを知らないのだ! お前たちは、アダムの実体的存在、イエスの実体的存在、真の父の実体的存在、夜の神、昼の神、といったものを知らないのだ。夜の神と昼の神がなぜ分けられてきたのかを、お前たちは知らないのだ! これがお前たちのありさまだ。
 夜の神と昼の神は相争ってきただろう。そうではないか? 真っ暗な夜に、明るい家の役割を演ずることはできないだろう。そうではないか? 彼らを解放することによって夜の神と昼の神を解放すると言っているのは誰なのだ? 夜の神と昼の神。お前たちは彼らが何をしているかを知らない。エデンの園で、神はアダムとエバと天使長を呼んで言われた。『善悪の木の実を取って食べるな。それを食べれば死ぬだろう。』 しかしお前たちはその実が何を意味するかを知らない。これは霊界の高いレベルにおける事実である。霊界の低いレベルに住む者は、より高いレベルのことを知らない。一度しかやってこない時期を逸してはならない。」

(2011年8月9日 ラスベガス平和宮

 

 

「聖書には、『そして夕べがあり朝があった。一日だった』と書いてある。夕べがありそれから朝があったのだから、これは二日目のはずだと思うかもしれない。夜はどこへ行ってしまったのか? この言い方は3数を中心にしている私はこれがなぜ第一日なのかをじっくり考えた人だ。」 

(2011年11月22日 天正宮 訓読会)

 

 「夜の神と昼の神が分かれてしまった。心と体の闘争していない者、手をあげてみなさい。手をあげなさい! 誰もいないのか? なぜそうなのか。心と体が分かれてしまったという事実は、夜の神と昼の神が分かれてしまったという事実から発している。神はアダムとエバに善悪の木の実を食べるなと警告した。なぜ彼らはそれを食べたか。その木の実とは何か。君たちは知らないだろう、どうだ? 人間の堕落を解明した人物がここにいる。これは嘘ではない。」

(2011年11月24日 天正宮訓読会でのみ言)

 

 

「ルーシェルは神の弟だった、だからアダムとエバの叔父さんだったのだよ。

 ルーシェルがエバを略奪しようと企んだ前日、ルーシェルがそれを次の朝に始めるだろうと気づいていたエバは、〈明日でなく今日それをしましょう、アダムが(私たちの関係に)気づいて私たちを追い出すように〉と言った。(彼女は)アダムが誰かを知らなかったのだよ。アダムは夜の神の体なのだ。」

(2011年12月2日)

 

 

「夜の神と昼の神とがある。そして夜の神は間違いを犯さなかった。身体の神としての昼の神が堕落した。夜の神が男性であるとしたら、昼の神は女性だ。そして彼女が堕落した。エバは神の弟にまたがった。そしてアダムの年下のいとこが事態を逆さまにしてしまった。そのような原理はないし、創造のプログラムの中にそれは見当たらない。昼の神は女である。女が神の弟の腹の上のまたがり、彼を堕落させたのだ。その過程において、彼女は下になり、神の弟を自分の上に乗せ、そして彼女は種を受けた。しかし彼らの子供たちは狂った者の子供たちで、彼らは天国へ行くことができない。事態をどう再逆転すべきかを誰も知らない。ただレバレンド・ムーンだけが知っている。天地人真の父母によって、夜の神と昼の神は解放された。どうして被造物が創造主を解放できるのか? どうしてそんなことが起こり得るのか?」

(2012年1月11日 江原道のホバン室内競技場で行われたお父様のスピーチの中で語られたお父様のコメント)

 

 

次回は最終回となる。

8段階路程と我々について共有したい。

 

 

 

8,孝子の夫婦の道である8段階心情路程

 


真の父母様のみ言(文鮮明先生・韓鶴子総裁) 家庭連合 (統一教会)

 

 私の教えは神様の心情についてです。・・・そのような人格を中心とした心情の夫婦について語っているのです。心情の家庭、心情の氏族、心情の民族、心情の国家、心情の世界、心情の天宙圏について語っているのです。皆さんはこの御言が何のことなのか、まだわかっていません。先生の御言は、このような内容を知らずしては理解ができないのです。」

(1971年1月1日)

 

「イエス様が真の父母になったならば、
本体のみ言葉の実体になり、本体的な実体になられる。
​イエス様は昼の神様になって夜の神様と一体となり、天地人真の父母になられる。
​神様の直接主管圏時代が始まる。
​しかし、エス様は十字架の道を行かれることで昼の神様になれなかった。

 

第3次アダムとして送られた文鮮明先生は「してはいけない」という戒めを守り
「しなさい」という三大祝福の責任も果たされた。
​真の父母様の摂理観的責任も果たした。」
(1999年12月26日)

 

「アダムとエバは、自然に昼の神様になるのではない。
​アダムとエバが昼の神様になるためには、夜の神様のみ言葉を実践して、
本体のみ言葉の実体にならなければならない。
​アダムとエバは、神様から与えられた『しなさい』という責任と
『してはいけない』という戒めを守らなければならない。
​『しなさい』という責任は三大祝福を完成しなさいという責任を果たすことである。
​ 『してはいけない』は神の許しがあるまで
取って食べてはならないという戒めを守ることである。

 

第1次アダムは神様から与えられた『しなさい」』という責任を完成できなかった。
『してはいけない』という戒めも守れなかった。
​第1次アダムは『してはいけない』という戒めを守れずに堕落して
『しなさい』という三大祝福も完成することができなかった。
​第1次アダムは堕落によって昼の神様になれなかった。
​第1次アダムは堕落によって真の父母にもなれなかった。
​第1次アダムが昼の神様になれなかったことが、神様の恨(ハン)である。
​第1次アダムが昼の神様になれなくて、心と体の闘争が始まった。

 

第2次アダムとして送られたイエス様は『してはいけない』という戒めは守っても
『しなさい』という三大祝福の責任は果たせなかった。
​イエス様は洗礼ヨハネの妹と結婚して真の父母になって
昼の神様にならなければならなかった。
​イエス様が結婚したならば、十字架で亡くなることはない。」

(2001年1月13日)

 

 

 

何故八段階の復帰路程の講義では、三段階目の養子基準がイエスとされているのか?

エス様は語られた。

 

「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」

(マタイ伝5章48節)

 

また、パウロも語っている。

 

「あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか。

もし人が、神の宮を破壊するなら、神はその人を滅ぼすであろう。なぜなら、神の宮は聖なるものであり、そして、あなたがたはその宮なのだからである。」

(第一コリント3章16〜17節)

 

 

本来イエス・キリストは神の三大祝福を地上で成就して地上天国を完成するはずであった。

そして地上天国の雛形がイエス家庭であった。

ところがイエス様は殺されてしまい、良き伴侶を得て夫婦理想も家庭理想も築くことができず天へと旅立たれてしまったのであった。

蘇生・長成・完成の成長の三段階において、完成期は一人では行けない道であった。

したがってイエス様自身も個人では完成することができなかった。

そこでイエス様は霊的な伴侶のような聖霊とともに人類が堕落人間から神の子に生み返される道を、霊的な摂理ながら責任を持たれて来られた。

 

個性完成ーーーーーーー家庭完成ーーーーーーー天宙復帰

 

というバトンの引き継ぎではなく、

 

個性完成ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

           家庭完成ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

                      天宙復帰ーーーーーーー

 

前の三大祝福を引き続き全うしつつ、

次の三大祝福が全うされて行き、

あたかもテイクオーバーゾーン(バトンゾーン)が最後まで続くような光景となる。

 

 

さて、イエス様が厳密な意味において神の実子であるならば、

何故、われわれ堕落人間を「霊的な養子」ではなく、「霊的な実子」に生み変えてくださることができなかったのであろうか?

 

それは神の実子ではなく、善の天使長格のザカリアの種から生まれたからである。

堕落の時と逆の経路を通過する蕩減復帰上それはやむを得なかったが、

しかし、それだけでは十分ではなかった。

霊的堕落の蕩減復帰にすぎなかったからであらる。

 

16歳までの堕落しなかったアダムを引き継ぐことはできたが、

堕落以降のアダムは依然としてサタンが支配したため、

そのままでは肉身を奪い返すことができない。

16歳の堕落を越えて行く何かが足りない。

何だろう?

 

サタンの霊人体と肉身の支配権を完全に蕩減復帰する

決定的な条件が必要である。

そうしてこそ、肉的蕩減復帰が成立される。

堕落してサタンの妻となり母格になって、

サタンを父としエバを母としてアダムはサタンの子として生まれたのだ。

母がなくしてどうしてアダムがサタンの子として生まれることができようか!

人類はそれを知らない。

ただ一人真の父母である文鮮明だけが知っていた。

 

 

もし、血統転換されて生まれたというならば、

どうしてアダムを引き継ぐ必要があろうか?

引き継ぐも引き継がないもない。

そのまま行けばいい。

 

最後のアダムは、母であるエバ、母であるマリアと結婚しなければならない。

それも、母であるエバは、母であるマリアは、

エバが御言を捨てても堕落したので、

御言を与えられずとも、これに勝利しなければならない。

そうしてこそ根本復帰である。

 

では縦横の8段階の特に心情を中心とした成長の縦的8段階を振り返ってみよう。

清平で36家庭の講義を受けた時、はじめて御言のわからなかったことが氷解し始めた。

一段階はノアが立てた心情基準。

一体ノアはいかなる基準を勝利したのか?

二段階はヤコブモーセが立てた心情基準。

一体ヤコブモーセはいかなる基準を勝利したのか?

一段階ですらノアの勝利基準である。

気が遠くなりめまいがするような思いだった。

 

さらに驚いたことは、

三段階がイエス様であったことだった。

養子基準がイエス様である。

何故だろう?

息を吸うのも忘れるほどに驚いた。

 

決定的に驚かされたのは、

四段階が再臨主で庶子となっていたことである。

再臨主は実子ではなかったのか?

一体全体どうなっているのだ!

今まで立っていた世界が消失するような衝撃を受けた。

 

自分がわかっていたはずの御言がすべて吹っ飛んでしまった。

自分が行くべき人生行路なのに、

まったくの暗黒のただ中に自分がいることを知って怖れた。

 

若い頃、777の巡回師が8段階の御言が出た時に若い我々に言った。

「あなた達は、お父様の8段階の御言がどういう意味なのか考えているの?」

自分以外にもこの8段階のみ言と取っ組み合いを始めている人がいることを知った。

彼女はどう考えているかはそこでは語らず、みんなの顔を見回して笑っていた。

お父様が777に語る御言は他の祝福家庭に語った御言とは次元が違っていた。

彼らは宗教性の高い者が召命され、お父様の期待も格段に高かった。

 

サンクチュアリに来て多くの疑問がことごとく解決していった。

協助するべきふさわしい人物がすべて失われてしまったからである。

仕方なく天は捨てられていた残り者たちに近づかれていった。

悲しみと苦痛に耐えながら・・・

こんなはずではなかった!

 

 8段階の図解を探したら、以下のような可知雅之講師のものがあった。

ついでにこれを説明した動画がないか探したら動画もあった。

可知雅之講師は御言の収拾やその図解は得意のようだが、講義は漫才のようだ。

これがサンクチュアリの教義解釈をしている者の有様だ。

 


真の父母様を中心とする現代摂理① 可知雅之講師

 

 50分からようやく8段階が始まる。見たい方はそこからを勧める。

以下の動画もどうしても見たいならどうぞ。

 


真の父母様を中心とする現代摂理② 可知雅之講師

 

 

 

 

キーワードを中心にみ言葉の確認をしてみよう。

 

<蕩減>

 

「蕩減」については、私が80年ころにファミリーで知った御言と同じところを注目しているが、もっと蕩減の先の祝福あるいは至福に重点を置いて話されたほうがいいかと思う。

例えて言うならば、富士山なら富士山、エベレストならエベレストを登るのは大変だが、頂上に立っと時にはそれらを全て忘れ去ってありあまる喜びがある。

皆それを知って登っている。

つまり、「蕩減」というのはそれを通過した時の喜びを胸に抱いて行く道であり、

辛い苦しい嫌だと感じながら行く道ではない。

無理やり感謝して行く道でもない。

 

一言で言うならば、

蕩減という言葉は神の祝福に満ちた言葉である。

 

統一教会に入って一番いやな言葉はなんですか?(『蕩減です。』)・・・本当は一番良い言葉なのです。・・・この蕩減という言葉こそ、成功をもたらす秘訣なのです。・・・蕩減とは何であるかというと、百以下のものをもって、百と同じに認めてくれることです。百年かかってやらなければならないことを一年で終わらせることができるというのです。その条件が何かというと、悲惨ということです。・・・ですから私は、毎日のようにあなた方に『苦労しなさい』というのです。・・・神様はあなた方の苦労を記憶されるのです。・・・私は『蕩減』という言葉のために、どれほど憎まれるのでしょうか。しかし、私はこの『蕩減』という言葉がどれほどありがたいものかを知ったために、この道を行くのです。あなた方は「蕩減の道を行け」と言う時、従うことができますか?・・・私は常に真剣な、誰よりも真剣、深刻な人です。今まで話したことは、全部私が成し終えたことです。それにつて一つ一つ教えているのです。何故でしょうか?人は自分の子供のために最も大事なものを与えます。あなた方を自分の子供のように考え、最も貴い、最も正しいものを与えようとする父母の心があり、天の心があるからです。その最良のものが何であるかというと『蕩減』ということです。これは悲しみの言葉ではなく、ひじょうに祝福に満ちた言葉なのです。もし私が、悲惨な状態になって倒れた日には、神様は両手を取って息絶えた私に人工呼吸をして、再び生き返らせてくださるでしょう。もしあなた方が、神の言葉を実行して倒れるならば、神はあなた方を助けてあげるに違いありません。・・・私がこの蕩減法ということを知らなかったならば、とっくに逃げてしまったに違いありません。・・・

 

愛したい者を愛するというのは、蕩減の愛ではありません。愛したくないものを愛するのが蕩減の愛です。・・・蕩減愛とは『恩讐を愛せ』ということです。愛する事など到底できない、恩讐と恩讐の子を愛さなければならないというのです。これが蕩減愛になるのです。・・・愛によって蕩減するのです。・・・自分の息子・娘のように・・・考え、愛さなければなりません。・・・『蕩減』・・・それによって歴史的問題が解決されるのです。・・・神様がそうであるのに、あなた方はこの道を行きませんか?私は一生の間このために苦労してきました。・・・『蕩減』という言葉がどれほど悲しい言葉であるか、今一度考えてみる必要があると思うのです。」

(1980年7月1日) 

 

「先生は統一をいかにするか心配せず、蕩減条件をいかに立てるかを心配してきた」

(『祝福と理想家庭』1 P 126)

 

 

アベルの目的とカインの目的>

不思議なことに、実体基台はアベルが中心人物であった。

堕落性を脱ぐのはカインのはずなのに。

何故だろう?

カインの目的は「堕落性を脱ぐため」であるが、

アベルの目的は「カインに堕落性を脱がせるため」である。

 

アダムが天使長を主管することのできる条件が実体基台である。(ヨセフ路程)

 

【信仰期台の意義】

神様のみ言を信じて、実践し(自己主管完成)、言葉と人格と心情の実体となり、

神を中心とした四位基台を造成することを信仰基台という。

 

【実体基台の意義】

完成したアダムが、天使長を主管することを実体基台という。

アダムには天使長を主管する条件が4つあり、

天使長には堕落性を脱ぐ為の蕩減条件が4つある。

 

1,不屈の絶対的信仰 (不信剤の蕩減復帰)

 

(1)10人の兄によって3回の死の境地に立たされた。

  ① 木に縛られて3日間山中に置かれた。

  ② 穴を掘って穴の中に入れられた。

  ③ エジプトに行くイシマエル人の商人に売られた。

(2)故郷と父母から強制的に離された。

(3)エジプトで奴隷生活をさせられた。(王の侍衛長の家で)

(4)エジプトで罪なしに牢獄生活をさせられた。

(5)罪なしに悲惨な状態に置かれても不平不満を言わない。

   罪なしに厳しい蕩減の道を行けば、神様から素晴らしい祝福を受ける。

   ヨセフは蕩減の道を行った後に、エジプトの総理大臣になった。

 

2,淫乱の試練に勝利する (淫乱剤の蕩減復帰)

  アダムは堕落したエバの誘惑に負けたが、

  ヨセフはエジプト王の侍衛長夫人の淫行の誘惑に勝利した。

 

3,恩讐を愛する (殺人罪の蕩減復帰)

 ヨセフは恩讐となった10人の兄さんに対して、仇討ちして殺さず愛した。

 

4,万物を贈与する (強盗罪の蕩減復帰)

 飢餓状態の兄さんたちに食物を与えて生かした。

 

このようなことを知ってこそ8段階の実践が可能となる。

家庭連合の可知講師の講義では不充分である。

 

 

これを全面に出す時期ではないとの何らかの考慮があって、

原理講論にはアベルが実体基台の中心人物でありながらその説明の詳細が省かれているのだと考えることができる。

 

アベル(主体)・カイン(対象)>

私にはアベルカインについての従来の説明は違和感がある。

信仰生活で用いられてきたこの言葉は、そもそも堕落以降の話であって、創造本然では事情が違うはずであるが、混同されていると思われる。

別の言い方をするならば、

メシアを迎えるための基台を造成するために信仰基台があり、

続いて実体基台でアベルカインは登場する。

しかも「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を巡ってである。

 

我々は完全に堕落性を脱いで祝福を受けるわけでもないし、

最短で三代かかると言われてきた。

それは理解する。

だが、祝福を受けた以降は「堕落性を脱ぐため」という非原理的なものであるはずもない。

堕落がなかったら創造本然の世界では、堕落性を脱ぐ必要がなかったであろう。

では、本禅の世界では「堕落性を脱ぐ」というネガティブな条件ではなく、

人間が完成するためには、如何なるポジティブな条件が必要になるというのだろうか?

 

人間が連体的な存在であるならば、

あるものに対しては主体であり、

あるものに対しては対象となる。

 

 さて、創造本然の世界では、主体と対象の円満な授受作用関係であるから、

「堕落性」から「創造本性」にシフトチェンジされなければならないはずである。

カインアベルというネガティブなイメージから創造理想のポジティブなイメージに変わらなければならないはずである。

ポジティブ・チェンジ。

 

そうすると、お父様によるみ言によれば、

 

<主体対象関係としての四大心情圏>

子女の心情、父母・兄弟姉妹の心情・夫婦の心情・父母の心情がある。

 

 <夫婦が行くべき対象思想と主体思想

1,三大対象思想(仮称)

我々祝福家庭は、歴史上最高の孝心をもって孝子の中の孝子と成ることを誓う。

我々祝福家庭は、歴史上最高の忠誠をもって忠臣の中の忠臣と成ることを誓う。

我々祝福家庭は、歴史上最高の烈をもって烈士の中の烈士に成ることを誓う。

2,三大主体思想

「真の父母と、真の師と、真の主人が「三大主体思想」の骨子です。」

(天聖経)

 

 

 そこで三段階で言えば二段階を超えた三段階の完成期、

あるいは、8段階で言えば3段階を超えた4段階以降は、

人生のテーマは「堕落性を脱ぐため」から重点が創造本然の目的にシフトするはずである。

「堕落性を脱ぐ」だけでも駄目で、

「天使長を主管」するだけでも駄目であることがわかる。

 

 復帰摂理上に現れた中心人物をこの8段階に当てはめれば、

僕の僕はノアであり、僕はヤコブモーセであり、養子はイエスであった。

清平の36家庭による修練会でもそのように講義されてきた。

 

 

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「これで、あなた方もすっきりしたことでしょう。ではあなた方、責任者たちが行くべき道は、僕の僕、僕、養子、庶子、実子、父母の代わりのできる道です。あなた方は、すべてこれらの道を経なければなりません。そのような蕩減条件を経て、どのようなことも成就させなければなりません。どのような道であっても感謝しなければなりません。不平を言ってはなりません。では、もうはっきり分かりましたね?(はい)。」 (「責任分担完成と神の愛」 1987年2月4日 ベルベディア)

 

「信仰生活の基準はメシアである。メシアに似ることが信仰である」

(祝福家庭と理想天国 1 P563)

 

 

以下は私の解釈である。批判的に吟味されて読まれることを願う。

 

8段階 神 萬王の王・天地人真の父母様の完成 2017年9月23日 D-day

 ⬆

7段階 父 父子協助時代 一子相伝の時代 二代王の選定 ミレニアム2000年代

 ⬆

6段階 母 母子協助の時代 母を中心とした3子女の一体化 90年代

 ⬆

5段階 実子  真の父母 妾と正妻が逆転した7年路程勝利以降

 ⬆

4段階 庶子  再臨主 母マリア格がお母様時代 (崔元福お母様時代)  

 ⬆

3段階 養子  イエス 胎中からの血統転換

 ⬆

2段階 僕   ヤコブモーセ

 ⬆

1段階 僕の僕 ノア  

 

 

<僕の僕>

 

「神様は主人であり、アダムとエバは子女であり、天使は僕であった。堕落によって人間はどうなたのかといえば、僕が人間を主管したために、僕の僕の立場に落ちてしまったのである。そのために人間が神様の子女の立場に帰ろうとすれば、僕の僕の立場から飛び越えなければならない。・・・サタンが我々人間を僕として主管しているので、人間は堕落した天使長よりすぐれなければならない。堕落しなかった天使長の基準に立たなければ、堕落した天使長を屈服させることができない。」

(1975年1月26日)

 

「僕の僕の道に立ったとするならば・・・僕というものは自分も知らないうちに(その僕の僕を)憎くて憎くてたまりきれないんだね。仕事をやらせても『続けてやれ、死ぬまでやれ』という。・・・だから毎日を、十字架を付けられながら殺されないで・・・僕の僕としていじめられながら・・・耐えていかなければならないのが、神に帰る道である。そういうふうにしてサタンの僕が『あまりにも自分がやったことがひどい。彼に対してやらなかったことがない。・・・想像もつかないほどのことをやった』と・・・自分なりに感動するような、反省するような動機を持たなければならない。・・・そうなることによって結局・・・サタンが屈服して・・・『自分が迫害した以上のことをやってくれ』という立場に立つ」

(1981年11月13日)

 

「サタンは『・・・あなた方人間が役割を果たせず失敗したので、私まで犠牲になったのだ』と言います」

(1976年10月10日 『救援摂理の公式と伝統』)

 

「神様自体が結局は、サタン世界において僕の僕の道をたどっていったというんだね。・・・行く途中に反対した場合、新しい者をまた立たして何百回も何千回も繰り返しながらこの道をたどってきた」

(1981年11月13日)

 

<僕>

 

聖書に言う「僕」とは奴隷のことである。

たがって「僕の僕」の道を復帰摂理に即して説明すると、

サラには女奴隷のハガルがいた。

サラとは諸国民の母である。

そうであるならば、「父母の心情、僕の体」を実践しなければならなかった。

ハガルが僕であるから、ハガルの子供に仕えるのが僕の僕である。

サラはハガルに軽んじられ、イサクはイシマエルにいじめられていたが、

彼らを追い出すのではなく、真の愛で自然屈服させなければならなかった。

 

<養子>

 

「 本来神様の創造理想とは何でしょうか。真の父母の名を通して天の王国と地上王国を築くことです。真の父母の名をもってしなくては、天上天国と地上天国ができません。今日キリスト教徒に、「イエス様は神様の愛する長子であり息子であるのに、どうして天国に行かずに楽園にいるのか」と聞くと、答えることができないのです。天上天国と地上天国は、真の父母の完成と愛の基盤を通してのみ築かれるのです。霊界に行って王国を統一することが真の父母の使命であり、他の誰かの使命ではありません。」

(131-182,1984.5.1)

 

「養子にしかなれない自分です。それを考えると、堕落した人間は、庶子でもいいからなりたいと願うものです。 (祝福67 P43 祝福を受けた者たち)

 

庶子

 

選民の中で神様の息子・娘、これは庶子です。養子と同じです。」 

(ファミリー97/11 P25 私たちの理想家庭は神様の安息の家(後) 1997年 8月9日 中央修練所)

 

庶子は相続を受けることができません。韓国においても庶子が歴史的問題となってしまいました。庶子を見ても、外的にも、能力から見ても、嫡子より劣るところはないのに、庶子であるからといって軽視されるのです。

 堕落した世界においてなぜ庶子が軽視されるのでしょうか。それは歴史を知らなかったためです。韓国の伝統文化が崩れていっているのです。」

(ファミリー 1986年12月 P19)

 

<実子>

 

 宇宙の根本は父子の関係だというのです。そこで単純に考える人は、『父と子のいる関係が宇宙の根本なのだ』と思うでしょう。どうですか? 父母と息子といれば、それが宇宙の根本になるのでしょうか。父子の関係というのは、父母の関係でもなく、子女の関係でもありません。父子の関係というのは、永遠に切り離そうとしても切り離すことのできない、絶対的に一つになった関係をいうのです。それには何が必要かというと、真の愛なのです。

(祝福70号 P19~20 神のみ旨を中心とする宗教圏の統一 1988年10月14日 ソウル本部教会)

 

 

 

以下は可知講師の図解である。

王権・父母権・アダムエバ権・長子権が8段階に組み入れてありわかりやすい。

 

一、縦横の八段階

https://chofu-uc.org/?p=21331 より上図を引用

 

<母子協助> 

 

「復帰摂理を概観すれば、母子協助の基盤が重要でした。ヤコブの時、モーセの時、イエス様の時、皆そうでした。堕落の張本人であるエバの代わりに責任を果たすお母さんを立て、次子と母子協助をしながら、サタンの血統と生命を分立させるための摂理が存在してきたからです。神様は、堕落によって人類を先に占有したサタンと血縁的に直結した長子に、直接対することはおできになりません。神様は善側を代表する次子を相対として条件を立たせ、悪側を代表する長子を屈服させることで、善なる血統を復帰してこられました。」
(真の家庭と家庭盟誓 救援摂理史の原理観)

「母子協助の基盤を通じなければ、長子権は復帰されません。ですから、韓国の女性と日本の女性を連結させ、二世たちをすべて新しい伝統に導くのです。イスラエル民族がカナンを復帰したときのように、悪い伝統を伝授させてはいけません。天の伝統を新たに伝授しなければならないのです。」
(神の血統と平和世界理想王国 P153)

聖霊が来て何をするのかというと、イエス様を信じている人たちを中心として母子協助を行うのです。これが復帰原理なのです。母子協助なのです。ヤコブをリベカがコーチしたのと同じく、母がコーチするのです。母子協助によってイエス様を信じる人たちが聖霊の感動を受けて一つになるのです。そのようにして母が復帰された後には、父を復帰しなければなりません。父の骨の中に入らなければなりません。」
(み言選集55)

 

 

<長子権>


「このことについては原理を通して皆さんは学んでいますから、詳しくは言い ません。今日の重要な点は、神の祝福を受けるためには、長子権を相続しなければならないということです。ヤコブの基台は家庭的な基盤でしたから、次にアベルの氏族が家庭圏を中心としてサタン世界にいかなければなりません。長子権がサタン世界にあるので、サタンの代表国であるエジプトに入って闘うのです。数多くのエジプト人の迫害を受けるのです。イスラエルは400年間迫害を受けながら耐え忍んで、神のために出エジプトして、エジプトの国を屈服させてイスラエル民族が神の国を探すことのできる権限をもつために、荒野を経て行かなければなりませんでした。ここでは国を求めることが最高の希望でもあります。そこには息子、娘、夫、妻の飢えや死が問題でなく、すべての60万の人々が倒れたとしても、60名だけでも残って国を求めるように、皆が死に直面しながらも激励しなければならなかったのです。それなのに混乱が起きて、すべてが倒れてしまったのです。アベル圏の立場のイスラエル民族が親しくしたのは、社会からつまはじきにされた人たちでした。イスラエル民族を愛したのは、下層のエジプトの家族達です。しかし上流階級の人たちはイスラエル民族を蔑視したのです。そして、エジプトの地でイスラエル民族は次第に増えていったのです。やがてエジプトの民は、このままではイスラエル民族のためにエジプトの民がいなくなり、エジプトの地がなくなるのではないかと恐れるようになり、国王は王権が奪われ、国中が侵害されてしまうと危惧したのです。国王が、『さては長子の嗣業を奪いに来たのか』と警戒するのです。これは公式なのです。さあそこで、モーセがイエス様の仮の立場で現われ、カインがアベルを殺した歴史の、国家的基準を越えるのです。個人的犠牲を耐えなくてはならないのです。イスラエル民族は耐えること 400年間、怨讐に対して耐え続けたのです。イエス様が言われた『怨讐を愛せよ』ということはここから生まれたのです。既成教会はこれを知りません。イエス様が何をもとにして、『怨讐を愛せよ』と言われたのかを知らないのです。ヤコブも怨讐であるエサウを愛したというのです。兄弟を愛するのも、神様を愛するのも、父母を愛するのも同じことなのです。そのように、神様を愛しているから兄さんを愛することができたのです。兄さんから見れば、自分がアベルの立場ですから、ヤコブがカインであり、ヤコブはまたイエス様の立場でもあったというのです。イエス様の兄弟なのです。この兄弟が一つにならなければ必ず神様の仕事が複雑になるのです。分かりますか? 

(摂理から見たアベルの正道 P18~19  1979年12月30日 ベルベディア)

 

 

 

<父母権>

 

「 このように大変なことなので、歴史時代において苦労しながら今まで延長してきたのです。能力のある神様がなぜこのように苦労をしてきたのでしょうか。教えてあげられるものならば、もう既に教えていたことでしょう。アダムが知らなかったので、アダムが責任を取って取り戻さなければならないのです。天地を分けて探さなければならないのです。そのために、どれほど涙を流したことでしょう。涙を流して追い出されたので、復帰路程でどれほど涙を流したかというのです。そのような点で、文総裁は涙をたくさん流した大王です。
 歴史を代表して真理の道を探し求めて涙を流し、血肉を裂きながら受難の路程に打ち勝ってきた代表だということを知らなければなりません。そのような驚くべき父母に仕えているという 事実を知らなければなりません。これが最後の峠です。
 それゆえ父母権復帰基準とともに、次子権を一つつくらなければならないのではないでしょうか。先生は先生を中心として長子権、父母権を立てまし た。王権まですべて備えたので、一つとなれば、お母さんと次子の間に母子協助基盤さえ成せば終わりです」(221-241,1991.11.3)

 

「これは一遍に生まれて来るのではない。それは段階を経てである。その段階というのは、僕の僕の基準から、僕の基準を通して、実子の基準を通過して、その実子の勝利の基台の上に、いわゆる真の父母が地上に立つことができるのであって、実子の勝利圏を果たし得ない場合には、その真の父母として、父として立つ立場がない。そのメシヤが成す使命というものは、もちろん世界を救い、国家を救うのが使命であるけれども、それを救う前に民族がなければならない。その前に家庭がなければならない。家庭を求める前に、いわゆる『完成された一人の男』がなければならない」

(1972年4月30日)

 

<父子協助>

 

 「最後にはオモニが問題となります。オモニが堕落したので外れるのです。そして父子時代に入るのです。息子がオモニを呼び止めることができ、アボジもオモニを呼び止めることができるのです。」

(み言選集 318巻172ページ 2000.03.06 <父子協助復帰時代>)

 

「お父様を中心として連結される時は母親ではありません。
 血統が連結されアダムの継承を受けますが、地上世界を踏み越え永遠なる父、世界、父子時代に移るのです。父子時代はここで繰り広げられるのです。<中略>ですから母子時代は蕩減時代であり父子時代は栄光の時代であるというのです。その為、新千年を中心として、傘寿に向けた解放時代に移るのです。超えられたので7年以内に全てのことを整備しなければならないというのです。」
(み言選集314巻 P229 2000年1月14日)

 

 

<王権>

 

「神様は天上の王であり、アダムは地上の王であり、アダムの息子は天上と地上の王として育つのです。ある人に、『あなたの家庭はどのような家庭になることを願いますか』と尋ねれば、『私のおじいさんも王になり、私の父も王になり、私も王になることを望みます。それが人間の最高の欲望です』と答えるのです。

 皆さんは、三大王権の息子、娘だということを知らずに生きています。三大王子になるためには、おじいさんを天国の王のように侍り、自分の息子、娘を王子のように侍ることができなければなりません。そのような家庭の出発こそ、神様の理想を中心としたアダム家庭の出発だったのです。そこにはアダムの国があり、アダムの世界、アダムの天地がすべて内包されているのです。」

(横書き天聖経 P2263 280−168.1996.11.24)

 

<皇族権>

 

「神様が完成した成約時代と真の父母時代を発表する時は、五十億人類の世界万民をすべて皇族として扱うのです。皇族圏として認めます。しかし、皇族圏の資格は認めません。皇族圏に入ってくることは許可するのですが、皇族になるためには蕩減復帰原則によって、個人からこの世界まで、誰よりもアベルを愛したという歴史がなければなりません」

(『天聖経』「真の家庭と家庭盟誓」から、2586ページ)

 

「これは長子権復帰、父母権復帰です。神様の介入する王権、神様を引き入れないと王権は戻って来ません。その王権を中心として皇族圏を持つのです。王権は一つの家庭を中心として、周辺の千万の家庭がみんな相対圏になって皇族圏です。これが一つなって天国に入ります。公式です。これは我々の宿命的責任です。」 

(祝福79号 P35  救援摂理史の主流責任 1993年 6月4日 アラスカ)

 

「それゆえ、歴史を通して、今まで数多くの宗教家や数多くの聖賢、賢哲たちが現れましたが、そのすべてが真の愛とは何の縁もありません。このようなすべてのものを解決するために、イエス様がこの地に来て、新郎新婦の基盤を築いたのです。メシヤが来てすべきことは、新しい家庭と新しい氏族と新しい国家と新しい世界をつくり、新しい皇族を設定することです。

 皇族圏の先祖は誰でしょうか。堕落しない、神様の直系の子女として、真の愛を中心として、真の生命と真の血統の基盤を中心とした人です。そのお方が種です。その種から根が出てくれば、中心の根になるだろうし、そこからの中心の幹、中心の芽として大きくなっていくのです。これが縦的に大きくなるにつれ、それに対応して横的に世界に拡大していく立場として、家庭と氏族が連結され、民族、国家、世界が連結されるのです。」 

(祝福83号 11p~13p 完全な家庭理想 1994年 10月4日 漢南洞公館)

 

「一つの目的は何かというと長子権復帰であり、二つ目は何かというと、父母権復帰です。分かりましたか? 父母権復帰です。三つ目は何かというと王権復帰です。四つ目は何かというと、皇族圏復帰です。皇族というのは、レアを中心とした女と子供とラケルを中心とした女と子供の、両方の愛の敵対関係が残っているのだから、皇族というのはイエス様の直系の子供ではないのです。堕落した正妻の圏で、神に反対してきたカイン的な者たちは復帰されて、妾が神のほうの正妻になるのです。神の正妻になって、妾の立場で、それを慕っていくことによって蕩減復帰になるのです。反対にして帰っていくのです。分かりましたか?(はい)」 

(蕩減復帰の峠を越えましょう (摂理的総決算) P131 1993・12・20 済州島

 

「長子権、父母権、王権、皇族権は、指折りの計算で適当に出てきたのではありません。それは、避けることのできない復帰の公式路程です。れんが塀を積み上げて家をつくるのと同じように、一段でも積み過ぎて合わない時には全部合わないのです。その建物は不合格です。神様の救援摂理も公式摂理をしているために、サタンと反対の公式路程を通して収拾してきたのです。これが救援摂理路程です。

(祝福 82号 P18 成約時代安着と家庭完成時代 1994年5月22日 ソウル本部教会)

 

<所有権>

 

「なぜ夫婦は愛を中心として、神様の愛と一つにならなければならないかというと、そこにおいて相続権が与えられるからです。それが宇宙相続です。そこにおいては、すべてのものが神様の愛を中心として、神様と人間が上になったり、下になったりして、どこに行っても喜びが生じるのです。宇宙すべてのものが神様のものであると同時に、私のものとなるからです。そのような相続権決定の基準が立つと、所有権が成立するのです。」 (ファミリー89/9 17p~19p なぜ原理というのか)

 

「結婚する前は、神様が主人の振る舞いをします。所有の主人です。宇宙の主人であり、その主人の相続者がアダムとエバでした。ですから結婚する前は、その所有権が神様のものですが、真の愛の関係によって神様と一体理想を成せば、神様の所有が私の所有になるのです。結婚する前日までは、宇宙の所有権は神様にあるのですが、その所有権が私のものにならなければならないのです。私が二番目の所有の主人にならなければならないということです。

(環太平洋摂理と巨文道 P96、御言選集284 P103 1997.4.16)

 

「本来、神様は、エデンの園にアダムとエバを創造されたのち、彼らをご自身の祝福のもとで結婚させ、天の所有権までも完全に伝授してあげようとされたのです。宇宙の万象の所有権を、アダムとエバに相続してあげようとされたという意味です。」 

(平和訓経 P17 平和メッセージ1 神様の理想家庭と平和理想世界王国Ⅰ

 

 

<四大心情圏と三大王権(三代王権)>

 

「その次は何ですか。(三大王権です。) 三大王権とは何ですか。霊界と肉界、未来がありません。一代が神様であり、二代がアダム・エバですが、三代をもてませんでした。四位基台を築けなかったのです。それゆえ、中心がありません。軸がなくなりました。中心がなく四方へと回っていくのです。未来(子孫)が自分勝手に、ばらばらになるのです。垂直線がないのです。それが堕落です。三代を継続させられなかったことが堕落です。あなたたちはそれを知らなければなりません。三代の継続です。」 

(祝福家庭 7 P20 家庭盟誓について 第33、55の記事でも提示)

 

<四代>

 

「三代まで、孫までいればどれほど……。それが家庭です。三代が一緒に暮らし、四代が連結されて家庭を成すようになるとき、それが幸福な家庭なのです。それでは、自分の家におじいさんとおばあさんがいなければならないでしょうか、父と母がいなければならないでしょうか、自分達夫婦がいなければならないでしょうか、息子、娘がいなければならないでしょうか? すべての必要でしょう?(「はい」) それが世の中において、上下関係、左右関係、前後関係、すべてが必要なのです。三段階です。このようなことを中心として、四番目というものは何かというと実であり、そこから新しい出発です。孫、三代以降から枝が出始めるので、種の中にこの三つが、上下、前後、左右が連結された家庭的土台の中で実を結ばれたものが……。これがすべてを表しているのです。」

(ファミリー00/11 P29 第13回「世界統一国開天日」記念礼拝 2000年10月3日 中央修練院)

 

「「神様の創造理想の中心は、神様の愛であり、神様の生命なのです。その次に、神様の血統があったのです。神様一人だけではないので、一代、二代、三代、四代と、連結させながら拡大させるために血統が必要なのです。」

(ファミリー90/8 P9 父母の日と私 1990年3月27日 ベルベディア)

 

人間が幸福であろうとすれば、四代が必要になります。おじいさん、おばあさんは、なぜ必要なのかというと。お父さん、お母さんを中心にして見た場合に、その父母に当たるので、父母が愛するように、私もおじいさん、おばあさんを愛さなければならないのです。分かりましたか?」 

(ファミリー92/1 理想家庭へ向かう健全結婚キャンペーンにおけるメッセージ 1991年10月26日 忠清北道教区本部)



「曾祖父、これが四代です。これが何代ですか?(曾祖父なら四代です)。8親等までになります。四代が一家庭です。この家庭から四方に広がっていくのです。曾祖父まではレベルは四ですが、三段階です。この四代が家庭に連結されるのです。三つが中心になって、四代型を中心として、横的に栄えていくのです。東西南北に広がっていくことができるのです。ですから、この四代型が一つの種です。私たちが氏族的メシヤだというのは、四代型から広がっていくものをいうのです。これが結婚した相対を中心としていえば、百六十家庭以上にいくらでも拡張されるのです。ですから、血統転換をしなければならず、所有権転換、心情圏転換をしなければならないのです。これが一つのパターンです。」 

(ファミリー96/7 P21~22 本然の世界に向かう大転換時代 1996年5月1日 ベルベディア)

 

「先生を中心として見れば、先生の歴史があります。先生の先祖の長い歴史がありますが、特に先生から上の四代を中心として見て、曽祖父までの歴史なのです。曽祖父までが四代でしょう。(「はい」)。曽祖父の時代から先生の四代の期間をずっと見ることにしましょう。 私達の曽祖父は、現在の上思里(注・平安北道定州、先生の誕生の地)へ新しく移って来ました。引き移って来る時は、夫婦二人で故郷を離れて来て、本当に困難な環境でしたが、天が祝福してくださって、曽祖父の当代に成功して基盤を立てました。その方には三人の息子がいました。三人の息子の中で、私のおじいさんが長子であり、その次が文社長のおじいさん、次が坡州(京畿道)にいるおじいさんであります。ところで、その三人の息子の中で、次男が外地に行って客死したということです。次男が犠牲になりました。それに、先生のお父さんになる方が、一番目のおじいさんの長男として生まれ、二番目のおじいさんと、坡州にいる三番目のおじいさんの息子の中で、次男は全部客死したということです。(いとこの)龍善のお父さんも、家を離れて客死し、昇均(文社長)のおじいさんの次男は病気で亡くなりました。また、三番目のおじいさんの次男も、客死の道を行ってしまったということです。 その次には三代目ですが。段階で見れば、私達が三段階であり、私達の時代になって、私が二番目です。文社長が二番目であり、龍基も二番目の息子です。全部二番目です。この時代に来てからは、二番目の息子達は被害を受けないのです。 私達の家門には、勉強をするために外地へ行けば死ぬという噂がありました。私達の家門でこのような噂が広がったのは、次男達は外地へ行って、頭が良くて勉強はよく出来たけれど、皆客死したからです。それ故に、子女達に勉強をさせなかったのです。先生の代になっても、父母やおじいさんは子女達を学校へ送らなかったのです。しかし、漢文を教えていた私塾に通いながら、物心がついて、勉強のことが分かるようになると同時に、自ら進んで学校に通ったのです。

 このように見る時に、先生の代になっても、二番目の息子達が問題になるのです。二番目の息子である先生を中心として、サタンが総攻撃していた時代があったのです。私の背後には、皆さんが理解できない、そのような事件がかなり多かったのです。その時代を見ると、先生が生まれる三年前から凶年が続いたのです。その期間は、日本の統治下四十年の受難時代、韓国が国を失ってしまった環境の中で、受難を受けた時でありました。そのような環境の中で生まれて、私達の家庭においては、四代を中心として二番目の息子が被害を受ける事件が起こりました。先生の代になってからは、打たれたことはあまりなかったのですが、先生を中心として、またそのような事件が反復されたのです。それ故、私達の喜進君も次男として客死したのです。また、興進君も次男として客死したのです。また、恵進を見ると、やはり次女として亡くなりました。いつも二番目が問題になるのです。 」

( 祝福56号 「愛勝日の意義」 1988年1月2日 漢南洞公館 )

  

統一教会の家庭は、四大心情圏と三大王権を復帰するのです。

 自分の祖父は天の特権大使です。もしも、アダム家庭が堕落しなかった場合には、おじいさんには神様と同じように侍ればよいのです。歴史を経て霊界に行って先祖達の一番最後の者として残された主人がおじいさんなのです。ですから神様の代わりです。そして、お父さんは、この世界の地上の家庭の王様です。君達の父母はみんな50億の人類家庭の現代の王様です。過去の王様がおじいさん、現代の王様がお父さん、そして未来の王様となるのが、霊界の天国と地上の天国の両国を合わせた二つの国を相続し得る王子王女であり、アダムの子供であるべきだったのです。これが三大王権です。」

(ファミリー93/9 32p~33p 日本人特別修練会における御言 1993年 4月16日 ベルベディア)



「そのための完成したアダム家庭の公式的な教育指針は何かというと、四大心情圏と三大王権、皇族圏を探し立てなければならないということです。」

(ファミリー93年7月 P32 成約時代と私 1993年2月14日 ベルベディア)

 

天一国はフラットな心情組織> 

 

「今まではピラミッド式の組織でしたが、今からは違います。反対に引っくり返すのです。ですから、本部がありません。地方にも県がありません。郡がありません。先生を中心として本部は全家庭なのです。

 堕落する以前もそうです。父母だけしかいないのです。祝福家庭は、全部ご父母様を中心として、神様を中心として特命を受けて、その命令の一元化実体圏を整えて、天の前に奉献しなければならない責任を、地上に生きる血族たちは全うしなければなりません。これが天国に行くことのできる準備なのです。 

(ファミリー1991年3月 P68)

 

 

 「周囲に散財する数多くの人々が父母に侍って孝行している生活環境において、父母の前に孝行するということは難しくありません。しかし、多くの人が、みな父母を排斥し、自らの行かなければならない道を避けようとする時に、たった一つしかない自分の生命を捧げることがあったとしても、行かなければならないその道において父母のために生きようとする立場に立つならば、それこそ、環境を超越した立場で孝行の道理を果たした、ということになるのです。それゆえに、そのような人は孝子として立てざるを得ないという事実を、私たちはよく知っています。」

(横書き天聖経 P2013 42−182.1971.3.7)

 

  

 <天地開闢

 

「真の父母の血族を中心としてカインとアベルです。カインとアベルが戦って兄が弟を殺しましたが、弟が兄を助けて、追い出した神様と真の父母と真の師を訪ねて行くのです。本然の基準において孫が祖父を助け、息子がアボジを助け、弟が兄を助けて、逆になって、これから天地開闢、解放釈放の時代が連結されることにより、一つの国と一つの祖国ができます。」 

(み言選集 609巻246ページ <韓国が神様の祖国> 2009.3.12 天正宮)

  

 

  神の最終目的は、一人の完成されたアダムの創造でありますが、そのためには、エバを見出されずしては、アダムは生まれ出てきませんし、エバを通してのみ、アダムも完成することができるのです。言い換えればアダムは、神によって送られた中心人物でありますが、アダム一人だけでは全責任分担を全うすることはできません。エデンの園における人間堕落の動機については、全面的にエバに責任があるのですから、復帰においても、堕落の蕩減をするエバが現れて、その責任を果たさなければ、アダムの完成の道がないというわけです。

 しかしまた、そのエバもまた、アダムなしには完成する道がなく、エバが完成するためには、まずアダムを生み出し、そのアダムから創造されなければなりません。結局、まずアダムが、この地上に生れ出てこなければならないことになりますが、そのことに対しては、直接責任があるのは神でもイエス様でもなくて、その責任はエバにあるのです。エデンの園でも、エバがアダムを破壊させたのですから、アダムを育て、生み直す責任はエバにあるというわけです。」 

(創立以前の内的教会史 P579)

 

 




康(カンヒョンシル)真のお母様の完成級聖婚後の祝勝会、最後のマルスム◆日本語訳 2017年9月23日(PA時間)

 

 <天地開闢

 

 「 妾みたいな者が正妻になるし、正妻のようであった者が妾になるのです。そういうことが天地開闢というのです。分かりましたか? 

 こういうことをはっきり分かって、日本に帰ってどこでも堂々と言うのです。

 そうすることによって、自分を探して、一家族、一国を探して国に帰ることができます。自分一人だけではないのです。真の自分だけではありません。

 真の家庭、真の氏族、真の国を生かしてあげなければならない、日本民族としての使命があるというのです。こういうような内容をまとめて告げてあげるのです。最後だからこんなことを言うのです、分かりましたか? (はい)。」

1993年12月19日 16万人訪韓女性修練会  「真の自分のを探しましょう」

 

その結果、神様から人類の真の父母として御印を受けた。
​本体のみ言葉の実体になられ昼の神様となられた。
​夜の神様と一体となり、天地人真の父母となられた。
天地人真の父母が、今日私たちと同時代圏に生きながら
私たちと同じ空気を呼吸しておられる。
​この奇跡中の奇跡を事実として受け入れるなら、
私たちは寝ても覚めても感激の中で感謝を捧げなければならないだろう。」
(2005年9月12日)

  

 

 

 

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「あなた達は誰がアダムであるか知っているのか? 

あなた達、このスピーチのタイトル

天地人真の父母定着実体御言宣布天宙大会)の

意味もわからずにこの場に来ては去っていく者達よ。」

(2012年1月4日 天正宮、安侍日の訓読会) 

 

 

 

 


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