原理講論を読む

日常生活の中で 考える糸口を求めて

家庭連合の詭弁、文亨進様による「鉄のつえ」に対する非原理的言説 を斬る!

はじめに

堕落した韓鶴子の非原理的かつ反キリスト的犯罪行為を擁護し、それどころか推進し続ける家庭連合がこの世界を破壊へと導いてきた。

韓鶴子の言行が正しいのなら何故世界はかくも惨たらしい悪が跳梁跋扈とているのだ!

ヨーロッパでも中東でも極東でも、世界大戦が始まってもおかしくないほどの国際情勢を見よ!

保守勢力ならみんな知っていることだ。

韓鶴子パンドラの箱を開けたのであらゆる悪が地上に蔓延したのだ。

左翼岸田政権に叩かれ解体されそうな中でも、プレイボーイに貢ぎ続ける哀れな女さながらに、左翼政権を切れないお利口馬鹿に甘んじるのか?

屁理屈ばかりの妖邪な家庭連合の本部スタッフのオツムに付き合うのも飽き飽きして、

何年もの歳月が流れた。誰かが付き合ってあげればいいと思ってきた。

名指しで批判されている江利川会長や中村さんは何故反論しないのだろうか?
本人でなくとも日本聖殿の誰かが代わって論争しないのは何故か?
黙れば相手の主張を黙認したことになる。それでいいのか?

 

以下のリンク先にある家庭連合の批判が如何に間違っているかとりあえず話してみることにしよう。

 

文亨進様による「鉄のつえ」に対する非原理的言説 | 真の父母様宣布文サイト

 

文亨進様を中心とする「サンクチュアリ教会」は、2018年2月28日にライフル銃(AR-15)を携行して「天宙天地人真の父母様天一国生命の書入籍祝福式」という独自の儀式を行いました。その2週間前、アメリカ・フロリダ州でライフル銃(AR-15)を使った銃乱射事件が発生して17人が死亡したことから、米国社会では銃規制の世論が高まっていた時でした。その中で、サンクチュアリ教会は聖書にある「鉄のつえ」を「ライフル銃」であると非原理的解釈を行い、ライフル銃(AR-15)を携行して儀式を行ったために、近隣の小学校では休校となり、それを米国メディアが報道しました。
 今回は、亨進様の説く「鉄のつえ」に対する理解、解釈が、原理的にも、真のお父様のみ言から見ても、如何に誤っているかを明らかにします。

<家庭連合>

亨進様が言う「鉄の杖」は「主権」と関係しているのだ。

王の権威は王の軍隊によって担保されている。

現代の国家の主権は国家の軍隊によって担保されている。

人ひとりの主権もまた最低限の武器の所有によって担保されている。

それは人の肉体の健康維持が、外部からウイルスが侵入したときに迎撃する免疫機能によって保持されていることに似ている。

 

70年代には、内外情勢研究所が発行した国際情勢に関する本が国際情勢を講義する人間の虎の巻であった。そこには基本的スタンスが書かれていた。

イデアリズム(理想主義)とリアリズム(現実主義)の二つの政治的立場が書かれていた。

統一教会勝共連合は後者の立場を取っている。政治的にはリアルポリティクスとして知られている。

リアルポリティクスは現実に存在するパワーバランスを重視してきた。

米ソ冷戦時代には如何にして両国の戦争を回避して平和を維持するかは、単に平和をお題目のように唱えるだけでは、軍事力の強大な国家に威圧され、あるいは侵略され隷属する奴隷国家になってしまうので、軍事力は対等以上になってこそ対話や交渉や論争ができる環境が整うことになった。

 

 「その戦いには二つの道がある。第一は、武器でサタン側を屈伏させて統一する道である。しかし、統一されたのちにきたるべき理想世界は、全人類が共に喜ぶ世界でなければならないので、この世界は、敵を武器で外的に屈伏させるだけでは決して実現できない。ゆえに、彼らを再び内的にも屈伏させて衷心から喜べるようにしなければならない。そのためには、人間の本性的な欲求を満足させる完全無欠な理念がなくてはならないのである。またこの戦いの第二の道は、武器による外的な戦いをしないで全面的に理念による内的な戦いで、直ちにサタン世界を屈伏させて統一する道である」

原理講論(552~553ページ)

家庭連合が引用している原理講論の文章に、

この世界は、敵を武器で外的に屈伏させるだけでは決して実現できない。ゆえに、彼らを再び内的にも屈伏させて衷心から喜べるようにしなければならない。」

とあるように、武器だけで屈服させる事はできないというように、武器の必要性を否定してはいない。また、続く文に「彼らを再び内的にも屈伏させて」とあるように外的な武器だけではなく、再び内的にも理念で屈服させなければならないとしていて、これはリアルポリティクスに通じる内容となっている。

家庭連合はこの日本語の文章を誤って解釈していてまるで武器は完全に否定されているとみている。困ったものだ。

 

また別の家庭連合の引用文にも「軍事力で」という表現ではなく「軍事力だけでは」とお父様は語られている。

 

 「韓国で南北統一がなされれば、世界の統一は自動的になされるようになっています。軍事力、武力を使って統一できるでしょうか。とんでもない話です。軍事力だけならば、私は何でもつくり得る力のある人物です。しかし、軍事力だけでは絶対にできないので、このようにみ言を伝播しているのです」(同、1991ページ)

 

それゆえ、勝共連合レーガンソ連との軍拡競争に勝つことを支持した。レーガンスター・ウォーズ計画まで進めた。

少なくとも勝共運動をして来た者なら以下の国進様のスピーチの真意は容易に理解することができるはずだ。

国進様はアベル・カインにリアルポリティクスの原点を見出されたようだ。

 

1,我々統一家の立場は一貫して現実主義的政治であり、理想主義的政治ではない。

しかし平和は希望的な考えだけでは実現しません。ポピュリズムのような世界から平和は出てきません。平和は私たちが強い時にだけ結実化するのです。私たちが武器を持った時にだけ。武器なくしては平和は有り得ません。それを私たちは理解しなくてはいけません。それでお父様は、私たちの教会の草創期から韓国で国防産業を育ててこられました。私たち教会の歴史がそうなのです。皆さんは、それを誇りに思わなければいけません。私たちはM1ライフル銃も製造しましたし、バルカン砲も製造しました。これらの武器を製造しました。

私たちは共産主義と戦い、レーガン大統領を支持しましたが、レーガン大統領は歴史上最大の武器競争を始めました。お父様は自由陣営の力になりました。それで今日、世界に自由があるのです。これは私たちの原理に直接的に関係しています。人間始祖の家庭からそうです。

私たちはカイン・アベルの話はみんな知っているでしょう。カイン・アベルの話はみんな知っているでしょう? そうですよね。その話は、どうなりましたか。神様はアベルを愛して、アベルの供え物を取りましたが、カインの供え物は取られませんでした。カインはそのことに対して怒って、結局アベルを殺してしまいました。

それで、この話は神様の愛を受ける人と、そうでない人との関係について多くのことを教えています。そのような講義をするとき、大部分の講師たちは「アベルがもう少し謙遜になっていれば、多分殺されなかっただろう」とこのように教えるのです。本当にそうでしょうか。アベルが本当に謙遜になれなくて死んだのですか?

アベルが謙遜であったとしてもカインは多分アベルを殺したのではないでしょうか?考えてみてください。カインはなぜアベルを殺したのですか。答えは簡単です。

殺すことができたから殺したのです。そうではないですか?カインがアベルを殺せなかったら、アベルは死ななかったでしょう。それは何を意味しますか?

アベルは多分とても心優しい息子だったと思います。家にいるときは父母をよく手伝い、祈祷もし、勉強も熱心にし、家庭のためにたくさんのことをしたでしょう。そして奉仕活動もし、祈祷もしましたが、運動はあまりできなかったと思います。ですからアベルは太っていて、弱かったでしょう。台所で母親を手伝って料理をするので、そうだったのです。しかしカインは、そのような仕事が面白くないと思うような人間でした。(カインは)外に出て鹿を追ったり、狩りをしたり、石を投げたりして、沢山の運動をしたので、とても強い男でした。石も上手に投げたでしょう。アベルは弱くカインは強かったので、カインはアベルを殺したのです。

ひとつ質問しましょう。
アベルが日常(専業)は孝行息子として神から祝福を受けるような良い行いをしたとしましょう。しかしそれ以外の余った時間(副業・パート労働)では、強い人間ではないのでカインほど強くなれないのではないですか?ところで(アベルは)頭は良かったのです。それで少ない余った時間(副業・パート労働)で発明家として仕事をするのです。そして銃を発明するのです。銃を作るのです。

もしアベルが銃を持っていたら、アベルは果たして死んだでしょうか?
これは笑い事ではありません。これはとても深い神学的な問題です。そして実はここに韓国的な世界平和を現実化する秘訣が隠れているのです。

アベルが銃を持っていて、カインがまさにアベルを殺そうと近づいて来ます。それでアベルは銃を抜いて、これ以上近づくな、近づけば撃つぞと。
それではカインはこのような状況でどうするでしょうか。カインも馬鹿ではありません。死にたくはありません。死ぬのは嫌でしょう。ただ自己中心だという、利己主義という問題だけあるのです。それでそのような状況ではカインは当然逃げるでしょう。ですからアベルが銃を持っていたならば、アベルも生きて、カインも生きて、二人とも生きたはずです。二人とも生きているので、その後は地上で、二人の間のさまざまな感情的な問題を解いて、その家庭で平和を実現したでしょう。

そうなっていたら、その周囲に起こる世界の復帰歴史が必要ないのです。すでにメシアを迎える基台はアダム家庭で実現していたはずです。私たちが数千年間の人類歴史の苦痛の歴史を経験したのは、結局、アベルが銃を持っていなかったからなのです。


それがどれだけ深い意味があるのか考えて見てください。
原理では、一次、二次、三次世界大戦の必要性について、それが神様が下さった三大祝福を復帰するために必要な内容があります。それは世界的な次元でのカイン・アベルの状況でした。ところでこのような戦争を製造業の観点から研究することができます。第一次世界大戦は、どの側が勝ちましたか?カイン側が勝ちましたか、アベル側が勝ちましたか?アベル側が勝ったでしょう? なぜアベル側が勝ったのですか?

そうです、カインよりもずっと多くの武器を持っていました。ただ相手の敵に石を投げて勝ったのではありません。実は第一次世界大戦は、そのような製造業、そして生産次元で研究することができます。武器と・・・。特に第一次世界大戦アメリカが介入後、アメリカは生産力が高かったため、ドイツは全く相手になりませんでした。結局、ドイツは製造業、生産力において下回っていたために負けました。

ですから第一次的な第一次世界大戦アベル側が勝ち、そして摂理が発展しましたが、それは何故かというとアベルがパート労働を有効に使って武器をたくさん持ったからです。自由陣営で暮らしているすべての人たちは、専業があります。それは何かというと自由な環境で生活し、私たちが社会生活でさまざまに活動するのに専業がありますが、パート労働もあります。軍人や武器を製造するパート労働もあることを忘れてはいけません。

それでは第二次世界大戦はどうでしたか? 第二次世界大戦では、やはりアベル(側)が勝ちましたが、アベル側がなぜ勝ちましたか? 同様の内容です。アベル側が、(カイン側)より多くの銃、より多くの飛行機、より多くの船、より多くの軍人、より多くの武器、より多くの爆弾、さらには原子爆弾まで持っていました。カイン側より多くの武器を製造したので、アベル側が勝ちました。ドイツ軍は第二次世界大戦時に何人死にましたか? 第二次世界大戦時にドイツ軍は600万人の軍人が戦死しました。ロシアは当時、アベル側にいましたが、ロシアは軍人が何人死にましたか? 2000万人の軍人が戦死しました。米軍は70万人、英国数十万人、ほかの国も数十万人死にました。ナチのドイツよりも連合軍の死亡者数が三倍ほど多かったのです。

ところがアベル側は勝ったのです。より多くの銃を持っていたので。より多くの武器を持っていたので勝ったのです。このような歴史を通して神様が人類になにかの教訓を授けようとしているのです。「弱いアベルは死ぬのだ」
「強いアベルは勝ち、そして神様の摂理を発展させるのだ」ところで21世紀になって、世界が大きな局面を迎えているようです。もう第三次世界大戦の可能性が見えて来ています。なぜなら(神様が下さった)このような教訓をまだ私たちが学んでいないからです。(武器を作るための)パート労働をよくやらないアベルは死ぬのです。弱いアベルは死ぬのです。強いアベルだけが神様の摂理を発展させられるのです。強いアベルだけが永久的に平和を維持できるのです。

世界の問題は、悪い人がいること、カイン的な人がいること、そこにあるのではありません。理想世界でも多分カイン的な人はいるはずです。今日の世界の問題点は、アベル側の人たちが弱くなっていることなのです。それで悪が世界を支配するのです。私たちが地上天国を作って、平和と自由が絶対にこの地上からなくならない、そのような世界を作るためには、必ずアベルは常に永久的に強くなければなりません。そのような世界は、カインが武器を愛する以上にアベルが武器を愛するときにだけ可能です。愛の問題なのです。アベルが神様のすべての創造物を愛するという責任を全うしていません。特に神様の創造物の中では一番重要である武器を愛さないのです。それがアベルの問題です。

ですから世界が悪なる環境になるのです。愛の問題です。神様が下さろうとしている教訓を世界が早く学ぶことを期待します。

アベル陣営で暮らしている人たちが、神様は「強いアベル」を願っていることを早く気づくように願います。
そのような教訓を学んでいくことで、私たちが永久的な世界平和を作れるのです。力を通して。

ありがとうございました。

 文国進様 「強い大韓民国?」 2012年1月25日 

 

 

2,自由人と奴隷の違いを17世紀イギリスではどう捉えられていたか

 

 17世紀イギリスの思想家ハリントンによれば、土地が君主や貴族によって独占されていた時代は傭兵や貴族が軍の主力となるが、共和制では土地を所有して自立した市民は自らの財産を守るため武装しており、こうした人々によって市民軍が編成される。イギリスの自由主義思想家たちにとって、権力の保護なしに自身を守れること、国家の防衛のため参集できることは市民の必要条件であり、それゆえ武装の有無は隷属人と自由人を区別する目的であり、政治参加の最低資格であった。

「市民と武装」P15 小熊英二

 

彼らの思い描いた思想が現実に現れるのは、残念ながらアメリカにおいてであった。

 だが実際には彼らの描いた武装した市民は、イギリスに見いだせなかった。その代わりとして理想化されたのはアメリカであった。アメリカは、人々が腐敗した権力と文明にいまだ侵されず、豊富な土地を開拓する独立自営農民の国であると思い描かれていたのである。

 それゆえバークやプライスは、権力の供給する安全に慣れきって武装を忘れてしまったイギリス人と、自力で秩序と平和を保つアメリカ人を、対照的存在として描いた。プライスによれば、「自由の国は、よく組織され、訓練され、法を執行し暴動を鎮め平和を保つため参集する容易を常に怠らない、武装した市民の集団でなくてはならない。私が聞くところでは、それこそまさに、アメリカの市民なのだ。」

「市民と武装」P15 小熊英二

 

アメリカはアリストテレスから市民が為政者から武器を奪われないことを学んだ。

 

 古代アテネ社会は、自由市民の自弁武器による重装歩兵隊の中核としていた。そして青年には、2年間の軍務に服したのちはじめて、民会の参加資格が与えられた。逆に軍務に参加していない女性には、参政権がなかった。ソクラテスは3度にわたる従軍経験をもっており、ケイツによればアメリカ建国の父たちは、アリストテレスから、僭主の基本的性格は『人民を信頼せず、それゆえ彼らから武器を奪う』ことだと学んだのだ」という。

「市民と武装」P18 小熊英二

 

主権者である国王はその主権を軍隊によって担保している。

国民が主権者であるためには武器を所有しなければ不可能だ。
我が国ではコンスティチューション(constitution)を憲法と訳して定着させてきた。

憲法といえば、誰もが聖徳太子の十七条憲法を思い起こすだろう。

お上がくださった有り難い戒めが憲法である。

だが、西欧では為政者の持つ権力が暴力装置として暴走しないようにするために、国民からの要請として憲法は存在意味を持つ。

国民が主権者だからだ。

刀狩りによる平和を有難がって来た日本人の根本問題がここにある。

日本人に許されているのはアメリカの軍事力に依存した奴隷の平和、核の傘にあるという他人に汚いことをさせて自分は手を汚さず善人だと嘯いている欺瞞だ。

日本は独立国家ではない、ローマに隷属していたかの時代のユダヤのようなものだ。

 

3,カントの「永遠平和のために」と武器を持つアメリカ民主主義

 

常備軍の廃止

3,常備運はいずれは全廃すべきである。

 常備軍が存在するということは、いつでも戦争を始めることができるように軍備を整えておくことであり、ほかの国をたえず戦争の脅威にさらしておく行為である。また常備軍が存在すると、どの国も自国の軍備を増強し、他国よりも優位に立とうとするために、かぎりのない競争がうまれる。こうした軍拡費用のために、短期の戦争よりも平時の方が大きな負担を強いられるほどである。そしてこの負担を軽減するために、先制攻撃がしかけられる。こうして、常備軍は戦争の原因となるのである。

「永遠平和のために」カント 中山元訳 P152〜153

 

カントは常備軍の廃止を主張した。常備軍は対外的には外国に向けられたものだが、対内的には国民に向けられて来た。フランス革命常備軍により国民は虐殺され、アメリカ独立戦争でもそうであった。

日本では刀狩は有名だが、為政者であった徳川幕府はさらに1607年に鉄砲鍛冶の規制を実施し許可なく鉄砲を製造できなくしている。

常備軍の廃止論者のカントは、アメリカの状況を見据えてこう述べている。

 

もっとも国民が、みずからと祖国を防衛するために、外敵からの攻撃にそなえて、自発的に武器をとって定期的に訓練を行うことは、常備軍とはまったく異なる事柄である。

「永遠平和のために」カント 中山元訳 P153

 

アメリカの憲法とは、如何に独裁者を生まない仕組みを作るかを主眼として考え込まれたものだ。日本の憲法のように行政府と立法府が入り混じった似非三権分立ではなく、本気で三権分立を実現しようと苦心してできあがったものだ。

 

お父様の平和軍・平和警察を求めて歴史は試行錯誤の道を歩んできたのだ。

 

4,悪党ばかりが銃を持ち、善人が敬遠してきたので悪が社会に蔓延んだ

全米ライフル協会(NRA)のスローガンは、

Guns don't kill people, people kill people.

(銃が人を殺すのではない、人が人を殺すのだ)

 

「NRAの目的と目標は、以下のようなものである。

 アメリカ合衆国憲法を保護し、擁護すること。」とくに、憲法によって保証されている武器の入手、所有、輸送、所持、所有権の譲渡、使用について、アメリカ国民のひとりひとりの権利が犯されないようにすること。また、そのために国民が自身を護ったり、家族、個人、財産を保護する正当な権利を行使できるようにすること。と同時に、共和国や国民の自由を広く守るために民兵が効果的に奉仕できるようにすること。

 公共の安全、法と秩序、そして国防をはかること。

 法執行機関、軍隊、民兵を訓練すること。また射撃の腕がよく、小火器の安全な取り扱いや効果的な使用ができる人たちを育成すること。

 地方自治体、州、国、そして国際レベルで射撃の腕を競うアマチュア射撃競技の振興をはかり、射撃をスポーツとして育成し、促進すること。

 ハンターがより安全に射撃できるようにし、スポーツ射撃としてのハンティングを奨励して擁護し、野生資源の繁殖、育成、保存を促進するために必要で実行可能な方法としてそれを助長して養護すること。」

全米ライフル協会監修「銃の基礎知識」P10

 

日本ではときに包丁で人を切りつけたり殺傷したりする事件もあった。

だが、多くの善良な国民は包丁が危険で国が管理すべきものだとは考えない。包丁を正しい目的、つまり料理を作るために使うのが普通で当たり前のことだと誰もが思っていて、たまに包丁で事件を起こされたとニュースで知ると、それは包丁が悪いのではなく包丁を間違った目的で間違った使い方をした人間が問題だと誰もが思う。

 

「スイスでは、軍務のために大人の男性全員に突撃ライフルが支給されていて、家に銃を置くことが許されている。人口1人あたりで見ると、スイスにある小火器の数はほとんどの国よりも多いけれど、それでもスイスは世界で一番安全な国の一つだ。言い換えると、銃が犯罪を起こすのではない。

「ヤバい経済学」スティーヴン・D・レヴィット、スティーヴン・J/ダブナー著 P155

 

刀狩のように銃を規制したら銃による殺人は減るだろうか?

「銃規制法は、犯罪者たちが巧みに立ちまわったせいで犯罪を減少させることに失敗した。犯罪を減らすための銃規制法の失敗は、首都のワシントンD.C.で顕著に表れている。この街では、1977年以前に登録されていないハンドガンを所有することが禁止された。また、カリフォルニアではもう30年以上にわたって、銃器購入の際に待機期間が課せられてきた。ワシントンD.C.では、禁止法が施行されると殺人発生率は200パーセントあがり100,000人の住民につき80.6人が殺され、アメリカの大都会では最も高い確率となった。カリフォルニアの殺人発生率は、以前は全国平均を下まわっていたのに待期期間制度のもとで200パーセント上昇し、全国のほかの地域より30%パーセントも上まわることになった。(1991年のFBIの犯罪報告書による)」

全米ライフル協会監修「銃の基礎知識」P381

 

残念ながらニュースで我々が聞いた、銃乱射で人々が殺された場所は教会や学校など銃がないところが多いのではなかっただろうか。

 

4,クリスチャンは銃を持つべきでなく、教会には銃を持ち込むべきでないか?

 

メル・ギブソン主演の映画「パトリオット」はアメリカの独立戦争を舞台とした物語だった。ところで、主人公のメル・ギブソンが率いる民兵組織にはキリスト教の聖職者もいた。

自分の家族や国家を守るために牧師が銃をもって戦ったというのは歴史的事実だ。

アメリカでサンクチュアリ教会の信徒が愛国者として銃を持ったとしてもなんの問題もない。

独立戦争があった当時は開拓農民が主流であった。彼らは外敵や野生の猛獣から家族を守ったり、猟のためにライフル銃を持っていた。この銃は基本的に自衛や狩りのために所有していたのであり、人を撃つためではなかった。

善良な人は猟や射撃を楽しみ人を殺めたりはしない。悪人は持つべきではないが善人こそ持つべきである。

いざイギリスと戦争になるとイギリス兵が用いたマスケット銃とは違い銃身に螺旋の細工を施していたライフル銃は3倍の飛距離があり、また命中精度も優れていた。こうした事情が独立を目指すアメリカに有利に働いた。

ライフルを持っていたので独立できたのだ。

平時に健全な目的のために持っていた銃が、有事には自衛の武器として機能した。

ここには家庭連合の考える観念的な「平和軍や平和警察」の姿はない。銃がいらないのならわざわざ軍や警察という表現を使う必要はないことを文先生がご存知ないというのだろうか?

そうであるのなら、人形劇の「サンダーバード」のように国際救助隊であるとか災害救助隊のほうが適当ではないか?

武器を持たない軍や警察がどこにあるだろうか?

それがどんなものか想像すらできまい。

 

 ケイツによれば、アメリカ建国当時の市民の広範な武装は、個々人の自由意志だけで成立していたのではない。先住民や自然の脅威にさらされていた植民者たちの開拓共同体にとって、構成員の武装は権利というよりも、共同体の防衛に不可欠な義務だった。

 そのためアメリカ独立以前の17世紀半ばから、ヴァージニアでは家長の武装を要求しており、貧しくて銃が買えない場合には政府が供給することを法で定めている。武装の有無のチェックの場となったのは当時の共同体の中心だった教会で、毎日曜の礼拝に銃を持参することが求められていた。

「市民と武装」P18 小熊英二

 

保守主義の父と呼ばれるバークの銃を持つ保守主義アメリカにおいて実現することになる。

 

5,鉄の杖の王国になるチャンスが我が国にもあった

 

 明治期における武装権思想としては、植木枝盛の『日本国憲法案」を挙げることができる。この憲法草案の題七十一条において、植木は「政府威力を以て擅恣暴虐を逞ふするときは日本人民は兵器を以て之に抗することを得」と述べ、「日本人民」の武装抵抗権を認めている。

 この憲法草案の特徴は、国家形態として、アメリカに似た連邦制を採用していることである。各州はそれぞれの政府を持ち、さらに連邦をまとめる「大政府」が設けられているが、第二十九条では「日本各州は日本連邦の大に抵触するものを除くの外、皆独立して自由なるものとす。何等の政体政治を行ふとも連邦之に干渉することなし」とされている。

 またこの憲法草案では、政府の軍隊である「常備軍」と武装民兵である「護郷兵」を区別し、第三十五条と第三十六条で別個に規定している。各州はそれぞれの常備兵と護

護郷兵を持ち、さらに連邦政府常備軍を持つ。ただし第三十二条では「日本各州は既に寇賊の来襲を受け危急に迫るにあらざれば戦を為すを得ず」とされており、専守防衛が規定されている。また第四十条では「日本の政治社会にある者之を日本国人民となす」とされており、「日本人民」はそれぞれの地域の住民として想定されている。

 植木のプランに限らず、「常備軍」と「護郷兵」を区別することは、明治期の軍制論に少なからず見られたものであった。・・・・」

「市民と武装」P66~67 小熊英二

小熊はさらに詳しく説明を続けているが、われわれにも馴染みがある丸山眞男の考えにも言及している。

 

 その後に武装権の問題を提起した論考としては、丸山眞男の1960年の小論「拳銃を・・・」がある。これはアメリカ修正憲法第二条に言及しつつ、「『国家』の自衛権」と区別される「人民の自己武装権」を論じたものである。

 ここで丸山は、「豊臣秀吉の有名な刀狩り以来、連綿として日本の人民ほど自己武装権を文字通り徹底的に剥奪されてきた国民も珍しい」と述べ、「全国の各世帯にせめてピストルを一挺づつ配給して、世帯主の責任において管理すること」を試験的に提案している。丸山によれば、「これによってどんな権力や暴力にたいしても自分の自然権を行使する用意があるという心構えが、社会科の教科書で教わるよりはずっと効果的に一人一人の国民のなかに根付くだろうし、外国軍隊が入って来て乱暴狼藉をしても、自衛権のない国民は手を束ねるほかはないという再軍備派の言葉の魔術もそれほど効かなくなるにちがいない」という。

「市民と武装」P67~68 小熊英二 (本文の文字の右に「、」を振ってあるものは大文字にしておいた)

 

残念ながら、このような問題提起の後、1970年前後には新左翼の運動、たとえば連合赤軍による浅間山荘事件や、東アジア反日武装戦線による1974年の三菱重工ビル爆破事件などの悲惨な出来事によって終息し、カイン的人生観のみの問題意識が現れるのみで、アベル的人生観側からの議論も全く出て来なくなってしまった。

ここに一石を投じるためにサンクチュアリ教会が、日本ばかりか世界的に注目されて登場してきたのだ。

現在予備自衛官補の制度は我が国にあるが、

大学で自衛官の士官を育てる「予備役将校養成課程」( Reserve Officers' Training Corps, ROTC)はない。

アメリカにおけるROTCは陸海空軍、および海兵隊の将校を育成するため特定の州立大学、私立大学に設置された教育課程のことであるが、我が国ではアメリカや韓国のように公立や私立の大学にそのような制度は現在皆無だ。

戦前は陸軍の下ではあったが、陸軍予備士官学校があったことがよく知られているとおりだ。

 

6,堕落した韓鶴子によってお父様の世界的基盤がサタンに奪われ生存の危機に立った二代王亨進様

 

(三)メシヤのための基台
 アダムの家庭から立てようとした「メシヤのための基台」は、復帰摂理の中心人物たちが彼らの責任分担を全うできなかったので、三時代にわたって延長され、アブラハムにまで至ったのである。しかしながら、み旨を完成しなければならないアブラハムが、また「象徴献祭」に失敗したので、このみ旨は、更にイサクにまで延長された。ゆえに、イサクの家庭を中心として、「信仰基台」と「実体基台」がつくられて、初めて「メシヤのための基台」が造成されたのである。したがって、メシヤは当然、このときに降臨なさらなければならない。
 ところで、我々はここで、「メシヤのための基台」というものの性格を中心として見たとき、メシヤを迎えるためのこの基台の社会的背景はどのようなものでなければならないかということを、知らなければならない。堕落人間が「メシヤのための基台」を立てるのは、既にサタンを中心としてつくられた世界を、メシヤのための王国に復帰できる基台をつくるためである。しかるに、アダムの家庭や、ノアの家庭を中心とした復帰摂理においては、その家庭に侵入できる他の家庭がなかったので、「メシヤのための家庭的な基台」さえできれば、その基台の上にメシヤは降臨されるようになっていた。しかしアブラハムの時代には、既に、堕落人間たちがサタンを中心とする民族を形成してアブラハムの家庭と対決していたので、そのとき「メシヤのための家庭的な基台」がつくられたとしても、その基台の上にすぐにメシヤが降臨なさるわけにはいかない。すなわち、この基台が、サタン世界と対決できる民族的な版図の上に立てられたのち、初めてメシヤを迎えることができるのである。したがって、アブラハムが「象徴献祭」に失敗せず、「実体献祭」に成功して、「メシヤのための家庭的な基台」がつくられたとしても、その基台を中心としてその子孫がカナンの地で繁殖して、「メシヤのための民族的な基台」を造成するところまで行かないと、メシヤを迎えることはできなかったのである。

原理講論

 

メシアが誕生すると聞いてユダヤヘロデ王は長子を皆殺しにした。

サタンの狙いは常にメシアの命を断つことだと我々は知っている。

世界的基盤を築いてきたお父様はサタン世界と同等に対峙することができ、自然屈服という平和的移行が可能だった。それゆえイザヤ書の理想である鉄の武器を鍬や鋤に変えて平和な世界をもたらそうという主張がなされた。

しかし、世界的基盤がバビロンの大淫婦と化した韓鶴子によって、

正統な相続者・代身者であるとお父様が宣言した亨進様から略奪され、

相続すべき基盤を失った亨進様はサタン世界から命を狙われる危機に陥った。

かろうじて世界の3000家庭が亨進様の下に結集し、一から基盤を作り直さざるを得なくなった。

二代王亨進様の周辺には大きな基盤がなく、常にサタンによる死と隣り合わせの生活を余儀なくされておられる。

韓鶴子家庭連合は摂理的方向が全くわからなくなり、韓鶴子文在寅を祝祷したり、トランプよりバイデンを支持した。天運に見放されどんどん衰退していき、もはや歯止めが効かなくなっている。

これが独生女の姿である。

家庭連合はどうかしている。堕落人間から復帰された食口に分封王が存在しているにも関わらず、直系の子女様が王子であり次の王となるのがおかしいというのは、本当にどうかしている。

 

 「万王の王は一人の神様、真の父母様も一人の父母、万世代の民も一つの血統の国民であり、一つの天国の子女である。天宙平和統一本部も絶対唯一の本部である。その代身者・相続者は文亨進である。それ以外の人は異端者であり爆破者である。以上の内容は、真の父母様の宣布文である。2010年6月5日文鮮明

 

 

裏には

 

 「特報事項は天宙統一教、世界統一教宣教本部の公文のみ認定する。2010年(天暦)4月23日陽暦6月5日、韓国天正(博物館)で発布する。文鮮明(注、訳は教理研究院による)

 

お父様は「これとこれ二つ、表裏で一つだ。内と外。事実である」と語られた。

 

裏表の赤い字の文はほぼ同じである。

違うのは

その代身者・相続者は文亨進である。

家庭連合では悪意をもって内容が違うと主張しているが、素直に見れば、お父様によって本部の公文のみが認定され、お父様の相続者・代身者は亨進様であり、当然本部の公文もお父様の相続者・代身者である亨進様の認定されたものということになる。

 

家庭連合は、「江利川安榮氏は、「亨進様御夫妻も、真のお父様によって王冠伝授をされ、二代王として戴冠されました」と主張しますが、それは誤りです。」と主張しているが、

子女様の一人である仁進様は以下のようにお父様が亨進様を三回も祝福したと証言されている。

 


www.youtube.com

 

"Father made it very very clear to all of us with three announcements the spiritual heir of our movement is Hyung-jin the youngest son. He anointed him three times ,I believe because he knew that the era after his ascension will be incredibly difficult."

3分26秒〜

「父は3回の発表で私たち全員に、私たちの運動の精神的継承者は末息子の亨進であることを非常に明確にしました、父は彼に3回油を注いであげました、なぜなら父は昇天後の時代が信じられないほど困難になることを知っていたからだと思います。」

 

終わりに

悲しいかな個人的な事情から私はまだ二年は身動きができない状況にある。

日本聖殿の信徒であれ、独立系の信徒であれ、心ある者は是非家庭連合の稚拙で悪意に満ち錯誤に陥っている言説のどこが問題で真実はどこにあるかを正して、

迷える食口に回心とお父様の権能の下に復帰する道を示していただきたい。

 

すべての子女様はお父様が誰を後継者に指名されたかを知っていたのだ。

何をくだらぬ戯言を家庭連合の幹部は善良な信徒に吹き込み、

彼らの永遠の命を奪い去ろうというのか!

阿呆め!